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2024年6月

2024/06/30

■節子への挽歌6054:久しぶりの光瀬龍

節子

また光瀬龍の宇宙年代記にはまりそうです。

入院時、時間がたっぷりあったので、本を数冊持参しましたが、結局、あまり読む気になれず、全冊未読のまま持ち帰りました。
ところが昨夜、就寝するときに、なぜか急にむかし愛読していた光瀬龍の宇宙年代記物が読みたくなりました。幸いに書棚からすぐ3冊の短編集が見つかりました。

私が20代の頃に読んでいた早川ノベルズです。この3冊は意識して、いつも手元に置いていたのですが、読むのは久しぶりです。20年以上は、少なくとも経ちます。
20代の時に私が読んで面白かったのが、本の目次のタイトルのところに2段階でマークされていました。昨夜、マークのついた数編を読みました。

最初に読んだのが、「墓碑銘2007年」。いまとなってはもう15年前の話です。
残念ながら光瀬さんの予測はまったく当たっておらず、宇宙開発が大きく遅れてしまっていることがわかります。
この作品は、たぶん私が最初に読んだ光瀬龍の年代記の最初のころのもので、題名は覚えていましたが、もう一つ題名に記憶があったのが「辺境5320年」。このシリーズでは、一番遠い未来の話ですが、この最後も何となく覚えていました。
読んでいるうちに、いろいろと当時のことが思い出されてきました。

今朝起きてみて、やはり気になってしあい、7作品ほど読んでしまいましたが、すんなりと読めるばかりか、実に懐かしく面白い。
改めてもう一度、全作品を読もうと思います。

ちなみに、この短編集には、過去の話も何作品かあります。
私がとても好きな作品が、「いまひとたび」のです。
これは以前、挽歌でも取り上げましたが、和泉式部の「あらざらん この世の外の思ひでに いま ひとたびの逢ふこともがな」を題材にした話です。
この話は時々思い出す作品です。なぜか実にリアリティを感ずるのです。

光瀬龍には長編SFにも素晴らしい作品があります。
「たそがれに還る」も面白いですが、私が大好きだったのは「百億の昼と千億の夜」です。この作品は、萩尾望都によって漫画化されていますが、この漫画も素晴らしい。
この漫画は、いつも枕元にあり、時々読んでいます。
今日もまた寝る前に読もうと思います。

というわけで、今日はドラマと小説で、現実から離れた世界で1日、休養しました。
明日から現実に戻ろうと思います。

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■節子への挽歌6053:真面目に休養をとりました

節子
今朝の挽歌をさぼってしまいました。

昨夜は入院時と同じくらい夜中のトイレで目が覚め、それもあって寝坊してしまいました。朝雄ルーチンはまったく壊れてしまったのです。
ようやく本を読む気になりました。
読んだ本がなんと20代のころに愛読していた光瀬龍の年代記です。
これに関しては、改めてまた書きたいですが、しばらく読みつづけそうです。

それはともかくまだ「必要なこと」をやる気は起きず、読書のほかは、怠惰にテレビドラマばかり見ていました。

昨日、小宮山さんが私と入れ替わりに入院。
脳の手術ですが、土日の病院ではさすがに退屈しているだろうとメールしてみました。
返信がありましたが、やはり退屈しているようです。
明日の手術ですが、まあ数日で退院でしょう。

今日はゆっくりと休んだので、明日からは生活リズムも取り戻せるでしょう。
朝に挽歌を書き、般若心経をあげ、テレビ体操もし、おろおろしながらみんなのことを気遣うデクノボウな生活に戻れると思います。

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■急性膵炎入院報告〔番外編〕:安定・依存な生き方か自由・自立な生き方か

退院して一夜が明けました。

病室での朝とわが家での朝とではやはり違います。
今日は病室でのリズムと最初から違っています。
入院時と同じく、相変わらず昨夜は眠れず、朝方に寝てしまい、今朝は6時に目が覚めました。病室でのルールでは急いで洗顔し祈りを捧げ、朝の回診を待たねばいけません。

しかし、もう気にすることはない。勝手な行動ができます。
そのまま7時までベッドで本を読んでいました。
ちなみに病院では読めなかった本も、帰宅したら読めるようになりました。

病院では時間管理はされていますが、何もしなくても、安心で安定した生活は送れます。
問題が起こったら、ナースコールをすれば誰かが来てくれて問題を処理してくれる。
時間になれば食事が出てきますし、定期的に健康管理の体温や血圧が測定される。
いつも誰かがケアしてくれ、問題が起これば解決してくれる。
安定した状況の中で、安心して暮らせます。

でも退院してわが家での生活は自分を自分で管理しなければいけませんし、食事も自分でつくらないといけない(私の場合は幸運にも娘がつくってくれますが)。食事時間も自由ですが、時に忘れて抜いてしまうこともある。間食は自由ですが、注意しないと体調を崩す。すべては自己責任。

安定・依存な生き方か、自由・自立な生き方か。

多くの人たちは、前者の生き方を望んでいるのかもしれません。自由や自立よりも、安定や依存を求めているように、私には思えます。
あるいは、そういう生き方を望むように、もしかしたら政治や経済は動いている。
こんなことを入院中に考えていましたが、退院してみて、改めて私はどちらの生き方をしたいのか考えました。

やはり私の場合は、後者の生き方です。
今回、10日間の入院で、改めてそう確信しました。

昨日は、いささか食生活を乱しました。意図的にです。
医師が言った「脂っこいもの」は避けましたが、思い切り身体に良くないようなものを間食してしまいました。それも録画されていたドラマを観ながら、だらしなくです。
退院時は、前回の轍を踏まないように、今回は食に気をつけようと思っていましたが、家に帰れば、そんなことはやはり忘れてしまう。困ったものです。

病院では4回、規則正しく散歩していたのに、散歩どころかソファーに座ったまま動かない。退院したらやろうと思っていたことも一切手つかずでした。
まるで、自由とは怠惰と同義のようです。

病院からの帰り、娘に頼んでスーパーによって、食べたいものを買って帰ったのですが(メロンは食べたかったですが、高かったので買えませんでしたが)、その時に、病院ではあんなに元気だったのに、外に出るとこんなにも疲れるのかと感じました。帰宅したらなにもやる気が起きてこなくなったのです。
やはり10日間の入院生活は、私には疲れをかなり残しているようです。

安定した安心な生活がもたらす「疲れ」と自由で自立した生活がもたらす「疲れ」とは違うようです。
とすれば、もしかしたら、現代社会は意識されていないような「疲労」が鬱積されている時代かもしれない。それが、最近の社会の実相に現われているのかもしれない。
そんな気がしてきました。

社会も身体も、どうも2種類の疲れがある。
病気や健康は、どうも違った2種類の「疲れ」に左右されているのかもしれません。

昨日は徹底的に怠惰したので、今日はたぶんかなり日常化できるでしょう。
朝、まずこれまで溜まっていた新聞をすべて読みました、というか確認しました。
時代にちょっと追いつけた気がします。
社会は相変わらず病んでいるようです。いや、疲れているようです。

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2024/06/29

■急性膵炎入院報告13:退院

今日は退院日です。

何事もなく朝を迎え、いつものようにルーチンを終えました。
朝の血圧は172/87でした。ナースは高いと言いますが、私には正常値。
しかし他の人の測定値を聴いていると、みんな低いです。

やはり私の血圧は今どきでは高いのかもしれません。
もしかしたら血圧の平均値が低下しているのかもしれません。これは調べる価値がありそうです。下がったのにはそれなりの意味があるでしょうから。

最後の廊下散歩は頑張っていつもより1回多い5往復。
最後の全粥朝食を済ませ、加藤医師の最終回診で退院を確認、着替えました。
後は手続きのみ。

退院後の食生活は、「脂っこいものにだけ気を付けて」というシンプルなもの。
前回の轍を踏まないように、今回は慎重を期したいと思います。

この10日間の入院では、同室者との交流はほとんどなかったのですが(これも病室や病棟の設計と関係しています)、医師やナースとの対話が聞こえてくるので、そこから多くのことを学ばせてもらいました。膵炎患者は私一人でしたが、この病院は泌尿器系で多いので、前立腺がんと思われ人(中には陽子線治療受けた人もいたようです)もいて、自分と重ねながら聞いていました。
短かったですが、それなりに面白い10日間でした。

お昼前には帰宅し、食事とデザートを楽しめるでしょう。
この報告は1週間後に外来での診察があるので、それまであと2回、書かせてもらいます

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■節子への挽歌6052:退院します

節子

10日間の入院生活を終えて、今日、退院です。
今回の入院は何事もなく、いささか退屈な入院生活でした。

今回は節子とは一緒ではありませんでしたが、毎朝の節子への祈りは欠かせませんでした。
まあ線香もなく、般若心経もない、簡素な祈りですが。

不思議なことに、腰痛が治りました。
10日もベッド生活をしたにもかかわらずです。
もしかしたら、入院の1週間ほど前から始めたロキソニンテープのおかげかもしれません。
ちなみにこれも入院中はやめていたのですが。

今日は最後の病院食。
FBに病院食を活かすために、個人用の、しかも症状用の特注された調味料セットの提案を欠いたら、病院食に調味料はダメでしょうと2人からコメントされました。
まったくもってみんな「小さな閉じられた世界」に生きている。
今朝はそれにコメントしましたが、私自身またこの入院で、少し世界が広がった気がします。

食事の前に、最後の廊下散歩を、今日は頑張って5往復しようと思います。
食後、服を着替えて、後は退院待ちです。

幸いに今日は晴れています。

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■第3回ブックサロン「『利己的な遺伝子』論から眺める人間観」の案内

みんなにぜひ読んでほしい本を紹介し合う「ブックサロン」をいろいろと多様なスタイルに展開していきたいと思います。

そこで今回は、好きな本を熱く語ってもらうサロンを近藤和央さんにお願いしました。
取り上げたのはリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』です。
書名やそこでの提唱仮説はご存じの方は多いと思いますが、書籍を読んだ人は少ないでしょう。そこでまあ、熱烈ファンの近藤さんに内容をしっかりと解説してもらおうというわけです。

近藤さんからのメッセージをどうぞ。

1953年にDNAの二重螺旋構造が発見され、生物の遺伝を司る物質的実体と確定されました。(ケンブリッジ大学のジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックによる)

そこからは、遺伝子が生物個体や群そして他種生物種や生存環境とのダイナミズム(※2)の主役として振る舞うこと、そして遺伝子(ミーム=文化遺伝子を含む広義の遺伝子)とココロとの関わり(進化心理学や動物行動学、進化人類学)について怒涛の展開・発展・拡張・統合がなされ、結果、分子としてのDNAから生物・人間・文化・社会までのパースペクティブが1本の軸(生存原理)で貫通されました。(哲学や生命感・人間観・死生観に与えたインパクトの大きさはまだまだ世間に自覚されていませんが足下の巌はすでに動いてしまいました)

この全体像を俯瞰する視点が「遺伝子は利己的に振る舞う」「遺伝子は(未来に対して)盲目である(※3)」というセントラルドグマです。

今回は「利己的な遺伝子」で表明されたリチャード・ドーキンスの「遺伝子を透して観た世界の描像」を(特に生命感・人間観・死生観の見地から)垣間見ていただきたいと思います。

なお、書籍『利己的な遺伝子』の概要は次のサイトをご覧ください。※1  https://www.flierinc.com/summary/878

※2「延長された表現型: 自然淘汰の単位としての遺伝子」(1982年)
※3「ブラインド・ウォッチメイカー : 自然淘汰は偶然か」(1993年)

近藤さんは、進化論ファンで、もちろんドーキンスの信奉者。最初にまず30分ほど、ドーキンス理論を語ってもらい、後は質疑応答や話し合いを楽しみたいと思います。

ブックカフェの変種をぜひお楽しみにご参加ください。
予備知識は不要です。

〇日時:2024年7月18日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「『利己的な遺伝子』論から眺める人間観」
〇話題提供者:近藤和央さん(進化論ファンのneo studier
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2024/06/28

■急性膵炎入院報告12:病院食用のミニ調味料セットがあればいい

入院9日目。

ネットがあるので、私の生活は入院していてもしていなくてもあまり変わりません。
違うのは食事のみ。

流動食から全粥に向けて、徐々に固形物を増やしていく食事を体験していますが、残念ながら味付けがやはり合いません。特に塩味がきいていない。病院食の常かもしれませんが、せっかく工夫してくださった料理が生きてこないのが残念です。各人の食事に調味料セットをつけるのは無理でしょうが、個人用にミニ調味料を配布するのも一案。そういうビジネスがあってもいい。

今朝は雨模様。昨夜もあまり眠れずに明け方に眠ったため6時起床。慌てて朝のルーチンを済ませ、窓の外の大きな樹を見ていました。ちょっと眠気があるぼんやりした頭で、ぼーっとしているのも快感です。

今日は担当医の加藤さんは確かお休みなので回診はないようで、ちょっと寂しいなと思っていたら、まさにその時にやってきました。土曜日も出勤なので週休1日でしょうか。もしそうでもたぶん片時たりとも完全に患者から解放されることはないでしょう。やはり「好き」でないとできない仕事かもしれません。

ちなみに私は会社時代は、仕事が好きでしたから、片時も仕事を離れて忘れたことはなかったような気がします。もちろんだからといって、仕事に呪縛されてはいませんでしたが。

午前中で最後の点滴も終了。これで今回入院のすべての治療が完了。
午後、暇すぎたので、久しぶりにブログの時評編を2つ投稿。
それにしても退屈。でもやはり本は読めない。

入院して思ったのは1日は長いということです。
こんな「長い日」をいつもはいかに無駄にしていたことか。

さて、間もなく4時半。1日のルーチンの「廊下散歩」の時間です。
鬼ヤンマのように、病棟の真ん中の100メートルほどの廊下を端から端まで4往復します。100メートルを約1分ですので、かなり速いのです。
ちなみに、私のように定期的に廊下散歩している人には出合いません。

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■今回の都知事選ほどわかりやすい選挙はありません

新聞・テレビから離れていても、さすがにFBやメールなどで都知事選の話題は目に触れます。有力な候補が45人いるようですが、現実的な問題は、小池さんか蓮舫さんかだと思います。

ここでもし日本の政治を変えるのであれば、蓮舫さんに勝ってもらう以外はありません。
小池さんがどうのこうのというよりも、国政の政権交代のためです。

もしそこに問題を絞ったら、石丸候補はじめ、すべての立候補者は、政権維持に貢献していると捉えていいでしょう。
そういう大きな問題設定をしないと、社会は変わっていきません。

私の周辺でも、石丸支持や内海支持などいろいろといますが、そういう人たちは私にはみんな小池支持者に見えます。
おそらく今の状況では小池さんは当選するでしょう。

そしてまたみんな、小池さんの学歴詐称などをあげつらって、安心してしまうでしょう。
もうそろそろそんな小さな政治から足を洗わないといけません。
政治は、うっぷん晴らしの対象ではないのです。

問題は明確です。
国政の流れを変えたいのであれば「蓮舫」に好き嫌いに関係なく投票。
いまの政治の継続を望むのであれば、好き嫌いで蓮舫以外の石丸さんたちに投票しましょう。

いま、都民は、現状維持か政権交代かを選ぶ権利を持っていることに気づくべきです。
今回ほど、わかりやすい背隠居はないでしょう。

私には投票権がないので、極めて残念です。

 

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■新聞・テレビのない1週間

入院しているおかげで、この1週間、新聞とテレビから完全に遮断された生活を送っています。
たぶん私にとっては初めての体験です。

ネットニュースは基本的に見ませんので、世間から遮断されたと言ってもいいでしょう。
ただネットを通して個人的にはいろんな人とのやり取りはほとんど変わっていないので、身の回り関係では何の変化もありません。
つまり身の回り関係以外の社会からちょっとだけ情報遮断されているということです。

正直、何の違和感もありません。都知事選もガザの話も、ましてや興味本位な犯罪情報が入ってこないだけ、精神の安定にはいい気もします。
しかし、1週間経過して、やはり新聞が私の場合、とても重要なことに気づきました。

と言っても、私はほとんど新聞は読みません。
購読しているのは「朝日新聞」ですが、毎朝、5分ほど目を通すだけです。
特に読みたい記事があるときには、後でそこをきちんと読みますが、朝、全紙面をさっと読み流すだけで、なんとなく世間の動きが感じられます。それがどうも重要なようで、そこで私の関心が刺激され、以後、なんとなくそのことに注意祖W向けているのでいろいろと追加情報が入ってくる気がします。
テレビ欄もさっと見ますが、これも私にはかなり大切です。

テレビもニュースは一応見ますが、最初に出る予定されたタイトルだけで終わることも少なくありません。テレビニュースは私にとってはどうも繰り返しばかりで退屈です。それに画像情報は刺激が大きくて、むしろ思考を呪縛しかねない。それに、そもそも私が知りたいことではないことの方へと画像は向けられることが多いのです。

でも1週間、新聞やテレビを見ていないと、政治への関心は急速に低下、というか、変質するような気がします。うまく言えないのですが、日常から離れた「物語」のようになる。
新聞を毎日読まない人が増えているようですが、そういう人たちは、あきらかに私とは別の世界で生きていることになりそうです。話がかみ合わないわけです。

こういう状況で、ちょっと刺激的な話を聞くと大きく影響されるような気もします。
ポピュリズムが広がったり、陰謀論が出回ったり、極端な意見やヘイト思考が広がるのも、こうしたことが素地になっている気がします。

やはり毎日、日常的に新聞に接していることの意味は大きい気がします。
情報を受け取る主体が自然のうちに育っているのです。よく新聞に洗脳されているという話も聞きますが、情報を受け取る主体ができていなければ、そもそも「洗脳」されるまでにも至らない。簡単にデマやフェイトを信じてしまう。
新聞は「朝日」でも「産経」でも「赤旗」でもいいでしょう。定点観測的に、全体像を伝えてくれる新聞に触れていると、もちろん影響される面はあるでしょうが、それよりももっと大きな意味があるような気がします。

明日は帰宅後、1週間の新聞を改めて読むつもりです。

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■節子への挽歌6051:相変わらず寝苦しい日がつづいています

節子

昨夜は酷い夜でした。ともかく寝苦しいというか眠れなかった。
トイレにも1時間弱ごとに行く感じで寝た感じが全くしない。
夜に頻繁に尿意で起きるのは一向に治らない。
これは前立腺がん治療の関係なのかどうか全くわからないがいささか憂鬱です。

朝は6時に起床、慌てて朝のルーチンの祈りと洗顔。何とか朝の回診に間に合いました。
外は雨模様。
でも、今朝の回診のナースはこれまでの中で一番みんなの心を和ます感じでした。
同室の患者が、入れ替わって、みんな普通に話せる人になったのも関係しているでしょう。それぞれ術後の人ばかりで大変な筈ですが、みんな快方に向かっているからでしょうか、声が明るい。

さて最後の入院生活日。
退院後の予定をいろいろと入れ出そうと思います。

無理をしないようにして。

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2024/06/27

■急性膵炎入院報告11:土曜日退院になりました

入院8日目。

昨夜、救急車の音を2回ほど聞きました。
そのせいで、今日は朝の回診もなく、病院全体の様子が違います。
急患のおひとりはもしかしたらこの病棟に来たようです。
幸いにいまの私の病室は一番外れなので、緊迫感は伝わってきません。
予定されていた朝の採血も行われなかったのと点滴がまだ始まらないのがちょっと気になりますが。私の場合は、その程度ですが、人によってはいささか心配でしょう。

8時の朝食は予定通り、あれほど感激した粥食も今や物足りない。人間は強欲な生き物です。私が、という意味ですが。問題は調味料ですね。
その後、加藤医師が回診。いつもと違い手術衣でした。やはり昨夜の救急患者対応が大変だったようです。採決がまだ何を確認。これもこの病院の弱点でしょうか。

今日は好天。窓の外を見ていたら、大木の葉の茂みの中を飛び交うミスジアゲハがいます。ここは4階ですが、こんな高いあところまで上がってくるようです。写真を撮ろうと思ったのですが、間に合わず。まあまた会えるでしょう。

10時過ぎには正常に戻り、採血。
私は2回目の廊下散歩。3キロの時間が1分縮まって8分に。
正午近くに加藤医師が来て、土曜退院と指示あり。胆嚢の胆石処置はその後に相談することになりました。

というわけで、またいつものなんとなく気怠い病室の午後です。
この時間がとてもいい。

わずかばかりの至福の時間。

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■節子への挽歌6050:世間から切り離された暮らしも一週間たちました

節子

入院生活は、まあいろいろとありますが、それなりに順調です。
昨夜も前半は眠れずに辛かったですが、後半は小刻みながら熟睡した気がします。
毎日の3キロの廊下散歩も役立っているでしょう。
今日の採血検査の結果では退院も見えてきました。

昨日は(時評編にも書きましたが)、小畑さんから「神とひとつになること」が送られてきました。みんないろいろと心配してくれます。感謝しています。
こういう本は、正直、苦手ですが、でもその気持ちがうれしいです。
人を気遣うとき、その手段はその人が自分が気遣われることを想定して選んでいますので、その人を知ることになります。時に、それが私にはまったく合わないこともある。
でも合うかどうかが問題ではない。手段はどうでもいいのです。
ともかく、行動してくれたことがうれしい。
そのことがよくわかります。

「自分がしてほしいことを他者にもしてやりなさい」という、西欧の黄金律も、その意味では正しいと言えるでしょう。

せっかく本を送ってもらったのですが、今回は本が全く読めません。
読んでもなぜか心に入っていかないのです。
不思議なほど入っていかない。

今日はいい天気になるようです。
テレビを全く見ていないので世間の動きはわからない。新聞も読んでいないしネットニュースも見ていない。
最近はそういう人も増えていると聞きましたが、実際に体験すると、その「怖さ」を感じます。
身近とはいえ、この体験は貴重です。

6時、部屋の電気がつきました。
6時半になったら廊下散歩です。

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2024/06/26

■急性膵炎入院報告10:週末か週明けに退院?

今日の昼食から五分粥。
缶詰のミカンが出た。無性にパンが食べたいがまだでない。

昼食後、午睡。昨夜あまり寝ていないので気持ちよく眠れた。
2時に起きて、今日、3回目の廊下散歩。
また加藤医師に会う。この医師は現場によく来る医師らしい。事実はどうかわからないが、とても好感が持てる。朝の検査結果がよければ退院を考えましょうとまた言ってくれた。先を示してくれると、患者は気持ちが明るくなる。その姿勢にも好感。

直後に娘が荷物の交換に来てくれた。
ついでに私宛に送られてきたという一冊の本も持ってきてくれた。

Oさんから、一時期話題になったニール・ドナルド。ウォルシュの「神とひとつになること」。私も話題になったときに、このシリーズの「神との対話」を購入し、結局、読めなかったこと思い出したが、せっかくなので再挑戦してみようと思います。
これまで持ってきた本はすべて挫折していますので。

ちなみにOさんは同封された手紙で、私が読書家で、いまは時間がたっぷりあるのでと書いてきてくれていますが、時間がたっぷりあるとなかなか本を読む気にならない。私の場合、特に、何かとバランスしていないと本を読む気が出ないのです。つまり忙しい時こそ本が読めるのです。
それにそもそも本来的な読書家ではないのです。
なぜなら長年の「愛読書」がほとんどないのです。前回のブックサロンに参加して、誰かに進めたくなる愛読書がすぐに浮かんでこない。

そこで、入院前に考えていたブックサロンをやる気になりました。
それこそ読書家の近藤さんに頼んで7月7日にブックサロンを予定していて、案内を出そうと思っていた矢先に入院になったのです。
どなたか自慢の「愛読書」を紹介してくれませんか。

こうやって何かを企画し、いろんな用事で忙しくなると本を読みたくなるのです。
やはり読書よりも新しいことを考えることが楽しい。

廊下散歩は今日も4回実行。3キロ歩行したことになる。
最後の散歩中、ナースから間違われて点滴の時間ですと声をかけられました。聞けば、その人が見当たらないというのです。ナースに変わって男性トイレに入り、その人を発見。今回初めてのお役立ち。前回はいろいろありましたが。

今朝の病室は、患者の入れ替わりで大忙しでした。
話を聞いていると(聞こうとしなくても耳に入ってくる)、まさに悲喜こもごも。
術後の人が2人入ってきました。さらに悲劇は、明日退院予定の人が、発熱で退院が延期。医師とのやり取りを聞いていて、私もついつい感情移入してしまいました。私も同じようになるかもしれません。でもまあ今のところでは、週末か週明け、退院できるようです。

間もなく8時で、夕食です。
書き終わろうとしたら加藤医師がやってきました。加藤さんに会うと元気が出ます。

今日の報告はここまで。
今夜はきっと眠れるでしょう。

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■急性膵炎入院報告9:毎日4回の廊下散歩

入院7日目。

昨日は快適な1日でしたが、夜、全く眠る気が起きず、8時に就寝してから午前2時までの6時間、ベッドに寝て、何もせずに、眠気が起こるのをただただ待つという奇妙な時間を過ごしました。2時過ぎにやっと眠れて4時半に目が覚めました。
ルーチンの5時起きを30分遅らせ、今日は5時半スタート。寝不足の1日の始まりです。外は曇天。
6時、いつものように回診が始まりました。血圧が異常に高い。上が200を超えている。

さすがに眠くなって、6時半に寝てしまった。1時間後、起床し、食事前の廊下散歩。病院なの廊下の4往復。9分で1000歩。約700メートル。これを4回なので、毎日、3キロ近くを歩くことになります。

ベッドに戻ると朝食が届いていました。最後の三分粥。全体にもう少し塩味があると美味しいのですが、病院食はいつもこんな感じ。
見た感じはおいしそうですが、病院食は私には塩味が薄すぎて美味しくないのです。
いずれにもお醤油を一滴加えれば、おいしくなるのですが。

9時にまた点滴再開。今日は酢酸リンゲル液を2リットル。
というわけで、今日もまたスタートです。

 

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湯島サロン「コモンズの共創③ コモンズの悲劇あるいは幸せ」のお誘い(再案内)

私の突然の入院で延期させてもらった「コモンズの共創」サロンの第3回ですが、7月28日(日曜日)に開催させてもらいます。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。かなり先ですが、ご予定に入れておいていただければうれしいです。

■湯島サロン「コモンズの共創③ コモンズの悲劇あるいは幸せ」のお誘い(再案内)

「コモンズの共創サロン」の第3回目は「コモンズの悲劇」を取り上げます。
果たしてコモンズの先にあるのは悲劇なのか幸せなのか。
この問いは、湯島サロンの根底にあるテーマでもあります。
湯島サロンも湯島の場も、コモンズの幸福を目指しています。

コモンズの悲劇とは、生物学者ギャレット・ハーデインが提唱した、「みんなが使える共有物は個人的な利益追求のために過度に利用され、結局、破滅してしまう」という考えです。この考えが、「私有制」を基本に置く資本主義の発展を支援してきました。
しかし、本当にそうでしょうか。

これに対して、法学者キャロル・ローズは、「人多ければ楽しみ多し」という慣用句を持ち出して、コモンズこそがみんなを幸せにするという「コモンズの喜劇」を提唱しました。こうした考えは、むしろ資本主義が隆盛を極める前の常識だったように思います。たとえば、17世紀に活躍したスピノザは、「もし2人の人間が一致して力を合わせるなら、単独である場合よりも多くの力能をもち、自然に対してもより多くの権利をもつ。そのような形で親密な関係を結ぶ人が増えるに従って、人々はますます多くの権利を共に有するようになる」と言っています。私はこれを「コモンズの幸せ」と呼んでいます。

ではなぜ、コモンズは幸せ(喜劇)にならずに悲劇になってしまったのか。それは、そもそもコモンズが失われたからです。つまり「みんなのものという意識やみんなという関係」がなくなってしまった。そこで「コモンズの悲劇」とは「コモンズ不在の悲劇」という人もいますし、「コモンズの統治(協治)」が重要という人もいます。
経済学者ユリノア・オストロムは、世界各地のコモンズの調査を踏まえて、コモンズを幸せにしていく条件をあげています。言い換えれば、「コモンズとは何か」ということになります。

いささかややこしい話を書いてしまいました、
日本には、私が子どもの頃まで、まだ「コモンズのつながり」や「コモンズの幸せ」が残っていたように思います。それをまた、みんなで「回復」したいというのが、私のテーマなのです。

今回は「コモンズの悲劇」という切り口から、「コモンズの回復」について考えてみたいと思います。1回目と同じく、最初に私から30分ほど話させてもらい、後はみんなで話し合うというスタイルです。
気楽にご参加いただければと思います。

〇日時:2024年7月28日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:コモンズの悲劇あるいは幸せ
〇問題提起者:佐藤修(CWSコモンズ村村長)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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■節子への挽歌6049:病室での一番の快適さは「うつらうつら」

節子

いささか奇妙な夜でした。
昨日は快適な1日でしたが、夜、全く眠る気が起きず、かといって本を読む気も起きず、中途半端な状況で、8時に就寝してから午前2時までの6時間、ベッドに寝て、何もせずに、眠気が起こるのをただただ待つという奇妙な時間を過ごしました。点滴は昨夜から夜間はなくなったのですが。

2時過ぎにやっと眠れて4時半に目が覚めました。
ルーチンの5時起きを30分遅らせ、今日は5時半スタート。寝不足の1日の始まりです。外は曇天。

6時、いつものように回診が始まりました。血圧がやはり異常に高く、上が200を超えています。早目に薬を飲んだ方がいいと言われましたが、たぶん昨夜あまり寝ていないことも影響しているでしょう。

ところで、この病院は泌尿器系で評判の病院です。私も前立腺がんはここで受診しています。いまの病室も患者さんの半分近くは前立腺がんの患者のように気がします。
つまり、もし私が前立腺がんを陽子線治療を選ばずに摘出手術を受けたら、同室のみなさんのような日々を過ごすことになったわけです。偶然とはいえ、私にとっては前立腺がんのもう一つの疑似体験を少しだけさせてもらっているとも言えます。
いろいろと思うことはあり、それが眠れなかった一因かもしれません。

でも今日は、かなりの寝不足なので、日中に睡魔が襲ってきて、ある意味、快適に過ごせるでしょう。
病室での一番の快適さは「うつらうつら」ですから。

太陽が見られないのが辛いですね。
朝のルーチンを終わったら、もう眠くなってきました。
8時過ぎに加藤医師の回診が終わったら今日は朝寝しようと思います。その前に1回目廊下散歩をして。

時評編の報告に書いていますが、昨日から「廊下散歩」を始めたのです。

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2024/06/25

■急性膵炎入院報告8:気持ちが前向きになって何かをやりだしたくなってきました

入院6日目。

今日から点滴が少なくなった。抗生物質と抗膵炎剤は終了で、水分補給の酢酸リンゲル液は昨日までの3リットルから2リットルへ。これでトイレ回数が減るかもしれません。体温も血圧も平常並み。

昨日は暑かったようですが、病院の中は温度変化がないので全くわかりません。むしろ寒いくらい。やはり夏は暑さを楽しみたい。
ベッドは窓際ですが、西側なので太陽は見えず、東側とは朝は全く違います。

昨日と同じように5時起床し、朝のルーチンを終えて、朝の回診を待ちながら昨日の湯島のオープンカフェの報告を投稿。
今日から朝食がありますが、その前のルーチンに廊下散歩を加えました。
往復4回、ほぼ600メートル。急ぎ足で歩くとちょっと汗が出る感じです。
今日から、これを毎日4回。

8時半ころ、加藤医師の回診。MRI画像からは胆石は見つからないが、たぶん今回も胆石性膵炎のようだとのこと。迷っていた胆嚢摘出は、加藤医師に一任することにした。彼なら安心。ともかく説明が明確。ただ今回はやめて、改めて入院することにしました。

昨日までと違い、気持ちが前に向きだすといろいろと動き出します。
廊下散歩2回目を終えて、11時にシャワー。気分一新。

これから昼食ですが、今日から三分粥。五分、七分、全粥と進んで土曜日には普通のご飯が食べられる予定。いまのところ異常は出ていない。
ナースによれば、今日の外は蒸している様子。それを聞くとエアコンのきいた病室はやはり楽。彼女は昨日まで北海道旅行だったそうですが、しばらく前までわが家近くの船戸に住んでいたそうです。ナースやスタッフはやはり近隣の人が多そうです。

さて午後から何がやれるでしょうか。

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■節子への挽歌6048:兄への悔いを残さないように何ができるか

節子

病院での状況は、時評編に「急性膵炎入院報告」に書くようにします。

昨日は兄が見舞いに来ました。兄は心配性ですので、私の顔を見て安心したと言いました。おそらく私が自分より先に行くのを心配しているのでしょうが、私からすればいささか心配過剰です。高齢になれば、いつ何が起こるかはわかりませんので、入院したくらいで心配していたらきりがない。
しかし、兄は私と違って、まだ死の経験がない。もちろん私もまだ死んだことはありませんが、私と同心一体な存在である節子を見送っているので、気分的には死の体験を済ませているのです。と言っても誰もわかってはくれないでしょうが。だから死がさほど異常のことではないし、死後の世界にもなんとなく親しみもある。

その兄ももう90を超えました。
でも元気です。たぶん私よりも元気かもしれない。しかし明らかに心情では私の方が元気です。
私自身は父母や兄へは心配をかけ通しの上に、なにもできなくて、今思えば悔いばかり残っています。
兄はまだいるので、その悔いを少なくするためにできることはあるのでしょうが、どうもうまくいきません。
家族というのは実に不思議です。

 

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■湯島サロン「あはれなる民からの真の独立への道」の再案内

私の入院で延期にさせてもらっていた北京一さんのサロン「あはれなる民からの真の独立への道」を721日に開催させてもらいます。
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

■湯島サロン「あはれなる民からの真の独立への道」の再案内

「平和」を考えるサロンの3回目は、予告通り、前回の折原さんの問題提起を受けて、「非武装平和国家に向けての実践的な提案」をテーマに取り上げます。問題提起して下さるのは、ん倶楽部社会構想研究室の北京一さんです。タイトルは「あはれなる民からの真の独立への道」。3月のN'da Haさんの「厭わしき民と平等」にもつづく、「民に焦点を当てた」問題提起になりそうです。

北京一さんからのメッセージです。

「あはれ」は日本人を自認する者にとって危ないことばだ。それが喚起する情念は端的には悲哀や憐憫といった悲しみや憂いだけでなく、たとえそれが前面に出ていてもその背後や底にしみじみとした美的心情を宿している。わたしたちこの文化のなかで暮らしてきた人はその情感に接することで民草としての精神浄化をなす術をそれと知らずに身につけている。そのいわば忍びの術はときにこれぞ「天晴れ」と転じてみせることもある。そうしてわれら天晴れな民として、してやったりの恨み返しをしたつもりになり、その隷従道徳下の狡智に自己放下の悟りをえて昇華してしまうこともある。そうしたうすら寒い冷笑の典型をわたし北は素知らぬ顔した安保寄生=亜米公隷属=琉球植民という平和仮面をまとったわれらにみる。

 惨めじゃないか。惨めすぎる。たとえわれらが人類史においてずっと体制支配から逃げつづけてきた虚弱なネアンデルタールたちの子孫であったとしても、われらはあの大きく眩しく輝くおてんとうさまに希望を託し、天道を追い歩んできた遺伝子を引き継いで来たのではなかったか。だからこの先はそんな卑屈な裏返しのあっぱれではなく、正面切っての天晴れを選びとらねばならないのではないか。

 今回はこの湯島サロンの場で、改めてつぎのふたつのことを問いたい。

1】戦争を知らない子どもたちは、かつての過ちたる戦争と、その結果に関して真っ当に反応できる(背負える、さらには引き受ける)何をもっているのだろうか?

2】その裏返しの一面でもある、結果振り落ちてきた宝とするものを、その宝としての価値がもはや失墜している現実に見合うべく新宝をつくろうとする動きが具体化したとき、いまだその宝のもとにあるわたしたちがとるべき選択のかたちになにを描くのか?

以上が北さんからの問題提起です。

北さんは、この2つの問いへの応答のさまざまなかたちを交わしながら、「あはれなる民からの真の独立への道」、それは百年前のインド、あのガンジーのことも重ね描きさせつつ、いまのわたしたち自身が目前にみている岐路を思い描く試みにしたいと考えています。

「民」である前に「人」であることを目指している私としては、タイトルの「民からの真の独立」に惹かれます。それこそが、平和の起点だと思っていますので。私たち一人ひとりの生き方を質されるような、リアルなサロンになりそうで、ワクワクします。

2時間では収まりそうもなく、また1時間ほどサロンは延びるかもしれませんが、よろしくお願いします。

〇日時:2024年7月21日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「あはれなる民からの真の独立への道」
〇問題提起者:北 京一さん(ん倶楽部社会構想研究室)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■6月オープンカフェの報告

湯島のオープンカフェの2回目は、残念ながら私は入院中で参加できませんでした。

しかし一番乗りは何と7時半。その人がモーニングサービスを用意してくれました。
参加していないので正確にはわからないのですが、お昼ごろには盛り上がりだし、誰かさんの用意したカレーライスサービスもあったようです。午後には参加者もまた増えたようで、盛り上がっている写真が病院で点滴を受けながら絶食している私にまで送られてきました。
予告通り、メダカの無料配布もあり、私は参加できなかったので湯島用はもらえませんでしたが、ワンセットは引き取られたそうです。

参加した人から、「時間の経過を忘れるほど楽しい時間でした」とメールが来ました。この人は、時々サロンに来る人ですが今回は4人の初対面の人と出会ったようです。
途中やってきてくれた人が持ってきてくれたカレーもランチに食べたそうで、みんなで食べている写真も送られてきました。それに初対面の一人は同世代で、子供時代に同じ地域でザリガニ獲りをしていたそうです。湯島でよく起こることですが。

というわけで今回もいろんな手ごたえというか可能性を気づかせてくれたオープンカフェでした。

私が目指している「コミュニティ」が少し見えてきた気がします。こうした、そこに行くと、気ごころ許せる「ゆるいつながりなる人」に出会い、ホスピタリティをシェアできる場。そういう場が各地に生まれると、そしてそうした「場」を核にして、さまざまなコミュニティがさらにゆるやかにつながっていけばと思います。

私にとっては、たどり着くんがいささか遅くなったのが残念です。
いずれにしろ、私がいなくても湯島のサロンは成り立つことが確証されてきました。
でもまあ、私も参加したいので、次回は病院などにいないで参加しようと思います。

何人参加したのか確認できていませんが、参加者のみなさん、ありがとうございました。

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2024/06/24

■湯島サロン「先見と実践~地方自治体におけるリーダーシップ論」のご案内

国政の状況は相変わらずですが、最近の地方自治体における政治状況は大きく変わりつつあります。そうした実状に目を向けながら、政治にかかわるサロンを何回か開催したいと思います。
その第1回として、元開成町町長の露木順一さんに久しぶりにサロンをやってもらうことになりました。

「人口戦略会議」が4月全国1700余りの地方自治体の持続可能性データを10年ぶりに改訂し発表しました。2050年段階で774の自治体が消滅可能性があるという衝撃的な内容です。

神奈川県西部地域では世界的観光地の箱根町をはじめ湯河原町、真鶴町、山北町、中井町5町の消滅可能性が指摘されました。しかし、そうしたなかで、そこに隣接する開成町は消滅ではなく持続可能性都市となっています。たとえば、女性が一生の間に産む赤ちゃんの数を示す合計特殊出生率は1.47で神奈川県トップです。

どうしてその違いが生じたのか。奇跡ともいえるこの現象を読み解くには、地方自治体における首長の役割に注目する必要がある、と露木さんは言います。
国政レベルでの人口減少・少子高齢化対策は難航していますが、流れをけるヒントはまさに現場にあるのかもしれません。
実際にいま、全国の地方自治体で新しい動きが起こっています。その動きをきちんと踏まえて予測すれば、「人口戦略会議」の予測も変わるでしょう。マクロなデータだけからは見えてこないことがたくさんある。

神奈川県の開成町は小田原に隣接する人口2万人弱の町ですが、露木町長時代、景観と開発保全のバランスをとったまちづくりを実践し、人口増加、子供の数の増加が定着基調となり現在に続いています。

 

今回は、開成町の町長を務めた露木順一さんに、開成町の奇跡がなぜ実現したかの秘密をお話しいただき、それを踏まえて、地方自治体の視点から人口減少・少子高齢化を脱却する糸口に向けての示唆をいただこうと思います。

大切なのは、首長のリーダーシップのあり方ですが、それは同時に、住民の姿勢にもつながっています。
地方政治の現状は、いまなおポピュリズムが横行し財源なきバラマキで問題解決を図る指向性が顕著ですが、このままでは地方はさらに衰退し結果的に国も亡ぶ最悪のシナリオになりかねないと露木さんは考えています。

幸いに各地で新しい動きも出てきていますが、まだまだ大きな流れを変えるには至っていません。住民としてもそうした各地での動きをしっかりと把握し、バラマキに象徴されるような安易なポピュリズムに流されないように、しっかりした意識を持つ必要があります。

各地で地域活動に取り組んでいる人や地方自治体の首長をめざす地方議員のみなさんにもぜひ参加していただきたいサロンです。
もちろんまちづくりに取り組んでいる方々にもぜひご参加いただきたいです。

〇日時:2024年7月14日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「先見と実践~地方自治体におけるリーダーシップ論」
〇問題提起者:露木順一さん(元開成町町長/地域活性化協議会「根っこの会」代表)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■急性膵炎入院報告6:今日からお粥がでるそうです

入院5日目。今日も晴れそう。青空が見えそうです。

5時起床で朝のルーチンを完了。
ともかく空腹感からか、力が出ない。

それと1時間おきのトイレも落ち着かない。
前回は、この1時間おきのトイレはなかった。
ということは、点滴も違っていたのかと気づいて、思い出したのが2年前の入院時も毎日報告を書いていたこと。それを読んでみようと以前のブログを読んでみた。
だいぶ違うことがわかった。

まだきちんと読んでいないのですが、いろんな違いがあるが、病院の違いも大きい。
やはり病院は選んだほうがいい。

やることもなくうとうとしていたら、加藤医師がきて、採血した血液の解析結果がいいのでお昼からお粥を出すとの連絡。
うれしい限り。状況は変化しそう。

ところで今日は、湯島はオープンカフェです。
午前8時から午後8時まで誰でも使える日なのです。

朝は、Tさんが7時半から湯島に行って、準備してくれています。モーニングサービス用のパンを買い込んだり、希望者に配布するメダカを持ち込んだりしています。
Tさんも今日は人間ドックの予定なので、用意終了後、病院に行くそうです。
これにヒントうぇて、今度は早朝サロンカフェを企画しようと思います。朝7時から8時半、つまり会社勤務前のモーニングサービス付きサロンです。

お粥が食べられるだけで状況は一変します。
昨夜はやはり本も読めませんでしたが、たぶん本も読めるでしょう。

たくさんの人たちからのエールのおかげです。
ただただ感謝。
それにしても2年前の記録を読んで気づくのは、体験を活かしていない自らの愚かさです。本当に困ったものです。

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■節子への挽歌6047:朝のルーチンを終えるともうやることがない

節子

入院5日目です。
昨日は1日中、ベッドの上でうとうとしていた気がします。
ともかく何もやることがない。そのうえ、やる気も起きない。

仕方なく、入院報告をFB2回もアップしました。
加えて、前から予定していた開成町の元町長のサロンの案内を起案し、露木さんの確認を得てから案内を開始しました。

ユカにもってきてもらった本も読みだしたのですが、どうも頭に入っていかない。
諦めました。

今日はもしかしたら兄が来るそうですが、ユカも洗濯もの交換で来てくれます。まあしかし退屈しのぎにはならない。
歩かないと足腰が弱まるというので、歩くのがいいのですが、歩くところがない。
というわけでまあ、1日中、ベッドの上で過ごすことになる

今朝も朝5時に起床、洗面と髭剃りだけはしっかりしました。
パソコンを開くとまた永田さんから長いメール。
彼との交流が20年以上途切れていたのはやはりちょっと残念でした。
私とは違った種類の詩人ですが。

今日は曇りです。雨は降っていない。静かな朝です。

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2024/06/23

■急性膵炎入院報告5:ナースの触診

今日は2回目の報告です。
日曜なので病院もゆっくりです。病室を変わったため若い人や点滴中の人も多く、人間の声が聞こえるので心が和みます。

雨のせいか寒いので、かけ布団を1枚追加してもらいました。何も食べてないせいか、寒さを感じやすい。病室は常に冷風が流れているので私には苦手なのです。それに設定温度が私からすればいつもやや低い。私はともかく温かな感じが好きですが、最近はどこもかしこも「涼しさ」が基調です。

昨日、娘に本を持ってきてもらいました。
山口尚さんの「人が人を罰するということ」(ちくま新書)。先日のブックサロンで小坂井さんの社会心理学講義が話題になりましたが、それもあって読もうと思ったのです。
しかし読みだしたら、やはりダメ。まだ読む気が起きない。

10時半にナースの定期回診。初めてのナースですが、触診と舌診をしてくれました。
まずは触診。特に硬さも異常も感じられず、動きもはっきりしていると言います。舌も観てもらいました。これはすい臓というよりも胃のせいではないかと言います。医師と同じ判断です。でもいろいろ教えてもらいました。

彼女が言うには、ナースはみんなできれば触診などゆっくり患者と接したいのだが、なかなかそれができないのだそうです。今日は日曜なのでゆっくりしているのでそれが可能なのだそうです。

本を読む気は起きないので、サロンの案内文を起案し、話し手に確認することにしました。
それと7月13日予定の我孫子での「あびあすサロン」もその後、案内など全くしていないのでもしかしたら延期と思う人もいるかと思い、改めて案内しなければと思っています。昨日、それに気づき、林さんに頼んだたら案内チラシを作ってくれるとのこと。私も案内をきちんとしようと思います。まだメーリングリストとFBだけにしか投稿しておらず、参加申し込みもありませんので、いささか心配です。

とまあ、こんな感じで、日常に戻りだしました。
一方、私の消化器系内臓は4日連休中。彼らにとっては、「何もしないこと」が「休養」なのですが、足腰は「何もしないこと」が必ずしも「休養」ではない。そう考えると、身体の私もまたさまざまなようです。

今回はきちんと完結したいと思います。幸いに主治医とも相性がいいですし、友人たちにこれ以上の迷惑をかけるわけにはいきませんので。

今日はやることがないので2回も報告を書いてしまいましたが、それでもまだ15時。先が長い。がんばって本を読んでみようと思います。

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■急性膵炎入院報告4:今日から少し生活をただします

昨日は寝たかどうかは定かではありませんでしたが、でも何事もなく10時間近くを無為に過ごしました。ただし、その間、10回近くトイレに起きましたが、
ともかく毎日、点滴が300cc以上なのです。

昨日、病室を変わりました、幸いにまた窓際ですが、今度は大きな樹にさえぎられて青空は見えません。また西向きのため太陽とは朝は出会えません。

5時に起床しました、今日は雨。部屋が西向きなので晴れていても太陽には出合えません。大きな樹が窓を覆っていますが、こうやって見ると大きな樹木、「悪魔」にも見えます。濃緑が不気味さを感じさせます。

今日から少し生活に注意しようと思います。
5時起床して歯みがき。そしてお茶いっぱいの朝食。
朝食前には恒例の祈りと反省。それから最初に挽歌を書くことにしました。
妻が亡くなってもう20年近く経ちますが、いまも毎日、挽歌という雑文を書いているのです。これを毎朝のルーチンにしました。
これくらいなら守れるでしょう。

以上が終わったら、後はもう自由です。
昨日、娘に本を持ってきてもらったので、今日は読書もできそうです。

体調はほぼ正常化しています。気になっていた舌の状況も改善方向です。
友人たちから、本気で治せと厳しい言葉が多いので、どうも私の姿勢は「いい加減な対応」ととられているようです。まあ実際に日常的に接している娘も、もう少し真面目にと言いますので、悪いのは私なのかもしれません。

今日は朝の報告になりました。

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■節子への挽歌6046:今日から少し生活をただします

節子

入院4日目です。
昨日、病室を変わりました、幸いにまた窓際ですが、今度は大きな樹にさえぎられて青空は見えません。また西向きのため太陽とは朝は出会えません。

5時に起床しました、今日は雨。大きな樹が窓を覆っていますが、こうやって見ると大きな樹木、「悪魔」にも見えますね。大きな樹木に「悪魔」を感じたのは今朝が初めてです。
昨日の状況は時評編に「急性膵炎入院報告」として書いていますが、順調に治療は進んでいるようで、うまくいけば来週からおかゆが食べられるかもしれません。
空腹感はそれなりにつらいばかりではなく、食事がないと病院では何のイベントもないのです。

昨夜から少しだけ本を読む気になってきましたが、実際に読みだすとやはりだめ。
昨夜はただただ横になっていました。
今朝がた、不思議な夢を見たような気がしますが、起きだしたすっかり忘れていまはもう思い出せない。

今日から少し生活に注意しようと思います。

5時起床して歯みがき。そしてお茶いっぱいの朝食。
朝食前には恒例の祈りと反省。それから最初に挽歌を書くことにしました。
これを毎朝のルーチンにしました。

これくらいなら守れるでしょう。
ネットチェック、といってもFBとメールだけですが。
もっとも入院後は、ともかくやることがないので、昼夜を問わずスマホでチェックしているので新しいものありません。
そこでまずは挽歌をブログに投稿し、もし長い返信がしたくなったメールに応えることしました。
私はスマホは苦手なので、音声入力ですが、誤字誤植が多すぎて長いものは苦手なのです。

以上が終わったら、後はもう自由ですが、今日から日中のルーチンも見つけようと思います。

今日は日曜なので静かな1日になるでしょう。
雨なんと大きな緑の悪魔に覆われているのがちょっと気にありますが。

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2024/06/22

■急性膵炎入院報3:状況は急速に改善しているそうです(20240621)

入院3日間。前回とは違い、今回はどうも元気が出ない。
やはり2歳の歳の差のせいかもしれません。
体調はほとんど異常なしまで回復しましたが、ともかくトイレの回数が多く、1時間おきに行く有様です。これはかなり面倒です。眠っている暇がない。
舌の状況もまだ同じです。

6時に起床。雲はあるものの青空です。
これで流れが変わるでしょう。
8時の朝食も私には縁がない。
良い香りでほんの少し飢えをしのげただけです。

主治医が回診に来て、昨日の検査結果では症状は急速に回復に向かっているとのこと。
水もお茶も飲んでもいいという許可が出ました。
トイレはやはり仕方がないとのこと。

同室のおひとりは今日退院しました。
認知症気味で耳も遠いので、大きな声でのナースたちとのやりとりも大変です。
福祉施設で発生する虐待事件は、たぶん起こるべくして起こるのでしょう。
何が一番いい対策なのか、妙案はわかりませんが、ポイントは「おもしろ楽しく」かもしれません。この病院のスタッフたちはみんな明るく元気です。ともかく笑いが多い。

今朝気づいたのですが、この病棟では点滴を受けている人は少なく、点滴しながら歩いているのは私だけです。あまり歩いている人はないのは高齢者が多いからでしょう。私も今回はほとんど歩いていない。
退院後の足腰が心配ですが、これはたぶん病棟のレイアウトと関係しています。
歩きたくなる病院というのがあってもいい。ちなみに、一度だけ別の病棟にまで行ってみましたが、歩きづらい。

10時半、朝の血圧があまりに高かったので再検査。私にとっての正常値の16090
ナースによれば、週明けからもしかしたら食べられるかもしれないと言います。もしそうなら前回とはかなり違います。いや、前回もそうだったかな? 記憶があまり明確ではない。

ともかくひたすら点滴。
ところが午後2時にナースが来て、病室を変更してほしいとのこと。
いまの病室はナースセンターの真ん前なので、どうやら手のかかる患者が入院することになったようで、今度はナースセンターから一番遠い病室に移動することになった。幸いに窓側。ただし外は大きな樹が見えるが空が見えないのが残念。でもメリットはトイレから遠いこと。つまり努力しなくても歩くことになるので足腰にはいいはずです。
こちらの病室の人は私より若い人ばかりで雰囲気は一変。生活の音がします。

病室移動後、娘がお茶を持ってきてくれました。
今日はこれから孫と畑にかぼちゃを受けに行ってくれるそうです。

サロンの再手配などして一応、ほぼすべての対応を完了。
まだ本を読む気が起きてきませんが、ちょっと落ち着けた感じ。

5時、夜間担当の看護師が来ました。私の知っている鈴木さんではないかと思うほど、で元気で明るい女性。そういえば鈴木さんも看護師だったから、鈴木さんかもしれないと思ったほどでした。明るい声で元気になったと、つい口に出てしまいました。
余計な一言を、つい抑えられない。

みんなの楽しみの夕食もないので、もう寝てしまおうと思います。
よい香りがしてこないうちに眠れるといいのですが。

 

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■第34回万葉集サロン「開かれる自己 言葉の主体を求めて」報告

「帰化人の歌を読む」シリーズも3回目を迎えました。

今回は、土師宿禰水道「覆らば覆れ」(4-557)、秦許遍麿「妹挿頭都」(8-1590)、吉田連宜「長恋」(5-864)の歌を中心に、そこで使われている言葉が取り上げられました。そして帰化人とのやりとりを通して、日本列島に先住していた倭人の言葉や意識がどんな変化をしていったか、を読み解いてくれました。

話は意外にも、『枕草子』の「春はあけぼの」と夏目漱石の『吾輩は猫である』から始まりました。明確な主語がない文章が日本語には多いと言われますが、その事例を平安文学と近代文学の中から示してくれたのです。
明確な主語がない文章が成り立つ社会は、まだ神がいる社会かもしれません。そこでは、言葉には呪術性があり、言葉を発した者さえもが制約される。言葉の主体は、必ずしも発した本人にあるとは限らない。万葉集の初期の時代は、まさにそんな時代だったかもしれません。

しかし、そうした社会に新たにやってきた帰化人は、仲間ではないので自らをしっかりと主張しないわけにはいかない。そうしたなかから、「た」と「な」の世界から「わ」が生まれだしていく。

ちなみに、「帰化人」と言ってもその内容は多様です。そもそも大陸や半島と日本列島の往来の歴史は古い。いやそもそも大陸や半島と日本列島の違いなどなく、ともかくそこをみんなが往来していた。最近の考古学の知見では、かつての人の行動鼻には予想以上に広いのです。そして往来も激しい。
でもいつの間にか大陸や半島と日本列島のそれぞれにあるそれぞれにあるまとまりのある社会が育ちだし、いずれの時代からか、「渡来」とか「帰化」とかという発想が生まれたのでしょう。
したがって、空間的な違いを見ることで、時間的な変化が読み取れることになる。
ということは、「帰化人」の歌を通して、日本人の意識の変化を読み解けるということです。

今回は3人の帰化人の歌を読みながら、同じ言葉でも、微妙な意味の違いなどを気づかせてもらいました。またそれと対比的な言葉の使い方を、有名な梅花の宴の32首などで対比してくれました。
それをきちんと紹介するのは私に能力を超えるので、今回は、升田さんにタイトルの「開かれる自己 言葉の主体を求めて」の要旨をまとめてもらいました。

以下は、升田さんの要約です。本当はこれをベースに報告を書くようにということでしたが、私が緊急入院してしまい、これも病室のベッドで書いているので、升田さんからもらったものをそのまま引用させてもらいます。お許しください。

万葉集のなかの帰化人の歌を読むと、倭歌(倭言葉)との間に語意語感上のズレを抱えている表現が多い。
そこから読み解いて行くと、そのズレこそが奈良時代の日本人と帰化人(主として朝鮮半島の人々)との異質な言語感を共有しながらも自由で豊かな交流を果たした原点があるとして視野に入ってくる。

倭歌や日本人の上にやがてやってくる変化の兆しを感じる。
言葉と声による「言霊」、「声の力」、「言葉の力」。
集団の共同幻想。

言葉の違いは思想の違いにも通じるものだが、万葉集の彼らの言葉のズレは、日本人が「た」の中で「わ」を緩やかに融合共生させているのに対し(無主語の問題を想起する)、「た」の中で「わ」を主体として表出する意識をあからさまにする帰化人たちの生きざまが見えてくる。それを個性と呼んでも良いかもしれないが、万葉人に大いに刺激を与えたことであろう。
大伴家持が到達した「孤愁」の詩境も彼らと無縁では無いはずである。

いわゆる国風暗黒時代の約100年を経て隆盛をみる「平安和歌」は、「主体を朧化させるところに優雅な美を見出だす」歌風へと発展して、後々まで日本人の、世界に類を見ない短詩形叙情詩として今に引き継ぐことになる。     

「歌合」に興じた平安の歌人たち。「合わせる」の意味は剣道の手合わせではないが文字通り闘わせることとして、負けたことを恥じて行方をくらました者もいた。古代にも「歌垣」があったし戦闘歌謡「歌闘(うただたかい)」があったがそれとは根本的に土壌が違う。

何によれ異質なものとの出会いは新しい命を生む衝撃的な契機となることを、万葉集は語っているように思う。

以上が升田さんがまとめてくれたものです。

万葉和歌から平安和歌までに広がる、「国風文化」の誕生が凝縮されているととともに、「た」と「わ」と「な」の、この万葉集サロンのテーマが、さらに大きく語られている気がします。

言葉は異質なものの触れ合いの中でこそ、育っていく。
万葉の時代の日本列島は、閉じた狭い空間に、多様な人たちが群れ合って、多様な言葉(話し言葉も文字言葉も)で競い合っていた、いわば「言語のるつぼ」だったのかもしれません。豊かな「方言」もたくさんあったはずです。日本語にオノマトペが多いのはそのせいかもしれません。そんな中で生まれた、「和歌」の本質が少し垣間見えたような気がします。

 

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■節子への挽歌6045:朝の祈り

節子

病院3日目。
今回はただただ病床に寝ている毎日です。
ともかく何かをやろうという気が出てこないのです。

今日は雨も止んで、青空が見えます。そういえば、最近にも新聞にも全く触れていない。
世間の動きへの関心も、いまは頭の外になっているのに気がつきました。

前回は病室の人のことをいろいろと推察しましたが、今回はほとんどそれもしていない。
顔を合わせることがないのも一因ですが、関心があまり出てこない。

前回とは何かが違います。
もしかしたらこれは2年の違いかもしれない。
前回きちんと対処しなかったことの咎めかもしれません。
今回はしっかりと対処しようと思います。

青空が見えるので、今日は少し元気が出てくるでしょう。
医師の診察もあるでしょうから、状況が少しわかるかもしれません。
いい一日でありますように。

そういえば、朝の祈りを忘れていました。
今朝から、空に祈ろうと思います。
すべての人たちの平安を。できれば私の平安も。

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2024/06/21

■節子への挽歌6044:入院2日目

節子

入院2日目です。
詳しくは入院記録の方に書いていますが、今回は入院してよかったです。
前回とは全く違い気がします。
腹痛は消えましたが、やはりどこかおかしい。

病院は前回と違って我孫子東邦病院です。
建物は古いですが、医師とナースたちはとても人間的です。

前立腺がんの時にお世話になったMRI技師の竹森さんともまた会いました。

先ほど、ユカが来てくれていましたが、今回はまたユカにはすっかり世話になってしまうことになりました。
フェイスブックでも入院報告を書いているのでいろんなメッセージが届いています。
その一つ一つが支え合いなっています。

でも今回は、あまりにお腹が減りすぎて、何もする気が起きません。
困ったものです。

 

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■急性膵炎入院報告2:入院2日目20240621

入院2日目です。この病棟は術後の人が多いのだそうです。わりと短期入院の人が多いようです。
昨夜は7回、トイレに起きましたが、よく眠れました。
6時過ぎに毎朝の体温と血圧の測定にナースが回ってきました。
体温は問題なしですが血圧が異常に高い。下は100を超え、上は200を超えている。

そのせいか、今朝はどうも身体がなんとなくおかしい気もします。
いつもより早めに降圧剤を飲みました。
朝食はもちろんなし。雨で青空も見えません。

どこの病院もそうですが、10時近くまではいろいろと騒がしい。

今回は入院してよかったです。
きちんと説明を聞いたこともあって、急性膵炎の危険度も理解できましたが、それよりも実際の私の体調がどことなく正常でないのが今回はわかるのです。
前回よりも状況は悪そうです。

朝に院長が回診に来ました。そして触診し、順調のようで早前に退院できるかもしれないと言ってくれました。主治医は今日は休みですが、いろいろと検査指示を出しているようです。こうしたちょっとした「つながりや動きを感じさせるのある発信」があると、患者としては安心します。

でも午前中は、ともかく絶食と点滴だけですので、やることがない。
今日は私の好きな青空もない。
やることもないので、1時半にシャワー。この病院はお風呂はないのですが、気楽にシャワーは使えます。

しかしやってみて驚いたのですが、絶食続きのためか、シャワーさえもが疲れます。でも頑張って、洗髪しました。
ところがその後、歯を磨こうと口内を見たら驚きました。
舌がとんでもないことになっている。これはいささか問題です。
鏡が手元にないので見ていなかったのです。

シャワー上がりに娘が頼んでおいたものを届けてきてくれました。鏡は間に合わず。
娘が私の顔を見て、黄色いねと言いました。黄疸症状が出始めたとしたらちょっと問題です。やはり鏡は入院には必須です。
洗濯物を持って帰ってもらいました。鏡は明日届けてくれるとのこと。
明日は本も頼みました。

そこからが忙しくなりました。
レントゲンと心電図、そしてMRI。
MRI技師の竹森さんは、前立腺がんの時にお世話になった人です。今回はすい臓、肝臓、胆嚢周りをていねいに撮るので30分ほどかかるので頑張ってと激励されました。
いろんな状況で600枚ほどの写真を撮りました。

結局、私の症状を一番早く知るのは竹森さんですね、と質問しました。
状況はわかっても技師としては何も言えないのでしょう。
竹森さんはとても人間的な人です。こういう人が救いになる。

シャワーの時に舌を見て愕然としましたが、私は影響を受けやすいのです。
娘の黄色発言も含めて、今回はしっかりと状況を受け止めて、入院生活を楽しむことはやめようと思います。

間もなく5時。
みんなには夕食が近づいていますが、私には飢餓感しかありません。
今日はもう寝ようと思います。

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2024/06/20

■節子への挽歌6043:またまた即入院

腹痛もかなり回復したので、もう「即入院」にはならないだろうと思って、今回は我孫子東邦病院に行きました。できればそこから慈恵医大の紹介状をもらって、胆嚢の処置に取り組もうと思ったのです。

ところが、またまた「即入院」と言われました。
ちょっとあすから大切な約束があり、週明けまで待ってもらえないかといったのですが、命を懸けるほどの大切な約束ですか、ときついお言葉。

担当の若い医師の説明は、とても説得力があり、2年前とは全く違う。
1分間考えて、即入院することにしました。
でも明日の役などのキャンセルや関係者への周知など、やっておかねばいけないことがたくさんある。それで2時間の余裕をもらって、自宅に戻り、関係先へ連絡。ほぼ関係者への周知を果たせました。
幸いにユカがいたので助かりました。

3時半に入院。
病室は4人部屋ですが、運よく窓際でした。
空が見える。

また毎日、入院日記を書こうと思います。
詳しくは節子もそちらを見てください。

 

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■急性膵炎入院報告1:また急性膵炎で入院2024062■

お恥ずかしいことに、また急性膵炎です。2年前も軽い気持ちで検査に来たら、即入院。今回はもっと軽い気持ちで検査に来たらやはり即入院。
同じ病気を違う病院で入院体験することになったのですが、そこで標準治療の現場での違いを体験できると思います。これは実に興味あるテーマです。

すでに発見の段階でも少し違いを感じました。
命にかかわるので余裕はないと言われて即入院と言われたのは同じですが、今回はCT画像で丁寧に説明してくれ、さらに即座に「少量の水しか口に入れないよう」と厳しいです。今回は触診もありました。

前回は長期になりそうだと言われ、年を超すかもと言われましたが(入院したのは10月)、今回は2週間が目安。期間が指定されると安心感が持てます。
ともかく処置は「点滴」と「絶食」だと明確に指示され、水さえあまり飲まないようにと言われました。

3時半に入院し、4時半ころから3つの点滴がスタート。抗生物質と抑膵炎薬と水分。
例によって、私には針を刺すのが難しく、苦労していました。
6時から他の人は夕食ですが、私にはありません。これはけっこうつらい。
ひたすら点滴を受け、寝るだけの毎日です。

この病院にはお風呂はありません。シャワーだけ。
消灯は9時です。
私は4人部屋に入室。運よく窓際です。寝ていて空が見えるのは何よりの救いです
同室の人はみんな静かです。私が一番健康のようです。でも緊急の人はいなさそうです。

それにしてもお腹が空きました。
急いでいたので、読む本も持ってきていません。
坂谷さんから急性膵炎は床上安静が大切だとアドバイスがありましたので、今回は静かな入院生活を心がけようと思います。

東邦病院は古い病院ですが、この病棟は2年半ほど前に改装したそうです。
ナースの一人が見た目はよくなったと笑っていましたが、その意味はなんとなく分からないでもない。たとえば窓の立て付けが悪い。

まだ入院後3時間ほどなので、まだ様子はわかりません。
でも空腹はつのっていますが、腹痛やお腹の違和感はほぼ解消されました。
夕方、担当の医師(加藤礼さん)がやってきました。お腹の触診をして、来た時より良くなったと言ってくれました。それだけで元気が出る。

ただ私自身は、やることと言えば、スマホでのやりとりだけ。
おかげで明日からの予定の関係者にあほぼ連絡がつきました。
まあこれで一安心です。
いろいろと考えているうちに9時の消灯。

結構疲れた1日でした。
この病院にはWi-Fiはないのですが、テザリングの方法を教わったので、毎日2回。ネットにつなごうと思っています。

 

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■節子への挽歌6042:今日は病院に行けるといいのですが

節子

今日こそすっきりと起きられると期待していましたが、まだ身体の具合はあまりよくない。困ったものです。今日は熱がなかったら病院に行こうと思います。いまのところは平熱です。

我孫子での新しい企画「あすあびサロン」の準備が全くできていません。参加もす込みもほとんどない。きちんと案内をしていかなければいけませんが、それができていない。
湯島のサロンも後2回ほどで、7月に入ってからのサロンの企画ができていない。
TO DOリストはどんどん長くなるばかりで減っていかない。

一番の懸念課題は畑です。
頑張って種まきを畑面積もだいぶ作ったのですが、さすがに畑に行けないので、このまま梅雨入りすれば、もう野草の世界です。
今年もここで挫折かもしれません。

そうならないように、昨日も夕方無理して畑に行きました、とても作業などできる状況ではない。
高々500メートルほどの道をふらふらと歩いていき、畑に上ろうとしたら(畑は道からかなり高いのです)、転んでしまった。それでさすがに無理だなと思い戻ってきましたが、それだけでも疲れ切った気がしました。

今朝はいつも通りに起きて、パソコンに向かいましたが、まだ身体を動かす気にならない。
これは歳のせいなのか、消化器系の問題なのか、放射線治療の影響なのか、酷暑のせいなのか。
いずれにしろ今日で終わらせないとさらに長引きそうです。

気持ちのいい朝なのですが。

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2024/06/19

■節子への挽歌6041:皆さんに体調を心配される生き方

節子

今日は病院に行こうと思っていましたが、病院の担当医師を調べたら、今日は循環器系の医師で、消化器系の医師の担当日は明日のようです。
それをいいことに今日は病院をやめました。
それに状況はだいぶ良くなってきています。
ベッドからは脱出し、リビングのソファで過ごすことにしました。
少しですが、本を読む気力も出てきました。

山形の一大さんが、恒例のサクランボを送ってきてくれました。
彼とはそれこそ20年以上前に仕事で接点を持ったのですが、律儀にこうして毎年サクランボを送ってくる。
電話しましたが、留守でした。

近くの青木さんはサニーレタスを持ってきてくれました。
ありがたいことです。
敦賀の義姉も野菜を送ってきてくれました。ニンジンがなかったのが残念ですが。

お見舞いメールも来ます。
その一つに、こんなことが書き添えられていました。

皆さんに体調を心配される生き方をされてきたのは大事なことだと思います。

元気づけられると同時に、やはり病院に行かないといけないかなと思います。
明日は病院に行こうと思います。

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2024/06/18

■第2回ブックサロン報告

ブックサロンの2回目は、小坂井敏晶さんの「社会心理学講義」と向田邦子さんと須賀敦子さんのエッセイが取り上げられました。

Book2
まずは大塚芽生さんが、何回も何回も読んで、生き方にも影響をもらっているという向田邦子さんの「夜中の薔薇」のなかの「手袋をさがす」を紹介してくれました。
寒くても、「気に入った手袋が見つからないから」手袋をしない、という生き方とあんまり気に入らないけれども寒いので手袋をする生き方。どちらが幸せな生き方だろう。
まあ極めて簡単に言えば、そういう問いかけをしてくるエッセイですが、もちろんそんなシンプルな問いかけで終わっているわけではありません。

私は向田さんの作品を意識的に読んだことがなかったのですが、このサロンのおかげ、読ませてもらいました。新しい河出文庫版では爆笑問題の太田光さんが解説を書いていますが、それを読んで、「手袋をさがす」を2回、読みなおしました。大塚さんの思いがなんとなく伝わってくる。というか、私も繰り返し読んだ作品のことを思い出しました。私も別の作品からではありますが、たぶん生き方を問われていたのです。

参加者のおひとりは、高校2年生のころからの愛読者でいまなお大事にしているそうです。それほどの愛読書を持たない私は、少しうらやましい気もしました。

もう一人の須賀敦子さんも、「夜中の薔薇」ファンのおふたりは素晴らしいと話していました。たしかに素晴らしい。私も少し読んでみましたが、でもこちらは私には面白いだけで終わってしまいました。
ちなみに男性の参加者は、あまり読んでいなさそうでした。
そもそも男女では、どうも読書ジャンルも違うようです。

後半は遠山さんによる「社会心理学講義」の紹介。かなり密度が高く常識否定的な、このテキストをどう紹介するのかとても興味がありました。
私は、小坂井さんの考えや生き方には共感しているのですが、それをアリスト哲学が好きな遠山さんがどう解釈するのかにも興味がありました。遠山さんも直前まで苦労したようですが、結局、本書の第10章「少数派の力」を中心に解説してくれました。おそらく初めて聞いた人には難しかったように思いますが、正統的な考えや「常識」とは違った視点で、社会が変わっていくことを解析していること、有名な文献での知識に依存していては主体的には生きていけないのではないかというメッセージをなんとなく受け止めたかもしれません。「犯罪とは何か」「正義とは何か」を考える上での視野を広げてくれるような気がします。
そもそも「学問」や「知」は、現状維持のためにあるのか、現状改善のためにあるのか、そうした問題にまでつながるメッセージのような気がします。

本書の副題は「開かれた社会と閉ざされた社会」です。この意味は、小坂井さんにとっては、本質的な問いかけです。
遠山さんからも解説がありましたが、本書にはこんな文章があります。
「開かれた系として社会を理解するとは同時に、普遍的価値の定立が不可能だと認めることです。殺人や強姦の禁止なども含めて、すべてが相対化される。たった一つでも普遍的価値が存在すれば、それは閉ざされた社会です」(382頁)。

「開かれた社会とは、社会内に生まれる逸脱者の正否を当該社会の論理では決められないという意味です」(43頁)。

つまり社会が開かれているとすれば、まだ「知らないこと」があるので、すべてが相対化され、真理や普遍的価値は存在しない。これは近代の思想や科学の思想には合わないでしょう。真理や普遍的価値がないにもかかわらず、社会を秩序化していくためには、虚構の真理や正義や制度を構築していかなければいけません。そして私たちも、たとえば、同調圧力を踏まえて生きていかなければいけない。
ちなみに、ここでいう「知らないこと」への関心こそが「少数派」の力ではないか、と私は受け止めています。

ちょっと長くなってしまいましたが、それでもたぶん小坂井さんのメッセージはうまく理解できないと思います。なにしろ「テキスト」ですから。
そこでこの書籍に関しては、これから数回にわたって遠山さんに解説してもらいながら、みんなで話し合う「研究会的」サロンをやることになりました。

今回は参加者がそれぞれ推薦書籍を出し合うセッションはありませんでした。
次回、取り上げる本や紹介者はまだ決まっていません。どなたか手をあげてくれませんか。

 

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■節子への挽歌6040:今日も1日ベッド

節子

今日も一日、臥せっていました。
思っていた以上に状況はよくないようです。
病院に行こうかどうか迷っていますが、また「即入院」ということになりかねないので躊躇しています。
それに微熱さえ出てきて、発熱外来に回される可能性もある。
今日は、あまた1日、ベッドです。

なにもやる気が起きてこない。
思考力もない。

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2024/06/17

■節子への挽歌6039:1日中、寝ていました

節子

今日もいささか辛い一日でした。
それで1日、ベッドで寝ていました。
でも最悪状況は脱していますので、このまましばらく寝ていたら大丈夫でしょう。

いくつかの要因が考えられますが、いずれもあまり楽しいものではありません。

でもこうやって1日、ベッドにいたのは何十年ぶりでしょうか。

 

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■第4回中国現代文学サロン「徐則臣『もし大雪で門が閉ざされていたら』」報告

第4回中国現代文学サロンは、徐則臣さんの「もし大雪で門が閉ざされていたら」(「現代中国文学」19号収載)を取り上げました。案内役は中国現代文学翻訳会の葉紅さん(駿河台大学教授)。

前回までの2作品は、いずれも都会で働く「農民工」の話でしたが、今回は北京に憧れて、地方からやってきた若者たちが主役の話です。中国では北京に漂う人という意味で、「京漂」と呼ぶのだそうです。

前回読んだ作品の主人公の農民工は貧しいながらも生活の基盤があり、きちんとした仕事にもついていますが、「京漂」たちは、都市戸簿もないため、まともなアルバイトもできず、結局は都会には定着できずにまた故郷に戻っていく人も多いようです。
仕事も、証書の偽造や販売などの不法な仕事であり、したがって生活環境も、たとえば今回の作品の登場人物たちは、3人で一部屋に暮らしているという状況。違法ともいえる仕事をしています。

その3人が、鳩を捕まえて食べてしまったことから、その鳩の持ち主と交流が始まるのですが、その鳩の持ち主もまた、「南からきた京漂」です。そして彼もまた3人と一緒に暮らすようになるのですが、その触れ合いの中で、3人は変わってく。

これだけでは何のことかわからないでしょうが、本作品の出だしは「宝来が殴られて頭をヤラれ、花街に帰った後、北京の冬はすぐにやって来た」です。宝来は3人の京漂の仲間です。その後、「南からきた京漂」(林と言います)が3人の仲間になるのですが、雪のために死んだ林さんの鳩を「鳩をどっかに埋めてくるよ」で、この作品は終わっています。3人が林さんと知り合ったのは、3人が林さんの鳩を打ち落として食べてしまったからなのですが。
鳩を食べていた3人の京漂が、鳩を悼むようになり、暴力の町は思い合うようになった。その直接の契機は「大雪」で門が開かなかったから。

ますます訳が分からない説明になっていますが、本作品を読めば、その流れがたぶんわかります。そしてそこに込められたさまざまなメッセージも。

葉紅さんは、まず、4人の登場人物を整理してくれました。加えて、訳し方が文章に直訳すぎていて文意がきちんと伝わらないようなところを、丁寧に解説してくれました。これがとても示唆に富むものでした。
文章単位で訳してしまうと意味が伝わりにくいことがあるのは、日本語と中国語の思考の単位が違っているからかもしれません。段落(パラグラフ)ごとに大意を掴むと意味がさらによくわかるという事例をいくつか説明してくれました。日本語と中国語の文章構成の違いがこうしたところに出ているのかもしれません。欧米の翻訳書がわかりにくいのも、こんなところに理由があるのかもしれません。

こうした説明を聞いたうえで、改めて作品を読むと、さらにいろんなことが読みとれます。タイトルの「もし大雪で門が閉ざされていたら」にも、象徴的な意味が込められていますが、その受け取り方も変わってくる。

葉紅さんの解説の後のみんなでの話し合いも興味深いものがありました。
同じ作品でも受け取り方は大きく違いますので、他の人の感想はとても興味深い。

「鳩」は「京漂」たちを象徴しているのですが、その「鳩」と「雪」、さらに「門」の三題噺だと受け止めて読みなおしてみると、また違ったメッセージを受け止められるような気がしました。
参加者のおひとりが、この「門」は「天安門」ではないかと指摘されましたが、そこまで考えていなかった私は、その一言で、この作品の意味が一変してしまったような気もしました。
読み方によっては、最後の一文の意味が、暗くもなれば明るくもなる。

でもこうして説明しても、読んでいない人には何も伝わらないでしょうね。すみません。ブックサロンの報告は難しい。作品を掲載して本は湯島にありますので気が向いてら読んでみてください。

ちなみに私は、この作品から「プレカリアート」と言われる、新しい貧困者たちのことを思っていましました。経済的貧しさに立ち向かうために、かつては「支え合い」や「思い合い」の人のつながりがあった。貧しいながらも、身を寄せ合って生きる仲間(コモンズ)がいた。でも最近は経済的な貧しさが逆に人のつながりを切っている。それが「プレカリアート」と言われる新しい貧困状況です。
「京漂」たちは、まだ戻れるところがある。人のつながりも回復できる。でも「プレカリアート」には戻れる「居場所」がない。ひきこもる場所さえないのです。経済成長を高めるためには、プレカリアートを増やさないといけない。
昨今の中国からの観光客の言動を見ていると、何やら経済的豊かさの向こうに、「プレカリアート」を見てしまう。日本がそうだったからかもしれません。
ますます舌足らずでわかりにくいですね。すみません。

次回は同じ作者の「養蜂場旅館」(現代中国文学8号 ひつじ書房)を取り上げます。開催日は10月13日(日曜日)です。

「現代中国文学」はアマゾンでも購入できますが、もしご希望の方がいたら、まとめて葉さんに購入してもらいますので、ご希望の方は今月中に私宛ご連絡ください。

中国現代文学サロンは4か月ごとに開催しています。

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■養生宣言

もう聞き飽きたかと思いますが、昨日、完全ダウンしてしまいました。
この2日間、正直、湯島に行くのが辛くて、着いたとたんにいつもソファで寝ていましたが、なにしろ湯島は「来る者は拒まず」空間なので、一人でゆっくりできることはあまり期待できません。寝た途端に誰かがやってくる。

昨日も何とかサロンを終了したのですが、帰りの電車でまた胃痛に襲われました。
無事我孫子につけるか心配でしたが、何とか、到着。娘に駅まで迎えに来てもらい帰宅したのですが、そこですべての緊張が解けたのか、完全ダウン。お昼も食べていなかったので、野菜粥をつくってもらって食べたのがさらなる失策で、胃痛どころか消化器系が完全に停止したような感じで、もうじっとしていられない気分です。

娘は病院も薦めたのですが、こんなときにいったら、2年前と同じく、また「即入院」になりかねない。ともかく耐えることにしました。
でもこんなつらさが毎日つづいたら、生きる意欲も失うだろうなと痛感しました。

ロキソニンも飲んで、4時間ほど、苦悶していたら、ようやく症状は反転の兆しを見せました。それから1時間後に眠れたのです。時計を見たら2時半。連続で2時間以上寝たのは今年に入って初めてかもしれません。胃の痛みはかなり収まり、消化器系というか、私の身体が動き出しているのが実感できるようになっていました。いろんなところで身体が音を出しているのです。
それから寝たり起きたりで、6時半までベッドにいました。

胃の痛みはほぼ消えていますが、昨日の痛み体験の成果、身体全体がまだ痛い気がします。もちろん違和感は残っている。
でも思考力は出てきました。パソコンを開く気になった。
お腹もすいているような気もしますが、怖くて何も口にいれられない。

こんなことを繰り返していたら、本当に回復不能になりかねない。
甘く考えていました。
いろいろと気遣いいただいた人たちのアドバイスを、受け流していたことも反省です。
もう3年ほど、現世で活動することに決めたのですから、これからは自分の身体の養生を優先に生きようと思います。
これまでも不義理を重ねていますが、これまで以上に不義理をするかもしれませんが、お許しください。

さて今日はどうなりますか。
まったく困ったものです。

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■節子への挽歌6038:養生宣言を書こうと思います

節子
もう散々な目に合っています。

 

昨日、李さんとの議論や万葉集サロンで、しんそこつかれました。サロン収量が、なんと益肉会いましたが、次第に胃痛や身体の違和感がたかってきました。
電車に乗って、ちょっと安心と思ったのでが、つらさは高じ続けています。
2年前の悪夢のことを思い出しました。深呼吸をつづけながら、ようやく我孫子駅に到着、ユカに迎えに来てもらっていたので、無事帰宅で来ました。

それにしても辛い帰り道でした。
今日、李さんの大論争で、昼食を抜いていたので、ユカに草粥をつくってもらいましたが、それ少しおついて、さらご飯も食べたくなってしまい、食べてしまいました。食べ終わった後、すぐにまた胃痛は強まり、呼吸さえおかしくなってきた。

ユカはすぐに病院へと言いました、また前回のように即入院になったらどうしようもありません。1日様子を見ることで、ユカの許可をもいらいました。
というわけで、今日は1日ベッドで寝ていました。身体中がおかしいので、本を読む気になりません。

ここは祈るしかいでしょう。

朝、「養生宣言」をFBに出しました。さすがに今回は楽しめない。
とも辛いのです。
真面目に養生に努めなければいけません。

http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2024/06/post-fcc593.html

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2024/06/16

■節子への挽歌6037:会えなくなってはいけないと思いやってきました

節子

今日は湯島でサロンでしたが、意外な人がやってきました。
30年ぶりではないかと彼は言っていましたが、まあそれほど長い間、顔を出していなかったのです。
佐藤さんが元気なうちに会っておかなければという思いで、やって来たそうです。

彼は編集者ですが、雑誌記事などで彼のお世話になったことがあります。
どこか私と共通のところがあって、いつも気になっていました。
その彼も、もう73歳。
サロンでの発言を聞いていると、30年前と全く変わっていない。

人間には変わる人と変わらない人がいる。
でもなぜか私の周りにいる人はみんなあまり変わらない気がします。
いや、変わっていても、私には見えないのかもしれません。
私が好きな部分、私に見えている部分だけしか、私は見ていないのかもしれない。

体調がよければ、少しゆっくりと話したかったのですが、またサロンにもやってくるというので、今回はゆっくり話せませんでした、人生の最後にはこうやって、会っておくべき人は向こうからやってくるのかもしれない。
ということは、私も気になる年上の人のところに出向くのが礼儀かもしれません。
以前一度考えたこともあるのですが、いまとなってはなかなか足が動きません。

 

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■節子への挽歌6036:李さんとの長い論議で疲れました

節子

もうひと頑張りです。以前、節子と一緒にし私費留学生のためのサロンを毎月やっていました。そこに時々参加してた中国人の李さんがやってきました。
彼は他の留学生たちとは違い、起業に取り組みだし、日本に残ることしてました。
その後、しばらくは顔を見せなかったのですが、昨年からまた顔をだすようになりしました。

彼は議論好きなのです。
議論したくなる湯島にやってきます。
今日は体調がよくないので聞くだけにしようと思っていたのですが、やはりだめでした。

テーマは李さんの生き方についてといってもいいですが、切り口は通貨と宗教です。
いずれも一筋縄ではすまされない。
そのうえ、彼は自ら宗教「主教」を信仰しているのです。

気がついたらサロンの時間でした。
2時間半の議論で、昼食は抜いてしまいました。困ったものです。
話しすぎて、のどがおかしくなっていました。

今日はまだ万葉集サロンがある。。

大丈夫でしょうか。

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2024/06/15

■節子への挽歌6035:技能実習生になにかできることはないか16日)

節子、なかなか、回復しません。

今日からの2日間は、午前中は友人の相談に乗り、午後はサロンです・。
駅までユカに送ってもらい、電車も座っていきましたが、駅を歩いて湯島のオフィスまで歩いてきましたが、それさえもが辛いのです。
部屋に入って、ソファーに倒れ込みましたが、すぐに友人がやってきました。

最近、彼が取り組んでいる技能実習生のために何か役立ちたいと持っているのです。
その打ち合わせです
世間では技能実習の制度が悪いとか、実習生はハンザに走りやすいという人もいますが、いずれも制度運用者側で対処できる問題です。
私にもできることがあるので、協力することにしました。

反対や非難をするだけでは、事態は変わりません。
制度に関わっている人が動かなければ何も変わらない。
大きなところで理解し合えたの、後は動くしかありません。「

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■節子への挽歌6034:昨日は風に癒された1日でした

節子

昨日は大事をとって、ほぼ1日、長椅子に横になっていました。
幸いに、とても暑い夏日でしたので、さすがに私もあまり動く気になりませんでした。
そのおかげで、「休養」が取れたようで、今朝は平常に戻りました。たぶん、ですが。

昨日の暑さは、テレビでも話題になっていましたが、そんなわけで私には幸いしました。
それに窓を開けて、長椅子に寝ていると、とてもいい風が癒してくれるのです。
長椅子の位置を、その風の流れに合わせていたからです。
風のおかげで、暑さも楽しむことができた気がします。

そういえば、昔の夏は、「暑さ」を楽しんでいたように思います。
涼しいところを探して昼寝をしたり、打ち水をしたり、冷えたスイカや手づくりのかき氷を食べたり。
しかし、いまは暑さはエアコンで除去し、かき氷もお店でいっぱい500円。
暑さを楽しむ感覚は消えてしまった気がします。

自然との付き合い方を考える楽しみを失いたくはありませんが、私自身、最近は昔のように、「夏は暑いから好きです」とは言えなくなってきています。
私が子どもの頃は、今ほど暑くなかったからかもしれませんが、暑さをもっと楽しんでいた気がします。

今朝は、とてもさわやかです。
今日は湯島なので、エアコンの中で過ごすことになりそうです。
また体調を崩さなければいいのですが。

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2024/06/14

■節子への挽歌6033:昨夜はまた思い知らされました

節子

昨夜、帰宅時、電車が混んでいてずっとたったままでした。
いつもは、湯島の往復は基本的に座るようにしています。帰路も上野を経由するように始発の電車で座って帰るのです。
しかし昨日は、次の始発電車まで20分以上待たねばいけなかったので、ついつい始発でない電車に乗ってしまいました。それが平日のために混んでいたのです。

そのせいかどうかわかりませんが、帰宅して夕食後、急に身体に違和感をもちました。
痛いような苦しいような、そのうえ、冷や汗のようなものまで出てきました。
長椅子に横になったのですが、一向に改善されない。
そういえば今日はいささか甘いものを食べすぎてしまった。
肉類も昼と夜、続けて食べてしまった。
そのせいでしょうか。

ユカが心配したので、ベッドで横になっていました。
30分ほどして楽になって、ホッとしました。
それから入浴し、そのまま眠ることにしました。
いつものように何回も目が覚めましたが、身体の異常は起きませんでした。
朝はいつもよりもかなり寝坊し、7時近くに起きました。
いつものルーチンはやめて、いま、この記事を書いています。

理由はわかりませんが、周りでも「突然の変調」からなくなってしまう人や入院する人が続いている。
そういう話に暗示を受けてのかもしれません。なにしろ私は暗示を受けやすいタイプですから。

そういえば、友人が、昨日、「佐藤さん、お変わりありませんか?」と短いメールを送ってきました。なんでこんなメールをくれたのかわかりませんでしたが、この数日、きちんとこの挽歌を書いていないからだったかもしれません。

昨夜、それに気づいたので、こうして今日は朝の最初に挽歌を書きました。
自分の命は自分だけのものではないと、昨日も友人に話しながら、どうも行動が伴っていない。
困ったものです。

今日は静かにしています。
畑も無理をしない程度にして。

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2024/06/13

■湯島サロン「夏の食養生」報告

食は地域と季節に深くつながってこその「薬膳」だという新倉久美子さん(東方健美研究所代表)の食へのアドバイスを、季節ごとにお願いしていますが、立夏を過ぎた今回は、「夏の食養生」でした。

このサロンには初参加の方も多かったので、いつものように、食養の考え方や新倉さんの提唱している「身土不二」のふるさと薬膳の解説から始まりました。
何回聞いても、いつも新しいエピソードが追加されていて、気づかされることが少なくありません。

「食養生」に関しては、参加されていない方もいるので、改めて簡単な要約をしておきます。ひとつは「土地と食」という切り口から、地域食文化の継承と創造の意味や「身土不二」の大切さ、もう一つは「季節と食」という切り口から陰陽五行説を踏まえた「食養」の取り組み方。まとめて一言で言えば、「その土地でとれた食材を食べ、その季節にとれる旬のものを食べること」(「風土はフード」)こそ、健康につながる「食養生」だというお話です。

「食べ物は薬」という「薬食同源」の話もありました。こうしたことから新倉さんは「ふるさと薬膳」を各地に広げてきたのです。
詳しくは第1回の報告を読んでください。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2023/11/post-c35e3b.html

つづいて、「夏の食養生」について具体的にお話しいただきました。

夏の暑さの影響を一番受けやすいのは心臓だそうです。ですから心臓への気遣いが大切です。体内にたまりがちな暑熱をほどよく排除して心臓への負担を軽くしてやらないといけません。
そこで、夏の食養生のポイントは、「暑熱をとって心臓への負担を軽減すること」。そのためには、体内の暑熱を逃がす「涼性の食材」を選ぶことが大切です。
野菜で言えば、キュウリ、ナス、トマト、ピーマンなど、夏が旬の野菜。白身の魚や貝、豚肉も体内の暑熱をほどよく排除してくれる食材だそうです。
ちなみに、大切なのは「体内の余分な暑熱をとること」で、「身体を冷やすこと」ではないそうです。

味で言えば、「苦味」が大切だそうです。夏野菜はほとんどが苦味を持つそうです。と言っても、最近の野菜は食べやすくなっていて、キュウリも昔ほど、苦味はありません。
苦味と言えば、お茶の苦みもいいそうです。たとえば、夏のしゃぶしゃぶに茶葉を一つかみいれるのも良いそうです。

心臓の異常は舌に出るので、毎朝舌を見るのがいいと新倉さんは言います。たとえば、舌の周りが赤くなったり、ひび割れが出たりしていたら要注意。心臓というよりも、心機能に問題が生じているのかもしれません。心機能の低下による不具合は次の季節にまで持ち越す可能性もあるので、注意しなければいけません。
らっきょも血をサラサラにしてくれる効果があるのでいいそうです。

食欲がない、何となく体がだるくて寝苦しい、など夏バテと言われる症状が出るこの季節を健やかに過ごすための、食養生のポイントを、漢方では、食べ物によって体内の「蔭」を補い、心臓系統の機能を高めようとの意味から、「補蔭養心」という言葉で表すそうです。

最後に新倉さんは、「夏は心臓、苦味」と覚えましょうと、私でも覚えられる一言にまとめてくれました。

ちなみに私は、新倉さんの話を聞いた翌日から、らっきょを食べ出し、苦いお茶を飲むようにしました。これでこの夏はもう大丈夫でしょう。

こうした新倉さんの食養指針の背景にあるのは、長年の調査研究、そして実践を通して、新倉さんが整理した「(新倉版)陰陽五行配当表」(添付)です。
ぜひ一度、新倉さんの話をお聞きになって、この表を冷蔵庫にでも貼っておくといいと思います。ともかく簡単に新倉さんの話を思い出せますので。

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いつも報告にも書かせてもらっていますが、食は生き方にも深くつながっています。
「夏の食養生」を切り口に、最近ともすれば失われがちの「季節感」を取り戻すだけでも、生き方や世界の見え方が変わるかもしれません。

なお、藤倉さんは、今月から「週刊金曜日」に、写真付きで食養について毎月連載されるそうです。今月の28日号が連載第1回です。よかったらぜひお読みください。

蛇足ながら、この報告で書いた内容は、参加者の一人でもある私が理解した限りのことなので、文責はすべて私にあります。私の「食」や「食材」に関する知識は、かなり低いので、誤解や誤認があるかもしれません。このサロンを通じて、一生懸命勉強していますので、お許しください。

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2024/06/12

■節子への挽歌6028:いろんな人たちから会いたいと言ってもらえることの幸せ

節子

昨夜は少し改善されたでしょうか。でも夜中によく起きました。
5時に起床。宿題になっていたサロンの報告を書きあげて投稿。早速に投稿へのコメントがありました。そのコメントを読んで、また余計なことをしたくなりましたが、できるだけ自制しようと思います。
ともかく課題が多すぎる時代です。それこそがたぶん最大の問題なのですが。

天気もいいし、畑に行こうと思うのですが、まだ早すぎます。万一何か異変が起こったらと思うと最近は思い付きですぐ行動ということには少し慎重にしようと思っているのです。
昨日ゆっくりしたので身体はだいぶ休めたと思うのですが、まあ動き出すとまた悲鳴を上げるかもしれません。

朝、スマホを見たら、lineで兄夫婦から会食しないという連絡が入っていました。ほかにも2人の人からの連絡が届いていました。いろんな人たちから、会いたいと言ってもらえることの幸せを大切にしなければいけません。

今日もいい天気になりそうです。
今日は幸いにあまり負担にならない用事が一つだけです。
明日はまたいろいろとあるので、今日は休むでもなく動くでもなく、ほどほどに過ごそうと思います。

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■湯島サロン「〈地湧の思想〉-「じねんの暮らしサロン」に向けて」報告

〈地湧の思想〉を軸に、新しい連続サロンが始まりました。
案内役は増田圭一郎さん。

「地湧の思想」と言っても、あまりなじみがないかもしれません。一言で言えば、私たちの中に込められている「深いいのちの智慧」と言ってもいいでしょうか。

案内にも書きましたが、案内役の増田さんが、以前、代表を務めていた出版社の地湧社(創設は父親の増田正雄さん)のホームページに次のように書かれています。

私たちを育んできた大自然の中で、自然と人、社会と人、人と人が触れあう環境が、次第に生命を亡ぼす方向に進んでいることは、誰の目にも明らかです。
いま、人間の手で加工し尽くされた現代文明の下で、人々は疲れ切っています。この人々が蘇るには、汲み置きの水ではなく、地から湧きたての生きた水が必要です。
そして、これを呼び水として励まし合い、ついには自らの井戸を掘り当て、人間には想像以上の深いいのちの智慧があるのだと気づくことができたら、どんなにすばらしいことでしょう。
この姿を象徴して「地湧」という名が生まれました。

増田さんは、いまは地湧社を離れて、別の出版社を立ち上げ、出版事業と現場活動を重ね合わせながら「地湧の思想」の実践に取り組んでいます。
このサロンでは増田さんの実践と重ねながら、私たちの中に込められている「深いいのちの智慧」を湧き出たせることを目指して、さまざまな話題を話し合っていきたいと思います。

1回目の今回は、いわば総論として、祖父和田重正さんの足跡や思想、増田さんとの触れ合い、増田さん自身の生い立ちといまの関心事などを概説してくれました。
和田重正さんの思想は何冊も本になっていますが、その思想の一部、たとえば、「大脳のなす選択はほとんど正しくない」といった挑発的な命題や「自他不可分一体の人間観」など意味深長なキーワードなども紹介してくれました。

和田重正さんは、「教育の出発点は生活」という視点に立って、若者たちと一緒に暮らしながら、あるいは母親たちに呼びかけながら、教育問題を考えていた人です。増田さんは、その真っただ中で育ったわけです。
中学生時代には、森の中で暮らしていた祖父のもとに、まるで「拉致」されるように連れていかれ、そのまま森で過ごしたこともあるそうです。そこでの増田さんの暮らしぶりを聞いて、参加者の一人は、ソローを思い出したと言いました。

いずれにしろ、増田さんは、そうした祖父の思想を浴びながら育ってきたわけですが、大学卒業後渡米し、日本でもブームになった「アクエリアン革命」の著者マリリン・ファーガソンのところで、アメリカで拡がっていた「ニューサイエンス」や「ニューエイジ」の世界をたっぷりと吸い込んできたようです。同時に、ネイティブ・アメリカンの世界にも魅かれて、スピリチュアルな世界にも触れたそうですが、おそらくそのあたりはこれから展開されるサロンの中で、おのずと顕れてくるでしょう。

私も当時、そうした世界に文献などを通してそれなりに触れて、生き方に大きな影響を受けてきていますが、増田さんがまさかファーガソンのところで暮らしていたとは知りませんでした。

話の最後に、増田さんは父親が書いた地湧社の設立趣旨書を配ってくれました。
そこにはこんな文章が書かれています。
ちょっと長いですが、一部、省略して引用させてもらいます。

まったく行き詰まった現代になって、自らあてにしてきた人知の舟をおり、いのちの再生へと進路を取りはじめた人々が、洋の東西を問わず、増えはじめています。これを自覚の人々と呼びましょう。

彼らはとりたてて指導者的立場にある人ではなく、大地に根を下ろした実践をもった人々です。彼らは百姓であったり、庭師であったり、家庭の主婦であったり、市井の医師であったり、あるいは宗教者であったりします。
彼らは、生命に根ざした生き方をいち早くした人々といえます。次の時代を担う人達です。にもかかわらず、彼らはお互いに連絡を取り合うこともなく、自己との対話の中で、内面から聞こえてくる声を頼りに生活しています。

彼らとは、それはあなたなのです。
深い智慧の井戸を掘りつつある、あなたなのです。

生命に根ざした生き方をしている、あなたを含めたその人達は、社会の表面に露われていませんが、しかし一本の地下水脈でつながっています。この地下水脈はやがて地表に湧き出し、人類の生命の根源の水となり、人々を潤し、旧い人々が想像するような激しい変化ではなく、もっと静かに、しかし確実に、この世の変革をとげるに違いありません。自覚の時代は始まっています。

以上が趣意書の中の文章ですが、増田さんが今回のサロンのタイトルに選んだ〈じねんの暮らし〉の意味がしっかりと書かれています。大地に根を下ろし、生命に根差した生き方。サロンでは、増田さんは「食べること」と「寝ること」の大切さを話してくれていました。気づかないまま、私たちは「自覚」している。そして、自覚の時代はすでに始まっている。とても元気が出る話です。

しかも、自覚の人たちは、社会の表面に露われてはいないが、一本の地下水脈でつながっている。私が昨年初めて知って元気をもらった「菌根菌の世界」につながる話です。最近また、私は畑まがい作業を再開し、土が生きていることや生命がみんなつながっていることを日々体感しているので、とてもよくわかります。

というわけで、参加者それぞれが、「自らの井戸」を掘り当てていくことを目指したサロンが、始まりました。
ぜひ継続しての参加者が増えてほしいと思っています。
次回はまだ決まっていませんが、日程が決まり次第、ご案内します。

Jinen1

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2024/06/11

■節子への挽歌6027:自分の正義をもっと大事にしないといけません

節子

やはりおかしい。昨夜もあまり眠られませんでした。
疲労が一向に抜けない。
毎週、前半は休養で、後半は喝度死すGで、週末にダウンしてします。
懲りないバカの繰り返しです。
まあここまでバカを繰り返すと、もしかしたらバカなことはよくないのではないかという気にさえなりかねない。

そこで今日は、気になっているサロンの報告も書かず、陽射しに誘われて行きたくなった畑にも行かずに、ずっとソファーに横になっていました。やったのは、駄菓子を食べながら、今度のブックサロンのための読書と録画していたテレビドラマを観ること。

ところがやはりそれがよくなかった。
観たドラマは、「アンチ・ヒーロー」と「Believe」です。いずれも終わりに近くなっています。ちなみに今は、この2作品が私のお気に入りです。毎回、涙まで流してしまう。

何がよくなかったかというと、特に「アンチ・ヒーロー」第9話ですが、「検察の正義」論に対する怒りがまた呼び覚まされてしまったのです。それは同時に、「Believe」にも通ずる「組織の正義」にもつながっています。
何しろ私の生きる基本にあるのは、「制度/組織vs人間」の対抗軸ですから。

中学生のころ、映画館で「真昼の暗黒」(八海事件を映画化した作品)を見た時の、あの心身の震えが久しぶりに襲ってきたのです。そして、最近の生き方がどうも「怠惰すぎる」ような気がしてきたのです。
そういえば、判決サロンもその後、さぼっています。サロンで気づいた実践活動も先延ばししているきらいがある。いま拡がっている地元の活動も、ちょっと観察者的に見ているところがある。サロンをやれば、いいわけじゃないだろう。そんな生き方で後悔しないのか。
休養などといって逃げている場合じゃないだろうという気になってきました。

そこで、まずは先延ばししていたサロンの報告を書こうとパソコンを開いたら、驚くなかれ、3人の人から会いたいという連絡が入っていました。
みんな何事でしょうか。私の怠惰さが伝わって、諭しに来るのでしょうか。
さらに長い企画書も届いています。こんなに疲れているのに、読めというのか!

やはり私には、休養は向いていないようです。
休養すると、必ずと言っていいほど、何か新しいことが飛び込んでくるのです。
人の定めは、変えられないようです。

でも、「怒り」は鎮まらない。なんだか無性に腹が立つ。
いや、これって「疲れ」が原因ではないのか。
だんだん混乱してきました。

やはり休養が必要なのではないのか。
まあまずは溜まっているサロンの報告を書きましょう。
そして明日はやはり畑に行きましょう。
それが一番いい。

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2024/06/08

■節子への挽歌6023:3人の私がばらばらになっているようです

節子

今日は散々でした。
朝、畑に水をやりに行ったのですが、心配していた通り、畑に行ったら、開墾地を広げたくなりました。それでまた草を刈ったり、耕したり、昨日作っておいた新しい畝にモロヘイヤを蒔いていたりしたら、あっという間に1時間たってしまいました。
今日は昼食を約束していたことを思い出して、慌てて帰宅しようとしたら、疲れて身体が言うことをききません。
いささか作業にのめり込みすぎました。

何とか自宅に帰り、休みましたが、動く気にもならない。
約束の時間は刻々と迫ってくる。
あいにく、娘たちは不在なので車では送ってもらえない。
とそこに、ジュンが戻ってきました。
それで何とか駅まで送ってもらいましたが、電車に乗ってもどうも元気が回復しない。

そして、気がついたら、なぜか上野公園を歩いていたのです。
疲れていたのになぜかいつもの元気コースのルートで、上野駅で降りてしまったのです。
疲れていたのは身体だKではなく、頭も機能していなかったようです。

頑張って湯島のオフィスに着きましたが、すでに来客は3人とも着いていました。
初対面の人もいるのに待たせてしまったわけです。
でもまあ何とか無事湯島に着けて良かったです。

まあそこまではよかったのですが、その後がまた大変でした。
動大変だったか、ちょっと書くのを躊躇しますが、まあでも無事家にはたどり着けたのです。
今日こそ、頑張りすぎたことを反省しました。

身体の私と心の私と意識の私を、一致させなければいけません。
このままだと破綻しそうです。

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■湯島サロン「あはれなる民からの真の独立への道」のご案内

「平和」を考えるサロンの3回目は、予告通り、前回の折原さんの問題提起を受けて、「非武装平和国家に向けての実践的な提案」をテーマに取り上げます。問題提起して下さるのは、ん倶楽部社会構想研究室の北京一さんです。タイトルは「あはれなる民からの真の独立への道」。3月のN'da Haさんの「厭わしき民と平等」にもつづく、「民に焦点を当てた」問題提起になりそうです。

北京一さんからのメッセージです。

「あはれ」は日本人を自認する者にとって危ないことばだ。それが喚起する情念は端的には悲哀や憐憫といった悲しみや憂いだけでなく、たとえそれが前面に出ていてもその背後や底にしみじみとした美的心情を宿している。わたしたちこの文化のなかで暮らしてきた人はその情感に接することで民草としての精神浄化をなす術をそれと知らずに身につけている。そのいわば忍びの術はときにこれぞ「天晴れ」と転じてみせることもある。そうしてわれら天晴れな民として、してやったりの恨み返しをしたつもりになり、その隷従道徳下の狡智に自己放下の悟りをえて昇華してしまうこともある。そうしたうすら寒い冷笑の典型をわたし北は素知らぬ顔した安保寄生=亜米公隷属=琉球植民という平和仮面をまとったわれらにみる。

 惨めじゃないか。惨めすぎる。たとえわれらが人類史においてずっと体制支配から逃げつづけてきた虚弱なネアンデルタールたちの子孫であったとしても、われらはあの大きく眩しく輝くおてんとうさまに希望を託し、天道を追い歩んできた遺伝子を引き継いで来たのではなかったか。だからこの先はそんな卑屈な裏返しのあっぱれではなく、正面切っての天晴れを選びとらねばならないのではないか。

 今回はこの湯島サロンの場で、改めてつぎのふたつのことを問いたい。

1】戦争を知らない子どもたちは、かつての過ちたる戦争と、その結果に関して真っ当に反応できる(背負える、さらには引き受ける)何をもっているのだろうか?

2】その裏返しの一面でもある、結果振り落ちてきた宝とするものを、その宝としての価値がもはや失墜している現実に見合うべく新宝をつくろうとする動きが具体化したとき、いまだその宝のもとにあるわたしたちがとるべき選択のかたちになにを描くのか?

以上が北さんからの問題提起です。

北さんは、この2つの問いへの応答のさまざまなかたちを交わしながら、「あはれなる民からの真の独立への道」、それは百年前のインド、あのガンジーのことも重ね描きさせつつ、いまのわたしたち自身が目前にみている岐路を思い描く試みにしたいと考えています。

「民」である前に「人」であることを目指している私としては、タイトルの「民からの真の独立」に惹かれます。それこそが、平和の起点だと思っていますので。私たち一人ひとりの生き方を質されるような、リアルなサロンになりそうで、ワクワクします。
2時間では収まりそうもなく、また1時間ほどサロンは延びるかもしれませんが、よろしくお願いします。

〇日時:2024年6月23日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「あはれなる民からの真の独立への道」
〇問題提起者:北 京一さん(ん倶楽部社会構想研究室)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■節子への挽歌6022:間違って1時間早く起きてしまいました

昨日も寝苦しい夜でした。
そのせいか、早く起きたい気分があったのでしょうか、時計を見間違えて4時半に起きてしまいました。
いつもよりも1時間早い。

気がついて、もう一度寝ようかと思ったのですが、気持ちのいい朝だったので、そのまま起きてしまうことにしました。
それでパソコンを見たら、いくつかのメールが届いていました。
それへの返信や対応をしていたら、ユカが起きてきました。
今日は7時に出かけるそうで、いつもよりも早起きです。

それでいつもより早い朝食をしました。
2度寝はできなくなってしまいましたが、今になって眠くなってきました。いやそれどころかなんだか頭も痛くなってきた。困ったものです。
今日は畑にはまだ行っていませんが、これから畑に行って水をやり、お昼は湯島で3人の人と昼食。その後はサロンです。果たして持つでしょうか。

でも最近はないかすべてが順調に動いているので、大丈夫でしょう。
さてユカも出かけたので、これから畑に行ってこようと思います。
畑作業をやりたくならなければいいのですが。
畑に行くと、草たちが呼び掛けてくるのです。

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■我孫子の明日を話し合う“あすあびサロン”をスタートさせます

我孫子をどんなまちにしたいかを主なテーマに、我孫子市民が中心になって、自由に話し合う「我孫子の明日を話し合う」サロン(仮称“あすあびサロン”)をスタートさせることにしました。

企画・主催するのは、「我孫子の明日を話し合うサロン準備会」。
これまでゆる~い活動をしてきた「我孫子まちづくり編集会議」から生まれたグループです。
https://www.facebook.com/groups/202846400516301

まだ準備会段階ですが、サロンを開催しながら、事務局体制を育てていき、ゆるやかな組織化を進めていこうと考えています。
事務局メンバーも募集していますので、関心のある方はご連絡ください。

「我孫子まちづくり編集会議」は、まちづくりの主役は、そこに住んでいる住民たち、という考えで、これまでも活動してきていますが、このサロンでは、我孫子の将来に向けての活動をしている人をゲストにお招きして、我孫子のビジョンやそれに向けての活動をお聞きし、参加者みんなと一緒に話し合うというスタイルを考えています。

説明会や講演会ではありません。ゲストのお話は30分ほどで、その後はみんなで話し合うという「サロン」スタイルです。ただ話を聞くだけではなく、住民の一人として、自分でできることを見つけていこうという意識で、実践にもつなげていければと思っています。そして、実践していくための「人のつながり」を育てていくことも目指していきたいと思います。

まだ準備会の段階ですが、次の点を大事にしていこうと考えています。

・あくまでも住民の視点で考え、特定の組織や利益には偏らない。
・したがって多様な価値観を受け入れる(来るものを拒まず)。
・参加者はあくまでも「一人の住民」として位置づける(ゲストも特別扱いしない)。
・行政とは対等の立場をとる(依存や批判は避け、支え合う関係を大切にする)。
・話し合うだけではなく、住民として実践を目指すようにする。

サロンは、原則として毎月開催を予定していますが、当面は、市民の代表として活動している市議会議員のみなさんを中心にゲストをお願いしていこうと思います。

第1回は、前回の選挙で最高得票を得た坂巻宗男議員にお願いしました。

初めてのことでもあり、いろいろと不手際があるかもしれませんが、誰にも開かれた集まりなので、気楽にご参加ください。
参加ご希望の方は、下記申込先までメールでお申し込みください。

 申込先:準備会事務局佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

〔第1回あすあびサロン〕

〇日 時:2024年7月13日(土曜日)午前10~12時(9時半開場)
〇会 場:アビスタ第2会議室
〇ゲスト:坂巻宗男さん(市会議員:前回選挙での最多得票者)
〇協賛費:会費というよりも、ワンコイン(100円)を目安にした自由寄付方式
〇主催者:“あすあびサロン”準備会
〇照会先:準備会事務局佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

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2024/06/07

■節子への挽歌6021:畑作業はまあまあ順調です

節子

昨日はいささかハードな1日だったため、今日もまた寝坊してしまいました。
朝の畑への水やりは行きそびれましたが、10時に強い陽射しに誘われて畑に出かけました。帽子をかぶり水筒を持って。
水やりをやった後、モロヘイヤをまこうとまた畑を広げました。
ついでに次の開墾先をさだめ粗草刈りをしました。

気がついたらもう11時半を回っていました。
農作業は楽しいので、時間を忘れます。
しかし、朝びっしょりでくたくたです。

午後は種をまきに行こうと思っていましたが、帰宅したらもう動く元気さえありません。
それに太陽の輝きもない。
太陽がいないと畑に行く気が起きません。
午後は久しぶりにカミユの『異邦人』でも読もうと思います。

それにしても、どうして畑作業はこうも魅力的なのでしょうか。
しかし同時に、畑作業などしたくないと思う自分もいるのです。
何しろ大変ですから。
この矛盾をどう考えればいいか、これも面白いですが。

ちなみに今年は、「中原戦略」をとっています。
つまり畑の真ん中に畑をつくることからはじめて、周辺に広げていくという戦略です。
毎年、中国の三国志を思い出しながら、同湖の草ぼうぼうの荒れ地を畑にするのかを考えているのですが、それが実に楽しいのです。

畑の面積が広がってきましたので、また苗かタネを買ってこなくてはいけません。
例年買っている定番の、トマト、キュウリ、ナス、ピーマン、オクラは、今年はまったく買っていないのです。
何しろいつもからしてしまいますので。

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■前立腺がん治療体験報告30:中途半端な最終報告

29回まで書いた後、最終回を書かずにいました。

最終回にしては、書く内容が全く見当たらなかったからです。
取り組んでいる時はいろいろありましたが、陽子線治療が終了したら、なにも「事件」が起きないのです。「気づき」もない。
何か「副作用」とか「治療効果」が出たら、書こうと思いながら、今日になってしまいました。このままだとズルズルいきそうなので、とりあえず最近の状況も含めて、一応総括しておこうと思います。

いまは元気です。がんの病状はどこにも出ていません。1年前に戻った感じです。
ホルモン療法を継続する以外は、医学的治療はしていませんが、いわゆる免疫力を高める民間療法はつづけています。医学医療への不信感は高まりました。イリイチの脱病院論を読みなおしたくなったほどです。

陽子線治療の後遺症として、夜間の頻尿が指摘され、実際に一時は1時間おきに目が覚める状況でしたが、いまはだいぶ良くなりました。とはいえ、いまも夜間に34回は起きますので、睡眠障害と言えるかもしれません。
副作用ではありませんが、放射線を浴びたことによる身体的疲労感は、高齢のためか、かなり時間的なずれを持ってやってきました。一時は半端ではない疲労感に襲われましたが、これも先週くらいから回復してきています。

ホルモン療法はいまも続けていますが、そのせいか、食欲が高まり間食が増えています。しかし今のところ体重が増えるところまでには至っていません。

というわけで、前立腺がんを指摘された1年前にほぼ戻ったということです。
いささかさびしいのは、最近はワルゾー(私の体内のがん細胞です)との会話が朝の一言だけになってしまっていることです。いまもなお、ワルゾーも含めて、みんなを守ってほしいとわが家の大日如来に祈っています。

しかし今回の私の10か月ほどの体験は、実に意義深いものでした。自己も友人知人も、これまでの見え方とは大きく変わったのです。さらに「病気観」も一変しました。なんだかすべてがわかってきたような気がします。そのせいか、とても生きやすくなったのです。これまでの生き方が肯定されたような気もしています。
そして、生きることが楽しくなった。もう少し生きつづけてもいいかなという気になってきました。そのため、少し健康に気遣うようになってきました。病院との距離はますます遠のきそうです。胆嚢の摘出手術も辞めました。

やはり「前立腺がん治療体験報告」のまとめにはなりませんね。
そもそも「前立腺がん」というのは本当にあるのかどうか。
本当はそういうことも書きたい気もしますが、あまりに主観的過ぎるのでやめます。

ただ、前立腺がんが気になった人には、求められれば話したいとは思っています。
同時に、日ごろからの養生に関しても、アドバイスできることはあるかもしれません。

 

湯島での「病気サロン」も始まりましたので、後はそんな場で話していければと思います。

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■節子への挽歌6020:近くの我孫子新田地区の開発が問題になりだしているようです

節子

近くの我孫子新田地区の開発問題で、いま住民たちの間に不安が広がっているようです。ジュンがママ友たちから聞いた話をいろいろと教えてくれました。
最近は、そこにスーパーができて、景観がさえぎられるようなになるといううわさも流れているようです。
どうもその騒ぎのもとは、先日行われた住民の集まりのようです。
私は参加していませんが、何やら政治の駆け引きのにおいまでして、いささか心配になってきましたが、まあそれほど行政も暴走はしないでしょう。
でもちょっと注意しておこうと思います。

そもそもの問題は、行政の後方の失敗だと思いますが、それに対する住民側の対応にも大きなミスを感じます。そこにある「意図」が働いているかもしれないと思いたくもなりますが、そこまで疑うのはやめたいと思います。
でも市会議員の動きには疑問も感じます。やはり議会を傍聴していた友人の話が本当なのかもしれません。

まさにそういう時期に、我孫子の明日を考えるサロンをスタートさせることになったのは、偶然ではないのかもしれません。
節子がいたらと、とても残念な気がします。
節子ならどう反応するか、知りたい気がします。節子は私よりも直情的でしたから。

さて私も傍観者ではなく、少し動こうと思います。
でもあまりに行政と住民の認識が違うので、どこから取り組めばいいか迷うところです。

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2024/06/05

■湯島サロン「生きとし生けるものの生きる意味」のお誘い

最近は「思いつきサロン」が多いのですが、これもまた思いついてのサロンです。
ただ思いついたのはもう1か月ほど前です。

5月5日に、テレビ東京開局50周年記念ドラマの「生きとし生けるもの」を観ました。
涙が止まりませんでした。もちろん「いい涙」です。
NHKのドラマ「グレースの履歴」の時と同じく、心が浄化される涙でした。
見終わった後、これを観て話し合えるサロンをやりたいと思いつきました。

テーマは「生きる意味」。
安楽死など、「生と死」をめぐりサロンは何回か試みましたが、どうもうまくつづかない、というか、答えが見えてこない。でもこのドラマを見終わって、私は自分の生き方が見えてきた気がしました。確信したと言った方がいいかもしれませんが。
そして、生きることにあまり価値を感じていない人に、ぜひ見てもらって、話し合いたいと思ったのです。

すぐにも呼びかけたかったのですが、5月はサロンが多く、土日はすべて埋まっていました。平日開催も考えたのですが、日曜日しか参加できないような方にこそ参加してほしくて、あえて土日にこだわったので、こんなに遅い開催になってしまいました。
もしよかったら参加してください。

ドラマは90分ほどです。
そこで、3時間のサロンとし、前半みんなでドラマを観て、そして話し合う。
ただそれだけのサロンです。

「生きとし生けるもの」がどんなドラマかは、次のサイトなどで読んでください。
https://www.tv-tokyo.co.jp/ikitoshiikerumono/

途中からの参加はなしにしますので、参加者は必ず10分ほど前に会場に入ってください。できれば、お菓子は持参しないようにしてください。映画館でのポップコーンは煙草と同じくらい嫌いでした。

さてまたどんな展開になるのか。

〇日時:2024年6月29日(土曜日)午後1時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:テレビドラマ「生きとしけるもの」を観て「生きる意味」を話し合う
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2024/06/04

■節子への挽歌6017:新潟の金田さんが90歳になったそうです

節子

久しぶりに新潟の金田さんから電話がありました。
90歳になったそうです。
でも体調はあまりよくなく、今年に入ってどうも入院続きのようです。
今日はめずらしく弱気な、いささか愚痴っぽい電話でした。
かなり滅入っているようです。

金田さんは私の元気な声をか聞くと元気が出ると言って、時々、電話してきます。
さすがに昔のような長電話ではなくなりましたが、それでもあっという間に2030分は経過します。
その間、私も元気に対応しなければいけません。
私の元気な声が聞きたくて電話してくるのですから。

私の周りでも90を超える人が出始めました。
兄も最近90を超えました。

さて私も90を超えるのでしょうか。
そう思うとちょっと気が重くなります。
私は、万一、90を変えたらだれにも電話するのをやめようと思います。
90を超えたら、それこそ静かに終わりを迎えようと思います。

自分よりも高齢な人からの電話は、やはりかなり疲れます。
それにしばらくは尾を引いてしまいます。

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■第32回益田サロン「破傷風菌から考える生物と環境の関係」報告

今回は、破傷風菌を切り口に、改めて「生物と環境の二重円錐モデル」への理解を深める予定でしたが、参加者が少なかったため、急遽、内容を変えて、自由な話し合いになりました。

ただ予告していた通り、益田さん手づくりのブンブンゴマで、環境との本来の関係を体感しようというところからはじめました。
と同時に「我を忘れる」と「我に返る」ということを通して、「我」の構造についての話し合いにもなりました。

 ブンブンゴマで環境との関係を実感するという命題は、なかなかみんな実感できず、何とかそれを言語化しようと話し合いましたが、難しい。もっとも、そもそも言語化できないからこそ、益田さんはみんなに体験させたのかもしれません。

「我を忘れる」「我に返る」は、その文の主語は何なのかが問題です。つまり、主語が「我」としたら、その「我」と文中の「我」とは同じ「我」なのかどうかです。

そこから、デカルトの“Cogito ergosum”(我思う、ゆえに我あり)にまで話が行きました。“Cogito”(我思う)は現象であって、それがあれば、「我」があるというのはいかにも短絡的な発想ではないかと私は思っていますが、「我を忘れる」「我に返る」も同じように考えることができるように思います。
そしてそこから、主体と環境の新しい関係が見えてくるような気もしますが、この辺りはこの数回の益田サロンでも話題になってきている課題です。

時間と空間の捉え方も少し話題になりましたし、「環世界」も話題になりましたが、いずれもサロンで扱うには荷が重すぎます。
これはこれで別のサロンを立ち上げるのがいいかもしれません。

そしてまた最後はブンブンゴマに戻りました。
益田さんが言うには、ブンブンゴマがうまく回るかどうかは、コミュニケーションにもつながっている。
益田さんが言う、主体と環境の本来の関係とは、コミュニケーションが成り立っていることなのかもしれないと思いました。コミュニケーションとは、単なる「情報」の往来ではないと私も思っていますので、とても納得できました。としたら、ブンブンゴマの効用が何かあるのではないか、そんなことも考えさせられました。
生物と環境をテーマにした益田サロンが行きついたのは、「コミュニケーション」や「関係論」の世界なのかもしれません。

この辺りで、発想やスタイルのパラダイム転回が必要かもしれません。
あまりに「生物と環境の関係モデル」にこだわりすぎたために、いささか袋小路に入りだしているのかもしれません。
それを開いてくれるのが、ブンブンゴマかもしれませんが、そんなこともあって、益田さんからしばらくサロンを中断したいという申し出がありました。

そんなわけでしばらく益田サロンは休会になります。
これまでの議論で、さまざまな論点や切り口、あるいは課題が可視化されてきたように思いますので、一度立ち止まって整理するのもいいかもしれません。
「自己(我)とはなにか」「関係とは何か」「環境とは何か」「病気とは何か」、そして「コミュニケーションとは何か」。そうした問題を考える上での、ヒントをたくさんもらえたように思います。
益田サロンで話題になったテーマなどは、別のサロンに引き継いでいこうと思います。

長いこと、いろいろと刺激を与えてくださった益田さんと参加者のみなさんに感謝いたします。
また個別テーマで、益田さんのサロンがあるかもしれませんが、「生物と環境の関係モデル」シリーズはひとまず終了です。

Masuda20240527

 

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■北川さん主催の緒方レイキ実践サロンに参加しました

先日の緒方さんによる「レイキ実践サロン」に参加させてもらいました。
北川さんの声がけで、身体的な問題を抱えているであろう人が4人参加しました。
レイキで治癒してくれるのは、緒方さんと春日さんです。
参加者も一方的に治癒されるのではなく、相互にレイキを交流するような、まさに緒方さんらしい実践サロンでした。
私も、緒方さんと春日さんにレイキで治癒されました。

ちなみに、参加したおひとりは、緒方さんのレイキを受けた翌日から、問題の右足小指の電気刺激のような痛みが消えたそうです。
私も足腰の違和感が、完全とは言えませんが、かなり消えて、まあ完全解消までも時間の問題でしょう。

緒方さんは、資格ビジネスではない、誰もが気楽に施し合える、レイキを広げていきたいと考えています。関心のある方はご連絡いただければ、緒方さんにつなげます。

ところでこのサロンに参加させてもらって、私がこれまでやってきたこととのつながりを感じました。私の場合は、それを「コムケア」という言葉で一時期、展開していました。どこがつながっているのかと言われそうですが、わたし的にはつながっているのです。
ただ私の場合は、対象が「個人」ではなく、また「身体」ではなかったのですが。
それで私もこれから「身体」と「個人」も対象にしていくことを視野に入れることにしました。

ちなみに今回私が理解したのは、緒方さんも言うように、「五感での交流による治癒の発動」ということです。という意味では、レイキサロンの前日に、私が川端さんから受けたのも同じです。川端さんもそんなことを言っていた気がします。そして、そう考えれば、実は治癒されていたのは、双方ということができる。これはまさに私の考えている「コムケア」の考えです。

さてどこか悪い方、いつでも施術させてもらいます。
湯島に来た時に、気楽にお申し出ください。5分間施術ですが。

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■第2回オープンカフェのご案内

第1回オープンカフェが予想以上の反響で、ぜひもう一度という声が強かったので、2回目を開催することにしました。開催日は6月24日(月曜日)です。

「場としてのサロン」ですので、この日、湯島を「場」として利用したい方はどうぞ「広場」としてでも「居場所」としてでも使ってください。「広場づかい」されたい方は、このメーリングリストで案内を告知して下さってもいいです。

前回は告知しなかったために、モーニングサービスは私ともう一人しか恩恵に授かれませんでした。事前に案内をしておけば違った物語が生まれたかもしれません。

たとえば、次回は、「メダカ市」が開かれるかもしれません。メダカの稚魚を欲しい人に提供してもいいという人から申し出があったのです。
あるいは、もしかしたらレトルトランチを食べながら縁を深めるランチ会が提案されるかもしれません。
前回のような、不具合のところ治癒する施術者が来るかもしれません。私ももし行ったら、にわか仕込みの「レイキもどき」で悪いところを手当てさせてもらいます。先日、緒方さんから教わって、友人にやってもいいと言われたような気もしますので。もちろん「レイキ」を名乗るつもりはありませんが。

とまあ、これは一例ですが、まあいろいろと利用法があれば、勝手にどうぞ。

私もあくまでも一利用者として、行くかどうかを決めるつもりです。
開いているのは朝8時から夜9時までです。
今回も利用可能者は前回同様、湯島サロンの仲間とその同行者に限定します。

もしまだサロンに来たことのない人できたい人は、その前に開催されるサロンのどれかに一度顔を出して仲間になってください。

飲み物などはセルフサービスですが、コーヒーと紅茶などは自分で入れられるように用意しておきます。ペットボトルのお茶も冷蔵庫に入れておきます。
「コモンズブックコーナー」も前回よりはもう少し充実していると思います。
水素ガス吸引器は使ってもらえるようにします。

みんなのコモンズカフェなので、飲み物のための費用や場所の維持費用のために、使った人はいつものように、どこかにあるボックスにワンコインを目安に入れて下さい。水素ガス吸引は30分から1時間を目安にこれもワンコイン。
これはいまのサロンもそうですが、「代金」ではなくコモンズの仕組みを維持するための、みんなが負担する「会費」とお受け止めください。代金意識の方は不要、つまり無料です。

もし湯島に行って鍵がかかっているようであれば、私(090-7417-1679)に連絡ください。鍵を開ける方法をご案内します。ちなみに私は携帯電話にはほとんど出ませんが、この日は極力出るようにします。
ご迷惑をかけることもあるかもしれませんが、まあそれもコモンズの性質だとご了解ください。

〇開催日:2024年6月24日(月曜日)午前8時~午後8時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円(目安です)
〇問合せ:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2024/06/03

■湯島サロン「エルモット村からのお誘い」報告

長年、地上の楽園“エルモット村”づくりに取り組んでいる内藤明子(カシュカシュ)さんのサロンは、参加者が少なかったおかげで、じっくりと話し合いができました。

なかにはニューエイジ運動のど真ん中にいた人もいて、内藤さんとの話し合いはとても刺激的でした。また、いまの時代を生きづらく(つまり楽園の反対の世界として)さまよいながら生きている人も参加してくれたおかげで、こちらもまた刺激的なやりとりがありました。
ちなみにほかの参加者は、私も含めてですが、楽園でもない今の世界を、かなり“能天気”に生きているようなメンバーだったかもしれません。そんなメンバーだったこともあって、話し合いは生々しいながらも、クールに展開した気がします。

内藤さんが考える、地上の楽園は、俗な表現を使えば、「和文化で平和を実現する開かれた自治共同体」ですが、3つの柱があります。「日本の伝統文化」「お金を気にしなくていい社会」「宇宙との交流による意識の次元上昇(アセンション)」。うしろの2つは、CWSコモンズ村の目指すところと重なります。

サロンの冒頭、まず内藤さんが目指している「エルモット村構想」と、それを実現する資金集めのためのアプリ開発構想を簡潔にまとめた動画を改めてみんなで観ました。
次のサイトに動画がありますので、まだの方はぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=_l2rtItkHM4&t=267s

実はこの構想、特にアプリ開発に関しては、まとまったばかりの段階で、外部へのお披露目はこのサロンが初めてでした。内藤さんは、参加者の意見も聴きながら、どう進めていいかを、さらに考えていきたいようです。

つまり構想と計画はまだ進化途中なのです。地上の楽園は、神様がつくるのではなく、みんなで育てていかなくてはいけませんので、この進め方は共感できます。
もし内容にちょっとでも共感できるところがあったら、ぜひ仲間になってください。
感想など、内藤さんに送ってもらえるとうれしいです。

お金を気にしなくていい地上の楽園の実現のために資金が必要だというところに、違和感がないわけではありませんが、長年、マネーフリーの姿勢で活動してきた内藤さんがいま辿り着いた方策であるならば、それはそれで意味がある。しかし、そのアプリ開発のためにもまた資金がいる。まさにお金の世界はマトリューシカのように幾重にも入れ子構造になっています。そこから抜け出るには、やはり多くの人のつながりが必要になってくる。注意しないと、その「魔界」に引き込まれる恐れもないとは言えない。
お話を聞いていて、そんな気もしてきました。

でもまあ、ここは内藤さんの思いを大事にしたいと思います。
いずれにしろ現実からの次元上昇、というか、発想の転換が必要です。
話し合いでも、3つ目の柱の「宇宙との交流」がちょっと話題になりました。サロンの時には、内藤さんはここを「宇宙人との交流」と説明し、UFOとの遭遇の話もしました。私自身は、信じられないものを受容することこそが価値あることと思っていますが、残念ながら今の地上の世界では、宇宙人とかUFOとかいう言葉で引いてしまう人も多い。今の世を覆っている「常識」では、なかなかエルモット村構想はすぐには受け容れられないかもしれません。だからこそ、「意義」があると私は思うのですが

でも、こういう動きはいま、世界中各地で生まれだしているようにも思います。見えないものが見えだしてきた。その意味では、「西洋近代」の始まりと同じような時期かもしれません。

おかしな報告になってしまいました。
エルモット村構想に関しては次のサイトをご覧ください。
構想の詳しい解説も出てきます。

https://ermot.club/concept/

ちなみに、そこで内藤さんはこう書いています。

日本人は昔から、微生物や、発酵、言霊、八百万の神様など、見えないものを大事にして、活用してきました。 他方、地上には草木も生えない極寒地や砂漠地帯など、競争に勝たなければ生きてゆけない厳しい世界もあります。その競争意識は戦後日本にも流入し、今はもうすっかり、日本も競争社会です。 どうすれば、昔の感覚を取り戻して、平和を蘇らせることができるでしょうか?
「生存するため、お金のために働く生き方」から、「尊厳のある自分らしい生き方」へ。それを「和文化で実現する」挑戦に、ぜひご参加いただきたく、お誘い申し上げます。

また湯島でも、エルモット村のサロンをやろうと思います。
よかったら遊びに来てください。
私はいまや「村民」になった気分でいます。

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■節子への挽歌6016:畑作業スタート

節子

いよいよ畑作業スタートです。
誕生日の530日、青木さんが電動草刈り機でまんなかの草を刈り取ってくれたので、そこにまずは畑をつくることにしました。

これまで使っていた鍬は畑の茂みの中に埋没しているので見つけられません。それで、 朝、まずは桑を買ってきました。そして 先日 草をかっておいたところを耕し始めましたがこれがかなりのハード作業です。
久しぶりの耕作作業で、すぐにダウンしてしまいました。
水もなければお腹も減ってきた。

とりあえずは、一時、帰宅することにしました。
いつもは5分もかからない帰り道を ふらふらと10分かかって帰宅しました。
やはり準備運動が必要でした。

それでも頑張って、午後また出直しました。今度は水筒とおやつを持って、帽子もかぶってです。
休みながらの作業で、少しだけ畑らしい畝ができました。 これで明日の朝は人参を2,30粒撒けるでしょう。
草刈りは楽しいですが土を耕すのは重労働です。

作業が一段落したので、草の上に寝ころんで、休みました。

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ともかく快適です。
風も快いですし、何よりも見上げる空の青さが美しい。
そのうち、うとうとしてしまったのですが、目が覚めたら空の雲が全くない青空になっていました。
とても幸せな気分になりました。

やはり畑は元気をくれます。
明日からは水やりに通わなければいけません。

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■節子への挽歌6015:にことの複雑な関係

節子

昨日はにこも一緒に会食でしたが、最近またにことの関係があまりよくありません。
なぜか避けられているのです。

先日の私の誕生日、夕方、一人でパソコンをしていたら、にこがやってきました。
そして私に、ユカさんはいるかと訊くので、ユカを呼びました。
そうしたら、にこはユカの耳元に口を寄せて、何かささやいています。
私には聞こえません。

それから少し3人で話しました。
私は先日、湯島から持ってきたブンブンゴマをにこに回せるかとやって見せました。
にこは一応、一度は試しましたが、うまく回せず、そのまま話題は変わりました。

その後、ところで私への誕生日プレゼントはまだかと質問したら、おさむさんもくれなかったからない、というのです。
私は「なんでもプレゼント券」と「どこでも招待券」をあげたじゃないかと言ったのですが、どうも実物ではないカードでは実感が持てないようです。
でも何が欲しいのか、とにこは訊いてきました。
チョコレートパイがいいと言ったら、じゃあ今度つくってやると言います。
「今度」というのが引っかかりますが、まあ期待することにしました。
それから3人で少し話しましたが、ユカが残っていたケーキを渡すと、素直にそれを受け取って1階に戻っていきました。

後でユカになんとささやかれたのかと聞いたところ、「おさむさん、誕生日、おめでとう」と言ったのだそうです。
私に直接言うと関係が修復してしまいかねないからでしょうか。
全く困ったものです。

孫との付き合い方は難しい。
困ったものです。

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2024/06/02

■節子への挽歌6014:みんなでうな重

節子

わが家の近くに、チェーン店の鰻屋さんが開店しました。
手ごろな値段なので、わが家でも大丈夫です。
先日、試しに兄夫婦を誘って言ってみましたが、値段の割には美味しく、一度、ジュン家族も誘ってと思っていましたが、たまたま先日、私の誕生部だったので、娘たちがそこでみんなで会食しようということになったのです。
前にも書きましたが、孫のにこも、鰻が大好きなのです。

むかしは、手賀沼で鰻が獲れたので、我孫子には鰻屋さんが少なくありません。
ただもう今では手賀沼では鰻は説てませんし、代が変わると味は大きく変わります。
節子が元気だったころ、いつも利用していたお店はもう味が全く違います。
わが家に合った鰻屋さんは、少し遠いの、価格が最近高いので、どうしても足が遠のいてしまいます。
そこにこのお店ができました。
なにやら鰻が近づいてきた感じです。

会食では、孫の運動会の話はあえてみんな出しませんでした。
なぜなら徒競走で4位だったのです。
なぜ4位になったのかもいろいろとあるのですが、負けず嫌いなにこは、来年は絶対1位になると言っているようです。
順位にはまったくこだわらなかった親のジュンとは大違いですが、私もあえて運動会話題には触れませんでした。
あれほど幼稚園が好きだったにこは、あまり学校が好きではないようです。

そのせいかどうかはわかりませんが、今度はガールスカウトに入るようです。
これは私も大賛成です。

にこのうな重は「梅」でしたが、それでもほぼ完食しました。
にこは食欲おおせいです。

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■第34回万葉集サロン「開かれる自己 言葉の主体を求めて」のご案内

前回に続き、今回も「帰化人の歌」を読みますが、今回は、日本列島に長くいる人たちとの微妙な表現の違いから、「開かれる自己 言葉の主体」を考えてみます。

升田さんからのメッセージです。

前回は、帰化人の万葉歌の詞(言葉)と倭言葉との微妙なニュアンスの違いを読み取りながら、この語感覚のずれが互いの環境を拡げる契機にもなり、万葉集歌のさらなる抒情の誕生に影響を与えたというところに触れました。帰化人たちの記紀歌謡との繋がりから述べたところでした。

今回は前回の内容をさらに続けて、土師宿禰水道「大船を・・覆らば覆れ」(巻4-557)、秦許遍麿「妹に挿頭しつ」(8-1590)、吉田宜「長恋」(5-864)の言葉を取り上げて読みたいと思います。
万葉集の詞(言葉)としてどのようなニュアンスの違いを見せているか。

帰化人たちの歌が「わ」から「自己」への意識の進展を促すように、詞(言葉)の主体を求める姿を追います。そこにもやがて大伴家持のような抒情歌の世界が拓ける契機が潜んでいると考えています。

以上が升田さんの呼びかけですが、さまざまな「た」に触れて、ゆたかな「わ」が生まれてくる息吹を感じさせてもらえるかもしれません。
升田さんの万葉集世界の「面白さ」を、ぜひ味わいにきてください。
きっと新しい万葉集の魅力に気づかせてもらえます。

この案内を読むと、何やら難しそうに感ずる人もいるかもしれませんが、気楽なサロンですので気楽に。これまで参加されたことのない方も大歓迎です。
近々、これまで参加してこなかった人のための「補講サロン」も、升田さんに頼んで開いてもらおうと思っていますが、まずはその前にぜひ一度、升田万葉集サロンに触れてみてください。

みなさんの参加をお待ちしています。

〇テーマ:「帰化人の歌を読む③ 開かれる自己― 言葉の主体を求めて」
〇日時:2024年6月16日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

 

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■節子への挽歌6013:人を信じ切るのはなかなか難しい

節子

友人がやってきました。
最近、信頼している友人からの誘いで「投資詐欺」にあってしまったのです。
話をしていて、私もほぼ同じようなことを体験していますので、状況とその友人の気持ちがよくわかりました。
私は、ごていねいにも2回も、友人に役立とうと思いながら、節子が遺してくれた貯金を失ってしまいました。わずかではありますが、借金までしてしまった。
まだ返済できていません。

特に、一人は最後には「意図的」な嘘で私からお金を引き出しました。
私も知ってはいあしたが、あえて騙されました。
しかし、彼はその後、電話で、佐藤さんは底なしのお人よしだから、祖おきになれば身ぐるみはがせた、注意した方がいいと言ってきました。
そしてその3か月後に亡くなりました。すい臓がんが見つかったのです。

被害額は、150万円でしたが、その前に別件で、節子が遺してくれたお金の大半を失っていましたので、いささか厳しかったです。
その後、さらにドラマが続くのですが、結局、期待はすべて裏切られ、「男前」を自認していた彼の真実が見えてしまい、さびしい思いをしました。

そんなことを思い出してしまいました。
しかし、人はなぜ嘘をつくのでしょうか。
嘘をつくには、それなりの事情があるんでしょう。
今回の友人の友人にも、いろいろと事情があったようです。
でも母親の遺産を失った友人の心境を思うと、いささか気が重い。
あの頃の自分を思い出すと恐ろしくもなる。

でも実は、いま私自身、いまもなおひきずっているのです。
人を信じ切るのは、なかなか難しいです。

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■節子への挽歌6012:最高の治療は気遣い

節子

この3日間、私の足腰の不具合や夜の1時間おきの目覚めによる寝不足などに関する施術を受けました。

まずはリバランスマッサージをやっている川端さんが、施術のためにオープンカフェに来てくれました。何やら私の身体と交流してくれました。
その晩は、なんとなく落ち着いた睡眠がとれましたが、それでも4回ほど目が覚めました。4回というと多いと思われるでしょうが、最近は5~6回のことも多く、しかも精神的にいらいらするのが昨夜は消えていたのです。
要するに成果あり、です。

昨日は緒方さんのレイキ施術を受けました。北川さんが企画してくれたレイキ実践サロンに参加したのです。そのおかげか、昨日は腰の不具合がかなり消えていた気がします。
これも成果あり。

ただややこしいのは、実は並行して一昨日からやっていたことがあります。
従兄の昭さんが私の腰痛のことを知って、「ロキソニンテープ」を送ってきてくれたのです。
私は提供されたものは、基本的にすべて実際に試してみますので、これも31日の夕方から貼ってみました。貼った翌朝、いつもよりも腰の調子がいい気がしました。
これも成果あり、なのです。

さて、どれが効用を発揮したのか。
よくわかりませんが、いずれにしろ、今朝はほとんど足腰の違和感なく、起きられました。
昨夜も起きたのは3回ほどでしょうか。

やはり何でも素直に受け入れるのがいいようです。
ということは、要するに「他者からの善意」こそが私を元気にしてくれているのでしょう。
最高のケアは、やはり気遣いかもしれません。
でも川端流整体術も緒方レイキ術もロキソニンテープも、それぞれに効用があることは間違いありません。
それに気づくかどうか、ですが。

今日もいい天気になりそうです。

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■世界がますます見えなくなってきています

5月31日、「WHOから命を守る国民運動」が呼び掛けて、日比谷で集会をし、銀座にもデモ行進をしました。
https://anti-who.jp/

台風襲来が予想されていたにもかかわらず、たくさんの人が集まりました。
私は天気と疲れを口実にさぼってしまいましたが、友人たちが参加し、集会風景などを教えてきてくれていました。現場にはいませんでしたが、ちょっとだけ、臨場気分も味わいました。

しかし、マスコミはこうした動きを報道していません。
問題の存在さえも報道しない。

マスコミ報道では、私にはほとんど些末としか思えない「大事件」ばかりが取り上げられています。その一方で、ネットでは過剰に膨らまされた言説が飛び交っている。
私はいずれもからもいろんなことを学ばせてもらっていますが、信頼するのは、私が直接触れるか、あるいは私の知っている信頼できる人が直接体験した情報だけです。だから、最近のように行動範囲が狭くなると、世界がなかなか見えてこない。それでがんばっていろんな立場の人と会うように努めていますが、正直、会うたびに、つまり新しい世界に触れるたびに、さびしくなることの多いほうが多い。

見ない方がいいなと思うことの方が多いのです。
でもそれではやはり無責任です。
最近いささか逃げていましたが、やはり湯島でのサロンでも話題にしていこうと思います。

昨日は5.31日比谷デモに参加した人や沖縄南西諸島の実状を追いかけている人に会いました。詳しい話を聞いたわけではありませんが、会っただけで伝わってくるものがある。
おふたりにはそれぞれサロンをお願いしました。

サロンはますます多くなる。
世界は、あまりに平和ではない。私も平和でいられない。困ったものです。

 

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2024/06/01

■節子への挽歌6011:コムケア的な生き方に気づきました

節子

沖縄の緒方さんが、最近、昔やっていたレイキヒーリングに取り組みだしたとのことで、共通の知人の北川さんが湯島で実践サロンをやろうと提案してきました。
それで北川さんに主催してもらったのですが、私も受講していました。

これに関しては時評編で感想などを書く予定ですが、ここではとりあえずの感想です。
基本的に言えば、私がコムケアでやっていたことと同じではないかという気がしました。

コムケアは個人や身体を対象にはしていませんでしたが、考え方がという意味です。
つまり、最近の言葉を使えば、「アタッチメント」と言ってもいいでしょう。
その人生(環境とのつながり)や生き方(他者とのつながり)に関わっていくというように言い換えてもいいかもしれません。
コムケアの精神は、つながりを育み(ケアし合う関係を育てる)、お互いの「重荷」を分かち合うことでした。
途中で頓挫してしまいましたが、私のその後の生き方は、コムケア的な生き方が身についている気がします。

セッションが始まる前に緒方さんと久しぶりに話をしました。
いままで知らなかった緒方さんのことを知りました。
レイキよりも、そっちに関心を持ちましたが、またいつかサロンでお披露目してもらおいと思います。

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■節子への挽歌6010:話していてなんとなく幸せになる人

節子

7月からスタートさせる「我孫子の明日を話し合うサロン」の準備会を呼びかけていたのですが、賛成してくれていた人はみんな都合がつかず、でも開かれた呼びかけをしていたので、誰が来るかわからないので、念のため会場で待っていました。
ところが、なんと櫻井さんがやってきてくれました。
先週、入院し、また今週入院と聞いていたのですが、気になってきてくださったのです。

櫻井さんとは、いろいろと話したいと思っていたことがあったので、ちょうどいい機会を得たとばかり、準備会ではなく、ふたりで話すいい機会になりました。
櫻井さんは、誠実そのものの人なのですが、今日はとてもうれしい話もお聞きできました。
どんな話だったかは控えますが、きっと面白いプロジェクトを起こしてくれるでしょう。

櫻井さんは、映画にも出演する俳優ですが、たぶん「昔気質の俳優」なのだろうと私は勝手に理解しています。
話していて、なんとなく幸せになる人です。

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■オープンカフェの報告

5月31は湯島での初めての試み「オープンカフェ」でした。
予想以上の展開で、また新しい展開になりそうです。

昨日は午前8時前に、湯島に着いてドアを開けたという連絡が届きました。
最初のお客様です。しかも朝早いので、モーニングサービス用にドーナツやスコーンを用意したというのです。でも朝は誰も来なかったようで、音楽を鳴らしながら読書をしていたようです。

モーニングサービスがあると聞いて(FBでお知らせしました)、12時ころ、2人が来客。一人は私です。
ワンコインを箱に入れると、いつもと違い先客の人が私にもコーヒーを淹れてくれました。ミルク付きでした。そしてドーナツ。その人から面白い話をいくつか聞きました。午後は、神保町のジャズ喫茶「オリンパス」に行くそうですが、どうしても今日行かなくてはいけない理由も聴かせてもらいました。

3番目のお客様は、モーニングサービスがあるなら、ランチサービスはどうかとレトルトのハヤシライスを持ってきました。カレーレトルトをたくさん用意して自分で作るか来た人に作ってやるか。食事しながらの話は、また違ったものになるとその人は言います。たしかにそうです。もしかしたら次回はこの人のランチサービスがあるかもしれません。

そうこうしているうちに、リバランスマッサージを守破離しながら独自の整体術を育てている川端さんがやってきました。今日、私が湯島に行ったら私の睡眠障害の悩みの手当てをしてくれると言っていたのです。ソファーベッドに寝た私の身体との交流をしてくれ、私の身体を活性化してくれました。これで今夜は熟睡できるかもしれないそうです。もちろん効用はそれだけではない。

川端さんは、仕事の合間だったのではないかと思いますが、勤め先の社長にも報告済みで、そのうえ、湯島に行くなら持って行けと言われて社長から預かったお菓子まで持ってきてくれました。川端さんも川端さんら、社長も社長。不思議な会社です。

議論好きが集まったので、話し合いが始まりました。
実は私は今日は、パンデミック条約に関するデモ集会に顔を出す予定でしたが、天気も悪いし途中で倒れたら迷惑だと言われて、行くのをやめたのですが、デモに行った2人がメッセンジャーで動画などを次々と送ってきてくれました。ものすごい人のようで行かなくてよかったです。おふたりからは実況中継動画などが時々入りました。

そろそろ終わりかなと思っていたら、先週、静岡県知事選挙に立候補した濵中さんが、浜松から車でやってきました。一緒に活動していた近藤さんも一緒です。
濵中さんはこの選挙を皮切りに、請願権運動を本格化しようとしているのです。
濵中さんにとって選挙活動は全くの初体験、聞けば私よりも知りません。そうと知っていたらもう少しアドバイスできたのにと思いました。でも人は実際にやってみないと、自分がわからないことさえもわからないものです。

たまたま濵中さんたちが来る前に、政治への関心が強い生活者のおひとりが来ていたので、彼女も加わって、帰りそこなった川端さんも加えて、話が展開。刺激的な話し合いになった気がします。いよいよ請願権運動が始まります。
濱中さんにとっては、浜松から3時間かけてきた意味はあったようです。

まあそんなこんなで、私は予想以上に長居をしてしまいました。ドーナツもいささか食べ過ぎてしまいました。
来客も途絶えたし、そろそろ帰ろうと思い、最後に残っていた濱中さんたちと外に出たら、そこで次の来客にぱったり会いました。
少しばかりの立ち話。と言っても興味ある話がいくつか。
でも私も浜松組も部屋には戻りたくないので、そこで新客に鍵を渡して帰ることにしました。
彼女は、コーヒーを飲みながら、今度予定されている中国文学サロンの作品を読んでいくそうです。作品は湯島の部屋に置いてあるのです。

今朝、メールでその後の話が届きました。
最後のカギ閉め当番を申し出てくれていた升田さんが、最後の来客となんと9時過ぎまで話していたそうです。やはりディナーも用意した方がいいと升田さんは提案してきました。きっと自分がお腹が減ったからでしょう。

とまあ、こんな感じで、昨日のオープンカフェは終わったようです。
主催者ではなく、お客として参加するのも新鮮です。
ある人が、これは面白いですね、と言ってくれました。
今月もやろうと思います。
今度こそ、私は行かないつもりですが、やはりついつい行ってしまうかもしれません。

でも一番の理想は、湯島が毎日、こんな「オープンカフェ」になればいいなと思っています。実はそれが30数年前にサロンを始めた時に目標だったのです。
久しぶりに原点を思い出させてもらいました。
オープンカフェにご来客のみなさん、もちろん来客の一人だった私も含めて、ありがとうございました。とてもたくさんの元気をいただきました。

さて今月のオープンカフェはいつにしましょうか。
最初と最後の当番をやってもいいという人が出てきたら、その人の都合で開催日を決めたいと思います。
やってもいいという方がいたら、ご連絡ください。

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