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2023/11/08

■湯島サロン「自死遺族としてみんなが生きやすい社会を考える」報告

自死遺族として、長年、自殺防止活動に取り組まれている南部節子さんにお願いしたサロンは、10人を超す参加者がありました。参加した動機は、それぞれ違いますが、いずれも観察者的な関心ではなく、自らの生き方につなげての関心を持っている人ばかりだったような気がします。

私が南部さんにお会いしたのは、今からもう20年ほど前です。
日本では、自殺の問題はまだあまり表立っては語られることのない時代でした。

そうした状況を変えていったのがNPO法人ライフリンクですが、南部さんはライフリンクのコアメンバーのひとりとして活動されてきました。同時に、全国自死遺族総合支援センターの事務局長としても活動されていました。
南部さんご自身が、伴侶を自殺でなくされた遺族なのです。

南部さんは、参加者に伴侶の南部攻一さんのプロフィールと攻一さんが「死」に追い詰められた状況と経緯、そして3年後に雑誌「いきいき」の取材に答えた南部節子さん自身の記事を配布してくださいました。
そして、ご自分の体験を話し出されました。20年前の話ですが、つい昨日のような話しぶりでした。そこには、さまざまなメッセージが込められていました。

20042月 まさか!の自死遺族になってしまいました」と南部さんは話しはじめました。そう、「まさかのこと」がいつ誰に起こってもおかしくない、それが「自殺問題」かもしれません。だれにとっても無縁の話ではないのです。
私もライフリンクや南部さんたちとは別の面から自殺問題にささやかに取り組みましたが、自殺問題は「いつだれに」起こっても不思議ではない「身近な社会問題」だと気づかされました。私の場合、それがいまの活動につながっているのですが。

南部さんは、最近は前夜まで元気だった子供が突然自死してしまうようなことも増えていると話してくれました。にもかかわらず、相変わらず「自殺」「自死」は隠されがちで、特別の問題として、話し合う機会も少ない状況が続いています。

自死家族においても、自殺の事実は話せないタブーになっていることが多いようです。そのため、家族が一緒に直面し解決するのではなく家族の自死で家族が瓦解することもある。南部さんご自身は、子供たちと夫の死を分かち合えたので救われたと言います。しかし、多くの遺族が家族でさえもが十分に分かち合えないでいる。

実は、南部さんも夫の自死の直後、近所の人に本当のことが言えず、「心筋梗塞でした」と言っていたそうです。でも娘さんから「なんでウソつくの? そんなウソをついたら、ウソの上塗りで身動きつかなるよ」と言われたそうです。
まだまだ世の中には自殺に対する偏見がある。私にもあった。南部さんはそう言います。
でも正直に事実を話していくと、いろんな人が支えてくれるようになったとも話してくれました。でも当事者が話し出すのはどうも簡単ではないようです。

たしかに自殺に関する認識は高まり、自殺予防策や自死遺族への支援策も法的・制度的に進んできています。しかし、自死遺族のことをどれだけ多くの人が知っているでしょうか。あるいは自死に追い込まれた状況はきちんと社会に伝わっているでしょうか。
「自殺」「自死」という言葉を禁句にせずにもっと話し合える状況をつくっていきたい。
長年、自殺の問題に取り組んでいる南部さんにとっては、まだそういう基本的な状況が変わっていないのがとても残念なのです。

ほとんどの人が死の直前にうつ状態というか、脳が正常に機能していない状態だと言われています。癌や交通事故、事件に巻き込まれての死と同じく本人が選んでのことではない。だから、自死を特別視するのではなく、同じように、その悲しみを語れる世の中になってほしい、と南部さんは言います。
身近な人の自死を語れる社会、苦しい事や困っている事を話せる社会、そんな社会になっていければ、自殺は自然と減るのではないかとも南部さんは考えています。

話し合いも広がりましたが、私の印象に残ったことを3点だけ。

まず自殺念慮を体験したことのある若者が、そういう時に、何も考えずに「わあー!」と叫んですがりつける人がいれば、救われる、と話してくれました。いまはみんなバラバラで生きているためか、そういう人が周りからいなくなっているのかもしれません。私もそういう人を見つけるとともに、周りの人にとって、そういう人になれるように意識したいと思いました。そういうことなら、その気になればだれにもできるかもしれません。私にもできます。

また、家族や近隣社会における支え合う人間のつながりを回復したいという声もありました。コミュニティづくりに関心を持って活動している参加者もいましたが、どうしたらそういうコミュニティを育てていけるか、実際にはなかなか難しいですが、まずは意識しないと始まりません。観察者的に嘆くだけではなく、まずは周りの人と心を開いての付き合いに努めたいと思います。コンビニでのレジで「ありがとう」というだけでも何かが変わるかもしれません。そしてそれなら私にもできる。

どうしたらもっと生きやすくなるだろうという問いかけもありました。
それに関しては、私はもっとみんな素直に生きるのがいいと思っています。
お互いのことを思いやるあまり、だんだん窮屈になってきているのではないか。相手に迷惑をかけてはいかないとか、社会のルールには従わないといけないとか、そういう思い込みを捨てて、わがままに生きようとすればいい。
私はそう思っていますが、それができる人はいいけれど、できない人はどうすればいいかという人もいました。もちろん一挙に、自分のわがままを貫くことなど誰にもできません。でも誰にもできることは必ず何かある。

できない理由を探すのではなく、できることを少しずつ増やしていけばいい。私はそう思い、そう生きてきています。誰にもできることはたくさんあるのですから。

南部さんの話を聞いて、何気ない日常にも自死はつながっている。しかし逆に、そういう何気ない日常の暮らしのなかにこそ、自死をふせぐものがあるのではないか、と改めて確信させてもらったサロンでした。

Nanbu2023110500

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