■湯島サロン「コモンズの共創② 公と共の違いを話し合う」報告
コモンズの共創をテーマにしたサロンの1回目を踏まえての、話し合いサロンには前回参加しなかった方も含めて6人が参加してくださいました。
話し合いのためのメモを作成していたのですが、ほぼ完成したのがサロン直前だったこともあり、あまりうまく説明できず、参加された方にはいささかわかりにくかったと思います。一応、添付しますが(当日のものを少し変更しています)、要は「公も共も〈みんな〉という意味を含意しているが、その〈みんな〉の内容が全く違う」ということを、いろんな言葉から感じてほしかったのです。
簡単に言えば、「公」の〈みんな〉は、個人は主役ではなく、むしろ構成要素でしかありません。たとえば、国民(個人)は国家(みんな)が戦争を起こせば、戦力として戦場に送りだされるのです。平時においても、生産者や消費者として存在しています。
それに対して、「共」の〈みんな〉は、個人が主役で、その相互支え合いでみんなが生まれてくる。生活者としての個人が、自らが生活しやすいようにコミュニティやアソシエーションを生み出していく。その先に、もしかしたら「国家」があるかもしれませんが、公としての国家と共としての国家は、組織原理も組織形態も、全く違うものです。
ここで「共のみんな」と言っているのが、この連続サロンでの「コモンズ」なのです。
言い方を変えれば、〈みんな〉の捉え方を変えようと言うことなのです。
どう変えるかと言えば、「個人」を主役にした〈みんな〉を育てていくということです。
公と共とは、個人と組織の関係において方向性が真逆なのに、その全く異質な言葉が、つながって「公共」という言葉をつくっているため、〈みんな〉が個人を隷属させてしまう。そこに抗っていかないと、コモンズは回復しないのです。「新しい公共性」などという言葉の遊びにごまかされてはいけません。
たとえば、よく使われる「公共の福祉」というのは、往々にして「公の福祉」、つまり全体の秩序を意味し、その構成要素である個人の都合などは考えないにもかかわらず、なんだか「みんなのため」だから仕方がないかと思わせてしまう。ここから、いわゆる「コラテラル・ダメッジ(やむを得ない犠牲)」も正当化されてしまうのです。その最たるものが、「お国のために」敵を殺傷しようという、戦争行為の正当化です。
一時、福祉関係で「公助・共助・自助」という言葉が盛んに使われましたが、そこでは「公」と「共」に違いがはっきりと区別されています。同じように、「公益」と「共益」とは全く違うのです。そこに気をつけないと、おかしな福祉国家が出来上がってしまう。
とまあ、こんな話を少しだけさせてもらったうえで、自由な話し合いに入りました。
「公」という言葉に対して批判的に受け止めている人も多かったので、なんだか「釈迦に説法」のような感じになってしまいましたが、「公」の〈みんな〉の視座で考えるか、「共」の〈みんな〉の視座で考えるかで、全く世界は変わってくることを、私たちはもっと意識しなければならないと思います。
湯島でのさまざまなテーマでのサロンも、この視座の違いで問題の内容が変わってくるような気もします。問いかけさえも変わってくるかもしれません。
今回の話し合いの中から2つだけ紹介します。
中国出身の参加者がいて、中国における「公共」の言葉の使い方も少し解説してくれました。やはり「公共」は日本と同じように、「公」に重点が置かれているようです。
そしてその方が、示唆に富む話をしてくださいました。
日本では「中国脅威」をあおる論調やニュースのなかで「中国が攻めてくる」かもしれないと思っている人がいるかもしれないが、日本が中国を攻めていくと思っている人はいないように思う。最近、中国に帰っていろんな人と話したが、中国の人たちも同じように、「日本が攻めてくる」かもしれないと思っている人はいるが、中国が日本に攻めていくと思っている人はいない、というのです。
私はここに、「公の常識」と「共の常識」の違いを感じます。
もう一つこれも示唆に富む話がありました。
請願権問題に取り組んでいる人が参加してくれたのですが、憲法でも保障されている請願権という制度を、実際に使おうと思ってもなかなか使えない、というのです。請願権は「公」のためにあるのか、「共」のためにあるのか、ほとんどの人は考えることもないでしょうが、「公共」という言葉が持つ罠をそこに感じます。
「公の制度」と「共の制度」は全く違うのです。
公と共の違いに関しては添付のメモに、いろいろな切り口をリストしています。
公で考えるか、共で考えるかで、同じ問いへの答えが変わってくるような気がします。
いや世界の見え方が変わってくる。
私の進め方が悪くて、きちんとした議論ができませんでしたが、私自身は改めていろんな示唆をもらいました。
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