■「知ることは知らないことを知ること」
能登半島地震は日を追うごとに被害の大きさに驚かされています。
ただ最初からずっと気になっていることがあります。
いささか不謹慎ですが、書いておきたくなりました。
地震発生後、ずっとテレビを見ていました。
そこに映し出されているのは、あまり大きな変化がない「現地」の風景でした。
しかしその一方で、緊迫したアナウンスが続いていました。
緊迫した言葉と変化があまりない実況風景。
とてもちぐはぐな感じでした。
少し経ってから滑川地区に津波が押し寄せているだろう風景を民放の一局が映し出しましたが、それへの言及はほとんどなく、遠景だったのではっきりとは確認できませんでした。
しかし、その頃、すでに多くの現場にはかなりの津波が押し寄せてきていたわけです。
おそらく個人のスマホなどではそうした情景が投稿されていたでしょう。
しかしテレビ放送で映し出されていたのは、大きな被災を感じさせない画面ばかりでした。
何故そうしたことが起こったのか、いや、起こるのか。
私がテレビで見ている現実と違う現場がたくさんある。
でも私は、自分が触れた現場風景によって思考を形成してしまう。
改めて「知ることは知らないことを知ること」だという命題を思い知らされています。
知識は真実を隠す働きがある。
改めてそれを思い知らされています。
能登半島に今日は太陽が出てくれることを祈ります。
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