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2023年11月

2023/11/30

■節子への挽歌5806:どんな人にも悩みはある

節子

昨日は節子もよく知っているKさんとじっくりと話し込みました。
それもランチタイムと夕方と2回にわたってです。

Kさんは私と違い、社会的にも経済的にも大きな成功をあげており、何の不自由もない豊かな生活をしています。
しかし、いろんな問題もまた抱えているのです。
私は同世代ですし、もう長年の付き合いなので、Kさんのことはかなり裏から表まで知っています。おそらくKさんは私には家庭事情も含めてほぼすべてを話していますし、また私もKさんには家庭事情も含めてほぼオープンにしています。

それもあって、私が困っているとそれとなく支援してくれ、それで助かったことも少なくありません。つい最近も経済的なピンチを、それとなく救ってくれました。しかしだからと言って、Kさんは私に恩を売ったなどとは全く思ってもいませんし、私もまた恩を受けたとも思っていない。まあそういう関係なのです。
ですから私も、Kさんが困っていたらできるだけのことをしたくなるわけです。

Kさんは、しかし、私のアドバイスをきちんと聞くわけではありません。
むしろ数年前まではあまりきかずに、反発していました。
私のアドバイスを聞いてくれていたら、いまのKさんの悩みはなかったはずなのですが、2年前にはまだ私よりも信頼していた人がいたのでしょう。
そもそも私とKさんとは価値観も生き方も違いますから、それは仕方がないことなのです。特に経済的な活動では、私のアドバイスは聞いてくれるはずもありません。

でも歳をとると、だんだん人は同じ考えにたどり着く。
この2年ほどで、私とKさんの世界はかなり近づいてきたようで、Kさんも私の意見を素直に聞くようになったのです。
だから最近は楽しく悩みに関しても話し合える。
恐らくそういう話し相手はKさんにとっては私だけでしょう。

夕方編はKさんにとってはかなり深刻な話だったと思います。
でも終始にこやかにお互い話ができてしまった。
しかも別れ際に、私のがんのことに関して、参考になる本があったから送っておくと言ってくれました。
直接話をしているときには、私のがんの話は全く出てこないので、もしかしたら知らないのではないかと思ったりもしていましたが、やはり気にしてくれているようです。

まさかKさんとこれほど親しくなるとは思ってもいませんでした。
歳をとると離れてしまう友人もいれば、支え合うようになる友人もいる。
まさかのまさか、という感じもありますが、だから人生は最後までわからないのかもしれません。

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2023/11/29

■節子への挽歌5805:振り回されて1日

節子

穏やかな日でした。
が、私自身はあまり穏やかな日とは言えませんでした。

まず朝から長電話で煩わされてしまったのです。
出かける直前の電話ですが、うっかり出てしまった。
相談があるというので聞いていたのですが、愚痴というか困りごとの内容というか、そういう話が早口にどんどん出てきて、こちらが口を挟む暇さえ与えない。
よほど鬱積しているのでしょうが、聞いている方が鬱積してしまう。

電話での相談は、苦手です。
で結局、なんの相談だったかと言えば、佐藤さんのような生き方を見習いたいという。
それに対しては「はいどうぞ」としか言いようがない。
どうしたいいかというので、電話ではらちがあかないんで一度湯島に来てくださいと言って電話を終了。30分以上の長電話。
結局集まりには遅刻してしまいました。

午後はさらに大きな相談が、メールで届きました。
先日、湯島に相談に来た人からのその後の報告と新しい相談です。
これは壮大なプロジェクトの相談で、実現可能性は低いのですが、次のプロジェクトにつながるので思い切りやってみるといいと先日勧めたのです。
私はそのプロジェクトでは、「まともな思考をする長老」役として位置づけられているのですが、それからわかるように、この壮大なプロジェクトはあまり常識的ではないのです。とりあえず、そのプロジェクトの起業資金として1億円集めたいとのこと。
しかもそのプロジェクトは、友人の20年前からのライフワークなのです。
急がないと私はいなくなるよと言ったのですが、佐藤さんは93歳まで生きると聞いているので大丈夫と意に介さない。困ったものだ。

今日の極めつけはあるNPOのZOOMミーティングです。
ZOOMミーティングは嫌いなので断ったのですが、なぜか乾杯の音頭をとってほしいと言われ不承不承承知して、時間調整して、予定の時間にパソコンで参加したら、なぜかミーティングに入れないのです。
最近、ZOOMをやっていなかったからかなと、焦ってしまいましたが、調べた結果、相手が連絡してきた開催時間が2時間間違っていたのです。
腹立たしいというのでもうやめようと思ったのですが、それも大人げないので無理やり2時間後に参加。しかもミーティングの内容は、聞いていたのとは違って、実に退屈。何とか終了しましたが、かなりのストレスを感じました。
でもまあ、思わぬ出会いもあり、参加してよかったのですが。

というわけで、今日はとんでもなく他者に振り回されてしまいました。
人と付き合うのはそろそろ終わりにした方がいいかなと感じるほどでした。

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■第27回益田サロン「心と言葉と時間パート4」報告と次回の案内

円錐の上に逆円錐を重ねた新しい「環境-生物モデル」から、改めて「生物と環境」の関係を考えていこうという益田サロンの4回目は、これまでの議論を少し振り返るというかたちになりました。

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それに関連して、「環世界」的な見方やアフォーダンスという視点も参加者から出ましたが、話し合いにまでは至りませんでした。
また逆円錐よりも正円錐の方がいいのではないかという声もありました。
それぞれに発想を広げたいと思っている参加者もいますが、今回は議論を進めずに、言葉や考え方の確認が中心になりました。

益田モデルでは、「欲」がキーワードになっていますが、欲の意味も、たとえば円錐形の上下では変わっているように思いますし、そもそも「環境」や「関係」の意味も変わってきているために、それらを整理しないと話し合いが難しくなってきています。

今回は、必ずしも合意ができたわけではないですが、参加者の受け止め方の違いが見えてきたように思います。違いがわかれば話し合いは可能になります。

そこで改めて前回案内させてもらった内容で、「心と言葉と時間 パート5」を開催します。
人間は言葉を生み出すことにより、自らの環境を自らで創り出すことができるようになったという話から、そうした環境は自らが生きやすくなるためのものであり、そのために「公」という、新たな概念を生み出した、というところから出発したいと思います。

言葉が環境をつくりだすとはよく言われることですが、そこで生み出された「環境」は、生物にとって「本来の関係」にあるのか。また、「公」という視点から生物同士のつながりの問題や、そもそも「環境とは何なのか」にまで議論がいくかもしれません

次回は、益田さんと柿嶋さんを軸に、進めてもらおうと思います。おふたりによれば、「言葉と環境」「関心対象と環境」が切り口になりそうです。

〇日時:2023年12月21日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「心と言葉と時間 パート5 言葉と環境」
〇話題提供者:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

 

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2023/11/28

■節子への挽歌5804:「生きづらさ」を楽しむ人生

節子

昨日は湯島でオープンサロンでしたが、その前に私を心配した友人が早目にやってきて、もっと前立腺がんにきちんと向き合えと言われました。
どうも私が前立腺がんにしっかりと向き合っていないように受け取られているようです。だからみんな心配してやってくるのかもしれません。
もしそうだとしたらいささか不本意なことです。
私の取り組み方が、どうもうまく理解されていないのでしょうか。
ただ、生きることに対する執着がないのは事実です。
生きていていいことはたくさんあるでしょうが、死んでもいいことはあるはずです。
それがなかなかわかってもらえない。

サロンの前後も含めて、今日は10人を超える人に会いました。
やはり人に会うと元気が出る。
新しい課題も舞い込んでくる。
夢のような話もあれば、切実な辛い話もある。

サロンでは、昨日も「生きづらさ」が話題になりましたが、そもそも人生は「生きづらい」からこそ生きる価値がある。
有閑マダムのような人生が生きやすいわけではない。

私のことを、病気さえ楽しんでいるという人もいますが、そんなことはない。
楽しむとか生きるという意味が、たぶん違うのでしょう。

こういう心境になれたのは、たぶん節子のおかげでしょう。
できればこの「生きづらさ」を楽しむ人生を、節子とともにしたかったと思います。

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■11月2回目のオープンさアロン報告

11月2回目のオープンサロンはにぎやかなサロンになりました。

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オープンサロンはテーマもなく、参加した人が自由に話すことで話題は次々に移っていきますので、参加者次第で雰囲気も変わってきますが、最近はオープンサロンの常連も増えてきました。

今回は、竹形さんが取り組んだ認知症の人と伴に走る・RUN伴の話から始まり、劣化してきている日本の社会を変えるにはどうしたらいいのかという話まで、盛りだくさんでした。たとえば、自殺問題、種子法廃止問題、選挙に行くべきかどうか、陰謀と陰謀論の違い、日米合同委員会、資本主義のゆくえ、樺太に新しい国をつくろう

ちなみにいま、湯島には水素発生器を置いてあり、希望者は水素を吸入しながらサロンに参加するというスタイルをとっていますが、今回は2人の人が体験されていました。

 

 

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■WFC4:人は孤独によって死ぬ

ワルサくんとの「コミュニケーション」は、毎日、試みていますが、状況は大きく変化してきています。問題の立て方が間違っていたような気がして、「ワルサ・ファースト・コンタクト」という名称も、前立腺がん対策という目的も、見直した方がいいかもしれません。私の中では、深化しているのですが、読者の関心とはかなりずれてしまってきているので報告を続けるべきかも迷います。

たとえば、2日前のワルサくんとのテーマは「人は孤独によって死ぬ」という話です。ワルサくんも孤独なのではないかという思いが強まっているとともに、人は病気ではなく孤独で死ぬのかもしれないという思いが浮かんできています。
まあこんな話を書いても、ピンと来る人はいないかもしれません。

4日前に友人が、心理学者のデニス・プロフィットの「なぜ世界はそう見えるのか」(白揚社)を貸してくれました。翌日、一気に読んでしまいました。
友人は、環世界やアフォーダンスの話題に関連して、私にこの本を紹介してくれたのですが、私はそのなかに出てきた「つながり」とか「ふれあい」に引き付けられました。
いささか強引な言い方ですが、ワルサくんとの関係の話のキーワードかもしれないと感じたのです。

「人は孤独によって死ぬ」という文章は、そこに出てくる文章です。
そこに20世紀初頭に話題になった孤児院での乳幼児の高い死亡率の話が出てきました。いわゆる「ホスピタリズム(施設症)」です。
こういう説明が続いていました。「単に十分なカロリーを摂取し、保温がなされ、生存の必須条件が満たされただけでは、人間の乳児は成長できない。乳児が成長するためには、情緒的・社会的滋養も不可欠なのである」。

認知症予防ゲームの普及に取り組んでいたころ、「ユマニチュード」というのが話題になり、私も関連図書を読んでみました。何のことはない、それは要するに「ふれあいこそが認知症を防ぐ」という、生活の知恵の話で、きちんと生活している人ならだれでもわかっている(しかしほとんどの人がまじめにやっていない)「人の付き合い方」をしているだけでした。

乳幼児の死亡率も、高齢者の認知症発症率も、「人とのふれあい」に大きく影響されているのです。同じように、自殺率や病死率も、「人とのふれあい」と関連があるのではないかという思いが、ワルサくんとのコミュニケーションタイムに浮かんできたのです。

コミュニケーションタイムと書きましたが、最近のワルサくんタイムの時には、主語がワルサくんになっていることが増えています。
ワルサくんもまた私の一部ですから、ワルサくんを主語に思考することは、私にもできる。それに気づいたのです。そしてそうやってみると世界は違って見えてきます。

うまく書けないのがもどかしいですが、何しろ毎日、朝晩ワルサくんと一緒にいるので、いろんなことが頭に浮かんでくるのです。
今日は、その中で、病気を起こすのも人なら病気を治すのも人だということを伝えたかったのです。
そして、同時に、「ふれあい」の大切さです。

私のなかにいる前立腺がんにどう対処するか、まだ決めかねていますが、いずれにしろ大切なのは、ふれあいの大切さです。
もし私のワルサくんが、暴走を止めるとしたら、それは私が取り組んできている「民間療法」ではなく、私のことを気にしていてくださる友人たちの思いなのでしょう。

昨日の湯島のサロンにも、サロンの前にある友人がやってきて、私がきちんと前立腺がんに向き合っていないのではないかと真顔で問いただしてくるのです。
なんでそんなに心配してくれるのか、とつい言ってしまいましたが、ここは素直に感謝すべきところでしょう。

ワルサくんも含めて、みんな私のことを心配してくれている。
そうであれば、私もまた、みんなのことを心配しなければいけません。
そして、そうしたつながりやふれあいがあって、孤独でないのなら、私は死ぬことはないのです。
「人は孤独によって死ぬ」のですから、「孤独でないと人は死なない」のです。
事実、ソクラテスはいまも生きている。
「ふれあい」を大事にした宮沢賢治は、いまもますます元気に生きている。

ワルサくんとのコミュニケーションはどこに行くのかわからなくなってきてしまいました。
でも今朝も30分、ワルサくんとの対話をしていました。まあ、ワルサくんに私の本体をとられてしまったとも言えなくはないのですが。

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2023/11/27

■節子への挽歌5803:「気の萎えること」

節子
また4日ほど挽歌を書かずにいました。
早速、友人が心配して、メールをくれました。

別に体調が悪かったのではないのですが、ちょっと気が萎えることがいくつかあったのです。
挽歌だけではなく、ほかの書き込みもせずにいました。
人とかかわるということは、時にそうした「気の萎えること」は起こるものです。

サロンもそれなりに疲れます。
先週末のサロンでは、話し手から、なぜ佐藤さんは声を荒げるのか、と指摘されてしまいました。
あまりに堂々巡りで退屈な論議が行われていたので、私が割って入ってしまい、「陳腐な話はやめよう」とか「実態はこうなのを少しは知ってほしい」などと、上から目線で話してしまったのです。
それが「荒げた声」になってしまったのです。

ほかにも、私の善意で勧めたことがストレスになったとユカから注意されました。
人とかかわることは難しい。

娘でさえそうなのですから、ましてや別に世界で人生を過ごしてきている友人との関係は、もっと難しいのでしょう。
でも私は、そういうことをあまり気にせずに、自分の感情と言葉で話してしまう。
それで時々、気が萎えるようなことに出合ってしまうわけです。

昨日は、気分転換で、孫のにこを誘って、近くのショッピングモールに出かけました。
本を買いに行ったのですが、本ではなく、どうもゲームに関心があるようで、ゲームを買う羽目になってしまいました。
食事も、どこも混んでいて、結局、フードコートで食べたのですが、にこは相変わらず好きなうどん屋さんの肉うどんを選びました。
なんでうどんなのか、と言ったら、孫と娘から怒られました。
まあ、それでまた「気が萎えて」しまった。

人との付き合いは実に難しい。
まあ昨日はどんよりした前の日だったので、そのせいかもしれませんが。

今日は、気分を直して、湯島です。

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2023/11/23

■節子への挽歌5802:「長生きしたくない」はこれから禁句

節子

フェイスブックを読んでいると、いろんな人のいろんな事情が伝わってきます。
私よりもずっと若い人ががんで入院、とかいう話も少なくありません。
うれしい話ばかりではないのです。
改めて、この歳まで生きてきたことの「幸運さ」に感謝したくなります。
たくさんの幸運があったらばこその、82歳なのです。

何故そうした幸運にめぐまれたのか。
それはわかりませんが、いまの私が、そうした幸運のおかげであるならば、その幸運のおかげをおろそかにしてはいけないという気が最近少ししてきました。
もしかしたら、がんが見つかったのは、それに気づかせるためだったのではないかなどとも考えるようになりました。

最近、毎朝、30分ほど、私の中で活躍しだしたがん細胞とのコミュニケーションに心がけています。それに関しては、時評編でもWFCプロジェクト報告として時々書いていますが、その30分のおかげで、いろんな気づきをもらっています。
その一つが、これまでずっと不安だった「長生きへの恐れ」です。
節子を失った時のようなショックは、もう2度と味わいたくはありません。

家族や親しい若い人を見送ることがないように、私自身が先に逝きたいと思うわけですが、その一方で、さまざまな幸運のおかげで、つまりさまざまな人たちのおかげで、せっかく守ってもらっている生なのに、軽々に「長生きはしたくない」などと言っていいのかという気がしてきたのです。

毎朝の「ワルサくん」との対話は、いつもそこに行きつきます。
それはまた、私自身がいま見つかった前立腺がんとどう付き合うかということでもあります。
実に悩ましい問題です。

節子が必死に生きようとしていた時に、友人から「いま、死のうと思って、包丁をお腹に誘うとしているが、刺せない」という電話がかかってきたことがあります。
あの時ほど、腹が立ったことはありませんが、もしかしたら私もまた、彼と同じことをやっているのではないか。
今朝は、そんなことをふと思ったのです。

「長生きしたくない」は、これからは禁句にしようと思います。

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■WFC3:ワルサモデルの普遍性

今朝のワルサくんへの呼びかけなかで、ワルサモデルの普遍性という言葉が突然浮かんできました。
そして、ワルサくんのモデルで考えると、いろんなことは見えてくるような気がしたのです。
そんなことを考えていたら、30分どころか、今朝は1時間近く、ワルサくんと付き合っていました。
でもいろんなことが見えてきたような気がします。
もっとも私自身の前立腺がんのゆくえは、ますます混迷していしまっていますが。

ワルサモデルとは、個と全体を垂直的にはではなく並列的に捉え、相克的ではなく相乗的な関係で考える発想です。基本にあるのは「全即一・一即全」という考えです。これは私の考えの基本にある理念の一つですが、ワルサモデルは、まさにその一つの切り口なのだと気づかされたのです。
ワルサくんは私であり、私はワルサくんである、と考えれば、解決策が見えてくる。

こうしたモデルは、たとえば昨日書いた家族問題や組織問題に当てはまりますし、私が取り組んでいた自殺予防やコモンズやケアの問題にも有効です。
今朝はそうしたこれまでの経験からいくつかの例を思い出していたのですが、多くの事例が見事にワルサモデルに当てはまるのです。

もっと一般的な事例を出せば、たとえば秋葉原無差別殺人事件を起こした加藤さん。彼をワルサくんに重ねて考えてみれば、私がどうワルサくんと付き合えばいいかのヒントがある。逆に言えば、ワルサモデルで考えれば、そうした無差別殺人事件や、さらにはテロ事件の解決に向けてのヒントが得られるかもしれません。
というわけで、「ワルサモデルの普遍性」などと大仰な物言いをしてしまったのです。

ワルサモデルの発想に基づけば、ワルサくんに呼び掛けるのではなく、ワルサくんに耳を傾けることであり、ワルサくんに対して「求める」のではなく、何を「与えられる」のかを考えなければいけないのです。
正すべきは、私にあって、ワルサくんにはない。

「ひきこもり」「不登校」「DV」「いじめ」「テロリズム」…などなど、ワルサモデルで考えると違った状況が見えてきて、解決策のヒントが得られるのではないか。
ウクライナにしろガザにしろミャンマーにしろ、アルゼンチンにしろ、私たちが見えている風景は、どこか違っているのではないか。

今朝は、ワルサくんからたくさんの気づきをもらった気がします。
そもそも「ファーストコンタクト」などとはしゃいでいる場合ではないのです。

それにしても何か最初の意図と違った方向に動いているような気がして、いささか不安です。
そういえば、昨日は直前になって、病院に行くのを止めてしまいました。
揺れ動いている自分が、いささか情けない。

しかし、人間は、いやな問題からは逃げたくなるものです。
でももしかしたら、ワルサくんはそうではないかもしれません。
もっと耳を傾けなければいけないのでしょう。

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2023/11/22

■節子への挽歌5801:病院はやめました

節子

今日は前立腺がんのこれからの治療方針に関して主治医に相談に行こうと思っていました。約束は2週間後なのですが、最近どうも転移や店員先の病院のことが気になりだしたのです。
重粒子線治療を受けられる病院に問い合わせたら、いま申し込んでも来年の3月以降になるというのです。
それでは手遅れになる可能性も高まり心配になってきたのです。

こういう時に、節子がいたら安心ですが、残念ながら位牌の節子は答えてくれない。
今朝の今朝まで行く予定だったのですが、ユカにも相談して、行くのを止めました。
簡単に言えば、「逃げた」のですが、2週間待っても事態はそう変わらないだろうと思うことにしたのです。
人間はいつも自分に都合のいいように考えるものです。

40日プロジェクトに取り組んでいた当初は、そんな思いは全くなかったのですが、最後に近づくころには疲れてきたこともあって、なんだか不安も出てきました。
今は不安を超えて、迷いや諦め(どうでもいいかという気分)が時に顔を出します。

80年以上も生きていると、そして心許せる節子がいないと、生きるのがもういいかという気に、時々なってしまうのです。
特に苦労をかけているユカには申し訳ない気がしますが、なんだかこの頃は、心が平安どころか、揺れに揺れてしまっている。

本当に困ったものです。

 

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■WFC2:ワルサくんと私の関係

ワルサプロジェクトは難航しています。
ワルサくんに毎日、2回、30分近く呼びかけていますが、まだ交流している実感がやってきません。
しかし、いろんな気づきはやってきています。
ただ残念ながら、がんとはあまり関係のない気づきばかりなのですが。

たとえば、こんな感じです。
そもそもワルサくんは、呼びかけている私の一部なのかそうでないのか。
一部だとしたら、呼びかけているのもワルサくんということになる。
もちろん「全体」が「要素」に対して呼びかけるということはある。
ですから、仮にワルサくんが私の一部であっても、おかしくはない。

でもその場合、ワルサくんにとって「私」とは一体何なのか。
あるいは、「ワルサくん」は私にとって一体何なのか。
つまりそう考えていくと、私がワルサくんを疎外していることになる。これは「いじめ」ともいえるでしょう。「ワルサくん」はそうした自分を無視している私に対して異議申し立てしているのかもしれません。

でも、これってどこかで聞いたような話ではないのか。
たとえば、家庭や会社、あるいは村の掟?

たとえば、家庭内DVとか親子の断絶、あるいは「ひきこもり」や「いじめ」。
会社でのいじめやメンタルダウン。
そういう話にどこか通じていないでしょうか。

書き出すと長くなるので、やめますが、逆にそうした視点から改めてワルサくんとのコミュニケーションのことを考えると、いろんなことに気づくのです。
そして、実はもうコミュニケーションしているにもかかわらず、私がそれに気づいていないだけではないかなどと思ってしまうのです。

ちなみにワルサくんのイメージですが、次第に丸っこくなってきています。
温和な表情を感ずることも多くなった。

まあそれがどうしたと言われそうですが。

でもまあこのプロジェクトは、自分でもまだあまり理解できていません。
でも始めた以上はもう少し試みようと思います。

しかし、その一方で、こんなことをやっていていいのだろうかと時々不安になるのも事実です。
今日は午後、病院に行って、主治医と治療方針に関して相談する予定です。
とても気が重く、押しつぶされそうです。

困ったものですが。

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2023/11/21

■節子への挽歌5800:食に少し気をつけようと思います

節子

前立腺がんになって以来、在宅日が増えています。
予定が立たないため、サロンにしろ人に会うにしろ、こちらから声をかけることが少なくなっているからかもしれません。
また、私を気遣って声をかけるのを遠慮している人もあるようです。
私自身は病気だという意識は皆無なのですが、他者には病人に見えるのでしょう。
困ったものです。

先日もある人に言われましたが、私は人に会っていると元気になるそうです。
必ずしもそうとは限らないと私は思いますが、確かにそういう面はある。
そもそも人に会うと、何か新しいことに関心を見つけることが多いあからかもしれません。

昨日は、新倉さんの食養サロンでした。
新倉さんは長年、「ふるさと薬膳」活動に取り組んでいた人ですが、その息子さんとの付き合いの関係で最近、湯島にも来るようになりました。
伴侶を数年前に癌で見送っていますが、息子さんが数年前から湯島に来るようになり、たまたまある時に、息子と一緒に湯島の私のオフィスの近くに来る機会があり、息子さんから「お父さんに似た考えの人がいるので」と言って、立ち寄ってくれたのが最初でした。
伴侶の方は、たまたま私と同年齢なので、大学時代すれ違ったかもしれません。
以来、時々、サロンにも来てくれているのです。

息子さんが湯島に来出したのも、実は私と話しているとなんだかおやじと話しているような気がするというのが理由の一つだそうです。
私の大学時代の友人たちは、みんな私とはかなり考えが違いますし、その方は霞が関に入所したというので、実際には私とはかなり考えは違うはずですが、でも話し方が似ているのかもしれません。
時々、親子ともども、そういう対応がおやじに似ているというのです。

昨日のサロンは「食」がテーマでしたが、私が「食」に関して本当に何も知らないことに最近気づかされます。
すべて節子に任せていたからです。
せめて節子が元気だったころ、おいしい外食に誘えばよかったとこの頃思います。
私は外食もあまり好きではなく、ましてや有名なお店などにはどちらかと言えば否定的でしたから。

ちなみにこの季節にはちょっと辛くて熱くなるものを食べるのがいいと言われました。
そう話したら、ユカがキムチうどんをつくってくれました。
最近、体温をあげるためにニンニクも食べています。
おかげで、平熱体温が少しずつ上がってきています。
時々、36.5度(目標)を超えることがあるようになりました。

これから少し食にも気をつけようと思います。

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■湯島サロン「ふるさと薬膳のすすめ 郷土食は日本の薬膳」報告

長年、郷土食を『ふるさと薬膳』と位置づけ、日本各地の農業や食文化、さらには女性起業支援やまちづくり支援などに取り組んできている新倉久美子さん(東方健美研究所代表)のサロンは、食の大切さを改めて気づかせてくれる示唆に富むサロンでした。

参加者が少なかったのがとても残念ですが、来年から始まる予定の「養生サロン(仮称)」で、季節ごとに「食養生」のサロンを新倉さんがやってくださるとのことですので、食や健康に関心のある方はぜひご参加ください。

新倉さんは今回、大きくふたつの話をしてくれました。

ひとつは「土地と食」という切り口から、地域食文化の継承と創造の意味や「身土不二」の大切さを、もう一つは「季節と食」という切り口から陰陽五行説を踏まえた「食養」の取り組み方。まとめて一言で言えば、「その土地でとれた食材を食べ、その季節にとれる旬のものを食べること」(「風土はフード」)こそ、健康につながる「食養生」だというお話でした。
最近の私たちの食生活は、こうした食文化から大きく離れてしまってきていますが、果たしてそれでいいのか。そうしたことを改めて考えさせられました。

最初に新倉さんは、中国の「薬膳」には、病気を治すことを目的とする「食療」と、病気にならないよう予防するための「食養」の二面性があると話してくれました。そして、地域独自の食文化である郷土食を、薬膳的観点から見直し、現代風にアレンジして、「日々の食事によって健康を取り戻し、身も心も健やかに過ごしていくための「食養」を目的とした健康料理」として広げていこうというのが、新倉さんの「ふるさと薬膳」構想です。新倉さんは、全国各地に実際に出かけて行って、そうした「ふるさと薬膳」の芽を各地に育ててきたのです。

そうした活動の背景には、昨今の日本の食生活への新倉さんの心配があります。
日本は古来、穀物をそのまま煮炊きして食べる「粒食の食文化」でしたが、最近は欧米の「粉食の食文化」が中心になってきているため、日本人の体質との齟齬を生じ、心身両面でのさまざまな問題が起きているのかもしれません。
新倉さんは、改めて命の源である「食」について真剣に考えてみる時期が来ているようだと言います。そのためにも、古くから伝わる季節の郷土食を掘り起こし、再評価して次の世代へ伝えていくことが必要だと考えているのです。

つづいて新倉さんは、季節と食の話をしてくれました。
最近では技術の発展によって季節を問わず食材を選べますが、これは薬膳の考え方からいえば“とんでもないこと”だと新倉さんは言います。たとえば、夏の野菜は身体を冷やす作用があり、秋から冬にかけて出廻る根菜類は身体を温め、蕗のとうやわらびなどの苦味ある山菜は春の香りとともに夏に向かって注意しなければならない心機能を高める作用をもっている。そのように自然のサイクルと人間の身体は本来切り離せない。旬のものを食べることはその季節の体調を整え、次の季節への身体の準備なのです.

最後に新倉さんは中国の陰陽五行学説に基づく「五行配当表」を紹介し、季節季節の食養生のポイントを説明してくれました。
これはとてもわかりやすく、またすんなりと理解でき、誰でもすぐに取り込めそうです。
新倉さんの了解を得て、その「五行配当表」を添付しますが、簡単に言えば、食物の持つ五味五性の性質と人間の臓器との関係を五行で閑連づけ、バランスよく配合することが「薬膳」の基本であり、特に五味五性の調和が大切なのです。

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そして、これに基づいて、これから向かう冬の「食養生」についても話してくれました。一言で言えば、「冬は腎臓、体を温めよ」というのが冬の食養生のポイントだそうです。
私のように、「柚子胡椒」や「黒豆」についてさえ、まともな知識のないものにもとてもわかりやすいお話で、サロン翌日から早速、私も心がけています。

盛りだくさんのお話でしたので、その一部しか報告できませんが、また季節ごとに食養サロンをやってくださるとのことなので、関心をお持ちの方はぜひ次回に。

話し合いもいろいろ示唆に富むものでした。
どうしてこんな食事情になってしまったのか、給食による陰謀のせいではないか、伝統食をきちんと伝えていくためには孫に対するおばあちゃんの役割が大きい、でも三世代交流も少なくなってきた、コンビニや電子レンジは便利だ、など、いろんな話題が出ました。

それにしても、お話を聞いていて、日本古来の食文化が大きく変わりつつあることの恐ろしさを改めて思い知らされました。
社会のあり様は、もしかしたら、まさに食によって規定されているのかもしれません。身体的なアレルギーの増加やメンタルヘルスの問題も、そうしたことと決して無縁ではないでしょう。

新倉さんが指摘されたように、改めて「食のあり方」を根本から考え直したくなってきました。
食とは一体何なのか。どなたか「食を哲学する」サロンをやってみませんか。

次回の「春の食養生」サロンは立春の頃を予定しています。

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2023/11/20

■節子への挽歌5799:自分のことはなかなか決められない

節子

昨日のサロンには珍しい人が来ました。
どうも最近サロンにやってくる「めずらしい人」は、私のがんが気になって、見舞いがてらやってくるようです。
そして元気そうな私を見て、なぜか安心するのです。

言い換えれば、わざわざやってきたのに予想に反して元気なわけで、ある意味、期待に反してしまうわけです。
ですから、まあ23か月は大丈夫ですよ、と期待にも応えるようにしています。
でもまあ、そういうことのおかげで、久しぶりの人にも再会できます。
昨日も指摘されましたが、私は人と会っていると元気になってくるのです。

いずれにしろ、23か月は生活リズムをそう変えなくても大丈夫でしょう。
少なくとも、年内の入院はないでしょう。

しかし実際に治療に入ると何かと大変のようですし、治療後もまた大変なようで、それを思うといささか気が重くなります。
今日は、病院に行って主治医と治療に関して相談しようと思っていたのですが、どうも行く元気が出ません。
それでぶらぶらと1日を過ごしています。

あまりの手持ち無沙汰に、また民間療法を復活しようかと思ったりしています。
さきほど、梅干と昆布とお味噌で、簡単な飲み物を作り、それを飲んでいます。
水素風呂も再開することにしました。

ちなみに、転移の不安ですが、2週間ほど前から腰のあたりが痛くて、それが気になりだすと次々と骨への転移ではないかと不安になるような症状が出始めてくるのです。
まあそんなことはないのでしょうが、本当に病は気からというのがよくわかります。
40日プロジェクト」が終了して一度すべてを止めてみたのですがそれから1週間ほどしてから、何か急に転移の不安がおそってきたのです。

その一因は、先延ばししていた標準治療に何を選ぶかを決めないといけないからなのかもしれません。
摘出手術も放射線治療も、重粒子線治療も、すべて一長一短ありますが、リスクもかなり大きい。治療後、いまと同じような生活ができるかどうか、も少し心配です。

甘いもの断ちは、数日前から解禁しています。
まあ以前に比べれば、減っていますが、今日もカステラを買ってきてもらいました。
むかしは、病気にはカステラでしたから、まあカステラならいいだろうという気がしたのですが、安いカステラなので、あまりよくはないでしょう。
改めてまたコーヒーを淹れなおして、甘いカステラを食べながら治療方針を再考しましょうか。
こういう時に、一緒に考える節子がいないのが残念です。節子なら、さっと決めてくれたでしょう。私が節子の治療方針を決められたように。

自分のことはなかなか決められないものです。

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■湯島サロン「水素は健康に役立つか」報告

水素健康法に関するサロンは予想に反して参加者は少なく、健康に関するサロンの難しさを感じました。

近藤和央さんから、まず水素健康法に関して、活性酸素の説明とそれがもたらす身体的な障害、そしてそうした活性酸素障害に対する水素が持つ効能に関しての説明があり、つづいて、水素水や水素ガスの吸入、水素サプリメントなどの水素摂取方法が具体的に紹介されました。
水素健康法のなによりもいいところは、副作用が全く見つかっていないことだそうです。だから安心して誰にも勧められる。

しかし、残念ながら日本ではまだ摂取のための機器が高価なこともあって、なかなか普及していません。普及しないために高価にならざるを得ず、そのために普及しないという、にわとりと卵の関係を打ち破り、水素健康法をもっと広げていきたいというのが近藤さんの思いです。
水素には、身体の老化を抑える抗酸化作用もあり、高齢社会における医療費削減の視点からも、もっと関心が持たれてもいいテーマかもしれません。
最後に、そのために近藤さんが取り組みたいという構想も紹介してくれました。

近藤さんの話につづいて、水素健康法の実践者である鈴木久美子さんが、ご自身の体験を生々しく話してくれました。
鈴木さんは水素風呂を中心に水素健康法に取り組んでいますが、さまざまな効果があると話しだしました。それがとても楽しそうで、水素の効用をできるだけ多くの人に知ってもらいたいという思いが伝わってきました。
水素風呂は、浴槽で水素を発生させ、そこに入浴することが基本なので、日常的にも取り組みやすい健康法ですが、それ以外にもいろいろな使い方があることも紹介してくれました。

ちなみに私は、今回、がんの治療の意味も込めて、水素風呂と水素ガス吸入を1か月ほど体験しました。残念ながら癌の症状を改善させるには至りませんでしたが(1か月で効果を期待するのが非常識ですが)、体調面では大きな効用を感じました。
しかし、自分が問題を抱えてしまうと冷静な判断力を失いがちで、わらをもすがる思いで信じようとする自分と逆に冷ややかな目で「バラ色の効用」に反発する自分がいるのです。第三者の話を聞くと、そうした揺れ動く自分の考えを整理することもできて、こういう話し合いの場の大切さを改めて実感しました。

水素とメンタル療法の話題も出ましたが、今回はあまり体験知がないため、話は深められませんでした。これに関してもいつか取り上げたい気がします。

近藤さんも鈴木さんも、自分や身近な人の体験から、水素健康法をぜひとも広げていきたいと考えています。
近藤さんは、水素自販機(コインを入れたら一定時間水素ガスが出る)をシニア集合住宅や高齢者の施設などに導入し、みんなでシェアしていくことによって、個人負担を限りなく小さくしていこうというシステム開発に取り組もうとしています。
そのための実証実験に取り組んでくれるような施設を探しています。
もしお心当たりのある方がいたら、ぜひご連絡ください。
また水素風呂に関する効用や利用法に関しては鈴木さんが詳しいですので、関心のある方はご連絡ください。

なおいま湯島では近藤さんたちのご好意で、水素ガス発生吸入を希望者には無料で体験できるようにしています。
体験されたい方は、下記のサイトを通して、近藤さんにご連絡ください。
 https://chouseisan.com/s?h=4f4e06443fc947e7891eac9d13e9ffb5
また近藤さんの思いに共感してくださる方がいたら、ぜひご連絡ください。

今回は水素健康法でしたが、こういう健康のための体験を話し合う場の大切さへの思いをさらに強めました。
健康に関する体験知は、みんなにとっての大きな財産です。
実践者を通して、さまざまな健康法に触れる場を来年からは定期開催したいと思っています。

Suiso202311180000

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■11月第2回オープンサロンのご案内

お約束の、11月2回目のオープンサロンです。
私自身の日程が、なかなか見えてこなかったので先延ばししていましたが、来週の月曜日に開催します。

いつものようにテーマのない、出入り自由のサロンです。
オープンサロンは何でもありで、誰でも歓迎です。
今回は、鈴木章弘さん提供のおいしいコーヒーを用意します。

申し込み不要です。当日、気が向いたらどうぞ。
初めての方も大歓迎です。
ともかく気楽なサロンですので、気楽にご参加ください。

〇日時:2023年11月27日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2023/11/19

■節子への挽歌5798:健康とは不思議なものです

節子

昨日は「水素は健康に役立つか」というテーマでのサロンでした。
参加者は多いだろうと予想していましたが、6人しか集まりませんでした。
やはり「水素健康法」に関しての関心は低いようです。

ただ思ってもいなかった人が参加しました。
これまでも何回かサロンに来た人で、コミュニティづくりに関心のある女性ですが、彼女の息子が2年ほど前に交通事故で小腸を大きく切除することになり、その後、とても苦労しているようで、水素についても学びたいというので参加してくれたのです。
健康というのは、ともかく実際に問題にぶつからないとなかなか関心をもてないのでしょう。
私もそうでした。

幸いに水素の効用に関しては、私もそうですが、みんなにとっても納得できるものでした。私は今、水素風呂を止めていましたが、やはり再開しようと思いなおしました。

参加者の一人は、不治とされる病気にかかっていますが、彼女も私の体験に触れて、ヒートマットや水素療法を始めました。
それと同時に、湯島のサロンにもよく参加するようになってきました。
これも彼女の健康に大きく影響しているように思います。

健康とは不思議なものです。
ちなみに、いま、いささか不安に陥っています。
骨への転移の兆しをなんとなく感じだしてしまったのです。
やはり水素風呂を止めたり、民間療法体験の気を抜いたりしてしまったためでしょうか。

水素風呂を回復し、民間療法にまた取り組みだそうと思いますが、来週は病院にもまた行ってみようと思います。
健康は、不安を持ち出すと際限がありません。

困ったものです。

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2023/11/18

■節子への挽歌5797:節子の追体験は無理ですが

節子

昨日と大違いの、今朝はいい天気です。
雲のため、日の出は見られませんでしたが、晴れてきました。
もっともこれから雨になるかもしれないようです。
天気は実に気ままです。
そういう人生ができればいいのですが。

今回、コムケアの時とは違った意味で、いろんな人の抱えている問題に少し関われています。やはり類は類を呼ぶでしょうか。それにまた自分がその立場になってみると、相手の対応も違ってくるような気がしますし、私の感じ方も違うのです。
頭で感ずるのと心身で感ずるのとではいかに違うものかが少しわかったような気もします。

今週は最近知り合った2人の人が病院で検査を受けることになっていました。
検査結果ではまた抗がん剤を受けなければいけないとか、検査結果は人生を変えていきますから、ドキドキものでしょう。
私にできることは、いい結果であるように祈ることでしかありません。
幸いに2人とも悪い結果ではありませんでした。
私もホッとする、そういう関係が自然と生まれてくるのです。
たぶん私のことも、その人たちは、そんな感じで受け止めてくれているのでしょう。

弱い立場になると、そういう感受性がわかってくる。
節子もきっと、闘病中に、こういうことを感じていたのだろうなと、最近よく思います。
当時、私は直すことばかり考えていて、そんなことにまったく気づかなかった。
節子は、きっとそういう私に気づいていたことでしょう。

節子のおかげで、いまは自分を比較的冷静に捉えることができるようになっているような気がします。同時にまた、自分が癌になったおかげで、周りも前よりもよく見えてきているような気がします。
節子を追体験できるとは思いませんが、まあちょっとだけ節子を感ずることはできそうです。

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2023/11/17

■節子への挽歌5796:最近の生活ぶり

節子

暑い残暑が続いていましたが、このところ、急に寒くなり、炬燵が欲しいほどです。
まあわが家はもう炬燵をすべて処分したため、炬燵は楽しめなくなってしまっていますが。

前立腺がんが発見されて以来、生活を変えずにおこうと思いながらも、やはり変わってしまっています。在宅日が増えていますし、気分的にもやはり落ち着きません。
それに何か新しいことを始めようという気が後退している気がします。

と言っても相変わらず面白そうな話は飛び込んできます。
でも先行きのことを考えると、そう安直には取り組めません。
取り組んだらそう簡単には抜け出せなくなることもありますから。

でも小さなプロジェクトなら引き受けてもいいし、仕組んでもいいかなと思ったりもします。今もいくつかそんな話があります。
いずれにしろ何かしなければいけない課題をつくっていかないと、退屈な生活に向かいそうな気がしています。
昨日も一つ考えて、ある人に提案しました。

節子がいなくなってから、旅行もやめましたし、美術展も音楽界もいかなくなりました。
毎日在宅してもいいくらいの変化のない生活になっていますが、幸いに湯島があるので、週に2~3回は出かけています。もし湯島がなければ、いまとは全く違った生活になっていたでしょう。節子が湯島を残してくれたことに感謝しなければいけません。

今日は寒いうえに雨です。
こういう日は全く元気が出ません。
困ったものです。

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■WFC1:ファーストコンタクトの魅力

以前、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」に関しては紹介したことがありますが、この作品は異星人との「ファーストコンタクト」を扱ったSFです。
最初はお互いにおっかなびっくりですが、次第に心が通じ合う。
生命の本質を考えさせられるとともに、素朴な人間性を思い出させてくれます。
知識膨れしてしまった現代人が、失ってしまった知性にも気づかせてくれる。
そんな作品です。
少し前に話題になった中国のSF作品の「三体」も「ファーストコンタクト」ものですが、それとは全く違って、ともかくあったかくなる。

「ファーストコンタクト」には、何とも言えない魅力がある。
特に、自らを相対化できる知性のある人には、魅力的なはずです。何しろ世界が次元を超えて広がるのですから。今の自分が否定されるほど、知的な出合いはないでしょう。

だとしたら、ワルサくんとのファーストコンタクトも、魅力的な事件に違いありません。
せっかく遭遇したファーストコンタクトの機会は、活かさなければもったいない。
そう思ったのが、今回、「ワルサくんとのファーストコンタクト(WFC)プロジェクト」に取り組もうと思った動機です。
いつもながら、突然の思い付きでしかありませんが、突然やってくるのが「ファーストコンタクト」です。いつもなら、見逃しているのでしょうが、今回は幸いに気づいたのです。

新たなコミュニケーションを生み出すには、相手のことをしっかりと知らなければいけません。相手を理解したうえで話しかけないといけない。
でも、私には、生物学的にも病理学的にも、がん細胞に関する知識はほぼ皆無です。
果たして、がん細胞とコミュニケーションなどできるのか。
この試みの話をしたら、細菌学の大学教授だった友人が、こんなメールをくれました。

がん細胞にとっての本来の環境が用意されれば、癌も体に悪いことをしなくなるのではと思います。これは医系の人には持ちにくい発想ですが。

もしそうなら、がん細胞にとっての「本来の環境」を一緒に考えようと呼びかければいい。そして、がん細胞とは別の私にできることを一緒に考えればいい。
もしかしたら、ワルサくんと私とがシェアできることがあるかもしれません。
もしないとしたら、お互いに思いを出し合って、シェアできる目標を創り出せばいい。でも、まずは、相手とつながらないといけません。そのためにも、ワルサくんも私なのだと気づいてもらわないといけない。それに気づけば。身体的にはつながっているのですから、思いもつながれるはずです。
いやすでに私の思いの一部に、すでにワルサくんの思いがもう既に含まれているのかもしれません。
だから摘出手術に抗って、治療を延ばしているのかもしれません。

こういう風に考えていくと、なんだかわけがわからなくなる。
でもまあ、まずは、そんなことを考えずに、ともかく私からワルサくんに向かって呼びかけを送り続ける予定です。

まるでオズマ計画のように途方もないプロジェクトです。
オズマ計画と違って、呼びかける相手は確実に存在し、しかも私の身体の中にいる。でもワルサ計画の時空間は、オズマ計画の時空間とは異質です。オズマ計画よりももっと壮大な試みのような気もします。

残念ながら今朝の30分の呼びかけにはまったく反応なしです。

それにしても、ワルサくんとはいったいどんな存在なのか。
なんだか少しまたワクワクしてきました。
でも注意しないとますます独りよがりのプロジェクトになりそうです。
困ったものですが。

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2023/11/16

■「ワルサくんファーストコンタクト・プロジェクト」始動

今日から、「ワルサくんファーストコンタクト・プロジェクト」、略して「WFCプロジェクト」に取り組むことにしました。
「ワルサくん」とは、最近、私の中で生まれた前立腺がんのがん細胞です。

これまで「40日奇跡プロジェクト」で、がん細胞の暴走を止めるように働きかけてきましたが、そこで目指した「奇跡」は起きませんでした。
奇跡が起きないのには、それなりの理由があるでしょう。
それを考えているうちに気づいたのが、がん細胞もまた、私の一部ではないかという当然の事実です。
そこで欠けていたのは、がん細胞とのコミュニケーションです。

まずがん細胞に名前を付けることからはじめることにしました。
いろいろと考えて「ワルサくん」と名付けました。
ある友人は、「ワルサ」には相手を敵視する意味合いがあるのでよくないと言ってくれましたが、私にとっての「ワルサ(悪さ)」は、どちらかと言えば、いい意味なのです。
私の生き方の根底にあるのは、常識や秩序に「盲従」するのではなく、そこにちょっとした「ワルサ」を働きかけることで、よりゆたかな常識や秩序を生み出すという考えだからです。そういう姿勢でずっと生きてきています。

まあ、そんなわけで、3日前から、毎朝、30分、ワルサくんへの呼びかけを始めています。残念ながらまだワルサくんからの反応はありません。
それでこれから「40日奇跡プロジェクト」に代わって、「ワルサくんとのファーストコンタクト」、略して「FCプロジェクト」に取り組むことにしました。
さて今度は結果を出せるでしょうか。

また時々、勝手に報告しますが、まず「ワルサくん」が私に与えてくれたことを考え直しています。
「ワルサくん」は、私に「不安」を与え、日常生活のリズムを壊し、ほかにもいろんな迷惑を与えていますが、よく考えてみると、同時にたくさんの「いいこと」も与えてくれています。

たとえば、私の食生活は改善され、最近は胃腸の調子もとてもいいです。私のまわりにあるコミュニティも可視化されました。私が考えていたコミュニティとはだいぶ違っていました。思ってもいなかった人との交流に気づいたり、あまり意識していなかった自分のことが少し見えたり、「ワルサくん」に感謝しなければいけないこともたくさんあります。

しかし、まずは「ワルサくん」との交流の手口を見つけなければいけません。
まさにこれは、「ファーストコンタクト」プロジェクトなのです。
「ワルサくん」と交流するには、「ワルサくん」をイメージしなければいけません。
いろんなイメージが浮かんできますが、いまは、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」のエイリアンのロッキーを想定しています。ロッキーの性格は好きですし。
と言っても、ロッキーにもまだ会ったことがないので、イメージはまだ変転しています。

40日奇跡プロジェクト」よりも難題かもしれません。

 

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■節子への挽歌5795:ワルサくん

節子

最近、友人になった「ワルサくん」を紹介します。
ワルサくんは、最近、私の中で生まれた前立腺がんのがん細胞です。

これまで「40日奇跡プロジェクト」で、がん細胞の暴走を止めるように働きかけてきましたが、そこで目指した「奇跡」は起きませんでした。
奇跡が起きないのには、それなりの理由があるでしょう。
それを考えているうちに気づいたのが、がん細胞もまた、私の一部ではないかという当然の事実です。
そこで欠けていたのは、がん細胞とのコミュニケーションではないかと思ったのです。

まずがん細胞に名前を付けることからはじめることにしました。
いろいろと考えて「ワルサくん」と名付けました。

ある友人は、「ワルサ」には相手を敵視する意味合いがあるのでよくないと言ってくれましたが、私にとっての「ワルサ(悪さ)」は、どちらかと言えば、いい意味なのです。

そういう発想は、節子ならわかってくれるでしょう。
私の生き方の根底になるのは、常識や秩序に「盲従」するのではなく、そこにちょっとした「ワルサ」を働き掛けることで、よりゆたかな常識や秩序を生み出すという考えだからです。

まあ、そんなわけで、3日前から、毎朝、30分、ワルサくんへの呼びかけで始めています。
残念ながらまだワルサくんからの反応はありません。

それでこれから「40日奇跡プロジェクト」に代わって、「ワルサくんとのファーストコンタクト」、略して「FCプロジェクト」に取り組むことにしました。
さて今度は結果を出せるでしょうか。

これが成功すれば、彼岸にいる節子とのコミュニケーションも、新しい次元に移れるかもしれません。
応援してください。

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2023/11/15

■節子への挽歌5794:久しぶりに戻ってきました

節子

2か月ほど、挽歌を書けずにいました。
と言っても私の中では毎日節子に語りかけてはいたのですが。

どこまで書いたか忘れましたが、前立腺がんが発見され、2か月ほど間から「40日奇跡プロジェクト」に取り組みだしました。
標準医療は先延ばしし、その間、友人たちの進める民間療法を試み、できればがんを鎮める「奇跡」を起こしたいというプロジェクトです。
もしかしたら骨への転移などが起こり、手遅れになる危険性はあるのですが、それも覚悟しての取り組みです。

それに関して毎日、「がん民間療法体験」として報告してきましたが、それを書いているときにはいつも節子への報告を意識していました。
ですから、私の中では、この2か月も節子への挽歌を続けていた気分なのです。

でもまあ、そうした民間療法の話題以外にも、節子に話したいことはいろいろとありました。それが話せなかったのは、ちょっと残念ですが。

今日、いとこにも報告しましたが、40日の実験は目指していた結果は実現しませんでした。がんそのものの症状の進行は止まっていて、まあ2か月の時間稼ぎをしたという感じです。このまま、同じような療法に専念するのは、私の趣味に合いませんので、一度、療法を白紙に戻し、新たに今度は霊的な要素もいれながらの取り組みに転ずる予定です。
結果、もしかしたら、症状は進行する危険性はありますが、それも含めていろんな気づきが得られるでしょう。

いずれにしろ明日からまた挽歌を毎日書く生活の戻すつもりです。

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■湯島サロン「仕組まれたコロナ・ワクチンとその背後」のご案内

最近は、コロナやコロナ・ワクチンの報道も減っていて、もう過去の話と思いがちですが、いまなおコロナ後遺症やワクチン後遺症に苦しんでいる人は少なくありません。加えて、あの4年間のパンデミック現象とは一体何だったのか、ということに関しては、いろんな疑問が発せられたまま、いまだに謎のままになっています。

真反対の言説が、いまもネット上では飛び交っていますし、少しずつ明らかになってきた事実への評価も相変わらず対立したままで、いささか大げさに言えば、そのいずれかを信ずるかで、国民の生き方は二分されてしまいそうな気配です。

いずれにしろ、決して終わった話ではなく、実際には今なお、コロナやワクチンは私たちの生活の一部として存在しています。

これまで湯島では、こうした問題を何回も取り上げてきていますが、新型コロナ感染症が話題になりだした当初から、なんだか怪しいなという直感に従って動きをていねいにフォローしてきた北川泰三さんに、この4年間の動きをまとめて報告してもらうことにしました。

北川さんは、コロナ・ワクチンに関しても、さらに疑問を持って、ウイルス、免疫の専門家や関係者たちの意見をチェックしてきています。その結果、「ある事実」が見えてきたと言います。そうしたことから時代の背景にある大きな動きや数多くの陰謀が見えてきて、さらには「陰謀論」さえも感じているようです。もちろんそれが真実だというわけではありませんが、北川さんの話をじっくりとお聞きしたいと思います。

コロナやワクチンを通した政府や医療界からの働きかけは、これからも続くでしょう。北川さんは、1115日に発足した超党派WCH議員連盟の動きにも注目しています。
マスコミが報道をゆるめ、国民の関心が一山超えた背後で、事態はまだ進んでいるのです。
そうした動きをどう受け止めるかは、人によって全く違うでしょうし、真反対の受け取り方もされていくように思います。しかしいずれにしろ、私たちの生活は、そうしたことと無縁ではありません。

長年、コロナウォッチャーとして動きを追いかけてきた北川さんの考えを聞きながら、どういう対応をしていけばいいのか、さらにはどういう働きかけをしていけるのかを、話し合い、考えるサロンになればと思っています。

ワクチン賛成者もワクチン反対者も歓迎です。
ぜひ多くの人に参加していただきたいと思っています。

〇日時:2023年12月10日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「仕組まれたコロナ・ワクチンとその背後」
〇話題提供者:北川泰三さん(リサーチャー&アナリスト)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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■湯島サロン「がん民間療法体験に取り組んで」報告

前立腺がんが見つかったのを契機に取り組んでいた「40日奇跡プロジェクト」の報告をさせてもらいました。当日配布したレジメを添付します。

最初に、前立腺がんが発見された経緯と「40日プロジェクト」に取り組むことにした意図を説明させてもらいました。一言で言えば、「奇跡」を起こして、「常識の罠」を打破したかったのです。そのための「実験台」になることです。

主治医との合意に基づいた取り組みであるととともに、私の友人から勧められたメニューだけに取り組みました。すべて友人の勧めだけで、世上喧伝されている「民間療法」や「サプリメント」への取り組みは皆無です。またいわゆる標準医療を否定するのではなく、統合医療的な発想に基づく取り組みであることを改めて説明させてもらいました。40
取り組むメニューは日を追うたびに増えてきましたが、最後の1週間に定型化されたスタイルをレジメにまとめています。実に盛りだくさんで、まじめに取り組んだら、毎日が「治療のための生活」になりかねませんが、それでは本末転倒ですので、まあ適当に手を抜きながらの取り組みでした。

目指す目標は、基本的には身体の生命力の向上ですが、併せて事態を楽しみながら、多くの友人たちからの好意を素直に受け取ることでした。それこそが、私が願う「すべての人の幸せが私の幸せにつながる」(宮沢賢治)からです。
ちなみに、毎朝行っている「祈り」の時の思いが、このことです。

今回の取り組みの障害になったこともいくつか話させてもらいました。
思ってもいなかった人からのエールは一番の支えになりましたが、ストレスをもたらすコメントもありました。
あまりにメニューが増えたため、後半は時々、義務感や制約感を持ちました。これも時に小さなストレスになりました。

また「私自身の中に生まれる疑心暗鬼」も大きな障害でした。私も、民間療法でがんがなくなるなどとは盲信していませんし、だからこそ取り組んだのですが、もしかしたら手遅れになって転移してしまったのではないかと時に思うこともありました。とりわけ、骨への転移の痛みを指摘され、手遅れになるぞ、と言われると、不安は高まります。
私は「否定と盲信」から自由でありたいと思っていますが、それはいつも「不安」と裏腹です。その裏腹の不安を、いつもならそれなりに楽しめるのですが、骨の痛みへの不安はあまり楽しくありません。
転移を疑うと、実際に骨の痛みを感じだすのです。そういうことでめげたことも何回かありました。そういう時には、意識が病気を創り出すのだなと痛感しましたが、逆に言えば、意識が病気をなくすこともありうることだと発想を変えました。
ちなみに、他者を病気にすることもそう難しいことではないと実感しました。

まあ、そうしたことを踏まえて、11月8日に改めての検査をした結果、症状は進展なしということになり、当初反対していた主治医から、もう1か月進めてみますかと提案されたのです。
私自身は、大きな改善がなかったら主治医の指示に従って標準医療に着手する予定だったため、驚いてうまく対応できず、結局、主治医の提案を受けてしまいました。

FBでは進行が止まったのはすごいことだという評価が多かったのですが、意外な結果はでませんでした。ですから、私にとっては「40日プロジェクト」は失敗でした。
観察者や研究者にとっては、進行が止まったことはすごいかもしれませんが、当事者にとっては直らなければうれしくありません。進行が止まったということは、相変わらず危険があるということだからです。私の場合、症状は進行が止まったからといって安堵できる状況ではないのです。それは私が一番よく知っています。
そういう当事者の気持ちは、第三者にはなかなかわかってはもらえないでしょう。

最後に、これからの取り組み姿勢と提案を話させてもらいました。

まずこれからですが、とりあえず、これまでの取り組みをいったん、白紙に戻します。ただし、食生活だけはもちろん続けます。これは療法ではなく、日常ですから。
療法は「ヒートマットの上で座禅を組んで水素吸入」を朝晩2回行うことにしました。
そしてその際、がん細胞との対話を試みようと思っています。
私の体内で活躍しだしたがん細胞に「ワルサくん」という名前を付けました。
「わるさ」には肯定的な意味を私は感じていますのでこれはあくまでもがん細胞を信頼しての命名です。人類の歴史を振り返れば、ちょっとした「わるさ」が社会を豊かにしてきていますから。権威や秩序や常識に従うだけでは、社会は豊かになっていきません。

また来年から毎月定期的に「養生サロン(仮称)」を開催することにしました。
これは、心身の健康に関する、気楽な話し合い、学びや相談、そして自らの気持ちを解き放す場にしたいと思っています。楽しく明るいサロンにしたいです。
また案内させてもらいます。

話し合いの紹介は省略させてもらいました。
心配してくださったみなさん、いまのところ今まで通り適当に元気です。
たくさんのエール、ありがとうございました。

40日の報告を総集編にまとめました。もしご関心あればお送りしますので、ご連絡ください。

4000

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2023/11/10

■がん民間療法体験余話:がん細胞へのお礼

40日奇跡プロジェクト」が終了し、この3日間は、すべての療法を中断していました。
なんだか解放された気分で、新鮮でした。
40日は常時、何か民間療法を意識していた気がします。
次の治療の対策も考えなければいけなのですが、この3日間は何も考えないことにしていました。

心配してくださったフェイスブックをやっていない方には、思いつく範囲で、プロジェクト終了のお知らせをしました。
フェイスブックやメールではコメントが続いていますが、どうもあまりきちんと読む気が起きず、あまり返信していません。すみません。しばらくはあまり考えたくないのです。

今日は、たぶん一緒に頑張ってくれたであろう「癌細胞」へのお礼を兼ねて、甘いケーキを食べました。甘いものが大好きな癌細胞も喜んでくれたでしょう。
今回の結果をみれば、癌細胞もたぶん、何とか小さくなろう、おとなしくしようと、がんばってくれたのです。お礼をしなければいけません。
そもそも癌細胞も私の身体の一部であることは間違いないのですから。

久しぶりのケーキは、実においしかったです。
明日からまたちょっと養生を意識していく予定です。
療法日課はかなり見直す予定ですが。

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■湯島サロン「がん民間療法体験に取り組んで」のご案内

また個人的な話題のサロンですみません。

私は8月の初めに前立腺がんであることが判明しました。
医師から手術を勧められましたが、まだ何の治療も始めていません。
ただ、主治医にも了解を得て、9月中旬から先週まで、いわゆる「民間療法」的なことに取り組んできました。

一昨日の2か月ぶりの検査では、状況は大きくは変わっていませんでした。
これからどうするかは、まだ決めていませんが、医師と相談しながら、標準医療治療も考えながら、民間療法的な取り組みも続けていく予定です。

民間療法に取り組んだおかげで、いろんな人からいろんなアドバイスや療法を教えてもらいました。さまざまな体験もできました。そうした体験知を、自分だけにとどめておくのももったいない気がします。
そこで、私が取り組んだ「療法」を、その体験感と一緒に、お話しするサロンを開くことにしました。
癌が小さくなったとか、消失したというのであれば、お話し甲斐もあるのですが、今回はそうした顕著な結果は得られませんでしたので、迷ったのですが、成果が出ないのもまた成果と考えて、サロンを開くことにしました。

今回の経験から、来年から湯島で毎月1回、病気や健康のことを明るく話し合えるような「養生サロン(仮称)」を開催していこうと考えています。
その構想もお話しして、みなさんの意見をお聞きできればとも思っています。

気が向いたらご参加ください。
なお、体験中、「がん民間療法体験報告」をブログに書いていましたが、50回にもなってしまい、A4版で70頁を超えてしまいました。内容は極めて冗長ですが、もしご関心があれば、データで送らせてもらいますので、お申し付けください。

〇日時:2023年11月14日(火曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇話題提供者:佐藤修(CWSコモンズ村村長)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2023/11/09

■がん民間療法体体験50:40日奇跡プロジェクト終了

みなさんをお騒がせした「40日奇跡プロジェクト」は、あっけない幕切れになってしまいましたが、終了します。
一人でも迷っている人の力になりたいと思っていましたが、私の思いの入れ方不足と不誠実さで、「奇跡」は起こせませんでした。
奇跡を信じていた方たちに、お詫びします。

しかし、このプロジェクトの意図は、少しだけ成功したと思いますので、次のプロジェクトへと進もうと思っています。
その元気は、皆さまからいただきました。
ありがとうございます。

お気づきの方もあると思いますが、「40日奇跡プロジェクト」の意図は、私の前立腺癌の治療などでは全くありません。
それを心配してくださる方も多かったのですが、それはあくまでも個人的なことであって、その治療方法に関しては、あえて公開することもなく、自分で考えればいい話です。

友人のひとりが、「主眼は「民間療法」で、癌は手段でしたね」と書いてきましたが、その通りです。だから「せっかく癌になったのだから」と言っていたのです。
個人的に言えば、癌などにはなりたくなかったですし、治療行動もとりたくありませんでした。癌で妻を見送り、最近も数人の友人の癌治療に関わってきました。友人のセカンドオピニオンにも付き添い、癌医療の実状にも少しは触れています。逆に民間医療の問題も少しは知っています。

この「長い40日」、自らを実験台と位置づけて、さまざまな療法を試みました。
3日で終わったものもあれば、日常的にルーチン化したものもあります。食生活も変わりましたが、たぶん一部は定着するでしょう。
そういう意味では、私の生活は、より健康的になったと言えます。
最近は、どこかおかしいとすぐ「病気かな?」と思い、病院や薬に依存してしまいがちでしたが、その生き方を少し変えられたのです。
心身の不調も含めて、それが私の生活なのだと思うようになってきました。
だったら不調に陥るのはできるだけ少なくしたい。

医療や養生を、医師やサプリメントや薬から私たちの手に取り戻したい。つまり「コモンズ」にしたいと思って始めたのが今回のプロジェクトです。
そのためにも、いわゆる「民間医療」をオープンな場で話し合えるようにすると共に、誰もが気楽に試みられるようになったり、体験知をシェアできるようにしていく場をみんなでつくり出したいと思ったのです。
さらに言えば、自らの不安や迷いも安心して話せる場もつくれないか。

ちなみに、いまNHKで放映しているイタリアのドラマ「DOC」で描かれているように、病気は生活の一部であり、その生活の理解なしには治療はできないはずです。
そういう医療の基本に、日本の医療も向かってほしいのです。
「民間医療」を改めて考えることの意味は、そこにあります。
いまの日本の医療制度は、私には間違った方向に向かっているとしか思えないのです。農業や林業と同じ方向に向かっている。生命や健康が「市場」にされかねない。

また長くなってきました。
困ったものです。
そこで結論のみ。

40日奇跡プロジェクトは失敗しました。
何しろ「奇跡」は起きなかったのですから、失敗です。
でもそこから新しいプロジェクトが生み出せそうです。
それが「養生サロン」です。

来年から湯島で、毎月定期的に「養生サロン」を開催します。
身体の養生だけではなく、心身の養生です。
詳しくは来週1114日の午後24時に湯島で、今回の40日プロジェクトの報告も兼ねて、養生サロンの呼びかけのサロンを開催します。

よかったら来てください。
案内は別途出します。

長い40日間、肯定的にエールを送ってくださった方に心より感謝します。
ありがとうございました。

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2023/11/08

■がん民間療法体体験49:結果がでました

昨日、病院で検査結果に基づいて主治医と話しました。

結果は変化なし。
民間療法の成果は出なかったということです。
しかし、この「40日プロジェクト」の取り組みに当初反対していた主治医が、なんと「もう1か月やってみますか」と言い出したのです。
これには驚きました。

実は今回、結果がどうであれ、主治医の指示に従うと決めていたのですが、なんとそれが「民間療法継続」ということになったのです。
決めておいたことですので、従わないといけません。

いずれにしろ「40日プロジェクト」を終了し、毎日の療法日課から解放されると思っていたのに、まだ続けるのか、と思ったとたんに、なんだかがっくり来ました。
思ってもいなかった結末です。
どんな結末になるか、楽しみにしていたみなさんには申し訳ない気持ちです。

結果速報をフェイスブックに載せたら、いろいろなコメントがありました。
正直に言えば、私の真意や思いはやはりわかってもらえていないような気がしました。

私が望んだのは、あくまでも「奇跡」なのです。
私のことをわかってくれている人にはわかるでしょうが、私の前立腺がんの症状など、正直、私にとっては瑣末な話なのです。
もう82歳、十分に生きましたし、彼岸には現世以上に魅力を感じています。
何しろまだ体験したことがないのですから。

「奇跡」起こしに関しては、実はもう一つ取り組んでいることがあります。
この結果は1月中旬にわかるでしょう。
もしかしたら「生命の不思議さ」を実現できるかもしれません。
これはひっそりと行い、奇跡が起こったときにだけ公表することにします。
ただ、この「第2の奇跡」は、今回の「40日奇跡」に深くつながっていると私は思っています。

40日奇跡」は起こせませんでした。
その責任はひとえに私にある。
私の「意思の弱さ」と取り組む「期間の短さ」です。

でも主治医が関心を持ってくれたのは、とてもうれしいことでした。
主治医と会話が成り立ったのです。

今日は、病院から戻ったのは4時過ぎですが、気力をなくしていました。
常識的な結論ほど、退屈なことはない。

40日奇跡プロジェクト」のまとめは明日書くようにします。
今日は報告を書く気もしませんので。

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■第27回益田サロン「心と言葉と時間 パート4」の案内

円錐の上に逆円錐を重ねた新しい「環境-生物モデル」から、改めて「生物と環境」の関係を考えていこうという益田サロンの4回目です。
毎回、むしろ非連続的な議論になりますので、はじめての方も気楽にご参加ください。

前回、人間は言葉を生み出すことにより、自らの環境を自らで創り出すことができるようになったという話から、そうした環境は自らが生きやすくなるためのものであり、そのために「公」という、新たな概念を生み出した、というような流れになっていましたが、そこから一歩進めて、今回は、具体的な問題、たとえば「環境破壊」「自殺問題」「ひきこもり現象」なども話題になりそうです。

今回はかなり具体的な話になりそうです。
さらに「虚と実」といった、新しい切り口も話題になるかもしれません。
まあどういう方向に展開していくかは、当日にならないとわからないのが、益田サロンの面白さでもありますから、いずれも確実とは言えませんが。

いつものように、益田さんと一緒に、生物と環境の切り口から、私たちの生き方や社会とのかかわり方を、ちょっと違った視点で話し合えればと思います。
みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2023年11月24日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「心と言葉と時間 パート4」
〇話題提供者:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■がん民間療法体験48:最後の試練とエール

40日プロジェクトの最終日の昨日、思わぬ「試練」が突然にやってきました。
まあ大げさな言い方ですが、後でこれは「試練」だと感じたのです。

昨日はほぼ在宅だったので、夕方、少し早目に恒例の水素風呂に入浴をしようとしていた、まさにその時、電話がかかってきました。
相談の電話でした。
30分ほどの電話でしたが、最後は私から切り上げてほしいと言って電話を終わりました。私の療法リズムは最後の最後で壊されてしまったのです。

世間との交流は、心乱すことを起こしてくれます。困ったものですが。
心を平安にするには世間との交流を断てばいいのでしょうが、それは私の生き方ではありません。
でも昨夜は少し考えてしまいました。
そしてもしかしたらこれもまた「もう一つの療法」ではないかと気づいたのです。

昨夜はこういうメールも来ました。

佐藤さんにとっては、がんは敵みたいな生き物ですか?
がんに身体を征服されちゃう事を意識しているのですか?

いま、乳がんと膵臓がんでがんセンターに通院している友人からです。
彼女は、いま、がんとどうやって仲良くなっていくかの模索中なのだそうです。
メールにはこう書かれていました。

なぜ仲良くしたいかと言うと、がんはひとり一つではなく、身体中にがん細胞が育つ?可能性があるから、仲良くした方が、私の心の平安は保てるのかな、なんて感じているからです☆ なので、佐藤さんの民間療法も毎回楽しく読ませていただきました☆
結果が楽しみですね♪

返事を送りました。

がんは敵ではありません。仲間です。あるいは自分の一部です。
ですからがん細胞抹殺とかがんと闘うという意識はありません。
がんにはおとなしくしていてほしい、悪さはしないでよ、と語りかけています。
がんに身体を征服されるなどとは思ったこともありません。

このやり取りはさらに続くのですが、がんとの向き合い方は人それぞれです。
この「長い40日」で、私もいろいろなことを気づかせてもらいました。
自分が、生や死をどう考えているのかについても、新しい気づきがありました。

昨日と今朝、この民間療法体験とは全く関係ない、うれしいメールも届きました。
8月初めに湯島に来た初対面の韓国の若者から、その後、全く連絡がなく、気になっていましたが、突然メールが来たのです。
こう書かれていました。

夏の対話もすごく楽しい記憶として残っております。
もしよろしければ、またぜひお話させてください。

もう一人もこの数年、音信不通になっていた人です。
取り組んでいた活動が少し前に進みそうだという連絡です。
少しのやり取りの後、最後にこう書いてきました。

はい! 世の中の常識を覆します。

やはり世間と付き合うのは楽しい。

40日プロジェクトを見守ってくれていただろう友人の今朝のメールはこうでした。

新しい1日を佐藤さんらしく迎えられますように。

今朝の日の出は、昨日とは全く違って、明るく元気でした。
診察結果がどうであろうと、今日はいい1日になるでしょう。
何しろたくさんの人たちの支えをたくさんいただきましたから。

診察結果は夕方にはわかります。

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■湯島サロン「自死遺族としてみんなが生きやすい社会を考える」報告

自死遺族として、長年、自殺防止活動に取り組まれている南部節子さんにお願いしたサロンは、10人を超す参加者がありました。参加した動機は、それぞれ違いますが、いずれも観察者的な関心ではなく、自らの生き方につなげての関心を持っている人ばかりだったような気がします。

私が南部さんにお会いしたのは、今からもう20年ほど前です。
日本では、自殺の問題はまだあまり表立っては語られることのない時代でした。

そうした状況を変えていったのがNPO法人ライフリンクですが、南部さんはライフリンクのコアメンバーのひとりとして活動されてきました。同時に、全国自死遺族総合支援センターの事務局長としても活動されていました。
南部さんご自身が、伴侶を自殺でなくされた遺族なのです。

南部さんは、参加者に伴侶の南部攻一さんのプロフィールと攻一さんが「死」に追い詰められた状況と経緯、そして3年後に雑誌「いきいき」の取材に答えた南部節子さん自身の記事を配布してくださいました。
そして、ご自分の体験を話し出されました。20年前の話ですが、つい昨日のような話しぶりでした。そこには、さまざまなメッセージが込められていました。

20042月 まさか!の自死遺族になってしまいました」と南部さんは話しはじめました。そう、「まさかのこと」がいつ誰に起こってもおかしくない、それが「自殺問題」かもしれません。だれにとっても無縁の話ではないのです。
私もライフリンクや南部さんたちとは別の面から自殺問題にささやかに取り組みましたが、自殺問題は「いつだれに」起こっても不思議ではない「身近な社会問題」だと気づかされました。私の場合、それがいまの活動につながっているのですが。

南部さんは、最近は前夜まで元気だった子供が突然自死してしまうようなことも増えていると話してくれました。にもかかわらず、相変わらず「自殺」「自死」は隠されがちで、特別の問題として、話し合う機会も少ない状況が続いています。

自死家族においても、自殺の事実は話せないタブーになっていることが多いようです。そのため、家族が一緒に直面し解決するのではなく家族の自死で家族が瓦解することもある。南部さんご自身は、子供たちと夫の死を分かち合えたので救われたと言います。しかし、多くの遺族が家族でさえもが十分に分かち合えないでいる。

実は、南部さんも夫の自死の直後、近所の人に本当のことが言えず、「心筋梗塞でした」と言っていたそうです。でも娘さんから「なんでウソつくの? そんなウソをついたら、ウソの上塗りで身動きつかなるよ」と言われたそうです。
まだまだ世の中には自殺に対する偏見がある。私にもあった。南部さんはそう言います。
でも正直に事実を話していくと、いろんな人が支えてくれるようになったとも話してくれました。でも当事者が話し出すのはどうも簡単ではないようです。

たしかに自殺に関する認識は高まり、自殺予防策や自死遺族への支援策も法的・制度的に進んできています。しかし、自死遺族のことをどれだけ多くの人が知っているでしょうか。あるいは自死に追い込まれた状況はきちんと社会に伝わっているでしょうか。
「自殺」「自死」という言葉を禁句にせずにもっと話し合える状況をつくっていきたい。
長年、自殺の問題に取り組んでいる南部さんにとっては、まだそういう基本的な状況が変わっていないのがとても残念なのです。

ほとんどの人が死の直前にうつ状態というか、脳が正常に機能していない状態だと言われています。癌や交通事故、事件に巻き込まれての死と同じく本人が選んでのことではない。だから、自死を特別視するのではなく、同じように、その悲しみを語れる世の中になってほしい、と南部さんは言います。
身近な人の自死を語れる社会、苦しい事や困っている事を話せる社会、そんな社会になっていければ、自殺は自然と減るのではないかとも南部さんは考えています。

話し合いも広がりましたが、私の印象に残ったことを3点だけ。

まず自殺念慮を体験したことのある若者が、そういう時に、何も考えずに「わあー!」と叫んですがりつける人がいれば、救われる、と話してくれました。いまはみんなバラバラで生きているためか、そういう人が周りからいなくなっているのかもしれません。私もそういう人を見つけるとともに、周りの人にとって、そういう人になれるように意識したいと思いました。そういうことなら、その気になればだれにもできるかもしれません。私にもできます。

また、家族や近隣社会における支え合う人間のつながりを回復したいという声もありました。コミュニティづくりに関心を持って活動している参加者もいましたが、どうしたらそういうコミュニティを育てていけるか、実際にはなかなか難しいですが、まずは意識しないと始まりません。観察者的に嘆くだけではなく、まずは周りの人と心を開いての付き合いに努めたいと思います。コンビニでのレジで「ありがとう」というだけでも何かが変わるかもしれません。そしてそれなら私にもできる。

どうしたらもっと生きやすくなるだろうという問いかけもありました。
それに関しては、私はもっとみんな素直に生きるのがいいと思っています。
お互いのことを思いやるあまり、だんだん窮屈になってきているのではないか。相手に迷惑をかけてはいかないとか、社会のルールには従わないといけないとか、そういう思い込みを捨てて、わがままに生きようとすればいい。
私はそう思っていますが、それができる人はいいけれど、できない人はどうすればいいかという人もいました。もちろん一挙に、自分のわがままを貫くことなど誰にもできません。でも誰にもできることは必ず何かある。

できない理由を探すのではなく、できることを少しずつ増やしていけばいい。私はそう思い、そう生きてきています。誰にもできることはたくさんあるのですから。

南部さんの話を聞いて、何気ない日常にも自死はつながっている。しかし逆に、そういう何気ない日常の暮らしのなかにこそ、自死をふせぐものがあるのではないか、と改めて確信させてもらったサロンでした。

Nanbu2023110500

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2023/11/07

■湯島サロン「証言によるベトナム残留日本兵の存在」パート2のご案内

添野江実子さん制作の映画「私の父もそこにいた~証言によるベトナム残留日本兵の存在~」を観て話し合うサロンは、いろいろなことに気づかせてくれるサロンでした。

この映画は、敗戦後、長らくベトナムにとどまり、1954年にようやく日本に戻ってきた父親のことを知りたくなった一人の女性(添野江実子さん)が、父親の足跡を探していく中で、日本の戦後と向き合っていくというドキュメンタリー映画です。
添野さんは、その史実を風化させないため、そして、後世に語り継ぐために、映画製作を決意し、クラウドファンディングなどで呼びかけ、映画完成後は、上映会の開催や講演などを行っています。

映画「私の父もそこにいた」(40分)は、ネットのアジアンドキュメンタリーズでも無料で観ることができます(サイトの一番下の方に出てきます)。
https://asiandocs.co.jp

映画づくりを通して、添野さんはさまざまな人に出会い、さまざまな体験を重ねてきています。今年初めには4回目のベトナム現地訪問で、かつて父が暮らしていた村もわかりました。そうした活動を通して、添野さんも変わってきた。
思いを強めて活動を起こせば実現する、そして変化が起こっていく。そうした積み重ねが、社会を変えていくのでしょう。

ちなみにNPO法人NEWSつくばが添野さんの活動を2回にわたって報道しています。
https://newstsukuba.jp/category/%e7%a4%be%e4%bc%9a/

「残留日本兵」の歴史は、さまざまな問題を気づかせてくれますが、「国家と国民」について改めて考える契機も与えてくれるように思います。「新しい戦前」というような言葉が言われだしているいま、改めてそうした問題を考えることが大切です。
今回はこの映画の製作に当たった佐山剛勇監督も参加してくださるかもしれません。
佐山さんは、クリエイティブ・ディレクターとして、ものづくりやまちづくりにも関わっていらっしゃいますが、添野さんとはまた違った視点で、「残留日本兵」の歴史から、さまざまな示唆を与えてくださると思います。

いろいろな意味で、ぜひ多くの人に参加していただきたいサロンです。
前回参加できなかった方が多かったので、もう一度、企画させてもらいました。
みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2023年12月16日(土曜日)午後2時~4時半
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「証言によるベトナム残留日本兵の存在/戦争と国家を改めて考える」
〇話題提起者
添野江実子さん(「私の父もそこにいた」プロデューサー/アロマセラピスト) 
佐山剛勇さん(「私の父もそこにいた」監督/TILab代表)〔参加予定〕
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■がん民間療法体47:今日は神にすがって安静に過ごします

昨日のMRI検査は無事完了しました。
技士のTさんにどうですかと訊きたい気持ちはありましたが、控えました。
明日、主治医の診断を受けます。

まさにそこで、「天国か地獄か」の結果がわかるわけです。
いやその中間の「煉獄」もある。
でもまあ、いずれにしろすべては私にとっての現実です。

昨日も今日もまだ、40日プロジェクトの日課を続けています。
明日の午前中までは同じように継続する予定です。

いまもなお、いろんなアドバイスがあります。
昨日は、友人が「万田酵素」を送ってきてくれました。
昔と違ってとても飲みやすく、おいしくなっていました。
明日の血液検査には影響を与えられるかもしれないので、飲みました。
一昨日は、これも友人がつくって持ってきてくれた奄美大島伝来の発酵乳酸飲料の手づくり品も飲みました。
ともかく友人たちの思いが、私の心身にはたくさん入っているのです。

なぜか「サナート・クマラ物語」まで届きました。
この種の本は苦手なのですが、送ってくださった方の思いに応えようと読ませてもらいました。読めばいろいろ感ずることはあるものです。

「長い40日間」、支えてくださった皆さんに感謝します。
おかげさまで何とか完走できました。

明日の午後、診断が出たら、いずれにしろ一度、すべてを中止します。
少なくとも2~3日は、すべてから解放される予定です。
わがままな私が、自分で決めたとはいえ、ルールに縛られた生活を続けられたのは、40日で奇跡を起こすという大義があったからですので。

最後の審判が出る前に、今現在での方針を。
主治医が、民間療法の効果なしと判断したら、標準治療に入ります。
もし仮に、効果があったと医師が認めた場合も、たぶん標準治療に取り組みます。
その理由もまたその時に書かせてもらいます。

万一、がんが跡形もなくなった場合、つまり、奇跡が起こった場合、どうするかは考えていません。奇跡はやはり、起こってから考えるのがいいでしょう。
というわけで、結局は、標準医療を受けることになるだろうと思いますが、いささかの心配は転移の有無です。
今日は、転移のないことを祈って過ごそうと思います。
神にすがるのもまた、いいことですから。

最後の療法は、やはり「神にすがる」ですね。
最後の日に、「サナート・クマラ物語」を読むことになったのも、意味があるのかもしれません。昨夜読んだのです。

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2023/11/06

■がん民間療法体験46:人事を尽くして天命を待つ心境

今日はこれからMRI検査を受けに行ってきます。
さてさてどうなっているでしょうか。
まさに「人事を尽くして天命を待つ心境」です。

極めて客観的に言えば、結果は五分五分です。
手遅れになってしまったという最悪のシナリオの可能性もあります。
その反面、奇跡が起こっている可能性もゼロではないでしょう。
しかし、民間療法はいずれも即効性のないものですから、40日で効果が出る可能性は極めて低いのです。限りなくゼロに近いと言ってもいいでしょう。だから「奇跡」という言葉を使ったのですが、奇跡はそう簡単には起こらない。
だからこそ、試みたかったのですが。

さてどうなるか。
今日はMRI検査だけで、医師には会わないのです。
結果がわかるのは明後日(118日)の午後です。

今日の朝の療法日課はすませました。
そろそろ出かけます。

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2023/11/05

■湯島サロン「一般社会とひきこもり社会 ひきこもり問題を考える」のご案内

久しぶりに「ひきこもり問題」を考えるサロンを開催します。

最近は「ひきこもり」に関する考え方もだいぶ変わってきていますが、人によってその捉え方は大きく違うようです。
そこで、長年、ひきこもりの問題に身を挺して取り組んでいる阿部さんにサロンをお願いしました。

今回はひきこもりの人たちの話というよりも、そうした人たちとの交流を通して、阿部さんが感じている「いまの社会」の問題を話してもらおうと思います。
もしかしたら、ひきこもっているのは、むしろ「一般社会」(阿部さんの表現です)かもしれません。

阿部さんは、「理不尽な世の中だから、理不尽じゃない世の中を目指そう」というメッセージをひきこもりしがちな人たちから受け取っているようです。
私も何となくそう感じてきていますし、ひきこもりに限りませんが、いま社会で生きづらさを感じている人たちの話は、明日の私たちの話かもしれないとずっと考えています。
そしてそこから気づかせられることや学ぶことはたくさんあります。
タイトルは「ひきこもり」ですが、むしろ私たちの生き方を問いただすサロンになるような気がしますそういう意味では、いささか重いテーマのサロンですが、いつものように「明るく前向きに」話し合えればと思っています。
まあ問題提起者が、阿部さんですので、そうなると思いますが。

みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2023年12月9日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「一般社会とひきこもり社会 ひきこもり問題を考える」
〇問題提起者:阿部達明さん(ライフプランニング・リレーションズ代表)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■11月最初のオープンサロンの報告

10月はオープンサロンができなかったので、11月は2回、オープンサロンを開催することにしました。
急な案内にもかかわらず、10人の参加者がありました。
初めての方も2人いました。しかもなかには地元(湯島)の方も。

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今回はめずらしいお名前の方が3人いました。いずれも日本全国で1000人から3000人ほどしかいないのだそうです。
その中のおひとりが、いまルーツ調べをしているのですが、その最近の成果を話してくれました。どうも45代先まで行きついたようです。先祖をしのぶ資料や古地図なども見せてくれました。

つづいて議論がちょっと燃えたのは、トランスジェンダーの話題です。真っ向から対立しかねない意見が出て、ちょっと論争になりましたが、ちょうどその時に、ママ友グループがやってきたおかげで、切り口が少し変わり、男性と女性の違いのような話になっていきました。論争は避けられましたが、トランスジェンダー論はいつかテーマサロンで過激にやってもいいかもしれません。

オープンサロンはどんな話題が出るか全くわかりません。
参加した人がテーマを設定できるからです。もっとも思ったような方向に行くとは限りません。なにしろオープンテーマですから。
だからオープンサロンが参加しやすいという人もいます。
にぎやかなサロンでした。

今月は後半にもう一度、オープンサロンをやる予定です。
仲谷さんが主催するオープンサロン(119日)もありますが、そちらもよかったらどうぞ。

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■がん民間療法体験45:祈りのエールと身体を信ずる意思

具体的な民間療法体験に関しては報告してきましたが、それとは違った、私の体験療法を最後に2つ書いておこうと思います。

前にも書きましたが、私は毎朝、最初に妻の位牌のある小さな仏壇の大日如来に手を合わせます。
そこで別に何かを願ったり祈ったりするわけではありません。
妻の写真に「おはよう」と声を出して言った後、ただ手を合わせ、大日如来に目を合わせます。すると、森や海や、時にはガザやウクライナや、さらには気になった人のことや時間のことが、自然と頭に浮かんできます。その時、同時に友人知人が私を気遣ってくれていることを感じます。
そして最後に、みんな平安になりますようにと念じて、手をたたきます。

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それがなんだと言われそうですが、それが私の毎日の始まりなのです。

それから民間療法の日課が始まりますが(その前に30分のヒートマット上での座禅をすませていますが)、朝食(朝の祈りから40分以上はたっています)の前にもう一度、仏壇に向かいます。
今度は、妻にお線香をあげるのです。
何で2回もと言われそうですが、なぜかそうなっているのです。
ここでは2回手をたたき、般若心経(もしくはその真言のみ)をあげます。
私は原則として、お寺でも神社でも2回手をたたくのです。非常識かもしれませんが、これは昔からの私のしきたりなのです。

1日2回の祈りの時間は、私が祈るだけではありません。
その時に、私のことを気遣ってくれている人たちの思いも、意識的に受け止めようとしています。つまり、祈りを受ける時間でもあるのです。
それが私に元気を与えてくれるのです。

祈りのエールを感ずるのはその時だけではありません。
この40日、いろんな人に会いましたが、その人たちも私へのエールを下さいました。
久しぶりに、何気なく湯島のサロンに来てくれた人もいれば、明らかに私を気遣ってやってきた方もいます。
それを受ける感受性は意識して高めていたつもりです。声を出して感謝の念を伝えるのは私の性格上、苦手なのですが、しっかりと受け止めるように努めていました。
お手紙などもいただきました。感謝の気持ちで読ませてもらい、送ってきてくださったものは使わせてもらっています。

私がこのプロジェクトに取り組むことに反対な人もいました。そういう人は私を批判し、私にとってはいささか不快な言葉さえも浴びせてきましたし、呼び出されもしました。
しかし、そういう人も、実際には私へのエールを送ってくださっていることは、よくわかっています。私も、相手に負けずに、憎まれ口をたたきましたが、相手の気持ちはうれしく受け取っています。

というわけで、この間、実に多くの方からたくさんのエールをもらったのです。
そうした祈りのエールが、私の心身に与えた影響は少なくないはずです。
これが、これまで書かなかったひとつ目の私にとっての療法です。

そして、そうしたエールに応えるためにも、もう一つ、私が重要だと思った「療法」があります。
それは「意思」です。元気になろう、身体的な問題をできるだけ解決しようという「意思」です。自らの身体への信頼と言ってもいいかもしれません。

このプロジェクトに取り組むにあたって、民間療法を信ずること、そして身体を信じて問題が解決することを強く自覚することに努めました。
「治そう」「癌細胞には縮減してもらおう」と強く念じたわけです。
もしかしたら、民間療法に限りませんが、そうした「生きる意思」こそが病気の治癒には一番の薬かもしれません。

そう思うと、いまの医療の在り方には大きな疑問が生じます。
「医師」ははたしてそうした患者の「意思」の支えになっているのか。
でもこれを書きだすとまた長くなるのでやめます。

ともかく「生きたいと思う意思」を強く持ち続けることがとても重要です。

もしこのプロジェクトが期待した結果にならなかったとしたら、その大きな一因は、この「意思」かもしれません。
正直に言えば、私の「生きたいという意思」はあまり強くないからです。
でも、これに関しても、この40日プロジェクトに取り組んだおかげで、以前よりも「生きようという意思」はかなり強まった気がします。
これもまた書き出すと長くなるのでやめましょう。

以上の2つが、これまであまり書いてこなかった、しかしとても大切だと思っている、私にとっての「民間療法」です。

明日は、まずはMRI検査です。
そして2日後に血液検査をして、医師の診断を受けることになっています。

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2023/11/04

■がん民間療法体験44:がん民間療法に対する私見

がん民間療法体験も40日を超えました。

いうまでもありませんが、私は民間療法が癌治療に効果があると確信しているわけではありません。妻の時の体験もあって、むしろ懐疑的なのです。
確信していたら、そもそも40日奇跡プロジェクトなど始めるわけはありません。
ましてや、標準医療になっている癌の治療法を否定するわけではありません。
どうもその点が、きちんと読んでくださらなかったためには誤解を与えてしまったようです。
それで、40日プロジェクトもそろそろ終わりますので、改めてそのことを書いておくことにします。

確信できないからこそ、せっかくのがん発症の機会を得たので、自分で少しでも確認したかったのです。民間療法体験中は、もちろん、効果があると信じながらの取り組みですが、その自分を見ている3番目の自分は、中立的でした。さらに4番目はむしろ懐疑的。

『患者よ、がんと闘うな』というベストセラーで話題になった近藤誠さんは、標準医療だけでなく、代替医療(民間医療)にも否定的でした。
実際にがん患者になった人の気持ちを横に置くならば、近藤さんのメッセージはわからないわけではないのですが、患者やその家族にとっては、近藤さんのメッセージも受け入れがたいように思います。
少なくとも私には受け入れられません。
やはり何か信ずるものが欲しいのです。たとえそれが「イワシの頭」でも。

近藤さんや安保さんが問うているのは、「病いとは何か」「医療とは何か」ということでしょうが、実際の当事者は、そんな悠長なことは言っていられないのです。
私も手術を勧められながら先延ばしにしましたが、それなりのリスクは自覚しています。
もしかしたら、それこそ「手遅れ」になってしまうかもしれないのです。

でも人は明日何が起こるかわからない。
としたら、ずっと疑問に思っていたことに取り組んでみるほうが、いい人生につながるのではないか。そう思っただけです。
まあ人の一生はやり直しができませんから、その都度、ベストと思った選択をするのがいい。明日のために、今日を生きる生き方は、とりわけ私のような高齢になると選びたくはないのです。

40日、民間療法に取り組んでいて、要は日々の生活が最も大切だということ、自らの自己治癒力や免疫を高めることが、結局はできることの限界であること。そして、何よりも人のつながりこそが最高の薬であることを改めて思い知らされました。
この40日は、ちょっと疲れましたが、実に楽しく刺激的であるとともに、とても瞑想的で思考が深まる日々でした。いい出会いもいい体験もたくさんありました。

だからといって、がんになってよかったなどとは全く思ってはいません。
できれば、この40日は、別のことに向けたかった気もします。
こんなことを言うと、実も蓋もなくなってしまうかもしれませんが。

結果はどうなるかわかりませんが、いずれにしろその結果で、民間療法が効果ありとか効果なしとか短絡的に考えるつもりはありません。
それに、この体験を読んでくださった方には、私がいまたどり着いた最高の民間療法、あるいは養生的生き方が伝わっているかもしれません。

今日は、朝からいつものルーチンに取り組んでいます。
実は娘から、朝、あったかい白湯をゆっくり飲むことを勧めてもらったので、3日前から、メニューにそれを加えました。
この数日、ちょっとリズムがくるってしまっていましたが。
最後の2日間は、その分を取り戻すためにも療法に専念しようかと思っています。

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2023/11/03

■がん民間療法体験43:笑うこと・歌うこと

免疫学者の安保徹さんは、「玄米を主食にして、野菜、魚、納豆などを食べて、深呼吸や体操や入浴などで血行をよくする。 あとは鏡を見て一日3回笑うこと。 笑顔のおかげで顔色がよくなって、玄米のおかげで便がいい臭いになってくれば、ガンはもう大丈夫ですよ」と言っていたそうです。

私にも、笑うことを勧めてくれる人が多いです。
ラフターヨガをやっている人たちが、時々、湯島にも来てくださるのですが、ラフターヨガの集まりにいつでも歓迎だと言われています。でも、これもどうも私向きではないのです。

昨日、ある会でラフターヨガの人たちに会いました。
ラフターヨガは、ヨガの呼吸法に「笑い」を取り入れた「笑いの健康法」といわれるもので、世界中に広がっているようです。声を出して笑うことで新しい酸素を体内に取り入れる。笑っていると自然と楽しくなり元気になるのは間違いありません。
ラフターヨガをやっている人は、いつも元気で明るいです。
だから「笑うことの効用」は私も共感しています。

でも以前も書きましたが、私は4人の自分を自覚しているのですが、みんな平等に位置づけているので、できるだけ身体の自分を意識の自分から自由にさせておきたいのです。
この感覚はなかなかわかってもらえないでしょうが。
そして、むしろ身体が自然と笑えるような生き方の心がけているのです。

いまも私の生活には笑いは少なくありません。
ラフターヨガの人たちのような「大笑い」とは言えませんが、よく笑います。
日ごろの笑いがなくなったら、もしかしたら、ラフターヨガのお世話になるかもしれません。

昨日もお会いしたラフターヨガの先生から、いつでもどうぞと言ってもらいました。
その人は、ほめ言葉遊びというゲームも開発していて、私もそれを一度、体験させてもらいました。昨日もほめてもらいました。
でもこれも私は苦手なのです。ほめられるのが、とても苦手なのです。
そのうえ、人をほめるのもとても苦手です。いつも心の中では、他者への敬意を忘れたことはないので、私にはほめることができないのです。これもなかなか分かってもらえないようですが。

笑うこともいいですが、もしかしたら「ほめること」も病気に効果があるかもしれません。これはふといま気づいたことですが
隣に病気で元気をなくしている人がいたら、ほめるのもいいかもしれません。

ところで昨日は、湯島で急遽、サロンをやりました。
思っていた以上にいろんな人が来てくれました。
気兼ねない友人たちと会って話すことも、大きな効用だなと思いました。
気遣ってくれる友がいることに、感謝しなければいけません。
人と会うのも、健康法かもしれません。
街中のベンチで座っているのも「療法」だなと気づきました。でも最近は、街中のベンチは少なくなってしまった。でも公園にはベンチがあります。今日、座りに行ってみようと思います。誰かに会えるかもしれません。

サロンで、歌を歌うのがいいとある人が言い出しました。
そして私にも歌うといい、というのです。
即座に私は、歌いませんと返していましました。それには理由があるのですが、歌を歌うのはとてもいい「療法」「養生策」だと思います。

笑う・ほめる・歌う。
ともかく心を身体の外に出していく。そういう生き方を心がける。
これなら療法や養生策を日常化できます。

結局、大切なのは日頃の生き方なのでしょう。
がんにかかってしまったのは、もしかしたら私の生活にどこか乱れがあったのでしょう。
困ったものです。
でも今からでも遅くない。

何が悪かったのか、考えるのもまた新しい楽しみかもしれません。
もちろん、何がよかったのかも考えながら。

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2023/11/02

■がん民間療法体験42:体温維持と浴槽運動

免疫を高めるためには身体の基礎体温を高めることが大切だそうです。
できれば36.5度以上と言われたのですが、私の場合は、最近は36.136.3度で、低いときには35度台の時もあります。
年齢とともに基礎体温は低下するようです。

友人が「体温の法則」というのを教えてくれました。ネットで調べるといろいろと出てきますが、そこから引用させてもらいます。

〈体温の法則〉
40.0度 ほとんどのがん細胞が死滅
39.6度 乳がん細胞死滅
38.0度 免疫力が強くり、白血球が病気と戦う
37.5度 菌やウイルスに強い状態 
37.0度 体内酵素が活性化
36.5度 健康体、免疫力旺盛
36.0度 震えることによって、熱生産を増加させようとする
35.5度 自律神経失調症、アレルギー症状が出現
35.0度 がん細胞が最も増加する温度
34.0度 水に溺れた人を救出後、生命の回復がギリギリの体温

健康な人の体温は36.5度といわれているそうです。
つまり私は「健康」ではないようです。

体温をあげるには、にんにくを食べるのがいいというので、最近は毎日、にんにくを食べるようにしていますが、食べる量が少ないのか体温はまだ上がってきません。
ネットで調べると、これまたいろいろな方法があります。
体温をあげるための書籍もたくさん出ているのに驚きました。
情報は、すでにもうたくさんあるのです。

いやむしろたくさんあるがゆえに、見えなくなっているのかもしれません。

体温をあげるように勧めてくれた友人が入浴中の運動を教えてくれました。
スーパー高齢者の菱池和豊さんのヒシイケ式FLOW運動という動画まで教えてくれました。教えてもらった当初、何回か試みましたが、どうも私向きではないので止めました。
でもせっかくなので紹介させてもらいます。
友人は、これを試みて、37.3度まで体温が上がったそうです。ただし常時の体温ではないでしょうが。
もしよかったら動画もあります。
https://youtu.be/qtfpe2oRi5M?si=jc8znou2pXl2xAxo

菱池和豊さんはこう書いています。

加齢により体温は落ちるので がんに罹患しやすくなる。
浴槽運動は体を温めて 心臓など内臓を鍛え、 血管を鍛え 血液循環を良くして 体温を上げる運動法なのです。 副交感神経を上げて 内臓の温度も高まる事で 自然治癒力を高めてくれる。

菱池さんは、この浴槽運動が広がれば、がんは激減するだろうと考えているようです。もちろんがん予防にも、健康維持にも、体力増強にもつながります。

よかったら試してみて、結果を教えてください。
私にはあんまり向いていないですが、よほどの効果があればまた取り組んでみようと思います。

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2023/11/01

■がん民間療法体験41:療法疲れ

がん民間療法体験も、終盤にきて、いささか疲れてきました。
療法実施で疲れるというのは、論理矛盾を感じますが、今回は「実験台的体験」を意図していることもあり、ともかくいろんなことに取り組んでいるので、それなりに大変なのです。支援してくださっている方のことを考えると、手を抜くわけにもいきません。

最初はなんとなく新鮮で、楽しかったのですが、毎日となるとだんだん面倒になってくる。それにいろんなものを飲むことにしたため、時に忘れてしまいがちです。
一番の問題は、体調や気分に合わせて生きるのではなく、体調を予定に合わせなければいけないことです。

たとえば、時にもう少し眠っておきたいことがあるのに、時間が来たら起きてヒートマットと水素吸入をしないとその後の予定が変わってしまうため、気が進まないのに起きなければいけない。ゆったりしていたのに、散歩に行かなければいけない。甘いものを食べたいのに食べられない。飲みにくいチャーガも飲まないといけない。
なんとなく本末転倒ではないかと思うような窮屈さがある。

幸いに、いまの私の場合、それぞれの療法をアドバイスしてきてくれた人がいますので、その人の顔を思い出しながら、取り組んでいるので、ただ規則や予定に従っているだけではありません。その人への感謝の思いをこめながら取り組んでいるので、義務感は生まれないのですが、それが毎日になると窮屈なことには変わりない。

私がいま取り組んでいるような「楽な療法」でさえそうなのですから、もっと大変な療法の場合は、継続はそれなりの努力が必要でしょう。でも「努力」は養生にとっていいことなのか。病気の度合いによっては、そんな悠長なことなどいってはいられないかもしれませんが。でも「今を生きる」か「明日を生きるか」という問題もある。
笑いと精神の安定が大切、などと言われても、実際にはそういう気分にさえならないこともあるでしょう。

今回、改めてそういうことにも気づかされました。
時に思いきり「療法」から解放されて、わがままに暮らしたい気分になってもおかしくない。

療法も養生も、やはり「日常の生活そのもの」にならないといけないのでしょう。
言い換えれば、日常の暮らし方こそが、最大の養生であり療法なのです。
さらに言い換えれば、病気を特別扱いして否定するのではなく、病気を受け入れ、共に生きていくことにこそ心がけた方がいいのかもしれません。
私の両親の時代の頃までは、まさに日々の生活の中に、たとえば、食後のお茶のように、そうした「養生」が組み込まれていた気もします。

今日は療法休養日にします。
朝、寝坊してしまったからですが。
残りわずかなのに、どうも緊張感がない。

困ったものです。

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