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2024/07/06

■節子への挽歌6062:問題は「きれいに死ねるかどうかなのです」

節子

退院後の状況確認に行ってきました。
時評編で書きましたが、結果はまあまあ。
そして根本的な問題を取り除くために胆嚢摘出手術を受けることにしました。
8月にもう一度入院することになりました。

それに関連して主治医と話しているときに、とても共感できる言葉に出合いました。
健康診断を勧めるのは、「きれいに死ぬための準備のため」なのです、と主治医の加藤礼医師が言うのです。ちょっと感動してしまいました。こういう医師にはすべてを任せられます。
彼から健康診断を勧められたら躊躇なく受けようと思いました。

節子は、きれいに死んでいったでしょうか。
いささか身勝手な気もしますが、ある意味、きれいな死に方だったような気がします。
できるならば私もああいう死に方が望ましい。
家族に囲まれた最後。
死んで20年たってなお毎日のように思い出す人が複数いる。

節子の悪いイメージは、もうなに一つ残っていなし。
理想化された節子がいまもまだ生きている。

いや、きれいに死ぬとは、そんなことではないかもしれません。
加藤医師は、脳梗塞で突然死ぬのは「きれいな死に方」かもしれないというようなことも話しましたが、私にはそうは思えない。
きれいかどうかは、人によって全く違っているのかもしれません。

まあしかし、それはともかく、私は「きれいに死にたい」ことは間違いない。
きれいに死ぬとはどういうことか。
少しそれにつて考えてみたくなりました。

加藤医師に出合えたのは、幸運でした。

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