■節子への挽歌5802:「長生きしたくない」はこれから禁句
節子
フェイスブックを読んでいると、いろんな人のいろんな事情が伝わってきます。
私よりもずっと若い人ががんで入院、とかいう話も少なくありません。
うれしい話ばかりではないのです。
改めて、この歳まで生きてきたことの「幸運さ」に感謝したくなります。
たくさんの幸運があったらばこその、82歳なのです。
何故そうした幸運にめぐまれたのか。
それはわかりませんが、いまの私が、そうした幸運のおかげであるならば、その幸運のおかげをおろそかにしてはいけないという気が最近少ししてきました。
もしかしたら、がんが見つかったのは、それに気づかせるためだったのではないかなどとも考えるようになりました。
最近、毎朝、30分ほど、私の中で活躍しだしたがん細胞とのコミュニケーションに心がけています。それに関しては、時評編でもWFCプロジェクト報告として時々書いていますが、その30分のおかげで、いろんな気づきをもらっています。
その一つが、これまでずっと不安だった「長生きへの恐れ」です。
節子を失った時のようなショックは、もう2度と味わいたくはありません。
家族や親しい若い人を見送ることがないように、私自身が先に逝きたいと思うわけですが、その一方で、さまざまな幸運のおかげで、つまりさまざまな人たちのおかげで、せっかく守ってもらっている生なのに、軽々に「長生きはしたくない」などと言っていいのかという気がしてきたのです。
毎朝の「ワルサくん」との対話は、いつもそこに行きつきます。
それはまた、私自身がいま見つかった前立腺がんとどう付き合うかということでもあります。
実に悩ましい問題です。
節子が必死に生きようとしていた時に、友人から「いま、死のうと思って、包丁をお腹に誘うとしているが、刺せない」という電話がかかってきたことがあります。
あの時ほど、腹が立ったことはありませんが、もしかしたら私もまた、彼と同じことをやっているのではないか。
今朝は、そんなことをふと思ったのです。
「長生きしたくない」は、これからは禁句にしようと思います。
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