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2023/12/20

■第2回「証言によるベトナム残留日本兵の存在」サロン報告

添野江実子さん制作の映画「私の父もそこにいた~証言によるベトナム残留日本兵の存在~」を観て話し合うサロンは、もう一度という要望が強かったので、2回目を開催しました。
今回は、添野さんに加えて、映画製作監督の佐山剛勇さんも参加してくれました。
参加者も、前回に続き2度目の参加をした人もいます。

Soeno2000

前回の報告は次のサイトにありますので、今回は参加者のみなさんの感想を一部紹介することを中心に報告させてもらいます。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2023/10/post-950cfd.html

なお添野さんのご好意で、映画のDVDは湯島にありますので、観たい方がいたらお申し出ください。また仲間で観たいという方がいたら、湯島で観る集まりを企画していただいても大丈夫です。
この映画には、いろんなメッセージがあります。ぜひいろんな視点で観てもらえればと思っています。

参加者の感想の前に私の感想も一言だけ。映画とは直接関係ないのですが。
ベトナムで「戦争」といえば、多くの人にとってはいわゆる「ベトナム戦争」を意味し、第二次世界大戦を意味しないという話が出ました。
「戦争」って、いったい何なのでしょうか。

戦争は「国家(政府)」同士の争いだと思いますが、実際に戦場に駆り出され戦わされるのは人民(生活者)です。本来、生活者は戦う理由などないと思いますが、なぜか「国家のため」という理由で戦ってしまう。
戦場で戦う人民がいなければ戦争など起きないと私は思うのですが、なぜかみんな戦ってしまう。
私はそのことがずっと理解できずにいます。
戦う相手は、人民ではなく、「国家(政府)」なのではないか。人民は、どの国に暮らしていようが、友だちになれるのではないか。友だちになったら、戦争などに荷担したくなくなるのではないか。
私はそんなことをずっと考えながら、映画を観、話し合いを聞いていました。

以下、ほかの参加者の感想の一部です。順不同で。

  • 監督が仰っていたように、この映画は戦争の悲惨さを伝えるために撮ったのではなく、家族の愛情を表すことを意識したとの言葉は、とても説得力がありました。
  • 添野さんの作品を通して見える今後の日本人と外国人との関係も気になりました。ベトナムからの就労者は、日本での失踪や凶悪事件の犯人になる事が多いですが、彼らの国民性からは距離があると感じています。
  • 添野さんが父親の足跡を辿ることに、普遍的な親子の愛を感じました。もし、自分が添野さんの父親なら、娘が自分の苦しい過去を知ろうとする事には戸惑いもあるかもしれませんが、素直に嬉しい事だと思います。この映画は添野さんから父親に向けた、感謝の手紙の様だと思います。
  • ベトナムという国や太平洋戦争を、今までとは違う視点から見る機会を得られる貴重な映画だと思います。この映画を通じて、残留日本兵が生まれる背景を考察する事は、平和活動の一貫として意味がある事だと思います。
  • 昨日のサロンの内容を今日一日折りにふれて振り返り噛みしめておりました。皆さんの発言を拾ったものなのですが、『分断』を修復するのは結局のところ人と人との繋がりによるものなのだということです。戦争によって否応なく生じた分断を修復する様を映画の中で添野さんが行動で見事に示してくれました。そして、あまり語らずに亡くなっていったお父様との父娘の分断を修復したいとの添野さんの強い思いを映画の中心に据えた佐山監督の狙いによって作品はより印象深いものになったように思います。
  • 佐山監督は「いわゆる反戦アピールのメッセージ映画にはしたくなかった」と言った。戦争という不条理に翻弄された運命を生きた父や同境の人々と、その家族たちが互いを想う心の美しさ。描かれた人たちの心の深層に触れたとき、見ている私たちの中にも逆境に咲いた切ない華の鮮やかさが伝わってきた。
  • 失ったものをノスタルジーの感傷で懐かしむだけではなく、自分達の手からこぼれ落ちた大切なものを再発見し取り戻そうと意図することが、現代の唇寒い社会に人間らしい息吹を取り戻すための嚆矢となるのではないかと思ったサロンであった。
  • 最も印象に残ったのは添野さんのお父様の足跡を知りたいという強い思いです。そこで自分の父にも思いを馳せて観ることが出来ました。生前は満州の話を疎ましく聞いていた事や「なんで戦争に反対しなかったの」等といって両親の「こんなこと言える時代じゃなかったよ」に反発して「じゃどんな時代なのよ!」というのが反抗期の自分でした。今思うと大きな時代の展開点を超えた親達の世代は歯がゆかっただろうと今では分かります。
  • 添野さんの映画で初めて知ったことは第一次インドシナ戦争で残留日本兵がホーチミンのベトミンと共に戦いまた指導もして、そして力をつけた(ベトミン?)地元の人々に用無しにされて帰国しては赤の思想教育を受けたとして日本でも中々仕事もないような方々が多かったことです。ソ連抑留帰りの人々が赤の思想で苦労したようなことはベトナム残留帰還兵の人達にも起こっていたのだという事を知りました。また日本の敗戦を知っても「アジアの解放」の理念と矜持のような気持ちを強く持っていた人達の事も想像し現実の侵略?との差にも中々考えさせられました。
  • 民族の闘いも含めた多様な意味を掘り返すきっかけをいただいた気がします。敷衍して、「国家」とは、「戦争」とはなんなのか、「家族」とはなにか、という意味を考えさせられます。
  • あらためて、戦争のなんたるかを考えるとその無意味さに鳥肌が立つ思いがしますが、「知る」こと、「知る」努力は一人一人の小さな行動からも起こせることを知りました。
  • この映画を観せていただいて、さらに強く思ったのは、「戦争は始めてはいけない」と、それだけです。
  • 戦争は、たとえ「終結」になっても、この映画のように世代を超えて、悲しみや苦しみ、苛立ちや憎しみを引き摺る事につながると教えてくれました。添野さんは、それを払拭して、恨みではなく「戦争」をやめようと伝えているのだと思いました。

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