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2024年1月

2024/01/31

■節子への挽歌5864:「でもすべてを楽しく扱いたい」

節子

最近、コミーの創業者の小宮山さんと会う機会が増えています。
小宮山さんが立ち上げた国際箸学会の活動に少し関わっているのと小宮山さんの評伝本づくりの相談に乗っているのです。
今日は、国際箸学会の研究部下の箸ラボという定例会でした。

と言っても、私自身は国際箸学会の会員ではないのです。
節子が病気になったのを契機に、4~5年かけてすべての学会や組織活動から抜けたのですが、以来、学会や組織にはメンバー参加しないことにしているのです。
ですからいずれも外部からささやかに関わっているだけです。
しかし、それが逆に小宮山さんにとっては特別の存在に見えるのかもしれません。
心を開いた相談がいろいろとやってきます。
私の話ではないの、書くわけにはいきませんが、身につまされる話も少なくありません。

今日も箸ラボが終わった後、いろいろと話しかけられました。
私自身、今ちょっと問題を抱えているのと(私のがんの話ではありません)、今日は朝からいろいろとあったので、いささか気もそぞろだったのですが、心開いた話を聞くと疲れます。

しかし別れ際に、小宮山さんが「でもすべてを楽しく扱いたい」という言葉を発しました。
これは私の信条でもあります。
もっとも言葉では一緒ですが、その内容はちょっと違うのですが。
でもまあ、悩みも悲しも、すべて肯定的に受け止め、豊かな生き方につなげていきたいものです。

今日はちょっとまた小宮山さんが好きになりました。

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■第3回中国現代文学サロン「桃郡梅さんの『狡猾な父親』を読む」のお誘い

第3回中国現代文学サロンのご案内です。

前回の報告でご案内したとおり、今回は桃郡梅さんの『狡猾な父親』を取り上げます。本作品は、中国現代文学翻訳会の『中国現代文学』14号に掲載されています。
『中国現代文学』はネットで購入できます。

短編ですので、必ず参加される方は読んでおいてください。
なお湯島にも1冊、用意していますので、貸出可能です。
またサロンの当日、希望者がいれば、サロン開始前に湯島に早めについて読むことができるようにしたいと思いますので、希望者は事前にお申し出ください。

案内役は、同作品の翻訳者でもある中国現代文学翻訳会の葉紅(ようこう)さんです。
いまの中国の人たちの暮らしや考え方に触れていければと思います。
中国の現代小説を読んだことのない人ももちろん大歓迎です。

どなたでも歓迎の、気楽な集まりですので、気楽にご参加ください。
ただ、参加ご希望の方は事前に連絡をください。

〇日時:2024年2月11日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「桃郡梅さんの『狡猾な父親』を読む」
〇案内役:葉紅さん(中国現代文学翻訳会会員/駿河台大学教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2024/01/30

■節子への挽歌5863:ハーモニカ奏者の西川義夫さん

節子

久しぶりに福岡の西川義夫さんから連絡がありました。
東京に行くので会いたいというのです。

西川さんは長年福岡でハーモニカのストリートライブをしています。
節子のお見舞いにも来てくれてハーモニカ演奏もしてくれました。
節子が元気な時に、西川さんのストリートライブに参加できなかったのが残念です。

西川さんも難病を克服してきましたが、その過程でハーモニカに出合ったのです。
西川さんたちの活動をささやかに応援したおかげで交流が始まりましたが、福岡なのでなかなかお会いする機会がありません。
いま、複音ハーモニカの音響特性の論文に取り組んでいるようですが、その関係もあって、東京で開催される放送大学の講座に参加するのだそうです。
講座のテーマは、「ゲオルギアーデス著『音楽と言語』を読む」だそうです。

西川さんは私と話したいと言っていたのですが、せっかくなので湯島でサロンをしてもらうことにしました。
いろいろと示唆に富む話を私だけで聞いても、私の活動がどんどん狭まっているので、活かしきれないので、最近はできるだけサロンにして、いろんな人に聞いてもらうようにしているのです。

西川さんは、「ハーモニカ音楽の不思議」に魅了されているようで、どうもその話を私の前立腺がん対応の応援歌にしたと思っているようです。ハーモニカの演奏もしてくれるようで、そういう意味ではわが家に来て演奏をしようと思っていたのかもしれません。
西川さんは節子が亡くなった後もわが家に献花に来てくれ、たまたまそこに居合わせた花かご会のみなさんの前でも演奏してくれました。

ちなみに、ゲオルギアーデスの『音楽と言語』ですが、題名に興味があったので、図書館から借りてきて読もうと思ったのですが、難解で歯が立たず、序章で挫折してしまいました。

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■湯島サロン「ビットコインに価値はあるのか」報告

参加者は少なかったのですが、じっくりと議論し合うサロンになりました。

今回話題提供してくれた李東哲さん自身、最初はビットコインに関心がなかったそうですが、友人からの繰り返しの勧めで、ビットコインを体験的にも学んでみて、その意味の大きさに気づいたのだそうです。そういう経緯を踏まえて、貨幣の歴史からはじめて、李さんが行きついたビットコインの歴史的な意味を話してくれました。

李さんは、ビットコインは、モンテスキューの三権分立論が政治を大きく変えたのと匹敵するくらいの大きな影響を経済界に与えるだろうと考えています。つまり、投機の話や資産の話ではなく、経済思想のコペルニクス的転回の話なのです。
私も今回、その意味を少し理解できた気がします。暗号資産などという呼び変えに騙されていたのかもしれません。この辺りの話は、湯島で行われている陰謀論サロンやポスト資本主義の話にもつながっていく壮大な話になっていきます。

今回参加者が少なかったのですが、改めてまたこのテーマのサロンは企画したいと思います。貨幣とは何か、経済とは何か、そこにつながる話です。

世間的には、ビットコインも、現在の経済の枠組みで考えられ、ともすると投機的な面に焦点が置かれて語られがちですが、李さんによれば、それこそビットコイン構想の巧みさを示唆していると言います。
投機性や資産性は、現在の通貨制度を革新するためのビットコインを広げていくために仕組まれた手段であって、ビットコインの本質はそこにはないと李さんは言います。

李さんは通貨の持つ3大機能としての「価値尺度機能」「交換機能」「価値保存機能」に加えて、「価値侵蝕機能」に注目します。
これは別に新しい視点ではありませんが、多くの経済学者はむしろこの機能を「価値増殖」側面として捉えがちです。それこそ「通貨制度」の持つ本性ではないかと私も考えています。
通貨それ自体は価値を生み出しませんから、通貨が利子を生むというのは、価値を移転することです。ということは、価値増殖はその反面に価値浸食を含意しています。李さんは、そこに着目しているのです。その視点にはとても共感します。

とまあ、こんな感じで議論は進んだのですが、詳しく紹介しだすと長くなるので、李さんが強調したビットコインの特徴を紹介します。そこに李さんが考えているビットコインの価値が象徴されていると思います。

まず、ビットコインは全世界に開かれた超主権貨幣だと言います。つまり貨幣発行権者が持つ特権を奪うことで、貨幣の権力性を抑制できるというのです。
さらに、発行総量と発行プロセスが決められている約定貨幣であり、その動きはすべての人に公開されているので、その面からも貨幣権力を制約し、貨幣を公正な方向に導くことができると言います。

こうしたことから、ビットコインは未来を開くカギを握っているというわけです。私はそれほど楽観できませんし、仮にそうだとしても、その未来のイメージがつくれないのですが、今回はそこまでの議論には至りませんでした。
もちろん李さんとしても、すべてうまくいくとは思っておらず、だからこそビットコインの行く末に関心を持っているのです。

ちなみにここでは触れませんでしたが、ビットコインの仕組みやこれまでの動き、あるいはビットコイン以外の仮想通貨/暗号資産の状況。既存の金融組織や関係者との関係なども紹介してくれました。
李さんによれば、ビットコインは今年からまた新しい段階に入るようです。
また参加者からは、ゲゼル経済学や地域通貨の話も出ました。

私自身がしっかりと理解してないので、報告もわかりにくいと思いますが、李さんがまとめた「ビットコインの価値」という小論文がありますので、関心のある方はご連絡ください。
その論文の最後で、李さんは次のように書いています。

欲望に満ちた貨幣の世界で、ビットコインを通して、我々は人の魂から来る希望の光が見られる。

その「希望の光」についてのサロンをまた李さんに頼もうと思っています。

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2024/01/29

■節子への挽歌5862:有斐斎弘道館も15年だそうです

節子は覚えているでしょうか。
東大駒場で行われた伝統の知恵のフォーラム主催の公開シンポジウム「伝統の知恵を拓く」のことを。
私のホームページ(最近管理していないのでめちゃくちゃになっていますが)にその記事が残っています。
http://cws.c.ooco.jp/katudoubank1.htm#okimoto

伝統の知恵のネットワークのおひとりの濵﨑さんは、その後、京都に有斐斎弘道館を復活し、活動されていますが、その活動が素晴らしいのです。
私も一度、弘道館にお伺いし、老松の太田さんの和菓子とお茶をいただきました。残念ながら、その時にはもう節子はいませんでした。

そういえば、節子の闘病中にも、濵﨑さんと太田さんから、おいしい夏柑糖を送ってもらいました。たぶん節子が食べた、最後のおいしいスイーツだったと思います。

その濵﨑さんがいま、有斐斎弘道館再興15年記念、京菓子展10周年記念の展覧会「一席一菓 あつらえのかたち」を昨日から開催しています。
そのプログラムが、いかにもすばらしい。
知覚なら通いたいところですが、残念ながらお伺いできません。

しかしこうやっていま、いろんなところで活躍している人たちがいます。
節子がいたらどれほど喜ぶでしょうか。
節子と一緒にそうした活躍に触れられないのがとても残念です。

今度、京都に行ったら久しぶりに弘道館に立ち寄ろうと思います。

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■第1回脱ひきこもりサロン「ひきこもり当事者視点でいまの社会を考える」報告

今年から「脱ひきこもりサロン」を定期的に開催することにしました。

その第1回に当たる今回は、湯島のサロンにもよく参加している、「ひきこもり当事者」のSさんとHさんに体験と心情を話してもらいました。
参加者も、いろんな意味で、「ひきこもり」に誠実に取り組んでいる人が多かったので、示唆に富む話し合いが展開したと思います。私もたくさんの気づきをもらいました。

第1回目ということで、最初に私から「脱ひきこもりサロン」の企画主旨のようなものを少し話させてもらいました。
これまでのサロンの報告でもいつも書いていますが、私は、一般に言われている意味での「ひきこもり当事者」に関して否定的な考えを全くもっていません。むしろ、「ひきこもり」が進んでいるのは社会のほうで、多くの人が与えられた環境の常識や価値観にからめとられて、「ひきこもらされている」のではないか、と思っています。

しっかりした自分の価値観や主体性をもっている人たちは、そうした社会(学校や会社と言ってもいいでしょうか)に抗って、結果的に「ひきこもり」現象を起こしている。むしろ、ひきこもり(不登校もそうですが)とされている人たちは、そうした現在の社会のあり方に、異議申し立てをし、社会の問題を可視化してくれているのではないか。そんな気がしているのです。

そう考えると、いまの「ひきこもり現象」への対処の仕方は、全くおかしい。改めるべきは、ひきこもり当事者ではなくて、その周辺にいる人たちなのではないか。社会の目も含めて。

この数年、「ひきこもり」当事者と自称している人たちと交流していて、そういう人たちのしっかりした主体性や社会への強い関心や意欲を感じますが、どうも世間的には逆にとられている気がしてなりません。そこで、このサロンでは、「ひきこもり」ということを改めて考え直していけないかと思っているのです。
そのために、いわゆる「ひきこもり現象」で悩んでいる人を中心にして、毎月1回程度、自らをさらけだして気楽に話し合える場をつくっていきたい。
そんなことを話させてもらいました。

そのあと、サロンに入り、SさんとHさんに話してもらいました。引き出し役は、SさんとHさんとも時々話し合っているというサロンの常連の近藤和央さんです。
Sさんは自らの体験と思いを感情込めて挑発的に話してくれ、Hさんは同じく自らの体験と思いを冷静に論理的に語ってくれました。その組み合わせで、たぶん参加者それぞれいろんな気づきをもらったはずです。

「ひきこもり」と言われる当事者の人が持っている情念や怒りの大きさに圧倒された人もいたかもしれませんし、「ひきこもり」の「常識に逃げ込んでいる自分のひきこもり思考に気づいた人もいたかもしれません。
近藤さんは、客観的な視点からそうしたことを整理してくれました。

途中からは、参加者も話し合いに参加し、自らの体験や思いを話す人もいて、話題も広がっていきましたが、ここでの話し合の内容は文字にすると正確には伝わらないでしょうし、基本的には湯島のサロンでの個人的な発言はオフレコですので、紹介は差し控えます。
SさんやHさんの社会や専門家に対する指摘は辛らつですが(私にも辛らつです)、今回の参加者の多くは、共感を持って受け入れたような気がします。SさんやHさんに、社会への働きかけを期待する声もありました。

まだ1回目ですので、異論を真剣にぶつけ合うほどの話し合いには至りませんでしたが、それでも様々な論点が出てきたように思います。
Sさん、Hさんはもちろん、自らをさらけだしてくださった参加者のみなさんにも感謝します。
こんな感じで、ゆっくりとみんなの引きこもりがちな思考を開いていって、ますます進行しそうな「ひきこもり社会化」への流れに棹(さお)させればと思っています。

第2回目は、今回の2人の「当事者」に刺激を受けた「当事者の親」の立場から、Yさんが話題提供してもいいと申し出てきてくれました。とてもうれしい申し出です。
今回とは逆な立場での生々しい体験と思いが吐露されると思います。

開催日は2月23日を予定していますが、また改めてご案内させてもらいます。

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2024/01/28

■節子への挽歌5861:孫との朝食バイキング

節子
今日は、にこと2人だけの朝食バイキングでした。

昨日、にこにココスの朝食バイキングに行こうと誘いました。また断られるだろうと思っていたら、まさかの「いいよ」という返事でした。
にこは、バイキングが好きなのだそうです。
実はその後、にこはゆかにこっそり来てよと頼んだそうです。何しろおさむさんは何もできないから心配だというのです。私の思いを知っているので、ゆかは断ってくれました。

それで今日は、にこと2人でココスに出かけました。
2キロくらい離れているところですが、朝の散歩は気持ちがいいので、少し遠回りですが、手賀沼沿いの遊歩道を30分かかって、ココスにつきました。
サンダル履きの老人と孫の不思議な組み合わせです。

バイキングなので、自分でとってくるのですが、一応、何回か来たことのあるにこが先導です。と言ってもにこはあんまり食べないのです。
小さなデニッシュひとつとブロッコリーひとつ、マカロニをほんの少々、トマト6分の1、
それに好きなメロンソーダーをコップに3分の1くらい入れて席に戻ってきました。
それで大丈夫なのかと訊いたら、これは1回目なのだと言います。

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ところがメロンソーダーを少し飲んだらそこでストップ、何やら辛そうです。
どうしたのと訊いたら、げっぷが出なくて苦しいというのです。
飛び上がったりして何とかげっぷが出たら、安心したようです。
もう炭酸はやめたらと言ったのですが、残ったソーダを飲み干しました。

にこは律儀で、融通が利かないので、一度決めたら方針変更はないのです。
先日も本を買いに行ったのですが、買った後、パフェでも食べようと誘ったのですが、今日は本を買いに来ただけなのでパフェは食べないと断られてしまいました。
全く融通が利かずに困ったものです。
融通無碍な私とは、そんなわけで合わないのです。

2ラウンド目。今度は焼きそばとカレーにチャレンジ、いずれも量はほんとに僅かばかりです。飲み物はココアラテ。これは私のお勧めを素直に受けました。
3ラウンドはワッフルです。ここではワッフルは自分で焼くのですが、いつもは母親に焼いてもらっているので、今日は初めての自分での焼き上げです。私の分も焼いてくれました。
とまあ、そんなこんなで1時間ほど、孫との会話を楽しみました。

関係が少しよくなりました。たぶん、ですが。
帰りはじゅんに自動車で迎えに来てもらったのですが、その後、親子で立ち寄ったお店でいささか危ういお客様に出合い、巻き込まれて死ぬかと思う事件に遭遇したそうです。
そして私にこう言いました。
この世を去ることになるかもしれないと思った。でも、おさむさんより先にはこの世は去りたくない、と。
最近なにやら「この世を去る」という言葉が気に入っているのだそうです。
そしてにこは、私が間もなくこの世を去ることがわかっているようなのです。

こんなわけで、にことのバイキングは無事終わりました。
次回はにこにごちそうになろうと思いますが、お年玉はすでにどこかに隠したようで、ごちそうしてもらうには障壁が高さそうです。
知恵を絞らないといけません。

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2024/01/27

■節子への挽歌5860:留学生サロンに来ていた李さん

節子は覚えていないでしょうが、昔、節子と一緒に留学生サロンをやっていたころ、球に参加した李さんという中国人がいます。
彼はその後、ビジネスで成功し、いまは千葉にひきこもって、時々、東京に出てくる生活をしています。
2年ほど前に、湯島にやってきました。

以来、またささやかな交流が始まりましたが、先日、ビットコインに関して話し合いたいと言ってきました。
私はビットコインにはまったくと言っていいほど関心はないのですあ、なぜか昨年も李さんは自分で書いた論考を送ってきて、読んでほしいと言ってきたのです。

2人で議論するのも彼の期待には応えられない気がして、それならいっそ、サロンをしようと提案しました。
サロンを呼びかけましたが、参加者は少なく結局は、私も議論にかなり巻き込まれてしまいました。でもそのおかげで、ビットコインの意味への認識が変わりました。

サロンの報告は別途していますので、それはさておき、今回もまた李さんは話の中で、節子のことに言及しました。
留学生サロンの時には、いつも奥さんがいて、微笑ながらおいしいコーヒーを出してくれた、というのです。

李さんは、会うたびにいつもその話をします。
湯島のサロンが、こうして今も続けられるのは、節子のおかげだなと思うのは、こういう話が時々出てくるからです。
あの頃は、コーヒーだけではありませんでした。
いつも節子が軽食などを買い込んできてくれていました。

あの頃のサロンの雰囲気はなかなか再現できません

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2024/01/26

■節子への挽歌5859:ちょっとうれしい気分

節子

今日は湯島で脱ひきこもりさんの第1回目でした。
話題提供をお願いしたのは、長年引きこもりつづけてきたSさんとHさんです。
Hさんはサロンのはじまりよりもだいぶ早い時間にやってきましたが、先週、関西の両親の家に5日間規制していたと言って、お土産のみかんクッキーを持ってきてくれました。
うれしい話です。何しろ彼は長年帰っておらず、私は以前からきちんと帰った方がいいよと言い続けてきたのです。
詳しくは話してくれませんが、良い会話ができたようです。

もうひとりのSさんは、ケアしてくれている看護師と母親もやってきました。
最初に湯島に来た時と全く別人のようになっていますが、表現方法はあまり変わっていません。相変わらず私には厳しく突っかかってきますが、ある意味での信頼関係が生まれてきているように思います。まあ第三者が見たら、まだ勘違いするかもしれませんが。

この半年間、連絡がなかったMさんから2週間ほど前に連絡がありましたが、その後また連絡が途絶えています。
彼が最初に大きく変わるかなと思っていましたが、なかなか抜け出せないようです。
できれば次回の脱ひきこもりサロンには彼を呼びたかったのですが。

今日もにぎやかな話し合いになりました。
いつものように今日もまたみんなからかなり責められましたが、みんな少しずつ変わってきているのが感じられます。
節子がいたらきっと少しはほめてくれるでしょう。

サロンは本当に疲れます。
毎回、それなりに真剣に対応していますので。
でもみんなの反応を見ると、ちょっとうれしい気分もあります。
ほんのちょっとですが。

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2024/01/25

■節子への挽歌5858:「万物の黎明」にはまってしまいました

節子

最近どうもおなかの調子がおかしいのです。
胆嚢の摘出手術をしなければいけないのですが、前立腺癌騒動で延ばし伸ばしになっていますが、先日の血液検査で、今度は肝臓や膵臓に関するマーカー値が急増してしまったのです。
その前からどうもおかしいので、自覚症状があるので気になっています。

それで今日、東邦病院に検査に行こうと思っていましたが、今朝の日の出があまりにきれいで、今日はいい天気になりそうだったので、病院はやめました。
実は最近、あまり歩いていなあい日が多いので、今日は絶好の散歩日和だと思ったのです。

でも、なんだか散歩に行く気がしなくなってしまい、結局、自宅で日光浴で済ませてしまいました。
一昨日から読み出した「万物の黎明」が面白かったこともあります。
今日はメキシコのテオティワカンの話でしたが、40年ほど前に訪問したこともあって、興味深く読みました。
この本は、ともかくこれまでの歴史の常識を覆してくれますが、とても納得できるのです。
思ったよりも読み進めているので、もうじき読み終えられるでしょう。

それにしても、この2日間、ほとんど部屋にいた気がします。
これはホルモン治療の副作用で怠惰になっているためでしょうか。
そんなことはないでしょう。
ちょっと「万物の黎明」にはまってしまったようです。

 

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■NHKスペシャル「学校のみらい」

湯島のサロンでは、子どもたちの教育や学校に関する話題がよく出ます。
それもあって、2月にはそうしたテーマのサロンを企画したいと思っていましたが、話題提供をお願いしていた人の都合がつかず、実現できませんでした。

それに代わってということではありませんが、関連してのご案内です。
明後日の127日(土)、そうしたテーマを取り上げたNHKスペシャル「学校のみらい」が放映されます。2部構成です。
https://www.nhk.or.jp/campaign/koe/kodomo/kiji_20240123.html

1930分からの第1部では、不登校の子どもへの対応から公教育改革の可能性などが取り上げられます。千葉のフリースクール、熊本教育委員会の不登校の子どもへの対応、山形県天童市の子ども中心の学び、さらにフランスのエデュケーター、韓国の代案学校についての紹介があるようです。
127日(土) 19:3020:15 NHK総合 第1部『“学校”のみらい 不登校30万人から考える』
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/Z1241VLZP5/

22時からの第2部は、当事者・専門家・文部科学省・自治体教育長の話し合いです。
127日(土) 22:0022:49 NHK総合 第2部『話そう!“学校”のみらい 不登校30万人から考える』https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/2QPMZZR5XK/

もしお時間が許せばご覧ください。
感想などもぜひお寄せください。
できればこうしたテーマでサロンを開きたいと思います。
話題提供あるいは問題提起してもいいという方がいたら、ぜひご連絡ください。

なお、それぞれの再放送の予定も書いておきます。
1部:再放送予定枠 【総合】1/31(水)前0:35-01:19.30 ※火曜深夜
第2部:再放送予定枠 【総合】1/31(水)前01:20-02:09

 

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2024/01/24

■節子への挽歌5857:「万物の黎明」を読んでいます

節子

今日は朝からずっと「万物の黎明」を読んでいました。
人類史を根本から覆すという副題がある意欲作です。
昨日から読み出しましたが、面白いのですが、読みにくく、冗長です。
なんと700頁の本なので、読むのも大変ですが、これまで読んだ、いわゆるビッグヒストリーものとは違い、新しい気づきがあります。

図書館から借りているので、1週間で読了したいのですが、病院などもあり、読み終えられるかどうか自信がないので、今日は丸一日読んでいました。さすがに飽きます。
天気もよかったため読んでいるうちに寝てしまったとして、結局、昨日と2日かかって、200頁しか読めませんでした。しっかりとメモを取りながらではありますが。
でもまあこの調子でいけば何とか読み終えられそうです。

しかし1日、座っていたら腰が痛くなりました。
明日は少し歩こうと思います。

それにしても今年は年初から示唆に富む本によく出合います。
「宗教の起源」「反資本主義」に次ぐ3冊目が、この「万物の黎明」です。
しかしいずれも厚いのが難です。もう少し冗長さを整理してほしいものです。

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2024/01/23

■節子への挽歌5856:骨への転移はありませんでした

節子

時評編に書きましたが、骨への転移の確認のための骨シンチグラフィー検査の結果、骨への転移はありませんでした。
予定通り、陽子線治療の方向で進めていくことになりました。

待合室で検査を待っている途中、思い出して、伊藤雅昭医師がまだがんセンターに在籍しているかどうかを調べてみました。
伊藤雅昭医師は、節子の手術を担当してくれた、当時はまだ若手という感じでした。
とても誠実に取り組んでくれて、節子も私も全面的に信頼していました。
伊藤医師は、手賀沼のトライアスロンにも出場、わが家は家族みんなで応援に行きました。

節子が亡くなった後、残念ながら縁が切れてしまいました。
責任は私にありますが。

伊藤さんは、いまも在籍していました。
そしてなんと外科医長になっていました。
急に会いたくなりましたが、もう忘れられているでしょう。

ちなみに今日、私が骨シンチの検査をした場所は、節子がPET検査をした病棟でした。
雰囲気が当時のままだったので思い出してしまったのです。

骨への転移は起こっていませんでしたが、今日はいろんなことを思い出してしまった1日でもありました。

 

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■前立腺がん治療体験報告5;骨への転移はありませんでした

今日は朝からがんセンター東病院で骨への転移の有無に確認のための骨シンチグラフィー検査でした。骨への転移があれば、陽子線治療はできません。
ですからこの検査結果次第では、これからの取り組みが全く違ってくるのです。
娘はドキドキしていましたが、私はワクワクしていました。

まず845分に病院で受付を済ませ、放射性薬品を静脈注射で体内に入れます。
その後3時間半経過後、その薬品が発する放射線の動きを撮影することで、転移の有無がわかるのだそうです。
まあそういわれてもよくわかりませんが、要するに体内に入れた放射性薬品は早く体外に出した方がいいので、注射後は水をたくさん飲むことを勧められました。

3時間半後に、30分かけて全身の骨の様子を撮影します。
これはただ横になっているだけの負担のない検査です。
そしてその結果を主治医から説明を受けました。
幸いに転移はなく、正常でした。
しかしはじめて私の骨格の写真を見ました。

気やすい医師であれば、写真をくれませんかと言えたのですが(たぶん有料ですが、もらえるはずです)、まだ親しくないのと謹厳な雰囲気の医師なので言えませんでした。

ちょうど、同じ今日、別の病院で診察していた人が、スマホで自分のデータを教えてきてくれました。
それによれば、PSA値のほかに、グリソンスコアというのがあるのだそうです。医師に訊いたら私は8だそうで、転移しやすい高リスクのがんなのだそうです。
でもすぐ転移はないようです。
予定通り、ホルモン療法をつづけながら、しばらくは治療可能な状況に戻し、それから陽子線治療に入る方向です。

ちなみに、ホルモン療法は今日で1週間目です。
副作用に関してホルモン療法の説明小冊子に書かれていましたが、いまのところ異常は感じられません。
これまで重ねてきた民間療法のおかげでしょうか。
ワルサくんにも、一緒に癌を抑えよう(正しいワルサくんに戻ろう)と呼びかけています。

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ちなみに最近新しい民間療法に出合えていませんので、何かあったら是非教えてください。
普通の庶民ベースで取り組めるものに限りますが。

 

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■「お金は世界のあらゆる悪行の父」

話題になっているデヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングロウの共著「万物の黎明」を読んでいます。
頭脳の構造が違うのか文化が違いすぎるのかわかりませんが、欧米人の書いた本は私はなかなか理解しにくいのですが、本書もなかなかすっきりと頭に入ってきません。もう少しストレートに書いてほしいですが、いかにもソフィストケートされていて、あまりに多義的な表現が多すぎます。

でも感動する文章もある。
たとえば、ネイティヴアメリカン、つまりアメリカ大陸先住民のイロコイ族のカンディアロンクが欧米人に向けて言った言葉です。フランスの貴族が記録してくれています。
ちょっと長いですが、引用しますので、ぜひ読んでください。
当時(1700年前後)、世界を席巻しつつあったヨーロッパ文化への批判です。

「私は6年間、ヨーロッパ社会のありさまを考察してきましたが、彼らの行いが非人間的ではないとは、いまだいささかも思えません。あなた方が「わたしのもの」と「あなたのもの」との区別に固執するかぎり、それに変わるところはない。そう心から考えています。あなたがたがお金と呼ぶものは、悪魔のなかの悪魔、フランス人の暴君、諸悪の根源、魂の悩みの種、生者の処刑場である、こうわたしは断言します。お金の国に住みながら魂を生き長らえさせることができる、このような考えは、湖の底で命を長らえさせることができるという考えとかわるところがありません。お金は、贅沢、淫乱、陰謀、策略、嘘、裏切り、不誠実の父であり、世界のあらゆる悪行の父なのです。父は子を売り、夫は妻を売り、妻は夫を裏切り、兄弟は殺し合い、友人は偽り合う。すべてはお金のためです」。 

アメリカ先住民の文化は徹底的に壊されてしまい、多くの日本人の頭の中には残虐なインディアン・イメージが大きいと思いますが、そうし思い違いを、この本は気づかせてくれます。
マーシャル・サーリンズの「石器時代の経済学」に出合った時と同じ感動をもらっています。

ちなみに本書の副題は、「人類史を根本からくつがえす」とあります。
この種のビッグ・ヒストリーの本は、ハラリやジャッジ・ダイアモンドなど、最近はやりですが、私にはみんな退屈でした。でもこの本は面白そうです。冗長で読みにくいのが難ですが。

問題はともかく厚くて、重いことです。1週間では読めそうもありません。

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2024/01/22

■節子への挽歌5855:人に会っておく「終活」

節子

田中さんから電話があり、会計検査院に訪問する日程を決めました。
元気そうでした。
まあどんな薬食につこうと私には最初に会った時の田中さんです。
役職や世間の評判で人が変わったようになる人もいますが、彼女はそういう人ではありませんし。

湯島でいろんな人と会っていると、そういう「人の変化」にはよく出会います。
そういうことは私よりも節子は敏感に感じていました。

有名になったり、要職についたりすると、途端に態度が変わる人は、その前にもわかります。
会ったとたんにわかる人もいる。
要するに、ある意味での差別主義が表れているのです。
そういう人には、私も正直に嫌悪感を示します。
でもそういう人ほど、自らには気づきませんから、私が嫌われることになり、2度とこなくなります。
ということで、私は守られているのかもしれません。

田中さんもそうですが、またしばらく会っていない人からの連絡が入りだしました。
今日は福岡の西川さんが会いに来ると連絡が入りました。
西川さんも節子の葬儀にも参加してくれました。
一応、会う目的は書いてありましたが、あまり納得できるものではありませんでした。

そういえば、昨日のサロンで石川さんが、いま「終活」でしばらく会えていない人に会いに行っていると言っていました。
これは西川さんの「終活」でしょうか。
いや、私の「終活」の手伝いでしょうか。

明日は、1日、国立がん研究センター東病院です。
ちょっと滅入ります。

 

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■1月オープンサロンの報告

1月のオープンサロンは寒い雨の日だったので、果たして参加者はあるだろうかと思いながら私も湯島に行ったのですが、全く初めての人も含めて10人近い集まりになりました。
そのうえ、寒いからと言って、神田明神の天野屋の甘酒と胡麻饅頭の差し入れもありましたし、議論も新しいプロジェクトの立ち上げ予告もありました。

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初参加の方は、オープンサロンなら敷居が低いと思い参加したと言ってくれましたが、どうも湯島のテーマサロンは敷居が高いように感じられるようです。
実際に参加してくださった方は、たぶん敷居など感じないだろうと思うのですが、サロンはあくまでもサロンで、勉強会や講演会ではありませんので、どうぞ気楽にご参加ください。

誰もが同じ立場で、気楽に本音で話せる。
上から目線で、知識や考えを押し付けるようなことはしない。
わからないことは気楽にわからないと言える。
今年も、こうしたことを大事にしながらサロンをつづけますので、よろしくお願いします。

サロンをやりたい方、たとえばこんな問いかけをしてみたいとか、こんなことをみんなに訊いてみたいとか、仲間を募りたいとか、そんな方は気楽にご連絡ください。サロンを企画しますので。

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2024/01/21

■節子への挽歌5854:みんな活躍してますよ

節子

節子もよく知っている田中弥生さんが、会計検査院の院長に就任しました。
この職は総理が任命する政府機関の重要な仕事です。
最近は会う機会がありませんが、田中さんの活躍ぶりは目覚ましいものがあります。

田中さんだけでなく、節子も知っているいろんな人がどんどん活躍しています。
社会から脱落している私とは大違いです。
俗物の節子だったらさぞ喜んだことでしょう。

田中さんにおめでとうというメールを送り、また湯島にも顔をだしてくださいと伝えました。
そうしたら早速に、一度、執務室に来ないかとお誘いがありました。
着ていく服も靴もないと返事をしましたが、カジュアルでもいいので、というので一度、伺ってみようと思います。
何しろ会計検査院の執務室にはそう簡単には入れませんから。

以前、友人のジャーナリストに頼まれて、通産省の局長の友人の部屋を訪れたことがあります。秘書もいて、別室まである立派な部屋でしたが、あまりにカジュアルな感じで行ったので、彼には迷惑をかけたかもしれません。
当時はまだ今ほどカジュアルな雰囲気は職場にはありませんでしたから。
でも彼はその後事務次官になったので、私との付き合いが邪魔したことはなかったようです。

まあそんなこともあるので、田中さんの迷惑になってはいけませんが、歴史ある執務室を訪問するのは興味があります。
ランチもご馳走してくれるというので、それも楽しみです。

まあ、どんなに偉くなろうと、私にはずっとあの「田中さん」ですから。
社会の権威構造から自由になると生きやすいですが、でも少しは気を使わなければいけません。以前は、いつも節子にチェックしてもらっていましたが、まあそれくらいの良識は私にもあると思いますので、それなりの服装で行くつもりです。
少なくとも、サンダルは控えようと思います。

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■湯島サロン「戦争ができる国からの解放」のご案内

長年、平和や基本的人権の問題に取り組んできた川本兼さんが、1月に『戦争ができる国からの解放――日本と世界を変えなくては平和を獲得できない』を三一書房から出版しました。
https://books.rakuten.co.jp/rb/17728597/

日本ではむしろ「戦争ができる国」に向けての動きが加速しているように思いますが、いまこそ、国家が行う戦争とは一体何のか、どうしたら「戦争ができる国」「戦争ができる国際社会」を変革することができるのかを、考えるべき時ではないかと思います。

川本さんはこの本を、「私は、現在行われているロシアによるウクライナへの侵攻は、これからの日本国民の運命に決定的影響を及ぼすかもしれないと危惧しています。それは、この戦争によって、日本国民の多くが『正義の戦争』を感じてしまいかねないからです」と書きだしています。
私も、ウクライナ戦争勃発以来、そうした危惧を痛感しています。一見、ウクライナ戦争反対と言いながら、実際には戦争に加担しているような言動が、私のまわりにも多いからです。まさに「善意こそが地獄への道」の不安を感じています。

川本さんは、この本のあとがきで、「反徴兵法」の制定を提案しています。
戦争を起こすのは国家政府ですが、その国家の行う戦争の手段とされるのは国民です。私はこのことを以前からずっと不思議に思っています。国家政府は国民のためにあるはずなのに、どうも国家のために戦争に駆り出される。主客が転倒しているように思えてならないのです。「お国のため」という発想が、あれほど批判されたのに、最近はまたみんな「お国のため」の論調に従いだしているのではないか。そんな気もします。

「戦争ができる国」「戦争ができる国際社会」を変革するには、各国国民が平和を権利として一つ一つ獲得していかなくてはなりません。だからこそ、その基本的人権としての平和獲得運動(=「平和のための革命」運動)の一環として、わが国においては先ず反徴兵法制定運動を起こそうというのが川本さんの呼びかけです。そういう思いの人が集まれば、「戦争ができる国からの解放」も夢ではない、と川本さんは考えているのです。

一緒に行動していく人を川本さんは探しています。日本と世界を変えようと考えている人たちに、ぜひとも参加していただければと思います。

〇日時:2024年2月25日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「戦争ができる国からの解放」
〇話題提起者:川本兼さん(平和に取り組む思想家)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

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2024/01/20

■節子への挽歌5853:兄との会食

節子

寒い日です。
兄から昼食を誘われました。
まあ最近の病気の状況を報告しようと思っていたので、会うことにしました。

兄はこの5月で90歳です。
いろんな病気を抱えていますが、いまも週1回、松戸の小学校にボランティアで通っています。子どもたちの人気もあって、なかなかやめられないようです。

私と兄が2人で会うと必ず言い争いになるので、最近は必ずユカが同席します。それにユカが車でお互いを送迎してくれるので、便利なのです。

兄は私の病気も心配でしょうが、自分の病気のことも話したいのです。
その話を聞かされるユカも大変ですが、兄夫婦は娘たちと同居していないので、話し相手がいないのでしょう。まあそう思えば、時々会って話を聞くのが弟の責務かもしれませんが、私はそういうのが全くダメなのです。

しかし兄も90歳。
自分でも言っていますが、いつどうなってもおかしくない。
まあ私もそうですが。
そうおもうともっと頻繁に、気持ちよく会食できるといいのですが、それが難しい。

年取っての兄弟づきあいは、それなりに難しいのです。
お互い、わがままになりすぎるのでしょうか。

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■節子への挽歌5852:ぴょんぴょんうさぎ

節子

にことの半年にわたる交渉案件が解決しました。
もめていた案件は、にこの夏休みの宿題の工作作品「ぴょんぴょんうさぎ」をFBで紹介していいかどうかです。
最初にちょっとしたすれ違いがあり、にこはダメだと言い、掲載するかどうかを賭けて手賀沼公園での対決競走などいろんなやり取りがつづいていたのですが、賛否の決着がつかず、いつも合意に至らなかったのです。
全く頑固だなというと、にこはしつこいなあと反論してきます。ゆかは、どっちも同じだなといいますが、お互い意地になって膠着していたのです。こまったものです。

その作品は、最後は千葉県の作品展で入選し、千葉市教育委員長賞をもらい、トロフィーをもらってきていました。トロフィーはプラスティックで軽いんだよと見せに来ましたが、その時も作品のFB掲載の許可は出ませんでした。
ところが、どういう風の吹き回しか、今日、突然、掲載の了解が出たのです。
もしかしたら、先日アップした歯みがきポスターの評判がいいよと、ゆかが孫に伝えたのが、理由かもしれません。にことゆかとの関係はわたしとちがって、とてもいいのです。

にこによると、磁石をいじっていたら、磁石同士が反発してうさぎのようにぴょんと跳ねたので、母うさぎの「ごはんですよ」の声に喜んでバラバラのタイミングで跳ねる8人きょうだいをつくったのだそうです。8人きょうだいの表情はみんな変えたのだそうです。

もっとも作品はいろんなところ回ってきたので、ボロボロになってしまっていたので、つくった時に撮影したものを送ってもらいました。
動画を載せますが、おもしろいです。

https://www.facebook.com/cwsosamu/videos/1422873715250897





 

 

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■湯島サロン「国際社会探究講座〜ロシア・ウクライナ関係を読み解く〜」報告

今回のサロンは、ちょっと違ったスタイルのサロンでした。

企画はnikoさんたちの湯島平和サロンで、主催は立初創成大学設立準備財団。場の提供がCWSコモンズ村でした。でもまあ、実際にはいつものようなサロンでしたが。
ただ参加者は20人を超えての大盛況でした。

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報告は、主催者であり話題提供者の樋口祥子さんが書いてくれました。それに、場の提供しかしていない参加者の私の感想も加えて、報告にさせてもらいます。

まずは樋口さんからの報告。

今回ご縁をいただき、国際社会探究講座「ロシア・ウクライナ関係を読み解く」を実施させていただきました。
たくさん集まっていただけると嬉しいな、と思って当日サロンへ足を運ぶと、なんと20名以上の方がお越しくださり、椅子が足りず立ち見まで。予定を超え3時間以上に及ぶ大変充実したひと時となり、日頃よりサロンに集い議論を交わされる皆様の熱気を感じるひとときとなりました。

近くて遠い、日本人が意外と知らないロシア。
なぜウクライナ侵攻が起きたのか?現地の人はどう考え生きているのか?ロシア・ウクライナ関係を通して見える、国際社会のリアルな姿
は?
今回の目的はこれらを、なるべくファクトの積み上げから読み解くことです。

初めに、そもそもご参加の皆さんが「ロシア」に対してどのようなイメージを持っているのか。ポストイットに書いていただきました。
出てきたキーワードは、「民族音楽」「ロシア文学」「文豪トルストイ」「バレエ」。それから、「広い凍土」「不毛地帯(シベリア抑留)」「広大」「遠い国」。さらに、「エカテリーナ女帝」「プーチン帝国」「スターリン」「KGB」「多民族国家」「あまり自由がない国」・・・。

その後は、ミニクイズを通して、①ロシアとウクライナの関係、②ロシアとそのリーダー、③なぜこの2国が衝突するのか、④関係するのはロシアとウクライナだけか、というトピックを一つ一つ読み解いていきました。
クイズの途中で、最初に書いていただいたポストイットを時々振り返りました。すると、なかには興味深いことに、出されたクイズに対して、付箋に書いたことと真逆の解答をする方が出てきました。例えば付箋で「自由がない国」と書いていた方が、「ロシアの人は情報に自由にアクセスできる」、「プーチン帝国」と書いていた方が「ロシアのリーダーは私利私欲で好き勝手やっているわけではない」と解答しはじめる、といった具合に。
流れてくる情報をそのまま呑み込むことから一歩踏み出す。「それってほんまなん?」と問うて、自ら情報を取りにいく。そのことの重要性を感じる一幕でした。

後半のディスカッションは大変頭を使うものでした。特に大きな議論になったテーマは「国とは一体何なのか?」。大変本質的なテーマです。
参加者の中からは、「本来は国というものなんてなくても良いはず」「国という形があった方が都合の良い人たちがいるのでは」「争いの火種を作っている元凶」「国という形ではなく、世界中で個人と個人とがつながり、互いに助け合う関係を作ることが望ましい」という興味深い数々の意見が出されました。

また、実際にロシアやウクライナを訪れたことのある方から、現地の人とのエピソードがいくつか紹介されました。
私たちはつい「この国がこう言っている」「あの国がこうした」と国単位で話しがちですが、ひとくちに国と言っても、「政府」と「国民」は全く考えも違います。それ以外にも、企業や同盟やさまざまなアクターが絡み合っています。ロシア・ウクライナ関係も、他の国際問題も、そのように主体別に切り分けて捉えていく必要があるということをあの場で再認識できたのは、大事なことであったかと思います。

自身はこれまで、ロシア駐在を含むいくつかの海外経験を経て「国際社会のリアルってこうなの?!」と驚くことや、外国の姿を鏡にして自分の国を振り返る機会をいただいてきました。そのエッセンスを、少しでも共有することができたならば、そして「それってほんまなん?」と問い、探究することの楽しさを体感いただくことができたならば、とても嬉しく思います。

最後に、今回はたくさんの方と実際にお会いしてお話をさせていただき、とても楽しく、元気をいただいたひとときとなりました。今回のテーマにもつながりますが、人と人とがこうやって実際に集い、共に時間を過ごし、そのご縁と絆の網目を作っていくと、それが危機の時に不安や困難を受け止める温かいネットになるのではないかなと思います。素敵な皆様と出逢わせていただいたご縁に感謝をいたします。貴重な機会を頂戴し、ありがとうございました。

以上が主催者の樋口さんからの報告です。
以下はサロンの場を提供させてもらった私の感想。

よく、人は「見たいものしか見ていない」と言われます。同じものを見ていても、人によって受け取り方は違います。しかも、直接的な接点が少ないものは、世間に伝わっている情報によって捉えがちです。ということは、もしかしたら、私たちは、マスコミによって与えられる「見せたいもの」しか見ていないのかもしれません。与えられた情報で世界を見ている危険性。樋口さんの問いかけは、そのことを気づかせてくれるものでした。ちなみにネットによる情報探しもまた、「見たいもの」になりがちです

しかも、言葉によって世界は構成されてしまいます。
たとえば、ロシアという言葉には多様な意味がある。同じロシアでも、ロシア政府とロシア国民では大きく違うでしょう。政府はウクライナ戦争をしているとしても、ロシア人がウクライナ戦争をしたいと思っているわけではない。それに日本人がそうであるように、人によって考え方は大きく違います。ひとくくりで「ロシア」といってしまうことなどできるはずもない。でも私たちは言葉によってしか話し合えず、しかもその「言葉」に自らの思考さえも影響を受けます。そこにも大きな落とし穴がある。
与えられた情報や既存の言葉ではなく、できるだけ現場に近い事実や自分の言葉で世界を見ていくことが大切ですが、それが難しい。

今回は、樋口さんの友人のロシア人のジーマさんが参加してくれました。
ジーマさんは、今回のサロンでもみんなの話し合いをどう感じていたでしょうか。
最後に一言話してもらいましたが、その最後に、みなさん、日本という国が好きですか、という問いかけがありました。
私は好きなのですぐ手を上げましたが、意外と少なかったのが驚きでした。
どこかでみんな「愛国心」という言葉をイメージしてしまうのかもしれません。
愛国心を求められて戦争に動員された歴史もありますが、私は本当の意味で自分の国を愛していたら、戦いには行かないと思っています。
愛している国に、戦争など起こしてほしくないからです。
愛している家族や友人に犯罪を犯してほしい人はいないでしょう。

そんなテーマのサロンを改めてやろうと思います。

ちなみに樋口さんのロシアでの生活体験を話してもらうサロンができたらいいなと思いました。ジーマさんにも参加してもらって。
お願いしてみようと思います。

Uku202401113000

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2024/01/19

■節子への挽歌5851:体調がまたおかしくなってしまいました

節子

今日は朝から川口のコミーに行っていました。
節子も知っているコミーの創業者の小宮山さんの本づくりを友人に頼んだのですが、その準備活動に協力しているのです。
小宮山さんは、湯島の維持のために支援してくれているので私も彼のために何かしてやりたいのです。

ところが今日、小宮山さんたちと話していて、なんとなくお腹の具合が悪くなってきました。
そういえば、1年半前、コミーからの帰路の電車の中でやはりお腹の具合が悪くなり、翌日、病院に行ったら即入院になったのです。
考えてみれば、あの時以来、私の病気生活が始まったのです。
そんなことを思ったら、ますますおかしく苦しくなってきた。

そんなことでみんなを心配させてはいけません。
いささか無理をして元気を装いましたが、やはり苦しい。
でもしばらく我慢したら、快方に向かいました。
危ういところでした。

でもやはり大事にしなければいけない。
前立腺がんばかりに目を向けてはいられません。

しかし、コミーからの帰りの電車で、にこからメッセージが入りました。
うれしいニュースでした。
半年前から交渉していたにこの工作作品の動画を私のフェイスブックにアップしてもいいというのです。
どういう風の吹き回しでしょうか。

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2024/01/18

■節子への挽歌5850:ちょっと元気の出る人に会いました

節子
今日はちょっと元気の出る人に会いました。

長年我孫子の市議会を傍聴し、いわゆるベリングキャット活動をしている横手さんが、引き合わせたい人がいると言って、市議の澤田さんを紹介してくれました。
アントニオ猪木さんの弟子であり、10年ほど前から我孫子市の市議をやっていることは知っていましたが、これまでは接点はありませんでした。
しかし昨年末、議長選挙の際に(私には見事と思える)行動をしたのです。
その話を横手さんからお聞きして、私も会いたくなったのです。

会ってすぐに彼の人柄が伝わってきました。
私がほめ言葉で使っている「ばかな人」なのです。
初対面ですぐに知己を得た感じでした。

2時間ほど話しましたが共感する話ばかりでした。
こういう人がいると思うだけで、時代が変わっていく期待が持てます。
なんだかたくさんの元気をもらったようで、楽しい2時間でした。
彼に役立てる何かができるといいのですが、そのためにも、病人になどなってはいられないと思いました。
そして長年、やろうと持っていて先延ばししていたことに今度こそ取り組もうと思います。

やりたいことというのは、我孫子の未来をどうしたいのかを、すべての市会議員から聞き出す集まりをやろうと思うのです。
集まりというか、そういう仕組みを作るということです。
さて、遅くも4月からはじめようと思いますが、そのためにもやはり病気の進行は少し待ってもらわないと困ります。
がん細胞のワルサくんにも協力をお願いしようと思います。

澤田さんの話もいろいろと書きたいですが、それはいつかまた。

 

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■デヴィッド・ハーヴェイの『反資本主義』をお薦めします

いまの社会の流れを変えたいと思っている人に、ぜひ読んでほしい本に出合いました。
デヴィッド・ハーヴェイの『反資本主義』(作品社)です。
https://sakuhinsha.com/politics/28393.html

書には、なぜ新自由主義的資本主義が広がり、いまそれがどういう状況に置かれているか、そして、そうした状況を打開し、新しい道を切り開いていくためにはどんなシナリオがあるのか、が示唆されています。
類書は少なくありませんが、時代の流れを大きく把握し、先を実践的に展望するために、大きな示唆をもらえる本です。

特に私が共感したのは、コロナパンデミックで大きく変わってしまった状況にあるいまこそ、ある意味での「好機」ではないかとの著者の指摘です。
たとえば、著者は「この緊急事態のまっただなかにおいて、われわれは実にさまざまな代替的体制を実験している。貧しい人や被災地域や被災集団に対する基礎食品の無償提供であり、無料の医療処置であり、インターネットを通じた別種の通信交流環境などだ。実際、新たな社会主義社会の輪郭はすでに明らかになりつつあり、だからこそおそらく右翼や資本家階級も不安のあまり、以前の状態に人々を連れ戻そうとしている」というのです。そして、「今という瞬間は代替的社会を築くために、この社会主義的想像力を駆使できる時ではないのか? これはユートピアではない」とはーヴェイは呼びかけます。
さらに、この好機を活かすために、民衆教育としての社会運動の必要だというのです。

残念ながら、しかし現実は、ハーヴェイも危惧している通り、むしろ以前の状況に戻そうという動きの方が大きいように思います。多くの人の意識も、それに同調していますし、むしろ以前よりもさらに新自由主義的資本主義の流れに身を任せようとしているようにも感じます。
新自由主義的資本主義は、明らかに破綻指定と思うのですが、その一番の被害者こそが、その流れを守ろうとする。これはこれまでも繰り返された歴史の教訓でもありますが。

それはともかく、本書はぜひ多くの人に読んでほしい気がします。
できれば、以前お薦めした『資本主義の次に来る世界』も併せて。

ちなみに、本書には、ウクライナ戦争勃発時の論考「ロシアのウクライナ侵攻をどう見るか-暫定的な声明」が付録として併載されています。
いまなお示唆を与えてもらえる小論です。よかったらこれだけでもぜひ。

 

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■湯島サロン「不登校やひきこもりの子どもや人に家族として出来ること」報告

摂食障害、ヘビーリストカッター、精神疾患、不登校、ひきこもりだった2人の娘たちを「世界一素敵なママ」に育てた土佐みやえさんの、体験談も踏まえた「家族として出来ること」を話してもらうサロンは、10人が参加しました。
それぞれに当事者的な関心をお持ちの方ばかりで、土佐さんの話の後、自らの事例を話したり、アドバイスし合ったりの話し合いもあり、翌日、土佐さんからも参加者からもたくさんの示唆をもらったというメールが届きました。
やはり体験知・実践知の話し合いは多くの気づきをもらえます。

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土佐さんは、「心穏やかに暮らすために、私達家族ができる事」と題して、まずはご自分の体験話から話しはじめました。
摂食障害、ヘビーリストカッター、精神疾患、不登校、ひきこもりの2人の娘をもった土佐さんは不安な日々の中で、希望の光を求めてお医者さんに行ったのですが、そこでの処方は薬だけ。そこで自分がやるしかないと覚悟を決めて、自分にできることって何だろう、と試行錯誤を始めたのです。

孤独と罪悪感の毎日のなかから、行き着いたのが、「トコトン話の聴けるお母さんになろう」ということでした。それから「家庭内傾聴」について学びだし、実践知を重ねてきたのです。
そうした中で、気づき学んだことを、とてもわかりやすく話してくれました。

土佐さんは、ともかく「本来(ありのまま)」を認めることからはじめることが大切だと言います。しかし、「ありのまま」とは意外に難しい。
そのことを、「ありのままゲーム」でみんなに体感させてくれました。
相手の「ありのまま」に気づくには、まずは自らが持っている「自分のフィルター」に気づかないと、相手のありのままは見えてこない。
問題を抱えている人が、その問題解決のための知識を身につけすぎて、逆に問題が見えなくなっていることに、私もよく出合います。土佐さんの「ありのままゲーム」は、そのことに気づかせてくれました。

家庭内傾聴に関しては、「心通う話の聴き方」を中心にわかりやすく解説してくれました。たとえば、アドバイスはできるだけ控える、沈黙を恐れない、あるいは言葉を聴くのではなく気持ちを聴くこと、などなど。ともかく、積極的に、能動的に、肯定的に、相手の話を聴いていくことが大切だと言います。
そうしたことにより、お互いの信頼関係が築け、安心感が得られていくことで、自立へとつなげて行ける糸口が生み出される。

家庭内傾聴に加えて、自己内傾聴(自己との対話)も大事です。そして、それぞれの人生と距離感に関しても、まさに「ありのままに」しっかりと理解し、受け入れることが大切だと言います。たとえば「Yes and の会話」が大切だというような話もありました。
しかし、親が子供のことを心配して気遣うあまり、その「親の不安」が、逆に子どもに重くのしかかり、自分の不安だけではなく親の不安も背負い込んでしまうこともある。親子といえども、それぞれの人生があり、お互いの生き方や距離感をきちんと理解し合わなければいけません。

そうしたことを重ねて、家庭を「ホッとできる場、リラックスできる場にする」(安全基地)にしていくことが大切だと、土佐さんは言います。そのためにも、「あかるく、あせらず、あきらめない」ことが大切。問題を解決することよりも、お互いに尊重し合うこと。
つまり、不登校とかひきこもりとかが問題なのではないのです。問題はもっと根本的なところにある。今回は、ここまではあまり議論にはなりませんでしたが、行動(「なる」)よりも存在(「ありのまま」)を大事にする、Not doingbut beingという話もちょっとだけありました。

最後に土佐さんは、「正しいお母さんより楽しいお母さん」をめざそうと言いました。
ハーバード大学の調査では、幸せに生きているとそれだけで、日々周りに接している家族や友人が、幸せを感じる可能性が15%も高まるのだそうです。
もちろん、ここは「正しいお父さんより楽しいお父さん」と言い換えてもいいでしょう。

私も時々、ひきこもりなどの相談を受けますが、子どもの引きこもりを問題にする前に、まずは親が自分の引きこもりに気づくことというのが、私の考えです。それを実践しているのが土佐さんのようです。

土佐さんは、家庭内傾聴ファシリテーターとしてこれまで長年、さまざまな家庭の問題にかかわってきています。
土佐さんの活動は次のサイトをご覧ください。
https://kateinai-keicho.com/

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2024/01/17

■節子への挽歌5849:ホルモン療法を開始しました

節子

いよいよ前立腺がんの治療を始めました。
国立がん研究センター東病院の医師の指示に従って、東邦病院でのホルモン療法です。
相変わらずほとんど説明がないのが不快ですが、聞いてもまたわからないのも事実なので、素直に受けることにしました。

まずは様子を見ながらの1か月沖の注射と毎日の薬の服用です。
注射に関しては看護師が副作用に関してパンフレットを使って説明し、薬は薬剤師がパソコン画面を見ながら説明。いずれも全く頼りない。
でもまあ治療を受けると決めた以上は、ともかく副作用が出ないように対抗力を強めなければいけません。
要するにこれまでの民間療法を継続するということです。

しかしなんとなく「病人」になったという気になってきて、いささか滅入ってしまいます。
副作用が出なければいいのですが。

それにしても、いまの医療体制は改めてひどいものだと感じます。
相変わらず医師は「先生」なのでしょう。
それにしてはあまりにたこつぼ的な知識と関心しかない。
まともな医師にはなかなか出会えません。

気が滅入ってしまい、早く寝ることにします。

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2024/01/15

■湯島サロン「新しい大学創設への取り組み」のご案内

現在の教育に関して、いろいろと問題を感じている人は多いと思います。湯島でも時々話題になりますが、これまでは幼児教育や小中学校が中心でした。
昨年末に新しい大学をつくろうとしている若者に出合いました。話を聞いていて、とても共感しました。その意気込みにです。未来への希望を感じました。

そのグループの代表でもある樋口さんからのメッセージをお読みください。

18歳の春、多くの若者が地方を離れます。都市一極集中が進み、地方の過疎化や少子高齢化が加速します。このことは、日本を支える一次産業・ものづくり産業の衰退や食料自給率の低下を招くに留まりません。ひととのつながりが薄れゆくことで、日本人が大切にしてきた地域コミュニティも失われようとしています。

しかし、日本の地方には誇るべきことがたくさんあります。
津々浦々、山や里で生きる人々の暮らしとその生き様。人々を支える「我もよし他人もよし」のコミュニティ。美しく厳しい自然と、守るべき歴史・伝統。
今こそ、地方に学び、地方から日本を甦らせる、各地域の、そしてこの国の「主人公」と言える人財を生み出す学び舎が待たれているのではないでしょうか。

現在、30代を中心とするメンバー12名で「立初(たてぞめ)創成大学」の設立構想を掲げ、これまでにない新しい大学を地方に設立することを目指しています。
今回は、湯島サロンにて機会を頂戴し、私たちがなぜ立ち上がったのか、どのような課題を解決したいのか、立初創成大学でどのような貢献ができるのかについてお話をさせていただきたいと思います。
みなさまと色々な意見交換もさせていただけますと嬉しく存じます。

いかがでしょうか。樋口さんたちの思いが伝わったでしょうか。
大学創設がテーマですが、その根底には社会のあり方や私たちの生き方への問いかけも含まれています。大学創設という言葉にこだわらずに、ぜひさまざまな方に気楽に参加していただきたいと思っています。きっと元気が出ます。

樋口さんたちが取り組んでいる新しい大学構想に関しては次のサイトをご覧ください。
https://tatezome-sosei-univ.studio.site

ぜひ多くの人に話を聞いてほしいと思います。みなさんの参加をお待ちしています。

◯ 日時:2024年2月5日(月)2時〜4時
◯ 場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
◯ テーマ:「新しい大学創設への取り組み 立初(たてぞめ)創成大学設立構想」
◯ 話題提供者: 樋口祥子さん(立初創成大学設立準備財団代表理事)
https://tatezome-sosei-univ.studio.site
◯ 会費:500円
◯ 申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

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■節子への挽歌5848:運がよければ節子に早く会えるかもしれません

節子

今日はロシアをテーマにしたサロンでしたが、参加者が25人になりました。
久しぶりの大盛況でした。
節子がいたころのサロンを思い出しました。
あの頃は、よく20人を超えていました。
頻度も少なく、ビールも飲み放題でしたから。

サロンはその後スタイルを大きく変えました。
節子が遺してくれた貯金はほぼすべてなくなったので、参加費をもらうようになり、さらにいろんな形で支援をもらうようになっています。
それでももちろん湯島の維持には程遠く、何とかしなければいけません。
それで今日は、午前中は仕事の打ち合わせでした。
湯島に維持には、月20万円ほど必要なのですが、それを確保するのはかなり大変なのです。
でももうだめかと思と必ず救いがやってくるのです。

経済的な救いだけではありません。
精神的な救いもやってきます。
サロンをやっていて良かったと思えるようなことが起こるのです。

むしろ今心配なのは私の健康状態です。
最近、気のせいか、いろんな問題が出始めています。
運がよければ、思ったより早く節子に会えるかもしれません。

 

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2024/01/14

■節子への挽歌5847:日めくりカレンダー「ワハハ」

節子

笑いヨガをやっている櫻井さんから届いたものの一つは、日めくりカレンダのワハハです。よければこれで1日1回笑ってみてください、というのです。声を出さなくてもお腹を動かしてわらう、口角を上げてるだけでも大丈夫だそうです。
ちなみに、今日は「食は体を作り 笑いは心を作る」というバナナ笑いの勧めです。
さてさて。

私は、一人で何かをやるのが苦手です。でも複数でやるのはもっと苦手。
困ったものです。
でも櫻井さんのお勧めですので、やってみました。
あんまり気は進みませんが、まあとりあえず3日間はなんでもやってみるというのが私の信条なのです。

気分が変わるといいのですが。
今はまだ変わりませんが。

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■前立腺がん治療体験報告3;また期待がはずれました

ちょっとがっくりして、報告できずにいましたが、1月11日に、国立がん研究センター東病院での診察が始まりました。昨年末に採血していた結果が出ました。今度こそ成果が出ると期待していましたが、結果は真逆でした。
PSAはまた元の水準に戻ってしまったのです。
なにやらがっくりして気力を失ってしまいました。困ったものです。

治療は、とりあえずホルモン治療から入ることになりました。これも副作用がかなりありそうですが、素直に受け入れることにしました。それが当初からの方針ですので。

問題はしかし、状況が改善されていなかったばかりでなく、肝臓や胆嚢などに関する異常値が出てきたのです。
忘れていましたが、1年前、それで緊急入院し、それこそが私にとっての最大の問題なのです。その予兆はありますので、一気に落ち込んでしまったのです。なんだか気が萎えてしまいました。

と思っていたら、がんセンターからの帰路、ラフターヨガをやっている友人からメッセージが届きました。届けたいものがあるので住所を教えてほしいというのです。なにやら「笑っていただけるモノです!」と書いてあります。「そろそろ私の出番かな?と思いまして(笑)」ともあります。彼女からは癌を直すのは笑いが大切とラフターヨガに誘われているのですが、私はいつも断っているのです。
さて何が届くのか。ちょっと元気が出ました。

というのが11日でした。
翌日は別の病院での脳神経外科の定期検査で、脳のMRIを撮りました。結果は安定でしたが、私はここにも奇跡を期待していたのです。消えかかっている血管が復活するという奇跡を、です。期待はかなえられませんでした。

一生懸命取り組んだ民間療法はいったい何だったのか。
がん細胞のワルサくんとはコミュニケーションできたのではなかったのか。
ますます無力感に陥り、報告を書く元気が出ませんでした。

でも2日経って、やっと元気が出てきました。
何しろ今日は久しぶりに深い青さの晴天ですから。
陽射しを浴びてうとうとしてしまっていたら、元気が戻りそうです。
体勢を立て直そうと思います。

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2024/01/13

■節子への挽歌5846:にこの歯磨きポスター

節子

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にこが去年の春に、歯みがきポスターが入選したという話を聞いていました。
でもいろんなところを回っていて、返してもらえないというので見せてもらえませんでした。
ところが、アビスタでの最後の展示会が終わり、返してもらったそうです。

そして今日、家の中の部屋のドアに貼りだされていました。
思っていたのとは全く違うので、ほんとにこれなのか、と念を押してしまいました。
これまでのにこの書いたものとも雰囲気が違う。
にこの違った一面を見た感じです。

にこに話すとまた拒否されそうなので、黙ってフェイスブックにアップしました。
その反響がすごいのです。

節子はこの絵を見てどう思うでしょうか。

 

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2024/01/12

■節子への挽歌5845:今日も奇跡は起こりませんでした

節子

昨日に続いて今日も病院です。
今日は名戸ヶ谷我孫子病院で、脳新家外科。1年ぶりに脳のMRI検査です。
異常はなかったのですが、期待していた奇跡の血管復活は起こっていませんでした。
昨日に引き続きの期待はずれ、ますます元気が萎えてきました。

そのうえ、昨日の血液検査で、いくつか新しい問題が出てきましたが、今日確認してもらったら、1年前のここでの血液検査では異常はなったようです。
となると、やはり何かが急変している可能性はあります。
はやく胆嚢異常に取り組んだ方がよさそうです。
でも最近はそう簡単には病院には行けません。紹介状がないと難しい。
困ったものです。

なんだか頑張ってやっていた民間療法がすべて否定されたような気がしてきました。
少なくとも今日は休みましょう。
来週はまた病院や医師通いが続きますし。

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2024/01/11

■1月オープンサロンのご案内

1月のオープンサロンのご案内です。
オープンサロンは、テーマも全くなく、参加した人次第で話題も決まりますし、話題もどんどん変わります。話す人も聴く人もいるサロンです。
出入りもいつも以上に自由で、申し込みも不要です。
気が向いたら気楽にどうぞ。

〇日時:2024年1月21日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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■節子への挽歌5844:またまた期待が裏切られました

節子

今日は国立がん研究センター東病院で先日の血液検査の結果を聞いて、これからの方針を決める日でした。
かなり期待していたのですが、完全に期待に反した結果になってしまいました。
PSA値はまたデータが戻ってしまい、52の異常値でした。
しかもついでに検査した肝臓や腎臓など、いくつかの異常値まで見つかってしまいました。
この1か月、それなりに民間療法に取り組んできたのですが、全く成果は出てこなかったわけです。
さすがにがっかりしました。

主治医は秋元医師ですが、ホルモン療法から入ることになり、それはこれまでかかっていた東邦病院で行い、並行して東病院に通院することになりました。
量子線治療はやれるとしても4月頃からになりそうです。
まあしばらくは癌治療から解放されそうもありません。

主治医の秋元医師は物静かな医師ですが、誠実そうです。前回はあまりに問いかけもなく、いささか不信感を抱いてしまいましたが、無駄がないのでしょう。でも、医師にはやはり無駄や隙があってほしいと思ってしまいます。

病院からの帰路、ラフターヨガをやっている櫻井珠喜さんからスマホにメッセージが届きました。
届けたいものがあるので住所を教えてほしいというのです。なにやら「笑っていただけるモノです!」とかいてあります。「そろそろ私の出番かな?と思いまして(笑)」ともあります。一応、憎まれ口を書いて住所も伝えましたが、彼女からは癌を直すのは笑いが大切とラフターヨガに誘われているのですが、私は断っているのです。

さて何が届くのか。
みなさんの支えには本当に感謝しかありません。

期待が外れていささか元気をなくしていましたが、元気づけられました。
彼女には前もなぜか指先の空いた靴下をプレゼントされました。
私はあまり靴下ははかないので、まだ履かずに残していますが。

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2024/01/10

■節子への挽歌5843:生きるということはたくさんの幸運に支えられている

節子

能登半島地震の被害状況が日を追って明らかになってきています。
哀しい話がたくさん報道されています。
つくづく人のいのちのはかなさを感じます。
生きるということは、本当にたくさんの幸運に支えられているのです。
とともに、生死の分かれ道はほんとにちょっとした違いからなのだと思いしらされます。

時々、節子を思い出します。
あの時、ちょっとした違いで、節子は死んでしまったかもしれない。
しかし、あの時、ちょっとした違いで、節子は治ったかもしれない。
そんなことをついつい考えてしまうのです。
いかにも未練がましいですが、悔いばかりが浮かんでくる。

不思議と自分のことは浮かんできません。
私も多分、同じように生死の分岐を歩き続けているのでしょうが、自分ではわからない。
私は、運を活かせる人間ではないと自分では思っています。
たくさんの幸運に出合えていますが、どれもこれも活かしてはこなかった。
そう自覚しています。

しかし私は、運に恵まれた人間だとも思っています。
なぜか私はみんなに大事にされてきた。
そんな気がしてならない。

節子はどうだったでしょうか。
私と出会えたのは、幸運だったのか不運だったのか。
節子の人生がいい人生だったのかどうか。
最近、時々そんなことを考えます。

いずれにしろ、節子を支える力が、私には不足していた。
それだけは確かです。
被災地の報道を見ているとなぜか悔いばかりが浮かんでくる。
なぜでしょうか。

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■湯島サロン「「陰謀論」追究の結論と日本の今後」報告

陰謀論の人気はすごいです。15人の参加者がありました。しかも女性が多い。ネットで見つけて湯島サロンに初めて参加した2人も女性でした。

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今回の陰謀論サロンのタイトルは「陰謀論追究の結論と日本の今後」。副題は「陰謀論から観た国際情勢とマスコミ報道の読み解き方」です。
いつもと違い、個別テーマというよりも、いわば陰謀史観とでもいうべき話でした。そして、そうした時代状況を踏まえて、中嶋さんは「マスコミ報道の読み解き方」をていねいに話してくれました。

陰謀史観と言ってもさまざまありますが、今回の中嶋さんは、近代経済成長主義の根幹に金融資本家を置く陰謀史観をベースに、世界を読み解くうえでの枠組み仮説を紹介してくれました。ほかにも言及はありましたが、「イルミナティ」を頂点にした300人委員会による世界支配体制の構図、いわゆる「イルミナティ陰謀論」が基軸でした。

本題に入る前に、中嶋さんは「陰謀論」の定義や構造を解説してくれました。
まず、陰謀論とは「現代や歴史上の出来事に対する一般的な通説を受け入れず、明確な証拠証明が不全なまま特定集団の利益に繋がっていたとする主張の事で、論者を恣意的に嘲けり笑うために使われる用語である」と解説してくれました。この定義で、中嶋さんが、陰謀論と向き合う立場がわかります。中嶋さんにとっては、陰謀論はあくまでも仮説なのです。そして、陰謀と陰謀論は別物なのです。

つづいて、中嶋さんは、陰謀論でよくあげられる事件を例示してくれました。ケネディ大統領暗殺事件、9.11事件、新型コロナパンデミックとワクチンなどなど。日本でも陰謀論で指摘される事件や事象は少なくありません。
ちなみに、中嶋さんはまだ記憶に生々しい「令和6年能登半島地震」と「北九州飲食店火災」に関してささやかれている「陰謀説」も紹介してくれました。
それだけでも興味津々の問題ですので、ついそこに深入りしそうになりましたが、なぜそうした陰謀論が広がるのかという視点から世界の構造を読み解き、今後の日本を考えようというのが、今回の中嶋さんの意図なので、あまり深入りせずに前に進みました。

陰謀史観あるいは陰謀論の根底には、「あらゆるものはつながっていて、それぞれに意味がある。そしてそれらはすべて今を説明するためのものである」という考えがあります。中嶋さんがあげた、たくさんの事件や説明がつかない事象を要素としてつなげていくとどんな世界が見えてくるのか。そしてそうした世界を誰が操作しているのかが、陰謀論の核心ですが、そこから中嶋さんは世界の階級的構造の話に転じました。そしてそのトップにいる世界支配階級こそ「イルミナティ」、という仮説を紹介してくれました。すべての根幹は一つの主体に行きつくというのが、近代の、とりわけアメリカ発の陰謀論の特徴ですが、これはおそらく一神教文化に関わっています。一神教の世界での秩序原理はピラミッド構造ですから。

そしてその体制のもとに、世界を動かしているのは「欧州巨大財閥+中世覇権国の王族貴族たち」として、その体制や情報機関に関して解説。300人委員会に関しても紹介。そして、こうした支配構造がどうやって生まれたかを説明してくれました。
結局、彼らは、通貨発行権を武器に経済支配と資源支配を進め、それで得た莫大な財によって、世界支配構造を創り上げたのです。そして、ある時には冷戦構造で、ある時には三極構造で、という風に、世界を操ってきた。
そうした中では、彼ら選民以外の人間は道具(手段)でしかありません。ですから人口増減もまた自由に操り、戦力や労働力として必要な時には「産めよ増やせよ」、それが不要になった今は「人口削減」こそが選択肢だというのです。そこで大きな機能を果たすのが「医療」です。
そういう視点で世界の動きを見ると、確かに納得がいくことは多いように思います。

しかし、世界にはそうした世界秩序体制に抗う動きもあります。今回中嶋さんが紹介したのは、たとえばBRICSの動きや金本位制の世界通貨の話です。

とまあ、こういう話がいろいろと展開されたのですが、そんな時代において、日本に活路はあるのか、そして個々人はどう生きるのか、が次に語られました。
中嶋さんは、いまのままでは日本は落ちぶれるだけだと言います。貧富格差の限りない拡大、パンデミック後遺症が加速する人口減少、そして終わらない宗主国(アメリカ)による植民地政策(日本は主権国家ではない)。

ではどうすればいいか。中嶋さんは、解決すべき喫緊最大の問題は日米問題だと言います。つまり、アメリカから主権を取り返さないとだめだというのです。ここで、陰謀論は現実、サロンでよく話題になる日米合同委員会につながります。
しかし、そのやり方は注意しないといけない。そうしないと田中角栄さんや鳩山由紀夫さんのようになってしまいかねない。慎重に、そしてグローバルサウス諸国にも働きかけながら、ことを進めていかねばいけない。そのためには、私たちは情報の正しい読み解き方を知る必要がある、と言って、その読み解き方をていねいに解説してくれました。

今回、中嶋さんが一番に伝えたかったのはこれなのかもしれません。陰謀を打ち砕くには、やはりみんながしっかりと現実を読み解いていくことが大切ですから。

最後に、中嶋さんは、まとめとして、「氣エネルギーが正しく高い人を増やす」「日本にしかない宝の利用にはまず人づくりから」「世界から兵器とカネをなくした理想の社会建設を」というメッセージを出しました。

陰謀論には、さまざまなものがありますが、これはもう一つの陰謀論の世界につながる話題かもしれません。この分野の陰謀論(一神教型ではなく、アニミズム型の陰謀論)に関しても、サロンを企画したいのですが、なかなか話題提供者が見つかりません。どなたかいないでしょうか。

かなり省略した報告ですが、こうした話を受けて話し合いが行われました。長くなったので、それは省略しますが、最後に私の感想を2つだけ書いておきます。

イルミナティ陰謀論のような一神教型の陰謀論の存在意味は、一神教がすべてを神に託したと同じように、すべての責任を陰謀主(たとえばイルミナティ)に負わせてしまうことにあるように思います。つまり、実際の陰謀者の責任を隠してしまい、問題の所在を見えにくくしてしまう。そこにこそ陰謀論の目的、あるいは意味がある。
それを読み解いて、責任を追及していくのが、陰謀解読者の役割ですが、ともすると陰謀解読者が陰謀論に取り込まれて陰謀が見えなくなってしまうことがある。陰謀学の世界では、コンスピレーター(陰謀説者)とセオリスト(陰謀解読者)とはしっかりと区別されますが、実際にはミイラ取りがミイラになることも少なくない。
中嶋さんは、そうならないようにと、情報を読み解く方法を今回詳しく話してくれたのだと思いますが、みんなの頭に残ったのは、陰謀仮説の面白さかもしれません。

しかし、陰謀論もまた仮説である以上、マスコミを通して与えられている情報を盲信してはいけないと同じように、陰謀論で語られていることも盲信しないようにしなければいけません。陰謀論を毛嫌いするのも盲信するのも、同じです。陰謀仮説は、批判的に受け止めなければいけません。

もう一つは、しかしにもかかわらず、たとえば今回のイルミナティ陰謀仮説にしても、そこから気づかされることはたくさんあります。
マスコミ報道や政府見解とは異なる事実の存在は間違いなくあります。実際に、たとえばペンタゴン文書のように、噂が事実であった事例はたくさんある。そうであれば、たとえ信じられないような情報の読み解き方にも関心を持つことが大切です。信じがたいような陰謀説も、もしかしたら事実につながっているかもしれません。
同じ一つの事実も、見方によって全く違った意味を持ってきます。情報リテラシーを高めるとともに、多様な意見に心を開いて、自らの考えもまた柔軟に相対化していくことが大切ではないかと思います。いずれにしろ、思い込みは避けねばいけません。

長い報告になってしまいました。
陰謀論サロンはなぜか人気があり、今回もまた定期的にやってほしいという要望がありました。どなたか話題提供や問題提起したい方がいたら、ご連絡ください。

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■湯島サロン「ビットコインに価値はあるのか」のお誘い

一時期、話題になっていた「ビットコイン」の話は最近あまり聞こえてきません。ビットコインばかりではありません。仮想通貨や暗号資産という言葉も最近はあまり聞こえてきません。
しかし、少なくともビットコインは、今日もしっかりした相場が立っており、これからの通貨や経済を考えるうえで、無視するわけにはいきません。いやむしろ、そこに大きな示唆が含意されているように思います。

仮想通貨や暗号資産に関しては、これまでサロンでも話題にしたことはありますが、私自身、気になりながら、ほとんど理解できずにいます。そんな時、ビットコインに詳しい李東哲さんから、また時間がある時、ビットコインに関して意見を交換したいと連絡がありました。そこで改めて、自らもビットコインを活用している李東哲さんにビットコインの解説とその価値を解説していただこうと思います。

ビットコインは誕生以来、いろんな議論が展開されていますが、そうした議論は結局、ビットコインには価値があるのかないのか、その価値とは何なのか、という問題に帰結する、と東哲さんは言います。
そして、ビットコインは、公開された取引記録に信用の基盤が築かれてり、ゴールドと同様に誠実な貨幣であると言うのです。

さらにこうも言います。

人々は貨幣から離れることはできない。貨幣の問題は生存の問題であり、自由の問題であり、平和の問題であり、そして文明の問題でもある。
貨幣は文明の産物でありながら、文明を推進する力を持っている。人間は、自由で公正な権力を必要とするのと同じように、自由で公正な貨幣を必要としている。ビットコインの未来は時間だけが分かるものである。いつの日か、貨幣の世界でビットコインの姿が消えてしまうかもわからないが、ビットコインが内在している約定精神は貨幣権力を制約し、貨幣を公正な方向へ導く。欲望に満ちた貨幣の世界に、ビットコインを通して,人の魂から来る希望の光が見られる。

なにやらよくわかりませんが、東哲さんは実業家でもある一方で、信心深い思想家的な一面もお持ちです。そういう人が考えているビットコインの価値とこれからの社会の方向性が、テーマのサロンです。どんな話になるのか、いささかの不安がありますが、お金嫌いの方もお金主義の人も、いずれも歓迎です。
異論は多ければ多いほどいいですから。

なお、サロン差案貨車には事前に李さんの書いた「ビットコインの価値」をお届けしますので、あらかじめ読んだうえでご参加ください。

〇日時:2024年1月27日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
テーマ:ビットコインに価値はあるのか
〇話題提供者:李東哲さん(BLUEDOT株式会社代表)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2024/01/09

■節子への挽歌5842:夢での活動

節子
友人からメールが来ました。こんな内容です。

今朝方、先生から何か言われている夢をみました。
内容は覚えていないのですが、お叱りのような激励のような感じでした。
久しぶりに佐藤節を聞いて嬉しくなりメッセージした次第です。

ちなみに、ここで「先生」とは私のことです。
私はこの人の「先生」ではないのですが、まあいくらだめだと言っても、この人は呼び方を変えないのであきらめてしまっています。

最近、朝起きた時に、なぜか身体的な疲れを感じます。
その理由がわかった気がします。
夢の中で、いろんなところに出かけているのです。
疲れるわけです。

もちろんこの人に叱ったり、激励したりするわけはありません。
しっかりと生きている人ですから。
そういえば、しかし、この人は昨年は一度も湯島には来きませんでした。
今年は立ち寄るように伝えました。

気になりながら、最近、会えていない人が何人もいます。
年上の人の場合は、私が出かけていくべきですが、わざわざご自宅まで行くのは迷惑かも知れません。そういう意味では、年賀状は便利な仕組みでした。でも歳をとると年賀状を止める人も少なくありません。となると風の便りしかない。

いや夢枕に立つという方法もある。
もしかした、この人は私が夢枕に立ったので、心配して私のFBを読みなおしたのかも知れません。
そうだとしたら、ますますFBはやめられません。

今夜から夢の中で、気になる人に会いに行く試みを意識的にやってみようと思います。
もしみなさんの夢に私が現れたら教えてください。
この1週間、全方位に私を飛ばしてみますので。

 

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■「知ることは知らないことを知ること」

能登半島地震は日を追うごとに被害の大きさに驚かされています。

ただ最初からずっと気になっていることがあります。
いささか不謹慎ですが、書いておきたくなりました。

地震発生後、ずっとテレビを見ていました。
そこに映し出されているのは、あまり大きな変化がない「現地」の風景でした。
しかしその一方で、緊迫したアナウンスが続いていました。
緊迫した言葉と変化があまりない実況風景。
とてもちぐはぐな感じでした。

少し経ってから滑川地区に津波が押し寄せているだろう風景を民放の一局が映し出しましたが、それへの言及はほとんどなく、遠景だったのではっきりとは確認できませんでした。

しかし、その頃、すでに多くの現場にはかなりの津波が押し寄せてきていたわけです。
おそらく個人のスマホなどではそうした情景が投稿されていたでしょう。
しかしテレビ放送で映し出されていたのは、大きな被災を感じさせない画面ばかりでした。
何故そうしたことが起こったのか、いや、起こるのか。

私がテレビで見ている現実と違う現場がたくさんある。
でも私は、自分が触れた現場風景によって思考を形成してしまう。

改めて「知ることは知らないことを知ること」だという命題を思い知らされています。
知識は真実を隠す働きがある。
改めてそれを思い知らされています。

能登半島に今日は太陽が出てくれることを祈ります。

 

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2024/01/08

■心洗われる涙

テレビドラマ「DOC」(病院を舞台にしたイタリアのドラマ)の第2シーズンの最終回を観ました。いつものように、涙が出ました。
哀しい涙ですが、涙を出しながら、心が洗われる気がしました。
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2024010726677

笑いは心を明るくし、健康のもとといいますが、私は笑いよりも心が洗われるような涙が好きです。
心が洗われるような涙はそう簡単には出ませんが、このテレビドラマ「DOC」は毎回必ず一度は、その幸せを味わえるのです。
時に感動の涙、時に共感の涙、時に我を忘れての涙。

このドラマは、医療とはなにか、とともに、愛とは何かを、いつも教えてくれます。
言い換えれば、医療とは愛であるというメッセージが、このドラマの根底にあるのです。
「愛」といっても、恋愛に限ったものではありません。もっと大きな意味での「愛」がテーマです。というか、愛という視点から言えば、もしかしたら「恋愛」などは特殊な愛なのかもしれません。

医療とは愛である、と私は考えています。
生命を愛せない人には医療はできないでしょう。
施術はできるかもしれませんし、検査はできるかもしれませんが。

私の「病気」観は、多くの人のそれとはかなり違うのかもしれません。
だからいろんな人が心配してくれたり、アドバイスしてくれたりしても、どうもピンと来ないのです。

最終回の「DOC」はまた、家族やコミュニティのあり様を示唆していました。
あの病院の内科病棟は理想の世界かもしれません。
血縁がなくても、家族はつくれるのです。血縁があってもコミュニティもつくれる。

ぜひ多くの人に見てほしいドラマです。

 

 

 

 

 

 

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■節子への挽歌5841:野菜スープ

節子

生野菜はやめて、野菜スープや温野菜を食べるようにとアドバイスを受けています。
最近は生野菜はやめています。
年末に竹形さんが「がんにも勝てる長生きスープ」という本を持ってきました。
私に勧めてくれているのです。
面倒ですが、頑張らなければいけません。
でもやはり私に料理は難しい。

と思っていたら、今日、ユカがその本の表紙にある「キャベツとブロッコリーのミネストローネ」をつくってくれました。これなら私でもつくれそうです。
抗がん作用があるターメリックも追加で入れるといいと手書きのメモがありましたので、探しましたが見つからず、明日、買いに行こうと思います。

もっと食生活に関心をもてといろんな人が言います。
昨日は霜里農場の金子友子さんが大根やニンジンなどを持ってきてくれました。
みんないろいろと働きかけてくれるのです。
決して押しつけがましくなく、です。
押しつけには反発してしまいますが、こういうお勧めには弱いのです。

調味料とか料理の名前も少しずつ関心を持ち出しています。
そもそもミネストロールって何?ということからユカに聞いていますので、あまりの無知さに呆れられています。それにしても我ながら何も知らない。

しかし、料理も大変ですが、食生活を変えることももっと大変です。
一番難しいのは、甘味なものを避けることです。
厳禁していた甘いお菓子は、やはり最近また食べだしています。
駄菓子も、やはり復活してしまいました。

困ったものです。

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■「ナンバ歩き」you tubeチャンネルが開設されました

1年前、湯島で永田茂さんの深呼吸歩きのサロンを、実際の歩行体験と併せて開催しましたが、そこで紹介されていた「ナンバ歩き」を解説紹介するユーチューブチャンネルが開設されました。
https://www.youtube.com/watch?v=7OQGYGNy1Qg

湯島のサロンでは、ナンバ歩きは難しいので、それを踏まえて永田さんが開発した深呼吸式歩き方に関して紹介がありましたが、その時に予告されていた「ナンバ歩き」の紹介です。また関連した情報も紹介されていますので、是非ご覧ください。

ナンバ歩きはご存じの方も多いと思いますが、かつての(といっても江戸時代もそうでしたが)日本人の歩き方といわれています。手足の動かし方が、いまとは逆なのです。
永田さんは、その歩き方が健康に大きな影響を与えていると考えています。

ちなみに、永田さんはいまも日常的にナンバ歩きをされていて、そのせいかどうかはともかく、きわめて健康。身体年齢は実際よりもかなり若いようです。
ちなみに、街中でナンバ歩きで歩いている人を見たら、たぶん間違いなく永田さんでしょう。なにしろそういう歩き方をしている人はいまは永田さんくらいしかいないからです。ただ、気を付けてみないと、ナンバ歩きしていることには気づきません。それほど永田さんのナンバ歩きは自然なのです。

「生涯現役社会」を目指すためにも、歩き方への関心を高めていきたい、それは医療費削減にもつながる、と永田さんはお考えです。
もちろんナンバ歩きを広げようというわけではありません。しかし、「ナンバ歩き」の開示は大変深い影響力と意味を持つので、まずは世に問うてみたい、と永田さんは考えているのです。

ナンバ歩きに関心を持たれたら、ぜひこのyou tubeをご覧になって永田さんにアクセスしてください。
私も永田さんから教えてもらった深呼吸を意識した歩きをつづけていますが、意識して歩くといろいろなことに気づきます。

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2024/01/07

■節子への挽歌5840:元気が出ないのはテレビ映像のせいかもしれません

節子

今日ようやく湯島天神にお詣りができました。
今日も混んでいましたが、何とか出口から入り横からの参拝ですが。
今日もこんなに混んでいるとは思ってもいませんでした。
だんだんまた神頼みの時代になってきたのでしょうか。

元日に発生した能登大震災の被害はわかってくるにつれて予想以上です。
当日のあのテレビ画像はいったい何だったのか疑問が出ます。
あの画面からは、現実に起こっていたことを隠そうとしていたのではないかという疑いさえ感じます。
アナウンサーの緊迫した呼びかけも、賛否が分かれていますが、私には扇動でしかありません。あれでは逃げる気にはならない。まあ私だけかもしれませんが。

地震発生直後からネットの世界では人工地震説や陰謀論が飛び交っていましたが、何かとてもいやな時代です。みんな事実を事実としてみようとしない。

そんな中での、今日は、湯島のサロンは陰謀論がテーマでした。
なんと10人を超す人が集まりましたが、多くは女性で、フェイスブックで観たと言って参加してきた人も2人いました。
陰謀論に興味を持つのは、最近はどうも女性が多いのですが、これもまた時代を感じさせます。
私が陰謀論に興味を持っていた30年ほど前には男性が多かったように思いますが。

ところで今もなお能登では救援活動が続いています。
テレビをつけるとどうしてもその様子が見えてくる。
そしてやりきれない気持ちになってしまう。

最近、元気が出ないのはこのせいかもしれません。
だとしたら、元気が出ないことを素直に受け入れるのが一番でしょう。
しばらくは元気が出ない状況をつづけようと思います。

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2024/01/06

■節子への挽歌5839:私は人が好きなのか嫌いなのか

節子

私のその後の状況を心配している人もいるようなので、FBに最近の状況を報告しました。同じものを時評編に載せました。
体調は快調に近いですが、どうも心身共に疲労感が残りがちです。
やはり治療に通院しなければいけないのがストレスなのでしょう。
何かをやる気力が出てきません。
かといって本を読むのもテレビを見るのも、その気が出ないのです。

というわけで、今日は家から一歩も出ずになんとなくだらだらと過ごしてしまいました。
ただパソコンを時々見ると、いろんなメッセージが届いています。
元気が出るものもありますが、気の滅入るものもある。
高齢になったら世間と縁を切って隠棲することの大切さを感じます。
自然と自然に戻っていく。その人生計画が挫折してしまったのが、いささか残念です。

先行きが見えないので、湯島でのサロンの企画は控えていますが、今年は改めて「戦争」や「平和」を話し合うサロンを増やしたいと思っています。
我孫子での活動も新たな企画を打ち出す予定ですが、どうも一緒にやってくれるパートナーが見つかりません。

考えてみると、これまで何か新しいプロジェクトに取り組むときには、それぞれに心を許せるパートナーがいました。たぶん、私のそれなりのエネルギーがあって、パートナーを呼び込めたのでしょう。でも今はもうそうしたエネルギーは消えてしまい、思いだけが浮かんでくる。
だから社会とは縁を切って、そうした思いも捨てなければいけないのでしょうが、社会の中にいると思いも捨てがたい。
困ったものです。

それにしても人に会わない生活を続けていると、やはり気が萎えてくる。
私は、人が好きなのか嫌いなのか、なかなか答えに至りません。

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■平和や政治を考えるサロンを今年は開催していく予定です

今年は年明けから能登大地震で頭が混乱しています。
輪島の知人の安否が気遣われますが、まだ確認できずにいます。
被災された方々に、毎朝、手を合わせるばかりです。

能登や羽田の事件にどうしても目が奪われますが、街中での殺傷事件もいろいろと報道されています。みんな怒りの矛先をどこに向けていいのかわからないのかもしれません。
怒りを社会改革の方向に向けていく野党も思想も見えてこない。
まるでイソップの王様を欲しがるカエルのように、自らを食い物にする存在に、みんなしがみつこうとしている。私にはとても不思議に見えています。

今年こそ、政治改革への一歩が踏み出されそうな気がしていましたが、状況は一変してしまいました。
しかし、忘れてはいけないのは、こうした大事件に関しても、政治は全く無縁ではないということです。いや、こうした自然災害が起こった時にこそ、政治の実態が顕在化されるはずです。政治は私たちの生活の基層を支えている存在ですので。

能登大地震の報道は、ネットのやり取りも含めて、読んでいますが、ネットでのいささか行き過ぎた陰謀論説には、政治の劣化状況を見る思いです。政治への信頼感が、大きく失われているような気がしてなりません。

湯島のサロンでは、今年は改めて「平和」や「政治」の問題を話し合うサロンを増やそうと思います。
どなたか問題提起したい人がいたらご連絡ください。
平和も政治も、話し合いから始まりますので。

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■前立腺がん治療体験報告2;現在の体調

年末年始にいろんな人と会いました。
私の体調を心配してわざわざ来てくださった方もいます。
状況を公開して、どうも心配させていることもありそうです。きちんと経過報告をしておかないといけないと改めて感じました。それで中間報告です。

国立がん研究センター東病院に転院し、初診は終わりましたが、初診では何の説明もありませんでした。問診もありません。今回の医師には期待していますが、いまのところ信頼感はまだ生まれません。

私の医療措置はまだ始まっていませんが、40日奇跡プロジェクトで取り組んでいたさまざまな養生法は、いささか手抜きがちですが、いまも継続しています。また、ワルサくんプロジェクトも継続で、最近はワルサくんとの仲間意識がだいぶ育っています。ワルサくんも私の体調改善に協力してくれているのです。まあ、これに関しては、なかなか理解してもらえないでしょうが。

私の体調は大きな異常はなく、むしろ快調というべきでしょうか。久しぶりに会った人も、むしろ元気になったなどといいます。
もし手術などの抗癌治療をしていたら、今頃はかなり病気症状に陥っていたでしょう。
補完代替医療の意味をきちんと理解していたおかげです。視野の狭い専門医の指示に従っていたら、病気は治っても病人になっていたかもしれません。

しかし、問題がないわけではありません。
いろんな養生策をとっているので体調はいいのですが、昨年末くらいから、どうもまた胃のあたりの調子がよくないのです。1年前の入院の時に言われていた胆嚢摘出などの処置を延ばしていますが、その関係ではないと思うのですが、ちょっと気になっています。

加えてこれまで体験したことのない腰痛が起こり、それが続いています。
これも寝ているときや朝だけなので、あまり気にはしていないのですが、一向によくならない、というよりも、どちらかというと悪化している気もします。
一時は骨へのがんの転移を心配したのですがそれはたぶんないでしょう。

そのうえ、何やらどうも最近、心身の疲れがたまっているような気がするのです。もしかしたら、気にしていないようで、やはり前立腺がんが気になっているのかもしれません。少なくとも病院の医師との付き合いはストレスです。日本ではきちんとした医師にはなかなか会えませんし。
しかし、ストレスのせいではなく、これが老化ということなのかもしれません。

まあしかし基本的には元気なのです。
だから今なら治療を受けても大丈夫でしょう。
次の主治医の診察は11日です。

昨年末のサロンに来た竹形さんが、なぜか私に「がんにも勝てる長生きスープ」の本を持ってきました。ただ黙って渡されたのですが、これは私に長生きスープをつくって飲めということでしょう。
言葉のないメッセージは受けなければいけません。
というわけで、今年から加わったメニューは、長生きスープです。
長生きスープより善き生きスープが望みですが、何しろ料理などやったことがないので、まずは簡単なスープづくりから取り組んでみようと思います。

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2024/01/05

■節子への挽歌5838:老化の疲れか?

今日は穏やかな冬晴れです。
それにあったかい。

にもかかわらず元気がでません。
何やらいろんな用事が出来てしまい、ちょっとバタバタしてしまっています。
まあ生きていると、いろいろとあるものです。

先ほど、新潟から電話があったのですが、電話で話していて、何やらどっと疲れを感じて、元気がないのはもしかしたら体調のせいかもしれないという気がしてきました。
たしかに最近どうも疲れやすくなってきている。

もっとも前立腺がんの診断を受けてからも体調は一切変化なしです。
あの時、手術などの抗癌治療をしていたら、今頃はかなり病気症状に陥っていたでしょう。
むしろそれを避けて、いろんな養生策をとっているので体調はいいのですが、昨年末くらいから、どうもまた胃のあたりの調子がよくないのです。
1年前の入院の時に言われていた胆嚢摘出などの処置を延ばしていますが、その関係ではないと思うのですが、ちょっと気になっています。

加えてこれまで体験したことのない腰痛が続いています。
これも寝ているときや朝だけなので、あまり気にはしていないのですが、一向によくならない、というよりも、どちらかというと悪化している気もします。
一時は骨へのがんの転移を心配したのですがそれはたぶんないでしょう。

というわけで体調は変化なしなのですが、何やらどうも心身の疲れがたまっているような気がするのです。
これが老化ということなのかもしれません。

腰痛を直すためには散歩が効果的なので、散歩すればいいのですが、どうもそれもおっくうで行く気がでないのです。
さてさて困ったものです。

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■「攻められたらどうするのか? 真の安全保障政策を考える」

サロン仲間の折原さんが、同人誌に寄稿した「攻められたらどうするのか? 真の安全保障政策を考える」という論考を年末に送ってきてくれました。

昨年末には、期せずして、本間さん、川本さんからも、同じテーマの論考を送ってもらい、FBでも紹介させてもらいましたが、折原さんの論考もぜひ多くの人に読んでほしいなと思います。
折原さんに確認したら、関心のある人には紹介してもいいと言いうことでした。

最後の文章を紹介させてもらいます。

自国第一主義、国粋主義と排外主義が相まって目を覆うような紛争と軍事衝突があちこちで展開されている今日、やはり最終的な和平の拠り所と解決の手段は、コスタリカが尽力し、実践してきたように、国際機関を機能させ、国際法に則って、国連を中心とした国際法秩序をもう一度建て直す、ということではないでしょうか。

私も同感です。

ウクライナの真実も見えてきましたし、岸田政権の本性も見えてきたいま、改めて今年は平和とは何かのサロンを開催していこうと思います。
折原さんの論考を読んでもらえる方はご連絡ください。
お届けするようにします。
感想など、折原さんに送っていただけると嬉しいです。

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2024/01/04

■節子への挽歌5837:いろんな年賀メッセージを受けました

節子

出だしが悪かったのか、どうも今年は元気が出ません。
年賀状や年賀メールが届いてきていますが、あまり返信する元気もない。
困ったものです。
電話もありますが、電話での一声は、お互いに「今年は大変な年明けでしたね」です。

私の前立腺がんを知って、気遣ってのメッセージもありますが、逆に私よりも重症な方もいる。
歳のせいか、何やらそんな内容も少なくない。
いやそれよりも、年賀状が届かない人もいる。
私が出していないからかもしれませんが、出さずとも昨年は届いた人からの年賀状がないと少し不安になります。
まあ、そんな歳になってしまったということかもしれません。

それに若いと思っていた友人が、今年で還暦だなどと書いてきています。
「時の流れの早さに驚いています」と書いてきた人もいる。
そういうメッセージに出合うと、改めて自分の歳を意識してしまう。

私が荘子のようだと書いてきた人がいます。
わけのわからないことをいうのだが後でその意味が少しわかるような気がする、と書いてある。荘子のようだと言われても、うれしくはありませんが、わけのわからないことを言うようになってしまっているのかもしれません。
むかしは、そんなことは言われませんでした。

やることがなくて退屈していたら、にこが本を買いに行きたいという。
それも遠くの本屋さんまでです。
ユカに頼んで車で送ってもらったのですが、本を買った後、パフェでも食べようかと誘ったのですが、断られてしまった。
それに、にこが選んだ本は私の趣味にはまったく合わない。
にことはどうもリズムが合いません。
困ったものですが。

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■新年オープンカフェサロン報告

今年最初のオープンカフェサロンはコロナ禍以来の参加者も含めて、にぎやかなサロンでした。
ありがとうございました。

今年も7日から早速、テーマサロンが始まります。
また新たに、養生サロンや脱ひきこもりサロンが始まります。

できれば今年は、ちょっと私が話をさせてもらう継続的なサロンを企画させてもらおうと思っています。テーマはまだ決めていませんが、「コモンズの回復」か「がんとの付き合い報告」のいずれかを考えています。
またどなたか主催してくれるサロンも歓迎です。やってもいいという方はぜひご連絡ください。

湯島のサロン、今年もよろしくお願いします。

Sinnen20242000

 

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2024/01/03

■節子への挽歌5836:湯島天神はお詣りできませんでした

節子

今日は年始のサロンで湯島でした。
いつものように、まずは湯島天神へのお参りなのですが、今年は神社内にきちんと行列に並ばないとは入れませんでした。
これまでは参拝しなければ、横からは入れて、拝殿にも遠くからですが、手を合わせられたのですが、規制されていては入れませんでした。
それでお詣りはあきらめたのですが、お昼ごろにはかなりの行列の長さで、折り返しになっていました。
節子が元気だったころは、三が日に車できて年初の掃除をしたこともありますが、いまはもう車で来るのは難しいでしょう。

サロンには久しぶりの人も含めて、10人以上が来てくれました。
いつもよりも長いカフェサロンでしたが、結局はみんな長居して、いつものオープンサロンを変わりませんでした。
でも私の前立腺がんを心配してきてくれた人も少なくありません。

ちなみに前立腺がんはいまのところ全く異常なしです。
最近、がん細胞のワルゾーと、なんとなく心が通じた気がしていて、相変わらず自分が病人だという自覚が生まれてきません。

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2024/01/02

■節子への挽歌5835:しめ飾り

節子

今年の我が家の玄関のしめ飾りは、いつもと違います。
にこが選んだからです。
昨年、ユカがにしめ飾りに干支を付け加えてほしいとにこに頼んだら、自分が買ったしめ飾りではないのでダメだと言われたそうです。
そこで今年は、にこに買ってきてもらい、それに辰を追加してもらったのだそうです。
その結果が、このしめ飾り。

20240000

節子の頃とは、お正月の飾りもかなり変わってきています。
節子は花にこだわっていましたから、いまもユカが行けてくれていますが、年々、質素になってきています。
ことしはついに生け花セットになってしまい、そこに庭の千両などを追加するものになってしまいました。

玄関のしめ飾りも年々小さくなってきていますが、今年はにこの選択なので、訃音息も待った違います。
孫に節子の好みを伝えられなかったのが少し残念です。

お正月料理も変わってきています。
料理だけではなく、三が日に過ごし方も変わってきてしまいました。

ちなみに今日は、私だけが在宅で、家族はみんな出かけています。
久しぶりに誰もいないひとりだけの三が日。
テレビの地震情報と箱根駅伝で1日を過ごしてしまいました。

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2024/01/01

■節子への挽歌5834:いつものような年明けでしたが

節子

今年も屋上で、家族みんなで初日を拝みました。
雲がありましたが、初日の出は見られました。
例年通りの年の始まりでした。

お雑煮を食べてからみんなで子の神様に初詣。
いつもより人では少なかったですが、遠方に富士山も見られました。
その後、みんなでおせち。今年は手を抜いて、メインはお寿司になりました。
お正月にごちそうを食べる文化は年々なくなってきています。

午後、ジュン家族は峰行の実家へ。
私は何もすることがなく、退屈に過ごしました。

例年だと、元旦は、近況報告や年の初めにのメッセージをホームページやブログなどに書くのですが、今年は全く何もやらずに、のんびりしていたら、夕方地震が発生。
震度7の大地震が能登に発生。
のんびりした気分は一挙に引き取んでしまい、テレビに見入ってしまいました。

不安な年明けになってしまいました。
今年から挽歌をきちんと書こうと思っていましたが、挫折してしまいました。
というわけで、正直に言えば、この記事も5日の朝書いています。

明日から挽歌を毎日書くようにしたいと思いますが。

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