■50年ぶりに詩らしきものを書いてみました
朝、起きたらうれしいことがふたつありました。
ひとつは外がうっすらと雪化粧していたこと。
もう一つは、昨日のFBの記事のおかげでおふたりのコメントが届いていたこと。
昨日、紹介させてもらった「詩の檻はない」の編集者の柴田望さんから友達リクエストが届いていました。雑誌に寄稿した論考も含めて。
「詩の檻はない」を送ってきてくれ岡和田晃さんからのコメントには、「佐藤さんが10~20代のときに書かれていた詩もおまとめになればよいのに、と思ってしまいました」とありました。岡和田さんらしいやさしさですが、幸いにほとんどすべて廃棄してしまっています。
毎朝、「詩の檻はない」の作品を一つ読むことにしていますが、今朝は文月悠光さんの「消された言葉」でした。ランダムに本を開いて読むことにしていますのでこれは全くの偶然ですが、そこに「わたしたちは詩をかこう」という一行がありました。
岡和田さんのコメントもあって、ついついその気になって、書いてしまいました。
まあ、詩とまでは言えませんが、今朝の想いです。
詩といえるかどうかはともかく、詩を書くのは50年ぶりでしょうか。
希望
パルミラで銃撃戦がくりひろげられたとき、哀しかった。
あんなに美しい世界で、なぜ人は銃で殺しあえるのだろうか。
バーミヤンの仏が崩れ去ったとき、ここまで知は荒れ果てたのかと哀しかった。
人は、エデンからこんなに遠くに来てしまったのか。
もう戻れないのだろうか。
銃で戦い、爆薬で仏を殺した人たちが、今度は、人が詠うのを禁じたという。
おどろきはしたが、不思議と哀しくはない。
そこから、詩が生まれだしたのを知ったから。
もしかしたら、知が戻ってくるかもしれない。
詠うことを禁じられて耐えられる人はいないだろう。
うたの時代が戻ってくる。
またパルミラの世界がやってくる。
やはり迷いながらも、人間でありつづけたい。
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