« ■節子への挽歌5971:お灸 | トップページ | ■節子への挽歌5972:にこが8歳になりました »

2024/05/09

■人間がいなくなった廃墟の中で生きていませんか

伊藤環境相と水俣病患者を中心とする関係8団体との懇談会で、環境省の事務方が複数回、参加者の発言中にマイクを切ったことが話題になっています。それを知りながら、伊藤環境相は注意もせずに、そのまま終わってしまった。

あまりに大きな騒ぎになったせいか、伊藤環境相は昨日、水俣市に出かけて、水俣病関係者に謝罪したようです。「今回のことを深く反省し、しっかり環境行政を進めたい」と。
それにしても、この間、1週間以上たっています。それにこういう言葉で「謝罪」になるのかどうか。環境相の行動も「いかにも」という感じですが、残念なのは環境省職員の言動です。環境庁ができたころは、こうではなかった。湯島にやってきた環境庁職員もいました。みんな前を向いていた。

今朝の朝日新聞の天声人語の最後にこう書かれていました。

語り部だった杉本栄子さんが患者に向けて遺した言葉を思い出す。「苦しくても、のさり(賜りもの)と思うて暮らしてくだまっせよ」。

あまりにも違う言動です。どうして伊藤環境相や環境相職員のような言動ができるのか。

杉本栄子さんには一度お会いしたことがあります。ご夫妻で、朝、獲ってきたシラス(寝坊して、私はその船には乗れなかったですが)を処理しながらの合間に、少しだけ話させてもらいました。とても優しく、穏やかな心が伝わってきたのを覚えています。
そのシラスも、とてもおいしかったです。

あるいは水俣病訴訟の中心的な立場から突然身を引いた緒方正人さんの本のタイトル「チッソは私であった」。緒方さんの本には気づかされることが多かった。
伊藤さんも、ぜひ緒方さんに会いに行くといいと思いました。
もし会ってお話ししたならば、あんな態度は生まれるはずもない。

政治家や官僚のみなさんは、いまや人間がいなくなった廃墟の中で生きているのかもしれません。
この連休には、海外ではなく、人間のいる世界で、人間と会ってほしかったです。
伊藤さんや環境相職員にとって、水俣病とは一体何なのでしょうか。

いや、彼らだけではない。私たちにとって、水俣病とは何なのか。
決して他人事ではありません。伊藤さんのようにならないように注意しなければいけません。
水俣病は決して過去のものでありません。

|

« ■節子への挽歌5971:お灸 | トップページ | ■節子への挽歌5972:にこが8歳になりました »

社会時評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ■節子への挽歌5971:お灸 | トップページ | ■節子への挽歌5972:にこが8歳になりました »