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2024年7月

2024/07/31

■湯島サロン「原爆をテーマに自由に話し合うサロン」のお誘い

また原爆を思い出す8月が来ます。

毎年、テレビで広島や長崎の平和式典の映像を見ながら、戦争や平和に関して、ひとりでいろいろ考えるのが私の6日と9日の過ごし方だったのですが、長崎出身の鐘ヶ江さんのおかげで、昨年は9日に「祈りのサロン」を開かせてもらい、参加者と一緒に祈りの時間を持てました。

今年は6日に何かできないかと思い、最近知り合った文京区原爆被害者友の会(文友会)の人にも相談したのですが、文友会ではその時期、集会やイベントなどを別途企画しているため無理でした。考えてみれば当然のことで、関係者にとっては、お忙しい時期なのです。文友会は今年も文京区シビックホールで核廃絶訴え「原爆の図展」を主催するそうです。

そこで今年は、特にゲストは呼ばず、またテーマも決めずに、ともかくただなんとなく「原爆」をテーマに話し合うサロンを開催することにしました。
話したいことがあれば話し、訊きたいことがあれば訊いてみる
ただ黙って祈りたければ話し合いには参加せずに一人で祈る。
怒りを放出してもいいですし、悲しみを慰めてもらうのでもいい。
提案のある方は参加者に呼びかけてもらってもいい。
オッペンハイマーの話でも、はだしのゲンの話でもいい。
そんな自由なサロンです。

もしお時間と体力・気力のある人は、シビックセンターの「原爆の図展」とハシゴしてもらうのもいいです。

ただなんとなく集まって、ただなんとなく考え話し合うサロン。
もしうまくいけば、毎月1回くらい、そんなサロンをやってみたいと思っています。
当日、気が向いたらぜひどうぞ。

〇日時:2024年8月8日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf  
〇テーマ:「原爆をテーマに自由に話し合うサロン」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2024/07/29

■節子への挽歌6090:小宮山さんが脳手術で入院

節子

小宮山さんが8月初めに入院するそうです。
先日、脳の研究をしている加藤さんに、脳の写真を克明にとって分析してもらったそうです。その結果、小宮山さんの脳は何と50代の若さを維持していると判明したそうです。
それはとてもよかったのですが、思ってもいないことに、脳に腫瘍があることがわかったのだそうです。
どうも良性の腫瘍のようですが、大きいので切除することにして、そのための入院なので、心配はないそうです。
でも脳を開いて腫瘍を取り出すと聞けば、誰も心配します。

私も8月中旬に、胆嚢摘出で入院予定です。
それでもしかしたら8月はすれ違いで会えないかもしれないので、まあ一度会っておこうかということになりました。
というのか、今朝、小宮山さんから電話があって会えないかと言ってきたのですが。

小宮山さんは私より一つ年上ですが、極めて元気です。
両足に2キロの重荷をわざわざつけて毎日23時間歩いているそうです。
まあしかし頭の方は最近いささか記憶力減退を感じさせられます。
もしかしたら、それは今回見つかった腫瘍のせいかもしれません。
手術したら、まさに50代の脳が活躍しだすかもしれません。

まあそんな話も含めて今日もまた長い時間話しました。
しかし、実のところ、小宮山さんが私に時々会いに来るのには、一つ理由があるのです。
他者のことなので、あまり広言はできませんが、自分亡き後の家族のことや自分で創業した会社のことが気になっているのです。
そして利害関係のない私の前で、なんとなく話すことで頭が整理されるのかもしれません。
私にきちんと意見を訊くわけでもありません。
でも訊かないわけでもない。
まあ、そんな会話なので時間がかかる。
そしてそれなりに疲れる。

でも小宮山さんは根っからの邪気のない善人なので、彼から声がかかると出ていかないわけにはいかない。
困ったものですが。

8月2日に入院だそうです。
何事もなければいいのですが。

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■第2回オープンカフェの報告

第1回のオープンカフェには私は参加できなかったのですが、今回は私も一つの企画を呼びかけて参加させてもらいました。
結果的には猛暑のせいもあってか、あまり参加者もなく、私の企画した早朝サロンは不発に終わってしまいましたが、1日を通せば、たぶん8人の参加がありました。

最初のメニューは「早朝サロン」。勤務前にちょっとした軽食を食べながらの交流会や勉強会のような会を、現役の企業勤務者対象に再開しようかと思っての試みでしたが、残念ながら参加した3人のうち、勤め人ではありませんでした。
それでも早朝に集まって話をする体験は新鮮で好評でした。
開始時間の朝の7時半私が点いたらすでにお2人が着いていました。話も盛り上がり、9時には終わらず、結局10時ころまでつづきました。

2つ目のプログラムは、技能実習生との交流会をテーマにした話し合いでした。技能実習生は参加しませんでしたが、この企画に関心を持った日本人が4人参加し、話し合いました。呼びかけ人の吉本さんが中心になって、プロジェクトとして動き出すことになりました。

メダカが50匹ほど持ち込まれ、欲しい人にもらってもらうというメニューもありましたが、おひとりが数匹を連れて帰り、さらに後日取りに行くのでという予約も入りました。メダカたちはしばらく湯島に滞在するので、欲しい人はお申し出ください。

私は3時ころまでいましたが、3時ころに一時全員退出。
その後、少なくともおひとりの方が読書とコーヒーを楽しみ、ついでにベランダの植物に水をやってくれたそうです。メダカを数匹連れ出してくれました。
湯島にきた人に渡してほしいと言って、映画会のチラシを置いて行ってくれました。

というわけで、今回はあまりにぎやかになったり、意外なプログラムが展開されたりはしませんでした。暑さもあったのかもしれません。
何かまた新しいことが起こると期待していましたが、残念ながら起こりませんでした。ただ数年ぶりに、意図せずに出合った人たちが何組かあって、緩やかなつながりの仲間たちにとって、こうした「場所」の大切さを感じましたし、新しいプログラムも生まれそうなので、引き続き、続けようと思いました。

こういう「機会」と「場所」を、使い込むような人がもっと増えてくればと思いますので、次回は「オープンカフェ」をテーマにしたミニサロンを企画したいと思います。
何か面白い使い方があったら提案してください。

しかし、こういうことのおかげで、最近は、湯島に行くとすでに誰かがいて部屋を涼しくしてくれていたり、誰かがいるうちに私が先に帰宅できたり、私にとっては「場所」との関係がとても緩やかになってきたので、とてもうれしいです。

参加してくださった皆さん、ありがとうございました。

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2024/07/28

■湯島サロン「カウントダウン!! 間近に迫る大激震を予測する」報告

まるで今回の中嶋「陰謀論」サロンに話題提供するためのように、トランプ前米大統領の襲撃事件が起こり、さらに現職のバイデン大統領が立候補断念という情報まで入り、サロンは大荒れになりそうな予想をしていたのですが、中嶋さんからの「大激震」は、そんな小さな話ではありませんでした。
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驚くなかれ、アメリカ大統領選挙前に、イスラエルが核兵器を使うだろうというのです。
「核兵器使用」が起これば、間違いなくそれは世界に大激震を起こします。
アメリカ大統領選挙もすっ飛んでしまうかもしれません。
まさに、世界の大激震のカウントダウンがはじまっている、と中嶋さんは言うのです。

なぜそうなるのか。
中嶋さんは、世界を動かしている勢力が、いわゆるワクチン騒動が成功しなかったために、ついに「核兵器使用」に取り組みだすという大胆な仮説を提示したのです。しかも早ければ8月か9月に。

中嶋さんの湯島での陰謀論関係のサロンが始まったのは、新型コロナ騒ぎが始まったころですが、その時に中嶋さんが主張していたことは、その後、いずれも現実のものとして現れたり、事実として証明されたりしています。
もっとも「陰謀論関係の議論」は、いかようにも真偽の評価ができるように巧みに表現されていますから、反論も成り立ち得ます。まあ、そこが陰謀論の妙味です。

もちろん中嶋さんは単に思い付きや誰かの受け売りで話しているわけではなく、長年にわたり、世界の動きをしっかりフォローしており、背後にはたくさんの裏づけ情報があるはずですので、この大胆な仮説も聞き逃すわけにはいきません。
しかもしばらくすれば、正誤が判明する仮説ですから、軽々には聞き流せません。
ただ今回はどうもその論拠はあまり明確ではなかったような気がします。
あえて明確に語らなかったのかもしれませんが。

ところで、目先のアメリカ大統領選挙は、ここにきて事態が急展開です。
中嶋さんによれば、トランプは大きな流れに掉さす存在です。大統領に復帰すればワクチン騒動もウクライナ戦争も動きが変わるかもしれません。

とはいえ、誰を大統領にするかさえ、大きな陰謀の些末な事象かもしれません。なにしろ核兵器が使用されるのですから、状況は一変してしまう可能性もある。アメリカ大統領選挙の位置づけも一変する。そのせいか、だれが大統領になるかに関しては、あまり明確な話はありませんでした。

もちろん誰がトランプを撃ったのかは、話題にはなりましたが、これも首謀者に関してはあまり話は出ませんでした。もちろん犯人として射殺された若者が犯人であるはずはないことは明確であり、物語もいかようにも書けますが、中嶋さんはあまり話を深めませんでした。同席したアメリカ大統領選をずっと追いかけている北川さんもあまり話さず、ふたりとも、代わりに、安部元首相の事件や9.11事件や月面着陸の真偽、といわゆる以前からの「陰謀論」話題へとどんどん広がっていってしまいました。それがいささか気になりました。私の関心は昔にではなく、先にあるからです。

しかし、間もなく起こるであろう大激震事件に比べれば、だれが大統領になるかなどは、些末な話なのかもしれません。ディープステートは、着々と陰謀を遂行し、大激震から大きな利益を得ることを考えているのでしょう。
中嶋さんは世界はすでにディープステートの手に落ちているが、それに対する勢力が立ち上がってきていると考えているようですが、ディープステートが大激震を起こす目的はそうした状況を変えるためなのでしょうか。
残念ながらその目的や、さらには大激震の結果にまでは言及されませんでした。

でも流れを変えるかもしれない動きは、ほかにもいろいろ出てきています。たとえばブロックチェーンを活用した暗号資産もその一つでしょう。今ごろ新札を出しているような場合ではないと思いますが、これもまた日本が置かれている状況を象徴しているような気がします。

ところでそんな話し合いのなか、陰謀論関係のサロンに初参加した人が、裸の王様に出てくる子供のように、「ディープステートって何?」との問いかけをしました。

それに対して、中嶋さんはこれまでの湯島での「陰謀論」関係のサロンで語られてきたことのエッセンスでもある「世界を支配しているグループ」を解説してくれました。彼らは、いわゆる「大航海時代」の幕開けと共に誕生した、近代国家を超えた存在で、最近では「ディープステート」とか「グローバリスト」などと呼ばれている。そして、それに対して、グローバル・サウスやBRICSが対抗勢力として台頭している世界の権力構造も改めて説明してくれました。

中嶋さんは、40年前から「陰謀論」関係の情報分析に取り組んでいますが、最近は陰謀論セミナーをZOOMで開催しています。さらに詳しくお知りになりたい方は、中嶋さんの一統塾陰謀論セミナーに参加してください。
案内は次のPDFをご覧ください。

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いつも陰謀論サロンの報告は苦労しますが、今回のサロンのポイントは、間もなく核兵器が使用されるということです。
これに加えて、参加者から次の2つの紹介もありました。

7月中に、富士山の北東部が噴火するそうです。
さらに、来年の7月5日には、隕石が地球に衝突するという話もありました。
核兵器使用も大変ですが、加えて富士山が噴火し、隕石が落ちてくる。
さてさてどうしたものでしょうか。
もしかしたら、今回が最後の陰謀論サロンになるかもしれません。

 

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2024/07/27

■湯島サロン「あはれなる民からの真の独立への道」報告

「平和」を考えるサロンの3回目は、「非武装平和国家に向けての実践的な提案」をテーマに北京一さんから「あはれなる民からの真の独立への道」と題しての問題提起でした。

北さんは、まず「あはれなる民」というタイトルに関して、「あはれ」は日本人の持っている共通感覚、「民」は否定的感情(劣等感)のニュアンスを含む言葉だと説明したうえで、こういうことがいまの日本のありようをつくってしまっているという見方ができると話すとともに、「民主主義」という言葉への疑問を投げかけました。民ではなく人を基軸にするのであれば、「人主主義」というべきであろうと。

ここから、北さんが描く「真の独立」の意味あいもなんとなく見えてきます。北さんの「非武装平和国家に向けての実践的な提案」は、「国の在り方」に正面から取り組んでの「非武装平和国家」づくりのようです。

こうして問題の構図を確認したうえでの、北さんの最初の問いは「日本国憲法は建前でしかないのか」というものでした。憲法にどう対峙するかは、「民」として生きるか「人」として生きるかの大きな分岐点です。

北さんは、いまの憲法は「建前」でしかないという学生の発言に出合って、教育に関わってきた自分はこれまでいったい何を教えてきたのだろうかと衝撃を受けたと言います。そして、憲法を建前でないものにしなければならない。憲法の精神を実現する、あるいは建前でない憲法をつくることが必要ではないかと考えたそうです。

このくだりには、北さんの今回の話の一番のエトスがあると思うのですが、これは今回のテーマではなく、文字にしてしまうとうまく伝わらないので残念ながら省略します。

そこから北さんは、憲法との関係で、いまの日本の置かれている状況を改めて調べだした。そして見えてきたのは、「日米安保」体制のもとに主権を持たない日本の現実でした。米軍基地や首都の上空を米軍に支配されているという現実も見えてきた。いま沖縄で起こっていることが、ウクライナやガザのことほどにも報道されていないことにも。
「建前」だったのは、憲法だけではなく、まさに日本の国家主権そのものだったのです。それに関して、ていねいに説明してくれました。

これは、湯島のサロンでもよく話題になっていますので、内容は省略させてもらいます。
そうした日本の政治の実態(たとえば沖縄の基地の状況や日米共同委員会の動き)に関して、見ようと思えば見えていたものを、さも見えていなかったように、10年ほど前から盛んに情報が流布されだしています。そこに私は大きな「意図」(「陰謀」?)を感じますが、それはともかく、そういう「事実」を見ようともせずに、多くの人は、憲法をないがしろにし、日米安保に依存していることに、北さんは「あはれなる民」を感じているようです。民はお上に身を任せてしまう存在ですから、自ら情報を取りにはいかないのです。

ある調査によれば、日米安保は破棄し、日本国憲法の理念をしっかりと守ろうと考えている人が2%いるそうです。北さんは、そうした「憲法護持・安保廃棄」の考えをもっている人に、「民」ではない「人」を見ているようです。
2%といえば、250万人。
たとえば、軍隊を持たない国として有名なコスタリカは人口500万人ですが、同じく軍隊のないアイスランドは40万人。250万人でも十分に一つの国家を成立させることができる、と北さんは言います。
ならば、「民」が構成する日本から「独立」した「国」が成り立つ。

北さんのいう「真の独立」は、「民」意識に呪縛されていない「人」によって、新たな独立国家をつくることなのかと一瞬思いましたが、たぶんそうではないでしょう。それがまさに「非武装平和国家に向けての道の第一歩」なのです。
また北さんは、こうした「一国連邦制」あるいは「一国二制度」は「分断」ではないと言います。そこで参考になるのが、西田哲学の「絶対矛盾的自己統一」の考え方だという。

このあたりは、もう少し詳しくお聞きしたかったのですが、時間の関係に加え、私の消化不足で、咀嚼できませんでした。
ただ北さんが途中で、日本を象徴する日の丸を、陰陽太極図のように分割した図を示してくれましたが、それを見て、「民」と「人」もまたコインの裏表であり、2つの国という捉え方もまた「真の自立」への方便と捉えることができるようにも感じました。そこにガンジーも感ずる。これは私の勝手な妄想ですが。

とはいえ、私自身は「国」あっての「民」と考えていますので、同じ思いの人がまた「国」をつくるという発想には抵抗があります。それでは一向に「民」から解放されないのではないか。あいかわらずの「公」の発想ではないのか。

そもそも「民」と「人」とはどこに違いがあるのか。
それに「憲法護持」とか「安保護持」という言葉は、いかにも多義的ではないのか。
民と人との違いがもしあるとすれば、護持でも廃棄でもなく、憲法を活かし、安保を創り出すという主体性ではないのか。つまり、制度やシステムに身を任すのではなく、制度やシステムを活かす主体性を持つことではないのか。

つまり、「国の在り方」ではなく、「人の生き方」こそが問題なのではないのか。
そうしたことをもう少し議論したかったのですが、今回は時間切れでした。
できれば今回の問題提起を受けての話し合いを北さんにもう一度やってほしいと思います。

かなり未消化の報告ですみません。
私の勝手な解釈での整理なので、北さんの意図を誤解している恐れがありますので、北さんの提案に関する文責は私にあります。

しかし、ウクライナやガザには関心を持っても、沖縄の現実に関心をもたなくていいのか、という北さんの呼びかけには心より共感します。
9月には、また沖縄南西諸島の現実を話題にしたサロンを緒方さんにお願いしています。日本でも少しずつベリングキャット活動も広がりだしています。建前である憲法を活かそうという、たとえば請願権に取り組む動きも湯島のサロン仲間にも出てきています。

民から人へ。意識を少し変えるだけで、生き方が変わってくる。
そういう動きが広がることをこれからも地道に心がけていきたいと思います。

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2024/07/25

■7月26日、早朝サロンを開催します

あまりに直前の案内ですが、明日、7月26日のオープンカフェを利用して、湯島で早朝サロンを開催します。

主に、会社勤務などのある人を対象にした、出勤前の早朝サロンです。
朝食を持参していただき、朝食しながらの参加も歓迎です。
開始時間は7時半、終了時間は9時ですが、途中の出入りは自由です。
私もたぶん7時半ぎりぎりに着きます。

以前の湯島のサロンは、会社勤めや役所勤めの人が多かったので、主に平日の夜に開催していましたが、最近は夜の開催がなくなったため、勤めのある人の参加が難しくなっていました。それもあって、夜の開催の要望もあるのですが、私が基本的に「朝型の生活」に切り替えたため、夜のサロンができなくなっています。
その代わりに、早朝サロンを復活することにしました。
参加者がいるようであれば、月に一度程度の開催を考えようと思っています。

急なお誘いなので今回は参加者はいないかもしれませんが、もし気が向いたら、出勤前の1時間をサロンでお過ごしください。

〇日時:2024年7月26日(金曜日)午前7時半~9時(出入り自由)
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:特にありませんが、どんな早朝サロンなら参加したくなるかなど、気楽に話し合えればと思います。
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■第34回万葉集サロン「巻1-5~6の「軍王」の歌」のご案内

「帰化人の歌」最終回は、何かと問題の多い、巻1-5~6の「軍王」の歌を読みます。
予告させていただいていますが、今回は恒例の第3日曜ではなく第2日曜なのでお気をつけください。

「軍王」の歌は、巻1の、しかも雄略天皇・舒明天皇・中皇命の歌に次ぐ位置に置かれている歌ですが(ちなみに次に額田王の歌が続きます)、読み手の「軍王」に関しては、古代文献ではここにしか名を見ない伝未詳の人物です。

また、題詞によると、舒明天皇が行幸した折に、軍王が詠んだ行幸従駕歌とありますが、体裁はともかく、全く地名が詠み込まれておらず、いわゆる行幸従駕歌とは違っています。

作者、人物像、作った年代、どこでどんな場所でなど、解決されていない問題の多い歌ですが、今回はこの歌を通して、これまで読んだ帰化人の歌を、改めて逆照射からの読み解きをしていこうというのが升田さんのお考えです。

歌を読みながらいろいろな問題に言及し、これまで読んできた帰化人の歌を重ねながらまとめてもらえるということです。

歌の解釈だけではありません。
軍王が帰化人であるとすれば、この問題の多い歌を、編集の際にここに挿入したことにこそ、当時の列島に先住していた人たちが「帰化人」をどう思っていたかを考える重要なヒントがある、と升田さんは言います。
つまり「帰化人」とは一体何なのか、にも話は行くかもしれません。

ちなみに、軍王を舒明期に百済から渡来してきていた百済王の子の余豊璋を指すとする説もありますが、想像を膨らますには事欠かない人物です。そもそも「軍王」とは不思議な名前です。これだけでも升田さんは1時間以上話してしまいそうで、いささか心配ですが、どうなりますか。

いずれにしろ、升田さんは、日本人倭歌帰化人との交流はとても刺激的だったと考えています。その交流のなかで、「た・な・わ」の捉え方も大きく変わっていく。「自己」の捉え方はもちろん、人と人のつながり方や社会のあり方が変わってくる。

話題満載のサロンです。
みなさんの参加をお待ちしています。

〇テーマ:「帰化人の歌を読む④ 巻1-5~6の「軍王」の歌」
〇日時:2024年8月11日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

 

 

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2024/07/24

■第3回ブックサロン「『利己的な遺伝子』論から眺める人間観」報告

リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』論を切り口にして、人間とは何かを考えてみようという近藤さんのサロンには、多彩な参加者がありましたが、私自身の消化不足でうまく報告できません。
報告が書けないうちにどんどん日が経ってしまい、いつものようにメモも取っていないので、これ以上延ばすと全く書けなくなりそうです。
そこで近藤さんにも手伝ってもらって、中途半端な報告を送らせてもらいます。
中途半端な、というのは、近藤さんにこのサロンの続編をやってもらおうと思っているからです。

とりあえず、近藤さんが当日つかったチャートを見ていただいて、どんな話し合いがあったかを想像していただこうと思います。

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近藤さんはまず、話の前提になる『利己的な遺伝子』のコアメッセージを「個体(表現型)を支配する遺伝子」と要約し、人間もまた遺伝子に支配される表現体のひとつだと切り出しました。

そして、「淘汰」の単位については、階層性があることに言及。淘汰に関しては、「種単位」「集団単位」「個体単位」など、いろんな捉え方がありますが、ドーキンス自身は「遺伝子」を単位として考えています。この点をきっちりと整理しておかないと、「利己的な」という意味もあいまいになってしまいます。つまり、「単位」(「己」と言ってもいい)をしっかりしておかないと「利己」と「利他」はつながってしまうのです。

つづいて近藤さんは、「脳、意識、知性は遺伝子支配からのレジスタンス」と言って、ドナルド・パフの「利己的な遺伝子 利他的な脳」を紹介してくれました。
個体が“遺伝子の支配”を離れ、独自の主体性を獲得し、手段から自己目的的な存在へと転化していったのが、人間だというわけです。
まあ、これもいまでは通説と言ってもいいでしょう。

そしてその人間は、遺伝子と似たようなミーム(松岡正剛さんはそれを「意伝子」と命名しました)を生み出し、それがあたかも「利己的な遺伝子」と同じように、その表現型である社会をつくっている。そこには、フラクタルな相似関係がある。
ミームに関しては、ドーキンス仮説を読み解くキーワードのようにも思いますが、ドーキンスはゲームの理論に逃げてしまって、ミームについてはしっかりと議論していないような気がします。しかし、ミーム論はむしろドーキンスを離れてさまざまに展開されています。

この辺りまではなんとかついていけたのですが、近藤さんの話はそこからさらに発展していきます。しかも、時間が足りなくなって、かなり急ぎ足にもなってしまった。
共感できたところもできないところもあるのですが、うまく報告する自信がないので、近藤さんに思いきり、要約してもらいました。
添付のチャートと見比べながら読んでみてください。

カタツムリを操って鳥に食べられるように仕向けて繁栄する寄生虫の遺伝子。
冷酷で悪辣なイケメンに惚れ込み子を宿して棄てられる女の息子は世にはばかって多くの遺伝子コピーを拡散する。

長く続いた温暖遊動狩猟採集に適応して文化を築いた人類は、寒冷定住農耕で文明を作り、人口爆発資源枯渇の奪い合い時代に至ったが、いまだココロの古層はせいぜい新石器時代と同じ。

睡眠・疲労・酩酊・鬱・認知症など、覚醒度が下がるとすぐに①遺伝子の支配、②本能の支配、③古層心理の支配が人格を乗っ取る。

神に次ぐ強大な力を得てしまったヒトは乗っ取られた状態で力を発揮すると自分も相手も滅ぼす。才能を擬装した狂人に社会を動かす力を与えてはいけない。
それを防ぐには、各自が覚醒を維持することが肝要。

以上が、ドーキンスから示唆を受けての近藤さんの人間観です。
なにやら難解ですが、何やら共感したくなる気もします。
遺伝子と古層心理の人格争奪戦、というのも魅力がある。

ではどうするか。
近藤さんは、①③連合に屈するか、オーバーマインドに孵化できるか。これからが人類最大のチャレンジだと言います。
これもまた、よくわからない。
でも近藤さんは、スローシンキングとメタ認知を文化にインストールするところから着手したい、と簡単に言うのです。
「メタ認知」は、湯島のサロンで時々話題になります。たぶん今月末から始まる遠山さん(今回のサロンにも参加していました)の社会心理学講義のサロンにもつながっていくでしょう。

いささか混乱していたら、遺伝子の世界に詳しい山森さんが、神の呪縛から解放したのだと、ドーキンスを高く評価したのです。
山森さんは、神の存在などもってこなくても、進化は説明できるとドーキンスは明確に主張し、神という恐れ多い大きな力から人間を解放してくれたというのです。よく言われるように、本書は「科学革命の本」だというわけです。
個体の主体性を否定しておいて、なにが科学だと思っている私には、違和感がある評価ですが、これはもともと「科学」の捉え方の違いかもしれません。
これは、山森さんにまたサロンをお願いしたいと思っていたテーマです。

とまあ、こう書いてきたものの、サロンの様子がどの程度伝わっているのか全く自信が持てません。間違いなくずれてしまっているでしょうね。
ドーキンスに関しては、私はできの悪いSFくらいにしか考えていなかったのですが、今回、何十年ぶりかで、ドーキンスの40周年記念版を読み直し、今もって世界的に人気があり読まれていることを知りました。
そして、せっかく近藤さんが、そこから大きな俯瞰図を構想してくれたので、ドーキンス仮説からはじまるこのマップをもう少し理解したくなりました。それを通して、近藤さんのライフワークテーマの「死生観」にたどり着けるかもしれません。
それに添付のチャートにも出てくるように、近藤さんは何冊かの関連図書も紹介してくれています。

それで、近藤さんに、このチャートを敷衍してもらうサロンを継続して開催してもらうようにお願いしました。

というわけで、今回のサロンの報告は次回からの近藤さんの連続サロンに引き継いでもらいます。
次回の近藤さんのサロンは8月下旬を予定しています。日程が決まり次第、ご案内させてもらいます。
おかしな報告ですみません。

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■第2回あすあびサロンへのお誘い

我孫子をどんなまちにしたいかを、我孫子住民が中心になって、自由に話し合う「我孫子の明日を話し合う」サロン(“あすあびサロン”)の第2回のご案内です。

1回目(7月13日開催)は、市議会議員の坂巻宗男さんをゲストにお呼びし開催、15人の参加者がありました。
その簡単な報告は下記にあります。
https://www.facebook.com/groups/1157264445390914/posts/1157270475390311

2回目は、同じく市議会議員の甲斐俊光さんをゲストにお願いしました。
ちなみに、あすあびサロンでは3回目までは、できるだけ立場が違う市議会議員から話題提供してもらうことにしています。
特定の市議会議員と特につながっているわけではありません。あすあびサロンの主旨から言って、やはり私たち住民が選挙で我孫子の未来を託した市議会議員の思いからはじめようと考えました。
4回目以降は参加者みんなで決めていければと思っています。
なお、市議会議員を特別扱いする意図は全くなく、みんなと同じ我孫子住民と位置づけていますので、ゲスト以外の市議会議員の参加も歓迎です。

今回の話題提供者は、市議会議員の甲斐俊光さんです。
甲斐さんにお願いした理由の一つは、甲斐さんが手賀沼フィルムコミッション専務理事として、映画やドラマなどの舞台として我孫子を売り込む活動に取り組んでいることです。
最近、テレビドラマでも時々、我孫子が舞台として登場していますが、そういう場所選びにも関わっている甲斐さんが目指している我孫子の未来のイメージに興味があるからです。
もちろんそれだけではなく、甲斐さんが取り組んでいる、我孫子市の住民としての活動なども話してもらえればと思っています。

この会は、「サロン」ですので、時間ができた人が気楽に参加して、話し合うという気楽な会ですので、誰でも歓迎です。
前回も3歳の子どもが参加してくれましたが(話し合いには残念ながら参加できませんでしたが、そこにいるだけで場の雰囲気は変わります)、だれでも参加歓迎です。我孫子の住民でなくても、歓迎です。いつか我孫子の住民になるかもしれませんので。

前回同様、今回も最初に甲斐さんから30分ほど、「我孫子をどんなまちにしたいか」を話してもらい、後は参加者みんなで、本音で話し合えればと思います。

暑い時期ですが、ぜひ多くの人に参加してもらい、思いをぶつけ合い育て合ってもらえればと思います。
参加ご希望の方は、できるだけ下記申込先までメールでお申し込みください。なお当日、急に来られなくなったり、申し込んでなくても行きたくなったりしても、いずれも事務局は気にしませんので、気楽にお考え下さい。何しろ気楽な「サロン」ですから。

申込先:準備会事務局佐藤修(qzy00757@nifty.com

〔第2回あすあびサロン〕

〇日 時:2024年8月24日(土曜日)午前10~11時50分(9時半開場)
〇会 場:アビスタ第2会議室
〇ゲスト:甲斐俊光さん(市会議員:手賀沼フィルムコミッション専務理事)
〇協賛費:会費ではなく、ワンコイン(100円)を目安にした自由寄付方式
〇主催者:“あすあびサロン”準備会(事務局佐藤修 qzy00757@nifty.com

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2024/07/23

■第2回湯島オープンカフェが近づきました

7月26日は、第2回湯島オープンカフェです。
私が把握しているものでは、いまのところ3つのイベントが提案されています。

 午前7時半~9時前後 早朝サロン(職場出社前カフェサロン)(佐藤修)
午前11時半~13時 技能実習生との触れ合いを考える話し合い(吉本さん)
全時間 メダカが欲しい人への子メダカ提供(Tさん)

 ほかにも、もしかしたら夕方から最近、コスタリカに行ってきた黒田さんのコスタリカ報告会など、ミニセッションかもしれません。
もしなにか企画のある方は気楽にこのメーリングリストで呼びかけてください。

 運がよければ、最近、バリ島に行ってきた阿部さんからの提供の「コピルアカ」(ジャコウネコのコーヒー)の試飲会があります。ないかもしれませんが。

 ともかく目指すのは、バザールです。
なんでもありのオープンカフェですので、よろしくお願いします。

 前回私は入院してしまい参加できませんでしたが、今回は朝の7時半から参加し、お昼の吉本さんのサロンに参加、それ以外も、もしかしたら参加しようと思っています。

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■第4回ブックサロン「100万回生きたねこ」のお誘い

ブックサロンは、いろんなスタイルで展開できそうで、増やしていきたいと思っています。こんなブックサロンをやりたいという方がいたら気楽にご連絡ください。一緒に考えさせてもらいます。

第4回は、「絵本」を取り上げます。
ヒントを下さったのが、ブックサロンファンの菅沼三貴子さんですので、菅沼さんに先導してもらうことにしました。

菅沼さんが選んだのが、一時期大きな話題になった佐野洋子さんの「100万回生きたねこ」です。私も、その時に流れに便乗して読みましたが、正直、とりこにはなりませんでした。でも今回、改めて読みなおそうと思います。
菅沼さんによれば、「読む年齢によって感じ入る箇所が違う、奥が深い絵本」だと言います。奥の深さが少しわかるかもしれません。

菅沼さんはまた、人はみんな「記憶の絵本」を持っているのではないかと言います。
そう言われて私が思い出したのは、ばばこういちさんの「11匹のねこ」シリーズで、なぜか「ねこ」。孫に全冊プレゼントしましたが、あまり喜ばれませんでした。

菅沼さんは他にも数冊の絵本をあげてくれました。
そして、「こどものために買って、でも大人でも心に残る絵本」があると言います。
さらに、大人向けの絵本もある。

というわけで、4回目のブックサロンは「絵本」です。
前半では菅沼さんに「100万回生きたねこ」を語ってもらいます。たぶん忙しさの中で忘れてしまっていた「絵本の魅力」に気づかせてくれるでしょう。
そして後半では、参加者それぞれから「記憶の絵本」あるいは「今なお手元に置いてある絵本」を紹介してもらう。
そんな気楽なサロンです。
最後にちょっとだけ、「絵本の力」についての話し合いもできればと思っています。

暑さ真っ盛りの時期ですが、みなさんのご参加をお待ちします。
楽しいサロンになると思います。

〇日時:2024年8月4日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「100万回生きたねこ」を中心にして絵本の魅力を話し合う
〇話題提供者:菅沼三貴子さん(ブックサロンファン)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2024/07/21

■節子への挽歌6081:「おかしいことを見過ごしにはできない」

節子

最近、湯島のサロンに来るようになったNさんから、一度、話を聞いてほしいと言われました。
Nさんは40年ほど、ドイツで暮らしていましたが、8年ほど前に日本に戻ってきました。いまはあるNPOでボランティア活動をしているのです。
悩みなどなさそうな人だったので、意外だったのですが、話を聞いたらボランティア活動をしているNPOでの人間関係の話でした。
海外生活も長く、しっかりした主体性をお持ちのNさんが、まさかボランティアで悩みとはと思いましたが、訊いてみるとどうもそのNPOにおいて、Nさんにとっての「不条理」が起こっていると思っているようです。もっと平たく言えば、Nさんがパワハラを受けているという話でした。

ボランティアなのだから、もしそういうことが起こればやめればいいではなかと単純に思うのですが、Nさんは、「おかしいことを見過ごしにはできない」というのです。
そういわれれば、私も納得せざるを得ず、お話をお聞きしました。

驚いたことに、私が知っている人が、それも複数登場するのです。
しかも以前、そのNPOの理事長初め、いろんな人が湯島に相談に来ています。
さらに話を聞いていくと、そのNPO以外の関係者の中にも、私の知っている人がいるのです。
当然ながらNさんは、まさかそんなこととは思わずに相談してきたのですが、中には私と親しい人もいるためいささか話はややこしくなってきました。

もっともそのNPOに関しては、私も理事長初め、数名の理事や関係者が湯島に相談に来ていますが、私自身の考えとはかなり違うため、おそらく私と話していても意味がないと感じたのか、1年ほどで、結局、誰も相談に来なくなってしまいました。
そんなこともあったので、まあNさんの話も、それなりに理解できましたが、私の親しい友人までが関わっているとは意外でした。

早速、その友人に連絡して、3人で会おうかと思ったのですが、その友人からの話でちょっと待とうと思いなおしました。
私はこれまでこうやって、問題を軽く考え、なんでもすべて話せばわかり合えると思ってきましたが、その結果、つまらないトラブルを起こしたりもしています。
さてさてどうするか。

Nさんのいう「おかしいことを見過ごしにはできない」ということには共感するのですが、やはりもう少し事実をきちんと押さえないといけなさそうです。
人と付き合うのは、ほんとうにわずらわしい。
よくまあこんな生活を続けてきたものです。

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2024/07/20

■節子への挽歌6080:「佐藤さんに、元気で長生きしてもらう会」

節子

私も知らなかったのですが、「佐藤さんに、元気で長生きしてもらう会」の怪異と称する方からメールが来ました。
そして、

今度、ビワの生葉も何枚か持っていきます。患部に、葉っぱと小さめのホカロンか、
こんにゃく温湿布をすると、ガンも消えると、自然療法家の東城百合子先生はおっしゃっていました。

とあり、最後に、

「佐藤さんに、元気で長生きしてもらう会」会員〇〇〇〇拝

とありました。

私のがんはもう終わったはずですが、どうもこの人は私がまだがんと闘っていると思っているようです。
なにしろ私は、ブログやフェイスブックで、気楽にいろいろと書いているので、勘違いしてしまう人も多いのでしょう。

ビワの葉療法にはいろんな思い出がある。
節子の時には近所でビワを育てている家にお願いして葉をたくさんもらったりしました。まあその種の本もたくさん読みました。
そうした節子と一緒に取り組んだがんとの付き合い方の体験から、いまの私のがん哲学のようなものはできているのでしょう。
いまであれば、当時とは違った対応をすることになるでしょう。
でもどちらがいいのかは、わかりません。

ところでこの人には次のように返信しました。

ついに「佐藤さんに、元気で長生きしてもらう会」ができましたか。
でも、この歳になると、長生きへのモチベーションはなくなりますね。
むしろ、「佐藤さんに、早く彼岸に旅立ってもらう会」ができてほしいです。
彼岸に旅立つ魅力も歳とともに大きくなってきますから。

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■湯島サロン「先見と実践~地方自治体におけるリーダーシップ論」報告

地方自治体での改革の実績を背景に、国政選挙や都知事選に出て旋風を起こしたり、あるいはテレビなどマスコミで大活躍したりしている人たちも少なくありませんが、かつてささやかながらも自治体の改革に触れた経験からすれば、なんだか地方自治体の場が、利用されているような気がしてなりません。国のために、私たちの生活基盤である地域共同体が壊されているようで、コモンズの共創に関心のある私としては、そういう人たちがどうも信頼できません。

地方自治体の議会にまで国家政党が影響を与える最近の風潮にも違和感があります。生活の場を豊かにするはずの地方自治体から、肝心の自治の思想がどんどんと奪われている。

最近の政治では、人気とりのバラマキ政治が問題にされていますが、その風潮は地方自治体にまで広がっています。短視眼的な制度改革やバラマキ行政で話題になった地方自治体はその時は確かにいいのでしょうが、1020年後に振り返ってみると、逆に問題を引き起こしているところもないわけではない。私たちの生活の視点で考えれば、大切なのは今だけではなくて、10年後、20年後、いやもっと長い目で考えていく必要があります。でも住民さえもが、自分は汗をかかずに、そうした短視眼的な施策を行政に求めだしている。まさにお上に隷属する民が増えてきている。

長期的な視点が失われたために、日本の政治は混迷を極め、為替レートに象徴されるように、いまや日本の国力は信じがたいほどに急降下していますが、その同じ風が地域自治体にも吹き始めている。

しかし、従来の基準から自由になると違った動きや未来も見えてきます。
住民たちが中心になって、汗をかき、知恵を出し合う動きも各地で始まっています。時流に流されることなく、地域の特色や歴史を踏まえて、住民の生活を基軸にしっかりした地方づくりに取り組んでいる自治体もある。

政治の捉え方を根本から変えないと流れは見えてこない。そのためにも、国政とは違った地方政治の動きに目を向ける必要があると思っていた矢先に、元開成町の町長だった露木さんから、いまやキラリと光る存在になった開成町の経緯と自らの体験からの地方自治体における首長のリーダーシップの大切さを紹介したいという申し出があって、実現したのが今回のサロンでした。

長々と余計なことを書いてしまいましたが、こうした問題意識を持っているものとしてはいろいろなことを考えさせられるサロンでした。
このサロンの前日、私も住んでいる我孫子市で、「明日の我孫子を話し合うサロン」をスタートさせたのですが、まさにそこで参加者と私との「発想のずれ」で「論争」となってしまい、少し落ち込んでいたのですが、サロンでちょっと立ち直れました。

とまあ、いささか誤解されそうな前置きが長くなってしまいましたが、サロン自体は、露木さんが町長だった開成町を事例に、時代の大きな転換期を踏まえて、これからの地方自治体にとって必要と思われるリーダーシップ論が語られました。

露木さんは、「開成」というまちの名称の由来から話を始め、開成町の歴史をまず話してくれました。特に1960年代以降の高度経済成長期に、時代の流れに便乗した乱開発をするどころか、厳格な土地利用規制を堅持した首長のビジョンが、開成町の今につながっているといいます。
2000年代にはいり、景観と開発保全のバランスをとったまちづくりに取り組めたのは、高度成長真っただ中における開発規制があったからこそだというのです。

今年4月に「人口戦略会議」が、地方自治体の持続可能性データを10年ぶりに改訂して発表しましたが、それによれば、世界的な観光都市だった箱根や日光さえもが、2050年段階では消滅可能性があるとされています。それに対して、人口2万人弱の小さな町である開成町は持続可能性都市とされています。人口増加、子供の数の増加も定着基調になり、経済的にも安全安心的にも、自然環境的にも、住みやすいまちになっていると露木さんはいいます。

どうしてそうなったのか。露木さんが強調したのは「先見と実践」。目先ではなく長期展望をもって、住民にこびない首長のリーダーシップが大きな存在だったと言います。

開成町のそうした取り組みの参考になったのが、二宮尊徳の取り組みだったと露木さんは言います。
露木さんによれば、江戸時代末期に600もの疲弊した農村を復活させた実践家だった二宮尊徳こそ、マルクスより少し早い時代に危機に立ち向かった偉人だった。そしてその「報徳仕法(ほうとくしほう)」に関しても、そのエッセンスを紹介してくれました。

二宮尊徳は地域指導者こそが変革のカギと考えた。地域指導者が地域を変革し、その変革を他の地域が学び実践する。この連鎖によって国家を改革する。これこそが、二宮尊徳の国家改革のシナリオでした。町を興し国を創る戦略。地域からの漸進的改革路線(「積小為大」)と呼んでもいい。その考えこそ、いま求められていることではないかと露木さんは言います。

地域指導者として、その地域ならではの生活文化と生活環境を長期的な展望を持って創り出していくことこそ、地方自治体における首長の役割だ、と露木さんは考えています。住民の声を聴くことは大切ですが、住民に迎合することなく、さらには時流にも流されることなく、その地域ならではの展望を持って、100年後の地域づくりに向かって、時には「千万人と雖も吾往かん」くらいの強い信念を持って、リーダーシップを発揮しなければいけない。露木さんは、それこそがいま求められている首長のリーダーシップのあり方だといいます。

しかし果たして今、地域指導者と言えるリーダーがどれだけいるのか。政治の現状はポピュリズムが横行し財源なきバラマキで問題解決を図る指向性がひろがっている。住民も、自分たちの意見を聴いてくれるリーダーを望んでいる。このままでは地方はさらに衰退し結果的に国も亡ぶ最悪のシナリオになりかねない。

開成町における露木さんの実践は、その後の経過をみれば、モデルとしてのプロトタイプになると露木さんは言います。露木さんは、その認識のもとに、町長をやめた後も、周辺地域との連携による発展モデル構築に取り組み、世界への発信を視野に「キラリと光る」ローカル都市の創造に取り組んでいるのです。

サロンでは、露木さんが町長時代に取り組んだいくつかのイノベーションプロジェクトも紹介してくれました。いずれも現在の住民の期待に応じるというよりも、未来の住民も視野に入れながら、時流に流されることなく進めてきたプロジェクトです。たとえば、露木さんが取り組んだことのひとつに、新しい小学校の建設があります。当時、子供が多くて学校が必要だったわけではなく、むしろこんな学校で子どもを育てたいと親が思うような、とてもおしゃれな学校をつくったのです。

それは子どもたちを育てる環境を大切にするという理念とビジョンを伝えるには十分だったようです。その学校を見て近隣から転居してくる人も増え、結果的に子供が増えていったのです。子育て家族の家計を支援する施策とは全く違います。

こうしたそれぞれの地域の特性を活かした多様な地域づくりが広がれば、その集合体としての日本は、多様性があり魅力あふれる国になっていくだろう。それが、露木さんが構想している “小さくてもキラリ”戦略による国づくりのようです。
だから露木さんは、開成町で実践した“小さくてもキラリ”戦略を全国に展開していきたいと考えているのです。それを国家レベルで考えれば、日本が世界の中の小さくてもキラリ的存在となる条件が見つかっていくだろうとも言います。

長くなってしまいましたが、これでも紹介できたのは、露木さんのメッセージのほんの一部です。
露木さんの思いをもっと知りたい方は是非開成町を一度訪ねてみてください。
きっと気づかされることがたくさんあると思います。
エヴィデンスばやりの時代ですが、データや指標だけでは見えてこないものが、現場にはたくさんありますから。

自分の地域のことを紹介したいという方がいたら、ぜひご連絡ください。サロンを企画させてもらいます。

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2024/07/19

■節子への挽歌6079:裸足の快感

節子

図書館に本を借りに行ったついでに、手賀沼公園の原っぱを歩いてきました。
もちろん裸足になってです。

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この時期は暑さもあって遊んでいる人たちはほとんどいません。
その上、野草が適度に地面を覆っていて、裸足で歩くと実に気持ちがいいのです。
しばらく歩いただけで、なんだか疲れが抜けていくような気分です。

と言っても、よそから見たら、あの老人はどうしたのだろうと心配されそうです。
こういう時、節子やにこが一緒だといいのですが、一人だと心配されそうで、気になります。

でもこうやって時々裸足で個の原っぱを歩くようにしようと思います。
そして次第にはだしで歩く範囲も広げていければと思います。

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2024/07/17

■節子への挽歌6077:孫と回転寿司

節子

今日も在宅養生です。
在宅養生はしかし退屈です。

孫が今日から給食がなくなり早く帰宅するというので、みんなで回転寿司に行きました。
孫は食事にはいつも主張があって、時にうどんにはまったり、お寿司好きになったり、鰻が食べたいなどとうるさいのですが、今回は久しぶりにお寿司が選ばれたようです。

孫は食欲があります。私よりもたくさん食べるような気がします。
しかも今夏愛は、試しにミニラーメンまで頼みました。
すし屋でラーメンはないだろうというのが、頭の固い私の発想ですが、いい香りなので一口スープをもらいました。ハマグリ味でした。
でも孫はあまり気に入らなかったようです。
もちろん私もですが。

孫は最後にいつもフライドポテトを頼みます。
これも私には違和感がありますが、いつもみんなに勧めるのです。

それで私も一番長いポテトを取ったのですが、孫はそれはダメだという。
短いポテトから食べて最後に一番長いポテトを食べるのがどうも孫のルールのようです。
そういうルールはこわなさなければいけません。
それで孫の言葉が終わらないうちに、その長いポテトを食べてしまいました。
まあこういうことの積み重ねで、孫との関係が複雑になるのですが。

回転寿司は近くのスシローです。
4人で行って、会計は300円強でした。

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2024/07/16

■節子への挽歌6076:迷惑と心配はちがうようです

節子

迷惑と心配はちがうようです。

昨日、持論の「娘に迷惑をかけるのは親の責任」ということをフェイスブックに書いたら、それを読んだユカから「迷惑と心配は違うからね」と言われました。迷惑をかけてもいいけれど、心配させるようなことをするなというのです。
なるほど、それは一理ある。

私がやっていたのは、迷惑をかけることではなく、心配をかけていたのか、とようやくにして気づきました。たしかに「心配」をかけるのはよくない。
というわけで、今日も完全「休養」日にしました。

この数日、いろんな人から「膵炎」の怖さを指摘されます。
退院後、もう2週間以上たつのに、一向にすっきりしない。
昨日は図書館に出かけただけなのに、帰りは疲れてやっとの帰宅でした。

でも「養生」とか「休養」というのは、意外と難しい。
ただぼーっとして空を見上げていればいいのでしょうか。
そういえば、「養生訓」に関する本もどこかにあったはずです。
それでも探して読もうかと思います。

いや、もしかしたら「養生」もまた、「迷惑と心配」につながる話かもしれません。
これを考えるのも、養生になるかもしれません。
迷惑と心配こそが、人の身心に「悪さ」を与えているのかもしれない。
それに、ある行為を「迷惑」と考えるか「心配」と考えるか、そこに人と人とのつながりの関係が見えてくるのではないか。
「養生訓」の本を読むより、この関係を考えるのが面白そうです。
でもなんとなく、「娘に心配をさせるのも親の責任」というような結論になりそうで、またユカから叱られそうです。

困ったものです。はい。
やはり今日はおとなしく、退屈な「養生訓」の本でも読んでいるのがいいかもしれません。

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■節子への挽歌6075:どうして私などに相談しようと思うのでしょうか

節子

肌寒ささえ感ずる朝です。
いろんな人から、膵炎は気をつけなければいけないと言われ過ぎたせいか、これまで気にしていなかった食事や間食を気をつけるようにしました。
しかし、昨日は、近くの青木さんからまで膵炎は気をつけなければいけないと言われ、身体の疲労感さえ、膵炎のせいかなと思うようになってきました。
たしかに先日の検査でも、データ的に完全回復ではありませんでしたし。

昨日は図書館と青木さん宅意外には外出せずに、自宅でテレビと読書と転寝だけだったのですが、涼しさもあって、夜はほぼほぼに眠れました。
おかげで5時起床。
でもなんだかいつものように元気が出ない。
たぶん涼しいせいでしょう。
太陽も見えない。

パソコンを開くと、思いもしない事件突発の相談メール。
お金がらみですが、お金がらみの相談は私には向いていません。
しかも相談者はお金には疎い若者。
前に一度、相談に乗っていますが、私のアドバイスがまずかったのかもしれません。お金には近づかないようにという私の基本線をもしかしたらはずしてしまっていたのかもしれません。
いささか気が重い。

相談と言えば、一昨日も、これまた思ってもいなかった人から相談を受けました。
来週時間を取ってお話を聞く予定ですが、なぜこんなに「頼りにならないような生き方」をしている私に相談しようという気になるのか。
不思議というか、自分は外からはどう見えているのだろうとちょっと興味も感じます。

さて今日も大事を取って、在宅養生に努めます。
読む本もないし、観るテレビドラマもない。
養生とか休養とか、言葉では簡単ですが、実際には難しい。
困ったものです。

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2024/07/15

■節子への挽歌6074:娘に迷惑をかけるのは親の責任

節子

今日はいろいろと予定が入っていたのですが、昨日はサロンに来た露木さんから、急性膵炎は注意しないとだめでよと2回も言われたこともあり、それに体調もいま一つなので、思い切って、すべてやめて、自宅で体調回復に努めることにしました。
といっても、怠惰に、録画していたテレビのドラマを観ているだけですが。

1本目は昨日NHKBSで放映の「エンジェルフライト」の最終回。
https://www.nhk.jp/p/ts/RQZ5J6K75K/
国際霊柩送還士の物語ですが、毎回、とてもいい涙を流させてもらっています。
私の場合、涙を流すと心が洗われるばかりでなく、気のせいか身体もどことなく整えられる気がするのです。

今回も、最後のあたりで涙が止まりませんでした。
が、それだけではなく、私の信条に重なる言葉が出てきたのです。

今回のエピソードは「母の最期の旅」。
娘を愛することができないために親子関係が壊れていた母親が、余命宣告を受け、最後にいわゆるバケットリスト、つまり生きているうちにやりたいことをリストアップし、それに取り組むという話ですが、そのバケットリストの最後の項目が、素晴らしいのです。
「娘に迷惑をかける」なのです。
そしてそれを見事に実践し、それで親子の関係がしっかりと生まれるという話です。

時々書いていますが、私は「親の責任は子どもたちに迷惑をかけること」だと考えています。そしてできるだけそうしています。
しかし、私のこういう考えは、あまり賛成してもらえません。
迷惑をかけないことが大事だという社会の風潮に反しているからでしょうか。

でも、他者に迷惑をかけずに生きることなどできるはずもありません。
だからこそ、できるだけ迷惑をかけないようにしようというわけでしょうが、私はそこに違和感があるのです。
そして昔から、逆に迷惑をかけることに価値を見つけようと思っているのです。
このドラマは、「迷惑をかけること」の価値をしっかりとメッセージしてくれています。

今日は涙を流しただけではなく、私の生き方が共感されたような気がして、なんだか元気が出てきました。
ぜひ多くの人に、このドラマを観てほしいです。
最終回のみならず、毎回、涙とともに、希望をもらえるドラマです。

さて次は「ブラックペアン」です。
https://www.tbs.co.jp/blackpean_tbs/
面白いといいのですが。

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2024/07/14

■節子への挽歌6073:ちょっと元気が出てきましたが

節子

一晩寝て落ち込み気分はどうにか回復、あすあびサロンの報告も何とか書きました。
昨日は夕方、ちょっとうれしい電話があったのです。
入院中の小宮山さんからの電話です。
お元気そうでした。ただ退院日が伸びてしまっていて、いつ帰れるかわからないと言っていました。ちゃんと歩いているかと聞きましたがあんまり歩いている様子がない。いささか心配です。

今日も涼しい朝です。
雨は上がりましたが、せっかくの八坂神社のお祭りなのに残念です。

私自身の体調はまだどうも本調子ではありません。
気のせいかもしれませんが、消化器系の調子が悪いのです。
昨日、兄のごちそうで、いささかヘビーのランチを食べたのもよくなかった。

今日は開成町の町長だった露木さんのサロンです。
最近サロンのマネジメントもかなりいい加減になっていて、誰が参加するかもわからない。
でもまあ何とかなるでしょう。

 

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■第1回あすあびサロン報告

我孫子の明日を話し合う“あすあびサロン”が始まりました。

会場があふれるばかりの参加者が来たら困るなと思っていましたが、そんな心配は全く無用で、目標にしていた20人にも満たない14人の参加者でした。
じっくりと話し合うにはちょうどいい人数ですが、もうちょっとにぎやかなスタートにしたいと思っていたので、ちょっと残念でした。
でもサロンをやったおかげで、これからの展開へのヒントがたくさん得られました。

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今回は、ゲストに市議会議員の坂巻さんをお呼びしました。
最初なので誰をゲストにお呼びしようかとだいぶ悩んだのですが(それでイメージが決まりかねませんので)、あすあびサロンの主旨から言って、やはり私たち住民が選挙で我孫子の未来を託した市議会議員からはじめようと思い、前回の選挙で一番得票数が多かった坂巻さんにお願いすることにしました。

話し合いに入る前に、坂巻さんには30分「明日の我孫子をどんなまちにしたいか」をテーマに、我孫子の好きなところ、我孫子をどういうまちにしていきたいと考えているか、そのために取り組むべき課題/取り組んでいる課題は何か、などを、あまり議員を意識せずに、個人的な思いとして話してほしいとお願いしました。

坂巻さんは、手賀沼を活かしていきたいというところに焦点を当てて話してくれました。坂巻さんは、河川と湖沼とは全く違い、手賀沼という湖沼を真ん中に抱え込んだ我孫子の良さを活かしたまちづくりが大切だと考えているようです。そして、ご自分も関わっている手賀沼トラストの話や以前に議会でも提案したというラムサール条約の登録、さらにはそこから農と食の話へと話題を広げてくれました。

それを踏まえて話し合いが始まりました。
最初に、いまはもう16代目になるという長く我孫子に住んでいる人が、子どもの頃は手賀沼で泳げた話などもしてくれ、大切なのは我孫子で私たちはどんな暮らし方をしたいと思っているのか、ではないかと話してくれました。

このサロンの、そもそもの主旨もそこにあります。
まちづくりの基本は、そこに住んでいる人たちがどういう暮らし方を望んでいるのかであり、その人たちが中心になってこそ、ではないかというのが、今回のサロンにかけた思いなのです。だれかにやってもらう「まちづくり」ではなく、自分たちで取り組む「まちそだて」を目指したいのです。行政にはできないことも、住民がその気なればできることもある。私一人にもできることはあるはずです。

手賀沼トラストの名前は知っている人は多かったですが、その活動の内容は必ずしも知らなかった人もいたと思います。また手賀沼沿いのハケの道の活動に長年取り組んでいる太田さんも参加してくれましたが、この活動も必ずしもみんなに広がっているわけではありません。こうした場で、そういう活動の関係者が触れ合うことで、何か新しい動きが始まればと改めて感じました。

3年ほど前に我孫子の転居してきた人は、手賀沼のすばらしさを活かす方策の一つとしてフォトスポット看板の設置を提案してくれました。我孫子に長くいると見慣れた風景も、転居してきた人の新鮮な目から見るといろいろと魅力があるのかもしれません。そこにちょっとした工夫を施すだけで、まちが魅力的になる。

若いサイクリング好きの参加者からは、手賀沼を中心にしたサイクリングロードをもっと整備したらという提案もありました。

山階鳥類研究所や鳥の博物館があり、ジャパン・バード・フェスティバルも毎年開催され、オオバンをはじめさまざまな鳥たちの集まる水辺があるのに、ラムサール条約の話が具体的な動きが出てこないのも不思議に思っていたのですが、議会では2020年にも話題になっていたことを私も知りませんでした。そもそも山階鳥類研究所と住民たちの交流ももっとあっていいのではないかと思います。
さらに、そういう話は、自然と共生きする農業や食の話にまで広がりました。
つまり手賀沼を中心に考えていくと、その周辺に住む私たちの生き方へとつながっていくはずです。

まだまだいろんな話が出ましたが、14人という人数だったにもかかわらず、進行役の私の不手際で、話し足りなかった人も少なくなかったでしょう。
掘り下げたい話題もありましたが、最初なのであまり欲張らずにという思いもあって、表面をなぞっただけの話し合いになったかもしれません。でもさまざまなテーマや思いが絡み合い、ある人からは「各自、考え方の違いがわかり有意義でした」とコメントもいただきました。

今回を受けて、このサロンのあり方を見直しながら、続けていきたいと思っています。
次回は市議会議員の甲斐俊光さんをゲストに824日に開催する予定です。
甲斐さんは手賀沼フィルムコミッション専務理事として、映画やドラマなどの舞台として我孫子を売り込む活動にも関わっています。できればそんな視点で、甲斐さんが目指している我孫子の未来を話してもらえればと思っています。
また日程など確定したら案内させてもらいます。

なお、今回のサロンを契機に、あすあびサロンのゆるやかなつながりを育てていくために、あすあびサロンのメーリングリストをつくろうと思っています。
もし参加したい人がいたら、私にメールをください。登録させてもらいます。

いずれにしろ、あすあびサロンは、誰もが参加できるような形で進めていきますので、よろしくお願いします。

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2024/07/13

■節子への挽歌6071:快適な、とても静かな朝です

節子

久しぶりに快適な朝です。
湿度はかなり高く、手元の湿度計では71%なのですが、でも感覚的にはとてもさわやかです。

昨夜は久しぶりにエアコンなしで眠れました。
そのおかげか、朝の5時に起床しました。
今日、予定している「あすあびサロン」の準備がまだできておらず、朝のルーチンもほどほどに、資料作りをして、いま完成しました。後はプリントするのみ。
何とか間に合いました。まあきっとまたミスがいろいろあるでしょうが、人間のやることにはミスがつきものですから、許してもらえるでしょう。

今日は近くの八坂神社のお祭礼です。晴れてよかったです。
私は、わが家の大日如来に祈りを捧げました。
今日はいい一日になるでしょう。

節子が元気だったころ、一緒にコムケアのイベントの準備をして出かけていたころの朝を、なんとなく思い出しました。
家族もみんな協力してくれて、みんなで出かけたこともありました。
残念ながら最近はいつも孤軍奮闘です。

でもその分、仲間が支えてくれています。
私は頼りないところがあるので、きっとみんな気遣ってくれるのです。
いつも感謝しています。

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2024/07/12

■節子への挽歌6070:無症候性脳梗塞

節子

高齢の脳神経外科の定期検査です。
今回は心電図と動脈硬化調査でしたが、異常はなく、むしろ血管年齢は70歳代前半だと言われました。
最近また時々めまいなどに類似した症状も起こっているので少し心配していましたが、まあ大丈夫のようです。

いま診てもらっているのは葛綿医師です。
とても信頼できる若い医師です。
説明も丁寧ですし、わかりやすい。
病気というよりも私を診てくれている感じなのです。
そういう意味では、今度胆嚢手術をしてくれる加藤医師と同じです。
ふたりが別々の病院なのが残念ですが。

ところで今日は久しぶりに涼しさを感ずる日でした。
それでだいぶ元気になってきました。
気になっていた明日のサロンの準備をやっとやる気になりました。

午後、がんばって資料などを作成、何とか明日に間に合いました。
問題は参加者が集まるかどうかです。
それよりも会場づくりなどを手伝ってくれる仲間集めです。
何人かに声をかけたら、早速に行くと連絡してきてくれました。
うれしいことです。

仲間がいれば、なんでも怖くはありません。
まあみんなは迷惑しているかもしれませんが。
でも、迷惑をかけるのも大事なことですから。
何しろ私は無症候性脳梗塞なのですから。

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■節子への挽歌6072:兄の友人と一緒に会食

節子

1回のあすあびサロンは、いささか「転んでしまいました」。
参加者が少なくとも20人と見越していましたが、参加したのは14人。予想以上にこじんまりしたサロンになってしまいました。
加えて私の進行がまずくて、またまたいつもの癖が出てしまいました。
行政の財政とか他の自治体の比較とか、そういう話題が出るとついつい感情的に反応してしまうのです。
そういうことを言う、いわゆる有識者が社会をだめにしているというのが、私のどこかに根深くある思いですから。

でも幸いに、そういう反論を向けた人は、終了後のアンケートに、考えの違いがあるのがわかって有意義だったと書いてくれました。私よりもずっと知的です。
一度、話をしたくなりました。

それにしても、自分勝手にやってしまい、その挙句がこのていたらくというので、いささか落ち込んでしまいました。

今回は兄が友人と一緒に参加してくれました。
友人というのは、兄の近くに住んでいる人ですが、この人のおかげで、いつもの兄との会食とは全く違った雰囲気になりました。
もちろん喧嘩にはならず、お互いに笑いが絶えないいい会食でした。
今日のサロンに関しても、ふたりからいろいろとアドバイスももらいました。
まあふたりはあまりアドバイスとは思っていないでしょうが。
でも落ち込んだ気分は回復せず。

帰宅してもなにもやる気が起きず、報告も書けません。
体調のせいにしたい気もしますが、たぶん因果関係は逆でしょう。
困ったものです。

でも兄の友人との会食はとてもよかったです。
兄のよさを実感しました。
兄は私以上にいい友人に恵まれているようです。
兄への見方が少し変わりました。
というのも、その友人が、私と話していて、兄弟同じだというのです。
私は兄とは真反対の考えや生き方をしているつもりなのですが、どうも外から見れば同じようだそうです。
いささか不本意ではありますが、少し兄を見る目が変わった気がします。

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2024/07/11

■節子への挽歌6069:「即入院」などと心配させないでください

節子

私よりも30歳以上年下の友人に会いました。
ある意味では、余計なお世話でもあるのですが、まあ彼の相談に勝手に乗っているのです。
最近大きな状況変化があり、気になっているのですが、あまり私の体調もよくないので延ばし伸ばしになっていました。

彼は会うなり、「即入院などというので心配しました」というのです。
私が気楽に「即入院」などといって、さらには病気を楽しんでいるような能天気なことを言っていますが、彼のように心配してくれている人もいるのです。
彼は、同じ言葉を別れ際にもまた言いました。
そして本当に気をつけてくださいねというのです。
その言い方に嘘はなく、別れた後、急になんだか悪いことをしてしまったような気になってきました。
改めて言葉には気をつけようと思います。

人は一人では生きていません。
どんな人も必ず誰かにとっては大切な存在です。
自分の命はもちろんですが、自分の健康も勝手に私物化してはいけない。
改めてそう思いました。

彼とは3時間以上話しました。
私には彼の抱える問題を解決することはできませんが、彼の話を聞くくらいはできます。

実は彼と話した後、もう一人、もしかすると相談に来たという若者がいました。
でも今日はやはり疲れました。
どうもまだ本調子ではない。
延期してもらいました。

暑さのせいか、なかなか本調子に戻れません。
困ったものです。

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2024/07/10

■節子への挽歌6068:朝1時間の無為の時間

節子

昨夜もまた熱帯夜で、寝苦しく、エアコンのきいたリビングとエアコンのない寝室を何回も往復する夜でした。おかげで今日もまた寝不足間の残っている朝です。
どうもまだすっきりしない。
これは病後のせいか、高齢のせいか、それともただ酷暑のせいか、判断がつきませんが、例年とは違う夏です。気を付けないといけません。

13日に「我孫子の明日を話し合うサロン」を設定していますが、入院騒ぎもあって、ほとんど準備ができていない。参加申し込みもまだ10人をやっと超えた段階。しかもその半分は、スタッフ役も手伝ってくれる仲間です。
もっと心配しなくてはいけませんが、今日は在宅なので、ちょっと頑張って知り合いに呼び掛けてみようと思います。
でもいかにも遅過ぎの感は否めない。
困ったものです。

今朝も5時から起きていますが、なんとなくぼーっとしながら1時間を過ごしてしまいました。
朝のルーチンもまだ一部だけ。
窓から見える太陽は、もうかなりの高さですが、なぜか今日とても静かです。
鳥のさえずりもない。

メールをチェックしましたが、大きなメッセージは届いていない。
やはりこの暑さでみんな活動量が下がっているのでしょう。
ほんとは畑に水をやりに行けばいいのですが、まだその元気はない。それに水をやるほどには野菜は育ってきていないですし。

でもフェイスブックで、ちょっとうれしい記事を読みました。
私がFBで案内していた「あすあびサロン」呼びかけの記事をシェアしてくれた上に、こんなコメントをつけてくれていた人がいたのです。

いく予定です!
発起人の佐藤さんとお話ししていると、様々な考え方があるのだなぁと、自分の固定観念を思い知ったりして面白いです。
自分の住んでいるところを、自分たちでよくしていくのって楽しいですよね。
今日はちょっと「やらないといけないこと」が山のようにあるような気もします。

やはりがんばらないといけません。
この人はきっと2人の子どもたちも連れてきてくれるでしょう。

陽射しが強くなってきました。
さてベランダの植物に水をやりだしましょう。
活動開始です。

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2024/07/09

■節子への挽歌6067:高齢いとこ会

節子
猛暑のなかのいとこ会は無事終わりました。

以前は、温泉で会っていたのですが、みんな高齢になってしまったので、最近は、ただの会食いとこ会になっています。それも交通の便の良いところで、今回は関西から来るいとこもいたので、新幹線の止まる品川でした。
品川プリンスの新館の和食「清水」でした。

一番高齢の兄が今朝になって参加できなくなったので、集まったのは3人でした。
一番年下が79歳、ただし明日80歳の誕生日ということで、まあ全員ほぼ80代のいとこ会です。
今や元気で集まれるいとこは、これだけになってしまったということです。

そんな高齢者の従弟会はめずらしいと芦屋からやって来た一番年下の従弟いとこは知人に言われたそうです。
たしかにめずらしい。
しかし今回集まったいとこはみんな元気なのです。
まあ「みんな」と言っても2人だけですが。

一人はいまでも単独で登山に行きスキーに行っているツワモノです。
もう一人は、女子ゴルフの追っかけをやっている独り者。
2人に比べれば、私はまさに行動範囲の狭い「お年寄り」。

でもそんな元気な高齢者にも、それぞれ心配事がないわけでもない。
まあそんな心配ごとも含めて3時間、食事やカフェを楽しみながら、たっぷりと話しました。
途中、急に参加できなくなった兄からも連絡がはいりました。

それにしてもなんでもたこんな暑い季節に設定したのでしょうか。
そのときには誰も気づかなかった。
まあ高齢になると、みんないつどうなるかわからないので、時間的選択肢は少ないのです。誰かに何か問題があって、延ばし伸ばしになっていたので、今回はともかく決めてしまったのです。最近は、私が毎年、入院を重ねているので、私のせいだったと言ってもいいでしょう。もちろん私が延ばしてくれとは一言も言っていないのですが、私が理由で3回ほど延期になっての、今日のいとこ会だったのです。

ところで品川プリンスホテルはもう20年ぶりでしょうか。
社会から脱落して久しいので、こうしたきちんとしたところで食事をすることもめずらしいのです。
とりわけ節子がいなくなってからは、服装に気を付けないといけないところにはまったくいかなくなりました。

食事の後、ホテルのカフェで庭を見ながらゆっくりした会話を楽しみましたが、こういう時間を節子とはついに持てなかったなという思いがまた頭に浮かんできてしまいました。私以外のふたりは、それぞれ今もこういう時間を楽しんでいるようですが、私にはいまやまったくない日常です。

いとこと言っても、今やもう生活はまったく違う。
どの生き方が幸せかどうかはまったくわかりませんが、こういう暮らしを家族に残せなかったのが、最近ちょっと悔いに感ずることがある。
やはり私の生き方は、あまりに自分勝手だった気がします。
節子には申し訳ない気がします。
でもまあ今更どうにもならない。

ちなみに食は気を付けようと思っていましたが、ついついお代わりまでしてしまいました。幸いにお腹の方は大丈夫でした。
それにしても暑い日でしたので、帰宅後はまたダウンしてしまっていました。

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■節子への挽歌6066:早朝の電話

節子
今日はあわただしい朝でした。

7時ころ、家に電話がありました。
私は基本的に8時ころまでは携帯電話には出ませんし、家の固定電話には知り合いからの電話であることが確認できるまでは出ません。

電話が切れた後、娘のスマホに電話がはいり、私宛の電話だお知りました。
兄からの電話でした。
兄はかなり慌てていたようです。
確認したら私のスマホにも3回も電話がかかっていました。

実は今日、従兄で集まって会食する予定でした。
よりによってこんな暑いときにと思うでしょうが、ずっと前に決めておいたことなのです。
従兄の集まりと言っても、男性4人だけですが、みんな高齢者です。一人は関西からやってきます。
従兄のなかでは兄が最長老です。今年で90歳。

まあいつ何が起こってもおかしくないので、会える時に会おうと言って、時々会っているのですが、それを企画した張本人の兄が、当時になって参加できなくなったという連絡をしてきたのです。昨日確認した時には、一番に明日は大丈夫と連絡してきていたのですが。
兄は夫婦での2人住まいですが、今朝、伴侶の具合が悪くなったのだそうです。
まあお互い高齢になるといろいろ問題があります。
とりわけ高齢者夫婦だけで暮らしている場合は、大変です。

早速、従兄会を延期するかどうか参加者と連絡を取り合って相談しようとしたのですが、なかなか連絡が取れない。
それに関西の人は、もう出かけるかもしれない。
結局、ともかく会食は参加できる人だけで決行となりました。
そのやりとりで疲れてしまいました。

今日も酷暑のようです。
私も気を付けなくてはいけません。
高齢の兄に同行する予定だったので、いろいろと準備していたのですが、それからは解放されましたが、問題は私自身が倒れないようにしなければいけません。
こんな暑い時期に、会食しようなどと決めたのがそもそもの軽率でした。

私も無事、戻ってこられるといいのですが。

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■急なサロン「幸せと不幸せと、どちらが幸せでしょうか?」報告

私の退院報告も兼ねて急に呼びかけさせてもらった「幸不幸サロン」には、猛暑にもかかわらず7人もの人が参加してくださいました。

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「幸せと不幸せと、どちらが幸せでしょうか?」という問いかけに興味を持ってくださった方も少なくなかったのも、うれしい思い違いでした。しかもみんな、自分の生き方に重ねて考えているのには感激しました。

私にとっては3週間ぶりの湯島であり、久しぶりのサロンだったのですが、みなさんのお気遣いでサロンを終了、おかげさまで体力にも自信が持てました。
参加してくださったみなさまには感謝です。やはり湯島のサロンは、多くの参加者の皆様に支えられていることを実感しました。

サロンで展開された「幸/不幸」議論も、思い付きで設定したにもかかわらず、真剣に考えてくださった方が多かったのがとてもうれしかったですが、私の進行のまずさもあって、しっかりとした話し合いができませんでした。肝心のテーマ設定者の私に、誠実さが欠けていました。申し訳ありませんでした。

でも、話の流れの中で、参加者からご自分が抱えている具体的な問題が提起されたりしたこともあって、単に抽象的な議論ではなく、生々しい話し合いが展開されました。

そうした話し合いを通じて、私自身は改めて、幸と不幸はコインの裏表であって、幸あっての不幸、不幸あっての幸、つまり幸もまた不幸、不幸もまた幸だということを確信できました。

ですから不幸を嘆くことも幸に現を抜かすこともなく、誠実に生きることで、幸も不幸も前向きに受け止めていくことこそが「いい人生」であり、その意味ではすべての人が「いい人生」に恵まれているのだと思います。いいかえれば、不幸もまた幸と捉えれば事態は変わっていく。

相変わらずの、いかにも能天気な結論ですが、いつかこのテーマには正面から向き合いたい気がしてきました。そう遠くないうちに、また呼びかけさせてもらいます。

酷暑にもかかわらず、身勝手な思い付きサロンにお付き合いくださった皆さんに深く感謝します。
おかげでまたサロンを継続していく元気ももらいました。
いつも以上に、内容のない報告ですみません。

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2024/07/08

■節子への挽歌6065:ゆる~いつながり

節子

うれしいメールが届きました。
しかも2通も。

一つは術後のことが気になっていた小宮山さんからです。
きちんとした文章のメールが届いたのです。
前に来たメールは意味不明で、大丈夫か?と思わざるを得ないメールでした。
何しろ脳の腫瘍の摘出手術ですので、心配だったのです。
でももう大丈夫です。
まだ10日ほど入院だそうですが、7月中には会えるでしょう。

もう一つは、意外な人からのメールです。
イルカさん、です。
たぶん前にこのブログでも書いたことがあると思いますが、節子がいなくなって私がこの世ならざるところをさまよっているときに出合ったおひとりです。

と言っても直接お会いしたことはないのですが、イルカさんのブログに私のブログをリンクしてくださったのです。
それが縁で、ボストン在住の坂口さんが湯島兄訪ねてきてくださったのですが、さあク年、その坂口さんからイルカさんはその後、どうしているかしらと訊かれたのです。
私も気になっていたので、イルカさんにメールしましたが返信はありませんでした。
そのイルカさんからメールが届いたのです。

私は、どちらかというと、ゆる~いつながりが好きです。
普段は忘れているような、そんなゆる~いつながりをたくさん持っていたいなといつも思っています。
つながりが深くなると、それなりに疲れます。
つながりで疲れてしまうのは、私にとっては本末転倒です。
ですから、時々気になって思い出すような「ゆる~いつながり」が好きなのです。
そういうつながりであれば、損得勘定はまず生まれません。
でもそういうつながりが、私には大きな支えになって、いい生き方を生み出してくれていることは、いつも実感しています。

昨日サロンに来てくれた宮部さんもそうですが、人は本当にたくさんの意図によって支えられている。
そんなことを改めて気づかせてくれた2通のメールでした。

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■第2回オープンカフェのご案内

5月に開催したオープンカフェは、私は緊急入院で参加できなかったのですが、参加者からはとても好評で、またやってほしいという声が複数寄せられました。参加者のおひとりは、「先日のオープンカフェでは、時間を忘れるほど楽しい時間を過ごせました」と書いてきたほどです。いつものサロンとは違う楽しさがあったようです。私も参加したくなったので、2回目を開催することにしました。

今回も朝の8時から夜の8時までオープンにします。
湯島の部屋を自由に使ってくださいということです。
飲み物などはセルフサービスですが、コーヒーと紅茶などは自分でいれられるように用意しておきます。ペットボトルのお茶も冷蔵庫に入れておきます。

そこで本を読むなり、パソコン仕事をするなり、あるいは喫茶店代わりに使ってもらうなり、自由に使ってもらいます。ちょっとしたミーティング場所にも。
いま検討している「コモンズ図書棚」も進行中なので、サロン仲間が持っていた書籍もありますので、それを読んでもらうのもありです。

もしかしたら、水素ガス吸引器を使ってもらうこともできるようにします。
利用可能者は一応、湯島サロンの仲間とその同行者に限定します。

ちなみに、前回はモーニングサービス、カレーランチ会、さらにはメダカ頒布会があったようですが、今回も何か企画がある方がいたら、このメーリングリストで呼びかけてください。
時間を区切ってのサロンの呼びかけもありです。

要するに、みんなのコモンズカフェなのです。
飲み物のための費用や場所の維持費用のために、使った人はいつものように、どこかにあるボックスにワンコインを目安に置いて行ってもらいます。水素ガス吸引は30分から1時間を目安にこれもワンコイン。これは黄色の缶にお願いします。
これは、「代金」ではなくコモンズの仕組みを維持するための、みんなが負担する「会費」とお受け止めください。代金意識の方は不要です。

自発的に手をあげてくれた人にホスト役をお願いしたいですが、誰もいない場合は、無人カフェです。まあ最初から最後まで付き合う人はいないでしょうから、基本は無人カフェです。鍵をどうするかが問題ですが、実際には前回はうまくいったので、今回もどうにかなるでしょう。
ご迷惑をかけることもあるかもしれませんが、まあそれがコモンズの性質だという気もしますので、ご了解ください。

私も今回は参加したいと思っていますが、暑いですし、体調もまだイマイチですので、どうなるかわかりません。それにどうも私が行かないほうが、みんな楽しいような気もしますので。

当日に関する呼びかけは勝手にどうぞ。

〇開催日:2024年7月26日(金曜日)午前8時~午後8時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円(目安です)
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

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2024/07/07

■節子への挽歌6064:久しぶりのサロン

節子

3週間ぶりの湯島とサロン。無事終わりました。
サロンには何と久しぶりに宮部さんが来てくれました。

宮部さんが言うには、久しぶりに佐藤さんの夢を見たので、その後、どうしているかをネットで調べてみたら、入院したと書いてあった。
それで久しぶりに顔を見に来た、というのです。
宮部さんの義父はとても元気だったのが、突然、脳梗塞で亡くなったことも影響しているようです。
私もいま無症候脳梗塞なので、いつそうなったもおかしくない。
宮部さんの話にはとても共感できるものがあります。

宮部さんの長男ももうすでに会社勤めだそうです。
みんなどんどん大きくなっていく。
にもかかわらず、なかなか自分を相対化するのは難しい。

酷暑の中、都会を歩くのはやはり厳しいです。
でも今日、湯島に出かけたおかげで、なんだか体調が戻った気がします。

もう大丈夫でしょう。

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■節子への挽歌6063:ちょっと感傷的な朝

節子

5時起床。今日はいい天気になりそうです。
ようやく少しずつ生活リズムを取り戻しつつあります。
活動もまた順調に回り始めたような気がします。

今日は3週間ぶりのサロンです。
私の入院を知ってか、数名の方が連絡してきてくれましたが、まあサロンを開くことで、そういう人たちも気楽に会いに来てくれるだろうと思ったのですが、その意図も一部には伝わったようで、めずらしい人からも連絡がありました。

懸案事項がないわけでもありません。
でもまあ無理をすることはない。
どんな結果も、すべてベストという私の信条を今こそ大切にしなければいけません。
この歳にして、ようやく長年の信条の一つ、Take it easyが身についてきたようです。

穏やかな朝なので、畑にも行けそうですが、今日はやめておきましょう。
昨日、雨が降ったので、水は大丈夫でしょう。
代わりにベランダの植物には水をやりました。
植えるのが遅かったので、まだ朝顔が出窓を覆うまでには至っていませんが。

こういう静かでのんびりした朝を、年取った2人で楽しみたかったです。
そういう時間をあまり過ごせなかったのが、本当に残念です。
お互いに若すぎて、いつも何かをやっていた。
あの頃は生きているようで、生きていなかったのかもしれません。
動いてばかりいた。

思い出すとまたさびしくなるので止めましょう。
今日は3週間ぶりの湯島です。
しかも猛暑という。
大丈夫でしょうか。

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■核のごみという言葉に騙されてはいけません

核の問題に、全くぶれることなく、誠実に取り組んでいる本間照光さんが、626日、札幌テレビ(STV)の報道番組「どさんこワイド 核のごみ 記者解説」に登場し、コメントされています。現在YouTubeで公開されているので、ぜひご覧ください。

核のごみの最終処分場の立地探しは、相変わらずおかしな形で進められており、時々話題になります。制度はともかく、一度手をあげると、なかなか途中では下りられなくなり、自治体の意見は聞くことがあっても、結局は国が決めていくという、これまで、メディアが明確には伝えてこなかったことが示唆されています。
https://www.youtube.com/watch?v=3UfhGGfgYeQ

私たちはまだ、「核の意味」について、正しく理解していないばかりか、知ろうとすることさえもしていないことをもっと自覚する必要がある。そもそも「核のごみ」などという表現を受け入れていること自体に、私はおかしさを感じます。言葉はもっと正確に使わなくてはいけません。

 

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2024/07/06

■節子への挽歌6062:問題は「きれいに死ねるかどうかなのです」

節子

退院後の状況確認に行ってきました。
時評編で書きましたが、結果はまあまあ。
そして根本的な問題を取り除くために胆嚢摘出手術を受けることにしました。
8月にもう一度入院することになりました。

それに関連して主治医と話しているときに、とても共感できる言葉に出合いました。
健康診断を勧めるのは、「きれいに死ぬための準備のため」なのです、と主治医の加藤礼医師が言うのです。ちょっと感動してしまいました。こういう医師にはすべてを任せられます。
彼から健康診断を勧められたら躊躇なく受けようと思いました。

節子は、きれいに死んでいったでしょうか。
いささか身勝手な気もしますが、ある意味、きれいな死に方だったような気がします。
できるならば私もああいう死に方が望ましい。
家族に囲まれた最後。
死んで20年たってなお毎日のように思い出す人が複数いる。

節子の悪いイメージは、もうなに一つ残っていなし。
理想化された節子がいまもまだ生きている。

いや、きれいに死ぬとは、そんなことではないかもしれません。
加藤医師は、脳梗塞で突然死ぬのは「きれいな死に方」かもしれないというようなことも話しましたが、私にはそうは思えない。
きれいかどうかは、人によって全く違っているのかもしれません。

まあしかし、それはともかく、私は「きれいに死にたい」ことは間違いない。
きれいに死ぬとはどういうことか。
少しそれにつて考えてみたくなりました。

加藤医師に出合えたのは、幸運でした。

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■第2回増田サロン「代理価値と真理、または、バーチャル(虚構)とリアリティ(真実)」のご案内

増田圭一郎さんと一緒に「地湧の思想」を考えていく連続サロンの第2回は、テーマに「代理価値と真理」を選びました。

ここで、代理価値とは、「モノやコトの価値を代理して目にみえるようにしたもの」。例えばお金は、様々な価値を一時的に代理したものです。最近の金融経済は、代理価値が代理価値を生んでいるような状態になっていると増田さんは言います。そして、代理価値の中で生きていると、主体性、内発性がだんだんと衰弱し、生きる活力が失われてしまう。
そこで今回は、代理価値からできるだけ離れ、リアルな実体のなかで生きるにはどうしたらいいかを考えたいというのが、増田さんの思いです。

特に、スピリチュアルや宗教は、目に見えないものを伝えていくということでは極めて重要な役割を果たしていますが、そこでもお金に代表されるような代理価値にすり替えられる、おかしなことが起こっている、と増田さんは言います。
すり替えられた代理価値に振り回されないために、どうしたらいいか。

この問題は、増田さんが副題に挙げたように、「バーチャル(虚構)とリアリティ(真実)」を考えることにもつながります。言い方を変えれば、私たちの生き方につながっていく。

とても抽象的なテーマですが、だからこそ、できるだけ日常的に考えていきたいと増田さんは言います。
前回、増田さんの祖父の和田重正さんの思想が取り上げられましたが、そこで、「和田重正の目覚め」のエピソードの紹介がありました。
和田重正さんは、生きることは何か、いのちとは何かを問い続けた結果、悩み疲れて自殺を考える。そのとき、女中さんに声をかけられて、庭の梅を見て、パッと目が覚める。妄想から真実の世界への目覚めるとき、美しい自然を感じることでなぜ目覚めるのか。そんな話でした。

そうしたエピソードに、代理価値とは違った、「地湧の思想」の「真理」を考えていくヒントがある。
そんなところから、人と人、人と自然のつながりを考えながら、価値とは何か、いのちとは何か、などについて話していきたい。そうした話し合いの中から、「地湧の思想」の一端に触れられたらと思います。

増田サロンは継続して実施していきます。
できるだけ連続して参加していただきたいと思いますが、ゆっくりと進んでいきますので、気楽にご参加ください。できればいつか、現場に出て行ってのフィールドサロンも企画したいと思います。
きっと新しい世界が見えてくるはずです。

〇日時:2024年7月27日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:代理価値と真理、または、バーチャル(虚構)とリアリティ(真実)
〇話題提供者:増田圭一郎さん(図書出版みらいま代表)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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■節子への挽歌6061:今日で膵炎から卒業です

節子

暑い夜が続いています。
さすがに暑さには勝てず、一昨夜からエアコンのきいたリビングで前半は寝るようにしました。それが寝不足対策になっているかどうかは微妙ですが、エアコンのない寝室では確かに最近は眠れないのです。

今日は5時に起床。
生活のリズムを取り戻しつつありますが、まあそれでも毎日、言降りろあって、その対応に時間を取られがちです。
でもそれが日常ということなのかもしれません。

昨夜は意外な人からメールが届きました。
しばらくご無沙汰しているので、お見舞いに行きたいというメールでした。
福島からふたりで、というのです。
しかし、ちょうどその指定の日が私が活動を再開する日に当たっているため、2日間にわたりめいっぱい予定が入ってしまっていました。

これは一例ですが、私の入退院を知って、会いに行こうと思ってくれる人がいます。
それの個別に対応していると大変なので、それも考えて、活動再開前の日曜日の明日、湯島で口実をつけてサロンを開催することにしました。
できればそこに来てもらえるとうれしいのですが、お見舞いに来ようという人は、サロンではなく個別に会いたいと思うでしょう。
でも最近の私の体力では、個別に会っていたらそれこそへこたれてしまいかねない。
サロンでさりげなく会うのが精神的にも一番いいのです。

でもなかには、個別にゆっくりと会いたいと思う人もいるでしょう。
もちろん私も個別にゆっくりと話し合いたい人もいます。

でもたぶんそれは勘違いかもしれません。
個別にゆっくりと話すかどうかは、別に2人だけの場面が必要なのではないことに最近気づきました。
サロンのように、複数の人たちと会って一緒に話していても、2人だけの会話は持てるのです。
いやむしろその方が2人だけでゆっくりと話し合うことができるかもしれません。

最近、そんな気がしてきました。

今日は9時から病院です。
膵炎は収まっているでしょうか。
今日で精神的なけじめをつけようと思います。

 

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2024/07/05

■節子への挽歌6060:今日こそリズムを取り戻したいです

節子

昨夜も寝苦しい夜でした。
さすがに暑さには勝てず、エアコンのあるリビングで寝ることにしました。
おかげで眠れ、6時に起きて、ルーチンを行い、日脚ぶりにリズムを取り戻せそうです。

昨日は気になることもあって、落ち着かない1日でした。
久しぶりに畑に行ったり、気になっていたメダカの水槽の掃除をしたり、少しずつですが日常を取り戻しつつあるとはいえ、肝心のことはまだ手付かずです。
気になりながらも、ともかくやれないでいるのです。

暑さのせいか、友人たちからの連絡もいつもより少ない気がします。
しかし変わりなく定期的に届くのは、鈴木さんからのはがきです。
今回の私の入院を心配してか、「しばらくはサロンの回数を減らして試運転してほしいところですが、へそ曲がりな(?)なサロンは最初から全力疾走するのではないかと懸念しています」と書かれていますが、まあ人の習性はそう変わるものではありません。

今朝は静かの朝です。
太陽はもう高くにありますが、家族はまだ寝ているようです。

朝の6時半。日常に戻ったとはいえ、私もいつもより1時間遅い時間です。畑に行くのも一案ですが、畑はあまりに野草に敗退しているので、あまり行く気にはなれません。
まあ今日はゆっくりと1時間遅れのルーチンを行って、気を取り戻すことに努めたいと思います。

先ほども、朝の祈りにも込めましたが、小宮山さんの回復を祈りながら。
他にも祈る人が多い。
年を取ると忙しいです。

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2024/07/04

■節子への挽歌6059:ニンジン自給計画挫折

節子

ようやく体調が回復してきたので、ユカに同行してもらって畑に行きました。
2週間ほど放置していたため、畑は無残にも野原に変わっていました。
時々、ユカが水やりに来てくれていましたが、草取りまではしてくれていませんでしたので。

頑張って耕して蒔いたニンジンはほぼ全滅。ひょろひょろの芽が数本出ていましたが、とても育つようには思えません。
毎朝飲むニンジン・リンゴジュースのニンジンが高いので、自給しようと思い立っての種蒔きでしたが、農家の青木さんが指摘していたように見事に失敗です。

ニンジンだけではありません。
同時に蒔いた夏大根やモロヘイヤも野草に完全に負けてしまっていました。
実は入院中に、にこが植えてくれていたかぼちゃとスイカもどうもだめのようです。

かくしてせっかく頑張った畑もまた、今年も収穫に辿り着くずっと手前で挫折。
暑さはともかく、10日間の入院生活以来、どうも体力に自信が持てません。
でも今年はまだあきらめたくはありません。
体調を見定めて、再起を図りたいと思います。

暑さに向かっている肝心の時に、病院でエアコン生活に浸っていたために、今年の夏は厳しそうです。

 

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■節子への挽歌6058:節子からのメッセージ?

節子

今朝4時過ぎに外の鳥のさえずりで目が覚めました。
鳥の会話ではなく、一羽の鳥が繰り返し同じ声を出している。
少なくとも10分以上は続きました。
全く同じ鳴き声尾の繰り返しです。そこにはほとんど「感情」を感じられない。
ちなみにほかの鳥の対応はありません。

鳥と会話できる鈴木俊貴さんやタカイさんと違い、私には鳥の言葉はわからない。でもあまりに同じ言葉が続くので、解読したくなってきて、目が覚めてしまいました。
10分近い論理判断の結果、これは私へのメッセージだと勝手に判断しました。

意味はふたつ、一つは緊急の伝言。もう一つは私へのアドバイス。
もし前者であれば、心当たることがないわけでもない。
しかし、迷った結果、後者にしました。
後者は、節子からのメッセージとも考えられる。
節子は、また鳥になって戻ってくると言っていましたから。

私の判断が正しいかどうかはともかく、前者かどうかは今日中に判明するでしょう。
いささか気がかりではありますが。

眠い中を論理思考で疲れたのか、またそれから1時間半寝てしまいました。
再び目が覚めたら、もう鳥の声はせずに、静かないい朝です。
太陽は雲の陰ですが、もうかなり高く昇っている。

今日からいつもの日常に戻ります。

 

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2024/07/03

■節子への挽歌6057:体調不良はエアコン病?

節子

今日も大幅に寝坊。リズムを戻せずにいます。
でも原因が分かった気がします。
たぶん冷房病ですね。

10日間、入院中、完全エアコン環境似たため、そこから自然に戻ってきた途端に、身体がおかしくなってしまったような気がします。
おそらく昨夜ほぼそれが抜けた感じで、今日は普通です。
相変わらず身体に力は入らないのですが、思考力は戻ってきました。
早速に、7日のサロンを企画し案内を出しました。
13日の「あすあびサロン」の準備も少しずつははじめました。

今日はまたいろんなニュースなども入ってきました。
岐阜の佐々木さんからは高齢のアユの甘露煮が届きました。
奥さんが引き受けてしまったお寺のお仕事もそろそろ次の人に譲るそうです。でもお元気そうでした。

私と入れ違いに入院し手術をした小宮山さんは、まだ安心はできない状況です。
気になりますが、まだ直接話をすることはできません。

明日からはいつもの日常に戻れるでしょう。
まだ確実とは言えませんが。

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■急なサロン「幸せと不幸せと、どちらが幸せでしょうか?」のお誘い

突然の入院のためいくつかのサロンを延期させてしまい、申し訳ありませんでした。
先週末に退院し、自宅療養を続けていますが、10日間、完全にエアコンのきいた人工環境のなかにいたせいか、帰宅後、どうも調子がおかしかったのですが、ようやく回復してきました。

そこで早速なのですが、7月7日にサロンを開催することにさせてもらいました。
急に思い立ったのは、私自身のリズムを取り戻すためで、きわめて利己的なサロンです。

オープンサロンにしようかと思ったのですが、あえてテーマサロンにしました。
と言っても、大したテーマではありません。
テーマは、「幸せと不幸せと、どちらが幸せでしょうか?」。
おそらく馬鹿げた問いに聞こえるでしょう。答えは明白ですから。
でも思い付きのテーマでもないのです。
最近のサロンで私は何回か、この問いを間接的ですが投げかけています。たぶん真意を受け止めてくださった方はいないと思いますが、なんとなくの同意は少しだけいただいたような気もしています。

さてどんなサロンになるでしょうか。
いや、それよりも問題は果たして人が集まるかどうか、サロンが成り立つかどうか。
ちなみに、当日は都知事選の投票日です。こんな馬鹿げたテーマではなく、都知事選から国政へと話題にしたらどうかという人も多いでしょう。でも、都知事選の結果は明白でしょう。何しろ多くの都民はみんないま「幸せ」でしょうから。

7日に元気でサロンに参加するために、体調を整えようと思います。
自分勝手なサロンの呼びかけですみません。

〇日時:2024年7月7日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「幸せと不幸せと、どちらが幸せでしょうか?」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2024/07/02

■節子への挽歌6056:まだ回復できず

節子

どうもリズムを取り戻せません。
今日は目が覚めたら7時を過ぎていました。
昨夜は寝苦しい夜でした。

退院してから3日経ちましたが、今回はどうもなかなか回復しません。
どこか痛いとか不都合があるというわけではないのですが、力が入らないし、気が戻ってこない。どうも前に進めないのです。

そんなわけで今朝は、朝のルーチンも不十分。
挽歌も朝食後に書くありさま。
困ったものです。

と、ここまで書いて、止まっていました。
いまはもう夕方の5時半です。
どうも調子が戻らない。
この間、怠惰にただただ無為に過ごしていました。
こんな感じはめずらしい。
いろいろとやろうとしてみましたが、いずれもだめなのです。

身体と心と意識が、どうもばらばらでちぐはぐなのです。
とりわけ身体の劣化は予想以上です。
ユカは10日間も入院していたのだから当然でしょうというのですが、2年前もこうだったとはとても思えない。
これが「加齢」ということでしょうか。

なんだか節子のことを全く理解できていなかった自分に、今ごろ気づきます。
困ったものだ、ほんとうに。

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2024/07/01

■節子への挽歌6055:今日は現実をしっかりと生きます

節子

今日からまた生活リズムを戻していこうと思います。
昨夜も実はあまり眠れなかったのですが、今朝は5時半に起きて、ルーチンを行い、挽歌を書いています。
ただせっかくの朝ですが、嵐模様の朝で、出先をくじかれた感じがしないでもありません。

昨夜あまり眠れなかったのは、理由があります。
実は、一昨日から読みだした光瀬龍の短編集が面白くて、昨夜も目が覚めるたびに短編1作ずつを読んでしまったのです。

寝る前には、萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」を読むつもりだったのですが、光瀬龍の「カナン5100年」をちょっと読みだしたら、またそちらにはまってしまいました。
それでまあ、真夜中に5作品ほど読んでしまったのです。

明け方、もしかしたら、これならカフカも読めるかもしれないとまたまた論理的でない思いが浮かんできました。
書棚を探したら「審判」と「城」が出てきました。挑戦してみましたが、こちらはダメでした。

とまあそんなことをやっていたので、昨夜も熟睡感は全くない。
この挽歌を書いていても、何か頭もすっきりしないし、眠気もある。
でも、今日からは生活リズムを取り戻さないといけません。
決めたことは守らないといけない。

実は7月13日に初めての試みの、我孫子の明日を話し合う「あすあびサロン」を呼びかけています。あと2週間もないのですが、まだ申込者が5人しかいない。それもそのはずあまり積極的に呼びかけていないからです。それに第一、当日どうやって進めるのかもほとんど考えていない。
今日こそ、この準備とか呼びかけをしないといけません。

それだけではありません。
緊急入院で先延ばしになったいくつかのことを取り戻さないといけない。
今日はそうしたことを少し整えて、安心しなければいけません。

昨日は別世界を楽しんでいましたが、今日はしっかりと現実を生きようと思います。

 

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