« ■湯島サロン「コモンズの共創② 公と共の違いを話し合う」のお誘い | トップページ | ■前立腺がん治療体験報告23:陽子線治療の影響かもしれないこと »

2024/04/14

■湯島サロン「生きづらさについて話し合おう」報告

「生きづらさ」については、人によって、その捉え方が全く違います。
生き方次第で、「生きづらさ」の意味が反転することもあります。
ですからサロンでテーマにするのは難しいとは思ったのですが、あえてテーマにしたのは、個人問題としてではなく、今の社会のありようを批判的に問い直してみたいと思ったからです。もしかしたら、みんな「生きづらさ」を誤解しているのではないか、それが私がずっと思っていることです。
そこで案内文にも、「ドコモロジー」に言及していたのですが、結果的にはどうも脱ひきこもりサロンの一環のように受けとられてしまったようです。

今回は私が問題提起者になったのですが、最初にみなさんに問いかけました。
「あなたは〇〇〇のために生きているのか?」と問われたら何と答えますか、という問いかけです。
参加者全員にまず応えてもらったあと少し話をさせてもらいました。この問いに対する参加者の回答だけでも長い報告文を書けそうですが、今回は一切省略します。

20240407

問いかけに応えてもらった後、添付のメモに基づいて、少し話をさせてもらいました。

ダウンロード - e7949fe3818de381a5e38289e38195e38292e8a9b1e38197e59088e38186e382b5e383ade383b3e8b387e69699.pdf

社会を覆っている考え方やルールは個人のそれとは違いますから、合わせられる人と合わせられない人がいるのは当然です。個人との関係もそうですが、個人の場合は「付き合いづらさ」があれば付き合いをやめればいい。でも社会との付き合いは簡単にはやめられない。そこでいろんな生き方が生まれてくるわけです。
大きく分ければ、「社会に自分を合わせて生きる生き方(A)」「何とかやりくりして社会の中で生きる生き方(B)」「社会から距離を置いて自らの生きる世界を創り出しそこで生きる生き方(C)」の3つになると思います。

これまでの日本は、Aが基本でした。だから学校も家庭も、子どもたちが社会に合わせて生きられることを目指してきました。
しかし、1980年代頃から日本は変わりだし、「自立」とか「個性」が盛んに言われだしました。「自己責任」論も加わっていましたが。

「生きづらさ」で、私が問題にしたいのは、AとBの人たちです。なぜならCの人はすでに自らの快適な時空間を持っているからです。その周辺にいる人たちはまさに「生きづらさ」を感じているでしょうが。
こうした考えから、このサロンは「脱ひきこもりサロン」とは別に開催したのです。

サロンで話題にしたかったのは、生き方を合わせなければいけない現代社会とはどんな社会なのかということでした。それがわかっていなければ、生きづらさの実質もわからないはずだからです。
主観的な生きづらさに関しては話し合いは難しい。他者の生きづらさなど、だれにもわかるはずがないからです。でも、それぞれに「生きづらさ」を感じさせている現代社会を問い直すことを通して、それぞれの生きづらさを自己分析するとともに、お互いにシェアできることが見つかるかもしれません。
そこで、現代社会の一つの捉え方を、10年ほど前に出版されている古東哲明さんの『瞬間を生きる哲学』から紹介させてもらいました。

詳しくは添付の当日のメモを見てもらえればと思いますが、概略こんな紹介をさせてもらいました。

現代の日本は、なにかの「タメに生きる習慣」があたりまえになっている社会。〈今ここ〉ではない、〈いつかどこか〉のなにかのタメに生きること。おクニのタメとか、家族のタメとか、将来のタメとか。そんなライフ・スタイルが、通常の生存生活を織りあげ、社会システムを駆動する原動力になっている。

こうした近代特有の「先へ前へ競わせ駆り立てる仕組み」のことを、フランスの社会思想家ヴィリリオは、ドロモロジーと名づけた。一時期、日本でも話題になったイリイチのコンヴィヴィアル(自立共生)な社会、つまり「身近な場所や身近な人たちと今ここで愉快に共に生きる生活形式」は、追いやられてしまった。

〈今ここの幸せ〉に目を向けず、今ここにはない〈明日の幸せ〉(もしかしたら明日は永遠に来ない)を目指して、走り続けることが求められている社会。もしそうであれば、そういう社会に合わせて生きることは、生きやすいはずはないような気がします。私には、人生が「手段」になっているような気さえします。

そして最後に3つの問いかけをさせてもらいました。
・生きづらいとはどういう意味か、いまの生き方のどこがどう生きづらいのか。
・なぜ、社会など気にせずに、〈今ここ〉の自分を素直に生きないのか。
・知識や言葉による洗脳から解放されて、もっと素直に自分を生きたらどうか。

そして話し合い。残念ながら、現代社会のありようよりも、やはり個人的な生きづらさの話題が中心になりがちでした。
個人的な話に関してはオフレコにさせてもらっている以上、あまり紹介できませんが、私は「生きづらさ」を考えるか上での大きな示唆をいつもながらにいただきました。
しかし、残念ながら、私の3つの問いかけにはあまり回答はもらえませんでした。それで改めてまた、同じテーマのサロンを企画する予定です。
今度は「なぜ現代の社会は生きづらいのか」というような呼びかけにさせてもらう予定です。そしてそういう社会の生きづらさを、むしろ生かして〈今ここ〉の人生をしっかり生きている人に話題提供・問題提起してもらおうと思います。私ではどうも説得力がないようですので。

どなたか話題提供者になってくれませんか。

|

« ■湯島サロン「コモンズの共創② 公と共の違いを話し合う」のお誘い | トップページ | ■前立腺がん治療体験報告23:陽子線治療の影響かもしれないこと »

サロン報告」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ■湯島サロン「コモンズの共創② 公と共の違いを話し合う」のお誘い | トップページ | ■前立腺がん治療体験報告23:陽子線治療の影響かもしれないこと »