■節子への挽歌5804:「生きづらさ」を楽しむ人生
節子
昨日は湯島でオープンサロンでしたが、その前に私を心配した友人が早目にやってきて、もっと前立腺がんにきちんと向き合えと言われました。
どうも私が前立腺がんにしっかりと向き合っていないように受け取られているようです。だからみんな心配してやってくるのかもしれません。
もしそうだとしたらいささか不本意なことです。
私の取り組み方が、どうもうまく理解されていないのでしょうか。
ただ、生きることに対する執着がないのは事実です。
生きていていいことはたくさんあるでしょうが、死んでもいいことはあるはずです。
それがなかなかわかってもらえない。
サロンの前後も含めて、今日は10人を超える人に会いました。
やはり人に会うと元気が出る。
新しい課題も舞い込んでくる。
夢のような話もあれば、切実な辛い話もある。
サロンでは、昨日も「生きづらさ」が話題になりましたが、そもそも人生は「生きづらい」からこそ生きる価値がある。
有閑マダムのような人生が生きやすいわけではない。
私のことを、病気さえ楽しんでいるという人もいますが、そんなことはない。
楽しむとか生きるという意味が、たぶん違うのでしょう。
こういう心境になれたのは、たぶん節子のおかげでしょう。
できればこの「生きづらさ」を楽しむ人生を、節子とともにしたかったと思います。
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