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2024年5月

2024/05/31

■節子への挽歌6009:昔のサロンを思い出しました

節子

湯島での新しい試みとして、オープンカフェというのをやってみました。
私は言っても行かなくてもいい。ただ湯島の場は「サロン」として終日開いている、という試みです。
幸いに最初のカギ開けと最後のカギ閉めを担当してもいいという人が現れたので、とりあえず実施することにしました。

朝、8時前に、もう部屋のカギを開けたと坪倉さんから連絡がありました。
しかもドーナツなどをたくさん持ち込んで、モーニングサービスを提供すると言ってきました。
なるほど、その手があったか。

実はオープンカフェを知ってか知らずか、2人の人から私に会いたいと連絡がありました。
一人は私の体調を心配しての施術を試みたいという若い川端さん。
もう一人は先日静岡県知事選に立候補して健闘した濱中さんが報告と相談で会いたいというのです。

この日はできれば久しぶりに私はでも集会に参加しようと思っていましたが、結果的には湯島のオープンカフェに顔wp出したら、そのまま6時まで抜け出せなくなってしまいました。

でもなんだか節子がいたころの、最初の頃のサロンを思い出しました。
オープンカフェは、なかなかいい。
むしろこれだけでもいいのかもしれない。
そんな気がします。

 

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2024/05/30

■病気について明るく話し合うサロン報告

「病気について明るく話し合うサロン」は残念ながら参加者は少なく、6人のちょっと寂しいサロンになりました。しかし、生々しい病気を体験しているおふたりの方がサロンに初参加してくださったおかげで、たくさんの示唆をいただきました。

そして、サロンの最後では、参加者みんなが続けることに賛成してくださいました。
同じ病気を患う人たちの集まりはいろいろとありますが、病気を限定せずに、しかも養生や健康も視野に入れたテーマ「ゆる~い」サロンの意味を見つけ出していければと思い、継続実施することにしました。

今回は最初に、こういうサロンを思い立った経緯を少し話させてもらいました。
案内にも書きましたが、私に前立腺がんがあることがわかったおかげで、いろんな体験ができたのですが、その体験を無駄にしたくないと思ったのが発端です。
そして、病気こそが人をつなげていく大切なものではないかと思ったのです。
病気で人生(生き方)を変えた人も少なくないでしょう。そう考えると、病気の意味が全く違って感じられたのです。

つづいて、私が考えている病気サロンの趣旨やスタイルについて話させてもらいました。
趣旨としては、「心身の調子があまりよくない時などに、あるいは病気と診断された時に、なんとなく相談したり不安を話せたりできるような、気楽なゆるいつながりが生まれるようなサロン」を目指し、「健康維持のための養生策や民間療法などもシェアできるような場」になればいいなと思っています。

要するに、「健康や病気などを話題にした、極めて軽い話し合いができる場」ということです。そこからゆるやかな人のつながりができれば、さらにいい。
もし仮に重篤な病になっても、お互いに元気づけあうようなつながりも育てたい。といっても無理をするのではなく、無理しない範囲で気遣い合うだけでも、あるいは気にしている人がどこかにいると思えるだけでもいい、そんなゆるいサロンを育てたいのです。

私がせっかく体験して得た、前立腺がんへの対処法も、たぶん誰かの役に立つでしょう。
この日は、私と同じ前立腺がんと出合って、私と違って、関係の書籍を読み込んで、今まさに治療している人も参加しました。その人の知見も、ぜひみんなにシェアしてほしいような内容です。私もいざとなったらその人に聞けば安心できる。

サロンでは、病気体験を話したり聞いたりし、健康策や養生策も話題にし、時には病気や健康に関する学習会をやってもいい。そんな難しいことではなく、ただただ不安の吐き場にしたっていい。参加者みんなが、それぞれの効用を見つけられるような、そんなゆるいサロンです。時には健康増進策(たとえば散策・笑いヨガ・お見舞いなど)の企画をしてもいい。

とまあ、そんな話をさせてもらい、後はみんなで話し合いました。
かなり微妙な内容もあるので、病気サロンでの個人的な話はオフレコにしたいと思いますが、おひとりからとても役立つ情報をもらいました。
透析しながらがん治療を受ける女性の会のサイトに、がんの資料集がアップされているという話です。そこには公開されているがんの資料が整理されて紹介されています。透析されていない人にとってもとても有益なサイトだと思います。
https://your-side-home2.jimdofree.com/
こういうサイトは他にもあるではないかと思いますが、そういう情報もできれば集めていければと思っています。

いずれにしろこの病気サロンはしばらく継続させていければと思っています。
もし何かアドバイスなどあれば、ご連絡ください。こんな話題で話し合いたいという提案も大歓迎です。事務局をやってもいいという方がいたら、大歓迎です。
次回はまだ日程を決めていませんが、6月下旬か7月上旬を考えています。
関心のある方はご連絡ください。

さてどんな展開になっていくか、楽しみです。

Byouki20240525

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■節子への挽歌6008: 83歳は農作業からスタートです

節子

今年はニンジンジュースのためのニンジンを自家栽培することにし、畑もどき作業にまた取り組むことにしました。
先日はちょっと様子を見に行ったのですが、今日からいよいよ作業開始です。
ただ倒れると悪いのでユカに同行してもらいました。
畑予定地まで草を分けて入るだけで疲れます。

作業は予定より大変です。そろそろ今日はこれでやめようかと思っていたら、近くの青木さんがやってきました。そして見るに見かねて、手伝おうと言ってくれました。私だけでやっていたら、草刈りが終わる頃には死んでいるだろうというのです。
そして、どこにニンジンを植えるのかと訊きました。そこを見て、まあこれなら何とかなりそうだ、機械を持ってくると言って、電動草刈り機を持ってきてくれました。あっという間に草刈りは終了。あまりにあっけない。やはり私の趣味ではない。
でもまあ早くニンジンのタネを撒かないと、また収穫できなくなりかねません。

というわけで、来月からいよいよ「耕作作業」が始まります。

ちなみに作業の合間にいろいろと話しましたが、話題は政治問題や地域の問題です。
むかしはこんな感じで、村人たちは政治や福祉を話し合っていたのでしょう。
床屋談義や病院の待合室談義もそうですが、政治が劣化したのは、そういう場が政府によって刈り取られた結果です。
やはり電動草刈り機はよくありません。

後は手作業でゆっくりと。
土に戻っていく準備を兼ねて。

かくして苛酷な83歳は幕を開けました。

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■節子への場安価6007:「83歳。で、それがなにか?」

節子

今朝はフェイスブックにメッセージが届きだしています。
気がつけば、今日は私の誕生日だそうです。
83歳になったそうです。

 老いたポール・ニザンなら、「ぼくは83歳。それが人生でもっともすばらしい年齢だなどと、ぼくはだれにも言わせはしない」というかもしれませんが、私は「83歳。で、それがなにか?」と言いたい気分です。こういう言い方をするので、私はみんなに嫌われるのでしょうね。でも友だちが減るのはいいことです。悲しみを減らすことができますから。

ともかく今日で83歳だそうですが、普通に老化し、普通に元気です。
83歳になった最初の日は、「休養」からスタートです。
癌治療で、私は疲れているそうです。もしかしたら、これはそうかもしれません。
そんな気が最近はしています。

なぜか今朝、「セカイハイツマデモゲンキナキミヲマッテイル ちょっとだけのんびりゆったりきゅうよおできんもんかいなあ?」という長いおせっかいメールが届きました。それでそれ以上に長いメールを返信しました。ついつい「挑発」に乗ってしまった。
かくして、また、本当は最高に素直なのに、素直でなく性格が悪いといわれる私の高齢者生活が始まっています。困ったものだ。

ちなみに、歳を一つ加えたら、何か変化があるのですかね?
年齢って、何のためにあるのでしょうか?
私には不要な概念なのですが。

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2024/05/29

■節子への挽歌6006:まちづくり編集会議のBBQ

節子

今日は我孫子まちづくり編集会議の定例会でしたが、櫻井組(勝手な私の命名です)が取り組んだ「CaféGARDEN HASEGAWABBQコーナー再生プロジェクト」の完成祝いも兼ねて、手賀沼沿いの遊歩道に面したCaféGARDEN HASEGAWAで開催されました。

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冒頭に、勝手に我孫子観光協会の村上会長自ら制作のプロジェクトドキュメントをみんなで見て乾杯。参加者は80代から2歳までのにぎやかな構成。自然農法の佃さんが忙しい中を自作のレタスを持ってきてくれました。
これからいろいろなプロジェクトが立ち上がっていくようです。

私は子どもメンバーにゲームを付き合わされる栄誉を受けましたが、終盤近くに別の住民運動の関係で電話が入り、7時ころに中退。我孫子が動き出した感じです。

昨日は休養日だったのですが、忙しい一日になってしまいました。
今日こそ休養です。

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■レイキ実践サロンのご案内

直前のご案内ですが、6月1日に湯島で、友人が「レイキ」の実践サロンを開催します。
まだ参加可能のようなので、直前ですがご案内します。

 ウィキペディアによれば、「レイキヒーリングは民間療法であり、手当て療法・エネルギー療法の一種」とありますが、今回、実践サロンをしてくださる緒方さんは、膝が悪く歩けなかったお年寄りの膝に手を当てて気を流すことにより、歩けるようになり、家族の人も驚くという経験、また具合の悪い患部を探し出し手を当てて改善するといった実績を多数お持ちだそうです。

ちなみに緒方さんは、沖縄大学客員教授・ジャーナリストで、以前何回か、湯島のサロンでも沖縄問題や基地問題についてサロンをしていただきました。もう一つの顔が、レイキスト、霊気による治療者(ヒーラー)なのです。

 「緒方レイキ」は、霊気を手から具合の悪い患部に当てて流し、不具合を徐々に解消していく行為です。人間誰にでも備わっている力のようですが、文明の発達とともに、その能力が眠ってしまっているようです。小さなお子さんが、母親に、新たな生命が宿るといち早く察知することがありますが、それと同じような能力ではないでしょうか。

企画者の北川さんは、現代文明からの人間の解放という観点から意義があり、また隠れた人間の気脈を通じ合わせるワークショップにもなると考えています。
ちなみに、北川さんは湯島サロンで毎年、陰謀論サロンをやってくださっている北川さんです。

身体の調子の悪い方で、関心をお持ちの方を中心にご参加いただき、実践的な体験をしてみてはいかがでしょうか。今回は、いつもの湯島サロンとは異なり、体験版のため有料となりますが、自身の身体の気づきを体験してみたいという方には有益と思います。ご参加をお待ちしております。
また、レイキを学ぶことによって、心のおき方、安らぎ感が得られるようです。

(※本格的なレイキ講習会は別途開催予定とのこと)

私も最近、腰痛などで苦労しているので、参加させてもらう予定です。

〇日時:61日(土)午後2時〜4時過ぎまで
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス(文京区湯島3―209 ニューハイツ湯島6階)
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇内容:
 1)緒方レイキとは
 2)参加者へのレイキ実演
 3)参加者相互のレイキワークショップでの気づき体験
〇参加人数:6人程度
〇参加条件:関節・腰痛・臓器等の具合の悪い箇所をお持ちの方、もしくはレイキに関心の高い方
〇参加費:2000円(湯島サロン費用含む)
〇申込先: ogata@okinawa-u.ac.jp(緒方)もしくはKitagawa.taizo@nifty.com (北川)

※なお、少し詳しい説明は以下を御覧ください。
 https://www.jahbs.info/journal/pdf/vol33_2/vol33_2_4_5.pdf

 

 

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2024/05/28

■節子への挽歌6005:久しぶりの市役所

節子
久しぶりに市役所に行きました。

7月から始める「あすあびサロン(仮称)」に関して、始める前に伝えておこうと思ったのです。青木さん(副市長)の突然の辞任も気になっていましたが、青木さんも一緒に、小美玉市のみの~れに行った高見澤さんに会いに行ったのです。
高見澤さんはいまは企画総務部長。副市長に次ぐ重要な立場に言います。

高見澤さんは、私が頼んでもいないのに、私が知っていそうな人にも声をかけていてくれました。秘書広報課長の安武さん、市民協働推進課長の小池さん。いずれも久しぶりに会いました。さらに広報室長はいまは藤代さんで、彼も私の記憶に残っている一人です。
以外にまだ私の知り合いも残っているようです。

ちなみに私の地域活動は常に、行政との関係は「支え合う関係」を目指しています。ですから行政依存や行政批判は絶対しません。以前はそうではなかったのですが、いろんな行政の仕事をしてきて、対立からは何も生まれないことを痛感したからです。

実は、市役所に行く前に、今起こっている近くの新田開発計画に対する住民運動のコアメンバーからお誘いを受けました。私も関心のあるテーマですが、直接参加すべきかどうか迷っています。幸か不幸か、その集まりは別件がすでに予定されていたので、参加は見合わせましたが、これも「対立型の活動」にならなければいいのですが。
いずれにしろどこかで関わることにはなると思いますが。
私もまだ、行政にも少しは役立てることがあるかもしれません。

青木さんの消息も少しだけお聞きしました。
きっとまた間もなく会えるでしょう。

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■節子への挽歌6004:休養をとる方法

節子

今日は休養日です。
体力を過信せずに、今日からまた3日間はゆっくり過ごします。
そう決めたのです。

しかし、「休養をとる」というのはそう簡単なことではありません。
実際に身体が辛ければ、寝ていることもできますが、動くと異常な疲労感は出るものの、何もしないでいると別にどうということはないというような状況で、「休養をとる」方法があまりわからないのです。

長椅子に座って水素ガスを吸引しながらテレビを見たり本を読んだりして、ゆっくり過ごすことを一応、基本にしていますが、まあ2時間が限度です。それにずっと座っているとそれこそ、足腰が痛くなってくる。ある程度は動かないと休憩にはならないのです。
困ったものです。

朝早くから、本を読んだりテレビを見たりしていましたが、やはり調子が悪い。
それでユカの買い物に付き合うことにしました。いつものスーパーではなく、どこか新しいスーパーに行ってみようと最近いつも頼んでいますが、もうたぶん10店舗近く制覇しました。

いま私が一番気に入っているのは、車で10分ほどの柏の「マミー」です。
何を買うということではないのですが、ここはりんごジュースが安いのです。
最近はりんごが高いので、リンゴジュースにニンジンとレモンを入れて、ミキシングして飲んでいますが、今日もそのジュースを4本買ってきました。
ついでにアイスクリームとせんべいも。
午後は市役所に行くのですが、帰宅したら、お菓子とジュースとテレビで「休養」です。

休養するのも結構大変なのです。

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2024/05/27

■節子への挽歌6003:サロンが3日もつづくとやはり疲れます

節子

今日は3連続のサロンです。
3回もサロンをつづけたせいか、毎回、参加者は少なかったのですが、今日は私を入れて4人のサロンでした。
参加者から、2回連続してサロンに参加すると参加者でも疲れてしまうのに、主催者として3回連続だとさぞかしお疲れでしょうねというようなことを言われました。

たしかに疲れてしまっています。
議論も時に疲れてしまう。
一応、進行役であり引き出し役でもあるので、ただボーっと聞いているわけにもいかない。とはいえ、まあいつもボーっと聞いているのですが。

しかしやはり一番実感するのは身体的な疲れです。
最近は駅までの上り坂を上るのが辛いですし、湯島に着いたとたんに、休みたくなる。
歩いていても、足が上がりにくくなることもある。
駅などでも時に座りたくもなる。 

特にこの1週間の疲労感はいささか異常ともいえる。
いやこれがもう日常になってしまうのかもしれませんが、そうなってしまったら、サロンに出てくるのもつらくなるので、それだけは避けたい。

やはりここはきちんと休養をとった方がいい。
そんな気がしてきました。
いささかサロンをやりすぎなのでしょう。
でも私がやりたいサロンをやる日が取れないほど、最近はサロンが増えている。
ついつい私が声をかけてしまうからかもしれません。
少し我慢しなければいけなさそうです。

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2024/05/26

■節子への挽歌6002:文京区原爆被害者友の会の集まり

節子

今日は湯島で午後、文京区原爆被害者友の会の集まりがありました。
私は参加しなかったのですが、升田さんがそのメンバーで、集まる会場探しをしていたので、湯島を提供したのです。
せっかくなので、始まる前に事務局の人たちとあったらと言われて、会長や事務局長に挨拶だけさせてもらいました。
みんなもう高齢なので、集まりも大変なようです。
湯島の部屋はいつでも空いていたらどうぞとお薦めしました。
湯島は、ただの会議室ではなく、ちょっとホッとする空間のはずですから。

こういう形で、湯島をいろんな人たちが使えるようになればうれしいです。
とはいえ、先日のように、コーヒーメーカーを壊されたり、飲み物を持って行ったりされることも起こるので、そういうことが起きないように誅しなければいけませんが、逆に言えば、まさに「コモンズの悲劇が幸せか」の実験もできるわけです。
さらに「悲劇と幸せは裏表」という、私の仮説も検証できます。

事務局の方に、コーヒーの入れ方などを説明し、冷蔵庫の飲み物は自由にお使いくださいと言って、私は帰りましたが、翌日、言ったら、部屋はきれいに片付けられていて、そのうえ、机の上に置いてある箱の中に3000円が入っていました。
まさにコモンズの幸せが実現していたわけです。

いつか、サロンで文京区原爆被害者友の会の話をしてもらえればと思っています。

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■節子への挽歌6000:湯島天神の例大祭

節子

今日は湯島天神の例大祭です。
コロナで最近は規模が縮小していましたが、今年はまた復活したようで、おみこしもたくさん出ていました。
後で聞いたのですが、馬も出ていたようです。

今日は湯島で行われるサロンが午前中だったので、朝、湯島に着いたのですが、もう賑わっていました。湯島天神を通らずにオフィスには行きましたが、昨年よりも賑わっていました。
オフィスに着いてしばらくしたら、おみこしの行列がやってきました。ベランダから見下ろすと壮観です。
節子がいたころよりも、たぶんにぎやかです。

Reitasiai

たぶんこの景色は節子には見覚えがないでしょう。
今日はどこかから見ているとは思いますが。

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2024/05/25

■節子への挽歌5999:久しぶりの友人

節子

久しぶりに平井さんがやってきました。
平井さんは節子も会ったことがあるはずですが、あの頃の平井さんと今の平井さんは全く違っています。
あの頃の平井さんは、ある企業で経営変革に取り組んでいました。
私も少しですが、それに関わらせてもらっていて、そのプロジェクトが終了した後、彼と一緒に本をつくりました。
プロジェクトもとても面白かったのですが、その本づくりがもっと面白かった。
ダイヤモンド社の友人と3人で話し合いながら創りました。

ところがそのプロジェクト終了後、平井さんは職場を変えました。たぶん私と同じで、いささかやり過ぎたのでしょう。
上司が変われば、評価は一挙に反転する。それが平井さんや私が取り組んだ仕事でした。何しろ企業を変革するのがテーマですが、組織はそう簡単には変わらない。いわゆるホメオスタティックな力が働くからです。
私は、それで会社を辞めましたが、平井さんは辞めませんでした。
その理由を話してくれました。

彼にはもう一つ大きな目標があったのです。
そして平井さんは見事にそれお達成し、いまもその先へと進んでいます。
なんとなく感じてはいましたが、それが深く考えての行動だったことを今日初めて知りました。
それに関してはまたいつか書くことがあるかもしれませんが、今は平井さんは音大を卒業して声楽家として活動しています。

久しぶりに彼とゆっくり話せました。
むかし話にならずに、示唆に富む楽しい時間でした。
テーマを持って生きている人の強さを感じました。

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■節子への挽歌5998:にこの運動会

節子

今日はにこの運動会でした。
最近の運動会は、学年ごとに家族が入れ替わる仕組みが撮られています。私が子どもの頃の運動会とは全く違っていて、なんだか先生の成果発表会のようで、子どもも家族も誰もそう愉しんでいないような気がします。
もちろん「人の触れ合い」の要素はほとんどありません。

朝から陽射しの強い日でしたが、にこの出番は9時台でした。
みんなでのダンスと徒競走が出し物です。
ダンスは場所が悪くて、にこからは遠い席でした。
元気に飛び跳ねていましたが、なんだか私には退屈でした。
家族一緒に心身が飛び跳ねるような雰囲気は皆無でしたし。

次は徒競走。直線で走ってくるので、観客席は混みますが、みんな自分の子どもが走り終わると席を譲るように席を離れます。席にいる人は応援もしますが、スマホ撮影が中心です。スマホで取っていると拍手もできない。
なんだか不思議な風景にも見えます。

にこは最後に走ったので、その時には観客席にはあまり人はおらず。私も一番前でスマホを構えることができました。
にこは、どうせ一番だろうと思っていたのですが、意外や意外、4位でした。
これまでとは全然違う。
もしかしたら、いささか気になります。
もしかしたら、にこはあんまり今回は楽しんでいないのかもしれません。

にこの出番はそのふたつ。
子どもの出番が終わると家族は帰りだす。次の家族が入れ替わりでやってくる。
なんだかせわしない運動会です。

暑いので疲れました。

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■節子への挽歌5997:3人のいとこ会

節子

久しぶりに3人のいとこ会をやりました。
と言っても、今回は湯島で会って、雑談するという会でしたが。

関西在住の一人を加えて、毎年、どこかで集まるようにしていましたが、コロナで中断していました。
最後は箱根湯本だったでしょうか、でも最近は温泉よりもただ会うだけの方が楽だという感じになってきました。
久しぶりだったので、今回は関東在住の3人が会いました。
口実はいろいろあって、兄の叙勲祝いや私の快気祝いや、いかようにも理由はつけられますが、要はお互い、いつ突然にいなくなるかもしれないので、まあ元気なうちに会っておこうということです。

ところで話していて驚いたのですが、みんなすでに前立腺がん体験があるようです。
だから私のことを心配していたのかもしれません。
訊いてみると、いまも2人とも(関西の従弟もそうなので3人ですが)私よりもPSAマーカー値は高いのです。
もちろん私が最高時の時とはけた違いではありますが、今では私が最低値です。

まあそんなことはどうでもいいのですが、昼食は近くのお蕎麦屋さんの古拙に行きました。みんなお蕎麦好きのようで(ここの石臼挽きの十割そばはおいしいです)、天そばを食べていましたが、私はお米が食べたくて天重を頼んでしまいました。海老天が2つもついて、他にも盛沢山。さすがに間食できませんでした。
従兄の一人が甘党なので、ケーキを買って部屋でまた雑談。私もケーキをはじめ、お菓子を食べてしまいました。
話は弾んで気がついたら4時半を回っていました。

そこでお開きにしたのですが、案の定、夜中にお腹がおかしくなってきました。
やはり脂っこいてんぷらと甘いお菓子の多食はよくありません。
何回かこりているはずなのに困ったものです。
というわけで昨夜はまたつらい夜を過ごしました。

幸いに朝になったらおなかの調子は戻っていました。
しかしやはり食には気を付けないといけません。
お菓子は厳禁、てんぷらも揚げ物も控えないといけません。

関西の従弟も加えての従弟会は、7月に開催することにしました。
欠員が出ないといいのですが。

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2024/05/24

■節子への挽歌5996:今年は「畑もどき作業」をやることにしました

節子

今日は朝5時に起きて、様子を見に行きました。
以前は早起きして出かけていましたが、最近の体調だと、もし倒れたら大変です。
以前は倒れても15分で回復しましたが、もうだめで、そのままにもなりかねない。
ですから家族が起きないうちに出かけるのは止めるようにというお達しが出たのです。

それで今日は見に行っただけですが、改めて気が重くなりました。
考えてみるといつもより2か月で遅れている。
でもまあ何とかなるでしょう。
これから戦略を考えなければいけません。
問題は条件が悪ければ悪いほど面白いですから。

今日、琉球朝顔を畑から少しもらってきました。
ベランダのが全滅してしまったからですが、琉球朝顔は移植が難しいです。
部屋の窓の陽射し除けにいつも植えているのですが、これもまた出遅れた。

最近、どうも出遅れ続きです。
疲れたのでとりあえずの仮植ですが、うまくいくでしょうか。
今日は外出予定なので、手入れは明日以降です。
明日までに少しはぴんとしてくれるといいのですが。

さて畑もどき作業が、どう身心に影響を与えるか、正と出るか邪と出るか、ちょっと楽しみです。

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2024/05/23

■節子への挽歌5995:いろんな人から心配されているのを感じます

節子

この頃、いろんな人から心配されているのを感じます。
言い換えれば、私が気になって心配している人が多いということかもしれません。
ケアというのは、双方向的な関係ですから。

もっとも私の場合、意図的にケア意識を持つのではなく、自然とケア関係が生じてくるのです。だからややこしい。
突然にあるときに、あの人はどうしているかな、などと思い出してしまうのです。あるいは、たまたまサロンなどであった人のことがなぜか気になってしまうのです。困ったものですが。
そのため、どうも人のつながりの世界が、緩やかに広くなってしまう。
だから当然気になる人が増えてくる。

最近もある人が、「だいぶお疲れのようですね。佐藤さんに助けられている人は本当に多いと思いますから」とメールをくれました。
しかし、考えてみると、それは同時に、私がたくさんの人たちに助けられているということでしょう。人はともかく、支えあって生きている。助けるも助けられるも、たぶん同義なのです。

たくさんの人とのゆるやかなつながりがあるので、メールなどがよく届く。
休養しようと思って在宅していても、パソコンを開くといろんな人のメッセージが入っているのです。
それに元気づけられたり、引き出されたり、時に面倒ではありますが、ともかく私を豊かにしてくれていることは間違いありません。
人は外部からの刺激があればこそ、元気でいられますから。

今朝もうれしいメールが来ていました。
まあ煩わしいメールもないわけではないですが、うれしいメールが一つでもあれば、今日もまた元気でいられるのです。

相変わらず腸腰筋の弱さに悩まされていますが、今日もいい日になりそうです。
今日も原則として心身の休養日で1日フリーです。
気が向いたら畑作業道具を買いに行こうと思っていますが。

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2024/05/22

■節子への挽歌5994:畑の空き地を見に行きました

節子

今年亦畑もどき作業をやろうかと思い出しています。
昨年夏からもうやめようと思っていたのですが、ニンジンをまた植えたくなったのです。
何しろ毎朝のニンジンジュースの材料が高くなって、大変ですから。

それで久しぶりに畑の場所に行ってきました。
昨秋、青木さんが少し気を伐採してくださっていたせいか、何か穏やかです。しかしやはり笹が伸び出している。まだ刈り取り可能ですが、かなり大変そうです。
一人では無理がありそうです。娘や峰行にも助っ人を頼まないといけません。

ミョウガが見事に育っていましたが、そのほかは野菜らしいものは見当たりませんでした。昨年がんばって救済したイチゴも全滅です。
また青木さんが切ってくれた桑の木も枝を延ばしだしていました。
植物の生命力は実にすばらしい。

さて明日からまた畑もどき作業を始めるかどうか、迷っています。

 

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■湯島サロン「たんぽぽ農法~半農半Xのための野菜栽培技術」報告

私が知る限り、かなり早い時期から人間の生活にとって「農」という営みがとても大切ではないかという思いで、自らの生活の中に思いきり「農」を取り込んで人生を変えてしまった人のおひとりの増山博康さんが、最近たどりつきつつある「たんぽぽ農法」のお話のサロンでしたが、タイトルに「半農半Xのための野菜栽培技術」とついていたせいか、栽培技術の話と勘違いされたようで、参加者が少なかったのが残念でした。
しかし、増山さんのところで、農のある生活に向けての学びをしているおふたりの方が参加してくれて、そのお話も興味深かったです。

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増山さんは、パワーポイントをつかい、彼が言うところの「たんぽぽ農法」の考えや目指す方向性、実際のやり方などを、畑の様子も紹介しながら解説してくれました。

増山さんは体験的に、「農業って本当は「楽」なんじゃないか」と言います。自然とうまく折り合えれば、「人がついていて、スイッチを押さなくても、野菜はひとりでに育つ」から、というのがその理由です。
何が「楽」なのかは、人によって違いますので、この増山さんの考えに同意できない人も多いでしょう。これは、先日の吉田太郎さんのサロンでも話題になりましたが、まさに、ここにこそ、問題の本質があるような気がします。「ボタンを押す」のと「雑草を抜く」のと、どちらが「楽か」、いや「楽しいか」。
いずれにしろ増山さんは、自然と対話しながら、半農半X生活を楽しく送っているのは間違いありません。たんぽぽ農法について語る増山さんは実に幸せそうです。

もちろん、雑草もひとりでに育つので、草取りの手間はある。しかし、増山さんは、雑草生態学の本などを読みながら、雑草観察に務め、雑草との付き合い方も修得したようです。そこで見えてきたのは、単に野菜づくりの農業ではなく、景観づくりやコミュニティづくりの暮らし方のようです。それを増山さんは、自分の農園「たんぽぽ農場」の名称にちなんで「たんぽぽ農法」と名付けたのです。

ちなみに、「たんぽぽ農法」を一言で言えば、「野菜の間に緑肥(土にすき込んで土作りを進める植物)やハーブなどを植え、雑草の繫茂を防ぐなどの工夫をしている農法」だそうです。

増山さんは、まずご自分の「前史」から話しだしました。
20年前に上尾の農家に弟子入りしたそうですが、そこでいろんな気づきがあった。たとえば、旧暦への目覚めです。そこから話はなんと萬葉集や中国の二十四節季へと広がりましたが、幸い?に今回はパワーポイントのおかげでさまよいだすことはなく、すぐ本題に戻りました。

増山さんは、農業技術は3つに分かれるといいます。「基本技術」「土肥技術」「シーズン技術」です。そして長年の実践を通して、効果的な伝授法を見つけてきたのです。
たんぽぽ農法は、工業物理化学的な思考を雑草生態学の知識を踏まえて、農業に適用したものだそうです。そのことを、ニンジンの周りの除草、麦とエンドウ混植、春ジャガイモの畝間にイヌムギを植えるなど、写真を使って解説。時には、ランバート・ベールの法則とかややこしい言葉も出ましたが、具体的だったので私にもわかりました。

「雑草」ともうまく共生しているといってもいいでしょうか。
感覚的に、雑草が生えていると「キレイ」でないため、農作物が育ちにくくなると言った発想で、「何が何でも除草」論が形成された可能性はあるが(そこでまた「吾妻鏡」が引用されたりしました)、ある種の雑草を利用する方法こそ大切ではないかと増山さんは言います。「雑草」も増山さんには仲間なのです。時々、畑もどき作業をやっている私にはとても共感できます。

さらには、アメリカでの「環境再生型農業」の話や農を活かしたマイクロツーリズムの話など、農の持つさまざまな効用(食料生産だけが農ではない!)も語ってくれました。
そういう話から、増山さんが描いている「たんぽぽ農法」の理念や目指す方向性が何となく伝わってきました。単なる技法ではなく、ビジョンなのです。

ちなみに増山さんは、いわゆる「有機農業」にはこだわっていません。もちろん「儲かる農業」にも多分関心がない。増山さんにとって関心があるのは「支え合う楽しい暮らし」のようです。そこでは「農」がとても大きな意味を持っている。

この日も増山さんは、自分の畑で収穫した野菜を埼玉県庁前での朝市で販売してきたそうで、残った野菜を持ってきてくれてみんなに分けてくれました。私が欲しかったニンジンは朝市で完売だったため、残念ながら私はニンジンは食べられなかったのですが。

なお、増山さんは、野菜栽培レッスンプロとして、半農予備校や菜園起業大学、体験農園や菜園教室などをやっています。また、野菜の宅配サービスもやっています。

https://saienclub.com/

https://www.street-academy.com/steachers/292220

増山さんは、今回の話を起点に、「たんぽぽ農法」を体系化していき、社会にも呼びかけていきたいといっています。
「たんぽぽ農法」に関心を持った方は、見沼菜園クラブの増山さんにぜひお問い合わせください。

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■節子への挽歌5993:腹筋や腸腰筋を強化しなければいけません

節子

昨日も夜また頻繁に目が覚めた。
問題はどうも睡眠対策で、昼間いくら休養しても意味がないような気がしてきました。

それともう一つ、なかなか解決しない問題が発生しました。
寝たり座ったりしていて、立ち上がろうとすると足腰が痛いのです。そのため歩き出しはよたよた。少し歩きだすと何でもないのですが。
ともかく歩けば治ると思っていたのですが、少し改善方向に向いていたのがまた最近、悪化傾向に転じてしまったのです。
それも痛さが深まった気もする。
腹筋や腸腰筋が弱まっているのではないかと思い、横になって上半身を起こそうとしたら全く起き上がられません。弱まったどころか、まったく無くなってしまったのかという気がしてきました。
これから毎日、工藤体操に加えて、腹筋体操もやろうと思います。

毎朝のテレビ体操は基本的に毎日やっていますが、最近はそれさえもがつらくなってきました。困ったものです。

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■第4回中国現代文学サロン「徐則臣『もし大雪で門が閉ざされていたら』」のお誘い

第4回中国現代文学サロンのご案内です。

前回の報告でご案内したとおり、今回は徐則臣さんの「もし大雪で門が閉ざされていたら」(「現代中国文学」19号収載)を取り上げます。本作品は、中国現代文学翻訳会の『中国現代文学』19号に掲載されています。
『中国現代文学』はネットで購入できます。

短編ですので、必ず参加される方は読んでおいてください。
なお湯島にも1冊、用意していますので、貸出可能です。
またサロンの当日、希望者がいれば、サロン開始前に湯島に早めについて読むことができるようにしたいと思いますので、希望者は事前にお申し出ください。

案内役は、同作品の翻訳者でもある中国現代文学翻訳会の葉紅(ようこう)さんです。
いまの中国の人たちの暮らしや考え方に触れていければと思います。
中国の現代小説を読んだことのない人ももちろん大歓迎です。

どなたでも歓迎の、気楽な集まりですので、気楽にご参加ください。
ただ、参加ご希望の方は事前に連絡をください。

〇日時:2024年6月9日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇今回の作品:徐則臣『もし大雪で門が閉ざされていたら』
〇案内役:葉紅さん(中国現代文学翻訳会会員/駿河台大学教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤

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2024/05/21

■節子への挽歌5992:くら寿司とサイゼリア

節子

今日は在宅でのんびりと思って、午前中はなんとなくぼやーっと過ごしていました。
ところがお昼前にランチのお誘いがありました。私がかつてかかわった理科教育振興に関するプロジェクトについてです。近くのくら寿司でのランチ付きです。
退屈なこともあり、加えてランチ付きだというので、ついつい誘いに乗ることにしました。

ひとつ崩されたら後は簡単です。
実は昨日、2回もわが家にやってきたにもかかわらず、1回目は私が寝ていて、2回目は私が入浴中で、応対できなかった近くの青木さんと会うことにしました。
一度、会おうといっていたのと、いま問題になっている我孫子新田地区の問題で話し合いを持ちたかったのです。
土曜日の集会の結果、これからどういう展開になるのか、当日の締めがなかったのが気になっていたのです。
よく聞いてみると、土曜日の集会の呼びかけグループと当日適切な発言をしていたメンバーはどうも別の存在のようです。

青木さんは、改めてもう一度、行政に呼び掛けて集会をやることも考えて、近隣の人たちに聞きまわったようですが、どうも多くの人はあまりアクティブではないようなのに驚いていました。
改めての集まりは少し様子を見ることにしたいと私の意見を聞いてきました。

2時間近く、いろいろと話しました。
私が考えている“あすあびサロン”の話もしましたが、ぜひ参加したいと興味を示しました。
ちなみに、くら寿司での人も、強い関心を示し、参加したいといってくれました。

というわけで、今日はゆっくり休むつもりが、午後は出歩いてしまいました。
しかしいずれも難しい話ではなく、気楽な話し合いだったので、精神的にはむしろすっきりしました。

5時には帰宅。録画していた「イコラザー」3部作の最新作を見てしまいました。
実にめちゃくちゃな映画ですが、気分はすっきりします。
もう休養はいいでしょう。

青木さんと話していたら、なんだか畑仕事をやりたくなってきました。
明日は畑空地に行ってみようと思います。
体調回復度の確認にもなりますし。

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■節子への挽歌5991:3人の私

節子

一昨日のサロン終了後、おかしなことが起こりました。
「身体の私」と「心の私」が別の動きをするのです。
そしてそれを見ている「意識の私」は、それに対して何の働きかけもしない。

こんなことはめったにない。
「身体の私」と「心の私」が別の動きがずれることは時々ある。
でもそういう状況では、必ず「意識の私」が動き出すのです。
でも一昨日は違っていた。
現場にいた人の誰かは、そのおかしさに気づいていたかもしれません。

3人バラバラになった私が失礼な対応をした人に謝罪しなければと思い、昨日は少しうじうじしていました。思い切って今朝、謝罪のメールをしたら、「えー?、全然、そんな事なかったですよ。お気になさらずに。治療に励んで下さい」と返信が来ました。
少し救われました。

今日ももう一日休養を取ろうと思います。
引きずり出されなければいいのですが。

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2024/05/20

■女性候補者を応援せずして何が女性か

上川外相が、静岡県知事選挙の応援演説で「うまずして何が女性か」と発言したことが話題になっています。
https://www3.nhk.or.jp/.../20240518/k10014453911000.html

 上川さんは、自分の意図が誤解されたと弁明していますが、言葉は発した人のものではありません。そんなこともわからない人が外務大臣とは信じがたいことです。外国との外交交渉などできるはずもありません。

 それはともかく、私が一番、腹立たしいのは、もし上川さんが、女性に政治を変えてほしいのであれば、知事選に立候補している女性の「はまなかさとみ」さんをこそ応援すべきでしょう。そもそも女性が男性に頼んで政治をしてもらうような発想のおかしさに気づいてほしいです。

 静岡県知事選に立候補している唯一の女性の「はまなか」さんに私は頑張ってほしいと心より思っています。

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■第4回脱ひきこもりサロン「ある〈ひきこもりの親〉Sさんの場合」報告

脱ひきこもりサロンの4回目は、こんな「ひきこもり」スタイルもあるという話をしてもらいました。「ひきこもり」と言っても、それぞれ全く違う状況にあるように思うのですが、一般的にはマイナスイメージが強すぎて、それにみんな引っ張られてしまっているような気がするからです。

話を引き受けてくださったのが、母親の立場でのSさんです。
Sさんは、これまで何回かサロンに参加してくださっていますが、お話を聞いていて、いつもとってもあったかなものを感じていたのです。にもかかわらず、それでもやはり先を考えると不安がないわけではないと時々お話になります。それが少し気になっていました。

でも、いわゆる「8050問題」などは、別に「ひきこもり」に限った問題ではないのではないのか。「ひきこもり」家族が特別視される風潮に私は少し違和感があるのです。どんな家族にも、それぞれ問題はある。何か「言葉」が与えられると、その周辺が見えなくなってしまい、いい意味でも悪い意味でも、特別扱いされていく。そして、いわゆる「社会的弱者の権利」を振り回す人や、それをビジネス化する人さえ出てきかねない。

さまざまな「生きづらい人たち」にささやかに関わってきて、いつも気になっているのが、そうした「問題」を可視化することの功罪です。いろんな生き方のひとつを特別視する社会の風潮がどうもなじめないのです。もちろんそれが悪いわけではありません。でも、言葉にはなっていないけれど、みんなそれぞれに苦労しているのです。私だっていろんな問題を抱えていると、時に言いたくもなる。
ちょっと深入りしてしまいました。すみません。

Sさんのお話は、やはりあったかで穏やかな話でした。Sさんは、「ひきこもり」を受け入れながらも、決してそれを「一般化」せずに、それこそ自分たちの生き方という肯定的な姿勢で取り組んでいるような気がしました。
でも今のような状況になるまでには、母親としていろんな場に話を聞きに行ったようです。まあ、その流れでこの湯島のサロンにもつながってくれたわけですが。

そこでいろいろと感じたことも話してくれました。それこそ学校の話もでました。
聞きようによっては、どこにもあるような話で、あえて「ひきこもり」などという必要もない気もしますが、今様に言えば、「ひきこもり」と言えるのかもしれません。

サロンでの個別の話は基本的にオフレコなので、報告は差し控えますが、一つだけ紹介させてもらいます。
Sさんの息子さんには、子どもの頃からのなかよしの友だちがいるそうです。その友だちとは2人で旅行にも行くことがあるそうです。ここに大きなヒントがあるような気がします。

どんなにひきこもっていても、必ず外部とのつながりはあります。
それがネットなのか、ラジオなのか、家族なのか、はたまた自然なのか、はともかく、人は一人では生きてはいけません。その「つながり」によって、「ひきこもり」の状況は大きく変わるとともに、その「つながり」が「ひきこもりの安心の世界」を広げていくはずです。つまり、「ひきこもり」が問題ではなく、「ひきこもりの世界」の広さにもっと関心を持つべきではないかという気もします。

先日の「子どもたちの学びの場としての学校」のサロンでも「アタッチメント」が話題になりましたが、ひきこもりはある意味でのアタッチメント探しかもしれません。
自らの身を寄せ、つながりを感じられる「安心の基地」にひとまず落ち着く。それが「ひきこもり」であるならば、それはむしろ大切なことではないのか。

これも以前、ひきこもり関係のサロンで話題になったように、ひきこもりとは「安心できる世界」さがしでもあるでしょう。だとしたら、そうした「安心の基地」を子どもたちが見つけていくのになぜ周りの大人たちは理解を示さないのか。むしろ協力して、その世界を広げていくように力を貸すのがいいのではないか。問題の捉え方が間違っているような気もします。〇か×かの二者選択ではないのです。
それができないのは、もしかしたら、自分たちの世界こそが「狭い」のではないのか。そうであれば、まずは自分の世界をもう少し広げていく必要があるかもしれません。

今回はおひとり、自ら難しい問題を抱えている人が参加してくれました。
そして自らの問題をカミングアウトしてくださいました。
それに応じて、Sさんをはじめ、参加していた当事者の方や家族がいろいろと体験知からのアドバイスしてくださいました。お互いに気づきの多い話し合いになったような気がします。

そこで問題になったひとつが、当事者や親の問題ではなく、当事者の兄弟姉妹の問題です。まだこのサロンでは、それが話題になったことはありません。
でももしかしたら、それこそが問題を解くカギなのかもしれません。できれば兄弟姉妹問題をいつか取り上げたいのですが、話題提供してくれる人がいたらぜひご連絡ください。

今回はSさんのお話と新しい参加者のおかげで、私自身、気づかされることの多いサロンでした。でも私もいささか感情的になってしまい、余計な自分の話に加えて、「ひきこもり」というブラックホールに安住していないで、外に跳び出そうなどとついつい余計なことを言ってしまい、反省しています。

Sさんはじめ、参加されたみなさんに感謝します。

Suganuma100

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■5990:疲れているのは身体だけではないかも

節子

どうも疲れは身体だけではないようです。
いろんなケアレスミスが続いている。

ある人が、サロン開催日が重なっていませんか、と連絡をくれました。
6月9日に私が話をする「コモンズの共創」サロンの第3回目をやっと日程が取れたと先週案内を出したのですが、その日は4か月ごとに開催予定の中国現代文学を読む会の開催日でした。
その会の常連の参加者からの問い合わせで気づいたのです。
全く忘れていました。

さらにそのうえ、その次の日曜日に、これも私が早くやりたいなと思いながら日程が取れずに遅れている「生きとし生けるもの」サロンをやろうと明日にでも案内を出そうと思っていたのですが、この日も隔月で開催している万葉集サロンの開催日です。これもまたあやうく重複するところでした。

昨日の増山さんへの対応で、私のいささかの異常さに気づいたのですが、身体的疲れだけではなさそうです。
まあかといって、認知症の進行だなどとは言うつもりはないのですが。
ともかく緊張感というか、何かが抜けている気がします。
注意しなければいけません。

そういえば、先日のコーヒーメーカー事件もそうかもしれません。
いささか過剰反応した気もします。
昨日、その人がやってきて、壊したコーヒーメーカーを弁償するといってくれましたが、形あるものは壊れるのだから、いいです、と改めてお伝えしました。

どうもこの頃、精神が安定していない。
まさかこれは陽子線治療の直接の後遺症ではないでしょうが、夜の睡眠がきちんととれていないのが影響しているのかもしれません。
でもまあ、そんな理由探しは意味がない。
ともかく注意しないといけません。

今日は在宅でたまった録画番組を見ていたのですが、半分うつらうつらでしたので、ほとんど見ていないのと同じです。
手元のメモを見たら、やらなければいけない課題がまだ10数件ある。
でもまあ今日はやるのをやめて、またうつらうつらしようと思います。

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■節子への挽歌5989:4人の私がばらばら

節子

やはり陽子線治療のせいかもしれません。
高齢のため、その影響がかなり遅れて現れてきたようです。
昨日は、やはり午後になって、またまた疲労感が全身を襲ってきました。
身体だけではない、意識と言動がつながらない。サロンでは眠くて仕方がない。サロンが終わった後、増山さんからの好意ある申し出にうまく対応できない。完全に4人の私がばらばらになって、自分の中にひきこもってしまっているような感じです。

疲れ切って、帰宅。
ユカからも言われましたが、少し休んだ方がいいと改めて自覚しました。
今日は杉原さんたちと姥子に行く予定だったのですが、やめてよかったです。こんな感じで参加したら、3人に迷惑をかけることになったでしょう。

昨夜は真夜中に目が覚めて、じっとしていられなくなった。
ベッドの上での工藤体操に取り組みましたが、それがいつも以上につらい。
しかも朝起きたら、うまく歩けない。
右の足腰が痛くてすぐには歩けない。

一時期、少し良くなってきたように思ったのですが、またどうも悪化の方向です。
ともかくいろんなところに不具合が出てきている。
今日は在宅でおとなしくしていようと思います。
だ在宅だとまたいろんなことを考えて動き出したくなる。
休むと忙しくなる。困ったものです。

今日は思考も止めて、DVDでも観て過ごそうと思います。
ともかく4つにばらけてしまった自分を統合しなければいけません。
外からのノイズが入らなければいいのですが。

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■第2回ブックサロンのお誘い

面白かった本を紹介し合い話し合うブックサロンがスタートしました。
第1回目は3人に、お薦めの書籍を紹介してもらいました。
その報告は下記をご覧ください。

http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2024/05/post-46a356.html

2回目は、男性女性一人ずつにお薦めの本を紹介してもらいます。
一人目は、哲学を生きている遠山哲也さん。選んだ本は小坂井敏晶さんの「社会心理学講義」。いささか難しい書籍ですが、遠山さんの関心は「虚構」です。小坂井さんには、「格差という虚構」(ちくま新書)という読みやすい本もあります。

もう一人は大塚芽生さん。向田邦子さんの「夜中の薔薇」。時間があれば須賀敦子さんの作品も紹介したいそうです。ちなみに「夜中の薔薇」は、そのなかの「手袋をさがす」を中心に紹介してくれるそうですが、短いエッセイなので、参加者はもし気が向いたら読んできてください。また須賀敦子さんに関しては、「コルシア書店の仲間たち」を私に推薦してくれました。

前回は時間不足だったので、紹介者の持ち時間を少し長くするために2人にさせてもらいました。残された時間で参加者それぞれの推薦図書を紹介してもらおうと思います。
もちろん自由な読書談話も。

なお別途ご案内していますが、湯島ではみんなが本を持ち寄って紹介し合うブックライブラリーをつくろうとしています。
オープンカフェの時などに読んでもらい予定ですが、ブックサロン前後も読んでもらえるようにしていこうと考えています。
少しずつ進めていきますので、よろしくお願いします。

〇日時:2024年6月15日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:お薦めの本を紹介し合い話し合う
〇書籍紹介者:遠山哲也さん・大塚芽生さん
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2024/05/19

■節子への挽歌5988:疲れを忘れた2時間半

相変わらず疲労感があったのですが、先日、約束していたのにキャンセルさせてもらっていた小宮山さんから電話をもらったので、会うことにしました。
いずれにしろ今日はお昼過ぎには、別の人の相談で湯島に行かなければいけませんし、午後はサロンなのです。
なんだか相変わらずバタバタですが。

小宮山さんと会うのはいつも西日暮里の“ルノアール”です。
長いときは3時間、まあいつも2時間はいるでしょう。

小宮山さんとの付き合いもすっかり長くなってしまいました。
最初は、ただ面白い人だとしか思っていなかったのですが、付き合っているうちに、その人柄にすっかり惚れてしまいました。

ともかく無上に善意、というよりも、悪意や邪意がない。素直すぎて、誤解される。自分の血管や弱みを素直に受け入れるだけでなく、しっかりと自覚している。それを小賢しく何とかしようなどとは思わない。まあいろいろとないわけではありませんが、ここまで素直に歳をとれるのかと思うのです。小宮山さんには、私もすべてを開けるのです。
以前はよくぶつかって喧嘩別れしそうになったことも何回もありますが、最近はお互いに一緒にいるだけでなんだか安堵できる。そういう人はそういるわけではありません。
実に不思議な人です。

小宮山さんは、ご自分も大病を乗り越えてきていますし、親しい人を病気で失っている。だから私のことも、心配していて、会うなりに不器用に私の体調を訊いてくる。もう大丈夫なのか、と心から気にしているのが伝わってきます。
でも、小宮山さんらしく、だからどうするなどということもない。
ただただ気にしているだけなのです。
だからこちらも安堵して気にしてもらえる。

普通の人にはこんなことはできないでしょう。
うまく言葉にできませんが、不思議な関係なのです。

疲れを忘れた2時間半でした。

 

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■節子への挽歌5987:久しぶりに10時過ぎまで起きていました

節子

昨日の朝は散々だったのですが、午後は何とか持ち直し、サロンも無事終わりました。
サロンの帰路、駅近くの南我孫子近隣センターで行われていた「我孫子新田地区地区計画変更について考える」集会に参加しました。
サロンの後、みんななかなか帰らず、私もちょっと気になっていたメールの返信などしていたら、時間ギリギリになってしまいました。

会場に入って、見回しても、誘ってくれた青木さんが見当たらない。昨日、会った市議の坂巻さんはいましたが、ほかは知らない人ばかり。
何だあれだけ息巻いていたのに、と思って、前の席を見たら、なんとそこに青木さんが座っていました。後ろ姿なので気づきませんでした。肩をつついてあいさつしました。

行政側の説明から始まりましたが、これがいかにもという感じの説明で、たぶん住民にはチンプンカンプンだったでしょう。私にもチンプンカンプン、というか、知りたいことは何ひとつ言っていない。
つづいて住民側の立場での設計士からの話、これはよくわかりましたが、いささか自己顕示が強すぎて回りくどい。
第三者的に見ていると説明の難しさがよくわかります。みんな「話したいこと」中心に話すからでしょう。行政の説明は、住民が聞きたいことをわざとはずして話すことが多いので、多くの場合、逆効果です。なぜ我孫子市役所の職員はまだそれに気づかないのか、ちょっと残念です。

それから質疑応答、なんと青木さんが最初に手をあげ、市役所の話は全くわからなかったという発言からはじめて、確かに少し息巻きました。つづく住民たちの発言は、実に感服するものでした。青木さんははともかく、みんな自制的でもある。市役所職員はあい変わらず形式的応答。これではコミュニケーションは成り立ちません。

私は問題を知ったのもつい2日前なので、発言はせずに、双方の意見を聞いていました。どちらが理にかなっているかは、誰にもわかるような話なので、おそらくこの話は白紙になるでしょう。
我孫子市でも住民たちが動き出していることを知って、とてもうれしくなりました。

しかし、予想以上に遅くなってしまい、疲れていたので、ユカに迎えに来てもらい、帰宅後、久しぶりに夜遅い夕食を食べました。
いつもはもう寝ている時間です。
それから入浴。生活リズムが壊れなければいいとちょっと不安でしたが、今朝はいつも通りに起きて、いつも通りに朝風呂とテレビ体操。

私を心配して電話してきてくれた小宮山さんと会うことにしました。
今日もまたいろんな人に会う1日になりそうです。
これなら明日、箱根に行けたかもしれません。

実は高等遊民会議の杉原さんから、友人たちと姥子温泉に行くが、車の席が一つ空いているのでよかったらどうぞと誘われて、参加する予定でいたのです。
昨日の体調異変で、迷惑を掛けたらいけないと思い、昨日、参加を辞退したのです。

ちょっと早まったでしょうか。杉原さんは気が変わったらどうぞと言ってくれていますが、でもまあ高齢者が迷惑をかけてはいけないので、ここは遠慮しておくのがいいでしょう。
ちょっと未練がありますが。

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2024/05/18

■節子への挽歌5986:朝の異変

節子

朝、いささか疲労感があったのですが、サロンの前に来客があるので、間に合うように少し早目に家を出ました。
家を出てすぐに100メートルほどの上り坂です。節子は病気が進行してからはこの坂を上るのが辛そうでした。いつもそれを思い出しながら登っています。たいした坂ではないのですが。

ところ今朝、それを登ったところで急に何か足が上がらないような疲れが襲ってきたのです。何だろう、と少し不思議な気がしましたが、数秒、立ち止まっていたら、歩けるようになりました。でもどこかおかしい。このまま歩いて駅に行くべきかどうか。
というのも、先週、友人が急に胸が痛くなって心筋梗塞で緊急搬送、即手術したという話を昨日聞いたばかりだったのです。
これも何かの予兆かもしれません。

不幸にして今日は自宅には誰もおらず、車を呼ぶわけにはいきません。
それに湯島で来客の約束をしている。
というわけで、何とか駅に向かい、ホームのベンチで休む羽目になりました。
幸いに、10分ほど休んでいたら、いつものような状況に戻りました。

こうした予兆をどう活かしていくか。
これはサロンのテーマにしなければいけません。

しかし、いろんなところでいまや心身ボロボロです。
困ったものです。

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■前立腺がん治療体験報告29:病気の医療から健康の医療へ

前立腺がん騒動はあっけない幕切れでしたが、なんだか楽しみがなくなった感じです。
念のために言えば、前立腺がんが完治したわけではありませんし、心配がなくなったわけでもありません。
それに、数年後に陽子線治療の弊害が出てくることもあるそうで、その場合は、また国立がん研究センター東病院に行ってくださいとまでいまの主治医には言われました。

いま気になる副作用はないわけではありません。
たとえば、夜中にトイレに起きる回数は半端ではなく、昨夜も5回です。
最近は熟睡した後の目覚めを味わったことがありません。
東邦病院の主治医は水を控えるしか方法はないと言い切りましたが、水を飲まないと今度は脳神経外科の関係でリスクがあるのです。
丹田へのお灸がいいと勧められてやったのですが、私の不手際で水泡ができてしまいいまは痛くてお灸どころではありません。これがまたなかなか治らない。

放射線による身体の疲れは免疫低下を起こしているようです。
先日も歯茎が腫れてしまった。

ホルモン療法の副作用もあります。
いわゆるホットフラッシュに時々襲われる。
それにともかく食欲が強まり何かを食べたくなる。
間食を抑えようとしていたのですが、守り切れずにいます。
でもそうやって食べてしまうと今度は消化器系の違和感が出てくる。
身体の私と心の私と意識の私が分裂している。困ったものです。

民間療法は続けていますが、これが結構面倒で、私のような怠惰な人間には結構ストレスでもあります。

まあ一番の問題は、前立腺がんへの対応の仕方がわからなくなってしまったことです。
なんだか中途半端な終わり方ですから。
前立腺がんアドバイザーになろうという思いも完全に消えてしまいました。
つまり「前立腺がん」は「医原病」なのです。でも健康維持のためには大切でもある。
そこをどう整理すればいいか、いま迷っているのです。

病気の医療から健康の医療に、大きな流れを変えたいと改めて強く思います。

 

 

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■湯島サロン「エルモット村からのお誘い」のお誘い

今日は久しぶりの「エルモット村からの発信」サロンです。
いつもと時間が違い、午前中のサロンです。

もう5年ほど前になりますが、湯島で「見えない世界を感じながら生きている人が構想する地上の楽園」を呼びかけるサロンがありました。
呼びかけたのは、異文化異次元交流カフェ“エルモット村”のカシュカシュさんこと内藤明子さんでした。
その報告は次にあります。

http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2019/08/post-eff3c5.html

そのカシュカシュさんが、地上の楽園“エルモット村”の構想がほぼまとまったので、いよいよ実現に動き出すと連絡がありました。まずは構想実現のための資金確保にむけて、“エルモット村”にもつながるスマホアプリの開発だそうです。
いま精力的に仲間集めや資金集めの活動に取り組んでいますが、湯島でもサロンをやってくれることになりました。

カシュカシュさんがまとめた「エルモット村構想の全容」は次の動画にまとめられています。25分とちょっと長いですが、内藤さんの思いがわかりやすくまとめられています。ぜひご覧ください。

https://youtu.be/_l2rtItkHM4

エルモット村構想の理念は、CWSコモンズ村の理念と重なるところもあります。
私も応援したいと思っています。
カシュカシュさんは、この動画を見て、ぜひこの活動につながっていってほしいと思っているようです。
サロンでは、この動画をまずは改めてみんなで見て、内藤さんへの質疑や意見を出し合い、この構想の実現に向けての話し合いができればと思います。

カシュカシュさんからのメッセージを最後につけておきますので、ぜひ読んでください。

生きづらさを感じている方、退屈している方、新しい活動をしたい方、そうでない方、どなたでも大歓迎です。異質な世界に触れるいい機会でもあります。
みなさんのご参加をお待ちします。

〇日時:2024年5月26日(日曜日)午前10時~12時
  *いつもと時間が違うのでご注意ください。
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ: エルモット村からのお誘い
〇問題提起者:カシュカシュ、こと、内藤明子さん(エルモット村代表)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

〔内藤明子さんからのメッセージ〕

みなさま、ご無沙汰しています。
前回のサロンは受付停止になるほどの満員御礼で、本当にありがとうございました。

裾野の広い高山の、どこを登山口にしようかと長年ず〜〜〜っと迷っておりましたが
ようやく、第一歩を踏み出す覚悟と道筋をつけることができました。

https://youtu.be/_l2rtItkHM4?si=rThaJHyT21YVylhl

説明動画は25分間と長尺ですが、世の中の概念にない説明が必要なため
これ以上短くすることができませんでした。
中身は濃いので、新たな情報インプットにはお役に立てると思います。

動画下の概要欄に、簡単なPDF資料へのリンクも貼っております。
いいねボタンやコメントを入れてもらえたら
拡散されやすくなるので、ぜひご協力お願いしますm(__)m

そして、サロンでは、疑問・質問・こんなことやってみたい、など
皆様のご意見をぜひお聞かせいただけたらと思っています。

お会いできるのを楽しみにしております!

 

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■節子への挽歌5985:メダカが生まれていました

節子

先日、メダカの水槽を掃除しようと思って、よく見たら、小さな子メダカが数匹泳いでいるのに気づきました。
実は水がかなり汚れてしまっていたのと水草に水藻がべったりついてしまっていたので、メダカだけは別の水槽に移していたのです。
これまでの水草では産卵しないので、産卵用の姫ホテイ草を購入してきて、新しい水槽に入れているのですが、そちらにももしかしたら産卵しているかもしれません。

子メダカは小さな容器に移して様子を見ていますが、元気です。
すでに10匹くらいが泳いでいます。
よく見たらきっともっといるでしょう。
しばらくこのまま様子を見ようと思います。

湯島のメダカはなかなか散乱しないのですが、今年もまた坪倉さんが卵と子メダカを持ってきてくれました。
坪倉さんからはともかく放置しておくのがいいといわれ、ベランダに出していますが、最近は土日以外なかなか湯島に行けずに、いささか心配ではあります。
でもまあ生き物は自然のままが一番なのかもしれません。

子メダカを見ていると飽きません。
数ミリの小さな身体ですが、動きは速い。
子メダカは目に見えますが、目には見えないたくさんの生物が私のまわりにはいるのでしょう。
そう思うと自分の生命などは、小さな一部だなと思います。

もしかしたら目には見えませんが、節子も近くにいるのかもしれませんね。
今日もまたいい天気になりそうです。

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■「我孫子の明日を話し合うサロン」準備会のご案内

我孫子まちづくり編集会議に提案して、「我孫子の明日を話し合うサロン(仮称“あすあびサロン”)を7月からスタートさせることにしました。
最初の3回は、市議会議員をゲストに呼んで、30分ほど、我孫子のビジョンなどを話してもらい、参加者みんなと話すスタイルを取ろうと思います。

このサロンの目的は、とりあえず、「我孫子をどんなまちにしたいかを主なテーマに、自由に話し合い、それを実現に向けていく「人のつながり」を育てていく」とともに、「まちづくりの主役は住民であると意識を高めていく」ことに置こうと思います。

そこでこのサロンの進め方について検討する準備会を下記の通り開催いたします。
併せて、このプロジェクトの事務局チームメンバーも募集したいと思います。

あまり手間暇かけずにゆっくりと進めたいと思いますが、サロンでの話し合いの報告やニューズレター制作など、作業も出てきますので、チームを立ち上げないと継続が難しい気がしています。
できれば、1年以内に緩やかな組織化と事務局体制を整える予定です。

もし事務局メンバーになってもいいという方がいたら、ぜひご参加ください。
あるいは、事務局はともかく、応援団になってもいいとか関心があるのでサロンには参加したいなどといった方も、1回目の準備会にご参加いただけるとうれしいです。

〔我孫子の明日を話し合うサロン準備会〕

〇日時:2024年6月1日(土曜日)午前10~12時
〇会場:アビスタ第3学習室

*参加予定者はできれば下記までご連絡ください。

  佐藤修:qzy00757@nifty.com

 

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2024/05/17

■湯島サロン「コモンズの共創③ コモンズの悲劇あるいは幸せ」のお誘い

「コモンズの共創サロン」の第3回目は「コモンズの悲劇」を取り上げます。

果たしてコモンズの先にあるのは悲劇なのか幸せなのか。
この問いは、湯島サロンの根底にあるテーマでもあります。
湯島サロンも湯島の場も、コモンズの幸福を目指しています。

コモンズの悲劇とは、生物学者ギャレット・ハーデインが提唱した、「みんなが使える共有物は個人的な利益追求のために過度に利用され、結局、破滅してしまう」という考えです。この考えが、「私有制」を基本に置く資本主義の発展を支援してきました。
しかし、本当にそうでしょうか。

これに対して、法学者キャロル・ローズは、「人多ければ楽しみ多し」という慣用句を持ち出して、コモンズこそがみんなを幸せにするという「コモンズの喜劇」を提唱しました。こうした考えは、むしろ資本主義が隆盛を極める前の常識だったように思います。たとえば、17世紀に活躍したスピノザは、「もし2人の人間が一致して力を合わせるなら、単独である場合よりも多くの力能をもち、自然に対してもより多くの権利をもつ。そのような形で親密な関係を結ぶ人が増えるに従って、人々はますます多くの権利を共に有するようになる」と言っています。私はこれを「コモンズの幸せ」と呼んでいます。

ではなぜ、コモンズは幸せ(喜劇)にならずに悲劇になってしまったのか。それは、そもそもコモンズが失われたからです。つまり「みんなのものという意識やみんなという関係」がなくなってしまった。そこで「コモンズの悲劇」とは「コモンズ不在の悲劇」という人もいますし、「コモンズの統治(協治)」が重要という人もいます。
経済学者ユリノア・オストロムは、世界各地のコモンズの調査を踏まえて、コモンズを幸せにしていく条件をあげています。言い換えれば、「コモンズとは何か」ということになります。

いささかややこしい話を書いてしまいました、
日本には、私が子どもの頃まで、まだ「コモンズのつながり」や「コモンズの幸せ」が残っていたように思います。それをまた、みんなで「回復」したいというのが、私のテーマなのです。

今回は「コモンズの悲劇」という切り口から、「コモンズの回復」について考えてみたいと思います。1回目と同じく、最初に私から30分ほど話させてもらい、後はみんなで話し合うというスタイルです。
気楽にご参加いただければと思います。

〇日時:2024年6月30日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:コモンズの悲劇あるいは幸せ
〇問題提起者:佐藤修(CWSコモンズ村村長)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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■節子への挽歌5984:市議会議員を訪れました

節子

我孫子で新しいサロンを始めることにしました。
「我孫子の明日を創り出すサロン」仮称“あすあびサロン”です。
時評編の方に趣旨などを書きましたが、まちづくり編集会議を始めた時から考えていたことです。
ようやくここにたどり着きました。節子が元気だったら20年前に取り組んでいたことです。

節子の病気で、人生は全く変わってしまいました。
節子は、私以上に変わってしまったのですから、それが不満というわけではありません。変化は従容として受け容れ、活かさなければいけません。

それはともかく、その準備のために市議会議員の坂巻さんを訪問しました。1回目のゲストに彼を頼もうと思っています。全化愛の選挙で最高の得票を得たのが理由です。
そのついでに、久しぶりにいろいろと話してきました。
思うこといろいろとありました。

さて続いて2人の市議会議員にもゲスト依頼をしました。
さらにまちづくり編集会議のメーリングリストで、準備会の案内も出しました。
もうこれで後には戻れません。
こうやって自分で自分を駆り立ててしまう。
この習癖は治りそうにもありません。
困ったものですが、怠惰で気弱な性格にはこれしか対策はありません。

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■“あすあびサロン”をスタートさせます

地元の我孫子市での新しいサロンをスタートしようと思います。
前々から考えていたことですが、なかなか踏み切れませんでした。

まだ仮称ですが、「我孫子の明日を話し合う“あすあびサロン”」です。
毎回、我孫子のまちづくりに取り組んでいる人をゲストに呼んで、そのビジョンをお聞きし、それを踏まえて、自由に話し合い、それを実現に向けていく「人のつながり」を育てていく、のが目的です。行政を批判したり行政に要望したりするのではなく、あくまでも自分たちが主役になってできることを実践していくための意識(仲間)づくりです。

話し合いの概要は公開し、仲間を増やしていきたいと思っています。
問題は最初のゲストを誰にするかです。
常識的には「市長」でしょうが、それではあまりに退屈です。

そこで、住民の意思を代表する市会議員からはじめようと思います。
それでもどの議員を呼ぶか。人選を間違えると、誤解を与えかねません。
不偏不党の中立的な立場とイメージをどう確保するか。

まずは私の知り合いの市議会議員に打診し、進め方を検討し、7月からスタートします。
今日はとりあえず、市議会議事堂を訪問しました。

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■節子への挽歌5983:免疫低下で歯茎が腫れてしまいました

節子

昨日は歯茎の腫れでいしど歯科医に駆け込んでみてもらいました。
最近どうも歯の調子がよくない。
レントゲンを撮ってもらったら、やはり例の右上奥歯の界隈がおかしいのです。
歯根の間にまた細菌?が入り悪さをしているようです。

とりあえず抗生剤を入れてもらい、様子を見ようということになりましたが、血圧の薬以外に何か飲んでますか、と訊かれました。
それで、つい実は癌に出合って、放射線治療をやったり薬も飲んでますといってしまったのですが、石戸さんは、その関係で免疫力が低下しているためかもしれませんね、というのです。
これは私が最近思っていたことです。

身体的疲労感もそうですが、いろんなところが調子を崩している気がします。
消化器系もそうですし、以前からちょっと気になっているところがいろいろと動き出している。最近は右目がよく見えない。これは関係ないかもしれませんが。
あれ!風邪かなと思うことも時々ある。幸いに風邪はひいてはいませんが。
脚のだるさで眠れないこともある。
いや、こうやって書きだすと免疫低下の性とは思えないものばかりですが、でもなんとなく自分の身体の免疫が低下しているのは実感できる。
注意しないといけません。

歯茎の腫れは、幸いに収まりました。
3日間ほど、抗生剤を飲んで様子を見る予定です。

今日は消化器系の検査に行こうかと思ったのですが、むしろ休養しようと思います。
今日は予定が2件あったのですが、事情を話して不参加にしてもらいました。
なんだか最近は休養ばかりしている気もします。

でも周りではいろいろと動きがあるのです。
身体的には休んでいますが、心や意識はこのところ実に活動的です。
今日もまた新しいプロジェクトに向けての活動です。

 

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2024/05/16

■コモンズブックルームへのお誘い

湯島でのブックサロンも始まり、オープンカフェも近々始まります。
それに伴って、前から提案されていた「コモンズ図書室」も始めたいと思います。

と言ってもたいしたことではありません。蔵書を整理しようとして、もしその本を誰かに読んでもらいたいと思ったら、湯島においてくださいという提案です。
すでにそういう思いで、湯島に本を持ってきてくれている人もいますが、今までは管理もせずにいました。これからは貸出ノートなども用意して、自由に貸し出したり、あるいは譲渡したりしていく仕組みをつくろうと思います。

また既にご自分の著作などを置いて、希望者には購入してもらうという本や無料でどうぞという本も何冊か湯島にはありますが、私がほとんど紹介しないのでほとんど売れません。多くの人は、気づきさえもしないでしょう。これからはきちんと販売コーナーや無償提供コーナーも作ろうと思います。

いずれにしろオープンカフェの時は、自由にお読みください。
たぶんわかるようにしておきます。
なにかアイデアがあればどんどん提案してください。

 

 

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■節子への挽歌5982:朝、長いメールが届いていました

節子

昨夜もよく目が覚めました。本も読めない。
それで今朝は5時起床です。夏になれば、というか、そろそろ5時起床にしてもいいかもしれません。

長いメールが届いていました。
湯島のコーヒーメーカーを壊した人からの謝罪のメールです。
壊れたのはコーヒーメーカーではなく、コモンズの精神だと伝えていたのに、なかなか理解してもらえません。
どうも昨日、持ち帰ったペットボトルやお菓子を届けに行ったそうです。
ますますコミュニケーションが成り立っていない。

湯島のサロンでのお菓子やペットボトルの飲み物は、できれば辞めたいと思って、何回かやめようとしましたが、その都度、参加者がお菓子を持ってきたり、冷蔵庫からペットボトルを出してくるので、あきらめました。
コモンズ空間はなかなか難しい。

コップなども洗剤を使わずに洗いたいのですが、みんなに任せると洗剤を使う。さらに洗剤も持ってくる。
ごみはできるだけ集めてと思うのですが、毎回、袋に入れて廃棄する。
ありがたいことなのですが、プラスチックごみや洗剤による環境汚染を考えるとどうも気が重い。でもまあ、私だけのわがままも通せない。
お菓子もそこにあると、私もついつい食べてしまう。
最近は私は補充しないようにしていますが、補充しなくなると誰かがますます持ってくるようになる。
最近はペットボトルもいろんな人が持ってくる。

困ったものだと思いながらも、もしかしたらこれこそ「コモンズ」かもしれないと思い出していた矢先の、今回のコーヒーメーカー破損とペットボトル持ち帰り事件が起きたのです。
なんだか力が抜けてしまった。
それもあって昨夜は眠れなかったのかもしれません。

朝の長いメールの言い訳に、私も長い返信をしました。
雨降って地固まる。コモンズ関係が回復するといいのですが、難しいかもしれません。

節子がいたらこんなことにはならなかったでしょう。

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2024/05/15

■前立腺がん治療体験報告28:前立腺がん騒動は終了しました

21日間の陽子線治療後、何もしないでいましたが、今日はそもそもの主治医のいる我孫子東邦病院での3か月ごとの検査の日です。
ホルモン療法の静脈注射を打つとともに、血液検査をし、主治医の大槻医師と話しました。

まず血液検査の結果はPSA値は0.5に低下していました。
これはホルモン療法を受ければ通常想定される結果のようです。
しかし、当事者の疑問は、「それでいったい噂の前立腺がんはどうなっているのか」ということです。
残念ながらこの問いには誰も答えてくれません。

つまり誰も前立腺癌の実体をわかっていないのです。
ですからみんなPSA値を介して様子を見るとしか言えません。
でも誰もそんなことは言いません。

たとえば東邦病院の主治医は前立腺摘出の名手ですので、それに関しては詳しく説明できます。
がん研究センター東病院の主治医や放射線技師は、陽子線治療に関しては詳しく説明してくれます。
でもいずれも「前立腺がん」に関しては、たぶんわかっていない。
少なくとも患者とされる私にきちんと説明はできないでしょう。

しかもその連携もできていないような感じです。
今日は副作用に関して質問しましたが、それは放射線治療の領域なのでと言われてしまいました。誤解があるといけないですが、これはたぶん医師の問題ではなく、日本の医療制度の問題なのだろうと思います。
舌足らずで誤解されそうですが、主治医はみんないい人なのです。

今日はそんな日本の医療制度の実態を垣間見て、疲れがどっと出てしまいました。
いろいろと書こうと思っていたのですが、あまり書く気力がないので、明日にさせてください。
今日はともかく私の前立腺癌騒動は終了したという報告です。
いや終わりにさせようと思ったのです。

次に話題になることがあるとすれば、たぶん「前立腺がん」ではなく、「〇〇〇がん」ということになるでしょう。
やはり近代使用医学は産業のためのものだと改めて感じました。
もちろんそれが悪いといっているわけではありません。
でもやはり大切なのは、統合医療というか、民間医療を基本とした医療です。
今回、身をもってそれを確信しました。

前立腺騒動は終わってしまいましたが、このシリーズはあと2回、続けさせてもらいます。

 

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■節子への挽歌5981:前立腺がん問題は終了しました

節子

陽子線治療の後、何もしていないのですが、今日、3か月ごとの採血検査日で、東邦病院に行きました。
血液検査の結果、PSA値は0.5まで低下していました。まあこれはホルモン療法を受ければみんなこうなるようです。
で結局、前立腺がんそのものはどうなったのかと言えば、だれも説明できないのです。
おかしな話です。

副作用でもある頻用の解決策を質問しましたが、解決策はないそうです。
東邦病院の主事は摘出手術の名手ですので、陽子線治療には関心がないようで、それは陽子線治療の医師の問題だといわんばかりです。
陽子線治療で何か問題が出た時には、またがん研究センターに行って下さいとのこと。
産業化された医療の実態を垣間見た気がします。

気になっていた肝臓や膵臓に関するマーカー値も正常を維持していました。
一時期、急に上昇していたため、そしてそれなりの症状も出ていたため、気になっていましたが、まあもうしばらく様子を見ていても大丈夫でしょう。

というわけで、一応、前立腺がん問題は、手離れさせたいと思います。
まあ引き続き民間療法などは楽しみたいとは思いますが。

今日は3時間もまたされました。
話し相手もなく、体操もできず、それなりに楽しかったがん研究センター東病院が懐かしかったです。

でもひと段落できた感じです。
関係者に報告し、FBでも結果を報告しました。

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■湯島サロン「子どもたちの学びの場としての学校」報告

「子どもたちの学びの場」である学校を中心に、取材活動を続けているYさんに、ご自分の作品などの紹介も含めて、ご自身の考えなどを話してもらうサロンでした。
Yさんの要請で、Yさんのことをきちんと紹介できないのが残念ですが、Yさんは3児の父親で、学校現場への取材活動などに取り組んでいます。
子どもの教育などに関心の深い女性たちが6人と、それなりに関心のある男性たちが4人、参加しました。参加者のなかにも子育て中の母親父親がいました。

Yさんのお話はとても刺激的なものでしたし、参加者の紹介する事例や体験も示唆に富むもので、こういう話し合いの場をもっと開きたいなと思いましたが、なかなか難しいようです。なぜ難しいのか、それが書けないのももどかしいですが。
いまの日本は本当に言論の自由があるのかいささか疑問に思いますが、まあそういう話はまた別の機会に。

Yさんの話はまずふたつの言葉の問いかけから始まりました。
アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)とアタッチメントです。
後者はまだあまり広がっていないので、聴きなれないかもしれません。「愛着」などと訳されているため誤解されそうですが、不安な時に誰かにくっついて安心を得ようとする欲求や行動のことです。

アンコンシャスバイアスに関しては、私たちがいかにそうした「バイアス(偏見)」に左右されて行動しているかを、Yさんはいろんな事例を出して話してくれました。

たとえば、学校で日本語をきちんと教えてもらえなかったために社会からはみ出してしまった在日外国人の子どもの学びの場をYさんが取材した時に、校長先生が、20年前は日本人の学びこそが学校の役割だと受け止めていたと振り返り、でも今は(日本国籍の子どもだけではなく)すべての子どもの学びの場と捉えているということを紹介してくれました。学校は何のためにあるかの「常識」が変わったのです。その「常識」は、その時々の、まさに「アンコンシャスバイアス」と言っていいでしょう。

そうした事例を紹介しながら、Yさんは今の「常識」に含まれている「アンコンシャスバイアス」の不都合が、将来、顕在化してくるかもしれないといいます。
だからこそ、私たちはいまの常識や当然とされている学校の在り方やルールを問い質し続けなくてはいけないのではないかというのです。

たしかに最近では、不登校に関する世間の「常識」「見方」は少し変わりだしていますし、新しいスタイルの学校も広がりだしています。新しい「学び方」への寛容度は高まっている。
Yさんはそんな事例もいくつか紹介してくれました。いまの「常識」からすれば、そこまでやるかという事例もありますが、20年後には、「そこまでしかやれなかったのか」ということになっているかもしれません。

しかし、同時にYさんは、小中学校は「義務教育」とされているので、学校側もルールから逸脱した子どもを無闇に放出できないが、高校は「自由教育」なので、学校のルールに反してしまうと切り捨てられてしまうこともあると話してくれました。しかし、高校から切り捨てられてしまうと、いまの日本ではそれから先の人生がとても厳しいものになってしまいかねない。
ある先生は、高校はうまく社会に乗れない子どもたちにとっては「最後の砦」だと話したそうですが、Yさんもそう感じているようです。
高校から切り捨てられると、「学びの場」どころか「居場所」さえなくなってしまう。そして、その結果がもしかしたら最近の社会に大きな影を落としている。

最近の子どもの自殺の増加も、そうした子どもたちの育ちの場の変化の結果かもしれません。学校は果たして「社会人」を育成するための「教育の場」と捉えるだけでいいのか。もし子どもにとって、それが大切な「居場所」にもなっているのであれば、「福祉の場」としての視点も必要ではないか。
学校の役割や意味が、大きく変わってきている。子どもの「ウェルビーイング」を第一に捉える学校でなければいけないのではないか。Yさんはそう考えているようです。

最近、テレビでも「アタッチメント」という言葉が取り上げられだしています。
それに関してもYさんは言及してくれました。
人の触れ合いやつながりの大切さは、よく話題になります。
認知症対策でも、一時期、「ユマニチュード」というフランス発祥の認知症ケアが話題になりました。「アタッチメント」は育児ケアで話題になっていましたが、それが今では大人の世界にも使われだしています。

いずれも要するに、人の触れ合い(肌の触れ合いから心の触れ合いまで)を大事にするという、以前の日本社会には当然としてあった話なのですが、新しいケアの手法として、産業界や専門家が取り上げると、新しい技法や概念として、もてはやされてしまうのです。でも多くの場合、すぐ忘れられてしまうことも少なくない。
だから私自身はあまり好きではないのですが、しかし、自己責任社会へと人のつながりを分断する方向に向かっている社会の流れを変えていくには、そうした新しい言葉も必要かもしれません。
「ユマニチュード」が短い期間の流行語で終わったようなことにならなければと思いながら、「アタッチメント」という概念や実践の大切さを広げていきたいと思います。
いつかこのテーマのサロンをやってもいいかもしれません。

Yさんは、いろいろな事例を出しながら、新しい学びの場への動きを紹介してくれましたが、一方で大きな流れとしての学校制度の限界も話してくれたように思います。
この事態を方向づけていくのは、やはり実際に子どもと向き合っている親世代の人たちの行動であり、それを支えていく社会の姿勢でしょう。制度や専門知識が社会を変えていくわけではありません。制度や専門知識をうまく活用するかどうかは、当事者です。

そして話し合い。
実際にご自分の子どもたちの学びの場探しに取り組んでいる母親や父親もいたので、抽象論に落ち込まない実践的な話ができたように思います。
私はもう、この分野には直接的な接点がないのですが、話を聞いていて、たくさんの気づきや示唆をもらいました。でもその一方で、やはり問題は私たちに深く刻まれてしまっている「アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)」からどれだけ自由になれるかではないかという気もしました。Yさんは、たしか「先入観からの脱出」という言葉も使っていたように思いますが、それが大切なのかもしれません。

とても残念だったのは、学校の先生や当事者である中高生や大学生が参加していなかったことです。そうした人たちとYさんのやりとりを聞きたかった。
いつか高校生を中心にして、「最後の砦の高校」をテーマにしたサロンをやってみたくなりました。

 いろいろと制約があって、ちょっとわかりにくい報告になってしまっていると思いますが、お許しください。

Yamaura1000
ちなみに、今回は写真のアングルを変えました。Yさんは写っていません。代わりに私がいますが、いつも私が写っていない写真を載せるので、ある人から「違和感がある」と言われてしまったのであえてこの写真を使わせてもらいました。

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■節子への挽歌5980:ホカロン療法の失敗

節子

頻尿対策にお灸を勧めてきてくれた方が、せんねん灸よりもホカロンがいいというので、昨日ホカロンを買ってきました。
私は初めてホカロンを使いますが、直接肌に貼ろうとしたらユカから直接はダメで肌着の上に貼るように言われました。
そんなのでいいのかなと思っていましたが、夕方、入浴しようと思い、ホカロンをはずしたら赤くなっていて水泡ができかかっていました。長く貼り続けていたのか、肌が合わなかったのでしょう。

ホカロン効果も期待しましたが、残念ながら昨夜も5回も目が覚めました。
この療法は私には向いていないかもしれません。

しかしこう睡眠不良が続くとさすがに気が重くなってしまいます。
以前は夜、目が覚めても本を読めたのですが、最近はどうも本を読む気が起きない。
眠れない人の辛さが、少し理解できてきたかもしれません。
人間は自分で体験しないとなかなか理解できないものです。

日曜日の「不祥事」による不快感も収まりました。
それにしても、当の本人からは何の連絡もない。
きっと本人もどうしたらいいか悩んでいるのでしょう。
素直に事実を話して、一言謝ってもらえたら、いつものように、「ああわかりました、形あるものはいつかは壊れますから」と応えられたのに、歯車がうまく回らずに、言い訳ばかりで私も相手に「良識」を迫りすぎました。
これまで鬱積していたたくさんのことが一気に出てしまったのかもしれません。
困ったものです。
人生はなかなかうまくいきません。

今日は午後から前立腺がん治療のホルモン療法と診察で病院です。
どういう結果になっているでしょうか。
今朝の天気はとても穏やかで、いい天気になりそうです。
結果もいいといいのですが。

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2024/05/14

■節子への挽歌5979:近くの青木さんがやってきました

節子

夕方、近くの青木さんがやってきました。
最近私の姿を見ないでの心配でやってきたそうです。
前にあったとき、私が癌治療でがん研究センター東病院に通うことを話していたからです。
最近会わないのでひどくなったのではないかと心配してくれてたそうです。
元気そうな私を見て安心してくれました。

もっとも青木さんが訪ねてきた理由はそれだけではないようです。
私が元気なのがわかると、いろいろと話しだしました。
一番の話は、新田地区の都市計画が変更される説明会のことでした。

青木さんの近くの我孫子新田地区は市街化調整区域ですが、市はそこを商業観光地域へと都市計画を変更しようとしています。その話は私も知っていたのですが、先月行われた市による地区住民への説明会では十分な質疑応答ができなかったということで、住民側が改めて説明会を開催することにしたのだそうです。
青木さんも反対のようで、当日も発言をしようと考えているようです。
なんとなく青木さんが私の参加を求めているようなので、私も参加することにしました。
偶然にも、その前日、この地区を代表している市議会議員の坂巻さんと会う約束をしていたので、彼にも事情を聞いておくことにしました。

それに関連して、いろんな話題が出てきました。
最近の状況は私もそれなりに知っていますが、長く我孫子に住んでいる青木さんの持っている情報や人的ネットワークはやはり私とは全く違います。私にはとても太刀打ちできない情報をお持ちです。教えられることも多いのです。
改めて、いわゆる新住民と昔からの住民との意識の違いを実感しました。

青木さんは、節子がやっていた花かご会の活動にもほんのいっとき参加していたこともあって、節子にも感謝しているようです。そもそも私が青木さんと縁ができたのも、節子のおかげかもしれません。

一度改めてまたじっくりと青木さんからお話を聞こうと思います。
やはり「市民」よりも「住民」が、主役にならないといけないなと何となく感じました。

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■静岡県からの奇跡に期待

静岡県知事選がいま展開中です。

静岡県の県民以外には投票権がありませんし、あくまでも静岡県ローカルな問題だと思われている方がほとんどでしょうが、私はまったく違ったイメージを持っています。
私の友人の「はまなかさとみ」さんが立候補しているからでもありますが、そればかりではありません。

はまなかさとみさんは、これまでも請願権拡充に取り組んできています。
しかも具体的な「事件」に基づいての取り組みであり、それがたまたま静岡県を舞台にしていたので、今回、思い切っての立候補になったのです。
立候補を決めたのは、公示日1週間前です。供託金の準備でいささか危ぶまれたのですが、何とか間に合い立候補できました。

はまなかさんが目指しているのは、「県民一人ひとりの要望に応える県政へ」です。それはさらには「国民一人ひとりの要望に応える国政へ」へと通じるプロローグです。
同時に、浜中さんが目指すのは、利権がらみの男性中心の政治から、生活視点に立った女性中心の政治ではないかと私は勝手に考えています。
そろそろ政治は、女性の手に委ねる時期ではないかとずっと思っています。
その意味でも今回の6人の立候補者のうち、女性は一人だけというのも実に象徴的です。
その一人だけのはまなかさんに、静岡県の女性たちが応援してくれれば、奇跡は起こる。私はそう思っているのです。

はまなかさんの知事選選挙公式サイトをぜひ見てやってください。
https://hamanakasatomi.com/
できれば選挙ドットコムの濱中さんのサイトも。
https://go2senkyo.com/seijika/193871

静岡県から奇跡の風が起こってほしいと願っています。

 

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■湯島サロン「【人生のピンチ生き延びメソッド】をシェアしよう!」報告

生きづらさを考えるサロンの第2弾、杉原学さんの「人生のピンチ生き延びメソッドをシェアしよう!」サロンはなんと15人の参加がありました。どうも湯島のサロン仲間はみんなピンチに襲われているようです。でもまあ、ピンチのない人生は、もしかしたら退屈かもしれませんから、きっとみんな「生き生きと生きている証拠」と受け止めた方がいいかもしれません。

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杉原さんはまず自らの自己紹介も兼ねて、いまの生き方を紹介してくれました。
しかし、これは㊙ということなので、報告からは省きます。高等遊民らしい、実に「知的」な生き方ですが、かなりの「技」も必要なので誰でもできるとは思いませんが、関心のある方は是非杉原さんからお聞きください。教えてくれるかどうかは確約できませんが。

つづいて、「人生のピンチ」に関する世界の名言を2つ紹介してくれました。
ひとつは、死生学で有名なエドウィン・シュナイドマンの「あらゆる自殺を説明し尽くす単一の理論はない」。ピンチは、人それぞれで一般化してはいけない。これは自殺問題に取り組む人なら誰でも知っている名言です。しかし、あまり知られていないのが、「苦しみに貴賤はない」。私も知らなかったのですが、とても共感できます。これは誰の言葉かと言えば、なんと杉原さんの言葉なのだそうです。シュナイドマンの名言と並べてみると、こちらの方がいいですね、…といった「遊び」も、ピンチ乗り越えの一つかもしれないと杉原さんは言います。有名な格言と自分の思いついた言葉を、並べて書いて額に入れておくと、なんだか力が出てくるのかもしれません。
みなさんもぜひ試してみてください。ただし、並べるのは杉原さんの言葉ではない方がいいかと思いますが。

そしていよいよ、「杉原流生き延びメソッド」のお披露目です。なんと11項目もありました。
たとえば、その1は「今までと逆のことをやってみる」です。そして自分の体験も含めて、それぞれの解説をしてくれました。杉原流生き延びメソッドの11項目をすべて紹介しようと思ったのですが、近々、杉原さんはこれを本にまとめて出版される予定です。ですから、ネタバレになってはいけないので、差し控えることにしました。
関心のある方は、ぜひ出版されたら購読してください。実践的で有益なヒント山積ですから。出版されたらまたご案内します。

もっとも、最後の11番目は、書籍には掲載されないと思いますので紹介してもいいでしょう。それはなんと「湯島サロンに参加する」です。しかも「予約せず飛び込み」のがお薦めだそうです。私には迷惑な話ですが、その意図するところは、残念ながら私にもよくわかります。
ピンチの方はぜひ湯島サロンへ、は私も歓迎するメッセージです。本当は来てほしくはないのですが。

杉原流生き延びメソッドの紹介の後は、参加者全員がそれぞれの生き延びメソッドを発表し合いました。中にはかなり深刻なピンチに陥っている人もいますし、ピンチなどには気づくことなく生きている人もいましたが、いろんな人の体験やその克服策(ピンチと無縁な人の生き方も含めて)は自らの生き方を問い直す刺激になると思います。

杉原さんの配慮で、みんなの発表の最後に、私のピンチ乗り越え策を発表させてもらいました。私の場合は、2つあります。ちなみにその2つとも、杉原流の中にはしっかりと含まれています。

まずは「ピンチの実状を誰かに放す(話す)」という方法です。
抱えているとピンチはますます増幅していくので、心身から放すために、だれか気の置けない人に話すというやり方です。できるだけアドバイスなどしてくれない相手を選ぶことがポイントです。

もうひとつは、「ピンチを楽しむ」ことです。そんな馬鹿なといわれそうですが、同じピンチなら楽しまないとやっていられないのです。妻を見送った時、知人に頼まれてで妻が残した遺産を失い借金までしてしまった時、しばらくはおかしくなるほど落ち込みましたが、そういうことを繰り返しているうちに、ピンチは楽しむしかないという心境になったのです。そのおかげで、昨年、癌の宣告を受けた時は落ち込むこともなく、現在は前立腺がんの治療を心底楽しんでいます。
杉原さんもお話しされていましたが、RPG(ゲーム)でも映画やドラマでも、絶体絶命のピンチ状況こそが、山場です。そこから新しい展開が始まっていく。それを自分の人生でも挑戦すると考えれば、元気が出ます。

みなさんの提案を聞いたうえで、またちょっと話し合いがありましたが、杉原さんは、ともかくいろいろ試しているうちにちょっと元気が出てきたりする、それに「ときぐすり(時薬)」といって、時間が解決することもある、とまとめてくれました。
ピンチがチャンスになることもあるのです。

杉原さんの11項目のメソッドに刺激されて、参加者もみんなそれぞれのピンチ生き延び策を思いめぐらしたサロンでした。
それに、みんなそれぞれピンチに出合っているのだと思えるだけでも、ちょっとだけピンチ強くなったのではないかと思います。
ピンチなどという重いテーマの割に、笑いもある楽しいサロンでした。これも高等遊民ならではの妙技かもしれません。

なお、杉原さんのオフィシャルサイトをご紹介します。
このサイトにも、元気になるヒントがたくさんありますので。
https://sugihara.my.canva.site/

 

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■節子への挽歌5978:コモンズの悲劇の始まり?

節子

昨日はいささか疲れたまま湯島に行きました。
着いてお茶を飲もうと思ったら、先週、たくさん持ち込んでおいたはずのペットボトルが2本しかありません。
あれ?と思って、冷蔵庫を開けると霊底の中もさびしい。
そういえば、昨日、あるグループが湯島を使ったので、そのグループの人たちが飲んだのかと思いましたが、それにして久坂異常な量です。
それにそのグループの代表者は飲みものとお菓子は持ってくるといっていました。

少し不安になって室内を見渡しました。
特に異常はない。
安心して、コーヒーでも淹れようと思って、コーヒーメーカーをみたら、何やらおかしい。湯島にはコーヒーメーカーは10人用と4人用があるのですが、受け容器が一つしかない。しかも小さな容器にはなぜかコーヒーの粉が少し入っている。
問題は、大型のメーカーのガラス容器が見当たらないのです。
実はほかにもまああったのですが、それはともかく今日のサロンのコーヒーが淹れられない。
どうなっているのか、昨日湯島を使った人に連絡したのですが、電話にも出てこない。

なんだかどっと疲れが出てきました。
湯島は、ある意味で「コモンズの実験」をしています。よく言われている「コモンズの悲劇」は起こらないということを実証するためです。
湯島の部屋の使用ルールというのがあるのですが、そこでも最初に「コモンズの幸福」を目指す精神で、と明記しています。
昨日湯島を使用したグループは、そのルールをなかなか守れない。これまでもいろいろと振り回されてきているのですが、まあ大目に見てきたのですが、こういう悪質なフリーライダーはやはりはずしておかないと、コモンズはどんどん崩れていく。
以前はそれで一度、挫折しています。

しばらくしてやっと電話がかかってきた。
コーヒーメーカーは割ってしまったそうです。
ペットボトルは自分たちが持ってきたものだと思ってみんなで持ち帰ったそうです。
まさに「コモンズの悲劇」の始まりを思い出させる行為です。

せめて割ったことを伝えてほしかったのですが、いろいろと言い訳をしてくるので、さらに気分が悪くなってしまい、新しいものを買って返してほしいといってしまいました。
これは失言です。

今朝、撤回しましたが、ともかくこのグループにはもう部屋を使ってほしくないので、これまでの便宜も含めて、縁を切りたいと伝えました。
久しぶりに「縁切り」です。
私の人生の中では3回目でしょうか。
でもこうしたことをあいまいにしていたら、コモンズはどんどん腐っていくかもしれません。

というわけで、今日はなんだかすっきりしない日になりそうです。
コーヒーメーカーも買いに行かないといけませんし。

人と付き合うのは、本当に煩わしい。

 

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2024/05/13

■オープンカフェを始めます

また新しいサロンをスタートします。
今度は「場としてのサロン」です。

いつもながらの思いつきですが、長年ずっと考えて、少しずつトライしてきたことです。
毎月、1~2回、湯島の場所を解放するという試みです。
朝は8時から夜は9時までです。
飲み物などはセルフサービスですが、コーヒーと紅茶などは自分で入れられるように用意しておきます。ペットボトルのお茶も冷蔵庫に入れておきます。

そこで本を読むなり、パソコン仕事をするなり、あるいは喫茶店代わりに使ってもらうなり、自由に使ってもらいます。ちょっとしたミーティング場所にも。
いま検討している「コモンズ図書棚」も進行中なので、サロン仲間が持っていた書籍もありますので、それを読んでもらうのもありです。
もしかしたら、水素ガス吸引器を使ってもらうこともできるようにします。
利用可能者は一応、湯島サロンの仲間とその同行者に限定します。

要するに、みんなのコモンズカフェなのです。
飲み物のための費用や場所の維持費用のために、使った人はいつものように、どこかにあるボックスにワンコインを目安に置いて行ってもらいます。水素ガス吸引は30分から1時間を目安にこれもワンコイン。

これはいまのサロンもそうですが、「代金」ではなくコモンズの仕組みを維持するための、みんなが負担する「会費」とお受け止めください。代金意識の方はご不要です。

私は気が向いたら行くようにしますが、できるだけ行かないようにします。
毎回、自発的に手をあげてくれた人にホスト役をお願いしたいですが、誰もいない場合は、無人カフェです。まあ最初から最後まで付き合う人はいないでしょうから、基本は無人カフェです。鍵をどうするかが問題ですが、実際にやっていきながら模索します。

2~3か月試みて、どんな「場」をめざしたらいいのかを話し合うサロンを開いて、その先の展開を考えます。

というわけで、とりあえず5月31日に一度、実験的に開催してみます。
どなたか当番をやってもいいと言う方がいたら、可能な時間をお知らせください。
私はいまのところ行けるかどうか不明です。

さてさてどういう展開になりますか。
もしかしたら今回だけで幕を閉じるかもしれませんが。

最初は仕組みがうまくできていないので、利用者は必ず私宛にご連絡ください。最初の利用者に鍵の開け方をお知らせしますので。また万一、鍵がかかっていて入れない場合は、私宛(090-7417-1679)にご連絡ください。いつもはあまり出ない携帯電話ですが、この日はきちんと持ち歩いて受けるようにし、対策をすぐに考えます。

実験的なスタートなので、ご迷惑をかけることもあるかもしれませんが、まあそれがコモンズの性質だと言う気もしますので、ご了解ください。

〇開催日:2024年5月31日(金曜日)午前8時~午後9時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円(目安です)
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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■節子への挽歌5977:身体疲労は遅れて現れる

節子

今日は朝から雨です。かなりあれた1日になりそうです。
今日は湯島でサロンなので、雨の1日を楽しまないといけません。
雨は苦手なのですが。

ところで、なかなか身体の疲労感から抜け出られません。
放射線技師にみなさんは2週間ほどで回復と言っていましたが、気のせいか、むしろ身体の疲労度は日に日に増している。
おそらく高齢のせいで、疲労が身体に現れるのは、若い人よりかなり遅れるのでしょう。

となれば、むしろこれから注意しなければいけません。
即効性が実感できない民間療法は、なかなか継続が難しいのですが、気を抜かないようにしないといけません。
昨日はさぼってしまった朝の水素風呂にも今朝はきちんと入りました。

幸いに本を読んだりサロン報告を書く方はかなり回復しました。
さらに「新しい活動」に向けてのアイデアは、むしろこれまで以上に出てきます。
やりたいことがどんどん出てくる。
その思いと身体が、どんどんずれているのがよくわかる。
困ったものです。

外は風も出てきて、すでに荒れ模様です。
雨は苦手ですが、風は好きです。

天気の変化を見ていると、人間という存在の危うさというか、小ささというか、そんなことを感じますね。
この移り気な自然から節子は解放されている。それってどんな感じなのかな、などとふと思ってしまいました。

はやくこの身体的疲労感から抜け出したいですが、抜け出せるでしょうか。
太陽が出ていないと、どうも気弱になってしまいます。

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2024/05/12

■節子への挽歌5976:にこの最後のチアダンス

節子

エンジョイ手賀沼のイベントが今日も親水公園で行われていましたが、にこがチアダンスをやるというので、見に行きました。
今回がどうも最後のようなのです。

親水公園はにぎわっていました。
ところが前の発表が長くてなかなか始まりません。
退屈なので会場を回っていたのですが、知り合いに誰ひとり会いません。
出店もいろいろと出ているので、飲食もできるのですが、どうも私はこうしたイベントでの出店の飲食が苦手なのです。
これは節子もそうでした。ですからわが家では、子どもたちもおそらくあまり楽しませてもらえなかったかもしれません。

そのうちに、にこたちの出番がやってきました。
ところがたった2曲だけで、すぐ終わってしまいました。
1時間待って5分。孫に付き合うのも大変です。

Dsc_1942

チアダンスは卒業して、今度は何をやるのでしょうか。

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■節子への挽歌5975:「人の気配」

節子

昨日の湯島のサロンは15人ほどの人が来ました。
テーマは「人生のピンチ生き延び脱出法」です。
話し手は杉原さんですが、彼のサロンにはいつもよく人が集まります。
そこにも大きな意味がありそうです。

それにしても、参加者の話を聞いていると、みんなそれぞれにピンチに出合っているのですが、どうもそこから抜け出せないでいる。だからまあたくさんの人が集まったのでしょう。
はじめて湯島のサロンに参加した人も数名いましたが、その一人はこれから毎回期待と言っていました。彼女の感想の一つに、ここには「人の気配」があると言うのです。

自殺を考えた人もいます。
でも自分が自殺したら両親も自殺しかねないと思って、自殺はできなかったという。
ここにも「人の気配」がある。

サロンの報告はまた時評編に書きますが、実にいろんなことを考えさせられるサロンでした。
そして改めて、世間から「人の気配」が消えているのだと言う気がしてきました。
さらにその一方で、中高年の男性たちには、そもそも人の気配がないのではないかという気もしました。

まあ昨日はいろいろ考えさせられた。
実に多様なピンチ体験を持っている人が集まったおかげでしょう。

参加者全員がそれぞれの脱臭策を話したのですが、杉原さんが佐藤さんは最後にお願いしますと言われました。
私のピンチ脱出策は2つです。

「思いをすべて誰か(あまりアドバイスしそうでない人)に放す(話す)」
「ピンチを楽しむ(ピンチを相対化する)」

それで私は、節子を失って、生きるエネルギーを失ったピンチから抜け出てきました。
長い、実に長い時間も必要でしたが。

そして今は、いろんなところ、たとえば湯島にも、「節子の気配」を感じられるようになっています。

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2024/05/11

■5月オープンサロン報告

5月のオープンサロンは6人の方が参加しました。
いつもにない組み合わせでした。

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おひとりがいま取り組んでいる自分の活動の悩みを話しだしたおかげで、前半は盛り上がりました。みんなでその人の問題を解決しようと知恵を出し合ったのです。
困っている人がいたら、みんなで知恵を出す。これも湯島のサロンのひとつの効用です。解けない問題は、さらけ出せば、誰かがいい示唆を与えてくれます。と同時にその話し合いを聞いていると気づかされることも多いのです。

その後、今話題の政治資金規正法改正での連座制について、ある人が納得できないがみなさんはどう思うかという問いかけがありました。彼女はその疑問をぶつける場を探して、今日は来てくれたのかもしれません。
これまた盛り上がり、話も広がりました。
気になっていることをみんなに問いかけるのもまた、湯島サロンの一つの効用です。
そして個人のちょっとした疑問を問いかけることで、私のように政治資金規正法改正に関心のなかったものにも刺激を与えてくれます。

最後に私もいま取り組んでいる話を少しだけさせてもらいました。
国政を変えるには、まずは自分の住んでいる地域の行政につながっていくことかもしれません。湯島のサロンでも、最近よく「ローカルな自治」とか「ミュニシパリズム」とかいう言葉が出ますが、政治を変えていく契機は身近なところにもいろいろとあります。

ついでに、湯島のサロン仲間の一人、浜中さとみさんが静岡県知事選挙に立候補し、昨日から選挙活動を始めていることも紹介させてもらいました。
彼女が目指しているものも、まさに「生活者主役の政治」です。
ぜひ応援してやってください。彼女はある意味で、湯島サロンの思いに真摯に取り組んでくれていますので。26日が投票日です。
静岡県知事選挙の争点がリニア問題などというごまかしに惑わされてはいけません。

少しサロンの報告を逸脱してしまいました。
お許しください。
でもまあ、逸脱があるのもまたオープンサロンですので。

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■節子への挽歌5974:不思議な2時間

節子

昨日、会社時代の2人の後輩が湯島に来てくれました。
私よりも10歳、若いのですが、ふたりとも大病のため、そう簡単には出てこられないのです。
まあ、私も高齢に加えて、最近の状況では、先行きはいささか危うい。
それで会いに来てくれたのです。
感謝しなければいけません。

私は、過去の話は好きではないのですが、今回はいろいろなことを思い出して、むしろ懐かしい時間でした。過去の話を懐かしいなどと思うようになっては、いささか心配な気もしますが、お互い心を赦した仲間なので、ある意味での安心感があるのでしょう。それにこの2人とはお互い遠慮なく話せます。

昨日は話題には出ませんでしたが、会社を辞めて湯島を開いたときに、この2人は部屋には音楽が必要だと言って、ミニコンポを持ってきてくれました。
ところがそれが私のイメージには合わないスタイルだったので、勝手に持ってきてもらっては困るなどといったものですから、その一人渕野さんは、じゃあ持って帰ると怒りだしたのですそれで私も反省し、感謝しながら受け取ることにしました。
まああの頃は、いま以上にわがままだったのでしょう。
そういう無礼な行為は、たぶんたくさんあったのです。
もっとも今でも、そう変わっていないようで、サロン参加者からは時々非難されています。困ったものですが。

しかし、私がいた会社は、ともかくいい会社でした。
そんなわがままな私を認めてくれていたのですから。

病める年寄りの2時間は、なんだか楽しくもあり哀しくもあり、さびしくもあり快いものでもあり、不思議な2時間でした。

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■湯島サロン「〈地湧の思想〉-「じねんの暮らしサロン」に向けて」のお誘い

新しい連続サロンが実現しました。
「じねんの暮らしサロン」です。
案内役は増田圭一郎さん。

今回は、その予告を兼ねて、増田さんの「じねんの暮らし」の根底にある「地湧の思想」を紹介してもらい、「じねんの暮らし」とは何かをみんなで考えていこうというサロンです。

「地湧の思想」と言っても、あまりなじみがないかもしれません。
案内役の増田さんが、以前、代表を務めていた出版社の地湧社のホームページに次のように書かれています。

私たちを育んできた大自然の中で、自然と人、社会と人、人と人が触れあう環境が、次第に生命を亡ぼす方向に進んでいることは、誰の目にも明らかです。
いま、人間の手で加工し尽くされた現代文明の下で、人々は疲れ切っています。この人々が蘇るには、汲み置きの水ではなく、地から湧きたての生きた水が必要です。
そして、これを呼び水として励まし合い、ついには自らの井戸を掘り当て、人間には想像以上の深いいのちの智慧があるのだと気づくことができたら、どんなにすばらしいことでしょう。
この姿を象徴して「地湧」という名が生まれました。

増田さんは、いまは地湧社を離れて、別の出版社を立ち上げ、出版事業と現場活動を重ね合わせながら「地湧の思想」の実践に取り組んでいます。

人間には想像以上の深いいのちの智慧がある、というのは、たぶん増田さんの祖父の和田重正さんの言葉かもしれません。和田重正さんは、教育の出発点は生活という視点に立って、若者たちと一緒に暮らしながら、あるいは母親たちに呼びかけながら、教育問題を考えていた人です。いまも和田さんに学ぶ会の活動は続いています。
増田さんもまた、祖父から続いている「地湧の思想」を継承し、悩みながら迷いながら、その実践に取り組んでいるように思います。

その増田さんに、連続サロンをお願いしたら、「じねんの暮らしサロン」をやってもらえることになりました。今回はそのプレサロンです。
増田さんの原点でもある、祖父 和田重正さんの考えを紹介してもらいながら、今の増田さんが取り組もうとしている思いを、総論的に話してもらい。「じねんの暮らしサロン」へとつなげていければと思います。
できれば、参加者のみなさんも増田さんと一緒に、迷い悩みながら、それぞれの実践へとつなげていけるようなサロンになればと思います。

私たちの中に込められている「深いいのちの智慧」を湧き出たせるために、ぜひご参加ください。
きっと新しい世界が見えてくるはずです。

〇日時:2024年6月2日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:〈地湧の思想〉-「じねんの暮らしサロン」に向けて
〇話題提供者:増田圭一郎さん(図書出版みらいま代表)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2024/05/10

■節子への挽歌5973:たくさんの価値観変化を経験してきました

節子

気持ちのいい朝です。
しかしどうもすっきりしない。
夜、熟睡できないからです。

相変わらず1時間おきに目が覚めてしまう。
陽子線治療の副作用と言われていますが、どうも元に戻らない。
勧められたお灸の効果もまだ出てこない。
困ったものです。
それでもやはり生活リズムを取り戻したいと思い、起きてきました。

昨日、フェイスブックに水俣病関連の記事を投稿しました。
環境相と水俣病患者との懇談会で、環境省の事務方が参加者の発言中にマイクを切ったことに関する私見です。このブログの時評編にも「人間がいなくなった廃墟の中で生きていませんか」と出して書いています。

いろいろ反響がありましたが、私とほぼ同世代の男性から、「チッソが戦後の日本の復興に貢献した事を考えますと私は辛い気持ちになります」というコメントがありました。
そう思う人も多いでしょう。

振り返ってみると、私たちの世代は、価値観の変化の多い時代を生きました。「豊かな人生」と言っていいかもしれません。何しろ社会の価値観が反転するのを何回も経験したのですから。

節子と出会えて、一緒に暮らせたのも、さらに私の生活を豊かにしてくれました。
私の人生で、唯一の欠陥は、節子に先立たれたことくらいでしょうか。
朝日を見ながら、そんなことを考えていました。

今日はいい天気になりそうです。会社時代の後輩が2人湯島に来る予定です。
ひとりは節子もよく知っている人です。

ちなみに、FBへの同世代のひとへのコメントには、次のように返しておきました。

思いはよくわかります。
私も25年間、メーカー企業に所属していました。
大企業が日本の社会をよくしてきたこともしっかりと体験してきました。

しかし、1980年になる頃から、どうも少しついていけなくなってきました。
それで企業で、企業文化変革プロジェクトを起こしましたが、会社を変える前にまず自分を変えないといけないと気づきました。そして会社を辞めて生き方を反転させることにしました。あまり実現はできてはいませんが。

チッソも社会をよくするために大きな役割を果たしたと思います。
でも、間違いに気づいたら、その時点で行動を変えるべきでした。せめて事実を明かすべきでした。
人は、みな間違うものです。間違うことは恥ずべきではない。でも間違いに気づいたら、行動は変えるべきです。そしてもし迷惑をかけた人がいれば、謝るべきです。心を込めて。

そもそも間違ったのは、チッソだけではありません。
私も間違っていた。
だからこそ伊藤環境相の言動が寂しいのです。

緒方正人さんの「チッソは私であった」は素晴らしい本です。
むかし私のホームページで紹介したことがあります。
もしよかったらぜひ読んでください。
緒方正人さんにお会いしたいと思いながら、まだお会いできていないのが残念です。
http://cws.c.ooco.jp/book2.htm#002

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■湯島サロン「夏の食養生」の案内

東方健美研究所代表の新倉久美子さんによる「食養生サロン」、3回目の今回は「夏の食養生」です。

食は地域と季節に深くつながってこその「薬膳」だという新倉さんの食へのアドバイスを、今年は季節ごとにお聞きしています。
今回もいつものように、新倉さんの整理した「陰陽五行配当表」に基づいて、とてもわかりやすく解説してもらいます。
新倉さんのアドバイスに基づいて、夏の食養にこころがければ、予想されている今年の猛暑も楽しめるでしょう。ぜひご参加ください。

いつも報告にも書かせてもらっていますが、食は生き方にも深くつながっています。
「夏の食養生」を切り口に、最近ともすれば失われがちの「季節感」も取り戻しながら、それぞれの生き方や社会のあり様について、楽しく話し合えるサロンになればと思っています。

みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2024年6月8日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「夏の食養生」
〇話題提供者:新倉久美子さん(東方健美研究所代表・農都共生総合研究所取締役)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2024/05/09

■節子への挽歌5972:にこが8歳になりました

節子

にこが8歳になりました。
節子がいないのが本当に残念です。
もちろん、にこのためにも、ジュンのためにも、節子のためにも、です。
やはり子供にとって大切なのは、母系ですね。
つくづくそう感じます。
人類の歴史は、間違いなく女性の歴史です。男性は単なる付属物。

それはともかく誕生日プレゼントは、以前一度、交渉過程を報告しましたが、交渉決裂のまま、今日を迎えました。
そのため、プレゼントを買いそびれてしまいました。
さてどうしたものか。
そこで今年は、2枚のギフトカードを送ることにしました。

「8歳のにこの ほしいもの なんでもプレゼントけん」
「8歳のにこの いきたいところ どこでもしょうたいけん」

です。

問題は、にこがこれを受け取るかどうかでしたが、何とか受け取ってもらえました。
人に何かを贈るのは、実に難しい。

にことの関係は、まだまだ悪化の一途です。
困ったものですが。

にこから、私へのプレゼントは来るでしょうか。

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■人間がいなくなった廃墟の中で生きていませんか

伊藤環境相と水俣病患者を中心とする関係8団体との懇談会で、環境省の事務方が複数回、参加者の発言中にマイクを切ったことが話題になっています。それを知りながら、伊藤環境相は注意もせずに、そのまま終わってしまった。

あまりに大きな騒ぎになったせいか、伊藤環境相は昨日、水俣市に出かけて、水俣病関係者に謝罪したようです。「今回のことを深く反省し、しっかり環境行政を進めたい」と。
それにしても、この間、1週間以上たっています。それにこういう言葉で「謝罪」になるのかどうか。環境相の行動も「いかにも」という感じですが、残念なのは環境省職員の言動です。環境庁ができたころは、こうではなかった。湯島にやってきた環境庁職員もいました。みんな前を向いていた。

今朝の朝日新聞の天声人語の最後にこう書かれていました。

語り部だった杉本栄子さんが患者に向けて遺した言葉を思い出す。「苦しくても、のさり(賜りもの)と思うて暮らしてくだまっせよ」。

あまりにも違う言動です。どうして伊藤環境相や環境相職員のような言動ができるのか。

杉本栄子さんには一度お会いしたことがあります。ご夫妻で、朝、獲ってきたシラス(寝坊して、私はその船には乗れなかったですが)を処理しながらの合間に、少しだけ話させてもらいました。とても優しく、穏やかな心が伝わってきたのを覚えています。
そのシラスも、とてもおいしかったです。

あるいは水俣病訴訟の中心的な立場から突然身を引いた緒方正人さんの本のタイトル「チッソは私であった」。緒方さんの本には気づかされることが多かった。
伊藤さんも、ぜひ緒方さんに会いに行くといいと思いました。
もし会ってお話ししたならば、あんな態度は生まれるはずもない。

政治家や官僚のみなさんは、いまや人間がいなくなった廃墟の中で生きているのかもしれません。
この連休には、海外ではなく、人間のいる世界で、人間と会ってほしかったです。
伊藤さんや環境相職員にとって、水俣病とは一体何なのでしょうか。

いや、彼らだけではない。私たちにとって、水俣病とは何なのか。
決して他人事ではありません。伊藤さんのようにならないように注意しなければいけません。
水俣病は決して過去のものでありません。

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■節子への挽歌5971:お灸

節子

陽子線治療の影響か、夜中のトイレ回数が1時間ごとになってしまっています。
どうも熟睡した気がしない。
そのことを昨日、フェイスブックに書いたら、ある人が「お灸」がいいと教えてきてくれました。

ユカに聞いたら、お灸があるという。
「せんねん灸」で、とても手軽なお灸です。
そういえば、節子の実家でも箱の絵は見た気がします。

フェイスブックに書き込んでくれた人は、頻尿対策に効く「ツボ」の探し方を書いてきてくれましたが、その通り探してみましたが、よくわからない。
それで一般的に言われているお臍の下のツボを目当てにお灸をしてみました。
お風呂上りに、ベッドに横になって、さて火をつけようとして注意書きを読んだら、風呂上り30分以内は避けるようにと書いてある。
仕方なく、本を読みながら30分待つことにしました。お臍を出したまま。
ハッと気づいたら1時間ほど経過していました。うとうとしていたようです。

改めてお臍の下にお灸を貼って火をつけようとしたのですが、これが難しい。
節子がいたらと思いますが、ユカにも頼みにくい。
一度、お灸をはがして、火をつけてから貼ればいいのに気づき、まあ何とか火をつけました。
お灸の香りが広がったのでしょう。ユカがやってきて、お灸をやったのかという。何しろ私の寝室は、節子がいなくなって以来、ドアを閉めたことがない。真冬でもあいたままです。
でもベッドでお臍の下まで出して寝ている姿を見て、引いてしまい、ともかく火に気を付けてと部屋から出ていきました。

何とかお灸をしてみましたが、残念ながら効果はまだ出てこずに、昨日も4回ほどトイレに起きてしまいました。
1本くらいのお灸ではさすがに効果は出ないのでしょう。
いや、ツボを間違えたか。
胃やお灸に火をつける前に1時間ほど、お臍を出して寝ていたので逆に身体が冷えてしまったのかもしれません。

まあ節子がいたら、もっとうまくやれたでしょう。
節子のお母さんが、お灸をしていたのが思い出されます。
節子も一度、もぐさのお灸を試していたような気もします。

今日は昼間に一度、試みてみようと思います。

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■節子への挽歌5970:挽歌抜けを今日から埋めていきます

節子

また2か月近く、挽歌書きをさぼってしまいました。
この間、がん研究センター東病院通いなど、いろいろとあって、それこそいつも以上に挽歌を書きたいことはたくさんあったのですが、むしろ実際には、節子と話し合うことも多く、逆に挽歌を書かずに過ごせた気がします。
前月末からは、もう落ち着いて、挽歌の抜けが気になりだしていたのですが、抜けあ文を埋めようと思ったりして、今度こそさぼってしまいました。

そこで、挽歌番号は気にせずに、今日からまた書き出そうと思います。
そして時間が許すときに、抜けた部分をフェイスブックの記事などを観ながら、少しずつ埋めていこうと思います。
すべてがつながるわけではありませんが、頑張って、9月の命日までに挽歌番号を回復したいと思います。

というわけで、今日からの番号は、たぶん時々変更されます。
まあ、そんなことはどうでもいいことでしょうが、私にはちょっとこだわりたいことなのです。

とりあえず、そんなことで、挽歌での節子への挨拶です。
もちろん今朝も、節子の位牌には挨拶を済ませているので、節子にとってはすべて知っていてくれることでしょうが。

今日はまたあまり天気が良くありません。

 

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2024/05/08

■節子への挽歌5969:新しい住民自治への呼びかけ

節子

静岡県知事選に立候補した浜中さんの選挙活動が明日からスタートします。
静岡朝日テレビが立候補の記者会見を配信してくれました。
立候補者は6人になりましたが、女性は浜中さんただ一人。
頑張ってほしいですが、マスコミの扱いはやはり問題にはされていない感じです。

浜中さんが頑張っているので、私も我孫子での活動を一歩進めようと思います。
コロナでのびのびにしていた、明日の我孫子を話し合うサロンです。
これをうまく展開していけば、次の市長選にも影響をもてるかもしれません。
いささか取り組みを延ばしてしまったので、ちょっと展開が難しくなってしまいましたが、決めたことは始めなければいけません。

市議会議員や市役所職員など、改めて関係づくりを始めようと思います。
一番信頼していた副市長が3月で突然辞職したのが意外でしたが、まあやりようはあるでしょう。
新聞社関係のつながりなども最近はなくなっているのですが、活動しながらまた育てていけばいいでしょう。

ソフト化経済センターでの研究会で、「自治体解体新書」をみんなでまとめたことがあります。
あの時に、全国に呼び掛けて「新しい風の会」を立ち上げておけばよか合ったのですが、当時はともかくやりたいことが多すぎて、結局、目移りばかりしてまとまった組織活動は何一つできませんでした。

一つくらいは、何かきちんとしたものを残しておかないという気がし始めています。
うまくいくといいのですが。

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■節子への挽歌5968:気になっていた若者からのうれしいメール

節子

うれしいメッセージが届きました。
ずっと気になっていた若者のMさんからです。
どうやら精神的な底を抜け出して事由に跳び出したようです。
こんなメッセージです。

お久しぶりです。
地元のイベントに参加しまくって「社会的引きこもり」を第一宇宙速度並みの速度で抜け出しています
今ここにある身体性への感度が高まり"全力で休むスキル"も伸びつつあるので、今までの躁状態とはまた違った感覚です

そして、こんなことまで書いてきました。

佐藤さんがたびたびテーマにしている「コモンズ」。相互扶助と共有的な理念を現実的に叶えようとするときのある種の"答え"なんじゃないか?と感じる取り組みがあったのでシェアします

私の関心事まで思い出して情報を送ってくれる。意識が外に向かっている。
もう「ひきこもりのブラックホール」から抜け出したのでしょう。

こんなことも書いてきました。

またサロンやるのもいいかもしれませんね。正直自分のことはもうある意味どうでもいい(人に見せびらかす必要が全くなくなった感覚)ので、実践的に人を巻き込んで何かしらの社会実験するようなものがいいです

うれしい限りですが、ちょっと速度が速いのが気になります。
でもまあ周りにも友人がいるので大丈夫でしょう。
夏には会えるかもしれません。

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■第1回ブックサロン報告

お薦めの本を紹介し合い話し合うブックサロンが始まりました。
1回目は、3人の方に本を紹介していただき、話し合いました。
20代から80代の9人が参加、女性が少なかったのが残念です。

Book10000

今回、本の紹介をしてくださったのは、鈴木章弘さん、河端伸裕さん、川端修平さんの3人です。

鈴木さんは、「人生の林住期をよく生きるための参考書」として、3冊の本を紹介してくれました。その3冊とは、『第三の人生』(アルフォンス・デーケン)、『50歳からちょっと心を休ませる本』(加藤諦三)、『人生後半の戦略書』(アーサー・C・ブルックス)。「林住期」とは、人の一生を4つに分ける古代インドの考え方で、人生3番目に当たるおおむね50歳から75歳。職業や家庭から自由になって、自分らしく生きることのできる時期です。まさに鈴木さんは、いまその時期を生きています。
この3冊からは、残された人生最後の5年、10年、20年(?)をどう生きるか、を考えるうえで、教えられることが多いと言います。
それぞれの本から鈴木さんが共感したメッセージを2つずつ書きだしてみんなに配布してくれました。それを読むと、鈴木さんの関心は、ハウツー的なことではなく、「自己の本質」への問いかけといったようなことのようです。林住期は「自己」を見つけて、次の「遊行期」もしくは「彼岸」へと向かう時期のようです。

河端さんが選んだのは『世にも奇妙な人体実験の歴史』(トレヴァー・ノートン)。科学者たちの自分を犠牲にした驚愕する人体実験のエピソードがユーモアたっぷりに描かれていてとても面白いそうです。
その一部を少しだけ紹介してくれました。また、本の内容を紙芝居的にまとめてきてくれて、それを使いながら、ざっくり西洋医学史や医療のリスクとメリットのバランスなどの話をしてくれました。さらに、いささか刺激が強いですが、と言いながら、『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』(ウェンディ・ムーア)も紹介してくれました。
「人体実験」というとおどろおどろしいイメージがしますが、今の私たちの暮らしは、こうした自らの身体を使って行われた「生命」をかけた先人の奇妙で数奇な行動の上に成り立っているのです。と同時に、人は頭で生きているのではなく、心身で生きていることを改めて思い出させてくれるような気がします。多くの先人たちが犠牲にした「生命」を知ったら、決して生命はおろそかにはできないはずです。

20代の若い川端さんが紹介したのが、『意味がない無意味』(千葉雅也)です。これは私も読んでいますが、難解で消化できませんでした。川端さんがそれをどう紹介するのか興味深かったのですが、川端さんは私と違って「過剰な無意味な意味」から自由になって、同書のメッセージを受け止めているようです。意味に縛られて何もできない大人たちを尻目に思考を身体行動へと転換して生きている若い世代の読み方はやはり違います。世代によって読み方が違うのです。頭ではなく体で読んでいる。そういえば、私も若いころは、そうやって本と付き合っていたことを思い出しました。
川端さんはそこから、身体論へと視野を広げ、何冊かの本を紹介してくれました。『ありのままがあるところ』(福森伸)、「TOKYO0円ハウス」(坂口恭平)、『親指が行方不明』(尹雄大)、『やわらかな言葉と体のレッスン』(尹雄大)、さらには、『句点。に気をつけろ』(尹雄大)、『独立国家のつくりかた』(坂口恭平)『現実脱出論』(坂口恭平)、『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』(森川すいめい)です。
1冊の本が、どれほど世界を広げるかも改めて感じました。

3人が紹介した本をそれぞれ話題に話し合った後、最後に参加者からも本の紹介をしてもらいました。
今回は哲学に取り組んでいる人がおふたり、参加されていましたが、おひとりから「虚構」をテーマに3冊の本が、もうひとりの20代の若い人からはレヴィナスの本の紹介がありました。林住期の鈴木さんと同じように、読書とは、それぞれの人生の段階に応じた、「よく生きるための気づき」探しなのかもしれません。

私のように、すでに林住期を超えて遊行期?になってしまっても、さまざまな段階を生きている人たちの「読んだ本の話」はとても興味深く、気づかされることも多かったです。どうも本は読むだけのものではなさそうです。

サロンに参加したおひとりから、翌日、こんなメールが届きました。

『本』というものを介在させることで、いまでも、人が語り出す豊富な機会があるのがわかったことは良いことでした。

読書を通した話し合いによって、一人で楽しむ読書とはまた違った面白さや気づきを得られるようです。このサロンはみんな楽しんでくれたので、継続することにしました。

次回は、以前、湯島のサロンでアリストテレスを話題にしてくれた遠山さんに「社会心理学講義」という、いささかハードなテキストを紹介してもらうことにしました。
できればそれとは対照的な、思い切り生活的なカジュアルな本を、もう一人どなたかに紹介してもらいたいと思っています。どなたか手をあげてくれませんか。

次回は、そのおふたりに本の紹介をお願いすることにしたいと思います。
開催日は、615日の予定です。

 

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2024/05/07

■前立腺がん治療体験報告27:低位安定の体調

前立腺がんとは関係ありませんが、血圧が高いため、降圧剤を服用していますが、1週間ほど前になくなってしまいました。あいにく連休に入ったため、薬をもらいに行けません。ようやく連休があけたので、陽子線治療の終了報告も兼ねて、かかりつけの遠藤クリニックに行って薬をもらってきました。
血圧はやはりかなり高くなっていました。

副作用の話です。
夜中にトイレに起きる回数は2週間ほどで元に戻ると言われていましたが、なかなか戻りません。そのため、どうも「よく寝た」という実感が持てません。それが疲労感の一番の原因かもしれません。しかも最近、昼間まで頻尿気味です。しかも突然我慢できなくなってくる。困ったものです。
どなたか頻尿対策について良策があれば教えてください。

ホルモン療法の副作用と言われるホットフラッシュは、時々体験するようになりました。急に上半身が熱くなり、時に汗が出る。でもまあ大したことはない。
今日、遠藤さんからは毛髪が増えてくるよと言われましたが、残念ながらその気配はありません。

これも今日、遠藤さんに注意するよう言われたのですが、筋力が落ちているので、転ばないようにということです。
実は最近2回外で転んでしまいました。一度は駅の階段を上がりきったところで転んで周りに人から大丈夫ですかと声をかけられました。まあその時は大丈夫だったのですが、今も痛い。ひびでも入ったのでしょうか。困ったものだ。

でも幸いにその後は転んでいません。でも時々、左足が突然カクっと折れそうになるのです。注意しなければいけません。
幸いに、病院の待合室で教えてもらった「工藤体操」をつづけていますので、徐々に治るか、あるいは悪化しないかのいずれかでしょう。
というわけで、体調は大きくは変わっていません。

何も書かないと時に心配して電話が来るので、まあ大丈夫、という報告です。
5月15日に、3回目のホルモン療法注射で病院に行った時に、血液検査でその後の状況がわかる予定です。
最近は週休2日のリズムをとるようにしています。私の「休」は在宅でテレビを見て読書をするという意味ですが。

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■節子への挽歌5967:降圧剤がなくなってました

節子

最近は脳神経外科の関係もあり、高血圧対策の降圧剤を毎朝きちんと飲むようにしています。
ところが、うっかりしてその薬がなくなってしまっていました。
しかも気づいたのが連休前。
かかりつけの遠藤クリニックも昨日までお休みでした。

というわけで1週間ほど、薬なしでしたので、今日、遠藤さんのところに薬をもらいに行きました。
遠藤さんは、前立腺がんの方はどう?といつものように訊いてきました。

そもそも前立腺がんが見つかるきっかけは遠藤さんの検査でした。
あまりにもPSA値が高かったので、すぐに病院に行くように言われて、東邦病院を紹介されたのです。東邦病院は手術でも定評があるからと、言って。

ところが私が陽子線治療を受けたことを報告すると(受けることは前に話していました)、なんと「手術しないでよかったね」というのです。
「うん??」、手術する病院を紹介したのは遠藤さんだったでしょう、とつい思ってしまったのです。
ちょっとまた医師への不信感を持ってしまいました。
遠藤さんは昔からお世話になっているので、これまでは完全信頼だったのですが。
医師と付き合うのは難しい。

ちなみに1週間、降圧剤を飲んでいませんでしたので、血圧は1回だけの測定で、きちんと遠藤さんが期待する、ちょっと高めの血圧値になりました。

私には至って正常値なのですが。

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2024/05/06

■憲法サロン2024「憲法は誰のものか」報告

今年はあえて憲法関係のイベントが多い5月3日に憲法サロンを開催しました。しかも大型連休のど真ん中。果たして参加者はいるのかと思っていましたが、6人の方が参加してくれました。

テーマは「憲法は誰のものか」。
例年は、憲法の内容に関して話し合うのですが、今年はあえて「憲法とは何か」を選びました。

最初に参加者のみなさんに、憲法は「誰が誰に向けたものか」をお訊きしました。
最初の人は「憲法は主権者である国民が、為政者である政府に統治権を与えるとともに、統治する上での制限を与えたもの」と答えてくれました。
つづいておふたりの方が「憲法は政府と国民双方に向けたもの」、さらにもうおふたりは「万人に向けたもの」とも答えてくれました。
憲法に関してあまり考えたこともないという最後のおひとり(このサロンのために憲法関係の新書を読んできてくれました)は、「法律は自分の生活に関係があるが、憲法は遠い存在」と答えてくれました。それが多くの人の実感でしょう。

そこからいろいろな話し合いが展開しました。
憲法と法律はどう違うのか、条約は憲法の上位にあるのか。万人のためというなら、人権宣言などとどう違うのか。憲法に国民の義務が規定されているが「権利と義務」はセットなのか。三権分立と統治権の関係は、などなど、話し合いはいろいろ拡がりました。

次の問題は、そうした憲法を私たち国民はどう使うか、です。
自分の生活とは遠い存在といいながらも、そもそも私たちの生活を規制する法律のよりどころは憲法ですから、憲法が私たちの生活ルールを決めているともいえるのです。私たちの「自由な生活」を守ってくれているのは憲法と言ってもいいでしょう。
そうしたことを意識せずにいられるときには、憲法は「空気のような存在」ですが、冤罪で死刑判決を受けたら、守ってくれるのは憲法です。

しかし、守ってもらうだけではなく、もっと積極的に活用できるのではないか。そうすれば、憲法は私たちのものになっていくでしょう。子どもたちでさえも使っているコスタリカの憲法のように。
幸いに、日本国憲法には「国民主権」と明記されていますから、主権者たる国民が、憲法を使えないはずはないのです。
これに関しても話し合いはいろいろと拡がりました。

話し合いを聞いていて、私の考えも整理できました。

最初の人が言ったとおり、日本国憲法は主権者から為政者である政府に向けたものと言っていいでしょう。私は、学校でもそう教えられました。要は権力者が勝手な逸脱をしないように、制限を与えたものです。
しかし、日本国憲法の場合、憲法制定時の実際の「主権者」はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)です。つまり、日本国憲法は戦勝国の連合(国際連合)が日本国政府に統治権を保障した条件と言ってもいいかもしれません。

そう考えると、前文での国際連合のビジョン(世界連邦)のような内容も理解できますし、日本政府と日本国民を一体化して位置づけているのも理解できます。
そして、湯島のサロンでも時々話題になる、日本国憲法の上位にある日米合同委員会の存在も納得できます。

つまり、日本国憲法は、もし日本が独立国であれば、憲法というよりも「法律」なのです。分立された三権は規定されていますが、統治権は明記されていません。統治権者は、隠されているのです。

しかし、これはあくまでも制憲時の事実の話です。法規範で重要なのは、法の精神です。
つまり、そうした制定経緯に関わらず、日本国憲法は国民主権を明記していることが重要です。であれば、日本国民のオーナーは日本国民であって、日米合同委員会などではありません。そこから行動を起こせばいいだけの話です。
押しつけ憲法論などにとどまっていては動けません。そもそも建前はともかく、憲法とは「誰か」の押し付けで成立するのですから。

では日本国憲法をどう活用するか。
たとえば、日本政府が戦争を起こした場合、私たちは日本国憲法を根拠に、戦争に駆り出されることを拒否できるはずです。日本国政府も同じようなやり方でつい最近まで戦争に巻き込まれるのを避けてきていますから。もし多くの国民が拒否したら政府は戦争を起こしようがありません。ウクライナのような事態にはならないでしょう。

そうは言ってもいまの日本状況は、そんな状況にはないと言われそうです。
でもだからこそ、いま憲法への関心を高めることが大切ではないかと思うのです。
日本国憲法をノーベル平和賞の候補に、などといったたわごとにごまかされてはいけません。そんなうぬぼれよりも、地道に日本国憲法の精神を大事にすることです。
私たちがその気にならなければ、せっかくの日本国憲法は生きてはこないのですから。

書き出したら長くなってしまい、話し合いの内容などが十分に伝えられないものになってしまいました。憲法は万人のためにあるというのは、いわゆるブランディングに関わっていると考えられるといったような面白い議論もありました。「国家とは何か」「国民主権とは何か」という話もでましたが、書き出したらさらに長くなりそうです。

サロンで示唆を受けたことをもっと書きたかったのですが、これ以上長いとさすがに読んではもらえないでしょう。いつかまた今回の憲法サロンの続きをやりたいです。

いつも思いますが、サロンの報告は、実際のサロンでの豊かな話し合いに比べたらほんの一部なのです。しかも私の狭い主観的報告です。それがいつも残念です。

参加された方、補足してもらえるとうれしいです。

Kenpou2024000 

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■節子への挽歌5966:いい涙

節子

今日は雨なので、自宅で昨日録画していたテレビドラマ「生きとし生けるもの」を観ました。それが実に感動的で、とても「いい涙」を流させてもらいました。
「いい涙」が流せたのは、私の思いと重なっていたからです。
https://www.tv-tokyo.co.jp/ikitoshiikerumono/

それでこのドラマを観ながら「生きる意味」を語り合うサロンを開きたくなりました。
言うまでもなく、私の生きる意味は「節子」でした。
その節子がいなくなってもまだ生きているのが、一時期、少し不思議に関していましたが、いまはまた納得できています。
いまもなお、私の生きている意味は「節子」なのです。
いや、私だけではないでしょう。
みんなきっと「誰かのために」生きている・

生きるのは、決して自分一人だけのものではない。命もまた、自分だけのものではない。
そう思えば、みんなもっと素直に生きられるような気がします。
すぐにでもサロンをやりたいと思って予定表を見たら、当面の土日がすべて埋まってしまっています。
最近どうもサロンが多すぎる。
平日ならばいつでもできますが、やはりこのサロンは日曜日にやりたい気がします。

少し先になっても、このサロンはやろうと思います。
このドラマはDVDに音いたので、また少し経ったら見直そうと思います。

 

それにしても「いい涙」は心洗われます。

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■節子への挽歌5965:新倉さんのお弁当

節子

節子がいなくなった後で出会った人の中に新倉さんという人がいます。
彼女の息子さんが農福連携に取り組む研究所を主宰しています。
そこに毎週2回ほど、出ているのですが、ある時、息子さんと一緒に湯島に訪ねてきたことがあります。
ある用事で、ふたりが湯島の近くに来た時に、息子さんが、「親父に似た人がいるから会いに行こう」と母親の新倉さんを誘ったのだそうです。
昨年の話で、もしかしたらこの挽歌でも書いたかもしれません。

その研究所に、これまた湯島サロンによく来ていた大学生が就職しました。
新倉さんは、以前から「ふるさと薬膳」構想をお持ちで、全国にいろんな動きを起こしていますが、川辺さんの研究所では週2回、お昼を新倉さんがつくってふるまっているのだそうです。
それで一度、私も食べに来ないかと誘われていたのです。
その研究所は湯島のオフィスから歩いて5~6分ですので。

それで今日、訪問しました。
川辺さん以下、スタッフの方もいて、みんなで新倉さんの手づくりの昼食をいただきました。
とてもおいしく、なによりも新倉さん手づくりのお新香が実においしかったです。

節子がいたらいいお付き合いができたかもしれません。

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■第32回益田サロン「破傷風菌から考える生物と環境の関係」の案内

細菌学の視点を基軸に、生物と環境の関係を考え、そこから社会の様々な問題を捉え直そうという益田サロンのシーズン2の2回目です。

前回はジフテリア菌からでしたが、今回は、破傷風菌を入り口にして、益田さんの「生物と環境の二重円錐モデル」への理解を深めたいと思います。
前回、時間の関係で十分に話し合えなかった、「本来の関係」や時間軸を取り組んでの「自利・利他」や「進化」へと話題を広げていきたいと思います。
できれば、そうしたことから、社会問題にも視野を広げていければと思います。

益田さんは、生きにくさも本来の環境が見つからない状態なのではないかと考えているようですが、生物と環境との多層的な関係性をどう考えるか、また常在性や病原性との切り口から「本来性」とは何かも話し合えればと思います。

また前回、最後に話題になった「ブンブンゴマ」に心身をまかせることで環境を実感するという益田さんお薦めの瞑想?も、またみんなで体験したいと思います。

これまで参加したことのない人も歓迎です。。

〇日時:2024年5月27日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「破傷風菌から考える生物と環境の関係」
〇話題提供者:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2024/05/05

■湯島サロン「コモンズの共創② 公と共の違いを話し合う」報告

コモンズの共創をテーマにしたサロンの1回目を踏まえての、話し合いサロンには前回参加しなかった方も含めて6人が参加してくださいました。

話し合いのためのメモを作成していたのですが、ほぼ完成したのがサロン直前だったこともあり、あまりうまく説明できず、参加された方にはいささかわかりにくかったと思います。一応、添付しますが(当日のものを少し変更しています)、要は「公も共も〈みんな〉という意味を含意しているが、その〈みんな〉の内容が全く違う」ということを、いろんな言葉から感じてほしかったのです。

ダウンロード - e7acacefbc92e59b9ee382b3e383a2e383b3e382bae382b5e383ade383b3e8a9b1e38197e59088e38184e383a1e383a2.pdf

簡単に言えば、「公」の〈みんな〉は、個人は主役ではなく、むしろ構成要素でしかありません。たとえば、国民(個人)は国家(みんな)が戦争を起こせば、戦力として戦場に送りだされるのです。平時においても、生産者や消費者として存在しています。

それに対して、「共」の〈みんな〉は、個人が主役で、その相互支え合いでみんなが生まれてくる。生活者としての個人が、自らが生活しやすいようにコミュニティやアソシエーションを生み出していく。その先に、もしかしたら「国家」があるかもしれませんが、公としての国家と共としての国家は、組織原理も組織形態も、全く違うものです。

ここで「共のみんな」と言っているのが、この連続サロンでの「コモンズ」なのです。
言い方を変えれば、〈みんな〉の捉え方を変えようと言うことなのです。
どう変えるかと言えば、「個人」を主役にした〈みんな〉を育てていくということです。

公と共とは、個人と組織の関係において方向性が真逆なのに、その全く異質な言葉が、つながって「公共」という言葉をつくっているため、〈みんな〉が個人を隷属させてしまう。そこに抗っていかないと、コモンズは回復しないのです。「新しい公共性」などという言葉の遊びにごまかされてはいけません。

たとえば、よく使われる「公共の福祉」というのは、往々にして「公の福祉」、つまり全体の秩序を意味し、その構成要素である個人の都合などは考えないにもかかわらず、なんだか「みんなのため」だから仕方がないかと思わせてしまう。ここから、いわゆる「コラテラル・ダメッジ(やむを得ない犠牲)」も正当化されてしまうのです。その最たるものが、「お国のために」敵を殺傷しようという、戦争行為の正当化です。

一時、福祉関係で「公助・共助・自助」という言葉が盛んに使われましたが、そこでは「公」と「共」に違いがはっきりと区別されています。同じように、「公益」と「共益」とは全く違うのです。そこに気をつけないと、おかしな福祉国家が出来上がってしまう。

とまあ、こんな話を少しだけさせてもらったうえで、自由な話し合いに入りました。
「公」という言葉に対して批判的に受け止めている人も多かったので、なんだか「釈迦に説法」のような感じになってしまいましたが、「公」の〈みんな〉の視座で考えるか、「共」の〈みんな〉の視座で考えるかで、全く世界は変わってくることを、私たちはもっと意識しなければならないと思います。

湯島でのさまざまなテーマでのサロンも、この視座の違いで問題の内容が変わってくるような気もします。問いかけさえも変わってくるかもしれません。

今回の話し合いの中から2つだけ紹介します。

中国出身の参加者がいて、中国における「公共」の言葉の使い方も少し解説してくれました。やはり「公共」は日本と同じように、「公」に重点が置かれているようです。
そしてその方が、示唆に富む話をしてくださいました。
日本では「中国脅威」をあおる論調やニュースのなかで「中国が攻めてくる」かもしれないと思っている人がいるかもしれないが、日本が中国を攻めていくと思っている人はいないように思う。最近、中国に帰っていろんな人と話したが、中国の人たちも同じように、「日本が攻めてくる」かもしれないと思っている人はいるが、中国が日本に攻めていくと思っている人はいない、というのです。
私はここに、「公の常識」と「共の常識」の違いを感じます。

もう一つこれも示唆に富む話がありました。
請願権問題に取り組んでいる人が参加してくれたのですが、憲法でも保障されている請願権という制度を、実際に使おうと思ってもなかなか使えない、というのです。請願権は「公」のためにあるのか、「共」のためにあるのか、ほとんどの人は考えることもないでしょうが、「公共」という言葉が持つ罠をそこに感じます。
「公の制度」と「共の制度」は全く違うのです。

公と共の違いに関しては添付のメモに、いろいろな切り口をリストしています。
公で考えるか、共で考えるかで、同じ問いへの答えが変わってくるような気がします。
いや世界の見え方が変わってくる。
私の進め方が悪くて、きちんとした議論ができませんでしたが、私自身は改めていろんな示唆をもらいました。

次回の「コモンズの共創」サロンのテーマは「コモンズの悲劇と幸福」です。
6月開催を予定しています。

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■節子への挽歌5964:畑の空き地が心配です

節子

背感は大型連休ですが、わが家は静かです。
こどもの日なので、にこと食事にでもと思いましたが、にこは友だちとの遊びが忙しくて、なかなか付き合ってはくれません。
まあ子どもは友だちと遊ぶのが一番なので、無理に誘うのは控えています。

連休までには畑空地の野草の刈り取りをしなければ大変なことになるのですが、今年は、病院に通いづめで放置したままです。
ちょっと怖くていけません。
また昔のような、背の高い笹が覆っているかもしれません。
まだ今年は使えそうですので、そのまま放置しておくわけにもいきません。
責任をもって、それなりに整理はしなければと思うのですが、最近は体力にあまり自信がありません。

以前のように早朝に起きて、野草狩りをしていて、何かおかしくなったら大変です。
一人での畑もどき作業は控えなければいけません。

もういっそ、完全返却した方がいいのかもしれませんが、やはり土との触れ合いには魅力がって、決めかねています。

節子がいたら、楽しい畑もどき作業ができるのですが。

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2024/05/04

■5月オープンサロンのご案内

5月のオープンサロンのご案内です。

オープンサロンは、テーマも全くなく、参加した人次第で話題も決まりますし、話題もどんどん変わります。話す人も聴く人もいるサロンです。
出入りもいつも以上に自由で、申し込みも不要です。
気が向いたら気楽にどうぞ。

〇日時:2024年5月10日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2024/05/03

■杉並の奇跡から静岡の奇跡へ

2年前に起こった「杉並の奇跡」(無所属新人の岸本聡子さんが区長に当選)で、私は日本の政治への希望を取り戻しました。
いささか諦めていた地殻変動は、深いところでやはりしっかりと進んでいたと思えたのです。
期待してから40年近く過ぎてしまいましたが、地殻変動にとって40年などというのは短い時間です。

ところで、今度、また無謀な試みに挑戦する人が現れました。

数年前から「請願権」に取り組んでいて、最近、「請願権を実現する会」を立ち上げたはまなかさとみ(濵中都己)さんが、失言問題で辞職した静岡県知事の選挙に立候補することにしたのです。
濵中さんは、湯島のサロン仲間で、これまでも何回か湯島でもサロンをやっています。

自宅を売却して供託金を用意するとの決断は、あまりに急だったこともあり(県知事選挙も急な展開でしたが)、私はその思いを止めさせたいと思っていました。しかし、先日お会いして、その決意の固さと思いの深さに共感しました。

杉並がそうであったように、変化は突然、降ってわくのでしょう。熟考していては変化は起きません。
濵中(はまなか)さんに荷担することにしました。

と言っても大切なのは濵中(はまなか)さんの目的です。
濵中(はまなか)さんは、請願権活動などを通して取り組んでいる政治観を実現したいのです。それは生活者の視点にたっての政治です。それも実際に生活者の声が動かす政治です。とりわけ無視されがちな、いわゆる社会的弱者の声を大切にしなければいけません。

それは私がずっと考えてきた「コモンズの回復」にも通じます。コモンズの政治と言ってもいいでしょう。となれば、ますます応援しなければなりません。思いは行動につなげなければ「嘘つき」になりますから。

濵中(はまなか)さんは、静岡県知事選挙への立候補を通して、「令和の世直し・ええじゃないか運動」を引き起こしたいと考えているようです。
政治を動かすのは、生活者のエネルギーです。
私に何ができるかを考えなければいけません。
まずはみなさんに、濵中(はまなか)さんの決意を知ってもらおうと思い、長々と書いてしまいました。応援してくれる人、ぜひご連絡ください。

投票日まで23日しかありませんが、できることは必ずあるはずです。
世界を変えるのは、いつもはじめは一人からです。
みんなが信ずれば奇跡は起こります。

 

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■節子への挽歌5963:友人が静岡県知事選に立候補

節子

湯島のサロン時々参加していた濱中さんから連絡があり、失言で辞任した川勝さんの公認知事を決める静岡知事選に濱中さんが立候補するので相談に乗ってほしいと連絡がありました。
立候補のための供託金を確保するために浜松の自宅を売却することにしたというのです。

いささか突然のことなので、まずは立候補を止めようと思い、会うことにしたのですが、合ってみたら、決意は固くすでに家の売却手続きも済ませたそうです。
いつもながらの行動でいささか心配ですが、決めた以上は応援しようと思います。

と言っても静岡の県民でもないので、なにができるかわからない。
まあそれなりに考えて、できるだけ応援になるような活動をしようとは思っています。

濱中さんは、交通事故が原因でいろんな不条理な目に合っていて、今はかなり「怒り」の渦中にいますが、怒りからは何も生まれないと彼女には伝えています。
個人的な不幸には、多くの人は共感はしてくれません。
同情と共感は全く違います。

彼女がいまの詩的な怒りからどれだけ抜け出せるかがポイントですが、逆に言えば、この選挙で怒りをコモンズ的なものに変えていけるかもしれません。
ともかくそうなるように、私も協力する予定です。

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■節子への挽歌5962:のどかで平和な上野公園

節子

今日は湯島で恒例の憲法サロンです。
天気がいいので、久しぶりに上野から上野公園を通って湯島に行きました。
もう桜は終わっていますが、気持ちのいい季節です。
外国人の方も多く、どこも賑わっています。

不忍池のまわりでの骨董市が開かれていました。
以前は時々節子と覗きまわりましたが、最近は外国からの観光客相手のような感じで、いささか私には違和感があります。でもまあ、公園の雰囲気づくりは役立っていますが。
不忍池も先月掃除をしていたのできれいになっています。

この賑わいも、日本国憲法のおかげだろうと思いますが、この風景もまもなく見られなくなるかもしれません。
私には、日本国憲法が今や風前の灯のように思えてなりません。
私がそう思うのは、改憲間近というような些末な話でありません。
政治への関心をみんなが失いつつあることに不安を感じています。

でも友人の一人が、そんな気分を吹き飛ばすように、行動を起こしてくるようです。
静岡県知事選への立候補です。
風が起こることを願っています。
近々時評編で報告できると思います。

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2024/05/02

■湯島サロン「アグロエコロジーから学ぶ農と食と社会のあり方」報告

吉田太郎さんの「農と食と社会のあり方」のサロンは、吉田さんのこれまでの活動紹介のあと、日本政府の「農と食」への取り組みの話から始まりました。

いま農林水産省が進めている「みどりの食料システム戦略」は3年前に策定されていますが、その実態はなかなか見えてきません。さらに日本が置かれている「農と食」の現実の酷さはなかなか私たちには実感できません。しかし、その気になれば、日本における「食と農」の問題はすぐに見えてきます。

たとえば、吉田さんは、国連のFAO(食糧農業機関)が発表している「世界飢餓マップ  2020-2022」を見せてくれました。日本は、国連公認の飢餓国に認定されているのです。つい最近も、「世界で最初に飢えるのは日本」「世界食糧危機が起これば、最初に飢えるのは日本、国民の6割が餓死する」という話が広がっていましたが、おそらくほとんどの人は聞き流しているような気がします。でも残念ながらそれは、つまり日本は世界一飢餓に脆弱な国というのは、どうも事実なのです。昨今の急激な円安で、そのことが少し実感されだしているかもしれませんが。

では日本政府はどう立ち向かおうとしているかと言えば、20数年ぶりでの農業基本法の改正です。農業基本法は「農政の憲法」と言われ、本来の理念は食料安全保障であるべきでしょう。しかし、今回の改正は、知れば知るほど不安になってくる内容です。
食料安全保障に関しては「食料自給」と「食の安全性」が根幹でなければいけません。しかし、今回の改正は、そのいずれに関しても向いている方向が逆のように感じます。そこで重視されているのは、経済や企業重視で、国民の生活への配慮は感じられません。具体的にいえば、食料自給率も有機農業や環境破壊などへの配慮よりも、産業としての農業や経済成長が重視されているのです。

しかし、世界的に見れば、農業に関する知識や技術は急速に発展し、生きるために必要な「食」と「農」について一人ひとりがみずから考え、共に実践することで、持続可能な農業をめざすアグロエコロジー運動が広がってきている、と吉田さんは言います。
そして、その実例として、タイの複合農業と「足るを知る経済」、そして、キューバのアグロエコロジーと食料主権・国民栄養教育法の取り組みを紹介してくれました。
いずれも、経済のための農ではなく、生活のための農、そして(企業の、ではなく、人々の生活の)持続可能性を目指す農のあり方であり、それが食の安全や食料安全保障につながっていると言うのです。

自然農法に関する知見や技術も急速に高まっています。それに関しても吉田さんはいろいろと紹介してくれました。
日本と違い、世界は大きく変化しているのです。にもかかわらず、なぜ日本は「農」も「食」も経済成長の視点でしか考えておらず、食の安全性も食料自給率も改善されていないのでしょうか。そして何よりも、相変わらずの化学肥料・農薬依存の農業が主流になっているのでしょうか。

吉田さんは、いろいろなことをお話しくださったのですが、私が一番驚いたのは、日本では戦前、化学肥料が高価だったため微生物を利用した農業技術開発が取り組まれていて、菌根菌が作物の生育を促進することも提唱されていたということです。最近ようやく日本でも菌根菌システムが話題になってきていますが、かつては日本が一番進んでいたのかもしれません。それがなぜかどこかで路線を変えさせられてしまった。
言うまでもありませんが、化学農薬はそうした菌根菌ネットワークを破壊してしまいます。土の中にいる多くの微生物が、近代農業の普及によって減少し、農業の発展によって「土」がどんどん失われていると言われていますが、農薬企業にとっての持続可能性と土壌の持続可能性は相反するわけです。

ウクライナに次ぐと言われるほどに土壌の豊かな国だった日本の農は、いったいどうなってしまったのか。最後に吉田さんは、そういうことを考えていくと、いわゆる「陰謀論」説に行きついてしまうと言います。

以上は、吉田さんが話してくれた話の一部です。アグロエコロジーに関しても、いろいろと解説してくれましたが、私の知識ではなかなか紹介しきれません。幸いに吉田さんは、ご自分のFBでも当日の報告を書かれているので、ぜひそれも読んでください。https://www.facebook.com/taro.yoshida.946/posts/pfbid02fLDCBBAt99aQ52tCus71V9tLshVzMr1npL1NhBQpVLLe8bxGhki4Tex6WiDZQs3Bl

そこにも書かれていますが、話し合いを聞いていて、私たちは、あまりに現実を知らないのではないかということを改めて感じました。
吉田さんの話は簡単に言えば、農や食に関するこれまでの「常識」を問い直そうと言うことだったような気がします。

有機農業はほんとうに慣行農業に比べて手間がかかり収量も低いのか。そもそも栄養価や味や生産者の被害や環境破壊なども含めて総合的に見た時に有機野菜はほんとうに高価なのか。慣行農業と有機農業とで、生産者の負担(健康被害も含めて)はどちらが大きいのか。
そしてそうした「常識」は、なぜ今も問い直されずにいるのか。

サロンには吉田さんもつながりの深い霜里農場の金子友子さんも参加していました。
金子さんはちょうど最近、「有機農業ひとすじに」(金子美登・金子友子共著 創森社)という本を出版されました。そこに日本では有機農業で十分に食料自給が可能なことが、金子美登さんによって具体的に説明されています。
有機農業とは何かも、この本を読めばよくわかります。ぜひお薦めの本ですが、いつか金子さんか吉田さんに、この本の紹介サロンをしてほしくなりました。
できればみなさんにも読んでいただきたいです。湯島にも置いてありますので、読みたい方はお申し出ください。

まだまだお伝えしたいことはたくさんありますが、長くなってしまいました。
食と農に関する常識を、ぜひ一度、問い直してみてください。
安全保障のために軍事費倍増とか核武装論とか出ていますが、国民にとっての安全保障は「食料安全保障」であることは言うまでもありません。
なぜそんなことに気づかないのか、不思議でなりません。

それと書き落としましたが、吉田さんは、これから大切なのは「ローカルな自治」だとも話してくれました。これもこれまでの湯島のサロンでの大きなテーマの一つで、コスタリカの事例や食の安全性の問題、あるいは地域通貨などでもよく話題になっています。
今年から始めたサロン「コモンズの回復」も、ローカルな自治につながっています。
食と農とは、政治・経済すべてにつながっているのです。

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■節子への挽歌5961:病気サロンを思いつきました

節子

今度、湯島で病気サロンをやることにしました。
病気体験を語り合うとともに、病気の予防策を話し合うサロンです。

節子の闘病時も感じましたが、病気と向き合うときは初めてのことも多いため、いささか戸惑いますし、なかなか大事なことに気づかない。そんな時、同じ立場の人はどうしているかを知りたくなったことはしばしばでした。

今回、私は前立腺がんで、改めてそれを痛感しました。
医師も医療に詳しい人も、その発言はほとんど役に立たない気がしました。
役に立ったのは、同じ体験をした人や今まさに同じ立場の人の話でした。

そういうことから病気サロンを思いついたのです。
ただこれは一回だけでは意味がない。
できればそこに行けば、病気の生きた情報が得られる場が望ましい。
と考えていたら、まさにそれは病院の待合室だと気づきました。

よく以前、待合室に通い出す高齢者の多さを皮肉って、元気な高齢者が病院にやってくるということが言われていましたが、それこそが病院の役割と考えればいいのです。
薬や医師の治療よりも、待合室での雑談の方がよほど治療効果・予防効果があったのかもしれません。
でも最近はそういう風景はあまり見られなくなった気がします。

この「病気サロン」構想がうまく展開するといいのですが。

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2024/05/01

■病気について明るく話し合うサロンのご案内

また新しいスタイルのサロンの提案です。

私は昨年7月に前立腺がんが発見され、その関係で、最近1か月ほど、毎日、国立がん研究センターに通いました。また3年前には胃腸の調子がよくないので病院に検査に行ったら、そのまますぐ入院になってしまいました。
また数年前に時々めまいでダウンし、脳梗塞のリスクが高いと言われ、定期的に脳神経外科にも通っています。
まあ長く生きていると、いろんな病気と出合います。

病気に出合うと実に多くのことが学べます。そうしたものを、そのまま私の中にだけとどめておくのがとてももったいない気がしています。
それに今回、気づいたのですが、前立腺がんが見つかった人たちと病院の待合室で話していると病気に対する付き合い方や治療策など、教えられることがたくさんあるのです。それに、同じ病状の人と話していると元気が出てきて安心感も得られます。医師との付き合い方も教えてもらえます。

それに何よりも、病気への一番の対策は、自らの身心の日ごろの養生ですが、そうした面でも教えられることが多い。私は今回、病気仲間から股関節運動を教わり、おかげで腰痛がよくなってきています。待合室で彼の指導で体操をしていたのです。

とまあこんなことを体験して思いついたのが「病気体験を明るく話し合うサロン」です。
果たして参加する人があるかどうか心配ですが、まあ先月までやっていた病院の待合室でのサロンのつもりで、とりあえずスタートさせます。

最初のテーマは、「病気で気になっていることを話し合う」です。それぞれの体験知を紹介し合うと言うことですが、どんな病気の人が集まるかわからないので、あくまでも今回はこんなサロンが成り立つかどうかの確認でもあります。

また病気でつらい思いをしている人の気持ちへの共感性を持っていないのかと言われそうですが、つらいことをつらいと思っているよりも、つらいことはつらいこととして受け止めて、でもそれを無理してでも楽しく明るく受けとめられれば、その「つらさ」も決して無駄にはならないような気がします。それが私の生き方なのです。

もしそれに少しでも賛成してくださるのであれば、ぜひ自らの病気を明るく語りに来てください。サロンは明るく楽しくなければいけません、特に今回のようにいささか「つらい」テーマを話題にする場合には。

どんなサロンになるか全く見当もつきませんが、よろしくお願いします。
できれば参加される方はきちんと申し込んできてくれるとうれしいです。

〇日時:2024年5月25日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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■節子への挽歌5960:サロンのアイデア続出

家にいるといろいろやりたくなってきます
サロンのアイデア続出です。
しかし最近は他の人のサロンも増えてきていて、思い付きサロンをやる日がなかなか見つかりません。

たとえば、読んだ本を紹介し合うブックサロンはもう呼びかけましたが、ほかにも「病気について明るく話すサロン」とか「テレビドラマを観ながらの話し合いサロン」「無人のオープンカフェサロン」アドなど、いずれももう案内文はつくってあるのですが、日程が確保できないでいるのです。
我孫子でのサロンも、新しいスタイルのをまた始めようと思っています。

陽子線治療のせいかもしれませんが、最近どうも身体的な疲れが強まっています。その一方で、こうした何か新しいことをしたいという思いは強まっている。
もしかしたら、身体と思いは、こうやってバランし合っているのかもしれません。

しかしまずは身体的な回復です。
何もしない在宅の日をできるだけ増やそうと思っています。

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