■節子への挽歌5930:半田さん、いや、N'da haさん
節子
時評編でまた報告しますが、今日は半田さんがサロンをやってくれました。
テーマは「厭わしき民と平等」。いかにも半田さんらしいタイトルです。
ちなみに、このサロンの時、半田さんは「半田」ではなく「N'da ha」の名前で登場。初めての人は、いったいどこの人だろうと不審がりました。祖先はアフリカとN'da haさんは答えましたが、もちろんそれはルーシー、またはイヴのことを言っているのですが。
私は「名前」に関しては、自分があまりにもよくある名前なので、あまり気にしてはいなかったのですが、節子はどうだったのでしょうか。
「片山」が「佐藤」に変わったことに抵抗はなかったのでしょうか。
いまとなっては、もう質問することもできませんが、名前、たとえそれが姓で会ったとしてもどういうものか想像もつきません。
結婚した娘のジュンは、たまたま相手も「佐藤」だったので、姓は変更しませんでした。
だからお互い何の変化も実感しなかったのかもしれません。
節子がもしいたら、と思うと、ちょっと残念です。
それはともかく、半田さんとの付き合いはふしぎな付き合いです。
最初出会った時は彼はまだ大学院生で、いまでいう起業家でした。半田さんがその気になれば、ビジネスの世界でも成功したでしょう。しかし彼はなぜかそこから大学の先生になってしまい、しかも我が道を行く先生になって、学生たちと一緒に学びを楽しむ人生を過ごしています。学生たちからは親しまれても、同僚の教授たちからは疎まれていたことでしょう。
半田さんの生き方には、とても共感できますが、あの律義さは私はとても真似できない。
節子が入院中も、誰にも言わずに、見舞いに来て花を置いて行った。
なぜかある時期、毎月わが家に「千疋屋の果物」を届けてくれたこともある。貧しいわが家にとっては、千疋屋の果物は高嶺の花で、娘たちは大喜びでした。
そんな思い出もある。
節子がいないのが、本当に残念です。
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