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2023年12月

2023/12/31

■節子への挽歌5833:平和な大晦日

節子

大晦日には毎年家族みんなでお墓の掃除に行きます。
今日も、ユカとジュン家族とみんなでお墓参りです。
早かったため、まだ除夜の鐘の準備はできていませんでした。
久寺家に住んでいたころは、みんなで除夜の鐘をつきに行っていました。その頃は、鐘は108に限らず、つきたい人全員につかせてくれていました。
宝蔵院からは我孫子が一望できます。ここは昔、久寺家城があったそうです。

お墓から戻ったら、にこがやってきて、トランプをしようといってきました。
一足先のお正月。
まあ年末に暇なのは、子供と老人くらいなのかもしれません。
トランプの後、久しぶりにオセロを挑戦してきました。
トランプとオセロは、まだ私の方が強いのです

夕方、我孫子の住む林さんから、お餅をついたので持っていくと連絡が入りました。
待っていたのですが、来ないのでお風呂に入ってしまったら、その時に、林ご夫妻がやってきました。私は会えずに、ユカが代わりにお餅を受け取りました。
お風呂から上がって、年越しそばと一緒に、早速にお餅も食べました。
おいしいお餅でした。

最近は9時には寝るようにしています。
除夜の鐘など聞くこともなく、早々と寝るつもりです。

今年もまた、良い年でした。

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■今年読んだ本のベスト10

一条真也さんが、今年読んだ本のベスト10を選んだが、「資本主義の次に来る世界」が一位でした、とわざわざラインで教えてきてくれました。
その結果は一条さんのブログに書かれています。
私が読んだのは、この本だけでした。彼の読書範囲はともかく広いのです。
https://shins2m.hatenablog.com/entry/2023/12/30/000000

一条さんは、それらの紹介や読後感を、いつもていねいにブログで紹介していますので、よかったら読んでください。一条さんの紹介文を読んだだけでも読んだ気分になります。

一条さんのブログを読んで、私も真似をしたくなりました。
私の読書の範囲や量、そして読み方のていねいさも、一条さんとは比べようもありませんが、それでも今年も100冊を超える本を比較的ていねいに読んだつもりです。ただ、ジャンルがかなり狭くなったうえに、最近は、新刊よりも昔の本を読みなおすことが多くなりました。フィクションはほんの数冊しか読みませんでしたが、いずれもベスト10に入りませんでした。想像力が低下しているのかもしれません。

対象にした本は、今年出版された本に限定しました。
結果は次の通りです。
いずれも面白いというよりも、共感できたというべきでしょうが。
書名と、気になった一文を挙げてみました。順位はありません。

〔いまの金銭至上主義的経済社会から抜け出すための示唆をもらえた2冊〕
〇「資本主義の次に来る世界」(ジェイソン・ヒッケル 東洋経済新報社)
成長志向のシステムの目的は、人間のニーズを満たすことではなく、満たさないようにすること
〇「資本主義の〈その先〉へ」(大澤真幸 筑摩書房)
相克性を基底に置いた関係から、相乗性を基底に置いた関係へ

〔いまの政治の閉塞状況を打破していくための示唆をもらえた2冊〕
〇「地域主権という希望」(岸本聡子 大月書店)
私がめざしたい政治とは、人々が当たり前に、希望をもって暮らせる社会の実現
〇「コモンの「自治」論」(斉藤幸平+松本卓也編 集英社)
〈ケア〉とは、まわりの人々から人間以外の生物や環境まで気遣うこと

〔自分の生き方を問い直すヒントをもらえた2冊〕
〇「自己家畜化する日本人」(池田清彦 祥伝社新書)
現代社会において「飼い主」は、「システム」「権力」
〇「我々はどのような生き物なのか」(ノーム・チョムスキー 岩波書店)
社会変革のための方法はただ一つ、民衆による広範な組織化と活動
〇「宮本常一〈抵抗〉の民俗学」(門田岳久 慶應義塾大学出版会)
理念の実現のために制度や補助金を「使う」という主体的あり方が重要
〇「樹木が地球を守っている」(ペーター・ヴォールレーベン 早川書房)
人間は「無知」を受け入れ、尊重することで、よりよい道を見出せるようになる

〔気付きをもらった本〕
〇「戦後教育史」(小国喜弘 中公新書)
教育改革の現場を通して見えてきたのは、政治に翻弄される学校の姿であり、そのなかでの子どもたちの不幸
〇「新しい自由論」(村中璃子 文藝春秋)
自由は、最初からそこにあるわけでも勝ち取ったら終わりでもなく、時と文脈に応じてその意味をくり返し問い直し、理性と努力で守っていく必要がある

ちなみに、読みなおした本では、「「日本書紀」の暗号」(林青覚 講談社)が面白かった。今年出版された「スサノヲの正体(関裕二 新潮新書)も面白かったですが。年末年始は久しぶりに日本の古代史の本を10冊ほど読む予定です。

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2023/12/30

■節子への挽歌5832:手抜きの年末

節子

最近は年末だからといっても気分が何か変わるわけでもなく、大掃除さえ、手抜きになってきています。
しかしさすがに何もしないわけにいかず、放置しっぱなしになっている書籍の整理をしました。処分しようと思って箱詰めをしたままになっている書籍が7箱ほどありますが、どうも処分する気になれずに、箱詰めのままになっています。
見直すと、そのたびに判断が変わるのです。
そうは言うものの、見直すたびに少なくとも1~2割は処分されていくのですが、まあいかにも未練がましい自分に気づかされます。

節子の遺した日記もありますが、これはどうにも処分のしようがない。
娘たちはたぶん読まないでしょうし、私も読む気力がない。
私自身はあるときから日記を書くのを止めましたが、ブログやホームページでの記録は一時期、書いていました。
最近は、日記代わりがこの挽歌ですが、どうもさぼりがちです。
来年はまたきちんと書こうかと思いますが、自身があるわけではありません。

今年は年末の大掃除はすべてユカに頼んでしまいました。
ユカは大掃除から年始の準備まで大変そうですが、頑張ってやっています。
私にはとてものんびりの年末です。

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■年末オープンカフェサロン報告

昨日は今年最後のサロンでした。
4時間の出入り自由のサロンでしたが、4時間ずっと参加してくださった人もいました。
最初と最後の写真ですが、最後はカメラ目線で撮影するのもたまにはいいのではないかという参加者の提案で、めずらしい写真になりました。

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竹形さんが「がんにも勝てる長生きスープ」の本を持ってきてくれました。
もう十分に長生きしたのですが、まだ十分ではないと思われているようです。
来年出版される「戦争ができる国からの解放」(三一書房)の著者の川本さんは、その本を書いた意図を少しだけ話してくれ、本もご披露してくれました。早速2人の人が購入してくれました。年明けにサロンをおお願いしたいと思っています。

今回も私がいかに何も知らないかを思い知らされることが多かったです。
サロンを開いていると、自分の世界の偏りと狭さにいつも気づかされます。

今年のサロンに50回参加したという人がいますので、50回以上やったはずです。
来年もまた、サロンは続けますので、よろしくお願いします。

気が向いたら、どなたでもサロンをやってもらっていいですので、声をかけてください。
昨日のサロンでも「催眠術」のサロンができないかという提案をもらいました。
どなたか、催眠術を実際にかけてくれるサロンをしてくれる方がいたらぜひご紹介ください。私も一度体験したいと思っています。

来年は3日に新年カフェサロン、7日からはテーマサロンが始まります。最初のテーマサロンはなんと「陰謀論」。
来年もよろしくお願いします。

 

今年もお付き合いいただきありがとうございました。

それぞれに、それぞれのよいお年を。

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■年末オープンカフェサロン報告

昨日は今年最後のサロンでした。
4時間の出入り自由のサロンでしたが、4時間ずっと参加してくださった人もいました。
最初と最後の写真ですが、最後はカメラ目線で撮影するのもたまにはいいのではないかという参加者の提案で、めずらしい写真になりました。

 2024last20002024last1000

竹形さんが「がんにも勝てる長生きスープ」の本を持ってきてくれました。
もう十分に長生きしたのですが、まだ十分ではないと思われているようです。
来年出版される「戦争ができる国からの解放」(三一書房)の著者の川本さんは、その本を書いた意図を少しだけ話してくれ、本もご披露してくれました。早速2人の人が購入してくれました。年明けにサロンをおお願いしたいと思っています。

今回も私がいかに何も知らないかを思い知らされることが多かったです。
サロンを開いていると、自分の世界の偏りと狭さにいつも気づかされます。

今年のサロンに50回参加したという人がいますので、50回以上やったはずです。
来年もまた、サロンは続けますので、よろしくお願いします。

気が向いたら、どなたでもサロンをやってもらっていいですので、声をかけてください。
昨日のサロンでも「催眠術」のサロンができないかという提案をもらいました。
どなたか、催眠術を実際にかけてくれるサロンをしてくれる方がいたらぜひご紹介ください。私も一度体験したいと思っています。

来年は3日に新年カフェサロン、7日からはテーマサロンが始まります。最初のテーマサロンはなんと「陰謀論」。
来年もよろしくお願いします。

 

今年もお付き合いいただきありがとうございました。

それぞれに、それぞれのよいお年を。

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2023/12/29

■節子への挽歌5831:今年最後のサロン

節子

今日は今年最後のサロンでした。
今年もたくさんのサロンを開かせてもらいました。
私以外の人が主催するサロンも増えてきました。
なかには、私が参加しないことを特徴にするサロンも始まっています。
私がいなくなってもサロンを続けられないかという思いが主催者にはあるようです。

節子と一緒にやっていたころのサロンとは趣はかなり違っていますが、あのサロン体験があればこそのいまのサロンです。
ある意味では、節子が遺していってくれた生活かもしれません。
もしサロンがなかったら、私の今はたぶんないでしょう。

サロンでいろんな人と会うことで、私の元気は維持されてきました。
いわゆる「仕事」をしなくなったにもかかわらず、また自分からどこかに出かける気力をなくしてしまった時にでも、いろんな人と出会える場になっているのです。

来年もサロンを続けます。

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2023/12/28

■節子への挽歌5830:東尋坊のお餅

節子

今年も東尋坊からみんなでついたお餅が届きました。

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私たちが東尋坊で最初にこの餅を食べたのは、もう20年ほど前。節子と一緒の最後の旅で、偶然に東尋坊に寄った時に、偶然に茂さんとお会いし、おろし餅をごちそうになったのです。以来、毎年年末になると送ってきてくれます。
今年もどっさりと届きました。お裾分けし、私もさっそく、好物の豆餅をいただきました。代表の茂さんに電話しましたが、いつもながらの元気な声でした。

茂さんたちは、今年もすでに35名の自殺企図者と岩場で遭遇したそうです。
生成AIの影響で自尊心を傷付けられ自殺を考えて東尋坊に来た大学生もいたそうです。AIがそんなところにまで出てくる時代になってしまいました。

うれしいニュースは、今年は新たに若い世代の参加があって、スタッフの平均年齢が若返ったそうです。茂さんも川越さんもちょっと安心しているでしょう。
NPOの世代若返りはどこでも難しいですが、これはうれしいニュースです。

いま子供たちの自殺の増加が問題になっていますが、子供に限らずだれもが自殺に追い込まれるようなことが起こらない社会に、私も意識を向け、できることを見つけていきたいです。東尋坊の茂さんたちを暇にさせるように、私にもできることは必ずありますから。節子が元気だったら、あの後も東尋坊に行けたはずですが、もうその機会はないようです。

 

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■戦争を受け入れる意識の広がりへの警告

戦争がじわじわと足元に迫ってきているような年でしたが、そうした動き(戦争を受け入れる意識の広がり)にみんな目を覚まそうと呼びかける2つの論考が、湯島のサロン仲間から届きました。
ひとつは雑誌への寄稿論考。もう一つは年明けに出版される書籍です。

論考は本間照光さん(青山学院大学名誉教授)の『核時代、破綻した「核抑止」』で、雑誌「賃金と社会保障」1840号に掲載されています。副題が「戦争放棄こそ核戦争放棄の道」。核時代にあっては、そもそも戦争の意味が変わっているのに、いまだに「核抑止力」を受け入れている風潮に警告を発しています。そしてこう言います。

日本国憲法は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力」と「核時代」の現実が生んだ、珠玉の人権宣言書にほかならない。

つづけてこう書いています。

この日本国憲法の柱は、主権在民(国民主権)、戦争放棄(平和主義)、基本的人権の尊重であるが、それらは相互に支え合っている。誰もが人間として生きられ、平和のうちに暮らすことを、憲法が支える。その憲法を主権者たる人びとが支える、「不断の努力」。生きる、いのちを支える、人間らしく生きられる社会をつくる努力。「不断の努力」は、人びと、私たち一人ひとりの「ふだん(普段)の努力」だ。ふだんのいのちとくらしのあり様が、戦争そして核戦争を防ぐ力となる。

そして、改めて日本国憲法9条の「戦争放棄」の意味を考えていこうと呼びかけています。ぜひ多くの人に読んでほしい論考です。
「賃金と社会保障」はアマゾンで購入できます。

もう一つは、川本兼さんの新著『戦争ができる国からの解放』(三一書房)です。来年1月に出版されますが、その前に読ませてもらいました。
本書に関しては、また改めて紹介したいと思いますが、「はじめに」と「あとがき」から2つだけ紹介しておきます。ここに川本さんの危機感と打開策が象徴されていると思います。

まずは「はじめに」の書き出しの文章です。

私は、現在行われているロシアによるウクライナへの侵攻は、これからの日本国民の運命に決定的影響を及ぼすかもしれないと危惧しています。それは、この戦争によって、日本国民の多くが「正義の戦争」を感じてしまいかねないからです。

「あとがき」のタイトルは「「反徴兵法」の制定」となっています。
戦争を起こすのは政府ですが、戦争を続けるのは国民です。誰もが戦いを放棄すれば戦争は持続できないからです。しかし、政府に抗って戦いを拒否するのは難しいのも事実です。だからこそ、反徴兵法制定運動を起こそうというのが川本さんの呼びかけです。

長くなったので、これに関してはまた改めて紹介します。

お正月、もしお時間が許せば、是非この2つの論考を読んでほしいと思います。
川本さんの本がまだ書店に出ていないので残念です。もし読みたい方がいたら、年末年始、湯島に来たら声をかけてください。対応できるかもしれませんので。

 

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2023/12/27

■節子への挽歌5829:国立がん研究センターの患者になってしまいました

節子

ついに私も、国立がん研究センター東病院の患者になってしまいました。
予約時間の9時前に、ユカに車で送ってもらい、着いたのですが、節子の時と同じく、もう駐車場もほぼ埋まっていて、大変でした。

待合室に入って驚きました。
大きな構造は変わっていないのですが、何か雰囲気が違うのです。
カラフルでにぎやかです。
ドトールコーヒーまであります。相変わらずhとは多いのですが、奇妙な活気があるのです。節子の時とは全く違います。

まさか私が国立がん研究センター東病院の患者になるとは思ってもいませんでした。この病院には思い出が多すぎて、その後、全く来る気にはなれず、近くにさえ来られない期間もありました。
むかしは意思の名前の一覧が出ていましたが、探しましたがありませんでした。
伊藤医師はまだいるでしょう。いたらあいさつしたいなと思いましたが、先方はもう忘れているかもしれません。いや忘れてはいないでしょう。

診察が終わったのは10時半過ぎ。診察時間は5分ほど。担当医との面談で、改めて転移を確認するRI(骨シンチ検査)をすることになりました。検査日は1か月後。その前にもう一度、診察を受け、もしかしたらホルモン療法に入るかもしれません。
やはりここに医師は苦手です。あまりにクールです。

今日は、採血のみで終了。採決室の様子も大きく変わっていました。
次の診察、というよりも、診察が始まるのは1月11日からです。
「非常時なのだから、もっときちんと療養するように」と半田さんからも言われていますが、もう少し緊張感を持たなければいけません。

しかし、やはり国立がん研究センター東病院での3時間は、いろんな意味で疲れました。
帰りはユカと一緒に久しぶりにお寿司屋さんに寄りましたが、あまり食べられませんでした。相変わらず胃の調子がよくないですし。

来年前半は、もしかしたら病院通いになるかもしれません。
そう思うといささか気が重いです。

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■前立腺がん治療体験報告1;国立がん研究センター東病院初診

いよいよ私の前立腺がん治療も第2段階です。
これまでも病院にかかっていましたが、治療方針を決めておらず、治療のための条件づくりと奇跡起こし挑戦の5か月でした。

12月6日に、主治医と相談し、量子線治療を第1候補として選択し、近くの国立がん研究センター東病院を紹介してもらい、今日、初診でした。
ここは、妻がお世話になった病院で、20年ほど前には定期的に通っていました。その関係で、正直、あまり行きたくはなかったのですが、近くで量子線治療ができるのはここだけなのです。

妻がお世話になった外科医はとてもいい医師でしたが、その後、お世話になった内科医は、典型的な今様の医師でした。つまり患者の顔よりもパソコンを見るタイプの医師なのです。その印象ととにかく待ち時間が長いという記憶が残っているのです。

久しぶりの病院は雰囲気が全く変わっていました。待合室の一角にドトール珈琲のお店があり、クリスマスの福袋まで売っています。それに待合室には、いろんなブースができている。混雑具合は変わっていませんが、何かとても賑やかな感じです。

9時半の予約時間の30分前には着いていましたが、やはり診察が終わったのは10時半過ぎ。診察時間は5分ほど。担当医との面談で、改めて転移を確認するRI(骨シンチ検査)をすることになりました。検査日は1か月後。その前にもう一度、診察を受け、もしかしたらホルモン療法に入るかもしれません。

いずれにしろ今日は、採血のみで終了。しかし、バイオバンクに登録したり、いろんな説明を受けたりで、結局、終わった祖は11時をかなり過ぎていました。
娘に車で送ってもらったのですが、それでも疲れます。毎日、治療に来るとなるとやはり大変です。かといって入院は難しく、併設のホテル宿泊は経済的にも私には合わないでしょう。ちょっと気が重くなります。

この骨シンチ検査結果で、私のその後の生き方は変わってくるでしょう。
この1か月、骨への転移が起こらないように祈るばかりです。でも、もしかしたらすでに転移している可能性もゼロではない。まあ天に任せるしかありません。

とりあえずその結果がわかるまでは、これまで通り、体力を整え免疫を高めていくように努めたいと思います。「非常時なのだから、もっときちんと療養するように」と複数の友人から言われていますが、もう少し緊張感を持たなければいけません。

でも、実は、前立腺がんとは別に、昨日からちょっと別の意味での体調不振が起こっています。まさに1年前に突然入院になったときと同じように、胃腸あたりが苦しくてとてもいやな感じがするのです。

実は起こったのは昨日の朝ですが、昨日は予定が4件もあり、しかもその一つは遠方から相談に来るというので断るわけにもいかず、つらさをこらえて相談を受けました。次も予定通りでしたが、最後の用事はさすがにつらすぎて、事情を話してキャンセルさせてもらいました。私にも「非常時」があれば、友人知人にもそれぞれの「非常時」がある。そこが難しいところです。
今朝もすっきりしていなかったのですが、予約していたのでがん研究センターには行きましたが、どっと疲れが出てしまい、いささか心配です。
帰宅したら、また胃腸が痛くなってきた。困ったものです。
前立腺がんも問題ですが、その前にまずはもっと体調を整えないといけません。

私にとって大切なのは、「前立腺がん」ではなく、「善い人生」ですから。

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2023/12/26

■節子への挽歌5828:1年前のような胃痛に襲われました

今日はハードな1日でした。
ところが朝の9時ころ、急にまた胃痛が始まったのです。
1年間の、あの緊急入院の樹脚気になった時を思わせるような胃痛です。
9時45分に歯医者さんに予約していますので、いささか慌てたのですが、30分ほど安静にしていたら痛みは治まりました。

そこで予定どお入り、歯医者さんへ。
しかし歯医者さん終了後、すぐに遠方からの来客と会う約束になっていました。
昨夜どうしてもというので、午前中の予定を変えて、会うことにいたのです。
なにしろ埼玉県の寄居からわざわざやってくるというのですから、断れません。

なんとか会って、相談へのアドバイスをしたのですが、かなりの難問で、いろいろと考えているうちにまた胃が痛みだしました。
気取られてはいけないと思い、少し早めに切り上げて帰宅。横になりました。

午後1時半から、これは前から決めていた横手さんとのミーティングです。
我孫子の市議会に毎回膨張している横手さんからの報告は、私も気になっていたので、少し無理しても聞きたかったのです。
いまの我孫子市議会はとんでもなくおかしくなっているようですし。
2時間話をして、これは放置しておけないなと感じました。

胃痛はますます痛みを増しています。
さらにもう一つ、人と会う約束があったのですが、これはさすがに延期してもらい、帰宅して休憩。気力が出てきません。
ユカに野菜のおじやをつくってもらい、少し食べて、体を温めようと入浴して、そのまま早々と寝ることにしました。

とまあとんでもない1日になってしました。
明日はがんセンターの初診です。
行けるといいのですが。

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■湯島サロン「2023年を振り返るサロン」報告

林さんのこの「振り返るサロン」も4回目です。
林さんは過去の振り返り記録を思い出させてくれました。
わずか4年とはいえ、忘れていることも多い。
時にこうして、過去を振り返るのも大切かもしれません。
時代の大きな流れも少し感じられて、個々の事件の見方も変わるかもしれません。

林さんが振り返る1年と、ほかの人が振り返る1年は、かなり違った内容になることも話題になりました。
たとえば、野球の世界は今年は大事件や大話題つづきだったと思いますが、あまり野球に関心のないという林さんの振り返りには、あまり出てきませんでした。
また林家にとっては、今年はいろんなことがありましたが、それによっても社会の見え方は違ってきます。
個人ごとに感じている社会は違っているのです。

しばらくロシア駐在で、最近日本に戻ってきた人が参加してくれましたが、彼女が日本の報道はあまりに画一的で驚いたという話をしてくれました。
ロシアよりも画一的? 
世の中に出回る情報によって、世界の見え方も変わってくる。
であればこそ、社会をの動きをしっかりと見ていく「自分」が大切です。

そんなことを気づかせてもくれたサロンでした。

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2023/12/25

■節子への挽歌5827:今年のトピックは思ってもいなかった人からのプレゼント

節子

今年も残すところ1週間弱です。
今日は、湯島で年間を振り返るサロンなのですが、話題になるかもしれないと思って、私も1年を振り返ってみたのですが、公私ともにほとんど印象的な事件が思い出せません。

私的には、しかし、「がん」になったことは出来事かもしれませんが、いまのところまだ実感がありません。
社会的には、それこそ全く思い出せない。
ガザやミャンマーなど、悲惨な事件は各地で起きていますが、何も今年だけのことではなく、私の感覚ではもう日常になっています。
国内政治でも、安倍派つぶしが始まったなどの減少はありますが、私にはこれも茶番劇にしか見えません。
ともかく社会は淀んだまま、何も変わっていない気さえします。

しかしていねいに見ていけば、明るい兆しもないわけではないでしょう。
でもそれをきちんと見ていく気が最近は起きてこない。
なんとなくは感じていて、基本的には未来への明るさを感じてはいるのですが。

こう書いていて、一つだけ個人的な「事件」に気づきました。
それは、思ってもいなかった人からのプレゼントを今年は2つもらったことです。
ひとつは、会社時代の後輩から、もう一つは一度しかあっていない人から。
今年の私の最大のトピックは、このことでした。

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■湯島サロン「「陰謀論」追究の結論と日本の今後」のご案内

恒例の年明け直後の「陰謀論」サロンは、今年は中嶋さんが、これまでの陰謀論追及のまとめを踏まえて、これからの日本を展望してくれることになりました。
これからの日本を展望するとは、いささか大げさですが、いろいろと隠されている「事実」を総合的に整理・分析すると見えてきてしまうのだそうです。

「陰謀論」というと、はなから嫌う人もいるでしょうが、それでは荒唐無稽な「陰謀論」をばらまいて不都合な真実を隠してしまう陰謀論者の思うつぼです。
それに、どんな陰謀論にも、真実につながる何らかのヒントやメッセージが含まれています。流布されている陰謀論の奥にある「陰謀」を見つけていくためにも、陰謀論者の話をしっかりと聞くことが大切です。

もっとも中嶋さんは、自らを「陰謀論者」とは言っていません。
中嶋さんのメッセージをお伝えします。

「陰謀」という言葉に惑わされることなく、起きていることになぜ? という疑問を持って合理的な答えを想像し、それを仮説として頭に置きながら、さまざまな情報に接していく。そうやって自分のフィルターを通して新しい情報に接すれば、その情報の奥にある真実に到達する。
大切なのは、その「自分のフィルター」。人間心理のフィルターはもちろんですが、海外の問題に接するときにはその国の歴史や民族性から来る価値観や動機といった面も考慮した方がいい。いずれにしろ広い関心と蓄積が大切です。

今回は、そういう「中嶋フィルター」を通して、日本の未来に影響を与えるであろう「陰謀」(意図・動き)を解説してもらいながら、私たちのこれからの生き方を考えてみたいと思います。

まあそんな難しいことを考えたくない人は、単に世間に飛び交っている「陰謀論」を楽しむために参加していただいてもいいです。
最近、中嶋さんはいろいろなところで講演していますので、勢いに乗りすぎて、どんな話が飛び出してくるかわかりませんが、これからの私たちの生き方への大きなヒントがもらえるかもしれませんし、もらえないかもしれません。

いずれにしろ、新年最初の日曜日を中嶋陰謀論でお楽しみください。

〇日時:2024年1月7日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「『陰謀論』論、これからどうなる地球の未来!」
〇話題提供者:中嶋一統さん(事業戦略アドバイザー・商品企画販促コンサルタント)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2023/12/24

■節子への挽歌5826:にこのピアノ発表会

節子

今日はにこのピアノ今日室の発表会でした。
発表会といっても数十人の発表会なので、各人は1曲だけの発表です。
にこが今年選んだのは、リトル・マーメイドからの「バート・オブ・ユア・ワールド」。小学校5年生にしては、ちょっと長めの曲でした。
舞台に一人で出てきて、お辞儀をして演奏、最後にまたお辞儀をして退場。
いつも証明の関係で、うまく写真が撮れないのですが、ジュンは動画で撮影していました。

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会場に行ったら、なんと日置さん夫妻が来ていました。
横浜からわざわざやってきてくれたのだそうです。
ご夫妻は子供がいないので、にこをかわいがってくれているのです。
日置さん夫妻に会うのは、私ももう10年ぶりでしょうか。

峰行の妹さんも来てくれていましたが、「自宅で療養されているのですか?」と訊かれてしまいました。
一瞬、ピンとこずに、人違いかなと思ったのですが、そういえば私はいま「がん患者」なのです。私には「病人」という自覚がない一方で、FBでは「がん患者報告」を書いているので、こういうことが起こるのです。
どうも「病人の私」と「それを観察している私」と、2人の私がいるようです。
実際に、こうやって挽歌を書いている私は、病人意識は皆無なのです。

午後、ユカがつくったケーキをみんなで食べました。
にこは、さすがに疲れたようです。
でもその後、また昨日のリベンジでゲームでのレースをしましたが、相変わらず完敗でした。
にこは「勝つこと」が好きですので、当分、挑戦されるのはこのゲームになりそうです。

 

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■第28回益田サロン「心と言葉と時間パート5」報告

円錐の上に逆円錐を重ねた新しい「環境-生物モデル」(二重円錐モデルと仮称)を切り口に、「生物と環境」を考える益田サロンの5回目は、「言葉と環境」を切り口にしましたが、なかなか前に進めません。

今回、益田さんが話したかったのは、「言葉は心の環境である」、そして「関心の対象は言葉の環境なので、心は関心の対象を自由に変えられる」ということです。
しかし、「言葉」という「概念」は、一筋縄ではいきません。その意味を理解しシェアするのに難航しているのです。

さらに、ここでの「環境」は、しかし、これまで益田サロンで話し合っていた「環境」とは違っているような気がします。
たとえば、二重円錐モデルが出てくる前の同心円モデルでは、本来の関係にある環境によって、生物(のようなもの)は存続を支えられ、同時に生物は環境を壊すことなどしなかったとされてきましたし、同時に、環境が生物(のようなもの)を生み出していくという構図になっていました。

しかし、二重円錐モデルにおいては、上の世界では、ベクトルが逆転し、生物(のようなもの)が環境を生み出していくとともに、環境との関係が変わっていくのです。
この関係を二次元的に同心円モデルで表現すると、生物と環境の位置関係が逆転してしまうため、三次元の円錐モデルになったわけですが、この辺りがなかなか理解しづらいのです。

益田さんは、言葉は心の環境であり、「関心の対象」は言葉の環境になっているという二重の関係がある。心と「関心の対象」の間に言葉が介在しているので「関心の対象」が変わっても言葉と心の関係は変わらないので、心は関心の対象を自由に変えられると言います。関心の対象が変わるというのは、その関心の対象内の変化のことで別の関心の対象に関心を移すという事ではない、というのです。

言葉で書くと簡単ですが、これが実際にどういう意味なのかをシェアするのが難しく、サロンでは話は混乱しました。議論が混乱するのは、思考を深めるための必要プロセスと考えればいいでしょうが、注意しないと空回りにもなりかねません。

さらに議論を混乱させたのが、「言葉」とは多義的であり、人によってイメージも内容も違うということです。
たとえば、前回、益田さんは、生物のようなものと環境として、「私欲」と「公欲」という表現を使ったのですが、これによって私は全く理解できなくなってしまいました。
言葉の意味が公的(この意味の捉え方も問題ですが)に決められるのであれば、生物(のようなもの)が自分で存続を守ってくれる環境を生み出していくという発想とは矛盾してしまう気がするからです。

私は「公」という文字に反発しすぎるのではないかと注意されたので、これからは言葉にはこだわらないようにしようと思いますが、それでは現実に「言葉が環境をつくる」ことが理解できなくなります。もっともサロン参加者のなかで、そういう受け取りをしたのは私だけですので、私の理解不足かもしれません。

しかし、これこそが、「言葉が環境」という命題の問題点を象徴しているように思えてなりません。それでこだわっていたのですが、いささか袋小路に入りそうなので、次回からは視点を変えて、参加者の乾さんの問題提起をもとに話し合いをしていくことになりました。

私自身は、2つの円錐の世界は、下は実存世界であり、上は唯識世界と考えるととてもわかりやすい気がします。前に益田さんが話題にした「魂魄」もそれで整理できますし、近藤さんが時々話す「環世界」も考えやすくなる。
つまり身体感覚から生まれた五識が「意識」を生み出し、そこから「無意識」、さらに「集団的無意識」へと世界を広げていき、その相互作用の中で、人間の「環世界」が育っていると考えるのですが、どうも独りよがりのようで、受け入れてはもらえませんでした。

また、「公」と言う言葉も、「コモンズ」あるいは「共」に替えれば、と思うのですが、なかなか賛成は得られません。
言葉が生み出す環境もまた、実に難しいようです。関心の対象を変えることでは心は揺るがないとしても、言葉の意味合いが変わることで心は影響を受けないのか、そこがとても気になります。

次回は乾さんの問題提起を受けての益田サロンになる予定です。
新しい展開が始まります。これを機会に新しい参加者を歓迎したいと思います。

次回は1月下旬を予定しています。

Masuda28000

 

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2023/12/23

■節子への挽歌5825:にことのレース対決

節子

にこが今朝またやってきました。
昨日、プレゼントしたゲーム機を持ってです。
そしてゲームの挑戦を挑んできました。
リオカートの競争です。

完敗です。にこは1位、私は何と15位です。
2回やりましたが、2回ともです。
実際に走るのでも勝てませんが、ゲーム機ではさらに勝てなさそうです。

どうもこの種のゲームは苦手ですが、以前は私もよくやっていました。
しかし節子は、全く興味を示しませんでした。
いまだったらどうでしょうか。
たぶん興味を示さないでしょう。

節子がいなくなってから、なぜか私もだんだん節子に似てきているような気がします。
ふつうは、反対のはずなのですが。

それはそれとして、節子がいるかいないかで、孫の育ち方は大きく変わっていくだろうなといつも思います。
それを思うと、とても残念でなりません。

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■第31回万葉集サロン「万葉集で一番長くて壮大な歌」報告

今回は、壬申の乱で大活躍した高市皇子の殯宮で柿本人麿が詠んだ挽歌が取り上げられました。久しぶりの柿本人麿です。

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升田さんが言うように、確かに長い。それに躍動的でスケールが大きい。でもなぜか最後は「恋ひ渡る」という、相聞歌のような言葉が出てくる。そこに升田さんは、生きている相手を感じている人麿を見るのです。そして、この歌を「長歌で描く、初めての歴史中(歴史上ではなく)の人物への〈情(心)〉を導き出すための語り」だと解説してくれました。語りの勢いに乗せて、人麿が自らの〈情(心)〉を詠いあげたのです。問題は、「何のために」「誰のために」です。

升田さんは、歌を読み解く前に、2つの話をしてくれました。

ひとつは、この歌に詠まれている天武天皇と高市皇子と持統天皇の関係や時代背景です。高市皇子の母は宗像3女神や住吉神につながる女性で、同じ天武の皇子でも、持統天皇を母とする草壁皇子との関係は微妙です。天武から持統にかけての時代は、日本の国家体制が整いだした時期ですが、この歌は、そうしたことを読み解くうえでも大きな材料を提供しています。

つづいて、「山柿の門」に言及した大伴家持の歌の詞書を紹介してくれました。
家持は範とすべき歌人として、柿(人麿)と山(山部赤人または山上憶良)を挙げていますが、人麿の歌の世界では神と人がつながっているが、山の歌人の世界では、神の領域から離れて人の世界が展開されていると升田さんは言います。人麿が歌の聖と言われていたこととも関連しているようです。

さていよいよ本題の高市皇子挽歌です。140句を超える長さですが、この歌は4つのパートに分けられます。まず、天武が高市皇子に命を下し、第2段ではそれを受けて高市皇子が大奮闘。そして、高市皇子の死、舎人たちの嘆きの様子と続き、儀礼挽歌の形が整います。

読みごたえのあるのは第2段落。その最初の部分を紹介します(声を出して読んでみてください)。

大御身(おほみみ)に 大刀取り佩かし 大御手(おほみて)に 弓取り持たし 御軍士を あどもひたまひ ととのふる 鼓の音は 雷の 声と聞くまで 吹き響()せる 小角(くだ)の音も 敵(あた)見たる 虎か吼ゆると 諸人の おびゆるまでに ささげたる……(以下略)

と、実戦の様子が中国の詩文や史書からの引用も使いながら、語りの手法を取り込んで詠いあげられているのです。そこには、日本にはいない「虎」も出てくる。
この歌は、高市皇子の殯宮で歌われたわけですが、そこには多くの渡来人がいて、人麿はそれを意識していたと升田さんは言います。なんとなく時代が見えてくる。
そして語り終わった後につづく短歌で、まるで皇子がそこにいるように、人麿は「恋ひ渡る」と自らを開き放すのです。

升田さんは、この歌と併せて、人麿の近江荒都と日並皇子挽歌も紹介してくれました。
そこでも、人麿は語りに続けて情(心)を話していますが、そこでの表現は、それぞれ「見れば悲しも」であり「惜しも」であり、「恋ひ渡る」とは「勢い」が違います。高市挽歌では、霊を鎮めようというよりも、霊とのつながりが目指されている。つまり「自分事」なのです。

この「恋ひ渡る」も、万葉集ではよく出てくる表現だそうですが、これに関してもいくつかの歌の紹介と併せて、その意味を解説してくれました。
ここでの「恋ひ」は、現代のような性愛とは違い、「乞う」につながっているという話もありました。どうも升田さんは、この「恋ひ渡る」にかなりの強い思いを持っているようです。

ちなみに、「恋ひ渡る」は「恋つづける」という意味で受け取る人もいますが、升田さんはそれとは違うものを感じているようです。
「恋ひ」は神の世界と人の世界をつなげるとともに、「渡る」は、いのちにつながる言葉なのかもしれません。
「恋ひ渡る」は、今回のキーワードの一つだったと思いますが、私にはまだ消化不良です。

いずれにしろ、人麿の生命観は、死を生の中に取り込んでいる。
今回も、人麿の死生観を感じさせる歌もいくつか紹介してくれました。そこには「生」と「死」とが共存する「いのちの世界」があると言います。
いつかぜひテーマに取り上げてほしいと思います。

この高市皇子挽歌には、20に近いほどの数の枕詞が使われています。
そのため、リズミカルになり、イメージフルになって、読み上げると自然と光景が浮かび上がってきますが、枕詞はまさに「神の領域」の言葉です。「神の領域」の世界を受けて、思い切り「人の領域」の〈情(心)〉が発露する。
枕詞をふんだんに詠いこんで仕上げたこの歌の第2段落は、大きな「枕詞」ではないかという感じがします。そしてそこに、人麿の政治性も見えてくるような気がします。

ところで、この歌は、「何のために」「誰のために」詠われたのか。
今回は時間切れだったせいか、その答えは解説してくれませんでした。
そこからさまざまな想像が浮かんできます。

最後に極めて主観的な私の感想を。
神の後ろ盾を得て、天智の娘、持統天皇の前で高市皇子との一体感を表明し、渡来人(たぶん主に新羅人)にエールを送った人麿。人麿は、持統と不比等に向けて、多くの渡来人を代表して、異議申し立てしたのではないか。しかし、それがまた次の不幸につながっていくのですが。

まあ、そんな歌の鑑賞とは外れてしまうような、面白さを感じたサロンでした。

 

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2023/12/22

■節子への挽歌5824:にこがサンタクロースを呼びに来ました

節子

にこが学校の通知表を見せに来ました。
最近の通知表は、個人に合わせたものだと思っていましたが、あまり前と変わらず、やはり「評価」の要素が入っていたのは意外でした。

その後、またやってきて、クリスマスプレゼントに約束していたゲーム機のスイッチをもう買ってあるでしょうと言うのです。それ用のソフトのプレゼントが届いてしまったようで、早くやりたいというのです。約束したっけ、交渉は決裂していたのではなかったと言ったのですが、頑固な孫は引き下がりません。ひとしきり交渉しましたが、押し切られてしまいました。

クリスマス前にプレゼントするのはいささかルール違反ですが、まるでサンタクロースを呼びに来た感じなので、まあいいかと渡してしまいました。

クリスマスにスイッチをプレゼントする代わりに、にこが夏休みにつくった工作作品「ぴょんぴょんうさぎ」の動画をFBに掲載してもいいかとまた確認しましたが、やはりダメでした。
千葉県の教育委員長賞ももらったので、掲載したかったのですが、なぜか最近は私の依頼はすべて拒否です。
困ったものです。

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2023/12/21

■節子への挽歌5823:宝くじを買いました

節子

最近、湯島に行く時には時々、上野駅から不忍池に沿って来るようにしています。
前はよく節子と一緒に帰りに通ったルートです。

朝の不忍池は散歩している外国の人も多く、毎日、風景が違うのです。
まあ同じ風景もありますが。

今日は、宝くじの販売カーが止まっていました。
はじめてみました。
旗を見たら、明日までだそうです。
ひとり購入している人がいたので、私もついつい購入してしまいました。

最近は、がんにもなれたし、「運」がついているのかもしれません。もしかしたら、当たるかもしれない。来年は人生が変わるかもしれないのです。お金が人をどう変えるか。一度、実験したいと思っていたのですが、体験できるかもしれません。

ところで、3日ぶりに湯島に行ったら、なんとなく雰囲気が違います。
よく見たら、10個の椅子のすべてにクッションが敷いてあるのです。
この椅子ももう30年以上使っていて、なかにはクッションが薄くなったり穴が開いたりしてしまっているのですが、替え変えようと思ったら40万円もかかると言うのであきらめていました。
それに気づいた誰かが、私の知らないうちに、クッションを買って敷いてくれたのです。たぶん升田さんからのプレゼントです。
ありがたいことです。

今年はエアコンも、小宮山さんが寄付してくれましたし、プロジェクターも北川さんの寄付です。
という感じで、湯島はみんなで支えてくれているのです。
「コモンズ空間」を目指していますので、こういう行為はとてもうれしいです。
次はトイレの改修ですが、これはやはり30万円以上かかりそうです。
今朝、買った宝くじが当たったら、まずはトイレ改修ですね。
ちょっと趣旨には反しますが。

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2023/12/20

■第2回「証言によるベトナム残留日本兵の存在」サロン報告

添野江実子さん制作の映画「私の父もそこにいた~証言によるベトナム残留日本兵の存在~」を観て話し合うサロンは、もう一度という要望が強かったので、2回目を開催しました。
今回は、添野さんに加えて、映画製作監督の佐山剛勇さんも参加してくれました。
参加者も、前回に続き2度目の参加をした人もいます。

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前回の報告は次のサイトにありますので、今回は参加者のみなさんの感想を一部紹介することを中心に報告させてもらいます。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2023/10/post-950cfd.html

なお添野さんのご好意で、映画のDVDは湯島にありますので、観たい方がいたらお申し出ください。また仲間で観たいという方がいたら、湯島で観る集まりを企画していただいても大丈夫です。
この映画には、いろんなメッセージがあります。ぜひいろんな視点で観てもらえればと思っています。

参加者の感想の前に私の感想も一言だけ。映画とは直接関係ないのですが。
ベトナムで「戦争」といえば、多くの人にとってはいわゆる「ベトナム戦争」を意味し、第二次世界大戦を意味しないという話が出ました。
「戦争」って、いったい何なのでしょうか。

戦争は「国家(政府)」同士の争いだと思いますが、実際に戦場に駆り出され戦わされるのは人民(生活者)です。本来、生活者は戦う理由などないと思いますが、なぜか「国家のため」という理由で戦ってしまう。
戦場で戦う人民がいなければ戦争など起きないと私は思うのですが、なぜかみんな戦ってしまう。
私はそのことがずっと理解できずにいます。
戦う相手は、人民ではなく、「国家(政府)」なのではないか。人民は、どの国に暮らしていようが、友だちになれるのではないか。友だちになったら、戦争などに荷担したくなくなるのではないか。
私はそんなことをずっと考えながら、映画を観、話し合いを聞いていました。

以下、ほかの参加者の感想の一部です。順不同で。

  • 監督が仰っていたように、この映画は戦争の悲惨さを伝えるために撮ったのではなく、家族の愛情を表すことを意識したとの言葉は、とても説得力がありました。
  • 添野さんの作品を通して見える今後の日本人と外国人との関係も気になりました。ベトナムからの就労者は、日本での失踪や凶悪事件の犯人になる事が多いですが、彼らの国民性からは距離があると感じています。
  • 添野さんが父親の足跡を辿ることに、普遍的な親子の愛を感じました。もし、自分が添野さんの父親なら、娘が自分の苦しい過去を知ろうとする事には戸惑いもあるかもしれませんが、素直に嬉しい事だと思います。この映画は添野さんから父親に向けた、感謝の手紙の様だと思います。
  • ベトナムという国や太平洋戦争を、今までとは違う視点から見る機会を得られる貴重な映画だと思います。この映画を通じて、残留日本兵が生まれる背景を考察する事は、平和活動の一貫として意味がある事だと思います。
  • 昨日のサロンの内容を今日一日折りにふれて振り返り噛みしめておりました。皆さんの発言を拾ったものなのですが、『分断』を修復するのは結局のところ人と人との繋がりによるものなのだということです。戦争によって否応なく生じた分断を修復する様を映画の中で添野さんが行動で見事に示してくれました。そして、あまり語らずに亡くなっていったお父様との父娘の分断を修復したいとの添野さんの強い思いを映画の中心に据えた佐山監督の狙いによって作品はより印象深いものになったように思います。
  • 佐山監督は「いわゆる反戦アピールのメッセージ映画にはしたくなかった」と言った。戦争という不条理に翻弄された運命を生きた父や同境の人々と、その家族たちが互いを想う心の美しさ。描かれた人たちの心の深層に触れたとき、見ている私たちの中にも逆境に咲いた切ない華の鮮やかさが伝わってきた。
  • 失ったものをノスタルジーの感傷で懐かしむだけではなく、自分達の手からこぼれ落ちた大切なものを再発見し取り戻そうと意図することが、現代の唇寒い社会に人間らしい息吹を取り戻すための嚆矢となるのではないかと思ったサロンであった。
  • 最も印象に残ったのは添野さんのお父様の足跡を知りたいという強い思いです。そこで自分の父にも思いを馳せて観ることが出来ました。生前は満州の話を疎ましく聞いていた事や「なんで戦争に反対しなかったの」等といって両親の「こんなこと言える時代じゃなかったよ」に反発して「じゃどんな時代なのよ!」というのが反抗期の自分でした。今思うと大きな時代の展開点を超えた親達の世代は歯がゆかっただろうと今では分かります。
  • 添野さんの映画で初めて知ったことは第一次インドシナ戦争で残留日本兵がホーチミンのベトミンと共に戦いまた指導もして、そして力をつけた(ベトミン?)地元の人々に用無しにされて帰国しては赤の思想教育を受けたとして日本でも中々仕事もないような方々が多かったことです。ソ連抑留帰りの人々が赤の思想で苦労したようなことはベトナム残留帰還兵の人達にも起こっていたのだという事を知りました。また日本の敗戦を知っても「アジアの解放」の理念と矜持のような気持ちを強く持っていた人達の事も想像し現実の侵略?との差にも中々考えさせられました。
  • 民族の闘いも含めた多様な意味を掘り返すきっかけをいただいた気がします。敷衍して、「国家」とは、「戦争」とはなんなのか、「家族」とはなにか、という意味を考えさせられます。
  • あらためて、戦争のなんたるかを考えるとその無意味さに鳥肌が立つ思いがしますが、「知る」こと、「知る」努力は一人一人の小さな行動からも起こせることを知りました。
  • この映画を観せていただいて、さらに強く思ったのは、「戦争は始めてはいけない」と、それだけです。
  • 戦争は、たとえ「終結」になっても、この映画のように世代を超えて、悲しみや苦しみ、苛立ちや憎しみを引き摺る事につながると教えてくれました。添野さんは、それを払拭して、恨みではなく「戦争」をやめようと伝えているのだと思いました。

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■節子への挽歌5822:まちづくり編集会議忘年会

節子

今日は、我孫子まちづくり編集会議の忘年会でした。
11人が集まりました。

この活動も始めてからもうだいぶたちますが、ゆったり進んでいるので、なかなか大きな展開にはなりません。でもそれがいいというメンバーが多いので、それに任せている感じです。
最初は、私の家での集まりから始まりましたが、いまはわが家も狭くなったので、集まりはいつも外です。今回は、手賀沼遊歩道沿いのカフェ長谷川です。

みんなの自己紹介からはじめたら、それで予定の時間をすべて使ってしまいました。
これもまたこの会らしい。

でも来年は、また新しい活動も始めようと思います。
我孫子のビジョンを話し合う会です。

この会も、節子がいたらだいぶ違った展開になったはずなのですが。

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■湯島サロン「不登校やひきこもりの子どもや人に家族として出来ること」のご案内

来年から「脱ひきこもり」サロンを定期開催していく予定ですが、その予告も兼ねて、今回は、「摂食障害、ヘビーリストカッター、精神疾患、不登校、ひきこもり」だった2人の娘たちを「世界一素敵なママ」に育てた土佐みやえさんに、その体験談も踏まえて、「不登校やひきこもりの子どもや人に家族として出来ること」を話してもらうサロンを開催します。

開始時間がいつもより1時間早い、午後1時からですので、ご注意ください。

土佐さんは、家庭内傾聴ファシリテーターとしてこれまで長年、さまざまな家庭の問題にかかわってきています。
土佐さんの活動は次のサイトをご覧ください。
https://kateinai-keicho.com/

どんな話になるか私も全くわかりませんが、親としてやってきたよかった事、よくなかった事を、そのまま話してもらおうと思います。
もちろん参加者も一緒に話し合いながらです。
土佐さんの体験がそのまま効果的な万能薬とは言えないと思いますが、いろいろと考えるヒントをもらえるのではないかと思います。
もちろん家庭問題に限らず、広い意味での生きづらさを考えるヒントも。

みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2024年1月13日(土曜日)午後1時~3時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「不登校やひきこもりの子どもや人に家族として出来ること」
〇問題提起者:土佐みやえさん(家庭内傾聴ファシリテーター)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2023/12/19

■節子への挽歌5821:やはり見舞いなのです

節子

最近、なぜかいろんな人がやってくると思っていたら、どうも私のがんを知って、見舞いがてらにやってくるのかもしれません。

たとえば半田さんからは翌日こんなメールが来ました。

一見したところ、いつもと変わりなく見え、振る舞われていたので、あらためて佐藤さんの精神の強さに感服した次第です。ともかくも最新の治療を受けられる決心をされたと聞き、うまくいってくれることをこころより願っております。
非常事態なのですから、セーブできるところはセーブしてどうぞ養生を第一にお過ごしください。

一緒に来た元教え子は、次のように書いてきました。

先生よりお身体のこと伺ってから、お会いして何とお話して良いかと思ったりもしましたが、実際お会いすると逆にこちらが励まされる思いがして、恐縮するやら、ほっとするやら、驚くやら、複雑な気持ちになりました。

そんなこととは露知らず、いい加減な対応をしてしまっています。
少しは病人らしくしなければいけませんね。

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■12月オープンサロン報告

3日連続の湯島のサロンの最後はオープンサロンでした。
7人の参加者がありましたが、中には3日連続参加の人もいました。

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前回はエチオピアのおいしいコーヒーでしたが、今回はわけのわからないまま湯島に誰も飲まずに残っていた2種類のコーヒーを出しました。
最初のは、まあなんとかコーヒーらしく飲めましたが、少なくとも私はあんまりおいしくない。
次に、もっと奇妙などこのかわからないコーヒーの豆も挽いてみました。
持ってきてくれた人も、どこのコーヒーかわかりませんでしたので、3~4か月ほど放置されていた豆なのです。
袋には一応、アラビカ種と書かれていますが、ほかの文字はよくわかりません。
香りが全く違うのです。私には、これがコーヒー?という感じでした

最後に口直しに普通のコーヒーを淹れましたが、まあよくわからないまま残っていたコーヒーが整理されてよかったです幸い、いまのところ、誰からも食あたりの連絡もなく、大丈夫だったのでしょう。

話は盛り上がりましたが、午前中に会った若い世代の人から聞いていた「反出生主義」や「子どもを持つことが悪だという言説」の広がりなどの話を出したこともあって、やはり暗い未来の話になってしまいました。
結局、人間が退場しないと社会はよくならないという説を私は述べたのですが、あんまり受け入れてもらえませんでした。私は結構気に入っている説なのですが。

昨日、ミュージカルで活躍してきた鷹取さんは、いつもながらの元気でしたが、ほかの人は私も含めて、みんな疲れている感じでした。
いまの時代、生きるのは結構大変なのかもしれません。
本当は「生きることはワクワク・ドキドキの楽しいこと」のはずなのですが。

 

 

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■患者から学ぶことばかりですという医師

私が好きなテレビドラマの一つが、イタリアの病院を舞台にした「DOC」です。
医療とはなにか、信頼とはなにか、愛とはなにか、生きるとはなにか。
そんなことをいつも気づかせてくれる番組です。
もう20回を超えていますが、毎回、共感したり涙が出たりするほど感動する言葉や場面があります。
私の心が洗われる番組です。

一昨日放映された「病名」も深いメッセージを感じました。
https://www.nhk.jp/p/doc-karte2/ts/LRPGKZ9NQY/episode/te/GN3W83NLQG/
録画していて、いま見終わったところです。

タイトルの「病名」の意味には、病とは何かを問い質すメッセージが込められているのですが、それは番組を見てもらうとして、特に今回印象に残った、退院するときの患者家族と医師のやり取りを紹介します。

患者家族:「ありがとう、信用しなくて悪かった。医療をよくわかっていなかった」
医師:「僕もです、学ぶことばかりで。とくに患者からはね」

これだけではわかりにくいかもしれませんが、ここに「医療の本質」が込められている気がします。
日本の医師や医療界の人たちが、もう少し「医療の知識」をつけてくれればいいのですが。

ちなみに、この病院では、医師と患者が対等な関係で話し合うのです。
日本の病院とは真反対です。
医療もまた、専門家が一番無知であるという視点を回復してほしいと思います。
新しい創造は、すべて「無知」から始まりますから。

「がん」になったおかげで、そういうことがよくわかってきます。

 

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■「自己家畜化する日本人」

池田清彦さんの「自己家畜化する日本人」を読んでいたら、こんな文章が出てきました。

家畜のごとく国家に管理されてたかだか1、2年長く生きたところで、一体何が楽しいのであろうかと私などは思わなくもないが、多くの人が疑問を抱かずに自ら身を委ね、管理される方向へとひた走っている。

賛同したくもなる一方で、反論したくもなるメッセージです。

一部のオオカミが、進んで人間とともに暮らすことで食性や形質、性格を変化させ、温和で従順なイヌへと進化してきた過程を「自己家畜化」という。そして、この自己家畜化という進化の道を、動物だけでなく人間も歩んでいる、と池田さんは書いています。

そして、本書は自己家畜化をキーワードに現代日本で進む危機的な状況に警鐘を鳴らす。生物学や人類学、心理学の知見を駆使して社会を見ることで、世界でも例を見ない速度で凋落する日本人の精神状態が明らかになる、本書の紹介文には書かれています。

池田さんによれば、日本の都会人は「過剰に」家畜化されていると言います。
私のささやかな体験から言っても、確かに「都会の住民」と「地方の住民」とは、どうも意識が分岐しつつあるように感じています。
昨日湯島でオープンサロンだったのですが、改めてそんなことも感じました。

池田さんは本書の最後にこう書いています。

私は生きていないので、結末を見ることができないのは残念だけれど、若い人は多少でも精神的自己家畜化から逃れて、上手にそして幸福に生き延びてほしいと思う。
幸運を祈る。

私はまた戻ってくる予定なので、結末を見ることができると思いますが、いい社会になっていてほしいと思うので、現世滞在中にもう少し働きかけを続けたいと思います。でも、池田さんの気持ちはよくわかります。

気楽に読める本ですので、気が向いたら読んでみてください。
来年、「農場育ちサロン」をやれたらいいなと思っていますが、どなたかやってくれませんか。

 

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2023/12/18

■節子への挽歌5820:仕事を楽しみすぎていたかもしれないという反省

節子

昨日に続き、今日もうれしい来客がありました。
高校時代からNPO活動をしていて、その頃、私が出会った若者です。
といってももうかなり前ですので、彼もいまや30代の後半ですが。

報道関係の仕事なので、超多忙なのでしょうが、FBなど見ていると子どもたちとのしっかりした生活をしているようで、いつも頼もしく見ていました。
今回は、あることで一度、会いたいと言ったら早速に来てくれたのです。

まずは私の用件を話し、了解してもらったのですが、その後、忙しいだろうにいつも家族としっかり付き合っているようで共感しているよと言ったら、とんでもないと答えが返ってきました。
仕事が忙しくて、子どもたちの授業参観にも行けないことがあるし、どうしても「仕事優先」にならざるを得ないというのです。
まったく意外な回答でした。

さらに意外だったのは、仕事以外で人に会うことが最近は少ないというのです。
今日、仕事と無関係に私のところに来たのは、そういう意味では久しぶりなのだそうです。FBをていねいに見ていればそうしたことも分かったのかもしれませんが、気づきませんでした。
また気を抜きたくなったらいつでもどうぞ、と言っておいたのですが、仕事改革などと騒がれていますが、実態はなかなか変わらないようです。

でも彼の場合は、仕事の意義は実感できるでしょうし、かなり自己裁量が聞く仕事です。
それにもかかわらず、仕事中心の生き方から抜け出られないという意識を持っているのが意外でした。
そういう意味では、もしかしたら、私もそうだったのかもしれません。
もっとも私の場合は、仕事が面白くて仕方がなかったからなのですが。

今日はちょっと昔を思い出して、反省しました。
節子
気づくのがあまりに遅すぎましたね。

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■今年最後の年末オープンサロンのご案内

今年もたくさんのサロンを開催させてもらいました。
私以外の人が主催するサロンも、増えてきています。
今年は、会場維持のための経済的支援もみなさんからいただきましたので、安心して年も越せます。
ご支援に感謝します。

例年、年末年始にオープンサロンを開催していますが、今年最後の年末サロンは、1229日の正午~4時を予定しています。いつものように出入り自由です。
新年のサロンは、3日(水曜日)を予定しています。初めての三が日開催です。これも正午~4時の、出入り自由のサロンです。

時間が長いのは、原則、自由な時間に来てコーヒーを飲んで帰るという「オープンカフェ」スタイルを想定しているからです。メニューは、コーヒーと紅茶だけですが。
もちろん長居してもらっても大丈夫です。私は一応、ずっといる予定です。

昼食時からの始まりなので、昼食をされたい方は隣のサミットでお弁当でも買って持ち込んでください。
いつもよりも始まりは2時間早いですが、終わりは4時に必ず終わりたいです。

近くの湯島天神や神田明神は混んでいるかと思いますが、お詣りついでに湯島のサロンにも気が向いたら顔を出して、新年の抱負など聞かせてください。
そういえば、湯島にも永田さんが持ち込んだ「お賽銭箱」がありますので、気が向いたらどうぞ。もちろん何の御利益もありませんが、ご災厄もないでしょう。

ちなみに、私は一応、来年も1年間、サロンを続けることにしていますので、最後の顔を見に行こうという人(最近、時々そういう人がいます)は、わざわざそのためにのみ参加する必要はありません。前立腺がんとも、いまのところ仲良くやっていますし、脳の切れかかった2本の血管も元気のようです。念のため。

〇日時:2022年12月29日(金曜日)正午~4時
           2023年1月3日(水曜日)正午~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2023/12/17

■節子への挽歌5819:半田さんが元教え子たちと来てくれました

節子

今日は半田さんが元教え子2人と一緒に湯島にやってきました。
半田さんは、節子の入院中に病院まで見舞いに来てくれたことを思い出します。
今年会うのは初めてです。

同行してきた一人は、宮城大学時代の教え子、もう一人はお茶の水女子大学時代の教え子です。
いずれも私も知っていて、時々思い出していた友人です。
まさか、その2人も一緒に来るとは思ってもおらず、ついつい口が滑って話過ぎてしまいました。気がついたら1時を回っていて、次の予定もあったので、食事を食べそこなってしまいました。
私はいいのですが、3人には申し訳ないことをしてしまいました。

むかしの友人に、久しぶりに会うといろいろとうれしくなって話してしまう。
これは老人の特性かもしれません。
聞く方は、たまったものではないでしょう。
老人の話を聞くことほど退屈なことはない。
私もそれくらいはわかっていますが、ついつい話してしまう。
困ったものです。

3人が異口同音に言ったのは、昔と変わっていないということでした。
むかしからこんなに話していたでしょうか。
しかも「無意味なこと」を。

もっとも、なぜか3人とも、私のがんのことを知っていました。
どこかで情報がながれているのでしょうか。
半田さんが知っていたのは意外でした。

3人には年が明けたら、湯島でサロンをそれぞれやってもらうことを頼みました。
とても楽しみです。

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2023/12/15

■節子への挽歌5818:寒い寒い日でした

節子

節子がお世話になった国立がん研究センターの東病院に私もお世話になることになりました。
12月27日に、初診の予約をとりました。
そう決まった途端に、何かどさーっと気分が重くなってしまい、昨日から元気が出ません。しかも天気もよくなく、今日は特に寒い1日でした。
まるで私の気持ちが、天気になって表れているようです。

この3日間、療法日課もさぼっています。
リズムがくるってしまいだしています。
修復しようと思ってもなかなかできません。

その一方で、この数日はいろんなことがありました。
といっても、ネット上のことですが。
いつかまた書くこともあるかもしれませんが、人と付き合うと楽しいことも多いですが、いやなことも多い。ひきこもりの人たちの気持ちが、少しわかるような気もします。

なんだか年の最後に、いやなことが起きそうで、閉じこもりたい気分です。
明日から3日間、湯島でサロンです。
いろんな人にも会えそうです。
元気が回復するといいのですが。

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2023/12/14

■一条真也さんの「資本主義の次に来る世界」紹介

7月にジェイソン・ヒッケルさんの「資本主義の次に来る世界」(東洋経済新報社)を紹介しましたが、たまたまその頃、友人の佐久間庸和さんとのやり取りの中で、この本を紹介させてもらいました。そのことはもうすっかり忘れていました。

佐久間さんは会社の経営者ですが、「読書の達人」として知られる、私が知る限りの最高の読書家にして蔵書家であり、しかもご自身も「一条真也」のペンネームで毎年数冊の本を著作されている人です。
ですから佐久間さんの目に留まっていなかったのが不思議ですが、まあ私が紹介しなくても必ず佐久間さんの目にはとまったはずです。

その佐久間さんからラインが届きました。
「紹介していただいた本を、ようやくブログで取り上げました」と書いてありました。なんだろうと思い、佐久間さんのブログを開いてみました。そこに、「資本主義の次に来る世界」のていねいな紹介がアップされていました。たくさんの関連動画を添えての紹介です。
https://shins2m.hatenablog.com/entry/2023/12/13/000000

「資本主義の次に来る世界」は、現代が「Less is More」(少ないほうが豊か)ですの、その内容は推測していただけるでしょう。
私も以前、ブログで紹介しましたが、ぜひ多くの人に読んでほしい本です。
でも厚いのでなかなか読んでもらえないでしょう。

佐久間さんは、ブログでその本をわかりやすく要約し、そこに関連した動画までつけてくれました。これなら多くの人にも読んでもらえる。
そこで佐久間さんにお願いして、そのブログを紹介させてもらうことにしました。
ぜひ多くの人に読んでもらいたいです。

ちなみに佐久間(一条真也)さんも100冊を超える本を執筆出版しており、ブログでも紹介していますが、いずれも読みやすく、示唆に富んでいます。私も最近、「古事記と冠婚葬祭」を読ませてもらったところです。
また一条真也の名前でのサイトには圧巻されます。
よかったら覗いてみてください。
http://www.ichijyo-shinya.com/home/

 

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■前立腺がん治療体験報告0;国立がん研究センター東病院に転院します

たまたまかかりつけ医に言われて受けた健康診断で、前立腺がんが発見されて140日以上が経過しました。
まだ治療は始めていませんが、免疫を高め、体力を整える養生策には取り組んでいます。
身体状況はいまのところあまり変わってはいません。

そうした経緯を、これまで3回にわたってライブに報告してきました。

〇癌診断を受けての体験と私見シリーズ
〇民間癌療法体験報告
〇ワルサくんファーストコンタクト・プロジェクト報告

来年から新しい段階に入ります。
いわゆる標準医療の治療に取り組むことになったのです。
病院も、国立がん研究センター東病院に転院することにしました。
これまでの我孫子東邦病院では癌摘出手術しか対応できないのですが、私はできれば、陽子線治療を受けたいと思ったからです。
そこで主治医にお願いして、国立がん研究センター東病院に紹介状を出してもらったのです。

前立腺がんの治療には3種類の対応があります。
癌摘出手術、放射線治療、化学治療です。
今回、私が受けようと決めたのは、放射線治療の一種です。

友人からは最初から重粒子線治療を勧められていて、山形や千葉の稲毛での治療先まで紹介してもらったのですが、通院が大変なのと、実際に治療を受けられるのがかなり先なので諦めました。
近くの国立がん研究センター東病院では量子線治療が受けられると、これも友人が調べて教えてくれました。それで国立がん研究センター東病院への転院に決めたのです。

前立腺がんの場合、私が高齢からかもしれませんが、放射線治療をすると、摘出手術はできないそうです。ですから主治医は摘出手術を勧めたのですが、術後のリスクを考えて、身体への負担が少ない量子線治療を選びました。
量子線治療や重粒子線治療は、先端技術なので、300万円ほどの技術支援料を負担しなければいけないと思っている人もいるようですが、いまは保険適用になっているので、特別の費用はかからないはずです。
まあ、私の場合、300万円の負担は無理ですので、もし300万円負担するようであれば、一般の放射線治療を受ける予定です。仮に貯金があったとしても、お金で優遇されるような治療は、受けたくないので、同じ結論になったでしょうが、幸いに私の貯金残高は300万円には届かないので、迷うこともなく幸運です。

紹介状をもらったので、国立がん研究センター東病院の予約窓口に連絡しました。
12月27日に初診してもらうことになりました。
いつから治療が始まるのか、その日に決まるでしょう。

さてどんな展開になるでしょうか。
もちろん補完代替療法として、いま行っていることは継続していくつもりです。
それも含めて、今回は「前立腺がん治療体験報告」として報告していこうと思います。

 

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■湯島サロン「仕組まれたコロナ・ワクチンとその背後」報告

COVID-19が話題になりだした直後から、その報道に違和感をもって、以来ずっとコロナウォッチャーとして動きを追いかけてきた北川泰三さんに、「仕組まれたコロナ・ワクチンとその背後」と題してお話をしていただきました。

いつもながらのぼうだいな情報をつかって、帰納的に結論を出していく北川さんのアプローチは、いわゆるベリングキャット(合法的に入手できる資料を収集・精査)手法です。世上に出回っている情報をていねいに集めて読んでいけば、見えていない事実も見えてくる。北川さんはそういう姿勢で、さまざまな情報を毎日確認しているのです。

Kitagawa-202312000

今回はまず、COVID-19ウィルスが、そもそも人工的に作られたものであることを改めてさまざまな情報から結論づけてくれました。
それが意図的に漏洩されたのか、事故として漏洩したのかはともかく、問題はなぜそんなものがつくられていたのかということです。そこに大きな闇がある。

新型コロナウイルスが人工的につくられたものであるということは、この数年のコロナ・パンデミックは、ワクチンも含めて「プランデミック(意図された災いの世界的流行)」だったということです。
コロナ・ワクチンの開発や普及の動きに関する情報をていねいに追っていくと、そこにも「人為的な意図」が見えてくると北川さんは説明してくれました。

いま、アメリカでは、ロバート・ケネディ・ジュニア(米国大統領J・F・ケネディの甥で、次のアメリカ大統領選挙に無所属として立候補することを表明しています)の「The Real Anthony Fauci - 人類を裏切った男」が話題になっているそうですが、その要旨も少しだけ紹介してくれました。
2019年末に発生した新型コロナウイルスによるパンデミックの背後には、Dr.アンソニー・ファウチ(アメリカ国立アレルギー感染症研究所長としてトランプ、バイデン両政権で新型コロナウイルス対策の指揮を執ってきた感染症の専門家)を中心とした世界的機構の悪行と欺瞞、そして国家政府と大企業(軍産医複合体)の腐敗した利益至上主義が潜んでいるというのです。

そして、その背後にはもっと大きな歴史の流れがある。たとえば、ローマクラブの『成長の限界』からの大きな経済社会の流れの根底には、「人口問題」があります。ある時は産児制限で人口増を抑制し、ある状況では「少子化対策」として人口増が画策される。

そうしたことから見ても、いま世界を動かしているのは「経済成長の思想」です。
人口(生命)さえもが、経済成長の視点から、増減操作の対象になっているのです。
ちなみに、これは違うサロンで話したことですが、経済と政治の関係は、かつての「ポリティカルエコノミー」から「エコノミカルポリティクス」へと主客を逆転させています。金融資本家が統治している経済は、国家の枠を超えて、大きく動き出している。

それを証明するように、北川さんは世界的に問題にされているWHO(世界保健機関) 主導の「パンデミック条約」の話とそれに抗うWCH(ワールドカウンシル・フォー・ヘルス)の動きを話してくれました。
ちなみに、私もそうですが、参加者のほとんどの人は、「パンデミック条約」や「WCH」といわれても、よく知りません。日本のマスコミではほとんど報道されていないからです。

これに関しては、ぜひネットで調べてみてください。「パンデミック条約」は国家主権を超えて、人々の生活を規制しようという動きの始まりを意味します。これこそが、人為的にパンデミックを起こした目的ではないのかとさえ思えてしまう。

WHO(世界保健機関)が主導しているのだから心配はないと思う人も多いでしょう。
公衆衛生の向上を進めてきたWHOには良いイメージを持っている人も多いでしょうが、今やその実態は大きく変質しているのです。いまでは大手製薬会社とつながりの深いビル・ゲイツ財団が実質的にはWHO最大の出資者になっており、「製薬会社の利益を上げるためにゲイツはWHOを乗っ取った」とさえいう人もいるほどです。

こうした動きに対して、動き出したのが、WCHですが、これまた日本ではほとんど報道がない。最近、ようやく立憲民主党の原口議員の呼びかけで、日本でも超党派のWCH議員連盟が発足しましたが、報道がほとんどされていません。
この辺りになると、いわゆる「陰謀論」的な言説も登場するのですが、しかし私たちの生活に直接影響してくる現実的な問題ですので、是非ネットなどで調べてみてください。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm43141811
人の生命を扱う医療の現場と人の生命を経済成長の資源として扱う経済の世界とは、全く違った論理で動いているのです。そして、後者が前者を「市場」にしていると思えるような状況が出てきているのです。

最後に北川さんは、またコロナ・ワクチンの話題に戻り、いわゆる「ワクチン禍」の話をしてくれました。
参加者のなかには、身近な人がワクチン接種で深刻な被害を受けている人も複数いて、自己紹介の時にそうした話をしてくれていたので、北川さんの話が現実味を持って伝わってきました。

北川さんは、「接種1000回あたり1人の超過死亡」が認められるという報告も紹介してくれました。日本ではワクチン被害の個別詳細データは公開されていませんが、日本の接種回数から推測すると、日本でもワクチン接種開始以降の超過死亡は約40万人と推定されるそうで、その推定値にもぴったりと合致するそうです。

ワクチンのシェディングの話やレプリコンワクチンの話もありましたが、長くなるので省略。いずれにしろ、ワクチン摂取には気をつけた方がよさそうです。

最後に、ワクチンを打ってしまった人のために、北川さんはある学術誌に載っていたというデトックスの方法も教えてくれました。
それも含めた当日の説明資料も、ご希望があればデータでお届けしますので、ご連絡ください。

今回もまた情報が盛りだくさんで、2時間ではとても足りませんでした。
参加者の一人から、定期的に北川さんの集めた情報を報告するサロンの要望がありました。多忙な北川さんなので、実現可能かどうか心配ですが、何らかの形で定期的に情報をシェアできるような場を考えたいと思います。
断片的に聞いているだけだと、しっかりした対応もできませんので。

 

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2023/12/13

■湯島サロン「一般社会とひきこもり社会 ひきこもり問題を考える」報告

久しぶりの「ひきこもり問題」関係のサロンは20人を超えるサロンになりました。

Hikikomori202312090000000

ひきこもり関係に関しては、さまざまな集まりの場が増えてきているので、湯島では最近あまりとりあげていなかったのですが、ますます必要なのかもしれません。
来年から、湯島らしい定期的な集まりも考えたいと思います。

今回は、ひきこもり関係者の相談に乗る一方で、関係者の集まりの場を主催したり支援したりしている阿部達明さんに「一般社会とひきこもり社会」という切り口で問題提起してもらいました。

阿部さんは、これまでの実践での体験知をわかりやすい資料にまとめて参加者に配布してくれました。そして、「ひきこもり」の子と親をモデルに、一般社会とひきこもり社会の比較から話をはじめました。

「一般社会」に生きている親とそうした「一般社会」を信頼できずに、そこから距離を置くことで自分の生きる場をつくっている子どもは、別の社会(「ひきこもり社会」)に生きている、しかもその「ひきこもり社会」は各人各様で、それこそ一般的には決められないという認識を持つことが、ひきこもり問題を考える出発点ではないか、と阿部さんは言います。
もし、「一般」への拒否感がひきこもりの理由であるとすれば、一般社会基準で考えてのアドバイスは、ひきこもり社会にいる人には逆作用することにもなりかねません。

となると、その「一般社会」とは何なのかということになります。
阿部さんは一般社会ではみんな鎧(よろい)を着て生きているが、その鎧が着られず、素直な自分を生きたいと思うと、生きづらくひきこもってしまうこともあると言います。しかしもしそうなら、鎧を着ているほうこそ、鎧の中に引きこもっているというべきではないかという気もします。そう考えれば、問題の立て方が全く変わってくるはずです。
いやもっと広く言えば、「一般社会」などという枠の中で、それ(社会の常識や通念)に合わせて生きている人たちこそ、「ひきこもり」ともいえるのではないか。

問題は、そうした「一般基準」や「社会通念」「社会の評判」などといった枠に合わせようとする風潮こそが、主体的に自分を素直に生きようとしている若者たち(時にはそれに気づいた中高年者たち)を、それぞれの「ひきこもり社会」へと追い込んでいるのではないか。
もしそうなら、ただすべきは「一般社会」ではないか。そんな気もします。

しかし、そんな理屈はともかく、ひきこもりの現実では、なかなか社会に出ていきづらいために苦労している当事者と関係者がいるのです。だとしたら、そういう状況を変えていくにはどうしたらいいか、を実践的に考えないといけません。

参加者のなかには、いまもなお問題に直面している当事者も多かったのですが、それぞれの引きこもり体験やいまの悩みを話してくれました。親としての反省や悩みを話してくれた人もいます。
そしてそうした話に対して、自らも過去に引きこもり当事者あるいは家族だった人、さらにはひきこもり問題に長年関わってきている人などが、それぞれの立場からのアドバイスや感想を話してくれました。

この問題には、それこそ一般的な解決策や回答はありませんが、そういう現実を踏まえての話し合いは、それぞれにとても参考になったと思います。
私も多くのことに気づかせてもらいましたし、問題提起者の阿部さんさえも、「改めてみんな違うんだなあと感じた」と言うほど、さまざまな話が出ました。

ひきこもり体験者から、新聞や本などで紹介されるような事例はきれいすぎるというような発言もありましたが、現実は、「ひきこもり問題」という一言では語れない多様さがあるのです。
8050問題」という捉え方そのものへの疑問も出されました。
実際の引きこもり状況に関する話し合いの内容は、サロン外にはオフレコですので報告できませんが、多くの人に聞いてほしい話ばかりでした。

ひきこもり状況を変えていくために、まず変わる(変える)べきは、子ども(当事者)なのか親なのか、ということも話題になりました。
また、それに関連して、昭和から令和へと社会(の価値観)は大きく変わっているのに、まだ昭和の感覚でいる親が少なくないという話もありました。阿部さんの問題提起に従えば、「一般」の内容も変わってきている。それに気づくことも大事です。

みなさんの話し合いを聞いていて、私は改めて、「ひきこもり」という言葉にこそ問題があるのではないかという思いを強くしました。
そもそも「一般的なひきこもり」などというのはないのではないか。それぞれ違う社会に生きているのであれば、それぞれの生き方を尊重することこそが大切ではないか。
もしそうなら、変えるとか変わるとかいう前に、まずは自分と相手のことを知ることが大切ではないか。特に、結果的に子供を引きこもらせている親こそ、自らを知らねばいけないのではないか。引きこもり問題を抱える家族の場合、私にはむしろひきこもっているのは親の方ではないか、と思うことが多いのです。

自分を知るためには、まず自分を語りださないといけません。そして聴いてもらわないといけない。あるいは知りたい人の話を聴かなければいけない。
実際に私自身、ある問題の相談を受けて、関係者それぞれに会って、自らや相手をいかに知らないかに気づいてもらうことを通して、問題を改善した体験があります。
私たちは、自分のことも含めて、知っているつもりが意外と知らないことが多いのです。
しかし、変化は必ず現実を「知ること」から始まるのです。

「ひきこもり」問題を自分のこととして受け止めている人が多かったおかげで、話し合いは空転せずに現実的な話で終始したように思います。こういう場がやはり大切です。

私は、最近はほとんどすべての人が「ひきこもり生活」をしているので、それをこわそうと湯島サロンを長く続けているのですが、現実に「ひきこもり」問題に直面している人たちを中心とした「脱ひきこもりサロン」を来年からはじめたいと思いました。ひきこもりに関心のある人が気楽に話をし、みんなと話し合うサロンです。
湯島のサロンですから、親であろうと子どもであろうと区別はしません。そもそも「ひきこもり」の枠などももうけません。でも一応「脱ひきこもり」と命名しました。

また改めて案内させてもらいます。

 

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2023/12/12

■テレビドラマ「三体」を観終わりました

小説では期待を裏切られましたが、中国のSF小説「三体」がテレビドラマ化されたので、見ていたのですが、今日、全30作を観終わりました。
https://www.wowow.co.jp/detail/193550

あまりに長すぎて、途中退屈しましたが、最後は逆に急展開で、小説の時とは違った意味での消化不良です。
それと全体の基調がいかにも暗くて(画面も暗い)、やはり私にはピンときませんでした。
しかし、映像になると視覚化されるので、SF部分ではないところに気が寄せられてしまい、その面では面白かったです。
最後の3回くらいからは、共感できるわかりやすいメッセージももらいました。
キャスティングも私のイメージにあっていたせいもありますが。
もっとも三体人のイメージは全く違っていましたが。

30話見終わって感じたのは、中国の人たちの深い心の傷です。
中国の多くの人たちが心の平安を取り戻すのは、まだまだ時間がかかるような気がしました。
この作品は2時間前後の映画にしてくれたら、改めて見たい気がします。
それにお薦めもしたいです。
30話では薦められません。
私は5日間で全作を観たので、いささか疲れました。

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■引きこもりとコロナ陰謀論をつなぐもの

この土日に、引きこもり関係のサロンとコロナ陰謀論関係のサロンを開催しました。全く別のテーマのサロンですが、話を聞いていて、そのつながりに改めて気づかされました。
まだ報告を書けていませんが、いずれもとても示唆に富むもので、この数日、話を思い出しながらいろいろと気づかされています。昨晩も夜中に目が覚めて思い出して考えていたら2時間近く眠られずにいて、今日は寝不足です。

2つのテーマがどうつながっているのか。
キーワードは「分断」です。
社会が分断されてきているとはよく言われることですが、その分断の深さは予想以上に深いような気がします。社会はいま「分岐」し始めているようにさえ思います。
経済格差による「分断」は修復可能ですが、おそらくいま始まっている「分断」は、もっと深く、再び合流できないような、深い深い分岐に向かいだすような気がします。

コロナ・ワクチンをどう捉えるかで、離婚したり家族崩壊したりという話も聞きますし、生き方の違いが引きこもり問題の根底にあるように思います。
生き方と考え方はつながっていますが、同じではない。
生き方が合わせられなければ、別の世界に生きるしかない。

湯島で話していても、最近は「考え方の違い」ではなく、「生き方の違い」を時々感じさせられます。ここでいう「生き方」はライフスタイルとか生活価値観という意味ではなく、生命観のようなものです。生き方が違うのであれば、コミュニケーションも成り立たない、「別の種」と言ってもいい。

いささか大げさですが、昨夜はそんなことを考えていたら眠れなかったのです。
今日は、サロンの報告が書けるといいのですが。

 

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2023/12/11

■節子への挽歌5817:お客様に来ていただける暮らし

節子

早々とクリスマスカードが届きました。
ボストン在住のSさんからです。
Sさんはメールなど一切やっていないので、手紙か電話でしかやり取りはできませんが、時々、どこかで私のブログを読んでくれているようです。それで私のがん発症のことを知ったようです。
今年は、6月に来日した時に、2回も湯島のサロンに参加してくださったのですが、来年は4月に帰国されるそうです。

Sさんはもうボストン暮らしが長いのですが、いまも年始はおせちとお雑煮のようです。それも「地産地消」で地元の野菜を使ってのようです。
昨年のおせちとお雑煮の写真がクリスマスカードに載っていました。
いずれもおいしそうです。

今年は久しぶりに感謝祭に七面鳥を焼き、近隣のお客様を読んでの自宅でのパーティをされたようです。
そして「お客様に来ていただける暮らしはいいものですね」と書いてきました。

「お客様に来ていただける暮らし」。
私が大好きな暮らしでした。
お客様が来てもらうように、いまの家もその考えで設計していたのですが、そういう暮らしは2年ほどで終わってしまいました。
その上、いまは娘家族と同居したため、改造してしまったため、いわゆる客間さえなくなってしまいました。しかもお客様をもてなす節子もいないので「お客様に来ていただける暮らし」はできなくなってしまいました。
その代わりを、湯島が果たしてくれていると言えるのかもしれません。

湯島があるおかげで、いまも毎月、数人の新しい人と出会えています。
それが私の元気の一因かもしれません。

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2023/12/10

■節子への挽歌5816:ハードな4日間を何とか乗り越えました

節子

今日もまた30代の若者がやってきました。
まちづくりに関連して、友人の紹介でわざわざ遠くから会いに来たのです。
ついつい調子に乗って、私が関わってきたまちづくり支援の話を少ししてしまいました。
久しぶりに思い出して話したので、たぶん饒舌になってしまっていたことでしょう。
こうやって「過去の話」をとくとくと話すようになっては、もう人生は終わったようなものです。困ったものです。我ながら自らの「老い」を思い知らされた感じで、後でとても落ち込みました。
でもまあ、話しているときには、たぶんきっととてもうれしそうだったのでしょう。

ところがちょうど話しているときに、霜里農場の金子友子さんがやってきて、話に少し加わりました。そこでなんと少し前に、その若者の努めている市役所の市長が霜里農場に見学に来たことを思い出して、写真を見せてくれました。
そこでまた話が盛り上がってしまいました。

話だけではありません。行動にまでつながりそうな気配になってきました。
またもしかしたら湯島から始まる物語が生まれるかもしれません。

実はさらにもう一つの出会いもあったのですが、まあそんなこんなでサロンが始まる前のいろんな出会いで、やはり私ももう少し活動をしたくなってきました。

サロンは、時評編で別途報告しますが、今回は大きな歴史の流れを感じさせる話でした。
いまの時代の流れは、半世紀前の「成長の限界」の話題の頃から始まっていたのです。
私自身も、あのあたりから「おかしさ」を感じていました。
でもどこかで、むしろ軌道が修正される動きの兆しの可能性と受け止めていました。
その思い違いに気づいたのは会社を離れてからです。
会社時代はやはりどうしても「組織目線」で考えてしまう。
でも会社にいたからこそ、知り得たことも少なくありません。

いまの若い世代は、あまり会社に強くは帰属していません。
だからきっと社会の姿がきちんと見えているのかもしれません。
しかし、ちょっと気になるのは、新しい視点で実際に行動を起こしている若者たちの多くは、女性だということです。
男性はみんな元気がない。
そんな気がしてなりません。

しかし、この4日間、いささかハードすぎました。
疲労困憊してしまいました。
体力も気力も、どうもかなり弱ってきているようです。

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2023/12/09

■節子への挽歌5815:「変わりなく元気です」

節子

世間との付き合いは次第に少なくし、次第に世界を狭めています。
お歳暮づきあいもほぼやめてしまいました。
それでも年末になると何かが届きます。
節子つながりで届くこともあります。

節子と仲がよかったNさんから昨日、リンゴが届きました。
送ってきたのは、Nさんの伴侶からです。
Nさんは階段で転んだことで、一時期、記憶を喪失、いまもまだ完全ではないのです。

電話をしました。
Nさんは電話には出ずに、いつものようにNさんのパートナーと話しました。
私も節子の生前にお会いしています。

Nさんから「お変わりないですか?」と訊かれました。
瞬間的に、いつも通り、「はい、ほどほどに元気です」と応えてしまいました。
しかし、今回はそれでよかったのか、ちょっと考えてしまいました。

そういえば、1週間ほど前に、岐阜の佐々木さんとも電話で話しましたが、同じような問いに、やはり同じように応えてしまっていました。
私の意識では、なんのウソもなく、事実なのですが、客観的に言えば、がんが見つかったことは「お変わりがあった」ことなのかもしれません。
考えようによっては、私が「がんになったことを隠した」結果になるかもしれません。
それは私の本意ではないのです。

次に電話は誰と話すのかわかりませんが、さて何と応えるか。
まあ些末な問題ですが、私にはいささか悩ましくもある問題です。
私には「変わり」はあったのかないのか。
まあ電車の中ででもまた考えてみようと思います。

節子ならどう答えるでしょうか。
節子はがんが見つかったときに、実にあっけらかんと「がんが見つかった」と言っていた。だから私にも、素直にそういったらいいじゃないかというかもしれません。
私も隠すつもりも全くないのですが、なんだか誤解されそうで、電話では言いにくい言葉です。

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2023/12/08

■節子への挽歌5814:出会いの大切さ

節子

今日は朝からコミー創業者の小宮山さんのインタビューに行ってきました。
小宮山さんの本をつくる仕事を友人に頼んだのですが、最初のインタビューは、小宮山さんをよく知っている私が頼まれたのです。
10時から5時までのロングインタビューでした。

小宮山さんの人柄などはよく知っているつもりですが、子どもの頃の話や会社を創業するまでのことなど、初めて聞く話も多く、面白かったです。
まあ私は問いかけをし、それをまとめるのは友人なので、いたって気楽なインタビューなのですが、時間が長いのでかなり疲れました。

今日の切り口は「出会い」でした。
子どもの頃から今日にいたるまでの「出会い」を振りかえってもらったのです。
小宮山さん自身、思い出しながらの回答でしたが、途中で一瞬ですが、小宮山さんが何かを思い出したのか、うるうるしたのです。
改めて小宮山さんの人柄に触れた感じです。
私にはそういう豊かな感情が残っているだろうか、とふと思いました。

それにしても、小宮山さんは出会いに恵まれています。
それこそが「人柄」なのでしょう。
私欲もなく、裏表もなく、実に素直な生き方に、みんなどこか魅力を感ずるのでしょう。
私もそうで、何かを一緒にしたわけではないのに、長い付き合いになっています。

小宮山さんの良いところ、ぶれないところです。
長年の付き合いで湯島に足しげく通ってきていたのに、ある時から突然来なくなる友人もいます。そういう友人には失望させられますが、小宮山さんはそういうことが全くないのです。足しげくでも、足が遠のくでもない。いつも自然体です。
長く付き合っているとそれがよくわかる。
そういう意味では、私も小宮山さんからいろいろと気づかせてもらっています。
まあ、小宮山さんはそんなことにはまったく気づいていないでしょう。

もう1~2回、インタビューの手伝いをさせてもらうことになっています。
友人への問いかけは、ある意味での自らへの問いかけでもある。
小宮山さんへのインタビューを通して、私もまたいろんなことを思い出しました。

人生は出会いによって変わってくる。
改めてそう思った1日でした。

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2023/12/07

■節子への挽歌5813:若者たちの新しいプロジェクト

節子

またまた魅力的なプロジェクトに取り組んでいる人がやってきました。
一般財団法人立初創成大学準備財団の代表の樋口さんです。
https://www.facebook.com/tatezomesoseiuniv

この財団は、今の教育の在り方を変えていかないと、日本の未来は心配だという思いで、新しい学びの場(だいがく)づくりに取り組んでいる人たちで立ち上げた財団だそうです。
まだ詳しくは公開していないようなので、あまり詳しくは書けませんが、樋口さんは商社のロシア駐在員を体験して、世界があまりにも見えていないことに唖然と、日本の教育を変えていかないといけないという大学時代の恩師たちと一緒にこの財団を立ち上げたそうです。
ある人から私のサイトを読んで、私に会いに来てくれたのです。

新しい大学づくりに取り組もうという話は、ゼロからの大学づくりから大学改革の話まで、いろいろと周囲で動きはありましたが、私が知る限り、あまりうまくいっているように思えるものはありません。
そもそも大学などにいまもなお期待を持っているのかという気が最近はしていたのですが、樋口さんの話を聞いて、これまでの者とはちょっと違うかもしれないと思いなおしました。
かなり意地の悪いコメントや質問をしても、即座にきちんとした答えが返ってくるのです。
しかも、財団は若いメンバーも含めて全員100万円一口で出資したそうです。
メンバーの思いの深さを感じました。
わたしももう40歳若ければ、参加したいという思いさえ持ちました。

若者たちは動き出したと感じさせてもらいました。
私も何かできることを考えたくなりました。
それで、関心を持ちそうな人たちを紹介することにしました。
新しい学びの場への動きになっていくかもしれません。

久しぶりにワクワクするような構想です。
何か役立てるといいのですが。

まあ生きているとこういう魅力的なプロジェクトに出合えます。
現世滞在期間はもう少し伸ばしてもいいような気がしてきました。

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2023/12/06

■節子への挽歌5812:前立腺がんの検査結果がでました

節子

前立腺がんのPSA値の検査結果が出ました。
またまた中途半端な結果に終わってしまいました。
前回の5441に低下したのです(正常値は4以下)。
せめて30代を期待していましたが、これでは私の感覚では誤差範囲なのです。

 主治医は、私がもう少し様子を見たいというのを期待していたようですが、私は陽子線治療を受けたい旨、申し出て北柏のがんセンターへの紹介状をお願いしました。
放射線治療は主治医のお勧めではないのですが、了解を得ました。
まさか節子がお世話になったがんセンターに自分が通院することになるとは思ってもいませんでした。

ところで、私のがんは、「高リスクがん」の上に、ともかく大きいので、転移が危ぶまれるそうです。
放射線治療をやるともう手術はできませんよと言われました。
まあそれはそれであきらめなければいけません。
手術しても完治の確率は7割と最初に言われています。

がんセンターですぐ見てもらえるわけではありません。
ですから年内は、いまのスタイルで取り組んでいこうと思います。

しかし、この数か月の体験で、「病いとは何か」「治療とは何か」「民間医療とは何か」「ケアとは何か」の理解がさらに大きく進みました。
がん細胞ワルサくんと関心を持ってくださった友人たちのおかげです。

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■節子への挽歌5811:今日、治療方針を決めます

節子

いよいよ今日は前立腺がんの治療方針を決める日です。
1か月ぶりに血液検査をして、前立腺がんの進行状況の目安になるPSA値を調べてから、主治医と相談です。
いろいろと考えた結果のいまの結論は北柏のがん研センターでの陽子線治療ですが、いろいろとハードルがあるようです。次善の策は放射線治療です。

いずれにしろかったるいことになりそうです。
このまましずかに終わるのもいいと思いますが、節子はいない者の娘たちがいますので、まあ身勝手にはできません。

あいにく今日は雨模様の寒い1日です。
これも私の気分に大きな影響を与えていて、今日は朝から元気が出ません。
困ったものです。

明日から4日間、めいっぱい予定を入れています。
それもかなりハードなことや新しい人の訪問が含まれています。
うまくこなせればいいのですが。

病院の予約は午後です。
さてどうなりますか。

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■WFCレポート5:プロジェクトは今日で終了

WFC(ワルサくんとのファーストコンタクト)プロジェクトは今日で終わります。

結果は「40日奇跡プロジェクト」以上の、見事な失敗です。
私自身は学ぶこと・気づくことが多かったのですが、所期の目的そのものの間違いにも気づかされたのです。目指していた成果はもちろん全く出ませんでした。

途中でちょっとわかったような気にもなったのですが、結局、がん細胞とは何なのか、わからなくなってきてしまったのです。
途中で唯識の本まで読んだのですが。
生物学に関連して、ソーシャル・ベースライン理論なるものにも出合ましたし、改めてユクスキュルの「環世界」やチョムスキーの「宇宙人の言語は地球人の言語とあまり変わらない」という話を思い出して、関連した本もざっとですが、読み直してみました(正確には見直してみたという程度ですが)。

結果的には、ますますわからなくなりました。
やはり癌は一筋縄ではいかないようです。

しかも今月に入り、腰の痛みが強まってきて、「不安」にも出合ってしまいました。
ある友人からは、もう放射線治療に入っているとメールが来ました。
それを読んで、私は何もやらずに4か月過ごしてしまった気がしてきました。

その友人は、いろいろと文献を調べて放射線治療を選んだそうです。
そしてたくさん読んだ本の中から、これが参考になると一冊を教えてくれました。
でも私自身は、そういう本を読むのがいたって苦手なのです。
相変わらず今も「前立腺がん」とは何かさえほとんど理解できていません。

治療に関しても、友人がいろいろと情報をくれますが、そうした情報に触れるたびに、自分の無知さと無関心さ、あるいはまったく調べようとする気のない怠惰さを反省するのですが、そうした性向は直り様もありません。
一度、病院に電話してみましたが、その応対ですっかり疲れてしまいました。
困ったものです。

いずれにしろ今日の午後、再度血液検査をし、PSA値を調べ、その後、主治医とこれからの方針を決める予定です。
前回は、主治医の意外な提案に動転してしまいましたが、今回はそうならないようにしなければいけません。

結果はどうなるか。
私の基礎体質や免疫は改善されていると思うので、PSA値は低下していると期待していますが、確信は持てません。
結果の判定は今日の夕方です。
今日はあまり天気がよくないので、私の元気もあまりありません。
いつもなら、賭けてみませんか?と言いたいところですが、そんな元気はない。
結果次第では、おろおろしてしまうかもしれません。
最近ちょっと弱気になっているのです。

「怖がらなくても良い」と言いに来てくれる宮沢賢治がいてほしいです。

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2023/12/05

■節子への挽歌5810:昔ながらの「和の暮らし」

節子

今日は真冬の寒さです。
まさにこたつが欲しい。
しかしわが家にはもうこたつはありません。
すべて廃棄してしまったからです。
和室もなくしてしまいました。

歳をとると、昔ながらの「和の暮らし」がやはりいい。
節子のいない今では、しかし、昔ながらの「和の暮らし」も一人ではできません。
考えてみると、私の世代は、大きな時代の変化を生きてきたものです。
子どもの頃と3040代の頃、そして現代では全くライフスタイルが違います。

節子と一緒に暮らした時代は、経済的・物質的には恵まれていた気がしますが、その分、いささか軽く生きすぎていた。そのため、節子との2人の時間も軽すぎたような気が、いまにして思えばしてしまいます。

先日、ある集まりで、わが家は結婚以来、ずっと朝はパン食だと話したら、参加者から驚かれました。
私は、それが普通だと思っていたのですが、必ずしもそうではないようでした。
そういえば、私は若いころは、昔ながらの和の暮らしは好きではなかったのです。
いや、それどころか「常識」にも抗っていた気がします。

会社時代は、会社の常識にも抗っていました。
家族生活でも、結婚式もやらず、子供の宮参りにも行かなかった。
いまでも娘から、なんでいかなかったのかと批判されますし、そもそも娘たちの命名もいい加減だったと非難されます。
いまにして思えば、頭で生きていたなあとつくづく思います。

でもその一方で、和の暮らしにどこかであこがれていたのです。
だからこそ抗っていたのかもしれません。

老後は夫婦2人で、思い切り昔ながらの和の暮らしをしたかった。
それが私の描いていた、第4期の生き方だったのですが、それが実現できなかったことが残念です。

それにしても今日は寒いです。
明日の病院が心配です。

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■12月オープンサロンのご案内

12月のオープンサロンは18日に開催です
いつものようにテーマのない、出入り自由のサロンです。

申し込み不要です。当日、気が向いたらどうぞ。
初めての方も大歓迎です。
ともかく気楽なサロンですので、気楽にご参加ください。

〇日時:2023年12月18日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2023/12/04

■節子への挽歌5809:最近本を読むことが増えています

節子

Kさんが約束通り「がんの消滅」を送ってきてくれました。
第5のがん治療法といわれている光免疫療法の開発に取り組んでいる小林久隆さんの本です。癌細胞との付き合い方に参考になると思って届けてくれたのでしょう。

なぜか最近、私のところに本を持ってきてくれたり、本を送ってくれる人が増えています。
私は自分で選んだ本は素直に読めるのですが、誰かから勧められた本はなかなか読めません。でも最近、できるだけ目を通すようにしていますが、どうしてみんな持ってきてくれるのでしょうか。
元気のうちに読ませておきたいと思うのでしょうか。本を読むことで私があまり無茶な行動をしないようにしたいのでしょうか。

佐藤さんなら5分で読めるでしょう、などと言って、新書や文庫を持ってきてくれる人もいます。でも書名だけで整理的拒否感が起こるような「…する技術」という実用書でした。
この本を読んだ感動を佐藤さんと話し合いたいという人もいますが、私は全く感動できないような本でした。
新興宗教の教祖の書いた本まで届きました。普通なら受け取る気も起きませんが、その本はなぜか続けざまに全く関係のない2人の友人から勧められると同時に、その著者の父親の本を昔読んでいたので、受け取ってしまいました。

わざわざ私に読ませようと購入してまでもってきてくれる人もいますが、そうした本のなかには、読んでよかったという本もあります。
図書館から借りたけど面白いので佐藤さんに先に読んでもらおうと思うといって、こっそりと又貸ししてくれた人もいます。頑張って2日で読みましたが、これも面白かった。

まあそんなわけで、以前ほどではありませんが、最近また本を読むことも多くなりました
昔読んだ本を読みなおすことも増えてきました。

今日は時間があったので、唯識の本を読んでいました。
阿頼耶識の次元までいけば、がん細胞ともつながっていますから、そんなことを少し考え直そうと思ったのです。
WFCプロジェクトは、残念ながら頓挫しています。
先日、「つながった!」と思ったことがあったのですが、どうも勘違いだったようです。

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■「平将門の居館は我孫子市にあった!」

昨年、4月に湯島のサロンで、「平将門の居館は我孫子市にあった!」という報告をしてくださった、我孫子の文化を守る会の戸田七支さんが、「将門記」に出てくる場所を手賀沼周辺の実際の場所に比定した論考を書かれました。

私も、それぞれの場所を戸田さんに案内していただいたことがありますが、戸田さんの考えにすっかり取り込まれてしまっています。
この論考を公開していいかどうか戸田さんに確認し了解を得ましたが、その際、戸田さんは、「成田山を嫌い参詣しない人は手賀沼地方には大勢いる。茨城県南西部(通説)には一人もいない。この一事を持っても本拠地がどこであるか明らかであると思います」とメールをくれました。同感です。

今年も湯島サロンお出かけ編として手賀沼周辺将門ツアーを実現できませんでしたが、来年こそは実現したいと思います。
写真は、神田明神にあるものですが、戸田さんはこれこそ手賀沼(当時は香取の海)だと言っています。私もそう思います。

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2023/12/03

■節子への挽歌5808:なんだか緊張感のない毎日

節子

自分ではあまり意識してはいないのですが、前立腺がんのおかげで、自分から進んで予定をあまり入れなくなってきています。また、新しいプロジェクトへの関心もできるだけ抑え込んでいます。
そのせいか、なんだか最近、何もしないで無為に過ごす日が増えてきています。

しかし、最近はインターネットのせいで、在宅していても何かと追われることもあります。
いろんな人から、こんなことをメールで聞いてくるか?と思うような問いかけや依頼があるのです。
電話はできるだけでないようにしていますが、長電話に辟易することもないわけではありません。

今日はそんな関係で、暇だったのに何かと時間をとられてしまいました。
散歩にも出かけられませんでしたが、おかげで考え事をしながら日向ぼっこで1時間寝てしまいました。

実に平和な1日です。

しかしふと考えたのですが、こういう暮らしをしているくらいなら、次のフェーズに進んでもいいのではないか、とも思います。
つまり彼岸に向かう、ということです。

最近、時々思うのですが、もしかしたら、次の世界の方が面白いかもしれません。
この世界は、もう十分に生きたような気がしています。

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2023/12/01

■節子への挽歌5807:ちょっとしたことが世界を明るくもし暗くもする

節子

時評編にも少し書きましたが、今朝、私のがん細胞の「ワルサくん」と心が通じ合ったような瞬間がありました。
いっしょに私の身体を元気にしようという連帯意識を感じたのです。
いままで時々もしかしたら骨への転移が起こったのではないかという不安があったのですが、それが消えてなくなりました。
腰の痛みはまだありますが、それは違う感じの痛みになってきた。

まあこんな感じを誰に話しても理解してもらえないでしょう。
節子だったらわかってもらえるでしょうが。

いずれにしろ今朝からなんだか身体が軽くなったのです。
それが確認できるのは5日後ですが。

一昨日は散々の日でしたが、昨日と今日はとてもいいことが起こっています。
面白そうな話題が入ってきたということです。
世の中面白いことがまだまだたくさんある。
節子が元気だったころは、そういう思いそり話がたくさんやってきて、節子との時間をとれないほどだったのに、節子がいなくなったら、そういう話は来なくなっていたような気がしますが、昨日はなんだかまたそういう話が飛び込みだすような気を感じたのです。
だから今朝は気分がよくて、それもワルサくんの丘がかもしれないと感じたのかもしれません。

ちょっとしたことが世界を明るくもし暗くもする。
今日はそんなことを感じながら、過ごしていました。

ところでなぜかこの数日、このブログへのアクセスが増えている。
なぜでしょうか。
まさかこれはワルサくんのせいではないでしょうが、なんだか最近、何かが変わってきている気がします。

 

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■第31回万葉集サロン「万葉集で一番長くて壮大な歌」のご案内

今回は久しぶりに柿本人麿に戻ります。

採り上げるのは、万葉集で最も長いとされている、「高市皇子尊城上殯宮之時柿本朝臣人麿作歌一首併短歌」(巻二、199201)。壬申の乱で大活躍した高市皇子の殯宮で柿本人麿が詠んだ挽歌です。
140句を超える長さ、壬申の乱の戦闘場面を歌った壮大さ。升田さんは万葉集最長で最大の歌だと言います。

叙事詩(長歌)と抒情詩(短歌)からなっていますので、人麿の人柄や生き方も見えてくる。しかも壬申の乱という波乱万丈の時代を生きた高市皇子に寄せて人麿が詠んだ挽歌をもとに、神の領域と人の領域が絡み合う世界を読み解いていこうというわけです。
升田さんご自身も、どんな方向に話が飛んでいくか、わからないそうですが、万葉集にこんな歌があるんだということを知るだけでも、きっと参加者はワクワクするだろうと言います。

どんな話になるのか、楽しみですが、いつも以上に、今回はじっくりと読み解いてくれそうです。
ただ時代が時代なだけに、壬申の乱を巡る人間ドラマに話が行ってしまうかもしれません。

どんな質問も許される気楽なサロンです。
万葉集など読んだこともない人もどうぞ気楽にご参加ください。

〇テーマ:「万葉集で一番長くて壮大な歌」
〇日時:2023年12月17日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

 

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■がん民間療法体験その後

50回にわたるがん民間療法体験報告の後、わけのわからないWFC報告になってしまい、ある人からその後、一体どうなったのか気になると問い合わせられてしまいました。
それでその後の報告を簡単に。

結局、まだ40日奇跡プロジェクト期間とほぼ同じ生活を続けています。
困ったものですが。

さまざまな民間療法はかなり緩やかにですが継続しています。
朝晩のヒートマットと水素吸入と座禅でのワルサくん(がん細胞)とのコミュニケーション行為は続けています。
水素風呂も1週間ほど休止しましたが復活しています。
高価なサプリメントはいまも採用していません。

標準医療ですが、重粒子治療は早くて4月以降というので申し込みを止めました。摘出手術はやめて、近くの癌研センターで陽子線治療を中心に考えようと思っていますが、まだ行っていません。126日の主治医との相談で決める予定です。

体調は全くと言っていいほど異常なしで、相変わらず病人だという自覚は皆無です。
むしろ民間療法のおかげで、基礎体温は36.4度に上昇。体重も安定しています。
一時期、骨への転移を不安がらせていた腰痛も弱まっています。

今も時々、心配して見舞いがてらやってくる人もいますが、私が元気そうなのでちょっとがっかり?してしまうほどです。

ワルサくんとの関係はとてもよくなって、最近は一緒にこの状況を変えようという関係になったと実感しています。今朝の座禅時には、ワルサくんからの声が聞こえたような気さえしました。

5日後の126日には主治医からの判定が下されると思います。
今度こそどういう結果であろうと転院を考えるつもりですが、民間医療はもちろん継続します。

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