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2024年2月

2024/02/29

■節子への挽歌5901:陽子線治療の準備に入りました

節子

いよいよがん研究センター東病院での治療が始まりました。
といってもまだ準備段階ですが。
今日は金マーカー留置術。以前に、医師や看護師から説明を受けていましたが、あまり理解できていませんでした。

今日はいささか強烈な体験でした。
説明書をちゃんと読んでいなかったこともあるのですが、診察室だと思って入ったら、処置室で、突然処置が始まりました。お尻から金マーカーを埋め込まれたのです。金はまさにゴールド。一生ものらしいです。
それはそれとして、医師と看護師に質問しながら処置を受けましたが、丁寧に説明してくれたのでそれなりに面白かったです。

終了後、癌になると色々新しい体験ができますね、と看護師に話したら、看護師の方はしない方がいい体験でしょうが、と言いました。たしかにそうかもしれませんが、でも体験しなければいけない以上は前向きに受け取るのがいいです。
実にいろんな体験ができる、それを面白がらないといけません。

でも今日の体験は、2度とやりたくはないですが。

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2024/02/28

■湯島サロン「請願権の現実をご存じですか」のご案内

3年ほど前に、湯島のサロンで「みんなの請願支援センターを設立します」という呼びかけのサロンを濱中さんにやってもらいました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2021/05/post-56d136.html
今回は、その後の報告と新たな呼びかけをしていただくサロンです。

濱中さんは前回のサロンの後、おひとりで2つの件で請願活動に取り組んできました。
だいたい請願は数千単位の人たちの署名と支援団体があって行われるのですが、濱中さんはそれを一人で取り組み、その熱意に共感してくれた国会議員や参議院議員請願課の人たちの協力を得て、昨年の第212回国会に「たった一人の請願」を、しかも2件も実現したのです。
いずれも現在はまだ保留中ですが、国民の受益権の行使が問われる内容なので、是非多くの人にも知っておいてほしいものです。

〇社会保険診療報酬支払基金及び国民健康保険団体連合会への業務委託を可能にしている健康保険法第七十六条第五項を削除することに関する請願
https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/212/yousi/yo2120423.htm

〇反スラップ法の制定に関する請願
https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/212/yousi/yo2120415.htm

濱中さんは、おかしなことに気づいたら見過ごせないタイプの人ですが、何しろ昨今の日本の社会には「おかしなこと」が山ほどあります。そのため、取り組む課題も多く、さらに日本の行政手続きや訴訟などは時間がかかり、苦労しています。
しかし実際に取り組んでいくといろいろなことがわかってくる。そうした体験を通して「官の正義」と「民の正義」の違いも見えてきたと濱中さんは言います。
それを近づけていくためにも、憲法で保障されている請願権をしっかりと活かしていかなければいけません。それを濱中さんは、いま実践的に取り組んでいるのです。

しかし、取り組めば取り組むほど、根は深く、広がりは大きいことに気づいていく。
今月もまた新たな国家賠償の調停を法務大臣に申し立てたそうです。
まあそんな生々しい話も含めて、濱中さんに最近の活動を話してもらい、これからの計画もお聞きしたいと思います。問題が共有できれば、私たちにも何かできることが見つかるかもしれません。

濱中さんは、今回のサロンを、国民の権利保護と権利意識を高めることを目的に「みんなの請願支援センター」のキックオフイベントの開催に向けた、プレ・キックオフにしたいと考えているようです。いろいろと生々しい話が聞けると思いますので、ぜひ多くの人に参加してほしいと思っています。
社会を憂えているだけでは、何も変わりません。できることを見つけたいものです。

〇日時:2024年3月12日(火曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「請願権の現実をご存じですか」
〇話題提起者:濱中都己さん(みんなの請願支援センター設立準備会代表)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

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■節子への挽歌5900:わが家の河津桜が咲きだしています

節子

今年もまた、わが家の河津桜が咲きだしています。
節子が元気を戻したときに、義姉夫妻と一緒に4人で河津桜を観に行ったときに買ってきた桜です。
一本は枯らしてしまいましたが、一本は残っています。
鉢植えにしているので、大きくはなりませんが、最近は毎年元気に花を咲かせてくれます。

節子が元気だったころは、お花見によく行きましたが、いなくなってからは私はお花見が苦手になりました。

今日はあったかな1日です。
節子がいたら、この桜を見ながらゆったりと過ごせたでしょうが、この数日、重い話ばかりがやってきて、いささか憂鬱になっています。でもまあ、いろいろあるのが人生ですので、重い話も楽しまなくてはいけません。

今日は在宅で、朝から6杯目のコーヒーです。砂糖(キビ砂糖ですが)もいれて。
明日はまた検査なので体調を整えておかないといけないのですが。
困ったものです。

桜を見ると、いろいろと思いだしてしまいます。

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■湯島サロン「戦争ができる国からの解放」報告

長年、平和や基本的人権の問題に取り組んできた川本兼さんが、1月に『戦争ができる国からの解放――日本と世界を変えなくては平和を獲得できない』を三一書房から出版しました。
https://books.rakuten.co.jp/rb/17728597/
川本さんは、本書の中で、反徴兵法制定運動を起こそうと書いていますが、今回はそういう呼びかけも含めてのサロンでした。

サロンでは、まず川本さんが書名(副題も含めて)に込めた想いから話しだしました。川本さんは、護憲論者の発想の転換が大切だと考えています。とともに、基本的人権の視点で、平和の問題を考えないといけないというのも川本さんの長年の主張です。

川本さんは、最近のウクライナ戦争をめぐる世論の状況などに触れながら、「戦争ができる正義の国」の考え方を国民が採るようになると、気がつかないうちに国民は「戦争ができる国」の手段とされ、犠牲にされてしまうことへの注意を喚起しました。そして、そのような考え方の行き着く先は、広島・長崎の原爆投下および東京大空襲をはじめとする都市無差別爆撃の犠牲となった先次大戦下の日本国民と同じ(あるいは現在におけるハマスとイスラエルとの紛争におけるガザ地区住民と同じ)ではないかと指摘します。

そうした認識を踏まえて、だからこそ「戦争ができる国からの解放」という考え方が必要だというのです。もう「平和憲法を護る」と主張するだけでは平和は守れなくなっている、護憲論者は発想を変えなければいけないというのです。

しかし発想を変えるだけでは事態は動かない。そこで、「先ず、反徴兵法の制定運動を」という「平和のための革命」運動(=基本的人権としての平和獲得運動)が必要だと呼びかけます。

話し合いでは、「国家と戦争の関係」、つまり国家に戦争をできる権利を認めるかどうか、という議論や、日本国憲法の位置づけ、つまり国際法理念のなかで特異な位置づけにあるのかどうか、さらには、私たちは憲法によって守られているのか、などが話題になりました。「統治」と「自治」も少しだけ話題に上がりました。

川本さんは、一緒に行動していく人を探しています。具体的な呼びかけは今回はありませんでしたが、こうした考えに共感して、一緒に、日本と世界を変えていく活動に取り組む人がいたら、川本さんは一緒に取り組みたいと考えているようです。

今回のサロンには最近、雑誌などで「平和」に関する論考を発表した本間さんや折原さんも参加しました。それぞれの論考に通底しているのは、いわゆる平和憲法の理念を軸にして、思いを広げていこうということです。
できれば、そうした議論が自由闊達に行えて、実践へとつながっていく、ゆるやかなプラットフォームが生まれればと思っています。

今回は、川本さんの主張を軸に話し合いましたが、次回は、最近、「攻められたらどうするのか 真の安全保障政策を考える」を発表した折原さんに、4月14日、サロンをお願いしています。

並行して、広義の平和に向けての実践に取り組んでいる人たちのサロンも開催していく予定です。話題提供や問題提起した方がいたら、ご連絡ください。サロンを企画しますので。

Kawamoto-202402251000000

平和や憲法に関するサロンは湯島ではよく行われていますし、実践活動を展開している人も湯島サロンに参加している人のなかには何人もいますので、どこかでそれらが緩やかにつながっていくサロンもいつか実現したいと思います。

 

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■節子への挽歌5899:懐かしい人からの連絡

節子

節子がいなくなってから私の生き方は大きく変わりました。
というよりも、節子がいなくなってからの10年前後は、私はある意味、生きていなかったような気もします。
もちろんいろんな活動をし、それなりにみんなからの相談も受けていましたし、湯島のサロンもむしろ以前より盛んにやっていました。
でもたぶん魂が抜けていた。

あるいはきちんとした交流の継続ができていなかったような気もします。
新たに出合った人は、そういう私が私だと思っているでしょうが、むしろ古い付き合いの人との交流は途絶えがちになっていました。
以来、一度も会っていない人も何人かいます。
節子もよく知っている人のなかにも、交流が途絶えた人もいます。

節子が元気だったころに、ある学会で出会った原田広幸さんからメールが届きました。
構想学会はもう解散していますので、もう15年ほどは間違いなく会っていないのですが、フェイスブックでつながっていたとのです。
彼の活動はしっかりと記憶に残っていますが、今度、湯島のサロンに参加したいという連絡でした。

とてもうれしい連絡です。
久しぶりに会う友人は、昔を少しだけ思い出させてくれて、うれしいものです。

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2024/02/27

■節子への挽歌5898:闘う女性たち

節子

節子がいなくなってから、なぜか重い話がいろいろとやってきています。
たとえば、裁判で味方だったはずの弁護士に裏切られ、家庭が破壊された女性たちがやってきました。その一人は、まさに不幸のどん底にいて、私は彼女が公証役場に話を聴きに行くのにも付き合いました。もう少し力になってやりたかったのですが、結局、彼女とは連絡が取れなくなりました。落ち着いたら電話すると言いながら、電話が来なくなったので、電話したら、電話には出るものの無言のままでした。
不吉な予感がしたのですが、でもそのうち向こうからと思っていたのですが、電話が通じなくなりました。

弁護士問題を考える市民の会をやっている女性たちも来たことがあります。
一度、湯島でサロンをやって広げようと提案しましたが、みんな何かにおびえているようで、結局、実現しないまま、交流がなくなってしまいました。

まあ当時は、私自身がまだ節子を失った「茫然自失の状況」から抜け出せていなかったのです。
今から思えば、とても悔いが残りますが、でもいずれも最後に会った時にはいい表情をしてくれていたのがせめてもの救いです。
でも自分自身も大変なことを抱えていたので、正直、他者を思う心の余裕はあまりなかったのです。

しかし、問題にしっかり対峙して、人生を真剣に生きている女性たちからは元気ももらっています。
その一人が濱中さんです。
彼女もまた大きな問題を抱えています。相手は大企業であり、行政であり、それ以上に「制度」です。
チームワークが苦手なので、いつも一人で問題に立ち向かっていますが、時々、湯島でもサロンを開いてもらっていましたが、みんな問題がよく伝わらずに、チームワークには発展できずにいます。

その濱中さんから久しぶりに連絡がありました。
活動が一歩進んだようです。

また湯島で話してもらおうと思いますが、うまく伝わるといいのですが

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■第3回脱ひきこもりサロン「ひきこもりの精神世界を紐解いてみませんか」のご案内

脱ひきこもりサロンの3回目は、ちょっと不謹慎だと叱られそうですが、思い切りスタイルを変えて、真剣だけど深刻じゃないエンタメ型サロンにしたいと思います。

重いテーマであればこそ、時には思い切り気を抜いてのブレークスルーも必要です。
もっともこんな取り上げ方に怒りを感ずる人もいるでしょうが、そういう人は今回は案内を読むことも含めてパスしてください。
いろんな考えを許し合うのが、湯島のサロンの精神ですので。

話題提供者は、脱ひきこもりサロンの直前に「不登校・ひきこもり」をテーマにサロンを開いてくれた土佐みやえさんです。
土佐さんは、脱ひきこもりサロンにも毎回参加していますが、精神世界、つまりスピリチュアルの世界からひきこもりの状態を紐解いていくと、意外にも納得するところがたくさんあると言います。それで、そういうご自分の体験や思いをみんなに伝えて、一緒に話し合いたいと思うと申し出てくれたのです。

土佐さんは、今までいろんな講演会や講座に参加したけれど、なかなか状態が変わっていかないと感じている方に新しい視点を伝えたいので、ぜひ参加してほしいと言っています。

土佐さん自身、子どもさんの「不登校・ひきこもり」を体験し、乗り越えてきた方です。同時にたくさんの事例にも触れてきています。そういう積み重ねの中から、「ひきこもりのパワー」のようなものも感じられているような気がします。
私もそういう思いもあって、そうしたパワーや知見をもっと社会に向けていけないかと考えています。
問題解決の方向で考えていてばかりいては、見えてこないものがあるのではないか。今回のサロンでは、そんなことも少し視野に入れられればと思っています。

土佐さんは、エンタメ程度に軽くやっていきたいと話しています。
その主旨をご理解いただき、多くのみなさんに参加していただき、新しい気付きをぜひ得てほしいと思います。

〇日時:2024年3月17日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ひきこもりの精神世界を紐解いてみませんか」
〇問題提起者:土佐みやえさん(家庭内傾聴ファシリテーター)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2024/02/26

■第2回脱ひきこもりサロン「ひきこもり当事者の親にできること」報告

「脱ひきこもりサロン」の2回目は、親の立場から話題提供を吉田さんにしていただきました。吉田さんは1回目の当事者の話題提供のサロンにも参加してくださっています。
前回、ひきこもり当事者の立場で話題提供してくれた2人も含めて、引き続き参加してくれた人も多かったのですが、新たな参加者もありました。少しずつ輪が広がっていけばと思っています。

吉田さんは、ご自分の状況や気持ちをとても素直に開陳してくださいました。
「親として何ができるか」を悩みながら、長いこと問題解決に取り組んできていることが伝わってきました。「ひきこもり」に関する書籍もたくさん読み込んでいますし、セミナーやカウンセリングなどもたくさん受けてきています。その資料などもみんなに公開してくれました。
専門家などのアドバイスも聴きながら、ご自身の生活行動や考え方も大きく変えてきていますが、状況はなかなか変わらないという思いを強くお持ちです。
年齢も80歳になり、最近はまさに世にいう「8050問題」を強く意識されているようです。

話し合いの内容はオフレコですので紹介は差し控えますが、示唆に富む話がたくさん語られた気がします。何よりも、知識ではなくご自身の体験と思いを何ら飾ることも隠すこともなく誠実に話してくださったので、話しやすい場が生み出されたように思います。
聞き手にとってはなんでもないことかもしれませんが、当事者にとってはこうしたことがいかに大変なことなのかは、私も少しはわかっていますので、その勇気と誠実さには頭が下がりました。案の定、かなり手厳しいコメントもありましたが。
でもそのおかげで、サロンはいつも以上に生きた言葉が飛び交ったように思います。

同じ話でも、受け取り方は人によって違います。吉田さんの話そのものにも、共感したひきこもり当事者もいれば、批判的なひきこもり当事者もいました。当事者だけではなく、親の立場、第三者的な立場からも、受け取り方はいろいろでした。
感情の行き違いも少し起こりましたが、そうしたことはたぶん「ひきこもりの現場」でも起こっているのでしょう。お互いに、良かれと思っての言葉が相手を傷つけてしまうこともある。そうしたことが浮かび上がってくるサロンにしたいと思っていますが、吉田さんのおかげで2回目にして少し手ごたえを感じました。

まだ「知識ベース」での話もありましたが、逆に「言葉」や「知識」で問題を捉えがちな専門家への異論もでました。他者へのアドバイスや評価の志向もありましたが、それぞれが自分の問題として自分を問い質す状況も、前回よりは少し強まったような気がします。
オープンダイアローグの話題も少し出ましたが、ナラティブな対話はそう簡単ではありません。しかし、生活現場における日常用語でのやりとりを通して、自分の問題がうまくとらえられれば、状況は変わっていくでしょう。そんなサロンに育っていけばと思っています。

生き方は人それぞれで、さまざまです。
そうしたことを素直に認めあって、支え合っていけるようになれば、そもそも「ひきこもり」などが問題になることもなく、「ひきこもり当事者」などという言葉もなくなるでしょう。そんな社会への一歩が踏み出されそうな、そんな気がしたサロンでした。

第3回の脱ひきこもりサロンは、そんな思いも込めて、さらにもう一歩進めたいと思います。3月17日を予定していますが、案内を明日にでも出させてもらいます。

ぜひさらに多くの、そして様々な立場の人の参加をお待ちしています。

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■節子への挽歌5897:田中さんが朝日新聞の「ひと」に取り上げられていました

節子

節子も知っている田中弥生さんが朝日新聞の「ひと」欄に取り上げられていました。
早速、彼女に読んだよと連絡したら、まだ読んでいなかったので、スキャンして送りました。
ついでにここにもアップしておきましょう。

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先日、執務室を訪問した時に、田中さんの仕事に取り組む姿勢を少しお聞きしました。
とても共感できるものでした。
節子が元気だったら、一緒にお祝いできたのに残念です。

 

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■「ちゃんと話せば悲劇は起きなかった」

前にも書いたことがありますが、テレビドラマの「アストリッドとラファエロ」は数少ない私が好きな番組です。
https://www.nhk.jp/p/astridetraphaelle4/ts/P2J4XW64VM/

毎回、共感する一言に出合いますが、昨夜の「死神の呪い」で出会ったのは、「ちゃんと話せば悲劇は起きなかった」というラファエロの言葉です。
この言葉は、先日の脱ひきこもりサロンでも、私が発言させてもらった言葉ですが、ずっとそう思っている言葉です。
要するに、「嘘さえつかなければ、人生は素直に過ごせる」のです。

テレビのサスペンスドラマの事件は、ほとんど「ちゃんと話さないこと」によって発生し、「ちゃんと話さないこと」によって解決が遅れるのですが、現実は同じです。
ちゃんと話した結果、不幸がやってくることもありますが、人生において不幸な事件は避けがたいものです。それに不幸があればこそ「幸せ」がある。
しかし「ちゃんと話さないこと」、つまり嘘をつくこと、あるいは事実を話さないことから生ずる悲劇は、不幸を超えていますので、「幸せ」にはつながりません。

私は、社会から大きく離脱していますから、「ちゃんと話せる」生き方ができていますが、だれもが「ちゃんと話せる」社会なら離脱することもなかったでしょう。
ほんとうは、社会がとても好きですから。

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2024/02/25

■節子への挽歌5896:新たな出合い

節子

サロンを続けていると新たな出合いがあります。
今日もまた新しい人がやってきました。
以前、友人の紹介でやってきてくれた人が、久しぶりにまた新しい人を連れてやってきてくれたのです。
その方は、今は社会的な活動をしていますが、第二次世界大戦に行っていた父親の辛い思いを背負い込んでしまったのか、自らも一時期、ひきこもり状態に陥っていたようです。
今は逆のそのことがばねになって、社会活動に取り組んでいるようです。

長年サロンをやっていると、実にさまざまな人に出会います。
そのおかげで私の世界は大きく広がり、生き方も大きく影響されました。
会社で定年まで過ごしていたら、こんなに広い世界には生きられなかったでしょう。
いやその前に、節子と結婚していなかったら、私の世界はもっと狭い退屈な世界になっていたと思います。

新たな出合いはいいものです。

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2024/02/24

■節子への挽歌5895:詩作2日目

節子

昨日の詩らしき作品をフェイスブックに書いたら、岡和田晃さんがコメントしてくれました。

空間的・時間的なスケールが大きな作品ですね。
若々しい感性ですが、シンプルな言葉に込められた含蓄の熱量からは年輪も感じ、そのギャップが面白いです。
社会的な問題意識のある詩はいま、絶滅の危機に瀕しているので貴重です。

私には最高のほめ言葉です。
それでつい調子に乗って、今朝も詩の2作目を書きました。

〔あの人〕

昨夜もあの人の夢を見た
毎夜 あの人はいろんな人になって 私に声をかけに来る

ときには不安を ときには幸せを
ときには希望を ときには後悔を
そしてときどき ひらめきや安堵を

目覚めたときの気分は あの人が決めているのかもしれない
目覚めたときの気分で その日に出合う風景は変わっているとしたら
私の生き方を決めているのは あの人かもしれない

わたしは あの人なのだろうか
あの人は わたしなのだろうか

いつか あの人に会いたいと思いながら まだ夢でしか会えていないのがもどかしい

 

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■「あなたはまだ眠ってる 私の骸の上で」

今朝も、まず机について「詩の檻はない」のページを開いて、そこにあった詩を読みました。目が覚めました。こういう2行から始まる詩です。

あなたはまだ眠ってる 
私の骸の上で

三木悠莉さんの「夜はもうあけているのに」の最初の2行です。

私の最近の日課は、起きてすぐに入浴です。
そこでいろいろと考える。
昨日、久しぶりに詩を書いてみたのですが、今日も書いてみようかななどと思っていて、思いついたのが「昨夜もあの人の夢を見た」という1行でした。
あまりの同調にこれは、偶然ではないだろうと思ってしまいました。

何かを始めると、何かが始まる。

今朝は久しぶりに日の出を見ました。
外装リフォームで覆われていたネットが取り外されたのです。
とても気持ちがいい。
私を覆っているネットも取り外さないといけません。
そして目を覚まさないといけない。
骸のなかに安住していてはいけない。

三木さんの詩は、次の3行でおわります。

さあ起きて
遅すぎる目覚めでも
そのまま死ぬよりずっといいでしょ

今日もまた、詩を書いてみようと思います。
3日続けるのが私の流儀ですので。

 

 

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2024/02/23

■節子への挽歌5894:新しいルーチン

節子

毎朝のルーチンが最近少し変わってきています。
笑いのカレンダーを読み上げるのが追加されたのに加えて、今日からもう一つルーチンが増えました。
詩を創ることにしたのです。

時評編にも書きましたが、岡和田さんが送ってきてくれた「詩の檻はない」をランダムに開いて、そこにある詩を声を出して読むことです。
今朝、開いたところにあったのは、文月悠光さんの「消された言葉」。
そこに「わたしたちは詩をかこう」という一行があったのです。
その言葉に背中を押されて、書いてしまいました。

まあ、詩とまでは言えませんが、今朝の想いです。
詩といえるかどうかはともかく、詩を書くのは50年ぶりでしょうか。
時評編にも書きましたが、こちらにも掲載します。

〔希望〕

パルミラで銃撃戦がくりひろげられたとき、哀しかった。
あんなに美しい世界で、なぜ人は銃で殺しあえるのだろうか。
バーミヤンの仏が崩れ去ったとき、ここまで知は荒れ果てたのかと哀しかった。

人は、エデンからこんなに遠くに来てしまったのか。
もう戻れないのだろうか。

銃で戦い、爆薬で仏を殺した人たちが、今度は、人が詠うのを禁じたという。
おどろきはしたが、不思議と哀しくはない。
そこから、詩が生まれだしたのを知ったから。

もしかしたら、知が戻ってくるかもしれない。
詠うことを禁じられて耐えられる人はいないだろう。

うたの時代が戻ってくる。
またパルミラの世界がやってくる。
やはり迷いながらも、人間でありつづけたい。

 

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■節子への挽歌5893:20代と80代の相談

節子

以前ほどではありませんが、いまもいろんな人が相談に来ます。
今日は20代と80代の人が相談に来ました。
それぞれに全く種類の違った相談です。

一方は自分で開発したものを評価してくれる人がいないうちに、悪意をもった第三者にそれが悪用されそうなので、どう守ったらいいかという相談でした。
私は知的所有権という概念に同意できていないので、あまり乗り気ではなかったのですが、その若者が開発しつつあるもの「価値」は理解できました。
私にはとてもついていけそうもないアイデアですが、なかなか面白い。うまく展開すれば、事業化もできるでしょう。
知的所有権としての防衛に関しては、まあ月並みのアドバイスしかできませんでした。

ところが、帰り際にその若者は、なんと私に謝礼をくれたのです。
思った以上の金額で、いささか面喰いましたが、素直にもらうことにしました。
これが今どきの若者文化なのでしょうか。

つづいて今度は80代の人の相談です。
こちらは広義の人情噺なのですが、当人には深刻な問題です。
相談というよりも、まあ一緒に食事をした程度なのですが、問題の質が全く違うのです。
20代と80代とでは、生きている世界が違うと言うべきでしょうか。
こちらの人からは昼食をごちそうになってしまいました。

私の生き方もだんだん「乞食」、あるいは「布施によって生きる人」になってきました。
もう少し徹底できるといいのですが、まあこれ以上は無理でしょう。
世間から脱落しながらも、やはり縁を切れない生き方しかできないのがいささか残念です。

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■50年ぶりに詩らしきものを書いてみました

朝、起きたらうれしいことがふたつありました。

ひとつは外がうっすらと雪化粧していたこと。
もう一つは、昨日のFBの記事のおかげでおふたりのコメントが届いていたこと。

昨日、紹介させてもらった「詩の檻はない」の編集者の柴田望さんから友達リクエストが届いていました。雑誌に寄稿した論考も含めて。
「詩の檻はない」を送ってきてくれ岡和田晃さんからのコメントには、「佐藤さんが1020代のときに書かれていた詩もおまとめになればよいのに、と思ってしまいました」とありました。岡和田さんらしいやさしさですが、幸いにほとんどすべて廃棄してしまっています。

毎朝、「詩の檻はない」の作品を一つ読むことにしていますが、今朝は文月悠光さんの「消された言葉」でした。ランダムに本を開いて読むことにしていますのでこれは全くの偶然ですが、そこに「わたしたちは詩をかこう」という一行がありました。
岡和田さんのコメントもあって、ついついその気になって、書いてしまいました。
まあ、詩とまでは言えませんが、今朝の想いです。
詩といえるかどうかはともかく、詩を書くのは50年ぶりでしょうか。

希望

パルミラで銃撃戦がくりひろげられたとき、哀しかった。
あんなに美しい世界で、なぜ人は銃で殺しあえるのだろうか。

バーミヤンの仏が崩れ去ったとき、ここまで知は荒れ果てたのかと哀しかった。
人は、エデンからこんなに遠くに来てしまったのか。

もう戻れないのだろうか。

銃で戦い、爆薬で仏を殺した人たちが、今度は、人が詠うのを禁じたという。
おどろきはしたが、不思議と哀しくはない。
そこから、詩が生まれだしたのを知ったから。

もしかしたら、知が戻ってくるかもしれない。
詠うことを禁じられて耐えられる人はいないだろう。

うたの時代が戻ってくる。
またパルミラの世界がやってくる。

やはり迷いながらも、人間でありつづけたい。

 

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2024/02/22

■2月のオープンサロン報告

2月のオープンサロンは20代から80代まで、10人の参加がありました。

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なぜか20代の若者の恋愛?の話でだいぶ盛り上がってしまいましたが、ウクライナの人との交流が増えている人からの話や最近伴侶を見送った人の話など、人にまつわる話が多かったような気がします。

いろんな人の話を聞けるのでサロンに来るという人が2人いたのが、改めての気づきでした。話しに来る人もいれば、聴きに来る人もいる。話し合いに来る人もいれば、問題解決のヒントを得るために来る人もいる。もちろん、なんとなく来る人もいます。
そういう目的がばらばらであるにもかかわらず、時間が来ても終わらないので、いつも長引いてしまう。
ホスト役としてもう少ししっかりしないといけないと、いつも反省はしているのですが。

一度、「サロンって何だろう」というサロンをやってみたくなったのが、昨日の感想です。近々、企画したいと思います。

 

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2024/02/21

■節子への挽歌5892:オープンサロンに来てくれる人たち

節子

オープンサロンでした。
テーマもないのに、なぜかオープンサロンにはたくさんの人が集まってくれます。
節子と一緒にサロンをしていた時には、毎回がテーマなしのオープンサロンでした。
サロンが終わった後、よく2人でどうしてみんな来てくれるのだろうと話したものです。
でもあの頃は、軽食や飲み物を用意していましたし、時間も夕方だったので、会社を終わった後に立ち寄ってくれた人も多かった。

でも今は、昼間に行い、しかも会費まで箱に入れていってもらうようにしたのに、みんな来てくれる。中には私への差し入れまで持って来てくるのです。
本当に不思議です。

オープンサロンに来てくれる人たちのおかげで、私の元気が維持されているのかもしれません。

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■「詩の変革力を心から信じています」

先日、「タリバンが今、世界で一番知的な人たち」というタイトルの投稿をさせてもらいました。それを読んだ友人が、「タリバンについてのご意見を拝見したので、参考に送ります」という添え書きをつけて、わざわざ本を送ってきてくださいました。
この友人は、私が時に道を踏み外しそうだと感ずると、言葉ではなく、本などで私に注意喚起してきてくれるのです。私が、いつも気ままに生きていけるのは、こういう守護神たちに支えられているからなのです。

届いた本は、「詩の檻はない」(デザインエッグ株式会社)です。
昨年1月に、アフガニスタンのタリバン政権が詩を制限する命令を出したことに対して、アフガニスタンの詩人ソマイア・ラミシュさんがSNSで、抗議の詩を書こうと世界中に呼び掛けたのです。2か月ほどで100人を超す詩人たちから詩が届いたそうです。日本人も30人以上いたそうですが、今回、私にこの本を送ってくれた人もその一人です。
そうして集まったなかから50ほどの作品を集めて出版されたのが本書です。
私に本書を送ってきてくれた友人は、「民主主義の死」を書いている岡和田晃さんです。
https://webafghan.jp/siten077/

本書の序文で、ラミシュさんは、「本書はアフガニスタン陥落2周年の日に出版されます。この本の出版は、詩とあらゆる形態の芸術を禁止したテロ運動であるタリバンにアフガニスタンが引き渡された恥辱に対する断固たる抗議です。彼らは少女たちから教育を受ける権利を剥奪し、女性を家の中に閉じ込めたのです」と書いています。
友人が、私の投稿に違和感を持ったことにもつながっているでしょう。

私も、自分の投稿記事も読みなおしてみました。
たしかに、私がタリバンを肯定的に評価しているように読み取れますね。私にはそんな意図はなく、どんな評価も固定させずに、常に吟味しなおす姿勢が必要だといいたかったのですが、友人を心配させてしまったようです。

昨日、湯島でオープンサロンだったのですが、そこでも私の発言が他者を傷つけていると叱られました。思ったことを気楽に話してしまう愚鈍さからは、なかなか抜け出せません。さらに別の人は、この本を読んで佐藤さんの言っていることが少しわかった。この本の方がわかりやすい、と本を貸してくれました。私の話はやはり伝わりにくいようです。投稿記事へのコメントを読んでいて、それはいつも感じてはいるのですが。
もう少しコミュニケーション能力を高めないといけません。
そういえば、なぜか昨日は、この本が面白いと言って、コミュニケーション関係の本まで貸してくれた人もいます。私にはそう言ってきた人のほうが、私よりもコミュニカビリティは弱いと自負していましたが、私の言語力や表現力は、それほどダメなようです。困ったものです。

ところで、私も高校生の頃、詩人になりたいと思っていたことがあります。詩も書いていましたが、20代後半からは、詩は書かずに、詩を生きようと決めました。
こんなことを書いたら、また岡和田さんに冷やかされそうですが、その思いは今も続けているのです。
それを思い出しながら、久しぶりにいくつかの詩を読ませてもらいました。

序文で、ラミシュさんは「詩の変革力を心から信じています」と書いていますが、同感です。
明日から毎朝、この詩集の詩をひとつずつ読んでみようと思います。
きっと何かが変わるでしょう。

 

 

 

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■第32回万葉集サロン「帰化人の歌を読む」報告

今回から3回にわたって、「帰化人の歌を読む」ことになりました。
余明軍・麻田陽春など、これまで名前も聞いたことのない歌人の歌です。

帰化人の歌(倭歌)は記紀にも万葉集にもあるそうですが、そこには共通する特徴と相違点があって、そこから改めて「和歌」とは何か、を考えることができると升田さんは言います。
帰化人の詠んだ倭歌は、中国の詩経や新羅の郷歌(ヒョンガ)と同じく叙事的であるのに対して、和歌は叙情的。そこに日本人の「わ」の成り立ちを考える材料があるというわけです。

さらに、万葉集のなかの帰化人の歌を読むことで、当時の日本列島での人々の生活をうかがい知ることができ、日本という「国」の成り立ちのヒントも得られる。そうしたところに、記紀とは違った「歴史書」としての万葉集の面白さがあるようです。
万葉集は、その歌の数において、4500首という世界にも類例をみない歌集ですが、内容的にも実に多彩なのです。しかも、その多様さが、人のこころで束ねられている。升田さんは、そこに万葉集に託した大伴家持の壮大な構想を感じているようです。

「帰化人の歌を読む」シリーズの1回目は、まず大陸や朝鮮半島と豊かな日常的な交流があった当時の時代状況をしっかりと理解することからはいりました。そこには現代以上にグローバルな生き生きした世界があり、なかにはアラブの美女らしき人(升田さんの印象)も登場する歌もありました。現代のような、国境によって分割された世界像を前提にしていると、万葉の時代は見えてこないのかもしれません。そうした社会では、言葉もまたいまとはかなり違った位置づけだったような気がします。(私は「バベルの塔」以前の社会をイメージしました)

そう考えると、そもそも「帰化人」とは何か、が問題になります。そのため、参加者から、「帰化人」をどう理解していけばいいかという問いかけがありました。
帰化人とか渡来人とかいう発想は、小賢しく国境を作ってしまった近代人の発想かもしれません。しかし、万葉の時代にも、やはり渡来人の存在は目立っていたようです。
升田さんは、遣唐使での交流や技術者集団の日本列島への渡来など、大陸や朝鮮半島との人や物の交流の話をしてくれました。

日本列島への人々の渡来は長い時間をかけて繰り返し行われていますが、その理由は様々です。そして、万人単位での渡来もあり、今でも地名などに名残がありますが、日本列島には渡来人たちの村もたくさんあったのです。宮都(みやこ)や大宰府はまるで国際バザールのようににぎわっていたのかもしれません。そんな情景を思わせる高橋虫麻呂の歌も読んでくれました。

言葉が違うためのトラブルも起こったでしょう。升田さんは、日本書紀にある、言葉がうまく通ぜずに殺されそうになった帰化人の話を紹介してくれましたが、そういう事件もあったでしょうが、言葉の違う人たちが、日常的に緩やかに溶け合うように共生していたのが当時の社会だったようです。お互いの話し合いが、鳥の「さえずり」のようだとうたっている歌もふたつ紹介してくれましたが、言葉の位置づけもいまとは違っていたような気がします。
そうしたなかで、歌には言葉の違う人もつなげていく効果があったのかもしれません。
「歌」と「言葉」の関係を考えるヒントが、そこにあるような気がします。

帰化人も「和歌」を歌っています。それが日本書紀や古事記に出てきますが、そうした記紀歌謡は万葉集の歌とは違い、叙事的で、詠み手の思いは歌の外で注記的に語られています(升田さんはそういう歌を漢詩などに対置し「倭歌」と呼びました)。そこには、帰化人の故郷の詩経や郷歌が色濃く感じられる。しかし、それが初期万葉集の歌へとつながり、次第に叙情歌へとなっていく。
升田さんは、記紀万葉は万葉集の夜明けの歌とも位置づけました。いずれにしろ、記紀歌謡と万葉集歌謡とはつながっている、そして変化しているのです。

大伴家持が「心の想いは歌でしかはらうことは難しい」と述べているように、万葉人たちにとっては想いを吐き出すのが「うた」だったようですが、帰化人の歌にはそういう抒情的な心を詠んだものは見当たらないようです。
歌の意味が、帰化人と長年日本列島で生きた人とは違っている、と、そんな風にも考えられるかもしれません。いや、反対かもしれません。「歌」が両者を近づけたのかもしれない。これは私の勝手な解釈ですが。
5・7・5・7・7というリズミカルな短い文字に、こころのうちを吐き出す歌形式はめずらしいものであり、もしかしたらそこに大きなヒントがあるのかもしれません。こころのうちを吐き出すリズムが、叙情的な歌を生み出した。

帰化人には望郷の歌がないことも、升田さんは気になっているようです。
たとえば、帰国を果たせず唐で亡くなった遣唐使の阿倍仲麻呂の、「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」(古今和歌集)という望郷歌は有名ですが、そういう歌は記紀にも万葉集にも見当たらないそうです。
そうしたことにも、当時の状況(渡来とか帰化の意味も含めて)を考える材料がある、と升田さんは考えているようです。

家持は、父の旅人と一緒に太宰府に住んだことがあり、その時にたくさんの帰化人・渡来人と交流したはずです。それが家持の万葉集構想に影響したことは間違いないでしょう。升田さんは、さらに、もしかしたら万葉集成立には帰化人が関与していたかもしれないという大胆な仮説もつぶやいてくれました。湯島サロンならではのつぶやきです。
8次遣唐使で来日した袁晋卿(えんしんけい)という天才に恵まれた若者の話も出ました。

たくさんの話題が出されましたので、ほんの一部しか紹介できませんが、万葉集が生まれた当時の時代状況はみんなそれぞれにイメージできたように思います。
こういうにぎやかな時代背景を踏まえて、次回はいよいよ万葉集にある帰化人の「和歌」を読みます。帰化人の「こころのうち」が読めるかもしれません。
そして、帰化人たちが和歌をどう受け止めてきたか、そして和歌が帰化人たちの歌からどんな影響を受けてきたか。「た」と「わ」の関係の変化も意識しながら、改めて「和歌」の魅力を楽しみたいと思います。

Manyou32000

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2024/02/20

■節子への挽歌5891:今もわが家の周囲は風が強いです

節子

昨日は風が強く、いまやってもらっている家の外装メンテナンスも、危険なのでと早目に作業を引き上げたほどでした。
今回はいつもとは違うところに、お願いしたのですが、とても丁寧な仕事ぶりです。
会社によって、こんなにも違うのかということに驚きましたが、それはまたいつか核として、今日は違う話です。

家の周りに張り巡らしているネットも、危険なので絞っていたのですが、一番大きな会社表示のシートは残していました。
そのシートを留めていたひもが強風で切れてしまいました。
夕方になっても風は止まらず、シートがバタバタとはためき、飛んで行ってしまうのではないかとユカが心配しだしました。私も、ですが。
それで小雨の中を、シートをたぐり寄せ、何とかベランダにひもで結び、固定しました。
いささか危険な作業で、それを知った孫のにこが騒いで、下から応援していました。
オズの魔法使いみたいに、家が飛んじゃうかもしれないねと話しながら、何とか作業は終了。
夜も風が強かったので心配していました。

朝起きてシートを見ると、大丈夫ではありましたが、上部のひもが切れていて、相変わらずバタバタしていました。
もし昨日、下の部分をベランダにつなげておかなかったら、どこかに飛んで行ってしまったかもしれません。
いまもいささか危険な状態ですが、ひとりでは直せません。
注意しないと、シートではなく、私が落ちてしまうかもしれません。
もう10年前であれば、きっと無謀にも対策したでしょう。
無謀なことに取り組む元気がなくなったのは、いいことかもしれません。
早く作業してくださっている人が来るといいのですが。

 

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2024/02/19

■節子への挽歌5890:ボストンからの電話

節子

節子が逝ってしまった後のことなので節子は面識はありませんが、前にも書きましたが、ボストン在住のSさんが、日本に帰国すると湯島のサロンに参加してくれます。
今年もまた日本に来ることになったとで、サロンへの参加をしたいと電話が来ました。
来日を決めたのは一昨日で、それからチケットを手配し、すぐに連絡をくれたのだそうです。

昨年末にSさんからはクリスマスカードが届きましたが、その返事を先週やっと出したのですが、それも見てくださったようです。手紙には、せっかくなので、サロンに参加するだけでなく、サロンを開いていただけないかと書いたのですが、それも引き受けてくださいました。
いつもながらのSさんで、丁寧なお話しぶりには痛み入るばかりです。

Sさんは日常的な生活ではインターネットは使っていません。ですから連絡の基本は電話と手紙なのです。
ただ、時々、私のブログを読んでくださっているようで、私が前立腺がんになったことも知っています。それも気遣ってくださっているようですが、まさにSさんの在日期間は、私の治療時期にほぼ完全にかぶさっています。
でもまあ、サロンの時間は取れるでしょう。
いささか気になりながらも、4月1日にSさんのサロンを開催することにしました。

やはり生きているといろんなことが起こる。
3年を5年に延ばしてもいいかもしれません。
まあそれが許されるのならば、ですが。

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■節子への挽歌5889:もう少し生きつづけよう

節子

最近少し生への考えが変わってきました。
もうしばらく生きつづけようという気が起きてきたのです。
18年ぶりでしょうか。
節子を見送った後、生への関心はほぼ失っていたのですが、この数日、なぜかもう少し生きつづけようという意識が高まってきたのです。
これは前立腺がんが見つかったおかげかもしれません。
まさにワルゾーのおかげです。
感謝すべきかどうかはわかりませんが。

もう少し生きつづけようという意識に気づいたのは、やりたいことが見つかったからではありません。
やりたいことはもう20年前にすべて追いやってしまいました。
いまさらそれに取り組むだけの気力はありません。

ではなぜそう思いだしたのかといえば、やはり生きることの面白さを思い出したのです。
たとえば、節子がお世話になった伊藤医師、20年前に会おうと思いながら会えなかった人、未来の光を感じさせてくれる若者、親子関係に悩む老親たち、あるいはかつて交流していたような社会のど真ん中を前向きに進んでいる人…、そういう人たちとの出会いがこの1か月あたりに集中的にやってきたのです。
そういう人たちが、私の生活に変化を与えてくれるかもしれません。
少なくとも、明日の私の人生に何かが起こるかもしれないという気持ちを起こしてくれる。

それは、20年前までの、私の生活でした。
いろんな人との関係で、私の生活はどんどん変わっていった。
その目まぐるしいほどの変化の面白さに、生きるということはこういうことなんだと、いつもワクワクしていた。あの感覚をちょっと思い出してきたのです。

いささか大げさですが、なんだか23日前から、気分が違う。
何がどう違うのか、よくわからないのですが、何かまた起きそうな、そんな気がしてきたのです。
流れに任せて死を受け入れるのではなく、流れに任せて、生を受け入れる。
生きる姿勢を変えようと思います。

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2024/02/18

■山折哲雄さんの「ブッダに学ぶ老いと死」(朝日新書)も面白い

昨日、図書館から2冊の本を借りてきましたが、その一冊の「一神教と帝国」はぜひ多くの人に読んでほしくて、昨日、紹介させてもらいました。
その後、もう一冊も読んだのですが、これも紹介したくなりました。
ただしこちらは高齢者向けですが。
山折哲雄さんの「ブッダに学ぶ老いと死」(朝日新書)です。
書名にあるように、老いと死を考えるヒントがたくさんあります。
文字が大きいので、1時間もあれば読み終えられます。

釈迦は、29歳で「出家」したのではなく、バラモン教の四住期の人生観にしたがって、林住期に入った。そして、自由気ままな旅暮らしのなかで、35歳で悟りを得て、聖者の生活に入った。世俗の生活と遁世の生活との中間に、聖とも俗とも言えない、その間を迷いながら行きつ戻りつする林任期的な遍歴が釈迦にもあった。
と考えると、釈迦の全体像の見え方、ひいては仏教の人生観の捉え方ががらりと変わると、山折さんは言うのです。
なんだか長年のもやもやがすっきりしました。

こうした林任期につづく遊行期では、彼岸と此岸は折り重なっているでしょう、
私は聖者にはなれませんが、彼岸と此岸がつながった世界には行けそうです。

山折さんは、70代になってから心身の生命力を維持していくために自分に3つの原則を課すことにしたそうです。
「飲み過ぎない」「食べ過ぎない」、そして「人に会い過ぎない」の3つです。
10歳遅れましたが、私も追随することにしました。3番目はいささか自信はないのですが。

山折さんは、私と同じく断食往生死を目指しています。
見習いたいと思います。

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■節子への挽歌5888:素直に自分の老化を受け入れなければいけません

節子

立ち上がった時に、足が痛くて、すぐには歩きだせなくなっていましたが、4,5日、長歩きをしてみたら、だいぶよくなりました。
やはり身体は使い続けないといけないようです。
でも最近は、バランス感覚が急速に低下しています。
たぶん私が歩いているのを見たら、かなりふらついているのではないかと思います。

毎朝、原則としてテレビ体操をしていますが、最近はこの体操さえも疲れを感じます。
そのうえ、どうもバランス感覚に関連した体操はうまくいきません。
どうもふらふらしてしまう。

もっと老化を実感するのは、頭を使った体操です。
どうもうまくいきません。
身体もそうですが、頭脳もまたかなり狂いだしてきているのでしょう。

先日、新聞に開成中学の入試問題が出ていました。
中学入試なら簡単に解けるだろうと思って、数学にチャレンジしてみました。
1問目は解けましたが、2問目で引っかかってしまいました。
これにはいささか唖然としてしまいました。
世間の水準が上がっているのか、私の思考力が低下しているのか。たぶん、後者でしょう。

人間の心身は、やはり劣化していくようです。
にもかかわらず、それを素直には受け入れられないのも人間です。
注意しないと、自分をどんどん誤解していきそうです。

最近、世界が見えてきたと、時々、思うことがあるのですが、とんでもない。見えてきた、その世界は以前よりもずっと小さな世界なのかもしれません。
そうは思えないし、思いたくもないのですが、やはり素直に自分の老化を受け入れなければいけません。

今日はあたたかな1日でした。

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2024/02/17

■「タリバンが今、世界で一番知的な人たち」

今日は、腰痛対策で朝、1時間ほど歩いた以外は、ずっと在宅でした。
散歩の帰りに図書館で新書を借りてきました。

その一冊が、内田樹さんとイスラム学者の中田考さんと山本直輝さんの鼎談の「一神教と帝国」という新書です。とても読みやすく一気に読んでしまいましたが、気づかされることがたくさんありました。

たとえば、こんな発言が中田さんからあります。
「タリバンが今、世界で一番知的な人たち」。
中田さんは、「タリバンは女性蔑視で女の子たちに学校も行かせないじゃないかという、西側諸国の批判があります。しかし、タリバンは女性の教育を禁止しているわけではない。理由があるから今は一時的に禁止しているだけなのです」とも言います。

一番若い山本さん(30代なかば)はトルコの大学で教えていますが、地に足着いた研究をされているのが伝わってきます。前にも彼の「スーフィズムとは何か」を読んで教えられたことがたくさんあったのですが、この鼎談では改めてまた山本さんの発言にいたいほどの刺激をもらいました。やはり海外にいるせいでしょうか、発想がまるで違う気がします。惚れ込んでしまいます。

「リンガフランカ(普遍言語)としてのアニメ日本語」といった話題も盛んに語られています。コミックは最近読んでいないし、アニメは「キングダム」以外は見る気も起きないのですが、「NARUTO」とか「ゴールデンカムイ」はちょっと気になってきました。

鼎談をまとめた新書なので、気楽に読めますが、内容は実に深く、刺激的です。
冒頭の「タリバン評価」に示唆されているように、日本の報道や日本人の著作とは全くと言っていいほど違った指摘が、いきいきと展開されています。
教えられることも実に多い。

ぜひ多くの人に読んでもらいたい本です。
やはり未来はイスラムかアニミズムかですね。

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■節子への挽歌5887:伊藤先生は副院長になっていました

節子
うれしいことが起こりました。

いま私が通っている国立がん研究センター東病院は、節子がお世話になったところです。
ですから最初はかなり抵抗があったのですが、行ってみたら逆に何かなつかしさが甦ってきました。どこかに節子がいるような気さえし始めたのです。

以前は待合室に医師の一覧表が掲げられていました。
節子の時にお世話になった伊藤医師はまだいるだろうかと気になって探そうとしたのですが、医師一覧はいまはなく、代わりに寄付者一覧になっていました。
それで特に調べてみなかったのですが、先日、ネットで調べたら節子の手術をしてくれた、伊藤医師は副院長になっていました。なんだかとてもうれしい気がしました。

節子が亡くなってから、私の精神が極めて不安定になってしまっており、伊藤さんが会いに来てくださるというのを辞退したような気がします。
しかし、当時の記憶はかなり不正確ですので、私の記憶違いかもしれません。

いまも東病院にいることを知って、メールしようかと考えたのですが、もう忘れられているでしょうし、もし覚えていても迷惑をかけるだろうなと思い、差し控えていました。でも15日に診察の合間にいろんなところをうろついているうちに、やはりメールしたくなりました。それで、迷いながらもメールを送ってしまいました。

ところがなんとすぐに返信が来たのです。

久しぶりのご連絡、心より感謝申し上げます。
このようなメールを突然いただき、とてもうれしく思います。
佐藤節子さんの事も佐藤修さんの事もよく覚えております。
もちろん手賀沼マラソンで当時応援していただいたことも然りです。

さらに続くメールによれば、いまもなお、手術もやっているようで、昨日はたまたま手術が早く終わってメールが読めたそうです。たしかに節子がお世話になっていたころも、いつお昼を食べるのだろうかと思うほどの激務でした。

早速に節子にも報告しました。
なんだかとてもうれしい気分になりました。
3月から毎日のように病院通いが始まりますが、もしかしたら偶然に出会えるかもしれません。
私はたぶん気づくでしょうが、伊藤医師は私には気づくことはないでしょう。

でもなんだかそんなことも起こりえると思うだけで、病院通いが楽しくなりそうです。

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■第30回益田サロン「生物と環境の二重円錐モデル」の案内

細菌学の視点を基軸に、生物と環境の関係を考え、そこから社会の様々な問題を捉えなおそうという益田サロンも30回目を迎えました。
この数回、改めて原点に戻っての復習が続いていましたが、次のステップへと進むことになりました。

改めての出発点は、昨年末に行きついた「生物と環境の二重円錐モデル」です。
細菌と宿主の関係から始まった「同心円モデル」が、環境が生み出す「生物のようなもの」が「意識」や「言葉」にまできて、空間的モデルから時空間的モデルへと次元が一段階高まったため、いささかの混乱が生じていたように思いますが、もう一度、二重円錐モデルを益田さんにしっかりと説明してもらおうと思います。

言葉の誕生によって、環境の意味合いが大きく変わってきたと言えるかもしれませんし、時間という概念が入り込んできましたので、今回は主に、「言葉」が切り口になりそうです。

いつものように、益田さんと一緒に、生物と環境の切り口から、私たちの生き方や社会とのかかわり方を、ちょっと違った視点で話し合えればと思います。
みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2024年3月10日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「生物と環境の二重円錐モデル」
〇話題提供者:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2024/02/16

■節子への挽歌5886:健全な老化

節子

そろそろ私の身体も、耐用期間を過ぎだしたようで、いろいろと問題が出始めました。
きちんとケアしておけばいいのですが、そういうことが極めて不得手なので、仕方ありません。

今年になって歯が欠けたりして、3回も歯医者さんに通っています。
先週、固いおせんべいを買ってきて、少し迷ったのですが、食べてしまいました。
案の定、歯が欠けてしまいました。
それで今日、歯医者さんに行ってきました。
まあ、いわゆる8020は達成したものの、だんだん歯も失いかねません。

腰痛を昨年末から体験しだしていますが、最近、いささかひどくなってきました。
座っていて立つと左足が痛くてすぐには動けないのです。
動き出すとすぐに普通に歩けるようになるのですが、最初の数歩はおっかなびっくりといった感じの在り方になってしまいます。
以前は、朝起きた時だけだったのですが、先週くらいから、電車で座っていて降りようとするとスムーズに動けないのです。
これは歩いて治そうと思いますが、うまくいくかどうか。

右目がよく見えません。
まあこれも今に始まったことではなく、たぶん白内障なのでしょう。
手術すれば視界はよくなるのでしょうが、世間がよく見えたからと言って、良いこともなさそうですし、まあよく見えないままの方がいいかもしれません。
しかし読書がしにくいのが困りものですが、読書もそろそろ卒業してもいいでしょう。

一番の問題は、内臓の調子です。
胆嚢手術を先延ばししていることが気になってか、どうも消化器系に違和感を感ずることが多くなっています。
いつか決着をつけた方がいいかもしれませんが、まあ老人は老人なりの身体の方がいいのかもしれません。

思い出し力の低下は、日に日に高まっています。
これはたぶんいいことなのでしょう。
時に人の名前が思い出せずに、失礼をしてしまうことも出てきましたが、まあ許してもらえるでしょう。

というわけで、健全な老化はどんどん進んでいる。
前立腺がんの治療をすれば、さらにこうした「老化」は加速するでしょう。
それがやはりいささかの迷いです。

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2024/02/15

■節子への挽歌5885:がんセンターでの診察結果も同じでした

節子

今日はがんセンター東病院の診察でした。
ジュンに送ってもらいました。

昨日につづき、また採血検査でしたが、結果は当然ながら昨日とほぼ同じでした。
ということで、早速、治療に入ることになりました。
思っていた以上、期間は長く、21日間、毎日、治療に通わなければいけません。
またホルモン療法も、2年間、続けなければいけないそうです。
放置しておく選択もありますが、骨に転移したらつらいので、治療を受けることにしました。
詳しくは時評編に書いておきました。

さてこれからが大変です。
幸いに3月以降の予定はあまり立てていなかったので、何とか対応はできるでしょう。
ユカやジュンには迷惑をかけることになりますが、まあ仕方がありません。

しかし肝臓や膵臓の問題が回避されたのはよかったです。
もちろんまだ解決したわけではないので、落ち着いたらこちらも対応しなければいけませんが。

最近実はもう一つ問題が発生しています。
腰痛です。
長く座っていて立ちあがると痛くてすぐには歩き出せないのです。
10歩ほど歩くと大丈夫なのですが。
整形外科に行くかどうか、迷っていますが、しばらくはともかく歩くことで解決できないか試してみようと思います。
それにしても最近は身体はボロボロです。

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■前立腺がん治療体験報告9;陽子線治療を始めることにしました

国立がん研究センター東病院での採血検査で、昨日の東邦病院とほぼ同じ結果が出ました。それで陽子線治療を始めることにしました。

その説明書と説明を受けましたが、そこにこんな文章が掲載されています。
治療を受けた場合の、リスクをいろいろと説明した後に出てくる文章です。

治療を何も行わない場合、病気が進行し、特に排尿障害などの泌尿器系症状が悪化する可能性があります。また遠隔転移は骨に生じやすく、疼痛の原因となる可能性があります。一方で前立腺癌は非常にゆっくり進行する場合が多いので、無治療で経過観察をした場合でも、症状が悪化したり骨転移の症状が出たりすることなく天寿を全うされる可能性もあります。

私のかかりつけ医が話した通りです。

これを読むと放置しておけばよかったような気もしてきます。
治療は短期間に集中的に行いますが、4週間ほど、ほぼ毎日通わないといけなさそうです。いささか気が重いです。
またホルモン療法は2年ほどは継続しないといけないのだそうです。
これも面倒です。
しかし、予定通り治療に入ることにしました。

ちなみにPSA値とがんとの関係を聞いたところ、PSA値は「がんの元気度」につながっていて、値が高いと転移しやすいのだそうです。
PSA値が低下したと言っても、がんが消えたわけではないのです。
それと一挙の値が下がることは、時にあるそうで、別にめずらしい話ではないそうです。
言い換えれば、また上昇する可能性もあるというわけです。

というわけで、いよいよ3月から標準治療に入ります。
これまで以上に、民間療法による体力整備に努めなければいけません。
それにあまり悩ましい問題には近づかないようにしなければいけません。
と思っていたら、病院からの帰路に電話がかかってきました。
悩ましい相談ですが、ついついそんな相談をしてこないでよ、と声を荒げてしまいました。

困ったものです。

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■節子への挽歌5884:「体験」こそが最高の学び

節子

昨日につづき今日もまた病院です。
国立がん研究センター東病院ですが、今日はジュンが送ってくれます。
昨日すでに採血検査が終わっていますので、新しい発見はないでしょう。
そろそろ陽子線治療の相談が始まるのかもしれませんが、まだ先行きは見えてきません。

もうこの辺りで標準治療はやめて、生命の成り行きに任せるのがいいかもしれませんが、それもまた周りとの関係で面倒です。
まあ今の路線をつづけようと思います。

今朝は、息子さんの引きこもりで長年悩んでいる父親からメールが来ました。
専門家への相談をし続けてきた10年以上のようですが、たぶん専門家に相談しつづけることにこそ、「問題の立て方」が間違っているような気がしてきて、一度、会いませんかと連絡しました。
彼が立ち向かうべきは、自分と息子のはずですが、どうも多くの人は専門家や医師に頼ってしまう。それこそが「病気」なのかもしれません。
今回の前立腺癌体験で、改めてそういうことに気づかされています。

やはり、「体験」こそが最高の学びです。
今の私の考えは、たぶん、節子との体験から学んでいるのでしょう。

なぜか最近、親子関係の相談が増えてきています。
情が深ければ深いほど、それが裏目に出てしまう。
人間とは不思議な存在です。

さてそろそろ出かけなければいけません。
また病院での1日が始まります。
今日は午後には解放されるでしょうが。

 

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2024/02/14

■節子への挽歌5883:採血検査はすべてほぼ正常

節子

時評編に書きましたが、東邦病院で採血検査をしましたが、なんとすべてがほぼ正常値でした。意外な結果です。
前回の監査結果は一時的な異常値だったようです。
前立腺がんよりも気になっていた、肝臓関係は一安心です。
しかし心当たりと言えば、この1か月やめていたのは、アルカリ療法とヒートマット、そしてチャーガです。
これが一因でしょうか。
確かめようがないのが悩ましいです。
取りあえず先週からアルカリ療法は復活しています。

明日また採血検査をやりますので、その結果も踏まえて、これからどうするかを決めようと思います。
いずれにしろデータ値が改善したのはいいことです。
ワルサくんも頑張ってくれたようです。

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■前立腺がん治療体験報告8;ホルモン療法1か月目

ホルモン療法を始めてから1か月経過。
その結果を見るために、東邦病院で血液検査を行いました。
この間、副作用は全くと言っていいほどありませんでした。

気になっていたのは、前回の血液検査で、肝臓や膵臓関係のデータ値が標準値より一桁高かったことです。そのため消化器医でさらに検査をしようと思いましたが、少し様子を見ようと思い直し、今回の採血検査結果まで待っていました。
今日は、その結果とせっかく改善に向かっていたPSAが元に戻った、その後の経過です。

結果は何といずれも大幅な改善でした。
ASTやALT、そしてγ-GTPは、いずれも正常値に戻り、問題のPSAもほぼ正常値に近い4.5でした。
なんだかキツネにつままれた感じで、PSAがこんなに急に改善することはあるのですかと医師に訊いたら、ありますとのことでした。
なんだか納得できないのですが、何を訊いていいかわからないので素直に結果だけを受け入れました。
ホルモン療法は継続ですが、副作用もないということで、濃度を高め、3か月に一回の注射になりました。
薬は今まで通りです。

というわけで、私の場合、ホルモン療法は劇的に効果があったということです。
明日は国立がん研究センター東病院放射線科での診察です。
また採血検査がある予定ですが、今日の結果と明日の結果が見比べられるので興味津々です。

以下は蛇足記事。

今日は病院の待合室で3時間以上過ごしましたが、私と同じような前立腺がん関係らしい人が複数いました。そのおひとりはいささか不安そうでしたので、声をかけました。訊けば検査でPSAが5を超えていて、生検をしたそうですが、幸いにセーフ。経過観察になっているそうですが、生検の後が大変だったそうで、不安を持っているようです。
余計なことですが、私の体験を話させてもらいました。

もう一人は、離れていたので声をかけられませんでしたが、看護師とのやり取りを聞いていて、これから全身MRIと造影剤を入れての CT検査で、骨への転移の検察をするようです。私の体験談を話してやりたい気分です。
なんとなく暗い雰囲気なので、雨にも負けずのデクノボウのように、みんな心配しないで大丈夫と伝えたいです。そういう会話が気楽にできる待合室になれば、病気になっても病人にはならないですむかもしれません。でも、今できるのは隣の人との会話がせいぜい。時間がもったいない。私の体験を話した気分でした。

 

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■節子への挽歌5882:節子に甘えすぎたことへの後悔

節子

昨夜、ユカがコンタクトレンズをなくしてしまいました。
今日から2日連続で私の病院の往復を頼んでいたのですが、運転ができなくなってしまったのです。さてさて困ったものです。
早速、今日、コンタクトレンズを作りに行くそうですが、できるまで一週間くらいかかるようです。その間、私の外出は公共交通機関に頼らないといけません。

今日は市内の病院なので、そう問題はないのですが、明日はがん研究センター東病院なので、いささか憂鬱です。
以前から、ユカからは毎回送れるわけではないので、その時には電車とバスで行ってねと言われていましたが、まさか実際にそうなるとは思っていなかったのです。何しろ私はいつも楽観主義で、わがままですから。

それに、往復も面倒ですが、私はどうも一人で病院で時間を過ごすのが苦手です。
がん研究センター東病院の場合、待合室で隣の人に話しかけるような雰囲気はあまりないのです。

節子のがん研究センター東病院での診察には必ず私は同行しました。
あの頃はいまよりも病院の体制は不整備で、ともかく待ち時間が長かったのですが、ふたりで話しながら過ごした時間でもありました。
先日、当時の待合室をのぞいてみましたが、全体的な雰囲気はそう変わっていませんでした。
でもたぶん待ち時間問題は解消されているはずです。

ところで、私自身は当の昔に運転免許を返納していますので、運転はできません。
病院の送迎はいつもユカが自動車でやってくれています。
それがあまりに当然のことになっていたのですが、今回、送迎がしばらくできなくなったことで、そのありがたみに気づきました。
私がいかに娘たちに支えられているかを、時に忘れがちですが、それへの戒めかもしれません。周りの人たちに支えられていることに関しては、自分ではいつも感謝しているつもりですが、身近な家族の場合には、あまりに日常的過ぎて気づかないのかもしれません。
どうも「甘え」があるようです。

と考えると、節子への甘えは、娘に対するものどころではなく、際限なく大きかった気がします。
節子は私の思いを、すべて察知して支えてくれたと言ってもいいでしょう。いやな顔一つせずに、いろいろと私の思いをかなえてくれた。
改めて節子への感謝の念とともに、いささかの後悔を感じさせられています。

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■第3回中国現代文学サロン「桃郡梅さんの『狡猾な父親』を読む」報告

第3回中国現代文学サロンは、桃郡梅さんの『狡猾な父親』を取り上げました。
表題の「狡猾」という言葉に含意されていることも含めて、いろんな読み方ができる作品です。

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この作品を理解するには、時代背景が重要ですが、同時にこの作品から、中国社会の文化やその変化に関わる政府の政策などが読み取れます。
前回と同じく、講師役の葉紅さんは、作品を読む上での背景情報を作品に沿って解説してくれました。それだけでも中国という国を理解するとても興味ある話です。

たとえば、都市戸籍と農村戸籍が分かれていて、農村出身者が都市部に戸籍を移すことが難しい。あるいは、2013年に「老人権益保障法」という法律ができて、子どもは定期的に親の家に帰り親の面倒を見なければいけないことになった。
さらには、21世紀にはいり中国では大学が急増設され、1995年には83万人だった大学卒業生が2021年には、その10倍以上の900万人を超えた、などいう話は、中国を理解する上での様々な示唆を与えてくれます。
時に小説は、歴史書や専門書より雄弁です。

時代背景を解説した後、葉さんは参加者に「作者がタイトルに「狡猾」と表現したものは、結局父親のどんな振る舞いを指しているのか、またそれは狡猾なのだろうか。併せて議論していただきたい」と問いかけました。

参加者の感想も多様でしたが、「狡猾さ」という言葉がさまざまなメッセージになることに、改めて文学の面白さを楽しめました。
この小説の最後の一文は、実に象徴的ですが(読んでいない人にはわからない話なので申し訳ありませんが、見事な終わり方です)、その一文が問いかけることにこそ、この作品の大きな意味があると受け止めた方も一人ならずいました。私もそうですが。

私は、中国が抱えている儒教的人間世界と近代的経済世界のせめぎあいのようなものを感じながら、読んだのですが、前回同様、中国の人たちへの親近感を強めました。
海外の小説を読むことの意義を改めて感じました。

ちなみに今回は、参加者の間で、中国のテレビドラマが話題になりました。
小説やドラマを通して、そこに住む人たちのお互いの理解が深まれば、政府の関係も変わっていくだろうなと期待しています。

次回(6月9日)は、徐則臣「もし大雪で門が閉ざされていたら」(「現代中国文学」19号収載)を読む予定です。気になる表題の作品です。
「現代中国文学」はアマゾンでも購入できますが、もしご希望の方がいたら、まとめて葉さんに購入してもらいますので、ご希望の方は今月中に私宛ご連絡ください。

中国現代文学サロンは4か月ごとに開催しています。

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2024/02/13

■5881:田中さんを執務室に訪問しました

節子

節子もよく知っている田中さんが、会計検査院の院長に就任しました。
田中さんからの誘いもあって、お昼休みの時間に会いに行きました。
とても大きな立派な部屋で驚きました。
つい、わが家よりも大きいくらいだなどとまた言ってしまいました。

久しぶりの霞が関でしたが、大きく変わっているのにも驚きました。
今やもう私は、いわゆる「おのぼりさん」族になっているようです。

玄関に行くと、すでに秘書官が待っていてくれて院長室まで案内してくれました。
サンダルでなくてよかったです。
田中さんの執務室は赤じゅうたんの先にありました。
とても快適そうな部屋でした。
由緒ある歴代の院長の肖像画が飾っている部屋も見せてもらいました。
写真はダメだと言われましたが。

分刻みの多忙な時間ですので、用意してくれていたランチをたべながら1時間で退席の予定でしたが、ついつい話が楽しくて長引いてしまいました。
あまりに終わらないので、秘書官がそろそろ次の約束が、と遠慮がちに言ってきました。
「要職」についても変わらない田中さんで、安心しました。
でもかなりやせていたのと、一緒に食べたランチもほとんど残してきたのが気になりました。

帰宅後、「ちゃんと食べないといけません」とメールしたら、「ちゃんと食べています」と返信がありました。
「要職」につくと、食事も自分勝手にはいかないようです。

院長が終わったら、一度、サロンでその経験を話してもらえればと思いますが、なかなか難しいでしょう。
なにしろ国家の会計検査院ですので、そう簡単には話せないことが多いでしょうし。
でも久しぶりに田中さんに会えてよかったです。
節子の衣服を使ってつくったバッグも一緒でした。
節子もきっと喜んでいるでしょう。

 

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2024/02/12

■節子への挽歌5880:世間とのつながりのわずらわしさ

節子

世間と付き合うのは実にめんどくさい。
節子が健在だったら、もう世間とは縁を切って、どこかでのんびりと暮らせていたかもしれませんが、残念ながら今もなお、世間とのつながりを切れずにいます。

来月初めに福岡から西川さんが湯島に来てサロンをしてくれます。
その案内を出したら、ある人からサロンに出たいという連絡があり、師かもしその後、宴席を設けてくれないかという依頼がありました。
この人には一度、裏切られて迷惑を受けていますが、頼まれたら受けるのが私の信条ですので、その方向で手配しだしました。

とまあ、こんなことを書いても意味がないので止めますが、要は手配がほぼ整った段階で、何をどう勘違いしたのか、彼から断りの連絡があったのです。
たぶん夜の宴席は私は出られないという一文を付け加えてしまったからでしょう。
昼食ならいいという意味だったのですが。
前回と同じく、全く理解不能ですが、何やら自分は大企業の経営者と会う予定をやめてまでサロンを優先したのに、私が出ないとは何事だということなのでしょうか。
その人は私よりも年上で、会社の経営者でもありました。

その人と話していると、その人はよく「成功談」を話すのですが、私にはまったく興味はなく、むしろ「失敗談」としか聞こえないのですが、今回も「大企業の経営者」と湯島のサロンを比較されました。
私は、大企業の経営者もホームレスもまったく人の評価には関係ありません。
むしろ大企業の元経営者を看板にして生きている人への憐憫の情はありますが、でも中にはそういう人にも尊敬すべき人はいますので、一概に否定はしませんが、正面からそういわれると私としてはついムッとしてしまうのです。
まあそうやってせっかくの機会を活かせなかったこともあり、もう少し器用に生きた方がいいと思うこともないわけではありませんが、まあこればかりは直しようはないのです。

そんなわけで、今日もまたいささか不快な1日になってしまいました。

さて西川さんにはどう伝えたらいいでしょうか。
西川さんにも調整してもらったのですが、間に入った者としては、他者のせいにはできません。
まったくもって、世間と付き合うのはめんどくさい。
かといって、世間と縁を切るのも寂しくて、できない。
困ったものです。

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2024/02/11

■節子への挽歌5879:友人の相談にまた付き合ってしまいました

節子

今日は父の命日です。
寒い日でした。
ユカからお墓参りを勧められましたが、友人から会えないかという電話があり、父には申し訳なかったのですが、友人の頼みを優先してしまいました。
先日、節子のお墓参りに行ったときに、父にもあいさつしていたので許してもらえるでしょう。
現世で悩んでいる人の相談に乗ることも大事ですし。

湯島で会って話しました。
問題の所在は私にはほとんどわかっていますし、その人も頭ではわかっている。
もなかなか行動できずに、事態は一向に解決に向かわない。

もう長いことを同じ状況の中で、同じような相談を受け続けているのです。
私のきちんと任せてくれればいいのですが、それもできないようです。
なんだかおかしなプライドが邪魔をしているのかもしれません。
社会的に「成功」したと言われている人に共通していることかもしれません。

まあしかし、そういう話をずっと聞いていると私自身もなんだか気が滅入ってきます。
お昼を過ぎたので、食事を一緒にしようと思い、いつものお店に行ったら日曜でお休み。
それでその人の変える方向である御徒町の法に行ったのですが、どこもかしこもお店の前に人が並んでいるほどの混雑です。
今日は三連休のど真ん中だったのです。
待つのは苦手なので、最後は、小さな焼きそば屋に入って食事を済ませました。

そんなことで、なんだか気が乱れていて、午後のサロンではまた余計な発言をしてしまい、さらに気が滅入ってしまいました。
世間は三連休で楽しそうですが、どうも私は気が滅入る日がつづいています。

困ったものですが。

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2024/02/10

■節子への挽歌5878:孫のチアダンス発表会

節子

今日はにこのチアダンスの発表会でした。
これまでもいろんなところで、パフォーマンスしていますが、今回は通っているNPOファーストステップ主催の第1回発表会だそうです。
けやきの大ホールで行われたのですが、行ってみたら人が多いのに驚きました。
通っている曜日と時間ごとにグループができていて、そのグループが次々と発表するのです。
にこは、その中で一回、ソロダンスも披露しました。

20240210

私は最初の1時間弱で帰りましたが、にこが帰宅したのは夕方でした。
それも同じグループの友達や母親たちとどさっとやってきました。
聞くところでは、これからわが家で打ち上げをし、子どもたちはお泊り会なのだそうです。
にこは、このグループではまとめ役になっているようです。

チアダンスの動画をFBでアップしようかと思ったのですが、最近はいろいろとうるさいので静止画だけにしました。
それでも早速に群馬にいる姪の連れ合いが見て連絡してきました。
しばらくご無沙汰だったのですが、久しぶりにやり取りできました。
こういう時にFBはとても効果的です。

にこのイベントに参加すると、節子がいたら、と、いつも思います。

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■「ドキュメント石垣島」の上映会で15年前医手紙を出した人に会いました

湯島で「ドキュメント石垣島」の上映会がありました。
主催したのは、湯島へいわサロンですが、私も参加させてもらいました。
上映してくださったのは、「上映屋」仕かけ人のビデオジャーナリストの湯本雅典さんです。
上映会の報告は主催者のnikoさんが報告してくれると思いますが、昨年3月の石垣島基地開設の瞬間からの記録を見せてもらい、改めて憤りを感じました。

日本の政府は、いまやまさに「暴君」としか言えませんね。
特に石垣島の住民投票訴訟の顛末は、法治国家とは言えない話のように思います。
https://www.qab.co.jp/news/20230523175279.html
やはり沖縄には、日本政府の無法ぶりが象徴的に露呈されているようです。
しばらく沖縄関係のサロンはやっていませんが、また企画したいと思います。

それはそれとして、実は思ってもみなかったことが起こったのです。
上映屋と自称されている湯本さんとサロンのはじまる前に雑談していて、15年以上前に、私が湯本さんに手紙を出していたことに気づいたのです。
湯本さんが、最初の作品は『学校を辞めます』でしたというので、思い出したのです。
映画のほかに、本も出版していませんか、と訊いたら、そうだと言います。
そこで、「あの湯本さんか!」と気づいたのです。

その本『学校を辞めます』のことを新聞で知り、私はすぐに購入して読ませてもらいました。当時、学校教育に関心があったのです。とても共感して、著書に手紙を出しました。たぶん反響が多かったのでしょう。返事はもらえませんでした。
でも、その本のことと著者の「湯本さん」は、ずっと記憶に残っていました。
まさか、こんな形で、その湯本さんにお会いできるとは思っていませんでした。
しかも、いま改めて学校教育に関心を持ち出したときに、です。

たぶん、その本はわが家の書庫に埋もれていることでしょう。
探し出して読みなおそうと思います。

こんなことが起こるのですね。

 

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■節子への挽歌5877:不幸の先には幸せがある、谷があれば山がある、でも…

節子

人生はあまりにいろんなことがありすぎます。
最近なんとなく前向きのうれしい話が増えていたのですが、今朝起きてパソコンを開いたら、気を萎えさせられてしまうような話が3件も入っていました。
いずれも私に直接かかわる話ではなく、相談に乗ったり、気になっていたりする人たちの話なのですが。
周りに楽しい話があれば元気になり、残念な話が多いと気が萎える。どうも人間というのは、周囲との関係の中で、振り回されながら喜怒哀楽を楽しんでいる存在のようです。

いずれも、最近湯島に顔を見せないので気になってメールしたのですが、いずれもいささか大変な状況のようです。難病を抱えている人もいますし、人間関係で悩んでいる人もいる。思うように仕事が進まない人もいる。
そういう状況自体は、私はむしろ生きる喜びに通ずるものではないかと捉えています。
問題や困難はそれがいい方向に向かうときに喜びがありますし、いい方向にもっていくための取り組みそのものが楽しさや生きがいにつなげていけるからです。
不幸の先には幸せがある、谷があれば山がある。

とはいうものの、先が見えなくなることもある。
今朝はそんな感じの状況で苦労している人たちからのメールが届いていたのです。
私自身の気も萎えてしまいかねない。

自分の意識の持ちようも大切ですが、周囲との関係に振り舞わされてしまうのも、また避けられない。
だからこそ周りの人たちとも関係を大事にしなければいけません。

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■湯島サロン「コモンズの共創① 公と共の違いを考える」のお誘い

久しぶりに私が問題提起させていただくサロンを企画しました。

私の関心事は、「コモンズの共創」です。
35年ほど前に25年間勤めた会社を辞めて、生き方を一変させましたが、そこで出合ったテーマが「コモンズの共創」でした。
当時は、「コモンズ」も「共創」も、言葉さえあまり使われていませんでした。

以来、住民主役のまちづくり活動や当事者視点のNPO活動、あるいは従業員視点での企業経営などの問題に、ささやかにかかわってきました。
私自身も、コモンズ共創的な生き方を志向してきましたが、正直なかなかうまくいきません。

湯島のサロンでも、かつては何回かお話をさせてもらい、実際にもコモンズ通貨を呼びかけて、コモンズ村を立ち上げかけたこともありますが、挫折してしまっています。
そんなわけで、いまさらという気もするのですが、また、「コモンズの共創」をテーマに、何回かサロンをさせてもらおうと思います。

その1回目のテーマを「公と共の違いを考える」にさせてもらいました。
湯島のサロンでは、これがよく話題になるからです。
とともに、湯島のサロンの底流には、「公から共に」を置いているのですが、それについてきちんと話したことがないため、うまく伝わっていないことに最近気づいたのです。

日本では、「公共」という言葉がなんの抵抗もなく使われていますが、「公」と「共」とは全く相反する概念のように思っています。一言で言えば、「公」は「お上」であり、「共」は市民社会ではないかと私は考えています。公はお上のもの、共はみんな(民たち)のものと言ったらわかりやすいでしょうか。つまり全く違う世界です。

これに関しては異論も多いと思いますが、今回は異論も出し合いながら、「公」と「共」、あるいは「公共」とは何か、を話し合えればと思います。
私から2030分ほど話させてもらい、後はみんなで話し合うというスタイルです。

気楽にご参加いただければと思います。
できれば、これを皮切りに、「コモンズの共創」をテーマに何回か、サロンをつづけたいと思っています。連続して参加し、一緒に考えてくれる人がいるとうれしいです。

〇日時:2024年3月3日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:公と共の違いを考える
〇問題提起者:佐藤修(CWSコモンズ村村長)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2024/02/09

■5876:ずっと気になっていた人と偶然に出会いました

節子
人の縁とは本当に不思議です。

もう15年以上前のことですが、新聞で『学校を辞めます』と本を書いた人の話を知り、その書籍を購入して読みました。当時は、子どもの教育問題や学校のあり方に関心を持っていたのです。
もう内容は覚えていないのですが、読ませてもらってとても共感を覚え、著者に手紙を書きました。残念ながら返事は来ませんでしたが、なぜかその人のことがずっと気になっていました。その直後に、節子を見送ることになったこともあり、忘れてしまっていました。気になりながら。

昨日、石垣島での基地反対運動のドキュメンタリの映画を観ながら話し合うサロンが湯島でありました。私の主催ではなく、サロン仲間のnikoさんたちの平和サロングループ主催です。
私も関心があったので参加させてもらいました。
映画製作者の湯本雅典さんも来てくださいました。

準備のために少し早めに来た湯本さんと雑談していたら、湯本さんが実は最初作った映画が「学校を辞めました」だったと言うのです。
湯本さん。「学校を辞めました」。ピンときました。
それで、もしかして、本も出版されませんでしたか、と尋ねました。
出版したというのです。
あの「湯本さん」だったのです。
なんという奇遇でしょうか。

長生きしていると、いろんなことがある。
なんだかとてもうれしい気分になった1日でした。

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2024/02/08

■節子への挽歌5875:遠方からの相談者

節子

今日は栃木から3時間以上かけて、湯島に相談に来た人がいます。
その人の困った様子を見ていた私の友人が、私を思い出して、連れてきてくださったのです。
個人的な話ですので、その方の話は書けないのですが、親の悩みは抱える人が多いことを最近痛感しています。
しかも、その原因の多くは、お互いのことを思うあまりの小さな思い違いから始まり、さらに気遣うあまり、本音で話せなくなってしまい溝が大きくなっていくのです。

話を聞きながら私にできることはないかを考えました。
時間をかければ、そう難しい話ではありませんが、当事者同士での解決は難しいでしょう。
問題は、場所が離れていることです。そうちょいちょいお会いできる距離ではないのです。

しかし、不謹慎なのですが、私に何かできることはないかを考えていると、何やら少し元気が出ます。
そういえば、最近は誰かから、解決を依頼されることがないことに気づきました。
頼まれもせずに、自分から解決に取り組むことは相変わらず多いのですが、今日のようにしっかりと頼まれることが最近ではなくなりました。
紹介してくれた友人は、「ビジネス」として受けてほしいと言いますが、こういう話を「ビジネス」で受けることなどできるはずもありません。
友人の思いは、ボランティアではなく、責任をもって支えてやってほしいという意味でしょうが、この辺りは私の価値観とは真逆なのです。
責任を持ってやれるのは、ボランティアであればこそですから。

まあそれはいいとして、今回の問題の要は、その悩んでいる人のこれまでの生き方なのです。
その人の生き方を見直し、生き方を変えることが、たぶん解決策でしょう。

と、その人のことを考えながら、実は同じことは自分にも言えるな、などと考えたりしていました。
親子の関係は、実に微妙です。
私自身のためにも、その人の問題を少しでも解決したいと思います。

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2024/02/07

■節子への挽歌5874:青木さんに癌のこと話してしまいました

節子

図書館に行く途中で、近くの青木さんに出くわしました。
最近、畑に来ないけど、心配していたというのです。
「癌になってしまった」というと、何やら真顔になってしまいました。
また相手のことを考えずに、あまりにも軽く話してしまいました。

節子もよく知っている青木さんは、もともとの地の人で、私が畑もどき作業をやっているとよくやってきて、話し込んできていたのです。
私よりも5歳ほど年下ですが、いまはもう会社も辞め、たぶん悠々自適な毎日なのでしょう。

癌と訊いて、ちょっと驚いて、じゃあ畑ももうできないだろうから、今度、勝手に生えてきている樹木を伐採してやるよと言ってくれました。
もう私が畑作業には戻れないと思ったようです。
慌てて、でもまだ死なないから大丈夫、今度手伝ってよと、つい言ってしまいました。
畑もどき作業はもうやめようと思っていたのですが、なんだかやめたくなくなってきました。
青木さんに心配をかけてはいけません。

病気のほかにもいろんな話を受けました。
知覚の道の側溝の蓋がないとか、がけが危ないとか、もろもろです。
私はいまは自治会の会長ではないのですが、何かと相談されるのです。
畑作業よりも、一度、今度、ランチでもいっしょしようかと思います。

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■節子への挽歌5873:前立腺がんの先輩として

節子

3月に湯島でのサロンを申し出てくれていた京都の友人から、検査で前立腺がんと診断されたので、サロンは延期したいという連絡が届きました。
私のケースととても似ていて、血液検査とMRIでほぼ癌と認定され、これから生検だそうです。まさに私のたどった道を進んでいるようです。

私よりも若い人で、しかも公的な立場もある人なので、私とは違って、大変だろうなと思います。癌の意味も全く違っているでしょう。
自分の体験から、声のかけ方が難しいことを認識しているのですが、まあ前立腺がんの先輩として、私の体験や意見を伝えました。
いささか不謹慎な印象を与えかねないかとも思ったのですが、先にブログやFBに投稿した「民間療法報告」も送ってしまいました。
まあ私ができることと言えば、そんなことぐらいしかありませんので。

気になっていましたが、「心強いです」との返事が届きました。
ホッとしました。
前立腺がんの先輩として、少しは役に立てることがうれしいです。

それにしても、前立腺がんだと言われた人がこんなに多いとは驚きました。
私と違い、まだいろんな活動をしている人ばかりなので、ご苦労も多いようです。
私が気楽に受け止められているのは、きっと世間から脱落しているからでしょうね。
改めてそれに気づかされています。
話し方には気を付けなければいけません。

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■湯島サロン「新しい大学創設への取り組み」報告

30代を中心とするメンバー12名で取り組んでいる大学づくりの活動を、大学設立準備財団代表の樋口祥子さんに紹介してもらいました。

降雪予報が出たため開催が危ぶまれたのですが、新しい「学びの場」づくりに取り組んでいる人やいまの教育のあり様に関心のある人など10人を超える人が集まりました。
この問題への関心の高さがわかります。

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12人が目指しているのは、「立初(たてぞめ)創成大学」の設立です。
その実現に向けて、大学生も含めて、30代の若者たちが中心になって、構想を練り上げ、資金を出し合って立ち上げたのが、立初創成大学設立準備財団です。出資者や具体的な立地があったわけではなく、資金集めも立地探しも、すべて自分たちで取り組むという若者たちの意気込みに、その本気度(使命感)を感じます。その代表の樋口さんは、勤務していた会社を退社し、いまその活動に専念しています。

樋口さんは、なぜこうした活動に取り組みだしたのかから話をはじめ、自分たちが目指している大学の構想や実現に向けての取り組みについて、紹介してくれました。
先行実践を踏まえて構想が完成したのは3年前の2021年。そこからその大学で構想している「教育の3本柱(国際情報分析・国際社会探求・フィールドワーク)」の実践に取り組みながら、立地探しを進めてきています。現在すでに立地もめどがつき、現地との交渉に入っているとのことです。

どこまで書いていいかわからないので、この程度にしますが、詳しくお知りになりたい方は、財団のホームページやフェイスブックをご覧ください。
https://tatezome-sosei-univ.studio.site
https://www.facebook.com/tatezomesoseiuniv

そもそもの出発点は、現在の大学教育への疑問と日本社会の未来への不安のようです。
樋口さんは、卒業後、会社に入社し、その関係で5年ほど海外で生活されたそうですが、そこでいろいろな気づきを得たようです。それが今の大学教育への疑問を引き起こしたのかもしれません。今の大学教育は、現実をしっかりと見る目を養い、社会に合わせるだけではなく、社会の一員として、いかに生きるべきかを自ら問えるような教育になっているのか、というのです。

同時に、いまの社会や経済に直接触れて、「このような日本で、私たちやこれからの世代は幸せになれるだろうか」という思いを持ったそうです。
そこで、仲間たちと一緒に、「自分たちで、この地域から、この国を良くしていくんだ」という心意気と責任を持ち合わせ、この国の「主人公」を生み出す大学をつくろうと動き出したのです。

ここにいくつか重要な視点があります。
たとえば、学ぶものたちを主役にしようという精神を感じます。
学ばせる大学ではなく、学ぶ大学と言ってもいいかもしれません。
受け身の学びではなく、自らが徹底的に真実に迫る「探求」と、実際に地域で生きる人たちの生きざまや歴史を経て育てられてきた本物の文化と触れる「体感」を核にした、自らが学ぶ場を創っていこうとしているのです。

樋口さんたちは、いまある地域に新しい大学を創ろうとしていますが、その大学づくり活動や大学そのものが、モデルになって、全国各地で同じような大学づくりが動きだし、拡がっていくことを目指しているようです。
という意味では、これは単に一つの大学を創ることではなく、大学という制度そのものを変革していこうという活動なのです。
つまりある種の「運動」を起こそうとしているのです。

そうした「運動性」を感じさせる工夫もいろいろと示唆されていました。中途半端な紹介は誤解を招きかねないので控えますが、ぜひ多くの人に樋口さんたちの構想と思いに触れてほしいと思いました。
単なる大学づくりの話ではないのです。

公的な大学制度に基づく大学(私立も含めて)を創るには文科省のルールに従わなければならず動きにくいし、資金調達方法によっては出資者の影響を受けやすい危険性もありますが、樋口さんたちがあえて大学に挑戦しているのは、制度そのもののパラダイム転換を志向しているからでしょうか。もちろん樋口さんたちは、そうしたことがないように、資金調達方法にしてもいろいろと考えています。

話し合いでは、この大学の理念や哲学の話題も出ましたが、樋口さんたちが基本に置いているのは、歴史的遺産としての「日本文化」です。
その文化は、いまなお日本各地のコミュニティに残っている。しかし、そうした一次産業を核にした地域コミュニティは失われつつある。その結果、「日本人」というアイデンティティも壊れてきているのではないかというのです。

その理念は、大学の名称に「立初」という文字を入れたところにも現われています。
建物の位置が定まったとき最初に建てられる柱を「立初柱(たちぞめばしら)」というのだそうです。ホームページによれば、「転じて、一国一家を中心で支える人物」とあり、この大学の使命は、この国の「主人公」を生み出すことと書かれています。卒業後は、国や地域を支える「立初柱」になる人を育てるというのです。

同時に、「主人公」はしっかりと、地に足がついていなければいけない。したがって、この構想では、「地域とのつながり」がとても重視されています。カリキュラムのフィールドワークは地域にこだわっていますし、さらに「地域インターンシップ」で学んだ成果をまずは地域コミュニティに還元していくことになっています。キャンパスも実社会から乖離されることなく、むしろ地域コミュニティこそを「学び舎」にしていくことが重視されています。

まだまだいろんな話が出ましたが、長くなるのでこのくらいで止めておきます。
私は、共感しながらも、いくつかの疑問も感じましたが、どんな質問をしても即座に適切な回答が返ってくる。12人を中心に、時間をかけて構想し、しかも実践を重ねながら構想を見直している様子を感じました。

たとえば、私は「人を育てる」という表現に「学ばせる」発想を感じたのですが、教授と学生との関係もしっかりと考えられているようですし、大学生をどうカリキュラムづくりに巻き込むのかということもすでに試行済みなのでしょう。
むしろ話を聞いている私のほうの頭の固さを思い知らされました。

ただそうは言っても、現在の社会での実戦力にむけての「急ぎすぎ」の感を持ちました。
リベラルアーツへの時間ももっとあってほしいとも思いましたが、そもそも4年間という時間が短すぎる気もします。そこから変えていかないと大学教育は変わらないような気もします。ちなみに、樋口さんたちは大学院も想定しているそうです。
でも中途半端な異論は誤解を招きそうなので止めておきましょう。
ともかく、この活動が大きな風を起こしていくことを期待したいです。

活動を推進していく上で、賛同者が多いことは大きな力になるそうです。
賛同者の署名活動もしていますので、よろしくお願いします。
https://tatezome-sosei-univ.studio.site/sign

 

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2024/02/06

■節子への挽歌5872:雪の朝

節子

10センチ近い積雪がありました。

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朝の雪景色はとても好きです。
特に香りが好きです。
朝早く起きましたが、まだ雪は少しちらついていました。
ちょうど今、外装のメンテナンス工事で、わがやは青色のネットでおおわれていますが、そこから見る景色も何か新鮮です。

雪が降ると音が雪に吸収されるのか、静かです。
時々、屋根にたまった雪が落ちる音がしますが、鳥の声も聞こえません。
今日は家で静かにしていようと思いますが、雪のために工事も中止でよかったです。

こんな日は、しかし、とても感傷的になります。

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2024/02/05

■節子への挽歌5871:雪の中をサンダルで帰りました

節子

今日は午後から雪になるという予報でしたが、サンダルで出かけました。
ユカは、靴を勧めましたが、サロンを早目に終われば大丈夫だと思っていました。
ところがいつもどおりサロンはなかなか終わらない。
なんとか終わって我孫子に向かったら、娘から我孫子はかなり雪がつもっているようで駅まで靴を持っていこうかとメールが届きました。
底の減ったサンダルだとすべって危ないといいます。もちろん断りました。

我孫子駅を降りたら、ユカの言うとおり、雪が降っているうえに積もっているのです。我孫子には大雪警報が出ていたそうです。
傘も持ってこなかったことに気づきましたが、仕方なく、雪の中をとぼとぼと歩き出しました。歩き出した途端に、滑って転びそうになりました。なにしろ古いサンダルなので、底のギザギザもなく、とても滑りやすいのです。

歩きだしたら声をかけてくる人がいます。だれかなと思ったらゆかでした。何回も断ったのですが、靴をもって迎えに来たそうです。困ったものです。転倒して入院したら大変だからというのです。靴に履き替えたらと言われましたが、断りました。まさか傘も持ってないとは思わなかあったと、傘は持ってきませんでしたの、ユカの傘にいれてもらいました。

この程度の雪など何でもない、全く今どきの者は根性がないと言ったら、ゆかから、今どきの老人は馬鹿だと言い返されました。
返す言葉もなく、サンダルでゆっくり帰りましたが、もう足がびしょびしょで大変でした。一番危険なのは家の近くの急坂です。注意したのですが、案の定、転倒。お尻をついてしまいました。ズボンがびしょびしょになってしまいましたが、転び方がうまかったのでけがはなし。幸いに自動車もなく、事故にもならずでした。

途中で雪景色など取ったつもりですが、なぜか帰宅して確認したら、写真は撮れていませんでした。代わりに、転ぶときにスマホのシャッターを無意識に押したようで、その写真が残っていました。

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というわけで、今日は大変でした。
そういえば、帰りの電車もすごく混んでいて、久しぶりに満員電車でした。
みんな早目に帰宅したのでしょう。
疲れた1日になってしまいました。

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■節子への挽歌5870:今日は雪だそうです

節子

今日はもしかしたら雪になるそうです。
今日は湯島でのサロンなのですが、話題提供者から延期の相談がありました。

雪と言えば、節子と一緒にサロンをやっていた時に、大雪で帰宅をせずに、湯島で止まったことがあります。
当時は夜の開催でしたが、終わって外を見たら雪が積もっていたのです。
参加者はみんな帰宅すると言って、無事帰れたようですが、私たちは雪の湯島の朝も体験したいと、急遽、宿泊することにしたのです。
ちょっとした冒険でしたが、新鮮な体験でした。
食べるものもなく、隣のスーパーもまだない時でしたが、当時のサロンはいつも節子が参加者のための軽食を買い込んできていたので、食べるものは残っていた気がします。

しかし、残念ながら、翌朝の記憶がない。
節子との記憶は、いろいろと断片的には残っていますが、なぜか肝心の記憶が思い出せないことが多いのです。まったく記憶から消えてしまった者も少なくないことに気づくこともある。そのくせ、些末なことはよく思い出すのです。

寒い朝です。
最近また、昨年末の民間療法生活に戻りだしました。
朝風呂が復活し、毎朝、20分の入浴が最近の私の朝の始まりです。

お風呂が沸いたようです。これから入浴です。

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2024/02/04

■前立腺がん治療体験報告7;励ましの言葉

今回もまた横道の話です。

今日の朝日新聞に、座談会「知ろう!語ろう!がん患者のもやもや」という記事が載っていました。前編の今日は、「励ましの言葉」がテーマでした。
とても共感できる話がたくさん出ていました。

私もFBやブログ、さらにはサロンなどでがんのことを語っていますが、実にいろいろな反応があります。
おそらく反応する人のほとんどは私への励ましのつもりでいろいろと言ってくださるのでしょうが、ほとんどは「励まし」にならずに、むしろ逆効果を起こすものが多いのです。私への励ましだと好意的に受け止めはしますが、時に正直、不快になることもありますし、場合によっては不安を与えられることもあります。「励ましの言葉」が「悪魔の言葉」に聞こえてくるのです。
「励まし」ということが、どれほど難しいことかを思い知らされます。

私は、妻を癌で見送っていますが、その時にも同じ経験をしていますので、それなりに免疫というか、対処の仕方も心得ているはずですが、それでもやはり腹立たしくなったことは何度かあります。まさに「無心な善意こそが最高の残酷さ」なのです。
ですから、私は「励ましの言葉」は基本的には意図しません。もちろん、そうあってほしいと思いながら言葉を発することはありますが。

そもそも同じ「がん」と言っても、一様には語れません。
また「がん」ということへの受け止め方も、人によって全く違う。
私は、「せっかく癌になったのだから」という表現を、自然と使ってしまいましたが、その言葉自体を聞いて、不快になった人もいるだろうことに少し経ってから気づきました。言葉は本当に難しい。
いまでも時にうっかりとそういう言い方をしてしまいますが、気をつけなくてはいけません。言葉は元気を与えもしますが、心を傷つけることもある。

「励ましの言葉」ほど難しい言葉はない。
いやそもそも「励まし」などという発想に、問題があるのかもしれません。

今回もまた治療体験とは無縁の話でしたが、治療の法はまた最近、以前取り組んでいた民間療法や癌細胞との対話活動に、取り組み直しだしています。
ホルモン療法の副作用は、いまのところ全くありません。
内臓の違和感やデータ以上に関しても、次回の血液検査結果を見てから動き出そうと思っています。

ちなみに、朝日新聞の座談会記事は明日も後編が載るよう

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■第32回万葉集サロン「帰化人の歌を読む」のご案内

今回は、余明軍・麻田陽春など帰化人の歌が取り上げられます。
升田さんは、こうした帰化人の歌が、前回の人麿の高市皇子挽歌(長歌と短歌)にもつながり、「和歌」、歌ってなんだ、「言」ってなんだということにもつながる気がすると言います。

そしてこう解説してくれました。

古事記や日本書紀・続日本紀以外でも、万葉集にもたくさんの帰化系や渡来人の歌があって、大陸や朝鮮半島との交流の豊かさを知ることができます。

ただ古代では、交流の文化を考える時、文物を遣り取りしただけではなく人ごと(集団で)技術が国を渡ったことを考えると、「た」も「な」も日本側からの一元的な世界観は、その多様多彩さにかなり様変わりしたはず。そこに対峙する「わ」もしかりだったと思われます。

万葉集は多くの帰化系の人々の歌を抱えています。そして「言葉」と「表現」技巧?の特殊な世界?です。
彼らの歌はすっかり和歌に通じているので探るのは難しいかもしれませんが、彼らの歌を通して日本の「歌」や「言」の本質を垣間見ることが出来るかもしれません。

彼らは異国の歌を異国の言葉や形で作るのだから、彼らが詠む和歌に彼らが見た日本の歌の言葉や意味、音の有り様を、逆照射することが出来るのではないかという期待もあります。

今回は、麻田陽春、余明軍、吉田宣などの優れた歌を読みながら日本の「歌」や「言」についても考えてみたいと思っています。

なんだか。私がこれまで知っていた万葉集とは全く違った世界に触れられそうで、ワクワクします。

升田さんの万葉集サロンも敷居が高いと感じる人もいるようですが、何でも質問ありの気楽なサロンですので、万葉集など読んだこともない人も歓迎です。
万葉集を読み飽きた人もきっと新しい気づきをもらえます。

みなさんの参加をお待ちしています。

〇テーマ:「帰化人の歌を読む」
〇日時:2024年2月18日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

 

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■節子への挽歌5868:豆まきにこの急襲

節子

昨日は朝から夜までいろいろと用事があって疲れた1日でした。
節分であることは意識していましたが、私がいないうちに豆まきは終わっていたとばかり思っていました。豆まき役はいつも孫ににこなのです。

 夕食は恵方巻。疲れたので9時近くなったので寝ようと思い、朝、乱雑にしていたベッドを寝室で整頓していたら、突然後ろから大声がして、何かが飛んできました。
まさに心臓が飛び上がらんばかりの驚きで、腰が萎えてしまいました。
振り返るとパジャマ姿のにこが楽しそうに立っていました。
いつもは音をたてて2階に上がってくるのに、足を忍ばせてきたようです。
あんまり驚かすと死んじゃうぞ、とにこの頭をこつんとしました。

そこから豆まきが始まりました。
節子がいたころの我が家の豆まきは「鬼は内、福も内」でしたが、にこは窓を開けて、「鬼は外、福は内」と言って豆をまいていました。我
家の文化は、どうも娘たちには継がれないようで、残念です。
しかもそのうえ、「おさむさんは鬼だから」と言って、私にも豆をぶつけてきました。
そして7つ(歳の数)だけ豆を食べたと言いながら、私にも豆をくれました。

というわけで完全ににこに翻弄されました。
しかも帰り際に、明日は豆の掃除にがんばってね、と言い残して。
実に小憎らしい。

今朝は朝から前を踏みつけて、掃除どころではありません。
いつか仕返しをしないといけません。

Mamemaki1

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■第29回益田サロン「生物と環境に関わる2つの問い」報告

今回の益田サロンは私が参加出来なかったので、参加者の近藤が報告をまとめてくれました。

5人が参加し、少人数ならではの活発な質疑応答が展開しました。

前回の益田サロンでの乾さんの宿題質問から話はスタートしましたが、その問題を明確化するために、今回は(前回まで議論進展の中核にあった同心円~二重円錐モデルは一旦横に置いて)益田サロンの一つの基本概念である「生物と環境の関係性」について最初から復習することとなりました。

生物とその生存を支える環境、逆にいえば、その生物が破壊すると自らの生存を棄損する生存基盤としての環境、という不即不離の関係性を見ていく中で、最後にはその相似形としての「人間と社会の関わり」という比喩にまで話が広がりました。
もっとも、「人間(個人)と社会」の関係性については、今回は軽く示唆しただけで、次回のテーマとして持ち越すことになりました。

本日の発端となった乾さんの質問要旨は、
①環境と生物の関係を、たとえば絶滅危惧種についてどう考えるか。
②同様の視点から、ロシアの攻撃によってインフラが破壊されウクライナでコレラが発生し流行の危機となった現象をどう考えるか。
という二点でした。
益田さんはそれらの背後にある「生物と環境の関係性」について説明してくれたので、これが結果的にここ数回にわたる益田サロンの復習になったわけです。

益田さんはジフテリアやコレラなどの病原性細菌を例にとって詳しく説明してくれました。
いわゆる病原性細菌は、本来の姿では大きな悪さをせずに人体の中で常在的に共存しています。細菌にとって人体は長く生活できる安定的な生存環境です。

ところが、細菌にバクテリオファージ(ウイルス)が感染すると、細菌の内部にウイルスの遺伝子が入り込み、細菌の増殖システムを利用してウイルス自身を増殖させます。
そして、ウイルス遺伝子に含まれている毒性たんぱく質を作るDNAが人体にとって致命的な毒素を作ります。
つまり、ファージ感染された細菌だけが病原性を発現するわけです。

(このとき、穏やか形temporateタイプは、細菌のDNAの中にウイルスのDNAを挿入し、細菌の分裂増殖のときにウイルスDNAも一緒に増えます。激しい形virulent形は、細菌のDNAとは独立に細菌のなかに存在し細菌の複製機能を使って大量に自己複製し、細菌の細胞膜を破壊してウイルスが激しく撒き散らされます)
感染していない細菌は(名前こそ病原性細菌と呼ばれますが)病原性をもたず環境(人体)と調和・共存しています。

ファージは、自分が感染することによって感染先の細菌が非感染細菌に対して生存不利になる(ウイルスを抱えて生きるために負担が増える)ことを補償するために、ファージの遺伝子の中にある毒たんぱく質(細菌に対してではなく人体に対して毒)合成DNAを使って細菌に毒を作らせます。この毒が細菌から排出されて人体の血管を壊して出血させ、細菌に栄養を与えることで、自分(ファージ)の生存を担保します。

ここで、「ファージと細菌」、「細菌と人体」、というふうになっている「主体と環境」の関係を見ると、主体は直接の環境には大きな悪さはしません(環境が持つ復元力を超える負担はかけない。これを益田用語で「環境あっての生物」というわけです)
しかし、もう一段階先にとっては害となるわけです。

このような、多重入れ子となっている主体と環境/その環境/さらにその環境、という構造のあり方は、実はかなり普遍的な事物のありようなのではないか、と益田さんはいいます。そして、政治家個人と派閥と政党と社会と国と世界という入れ子構造にもそうした利害と協調の多重構造があるのではないか、と話はジャンプするのでした。

が、ここからの「公と私」の関係性などへの視点展開は、先に述べたように次回以降のお楽しみとなりました。

なお、今回新たに乾さんから出された関連質問に「抗生物質耐性菌はなぜ素早く耐性を獲得するのか(環境への素早い適応)」というものがありました。
突然変異や遺伝子組み変わりという変化メカニズムだけでは現実にみられるような素早い耐性獲得は説明できないのではないか、という趣旨です。

これに対しては益田さんから「他の細菌種がすでに獲得していた耐性DNA(ウイルスなどが運ぶことで)水平獲得したのではないか」との回答がありました。これも生物の環境適応戦略の別の姿ではないか、というわけです。

生物と環境の関係や、そこからの比喩を考えることは、私たちが物事をみるときの新しい視点を提供してくれるのではないか、という結論で今回のサロンは終了しました。

Masuda000

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2024/02/03

■湯島サロン「複音ハーモニカ音楽の不思議」のご案内

今回はめずらしいサロンのご案内です。
話題提供してくださるのは、長年、福岡でハーモニカのストリートライブをされている西川義夫さんです。
西川さんの活動は次のサイトをご覧ください。
https://www.youtube.com/channel/UCuP2fisX825tb1ZfzDCMwIw

西川さんは60歳からハーモニカ人生を始めたのですが、以来、福岡での毎月のストリートライブや海外でのライブツアーなど、幅広く活動されています。
そうした長年のハーモニカ演奏活動から、さまざまな体験知を得ているようで、今回、東京に来る機会に私に話してくださるという申し出をいただいたのですが、せっかくであれば、多くの人にも聞いてほしいと思い、サロンをお願いいたしました。
西川さんからは、次のようなメッセージをもらいました。

60歳で始めたハーモニカ人生も19年目を迎えました。
最近「複音ハーモニカの音響特性」を明らかにする試みを始めています。
今回は、複音ハーモニカの音響の世界を、演奏とエピソード・データなどでご紹介したいと思っています

私は何回か西川さんの演奏を聴かせてもらっていますが、西川さんの演奏からはいつも大きな元気をもらっています。
そして国内外でライブ活動をしている西川さんのまわりには、さまざまなエピソードが満ち溢れています。今回はどんなお話を聞けるか楽しみです。
「ハーモニカ音楽の不思議」というタイトルも気になります。
演奏もあるそうなので、いつもとはちょっと違ったサロンになりそうです。

みなさんのご参加をお待ちしています。

〇日時:2024年3月2日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「複音ハーモニカ音楽の不思議」
〇話題提起者:西川義夫さん(複音ハーモニカ奏者)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

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■節子への挽歌5867:箸技大会

今日はいろんな集まりが重なっていました。
湯島でのサロンもあれば、私的な集まりもありました。
その合間を縫って、川口で開催されていた国際箸学会の箸技大会に行きました。
昨年の大会が大盛会だったのですが、そこにも行っていなかったので、箸学会とかかわる以上一度は見ておきたかったのです。

川口の市民ホールの大きな会場での開催で、参加者は100人を超えての大盛況でした。
遅れていったのですが、すでに会場は熱気に包まれていました。
私は競技には参加しなかったのですが、審判員やスタッフなど、知り合いが多かったのにも驚きました。
しかも中には競技に出て入賞したりしていました。

今回の参加者のなかの中心は、長野の児童養護施設の円福寺愛育園の子どもたちでした。
理事長の藤本さんにも久しぶりに会ってお話しできました。藤本さんの活動は実に感動的なのです。子どもたちとも少し話ができました。
他にも20人近くの知り合いと出会えました。
小宮山さんは、こうした出会いの場をいろいろとつくってくれます。
むかしは新しい出会いにこそ興味がありましたが、いまはむしろ友人知人との出会いの場が楽しくなってきました。これは歳のせいでしょうか。

笑いヨガの櫻井さんが審判員で来ていました。
ちゃんと笑っていますかと言われ、一緒に笑っている写真を撮ってくれました。

その後の用事は、いささか重いテーマでしたが、箸技大会で元気になっていたので、何とか対応できました。
人生は実にいろいろあります。
でもまた最近、何かを始めたくなってきています。
解くべき問題がないと、私は元気が出ないタイプなのかもしれません。

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■神代文字で書かれた古史古伝の話をしてくれる人はいませんか

日本には記紀以前の古書と言われる神代文字で書かれた古史古伝と言われる文書群があります。以前、そうしたものに関心を持ち、その入門書を読み漁ったことがあります。

一番興味を持ったのは「カタカムナ」で、カタカムナの相似象学会機関誌も購読していました。消化できていたとは全く思いませんが。
神代文字にも一時期興味を持ちましたが、これはあまりにも歯が立たずに、入っていけませんでした。しかし漢字以外の文字があったに違いないとは思っています。
というわけで、一時は、その関係の、いわゆる、超古代史にはまっていたこともあります。

 先週、近くの図書館に行ったら、新刊の棚に『対訳 富士古文書』がありました。
懐かしいので借りてきてしまいました。
富士古文書は、一般には「宮下文書」と呼ばれていますが、秦の始皇帝が不老不死の霊薬を求めて送り出したという徐福が遺した文書と伝えられる富士高天原王朝の歴史書です。

 超古代史の文書は、いずれも壮大なスケールで書かれていますので、空想を広げると実に楽しいですが、丁寧に読んでいくと、意外と記紀につながる示唆ももらえるのです。
それに古史古伝群にはどこか共通したものを感じますが、それはおそらく何らかの事実があったからではないかと思わせます。それは先週読んだ、「万物の黎明」の主張に通じています。文字に残された、いわゆる「歴史時代」の前には、地球規模の、あるいは宇宙規模の壮大な世界があったのかもしれません。

 残念ながら、この『対訳 富士古文書』は『対訳』とあるように、いかにもテキスト的で退屈でしたが、またちょっと超古代史文書への関心が起こってきました。

 一度、湯島のサロンで話題にしたいのですが、どなたか話をしてくれる人はいないでしょうか。あまり踏み込んだ話ではなく、あくまでも入門編のサロンにしたいのですが。

 

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2024/02/02

■節子への挽歌5866:外装メンテンナンス工事が始まりました

節子

今日からわが家の外装メンテンナンス工事が始まります。
いま足場が家の周りに立ち始めています。
10年に一度の工事ですが、今回も私は全く何もせずに娘たちが手配し対応してくれています。
家事に関しては、私は気が向いたときにしか口を出さないという文化は、節子の時からのものでしょうか。
そうしたことが苦手な私としては、とてもありがたいことです。

ユカに言わせれば、私は子どもの頃から甘やかされて育ったのではないかと言います。
それに節子は、私の思いをいつもかなえてくれていました。
そうしたことを見ているために、たぶん娘たちの私への信頼感はないのでしょう。
まあ娘たちの評価は正しいとしか言えません。

私がやってよかったことはほとんどない。
大失敗もいくつかありますし。

考えてみれば、私は実に「いいとこどり」の人生だったのかもしれません。
節子には感謝しなければいけません。

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■政治とお金の問題の立て方

パーティー裏金問題に端を発して、また「政治とお金」が話題になっています。

それに関して、政治にどうして巨額なお金がかかるのかが問題ではないかという問い方がよくされています。
その問い方にこそ、問題があると私は思っています。
問題の立て方を間違えてしまえば、実態の本質は全く見えなくなってしまいます。
そういう問い方は、問題の本質を覆い隠すために仕組まれた問いでしかありません。
政治に金がかかるのではなく、政治に金がかかるようにしたのですから。

資本主義は、汎金銭市場化を進めています。
芸術もスポーツも、教育も福祉も環境も、次々と市場化され、資本の増殖目的に取り込まれてしまいました。
「政治」や「選挙」もまた、その流れに沿っているだけの話です。
お金がかかるようにすることこそが、選挙や政治の本質になってきているのです。

アメリカの大統領選挙を見ればわかることですが、アメリカでは選挙そのものが「収益事業」化されています。強大な収益イベント事業と言ってもいいでしょう。オリンピックや万博の比ではありません。

アメリカでも1970年代には選挙につぎこむお金が多額すぎるとの議論もありましたが、その後、アメリカ最高裁判所は、政治に対するお金の自由な流入は何人によってもさまたげられてはならない、との判決を出したのです。
つまり選挙も政治も、今や「お金稼ぎの仕組み」なのです。
ですから、お金がかかるのではなく、お金をかけることによってお金がもうかる仕組み、あるいは多くの貧しい人たちからお金を広く刈り取る仕組みになっているのです。

同じことは税金にも言える話です。つまり消費税は、本来の税金とは全く違った発想での制度なのです。「税金」という文字に惑わされてはいけません。

こうした風潮にどう抗うか。
それは難問です。
何しろ今やほとんどの人が、お金に依存するしか価値を見出せなくなってきているからです。
こういう理由で、私は、大谷選手にもあまり好感が持てないのです。

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■前立腺がん治療体験報告6;腰痛と内臓変調

前立腺がんの、いわゆる「標準治療」に入っていますが、いまのところ何の変化も起きていません。変化がないのも報告価値がありますので、定期的に報告を書こうと思います。

癌とは別に2点、体調に問題が生じています。
ひとつは腰痛です。これは骨への転移の兆しかと思ったこともありますが、転移はなく、どうも単なる腰痛のようです。
もう一つは、肝臓や膵臓に関する血液分析の値が上昇したこととそれと関連しているかどうかはともかく、内臓の違和感が続いていることです。

まず腰痛ですが、これに関しては、友人が「腰痛は歩いて治す」(谷川浩隆 講談社現代新書)を勧めてくれました。この種の本は苦手なのですが、ざっと目を通しました。
腰痛とは関係ないのですが、こんな文章が出てきました。

がんは症状がなくても放置すると、腫瘍が大きくなったり転移したりして患者さんの生命をおびやかします。ですからがんと診断されれば、たとえ症状がまったくなくても治療が開始されます。

癌腫瘍の存在と症状とは必ずしも一致しないというわけです。
問題は「癌腫瘍の存在」なのか、それが引き起こす「症状」なのか。

この短い文章の中に、医療や病気の本質が示唆されているような気がします。
本書の著者の谷川浩隆さんは、心身医学的な方法論をとりいれた「心療整形外科」を提唱されている方だそうです。「心療」という視点から、「病気」や「医療」を捉えているのです。

私に対して、「病人」だと自覚していますか? という問いかけをしてくる人が時々います。私はいつも、がん患者だとは思っていないと答えてきていますが、がん細胞がいま体内に存在するという自覚はもちろん持っています。
でもそのがん細胞は、いまのところ何の症状も引き起こしてはいません。むしろ私には、私の仲間のような親近感があります。ワルサくんと命名までしています。
でも、「心療」的には変化を起こしているのかもしれません。

谷川さんが書いているように、がんと診断されれば、たとえ症状がまったくなくても治療が開始されることをよしとするかどうか。
医師の中には、そうした医療の在り方を問題にし、いわゆる「医源病」論や反癌治療論を唱えている人もいます。
でもほとんどの人が、「がん細胞の存在」を指摘されると、それだけで「病人」意識を持ってしまうのが現実かもしれません。そして、がん細胞を排除しようとする。でもがん細胞もまた自分の身体の一部であることは間違いなのです。どうも対処の仕方が間違っているような気がします。

とまあこんなことを改めて考えてしまって、肝心の腰痛の話まで読み進めませんでしたが、歩くことで腰痛は治ることもあるというメッセージだけは素直に受け取りました。
今日もこれから40分ほど歩いてくる予定(散歩ではありません)ですので、そのうち腰痛は治るでしょう。

2番目の内臓変調ですが、これは悩ましいです。
民間療法が関係しているとしたら、何が問題かを確認したいのですが、それが難しい。
改めて検査しようかと思っていたのですが、今月また2回も血液分析をすることになっているので、その結果を待つことにしました。
その間、チャーガやアルカリ療法を控えることにしました。

しかし、もともと胆嚢の機能不全もあって、民間療法とは関係ないかもしれません。
それに、意識すればおかしくなるのですが、気にしなければ何ともない。
まさに「心療内科」の話なのかもしれません。
でもこれ以上、通う病院を増やしたくないので、少し様子を見ようと思っています。

というわけで、実のところあんまり調子はよくないのですが、ホルモン療法の副作用は何も出ていません。
これは民間療法によるところが大きいのではないかと思っています。

今回は、前立腺がんとは関係ない話になってしまいました。

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2024/02/01

■節子への挽歌5865:生活リズムを壊していまいた

節子

ちょっとまたリズムを壊していました。
最初はグレーバーの「万物の黎明」にはまってしまったのが理由で、2日間、読書だけの生活でしたが、そこからリズムを壊してしまいました。

「万物の黎明」は3日前に読了したのですが、在宅日がつづき、心身のリズムが壊れてしまったのでする。昨日は湯島に出かけたので、少しリズムを取り戻しました。でもやはりどこか変調しています。
毎日、パソコンに向かい、メール交流やFBへの投稿はしているのですが、また挽歌を書けずにいました。それを察知してか、友人が、体調はいかがですか、と打診してきました。

ホルモン療法の薬は毎日飲んでいますがその副作用は出てきていません。
たぶん今のリズムの変調は、その副作用ではないでしょう。
まあいろんな問題が起こるので、正直、前立腺がんなどはあまり大したもんだでもないのです。生きているといろんなことがある。うれしいこともいやなことも。
できるだけあらゆることを肯定的に捉えていますが、時に滅入ることもある。
困ったものです。

会社を辞めたころの人生計画では、今頃は第4期。湯河原でのんびり暮らしているはずだったのですが、相変わらず俗事に巻き込まれて、苦楽のある生活。
苦楽はいくらあってもいいのですが、やはり一人で苦楽を受けるのは退屈です。

今日は、書けずにいた数日分の挽歌をまとめて書こうと思います。
体調は崩れていても、節子につながる話はいろいろとありますので。

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