■WFC3:ワルサモデルの普遍性
今朝のワルサくんへの呼びかけなかで、ワルサモデルの普遍性という言葉が突然浮かんできました。
そして、ワルサくんのモデルで考えると、いろんなことは見えてくるような気がしたのです。
そんなことを考えていたら、30分どころか、今朝は1時間近く、ワルサくんと付き合っていました。
でもいろんなことが見えてきたような気がします。
もっとも私自身の前立腺がんのゆくえは、ますます混迷していしまっていますが。
ワルサモデルとは、個と全体を垂直的にはではなく並列的に捉え、相克的ではなく相乗的な関係で考える発想です。基本にあるのは「全即一・一即全」という考えです。これは私の考えの基本にある理念の一つですが、ワルサモデルは、まさにその一つの切り口なのだと気づかされたのです。
ワルサくんは私であり、私はワルサくんである、と考えれば、解決策が見えてくる。
こうしたモデルは、たとえば昨日書いた家族問題や組織問題に当てはまりますし、私が取り組んでいた自殺予防やコモンズやケアの問題にも有効です。
今朝はそうしたこれまでの経験からいくつかの例を思い出していたのですが、多くの事例が見事にワルサモデルに当てはまるのです。
もっと一般的な事例を出せば、たとえば秋葉原無差別殺人事件を起こした加藤さん。彼をワルサくんに重ねて考えてみれば、私がどうワルサくんと付き合えばいいかのヒントがある。逆に言えば、ワルサモデルで考えれば、そうした無差別殺人事件や、さらにはテロ事件の解決に向けてのヒントが得られるかもしれません。
というわけで、「ワルサモデルの普遍性」などと大仰な物言いをしてしまったのです。
ワルサモデルの発想に基づけば、ワルサくんに呼び掛けるのではなく、ワルサくんに耳を傾けることであり、ワルサくんに対して「求める」のではなく、何を「与えられる」のかを考えなければいけないのです。
正すべきは、私にあって、ワルサくんにはない。
「ひきこもり」「不登校」「DV」「いじめ」「テロリズム」…などなど、ワルサモデルで考えると違った状況が見えてきて、解決策のヒントが得られるのではないか。
ウクライナにしろガザにしろミャンマーにしろ、アルゼンチンにしろ、私たちが見えている風景は、どこか違っているのではないか。
今朝は、ワルサくんからたくさんの気づきをもらった気がします。
そもそも「ファーストコンタクト」などとはしゃいでいる場合ではないのです。
それにしても何か最初の意図と違った方向に動いているような気がして、いささか不安です。
そういえば、昨日は直前になって、病院に行くのを止めてしまいました。
揺れ動いている自分が、いささか情けない。
しかし、人間は、いやな問題からは逃げたくなるものです。
でももしかしたら、ワルサくんはそうではないかもしれません。
もっと耳を傾けなければいけないのでしょう。
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