■新聞・テレビのない1週間
入院しているおかげで、この1週間、新聞とテレビから完全に遮断された生活を送っています。
たぶん私にとっては初めての体験です。
ネットニュースは基本的に見ませんので、世間から遮断されたと言ってもいいでしょう。
ただネットを通して個人的にはいろんな人とのやり取りはほとんど変わっていないので、身の回り関係では何の変化もありません。
つまり身の回り関係以外の社会からちょっとだけ情報遮断されているということです。
正直、何の違和感もありません。都知事選もガザの話も、ましてや興味本位な犯罪情報が入ってこないだけ、精神の安定にはいい気もします。
しかし、1週間経過して、やはり新聞が私の場合、とても重要なことに気づきました。
と言っても、私はほとんど新聞は読みません。
購読しているのは「朝日新聞」ですが、毎朝、5分ほど目を通すだけです。
特に読みたい記事があるときには、後でそこをきちんと読みますが、朝、全紙面をさっと読み流すだけで、なんとなく世間の動きが感じられます。それがどうも重要なようで、そこで私の関心が刺激され、以後、なんとなくそのことに注意祖W向けているのでいろいろと追加情報が入ってくる気がします。
テレビ欄もさっと見ますが、これも私にはかなり大切です。
テレビもニュースは一応見ますが、最初に出る予定されたタイトルだけで終わることも少なくありません。テレビニュースは私にとってはどうも繰り返しばかりで退屈です。それに画像情報は刺激が大きくて、むしろ思考を呪縛しかねない。それに、そもそも私が知りたいことではないことの方へと画像は向けられることが多いのです。
でも1週間、新聞やテレビを見ていないと、政治への関心は急速に低下、というか、変質するような気がします。うまく言えないのですが、日常から離れた「物語」のようになる。
新聞を毎日読まない人が増えているようですが、そういう人たちは、あきらかに私とは別の世界で生きていることになりそうです。話がかみ合わないわけです。
こういう状況で、ちょっと刺激的な話を聞くと大きく影響されるような気もします。
ポピュリズムが広がったり、陰謀論が出回ったり、極端な意見やヘイト思考が広がるのも、こうしたことが素地になっている気がします。
やはり毎日、日常的に新聞に接していることの意味は大きい気がします。
情報を受け取る主体が自然のうちに育っているのです。よく新聞に洗脳されているという話も聞きますが、情報を受け取る主体ができていなければ、そもそも「洗脳」されるまでにも至らない。簡単にデマやフェイトを信じてしまう。
新聞は「朝日」でも「産経」でも「赤旗」でもいいでしょう。定点観測的に、全体像を伝えてくれる新聞に触れていると、もちろん影響される面はあるでしょうが、それよりももっと大きな意味があるような気がします。
明日は帰宅後、1週間の新聞を改めて読むつもりです。
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