■節子への挽歌6027:自分の正義をもっと大事にしないといけません
節子
やはりおかしい。昨夜もあまり眠られませんでした。
疲労が一向に抜けない。
毎週、前半は休養で、後半は喝度死すGで、週末にダウンしてします。
懲りないバカの繰り返しです。
まあここまでバカを繰り返すと、もしかしたらバカなことはよくないのではないかという気にさえなりかねない。
そこで今日は、気になっているサロンの報告も書かず、陽射しに誘われて行きたくなった畑にも行かずに、ずっとソファーに横になっていました。やったのは、駄菓子を食べながら、今度のブックサロンのための読書と録画していたテレビドラマを観ること。
ところがやはりそれがよくなかった。
観たドラマは、「アンチ・ヒーロー」と「Believe」です。いずれも終わりに近くなっています。ちなみに今は、この2作品が私のお気に入りです。毎回、涙まで流してしまう。
何がよくなかったかというと、特に「アンチ・ヒーロー」第9話ですが、「検察の正義」論に対する怒りがまた呼び覚まされてしまったのです。それは同時に、「Believe」にも通ずる「組織の正義」にもつながっています。
何しろ私の生きる基本にあるのは、「制度/組織vs人間」の対抗軸ですから。
中学生のころ、映画館で「真昼の暗黒」(八海事件を映画化した作品)を見た時の、あの心身の震えが久しぶりに襲ってきたのです。そして、最近の生き方がどうも「怠惰すぎる」ような気がしてきたのです。
そういえば、判決サロンもその後、さぼっています。サロンで気づいた実践活動も先延ばししているきらいがある。いま拡がっている地元の活動も、ちょっと観察者的に見ているところがある。サロンをやれば、いいわけじゃないだろう。そんな生き方で後悔しないのか。
休養などといって逃げている場合じゃないだろうという気になってきました。
そこで、まずは先延ばししていたサロンの報告を書こうとパソコンを開いたら、驚くなかれ、3人の人から会いたいという連絡が入っていました。
みんな何事でしょうか。私の怠惰さが伝わって、諭しに来るのでしょうか。
さらに長い企画書も届いています。こんなに疲れているのに、読めというのか!
やはり私には、休養は向いていないようです。
休養すると、必ずと言っていいほど、何か新しいことが飛び込んでくるのです。
人の定めは、変えられないようです。
でも、「怒り」は鎮まらない。なんだか無性に腹が立つ。
いや、これって「疲れ」が原因ではないのか。
だんだん混乱してきました。
やはり休養が必要なのではないのか。
まあまずは溜まっているサロンの報告を書きましょう。
そして明日はやはり畑に行きましょう。
それが一番いい。
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