■節子への挽歌5803:「気の萎えること」
節子
また4日ほど挽歌を書かずにいました。
早速、友人が心配して、メールをくれました。
別に体調が悪かったのではないのですが、ちょっと気が萎えることがいくつかあったのです。
挽歌だけではなく、ほかの書き込みもせずにいました。
人とかかわるということは、時にそうした「気の萎えること」は起こるものです。
サロンもそれなりに疲れます。
先週末のサロンでは、話し手から、なぜ佐藤さんは声を荒げるのか、と指摘されてしまいました。
あまりに堂々巡りで退屈な論議が行われていたので、私が割って入ってしまい、「陳腐な話はやめよう」とか「実態はこうなのを少しは知ってほしい」などと、上から目線で話してしまったのです。
それが「荒げた声」になってしまったのです。
ほかにも、私の善意で勧めたことがストレスになったとユカから注意されました。
人とかかわることは難しい。
娘でさえそうなのですから、ましてや別に世界で人生を過ごしてきている友人との関係は、もっと難しいのでしょう。
でも私は、そういうことをあまり気にせずに、自分の感情と言葉で話してしまう。
それで時々、気が萎えるようなことに出合ってしまうわけです。
昨日は、気分転換で、孫のにこを誘って、近くのショッピングモールに出かけました。
本を買いに行ったのですが、本ではなく、どうもゲームに関心があるようで、ゲームを買う羽目になってしまいました。
食事も、どこも混んでいて、結局、フードコートで食べたのですが、にこは相変わらず好きなうどん屋さんの肉うどんを選びました。
なんでうどんなのか、と言ったら、孫と娘から怒られました。
まあ、それでまた「気が萎えて」しまった。
人との付き合いは実に難しい。
まあ昨日はどんよりした前の日だったので、そのせいかもしれませんが。
今日は、気分を直して、湯島です。
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