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2024/05/17

■湯島サロン「コモンズの共創③ コモンズの悲劇あるいは幸せ」のお誘い

「コモンズの共創サロン」の第3回目は「コモンズの悲劇」を取り上げます。

果たしてコモンズの先にあるのは悲劇なのか幸せなのか。
この問いは、湯島サロンの根底にあるテーマでもあります。
湯島サロンも湯島の場も、コモンズの幸福を目指しています。

コモンズの悲劇とは、生物学者ギャレット・ハーデインが提唱した、「みんなが使える共有物は個人的な利益追求のために過度に利用され、結局、破滅してしまう」という考えです。この考えが、「私有制」を基本に置く資本主義の発展を支援してきました。
しかし、本当にそうでしょうか。

これに対して、法学者キャロル・ローズは、「人多ければ楽しみ多し」という慣用句を持ち出して、コモンズこそがみんなを幸せにするという「コモンズの喜劇」を提唱しました。こうした考えは、むしろ資本主義が隆盛を極める前の常識だったように思います。たとえば、17世紀に活躍したスピノザは、「もし2人の人間が一致して力を合わせるなら、単独である場合よりも多くの力能をもち、自然に対してもより多くの権利をもつ。そのような形で親密な関係を結ぶ人が増えるに従って、人々はますます多くの権利を共に有するようになる」と言っています。私はこれを「コモンズの幸せ」と呼んでいます。

ではなぜ、コモンズは幸せ(喜劇)にならずに悲劇になってしまったのか。それは、そもそもコモンズが失われたからです。つまり「みんなのものという意識やみんなという関係」がなくなってしまった。そこで「コモンズの悲劇」とは「コモンズ不在の悲劇」という人もいますし、「コモンズの統治(協治)」が重要という人もいます。
経済学者ユリノア・オストロムは、世界各地のコモンズの調査を踏まえて、コモンズを幸せにしていく条件をあげています。言い換えれば、「コモンズとは何か」ということになります。

いささかややこしい話を書いてしまいました、
日本には、私が子どもの頃まで、まだ「コモンズのつながり」や「コモンズの幸せ」が残っていたように思います。それをまた、みんなで「回復」したいというのが、私のテーマなのです。

今回は「コモンズの悲劇」という切り口から、「コモンズの回復」について考えてみたいと思います。1回目と同じく、最初に私から30分ほど話させてもらい、後はみんなで話し合うというスタイルです。
気楽にご参加いただければと思います。

〇日時:2024年6月30日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:コモンズの悲劇あるいは幸せ
〇問題提起者:佐藤修(CWSコモンズ村村長)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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