■節子への挽歌5815:「変わりなく元気です」
節子
世間との付き合いは次第に少なくし、次第に世界を狭めています。
お歳暮づきあいもほぼやめてしまいました。
それでも年末になると何かが届きます。
節子つながりで届くこともあります。
節子と仲がよかったNさんから昨日、リンゴが届きました。
送ってきたのは、Nさんの伴侶からです。
Nさんは階段で転んだことで、一時期、記憶を喪失、いまもまだ完全ではないのです。
電話をしました。
Nさんは電話には出ずに、いつものようにNさんのパートナーと話しました。
私も節子の生前にお会いしています。
Nさんから「お変わりないですか?」と訊かれました。
瞬間的に、いつも通り、「はい、ほどほどに元気です」と応えてしまいました。
しかし、今回はそれでよかったのか、ちょっと考えてしまいました。
そういえば、1週間ほど前に、岐阜の佐々木さんとも電話で話しましたが、同じような問いに、やはり同じように応えてしまっていました。
私の意識では、なんのウソもなく、事実なのですが、客観的に言えば、がんが見つかったことは「お変わりがあった」ことなのかもしれません。
考えようによっては、私が「がんになったことを隠した」結果になるかもしれません。
それは私の本意ではないのです。
次に電話は誰と話すのかわかりませんが、さて何と応えるか。
まあ些末な問題ですが、私にはいささか悩ましくもある問題です。
私には「変わり」はあったのかないのか。
まあ電車の中ででもまた考えてみようと思います。
節子ならどう答えるでしょうか。
節子はがんが見つかったときに、実にあっけらかんと「がんが見つかった」と言っていた。だから私にも、素直にそういったらいいじゃないかというかもしれません。
私も隠すつもりも全くないのですが、なんだか誤解されそうで、電話では言いにくい言葉です。
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