■節子への挽歌5977:身体疲労は遅れて現れる
節子
今日は朝から雨です。かなりあれた1日になりそうです。
今日は湯島でサロンなので、雨の1日を楽しまないといけません。
雨は苦手なのですが。
ところで、なかなか身体の疲労感から抜け出られません。
放射線技師にみなさんは2週間ほどで回復と言っていましたが、気のせいか、むしろ身体の疲労度は日に日に増している。
おそらく高齢のせいで、疲労が身体に現れるのは、若い人よりかなり遅れるのでしょう。
となれば、むしろこれから注意しなければいけません。
即効性が実感できない民間療法は、なかなか継続が難しいのですが、気を抜かないようにしないといけません。
昨日はさぼってしまった朝の水素風呂にも今朝はきちんと入りました。
幸いに本を読んだりサロン報告を書く方はかなり回復しました。
さらに「新しい活動」に向けてのアイデアは、むしろこれまで以上に出てきます。
やりたいことがどんどん出てくる。
その思いと身体が、どんどんずれているのがよくわかる。
困ったものです。
外は風も出てきて、すでに荒れ模様です。
雨は苦手ですが、風は好きです。
天気の変化を見ていると、人間という存在の危うさというか、小ささというか、そんなことを感じますね。
この移り気な自然から節子は解放されている。それってどんな感じなのかな、などとふと思ってしまいました。
はやくこの身体的疲労感から抜け出したいですが、抜け出せるでしょうか。
太陽が出ていないと、どうも気弱になってしまいます。
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