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2024/07/24

■第3回ブックサロン「『利己的な遺伝子』論から眺める人間観」報告

リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』論を切り口にして、人間とは何かを考えてみようという近藤さんのサロンには、多彩な参加者がありましたが、私自身の消化不足でうまく報告できません。
報告が書けないうちにどんどん日が経ってしまい、いつものようにメモも取っていないので、これ以上延ばすと全く書けなくなりそうです。
そこで近藤さんにも手伝ってもらって、中途半端な報告を送らせてもらいます。
中途半端な、というのは、近藤さんにこのサロンの続編をやってもらおうと思っているからです。

とりあえず、近藤さんが当日つかったチャートを見ていただいて、どんな話し合いがあったかを想像していただこうと思います。

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近藤さんはまず、話の前提になる『利己的な遺伝子』のコアメッセージを「個体(表現型)を支配する遺伝子」と要約し、人間もまた遺伝子に支配される表現体のひとつだと切り出しました。

そして、「淘汰」の単位については、階層性があることに言及。淘汰に関しては、「種単位」「集団単位」「個体単位」など、いろんな捉え方がありますが、ドーキンス自身は「遺伝子」を単位として考えています。この点をきっちりと整理しておかないと、「利己的な」という意味もあいまいになってしまいます。つまり、「単位」(「己」と言ってもいい)をしっかりしておかないと「利己」と「利他」はつながってしまうのです。

つづいて近藤さんは、「脳、意識、知性は遺伝子支配からのレジスタンス」と言って、ドナルド・パフの「利己的な遺伝子 利他的な脳」を紹介してくれました。
個体が“遺伝子の支配”を離れ、独自の主体性を獲得し、手段から自己目的的な存在へと転化していったのが、人間だというわけです。
まあ、これもいまでは通説と言ってもいいでしょう。

そしてその人間は、遺伝子と似たようなミーム(松岡正剛さんはそれを「意伝子」と命名しました)を生み出し、それがあたかも「利己的な遺伝子」と同じように、その表現型である社会をつくっている。そこには、フラクタルな相似関係がある。
ミームに関しては、ドーキンス仮説を読み解くキーワードのようにも思いますが、ドーキンスはゲームの理論に逃げてしまって、ミームについてはしっかりと議論していないような気がします。しかし、ミーム論はむしろドーキンスを離れてさまざまに展開されています。

この辺りまではなんとかついていけたのですが、近藤さんの話はそこからさらに発展していきます。しかも、時間が足りなくなって、かなり急ぎ足にもなってしまった。
共感できたところもできないところもあるのですが、うまく報告する自信がないので、近藤さんに思いきり、要約してもらいました。
添付のチャートと見比べながら読んでみてください。

カタツムリを操って鳥に食べられるように仕向けて繁栄する寄生虫の遺伝子。
冷酷で悪辣なイケメンに惚れ込み子を宿して棄てられる女の息子は世にはばかって多くの遺伝子コピーを拡散する。

長く続いた温暖遊動狩猟採集に適応して文化を築いた人類は、寒冷定住農耕で文明を作り、人口爆発資源枯渇の奪い合い時代に至ったが、いまだココロの古層はせいぜい新石器時代と同じ。

睡眠・疲労・酩酊・鬱・認知症など、覚醒度が下がるとすぐに①遺伝子の支配、②本能の支配、③古層心理の支配が人格を乗っ取る。

神に次ぐ強大な力を得てしまったヒトは乗っ取られた状態で力を発揮すると自分も相手も滅ぼす。才能を擬装した狂人に社会を動かす力を与えてはいけない。
それを防ぐには、各自が覚醒を維持することが肝要。

以上が、ドーキンスから示唆を受けての近藤さんの人間観です。
なにやら難解ですが、何やら共感したくなる気もします。
遺伝子と古層心理の人格争奪戦、というのも魅力がある。

ではどうするか。
近藤さんは、①③連合に屈するか、オーバーマインドに孵化できるか。これからが人類最大のチャレンジだと言います。
これもまた、よくわからない。
でも近藤さんは、スローシンキングとメタ認知を文化にインストールするところから着手したい、と簡単に言うのです。
「メタ認知」は、湯島のサロンで時々話題になります。たぶん今月末から始まる遠山さん(今回のサロンにも参加していました)の社会心理学講義のサロンにもつながっていくでしょう。

いささか混乱していたら、遺伝子の世界に詳しい山森さんが、神の呪縛から解放したのだと、ドーキンスを高く評価したのです。
山森さんは、神の存在などもってこなくても、進化は説明できるとドーキンスは明確に主張し、神という恐れ多い大きな力から人間を解放してくれたというのです。よく言われるように、本書は「科学革命の本」だというわけです。
個体の主体性を否定しておいて、なにが科学だと思っている私には、違和感がある評価ですが、これはもともと「科学」の捉え方の違いかもしれません。
これは、山森さんにまたサロンをお願いしたいと思っていたテーマです。

とまあ、こう書いてきたものの、サロンの様子がどの程度伝わっているのか全く自信が持てません。間違いなくずれてしまっているでしょうね。
ドーキンスに関しては、私はできの悪いSFくらいにしか考えていなかったのですが、今回、何十年ぶりかで、ドーキンスの40周年記念版を読み直し、今もって世界的に人気があり読まれていることを知りました。
そして、せっかく近藤さんが、そこから大きな俯瞰図を構想してくれたので、ドーキンス仮説からはじまるこのマップをもう少し理解したくなりました。それを通して、近藤さんのライフワークテーマの「死生観」にたどり着けるかもしれません。
それに添付のチャートにも出てくるように、近藤さんは何冊かの関連図書も紹介してくれています。

それで、近藤さんに、このチャートを敷衍してもらうサロンを継続して開催してもらうようにお願いしました。

というわけで、今回のサロンの報告は次回からの近藤さんの連続サロンに引き継いでもらいます。
次回の近藤さんのサロンは8月下旬を予定しています。日程が決まり次第、ご案内させてもらいます。
おかしな報告ですみません。

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