■第31回万葉集サロン「万葉集で一番長くて壮大な歌」報告
今回は、壬申の乱で大活躍した高市皇子の殯宮で柿本人麿が詠んだ挽歌が取り上げられました。久しぶりの柿本人麿です。
升田さんが言うように、確かに長い。それに躍動的でスケールが大きい。でもなぜか最後は「恋ひ渡る」という、相聞歌のような言葉が出てくる。そこに升田さんは、生きている相手を感じている人麿を見るのです。そして、この歌を「長歌で描く、初めての歴史中(歴史上ではなく)の人物への〈情(心)〉を導き出すための語り」だと解説してくれました。語りの勢いに乗せて、人麿が自らの〈情(心)〉を詠いあげたのです。問題は、「何のために」「誰のために」です。
升田さんは、歌を読み解く前に、2つの話をしてくれました。
ひとつは、この歌に詠まれている天武天皇と高市皇子と持統天皇の関係や時代背景です。高市皇子の母は宗像3女神や住吉神につながる女性で、同じ天武の皇子でも、持統天皇を母とする草壁皇子との関係は微妙です。天武から持統にかけての時代は、日本の国家体制が整いだした時期ですが、この歌は、そうしたことを読み解くうえでも大きな材料を提供しています。
つづいて、「山柿の門」に言及した大伴家持の歌の詞書を紹介してくれました。
家持は範とすべき歌人として、柿(人麿)と山(山部赤人または山上憶良)を挙げていますが、人麿の歌の世界では神と人がつながっているが、山の歌人の世界では、神の領域から離れて人の世界が展開されていると升田さんは言います。人麿が歌の聖と言われていたこととも関連しているようです。
さていよいよ本題の高市皇子挽歌です。140句を超える長さですが、この歌は4つのパートに分けられます。まず、天武が高市皇子に命を下し、第2段ではそれを受けて高市皇子が大奮闘。そして、高市皇子の死、舎人たちの嘆きの様子と続き、儀礼挽歌の形が整います。
読みごたえのあるのは第2段落。その最初の部分を紹介します(声を出して読んでみてください)。
大御身(おほみみ)に 大刀取り佩かし 大御手(おほみて)に 弓取り持たし 御軍士を あどもひたまひ ととのふる 鼓の音は 雷の 声と聞くまで 吹き響(な)せる 小角(くだ)の音も 敵(あた)見たる 虎か吼ゆると 諸人の おびゆるまでに ささげたる……(以下略)
と、実戦の様子が中国の詩文や史書からの引用も使いながら、語りの手法を取り込んで詠いあげられているのです。そこには、日本にはいない「虎」も出てくる。
この歌は、高市皇子の殯宮で歌われたわけですが、そこには多くの渡来人がいて、人麿はそれを意識していたと升田さんは言います。なんとなく時代が見えてくる。
そして語り終わった後につづく短歌で、まるで皇子がそこにいるように、人麿は「恋ひ渡る」と自らを開き放すのです。
升田さんは、この歌と併せて、人麿の近江荒都と日並皇子挽歌も紹介してくれました。
そこでも、人麿は語りに続けて情(心)を話していますが、そこでの表現は、それぞれ「見れば悲しも」であり「惜しも」であり、「恋ひ渡る」とは「勢い」が違います。高市挽歌では、霊を鎮めようというよりも、霊とのつながりが目指されている。つまり「自分事」なのです。
この「恋ひ渡る」も、万葉集ではよく出てくる表現だそうですが、これに関してもいくつかの歌の紹介と併せて、その意味を解説してくれました。
ここでの「恋ひ」は、現代のような性愛とは違い、「乞う」につながっているという話もありました。どうも升田さんは、この「恋ひ渡る」にかなりの強い思いを持っているようです。
ちなみに、「恋ひ渡る」は「恋つづける」という意味で受け取る人もいますが、升田さんはそれとは違うものを感じているようです。
「恋ひ」は神の世界と人の世界をつなげるとともに、「渡る」は、いのちにつながる言葉なのかもしれません。
「恋ひ渡る」は、今回のキーワードの一つだったと思いますが、私にはまだ消化不良です。
いずれにしろ、人麿の生命観は、死を生の中に取り込んでいる。
今回も、人麿の死生観を感じさせる歌もいくつか紹介してくれました。そこには「生」と「死」とが共存する「いのちの世界」があると言います。
いつかぜひテーマに取り上げてほしいと思います。
この高市皇子挽歌には、20に近いほどの数の枕詞が使われています。
そのため、リズミカルになり、イメージフルになって、読み上げると自然と光景が浮かび上がってきますが、枕詞はまさに「神の領域」の言葉です。「神の領域」の世界を受けて、思い切り「人の領域」の〈情(心)〉が発露する。
枕詞をふんだんに詠いこんで仕上げたこの歌の第2段落は、大きな「枕詞」ではないかという感じがします。そしてそこに、人麿の政治性も見えてくるような気がします。
ところで、この歌は、「何のために」「誰のために」詠われたのか。
今回は時間切れだったせいか、その答えは解説してくれませんでした。
そこからさまざまな想像が浮かんできます。
最後に極めて主観的な私の感想を。
神の後ろ盾を得て、天智の娘、持統天皇の前で高市皇子との一体感を表明し、渡来人(たぶん主に新羅人)にエールを送った人麿。人麿は、持統と不比等に向けて、多くの渡来人を代表して、異議申し立てしたのではないか。しかし、それがまた次の不幸につながっていくのですが。
まあ、そんな歌の鑑賞とは外れてしまうような、面白さを感じたサロンでした。
| 固定リンク
「サロン報告」カテゴリの記事
- ■湯島サロン「サンティアゴ巡礼に行きました」報告(2024.09.06)
- ■湯島サロン「『社会心理学講義』を読み解く②」報告(2024.09.03)
- ■近藤サロン②「ドーキンスの道具箱から人間社会の背後にある駆動原理を考える」報告(2024.08.29)
- ■第2回あすあびサロンは我孫子の撮影シーンが主な話題になりました(2024.08.24)
- ■第34回万葉集サロン「巻1-5~6の「軍王」の歌」報告(2024.08.13)
コメント