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2024/07/27

■湯島サロン「あはれなる民からの真の独立への道」報告

「平和」を考えるサロンの3回目は、「非武装平和国家に向けての実践的な提案」をテーマに北京一さんから「あはれなる民からの真の独立への道」と題しての問題提起でした。

北さんは、まず「あはれなる民」というタイトルに関して、「あはれ」は日本人の持っている共通感覚、「民」は否定的感情(劣等感)のニュアンスを含む言葉だと説明したうえで、こういうことがいまの日本のありようをつくってしまっているという見方ができると話すとともに、「民主主義」という言葉への疑問を投げかけました。民ではなく人を基軸にするのであれば、「人主主義」というべきであろうと。

ここから、北さんが描く「真の独立」の意味あいもなんとなく見えてきます。北さんの「非武装平和国家に向けての実践的な提案」は、「国の在り方」に正面から取り組んでの「非武装平和国家」づくりのようです。

こうして問題の構図を確認したうえでの、北さんの最初の問いは「日本国憲法は建前でしかないのか」というものでした。憲法にどう対峙するかは、「民」として生きるか「人」として生きるかの大きな分岐点です。

北さんは、いまの憲法は「建前」でしかないという学生の発言に出合って、教育に関わってきた自分はこれまでいったい何を教えてきたのだろうかと衝撃を受けたと言います。そして、憲法を建前でないものにしなければならない。憲法の精神を実現する、あるいは建前でない憲法をつくることが必要ではないかと考えたそうです。

このくだりには、北さんの今回の話の一番のエトスがあると思うのですが、これは今回のテーマではなく、文字にしてしまうとうまく伝わらないので残念ながら省略します。

そこから北さんは、憲法との関係で、いまの日本の置かれている状況を改めて調べだした。そして見えてきたのは、「日米安保」体制のもとに主権を持たない日本の現実でした。米軍基地や首都の上空を米軍に支配されているという現実も見えてきた。いま沖縄で起こっていることが、ウクライナやガザのことほどにも報道されていないことにも。
「建前」だったのは、憲法だけではなく、まさに日本の国家主権そのものだったのです。それに関して、ていねいに説明してくれました。

これは、湯島のサロンでもよく話題になっていますので、内容は省略させてもらいます。
そうした日本の政治の実態(たとえば沖縄の基地の状況や日米共同委員会の動き)に関して、見ようと思えば見えていたものを、さも見えていなかったように、10年ほど前から盛んに情報が流布されだしています。そこに私は大きな「意図」(「陰謀」?)を感じますが、それはともかく、そういう「事実」を見ようともせずに、多くの人は、憲法をないがしろにし、日米安保に依存していることに、北さんは「あはれなる民」を感じているようです。民はお上に身を任せてしまう存在ですから、自ら情報を取りにはいかないのです。

ある調査によれば、日米安保は破棄し、日本国憲法の理念をしっかりと守ろうと考えている人が2%いるそうです。北さんは、そうした「憲法護持・安保廃棄」の考えをもっている人に、「民」ではない「人」を見ているようです。
2%といえば、250万人。
たとえば、軍隊を持たない国として有名なコスタリカは人口500万人ですが、同じく軍隊のないアイスランドは40万人。250万人でも十分に一つの国家を成立させることができる、と北さんは言います。
ならば、「民」が構成する日本から「独立」した「国」が成り立つ。

北さんのいう「真の独立」は、「民」意識に呪縛されていない「人」によって、新たな独立国家をつくることなのかと一瞬思いましたが、たぶんそうではないでしょう。それがまさに「非武装平和国家に向けての道の第一歩」なのです。
また北さんは、こうした「一国連邦制」あるいは「一国二制度」は「分断」ではないと言います。そこで参考になるのが、西田哲学の「絶対矛盾的自己統一」の考え方だという。

このあたりは、もう少し詳しくお聞きしたかったのですが、時間の関係に加え、私の消化不足で、咀嚼できませんでした。
ただ北さんが途中で、日本を象徴する日の丸を、陰陽太極図のように分割した図を示してくれましたが、それを見て、「民」と「人」もまたコインの裏表であり、2つの国という捉え方もまた「真の自立」への方便と捉えることができるようにも感じました。そこにガンジーも感ずる。これは私の勝手な妄想ですが。

とはいえ、私自身は「国」あっての「民」と考えていますので、同じ思いの人がまた「国」をつくるという発想には抵抗があります。それでは一向に「民」から解放されないのではないか。あいかわらずの「公」の発想ではないのか。

そもそも「民」と「人」とはどこに違いがあるのか。
それに「憲法護持」とか「安保護持」という言葉は、いかにも多義的ではないのか。
民と人との違いがもしあるとすれば、護持でも廃棄でもなく、憲法を活かし、安保を創り出すという主体性ではないのか。つまり、制度やシステムに身を任すのではなく、制度やシステムを活かす主体性を持つことではないのか。

つまり、「国の在り方」ではなく、「人の生き方」こそが問題なのではないのか。
そうしたことをもう少し議論したかったのですが、今回は時間切れでした。
できれば今回の問題提起を受けての話し合いを北さんにもう一度やってほしいと思います。

かなり未消化の報告ですみません。
私の勝手な解釈での整理なので、北さんの意図を誤解している恐れがありますので、北さんの提案に関する文責は私にあります。

しかし、ウクライナやガザには関心を持っても、沖縄の現実に関心をもたなくていいのか、という北さんの呼びかけには心より共感します。
9月には、また沖縄南西諸島の現実を話題にしたサロンを緒方さんにお願いしています。日本でも少しずつベリングキャット活動も広がりだしています。建前である憲法を活かそうという、たとえば請願権に取り組む動きも湯島のサロン仲間にも出てきています。

民から人へ。意識を少し変えるだけで、生き方が変わってくる。
そういう動きが広がることをこれからも地道に心がけていきたいと思います。

Handa20000

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