■節子への挽歌5820:仕事を楽しみすぎていたかもしれないという反省
節子
昨日に続き、今日もうれしい来客がありました。
高校時代からNPO活動をしていて、その頃、私が出会った若者です。
といってももうかなり前ですので、彼もいまや30代の後半ですが。
報道関係の仕事なので、超多忙なのでしょうが、FBなど見ていると子どもたちとのしっかりした生活をしているようで、いつも頼もしく見ていました。
今回は、あることで一度、会いたいと言ったら早速に来てくれたのです。
まずは私の用件を話し、了解してもらったのですが、その後、忙しいだろうにいつも家族としっかり付き合っているようで共感しているよと言ったら、とんでもないと答えが返ってきました。
仕事が忙しくて、子どもたちの授業参観にも行けないことがあるし、どうしても「仕事優先」にならざるを得ないというのです。
まったく意外な回答でした。
さらに意外だったのは、仕事以外で人に会うことが最近は少ないというのです。
今日、仕事と無関係に私のところに来たのは、そういう意味では久しぶりなのだそうです。FBをていねいに見ていればそうしたことも分かったのかもしれませんが、気づきませんでした。
また気を抜きたくなったらいつでもどうぞ、と言っておいたのですが、仕事改革などと騒がれていますが、実態はなかなか変わらないようです。
でも彼の場合は、仕事の意義は実感できるでしょうし、かなり自己裁量が聞く仕事です。
それにもかかわらず、仕事中心の生き方から抜け出られないという意識を持っているのが意外でした。
そういう意味では、もしかしたら、私もそうだったのかもしれません。
もっとも私の場合は、仕事が面白くて仕方がなかったからなのですが。
今日はちょっと昔を思い出して、反省しました。
節子
気づくのがあまりに遅すぎましたね。
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