40年近くアメリカにお住まいになっている坂口さんは、毎年、1~2回、日本に来て各地をまわられていますが、今年は桜に合わせて日程を組まれたようです。
今年は桜が遅れていますが、桜を見る前に湯島でサロンを開いてもらいました。
「海外から感じている日本社会の変化」と題させてもらったせいか、たくさんの方が参加されました。こうしたことに関心のある人は多いようです。
坂口さんは、ご自身がなぜアメリカに移住したかから話しはじめましたが、そこでまず話されたのが、アメリカ人とかアメリカとかを一括りでとらえてしまいがちな私たちの習癖でした。
坂口さんも渡米前は、当時形成されていた「ジャック&ベティ」型のアメリカ人イメージを持っていたようですが、行ってみて実際に出合ったのは、まさにメルティングポットといわれる、さまざまな民族が集まり、文化的に溶け合っている社会、さまざまなアメリカ人でした。私たちが見えていると思っている世界と実際とは違うのです。
坂口さんはまず中西部で10年以上、それから東海岸のボストンで20年以上、暮らしていますが、同じアメリカでも中西部と東海岸でも大きく違う。「アメリカは…」と一括りにできないのです。
おなじことは、たぶん日本にも言えるでしょう。安直に「海外から感じている日本社会の変化」などというテーマを設定したことを反省しました。問題をこのように単純化してしまうことで、わかったような気になってしまおうとすることなのかもしれません。それでは世界はもちろん、自分さえも見えてこない。
坂口さんは、日本でアメリカ文学を専攻し、アメリカで日本文学を専攻し、その後、ライブラリアンとして日本文化の紹介に関わる活動を長らくしてきていますが、仕事を始めたころは、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代であり、後半はアメリカでの日本の存在感がどんどんと低下していった時代です。日本人に対する見方も大きく変わったとはいうものの、その変わり方は一様ではありません。
さらに、アメリカ人と結婚してから周りの目が変わった(「競争相手」と見られるようになった)と坂口さんは言います。「異邦人」と「同朋人」とでは関係性もまた変わってくるのです。
というわけで、社会の変化などということを軽々には表現できないのです。
それに社会はそう簡単には変わらない。
人権意識にしても、平和への動きにしても、マスコミで報じられていることと実態とは大きく違うと坂口さんは感じているようです。
坂口さんは、今でも世界各地のテレビ報道ニュースを毎日4時間ほど録画して、それをチェックしているそうです。表層的にはいい方向に向かっているようにつくられてはいるものの、むしろ実態は劣化しているように感じているようです。
しかも、各地の報道内容が似てきている。正確に言えば、欧米社会といったあるくくりのなかでの報道が均質化してきているということです。社会の「劣化」を覆い隠すように、きれいに編集されているのかもしれません。そのことは、世界を見えやすくするかもしれませんが、あきらかに分断していく。どこに属しているかで、世界の見え方は変わってきてしまう。
さらに問題は全体の方向性です。世界はみんなを幸せにする方向に動いているのか。長年、ライブラリアンとして培ってきた坂口さんの感覚では、どうも世界中で、社会の劣化が起こっている。日本社会がどうのこうのというレベルを超えて、どうも世界がおかしくなってきているというのです。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代においても日本人が対等に扱われるようになったわけではありません。ましてや存在感がなくなってきた今では、アジアンヘイトのなかに日本人も組み込まれているようです。黒人差別もそうですが、アメリカにおけるレイシズムはそう簡単に解消はされないようです。
でも社会は変わってきている、とも坂口さんは言います。
アメリカでは、建国の父たちへの評価が揺らぎだしている、というのです。国家の根幹である「権威への信頼感」が揺らぎだしている。
そのために一時的な混乱が起きるとしても(そして今まさに起きていますが)、そこに希望があるのかもしれません。そういう視点から、たとえばアメリカ社会における銃規制問題やトランプ現象も見ていかないといけないのかもしれません。
こうしてみると、「劣化」は、主に経済的な意味や情報面での話かもしれません。
これに関しても、坂口さんはとても示唆に富む話をされました。
アメリカに転居した際、坂口さんは日本的に両隣にあいさつにまわったそうです。そのおかげで、その後、ひったくりにあったときに助けられ、隣人づきあいが始まったそうです。どこにいても、自らが生まれ育った自分の文化を大事にする坂口さんの生き方には、大きな示唆がある。
劣化とは、もしかしたらそれぞれの文化を失い、表層的で画一的な経済や効率が優先される生き方へと変わってきていることを示しているのかもしれません。そこでは、人権はもちろん、人間さえも居場所をなくしてきているのかもしれません。であればこそ、人間として抗う余地がある。生まれ育った生活の文化を見直していく価値がある。
坂口さんが毎年日本に戻ってきて各地を回っているのは、それを確かめに来ているのかもしれません。坂口さんは、ボストンでもクリスマスやお正月に、日本式のお節料理も含めて、近隣の人たちとの交流をされているようです。
人が共に食べ笑い合えば、人権もレイシズムも問題にはならず、銃も要りません。
坂口さんのお話を勝手に大きく膨らませてしまいました。
最後に、参加者から、アメリカで注目されている日本人は誰かという象徴的な問いかけがありました。
坂口さんは、しばらく考えたうえで、自分の話として、1998年のIBBY(国際児童図書評議会)の世界大会での美智子皇后(当時)の基調講演の話をされました。
世界を感動させたそのスピーチは、「橋をかける」という書物になって出版されたので読んでいる人も多いでしょうが、アメリカでも話題になったそうです。
坂口さんがなぜこの話題を出したのか、なんとなくわかるような気もします。
このスピーチの全文は、ネットで読めますので、ぜひ読んでみてください。
https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/ibby/koen-h10sk-newdelhi.html
ちなみに、経済や政治の面はともかく、文化の面では、日本の位置づけはむしろ見直されてきているのではないかという指摘もありました。
日本の役割は、むしろ大きくなってきているのではないか。
世界中がもし「劣化」してきているのであれば、それを嘆くよりも、それに抗って私たちに何ができるかを考えるのがいい。
そのヒントはきっと私たちの暮らしの中にある。
ちなみに坂口さんが私にアクセスしてきてくれたのは、湯島のサロンに興味を感じたからです。今回、坂口さんのお話を聞いて、またサロンをやめられなくなってしまいました。
坂口さんは、いま西日本各地をまわっていますが、4月20日頃に東京に戻り、20日の万葉集サロンに参加して、その後、帰国されます。
万葉集サロンの終わった後の30分で、今回各地をまわっての坂口さんの感想を話してもらおうと思います。
関心のある方はぜひご参加ください。
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