« ■急性膵炎入院報告13:退院 | トップページ | ■節子への挽歌6053:真面目に休養をとりました »

2024/06/30

■急性膵炎入院報告〔番外編〕:安定・依存な生き方か自由・自立な生き方か

退院して一夜が明けました。

病室での朝とわが家での朝とではやはり違います。
今日は病室でのリズムと最初から違っています。
入院時と同じく、相変わらず昨夜は眠れず、朝方に寝てしまい、今朝は6時に目が覚めました。病室でのルールでは急いで洗顔し祈りを捧げ、朝の回診を待たねばいけません。

しかし、もう気にすることはない。勝手な行動ができます。
そのまま7時までベッドで本を読んでいました。
ちなみに病院では読めなかった本も、帰宅したら読めるようになりました。

病院では時間管理はされていますが、何もしなくても、安心で安定した生活は送れます。
問題が起こったら、ナースコールをすれば誰かが来てくれて問題を処理してくれる。
時間になれば食事が出てきますし、定期的に健康管理の体温や血圧が測定される。
いつも誰かがケアしてくれ、問題が起これば解決してくれる。
安定した状況の中で、安心して暮らせます。

でも退院してわが家での生活は自分を自分で管理しなければいけませんし、食事も自分でつくらないといけない(私の場合は幸運にも娘がつくってくれますが)。食事時間も自由ですが、時に忘れて抜いてしまうこともある。間食は自由ですが、注意しないと体調を崩す。すべては自己責任。

安定・依存な生き方か、自由・自立な生き方か。

多くの人たちは、前者の生き方を望んでいるのかもしれません。自由や自立よりも、安定や依存を求めているように、私には思えます。
あるいは、そういう生き方を望むように、もしかしたら政治や経済は動いている。
こんなことを入院中に考えていましたが、退院してみて、改めて私はどちらの生き方をしたいのか考えました。

やはり私の場合は、後者の生き方です。
今回、10日間の入院で、改めてそう確信しました。

昨日は、いささか食生活を乱しました。意図的にです。
医師が言った「脂っこいもの」は避けましたが、思い切り身体に良くないようなものを間食してしまいました。それも録画されていたドラマを観ながら、だらしなくです。
退院時は、前回の轍を踏まないように、今回は食に気をつけようと思っていましたが、家に帰れば、そんなことはやはり忘れてしまう。困ったものです。

病院では4回、規則正しく散歩していたのに、散歩どころかソファーに座ったまま動かない。退院したらやろうと思っていたことも一切手つかずでした。
まるで、自由とは怠惰と同義のようです。

病院からの帰り、娘に頼んでスーパーによって、食べたいものを買って帰ったのですが(メロンは食べたかったですが、高かったので買えませんでしたが)、その時に、病院ではあんなに元気だったのに、外に出るとこんなにも疲れるのかと感じました。帰宅したらなにもやる気が起きてこなくなったのです。
やはり10日間の入院生活は、私には疲れをかなり残しているようです。

安定した安心な生活がもたらす「疲れ」と自由で自立した生活がもたらす「疲れ」とは違うようです。
とすれば、もしかしたら、現代社会は意識されていないような「疲労」が鬱積されている時代かもしれない。それが、最近の社会の実相に現われているのかもしれない。
そんな気がしてきました。

社会も身体も、どうも2種類の疲れがある。
病気や健康は、どうも違った2種類の「疲れ」に左右されているのかもしれません。

昨日は徹底的に怠惰したので、今日はたぶんかなり日常化できるでしょう。
朝、まずこれまで溜まっていた新聞をすべて読みました、というか確認しました。
時代にちょっと追いつけた気がします。
社会は相変わらず病んでいるようです。いや、疲れているようです。

|

« ■急性膵炎入院報告13:退院 | トップページ | ■節子への挽歌6053:真面目に休養をとりました »

医療時評」カテゴリの記事

生き方の話」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ■急性膵炎入院報告13:退院 | トップページ | ■節子への挽歌6053:真面目に休養をとりました »