■節子への挽歌5875:遠方からの相談者
節子
今日は栃木から3時間以上かけて、湯島に相談に来た人がいます。
その人の困った様子を見ていた私の友人が、私を思い出して、連れてきてくださったのです。
個人的な話ですので、その方の話は書けないのですが、親の悩みは抱える人が多いことを最近痛感しています。
しかも、その原因の多くは、お互いのことを思うあまりの小さな思い違いから始まり、さらに気遣うあまり、本音で話せなくなってしまい溝が大きくなっていくのです。
話を聞きながら私にできることはないかを考えました。
時間をかければ、そう難しい話ではありませんが、当事者同士での解決は難しいでしょう。
問題は、場所が離れていることです。そうちょいちょいお会いできる距離ではないのです。
しかし、不謹慎なのですが、私に何かできることはないかを考えていると、何やら少し元気が出ます。
そういえば、最近は誰かから、解決を依頼されることがないことに気づきました。
頼まれもせずに、自分から解決に取り組むことは相変わらず多いのですが、今日のようにしっかりと頼まれることが最近ではなくなりました。
紹介してくれた友人は、「ビジネス」として受けてほしいと言いますが、こういう話を「ビジネス」で受けることなどできるはずもありません。
友人の思いは、ボランティアではなく、責任をもって支えてやってほしいという意味でしょうが、この辺りは私の価値観とは真逆なのです。
責任を持ってやれるのは、ボランティアであればこそですから。
まあそれはいいとして、今回の問題の要は、その悩んでいる人のこれまでの生き方なのです。
その人の生き方を見直し、生き方を変えることが、たぶん解決策でしょう。
と、その人のことを考えながら、実は同じことは自分にも言えるな、などと考えたりしていました。
親子の関係は、実に微妙です。
私自身のためにも、その人の問題を少しでも解決したいと思います。
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