地方自治体での改革の実績を背景に、国政選挙や都知事選に出て旋風を起こしたり、あるいはテレビなどマスコミで大活躍したりしている人たちも少なくありませんが、かつてささやかながらも自治体の改革に触れた経験からすれば、なんだか地方自治体の場が、利用されているような気がしてなりません。国のために、私たちの生活基盤である地域共同体が壊されているようで、コモンズの共創に関心のある私としては、そういう人たちがどうも信頼できません。
地方自治体の議会にまで国家政党が影響を与える最近の風潮にも違和感があります。生活の場を豊かにするはずの地方自治体から、肝心の自治の思想がどんどんと奪われている。
最近の政治では、人気とりのバラマキ政治が問題にされていますが、その風潮は地方自治体にまで広がっています。短視眼的な制度改革やバラマキ行政で話題になった地方自治体はその時は確かにいいのでしょうが、10~20年後に振り返ってみると、逆に問題を引き起こしているところもないわけではない。私たちの生活の視点で考えれば、大切なのは今だけではなくて、10年後、20年後、いやもっと長い目で考えていく必要があります。でも住民さえもが、自分は汗をかかずに、そうした短視眼的な施策を行政に求めだしている。まさにお上に隷属する民が増えてきている。
長期的な視点が失われたために、日本の政治は混迷を極め、為替レートに象徴されるように、いまや日本の国力は信じがたいほどに急降下していますが、その同じ風が地域自治体にも吹き始めている。
しかし、従来の基準から自由になると違った動きや未来も見えてきます。
住民たちが中心になって、汗をかき、知恵を出し合う動きも各地で始まっています。時流に流されることなく、地域の特色や歴史を踏まえて、住民の生活を基軸にしっかりした地方づくりに取り組んでいる自治体もある。
政治の捉え方を根本から変えないと流れは見えてこない。そのためにも、国政とは違った地方政治の動きに目を向ける必要があると思っていた矢先に、元開成町の町長だった露木さんから、いまやキラリと光る存在になった開成町の経緯と自らの体験からの地方自治体における首長のリーダーシップの大切さを紹介したいという申し出があって、実現したのが今回のサロンでした。
長々と余計なことを書いてしまいましたが、こうした問題意識を持っているものとしてはいろいろなことを考えさせられるサロンでした。
このサロンの前日、私も住んでいる我孫子市で、「明日の我孫子を話し合うサロン」をスタートさせたのですが、まさにそこで参加者と私との「発想のずれ」で「論争」となってしまい、少し落ち込んでいたのですが、サロンでちょっと立ち直れました。
とまあ、いささか誤解されそうな前置きが長くなってしまいましたが、サロン自体は、露木さんが町長だった開成町を事例に、時代の大きな転換期を踏まえて、これからの地方自治体にとって必要と思われるリーダーシップ論が語られました。
露木さんは、「開成」というまちの名称の由来から話を始め、開成町の歴史をまず話してくれました。特に1960年代以降の高度経済成長期に、時代の流れに便乗した乱開発をするどころか、厳格な土地利用規制を堅持した首長のビジョンが、開成町の今につながっているといいます。
2000年代にはいり、景観と開発保全のバランスをとったまちづくりに取り組めたのは、高度成長真っただ中における開発規制があったからこそだというのです。
今年4月に「人口戦略会議」が、地方自治体の持続可能性データを10年ぶりに改訂して発表しましたが、それによれば、世界的な観光都市だった箱根や日光さえもが、2050年段階では消滅可能性があるとされています。それに対して、人口2万人弱の小さな町である開成町は持続可能性都市とされています。人口増加、子供の数の増加も定着基調になり、経済的にも安全安心的にも、自然環境的にも、住みやすいまちになっていると露木さんはいいます。
どうしてそうなったのか。露木さんが強調したのは「先見と実践」。目先ではなく長期展望をもって、住民にこびない首長のリーダーシップが大きな存在だったと言います。
開成町のそうした取り組みの参考になったのが、二宮尊徳の取り組みだったと露木さんは言います。
露木さんによれば、江戸時代末期に600もの疲弊した農村を復活させた実践家だった二宮尊徳こそ、マルクスより少し早い時代に危機に立ち向かった偉人だった。そしてその「報徳仕法(ほうとくしほう)」に関しても、そのエッセンスを紹介してくれました。
二宮尊徳は地域指導者こそが変革のカギと考えた。地域指導者が地域を変革し、その変革を他の地域が学び実践する。この連鎖によって国家を改革する。これこそが、二宮尊徳の国家改革のシナリオでした。町を興し国を創る戦略。地域からの漸進的改革路線(「積小為大」)と呼んでもいい。その考えこそ、いま求められていることではないかと露木さんは言います。
地域指導者として、その地域ならではの生活文化と生活環境を長期的な展望を持って創り出していくことこそ、地方自治体における首長の役割だ、と露木さんは考えています。住民の声を聴くことは大切ですが、住民に迎合することなく、さらには時流にも流されることなく、その地域ならではの展望を持って、100年後の地域づくりに向かって、時には「千万人と雖も吾往かん」くらいの強い信念を持って、リーダーシップを発揮しなければいけない。露木さんは、それこそがいま求められている首長のリーダーシップのあり方だといいます。
しかし果たして今、地域指導者と言えるリーダーがどれだけいるのか。政治の現状はポピュリズムが横行し財源なきバラマキで問題解決を図る指向性がひろがっている。住民も、自分たちの意見を聴いてくれるリーダーを望んでいる。このままでは地方はさらに衰退し結果的に国も亡ぶ最悪のシナリオになりかねない。
開成町における露木さんの実践は、その後の経過をみれば、モデルとしてのプロトタイプになると露木さんは言います。露木さんは、その認識のもとに、町長をやめた後も、周辺地域との連携による発展モデル構築に取り組み、世界への発信を視野に「キラリと光る」ローカル都市の創造に取り組んでいるのです。
サロンでは、露木さんが町長時代に取り組んだいくつかのイノベーションプロジェクトも紹介してくれました。いずれも現在の住民の期待に応じるというよりも、未来の住民も視野に入れながら、時流に流されることなく進めてきたプロジェクトです。たとえば、露木さんが取り組んだことのひとつに、新しい小学校の建設があります。当時、子供が多くて学校が必要だったわけではなく、むしろこんな学校で子どもを育てたいと親が思うような、とてもおしゃれな学校をつくったのです。
それは子どもたちを育てる環境を大切にするという理念とビジョンを伝えるには十分だったようです。その学校を見て近隣から転居してくる人も増え、結果的に子供が増えていったのです。子育て家族の家計を支援する施策とは全く違います。
こうしたそれぞれの地域の特性を活かした多様な地域づくりが広がれば、その集合体としての日本は、多様性があり魅力あふれる国になっていくだろう。それが、露木さんが構想している “小さくてもキラリ”戦略による国づくりのようです。
だから露木さんは、開成町で実践した“小さくてもキラリ”戦略を全国に展開していきたいと考えているのです。それを国家レベルで考えれば、日本が世界の中の小さくてもキラリ的存在となる条件が見つかっていくだろうとも言います。
長くなってしまいましたが、これでも紹介できたのは、露木さんのメッセージのほんの一部です。
露木さんの思いをもっと知りたい方は是非開成町を一度訪ねてみてください。
きっと気づかされることがたくさんあると思います。
エヴィデンスばやりの時代ですが、データや指標だけでは見えてこないものが、現場にはたくさんありますから。
自分の地域のことを紹介したいという方がいたら、ぜひご連絡ください。サロンを企画させてもらいます。

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