■第33回万葉集サロン「帰化人の歌を読む part2」報告
今回は「帰化人の歌を読む」の2回目です。
升田さんは、前回にも触れた日本書紀歌謡(雄略紀・孝徳紀・斉明紀)にみる「倭歌」と帰化人との関係から話を始めました。
そして、紀歌謡は、「言葉」が音(声・楽器)であった原初的なありようを継承する歌世界と新しい歌世界のあり方を重ねて見せている、と解説してくれました。
帰化人の歌では、言葉よりも音声が重視されている、というのです。
その音声は、人の心を動かす。死者の霊をこの世に呼び戻そうとする「葬歌」(呪)から、遺されて悲嘆にくれる生者の魂を慰める歌(情)へと変容する「歌謡」を歌う帰化人。それが初期万葉の誕生につながり、「な」と融合分離しながら「わ」が明確に表出されてくる新しい抒情「和歌」の誕生が予兆される。これは自己意識の覚醒発展を意味するものでもある、というわけです。
こう書くといかにも難しそうですが、要するに、日本列島で育っていた文化(生活)と大陸・半島からやってきた文化(生活)という、異質な文化の接触が、「歌」や「言葉」に大きな影響をもたらし、その先に平安時代から始まる古今和歌集の世界へとつながっていくというのです。
当時、日本列島で話されていた「言葉」は育ちの途中で生き生きしていた、といえるかもしれませんし、そうしたなかでは「うた」も「ことば」も、ある意味では「音」も、あまり区別はなかったのかもしれません。となれば当然、動物や自然が発する音もまた、つながっていた。
想像はどんどん広がっていきます。
話を戻します。
万葉集の時代から古今和歌集の時代の間には、かつて「国風暗黒時代」ともいわれた「闇の時代」があります。万葉集は忘れられ、万葉仮名も使われなくなり、勅撰漢詩文集が編纂された時代ですが、その直後に『古今和歌集』を皮切りに、逆に国風文化が一挙に花開いていきます。そしておそらくその「闇の時代」に、万葉仮名から独自の平仮名が生まれ、それによって和歌、さらには日記や物語などの国風文化が広がっていくわけです。その間に何があったのか。そして『万葉集』は一時期とはいえ、なぜ忘れられてしまったのか。
それは、『万葉集』とは何なのかにつながる壮大なテーマのような気がします。
また話が広がりそうなのでやめますが、この「闇の時代」も今回のテーマではありません。
つづいて升田さんは、万葉集後期の帰化人の歌をいくつか読んでくれました。
今回取り上げたのは、大伴旅人・家持と関係のあった余明軍、橘諸兄・佐為王兄弟とその周辺に居る帰化人(薛妙観、秦朝元、婢など)とのやり取りです。
帰化人が採用している歌の詞(言葉)には、和歌との間に微妙なニュアンスの違いを持つ言葉が少なくありません。つまり生まれ育った地域での言葉の違いの問題ですが、語感覚のずれ、これが互いの「た」の環境を拡げる契機にも繋がっていったと考えられると升田さんは言います。
またまた想像を広げたくなりますが、ここは抑えて。
記紀に出てくる歌と違って、そこには「言霊」の国の文化との関係が読み取れ、しかし列島で育った人には思いつかないような言葉遣いや詠み方をしている。そしてそれがまた日本に住む人々の言葉を変化させていく。こうして帰化人が日本列島の言葉を切り開いていったと升田さんはいいます。まさに言葉は生きているのです。
そして、具体的な例として、帰化人の詠んだ〈ハフ(延ふ)〉と〈アカネサス〉という言葉を取り上げ、帰化人によって「言葉」が受容していくことを見るとともに、帰化人から見た抒情「和歌」とはどんなものだったのかを感じさせてもらいました。
〈ハフ(延ふ)〉に関しては、赤ちゃんの〈這い這い〉の話も出て、いろいろとおもしろい話が展開されました。
万葉集は、一般には「天皇から庶民までの歌が幅広く収められている日本最古の歌集」と説明されています。しかし、そのような横の関係だけではない縦の関係の多様性によって、万葉集はその命を美しく堅固なものにしていると升田さんは言います。
とりわけ、「和歌」形成の成り立ちをたどる上で、重要な伴侶?であり影響を与えたのが帰化人だったと升田さんは考えています。
たしかに、2回にわたって帰化人の歌に触れてみると、その存在の大きさに気づかされます。これまで知っていた万葉集の世界とは違った広がりがそこにある。
たとえば、今回、升田さんが紹介してくれた、橘諸兄と秦朝元のやりとり、「歌を賦するに堪へずは麝(じゃ)を以てこれを贖(あか)へ」という話ひとつとっても、その意味をみんなでじっくりと話し合いたいような気分でした。
帰化人とは何なのか、列島人とは何なのか、万葉人とは何なのか。
そして、「歌」とは何だったのか。
あまりに大きな話なので、なかなか消化できません。
どうも単に「帰化人の歌を読む」では終わらないテーマです。
日本という国家の成り立ちや「国風文化」とは何かにまでつながっていく。
そんな気がしてきました。
このテーマは3回と予定されていましたが、もう少し続けてほしいと思います。
今回、実は私は升田さんの話を聴きながら、日本列島を超えて想像を勝手に広げ過ぎてしまい、別のことを考えることが多かったため、きちんとした報告ができずに、いささか反省しています。
いずれにしろ私の理解の範囲では、なかなかきちんとした報告ができなくなってきました。
この帰化人シリーズが終わったら、ぜひ升田さんに論考をまとめてほしいと思います。
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