« 2024年7月 | トップページ | 2024年9月 »

2024年8月

2024/08/31

■節子への挽歌6133:「休息の取り方」がわからない

節子

今日は8月最後の日。
にこの夏休みの最終日です。
夏休みににこと一緒に出掛けたかったのですが、実現しませんでした。
なにしろにこを誘ってもいつも断られる。
小憎らしいほどに、かたくなに「いかない」です。

ところで、今日もまた昨日の疲れが残ってしまった。
こんな状況なので、ジュンがたぶん私との同行を心配しているのを、にこはしっかりと受け止めて私の誘いには乗ってこないのでしょう。
子どもの洞察力や気遣いは、ものすごい。
自分の娘の時には、それが全く気づけなかったのですが、孫を見ているとよくわかる。

それはともかく、今日もどうもすっきりしない。
身心が再構成に入ったという思いを抱いてしまったらどうも逆にいろんなことが気になりだした。
どうもただの「疲れ」ではないような気になってしまう。

しかも相変わらず夜熟睡できないので眠気がずっと残っている。
いろいろと気になることはあるのですが、ともかく体調を整えることを最優先しようという気になってきたので、無理は一切しないことにしたのです。

一番気になるのは、バランス感覚のくずれです。
ともかくこの2週間、身体のバランスがとりにくく、ふらっとしてしまう。
こんなことは初めてです。
これで転倒などしたら大変です。

こんな状況がいつまで続くのか。
いやこれが平常なのでしょうか。
1日中、在宅で休んでいましたが、疲れが取れた気分がない。
要するに、「休息の取り方」がわからないのです。
困ったものです。

 

| | コメント (0)

2024/08/30

■節子への挽歌6132:一人になると疲れがドサッと襲ってくる

節子

今日は台風のため交通機関が混乱しているようです。
雨のため、私もユカに来るまで駅まで送ってもらいました。
電車に乗った途端に、ラインが入りました。
台風で中央高速が通行止めで、行けなくなったという連絡です。

そういえば今日、会う人は浜松から自動車で来る予定だったのです。新幹線ももちろんストップ。
私ももう電車に乗ってしまっていたので、予定通り、湯島に行きました。
でも誰も来ない。

湯島に着いたとたんに、ドサッと疲れが襲ってきました。
ソファーで横になっていたらいつのまにか寝てしまっていました。
1時過ぎに午後のサロンに早めに来た人に起こされました。
やはり本調子ではない。
誰かがいると元気になれるのですが、一人だともう心身ともに動かない。

今日のサロンは、社会心理学をテーマにした結構ハードなサロンでした。
しかも台風。
参加者はあまりいないだろうなと思っていたら、なんと10人近くが集まりました。
サロンの間は私も元気。

ところがサロンが終わったら、後はみんなで片づけておくから早く帰って休めとみんなから言われました。
ともかくみんな気遣ってくれるのです。
自分では気づかないのですが、外部から見たら私はたぶんがたがたなのでしょう。
でもみんなからこんなに気遣ってもらえるとは感謝しなければいけません。

駅まで歩いて電車に乗って座った途端にやはりがっくり来ました。
駅まで迎えに来てもらい、帰宅した後、何もする気が起きない。
またいつのまにか寝てしまっていた。

やはりこれまでとはどこか違うようです。
注意しないといけません。

| | コメント (0)

■節子への挽歌6131:台風の朝

大型台風が九州に上陸しています。
最初の予報では今週前半に関東に上陸の恐れもあったのですが、動きが遅くなり、しかも進路を西に向けたので、関東はようやく昨夜から影響が出始めました。
今朝も雨が降っていますが、久しぶりに雨の気がします。

この3日間、休んだので体調はかなり楽になってきました。
今日は湯島の予定ですが、大丈夫でしょう。
湯島に行かなくても、最近はネットでいろんなことが跳び込んできます。
でも直接会わないと情報だけが独走しておかしなことにもなりかねません。
今日もサロンの前に、また会いたいという人がいるので午前中から湯島です。

この1週間、生活のルーチンはかなり乱れています。
しかし気がついたら間もなく節子の18回目の命日です。
それまでには生活を整えたいと思っていますが、どうもうまくいきません。
まあ、節子は許してくれるでしょう。

今日は気をつけて無理のないように過ごすつもりです。

| | コメント (0)

2024/08/29

■節子への挽歌6130:近くの青木さんにまで心配されました

節子

やはり体調はよろしくなく、友人のお勧めで、できるだけ横になるようにしています。ところが、来客がありました。
よろよろしながら出ていきました。
節子もよく知っている近くの青木賢一さんです。

何事かと思って出てみたら、近くの我孫子新田開発に関する資料が、該当する地域の地権者である青木さんに届いたそうで、それを持ってきてくれたのです。
実はこの問題は気になっていて、つい最近も近くの大学生から、ちょっと心配だと連絡をもらったところでした。それでこの地域の市会議員にその後どうなっているのか確認し、動きを教えてもらっていたのです。地権者にもうじききちんとした説明があると思っていた矢先でした。

資料を読ませてもらったら、相変わらずの行政文書です。
これで普通に住民がわかるはずもない。
相変わらずのアリバイ工作的手続きです。
前回と変わっていない。
実際に青木さんも、俺はこういうのを見ても全くわからないので佐藤さんに盛ってきたというのです。もちろん私が見てもわかるはずもない。何しろ行政文書ですから。

で話はほぼそれで終わったのですが、私があまりよれよれだったのか、それよりも佐藤さんは大丈夫なのか、と訊いてきました。
そして、佐藤さんがいないと、あの会は続かないよ、といってくれるのです。
あの会とは、あすあびサロンのことです。

青木さんのその言葉がとてもうれしかったのです。
青木さんのような長年我孫子に住んでいる人から、ちょっとだけ信頼してもらえたようです。

ちょっと元気が出ました。
やはり「あすあびサロン」は続けないといけません。

| | コメント (0)

■胆嚢摘出手術入院記録14:退院後10日近く経過しましたが

胆嚢摘出手術から半月、退院してから9日目です。
身体は回復に向かっていますが、まだ本調子ではありません。

先日テレビを見ていたら、「どんな内臓も役に立っていないものはない」というようなセリフを聞きました。ぼんやり聞いていたのですが、最近、その言葉を思い出します。

退院後、とても疲れやすく、これまで以上に無理がきかない。
でも身心は以前のような生活をどうしても目指してしまう。
だから時々またダウンしてしまう。
その繰り返しを続けています。

最初の頃は、思考力も大幅に減退し、なにをやるのも気分的に嫌でしたが、これは10日ほどかかって解消しました。
実は私が身体を動かさないといけないと思ったのは、退院時、どうも心や意識が混濁していたように感じたからです。そうした邪気を身体から追い出すために、裸足で公園を歩いたり、ちょっと身体を酷使したりしていたのです。
そのおかげで、数日前からは本も読めるようになり、夜中におかしな夢を見ることもなくなりました。しかし身体の疲労感は、どこかこれまでと違うのです。

やはりこれは、「胆嚢」と言う内臓を摘出したせいでしょうか。
私の身心システムがいま再構成されているのかもしれません。
というのも、身体の疲労感がこれまでとどこか違うのです。
再構成作業が終わるまで、この疲労感は続きそうです。

これまではちょっとした無理をして、身心を慣らしていこうと思っていましたが、これからは少し無理を避けようと思います。
娘は「無理」はいいとしても、「無茶」のし過ぎだと呆れていますが、その「塩梅」が取れなくなっているのかもしれません。

というわけで、この1か月、もしかしたらご迷惑をかけるかもしれませんが、少し自分中心にさせてもらおうと思います。まあ今まで以上に、ということですが。
2日間在宅で休養したのに、まだどうも調子がおかしい。
疲労感がドサッとまだ残っているのです。
困ったものです。

 

| | コメント (0)

■近藤サロン②「ドーキンスの道具箱から人間社会の背後にある駆動原理を考える」報告

近藤和央さんの「『利己的な遺伝子』論から眺める人間論」のサロンが始まりました。

「進化論」を補助線に使って、人間(社会)のことをいろいろと考えていこうというサロンです。言い換えれば、そうしたことによって、逆にドーキンスや進化論の世界を読み解いていこうというわけですが、毎回、あるテーマが取り上げられ、サブテキストも紹介されるようです。ですから単発参加もありのサロンです。

00000

例によって、近藤さんは大きな概念マップを見せながら、今回は、遺伝子の利己性とその乗り物が示す利他的に見える行動の関係モデルを「個人と社会」の関係モデルにレベルシフトし、「他者や社会との関係性という文脈の中における個人の振る舞いの利己性・利他性」について考察したい、と話しだしました。
近藤さんらしく難しい。

でもその後の問いかけは、わかりやすいものでした。
なぜ私たちはみんな、「殺すなかれ、盗むなかれ」と思うのか。そういう善悪・正義・道徳という価値観はなぜ生まれたのか。
これが今回のテーマです。
つまり、〈倫理〉〈道徳〉、あるいは私たちの生き方を、ドーキンスの〈利己的な遺伝子〉につなげて考えていこうというのです。

そして今回のメインツールは「人間行動進化学」。参考書としては気楽に読める光文社新書の「進化倫理学入門」をあげてくれました。毎回、こうして手ごろなテキストが紹介されるようです。

いま話題の哲学者マルクス・ガブリエルは、「現代社会の行き詰まりを打開するのは〈倫理〉である」と最新作の「倫理資本主義の時代」に書いています。
〈倫理〉というとまさに哲学の世界の話ですが、ドーキンスは『利己的な遺伝子』のなかで、「哲学と、「人文学」と称する分野では、今なお、ダーウインなど存在したことがないかのような教育が行なわれている」と嘆いています。

しかし、今回近藤さんが取り上げた、「進化倫理学」によれば、倫理や道徳もまた、自然選択によって進化してきたものであるというのです。
そして近藤さんは、冒頭に「希望はある」と断言しました。基本に「利己的な遺伝子」がいれば、安心していいでしょう。

話がどう展開したかは書き出すときりがありません。
冒頭から参加者による質問がつづき、さすがの近藤さんも話が前に進まない。
でも話し合いの中身を感じたい方は、添付した近藤さんの話のアウトラインマップをじっくりと見てください。このすべてが話し合われたわけではありませんが、行きつ戻りつ、いろんな話が飛び交いながらこんな話が展開されたのです。

ダウンロード - e8bf91e897a4e382b5e383ade383b3efbc92e8b387e69699.pdf

大きなテーマの一つは、マップにもありますが、個体の利他性とその遺伝子の利己性です。広げて言えば、主体と乗り物(表現型)の関係であり、それらが幾重にも、まるでマトリョーシカのように重なっているのです。
しかも単に空間的にだけではなく、時間的にも、です。
だからどこをとるかで、利己と利他が入れ替わってしまう。
たとえば、いまの自分には得だ(利がある)が、長い目で見れば(未来の自分には)損だ(利がない)というようなことは誰にもすぐわかるでしょう。

そしてここが、進化倫理学のポイントなのですが、そういう私たちの〈倫理観〉や〈道徳観〉は、生命としての「進化」のたまものであり、ドーキンスの「利己的な遺伝子」につながっているというのです。
進化は人間の形態に影響を与えているだけではなく、人間の心的な諸機能の起源もまた、進化の結果なのです。つまり、思索や知的営みの結果ではない。
我々の道徳的な思考法も自然選択によって進化してきた。ですから、倫理や道徳は、生命の自然の進化の結果なのです。
「殺すなかれ、盗むなかれ」と言うのも、一言で言えば、それが結果的には「得だから」なのです。

進化の仕組みからくる生物一般の基本的性質である「利己性」が、まさに「利他性」を生み出している。あるいは「社会」を育てている。それが「進化」の流れ。
これは私にとっては感動的なメッセージです。

要するに小賢しく考えることなく、自然の流れに身を任せれば、幸せや豊かさがやってくるというのですから。要するに「素直に生きる」ことこそが「倫理的」なのです。
利己とか利他などという小賢しいことにこだわっていてはいけない。
私がサロンでも時々話して厳しい批判を受けている「すべての人は性善」という捉え方も、そこから出てくる気がします。

進化倫理学では、「互恵的利他性」という考えも重要ですが、それはまさに「社会の形成原理」につながっている。ですから、進化倫理学は進化社会学へと展開されていくはずです。
そんな議論をもっとしたかったのですが、あまりに問題は大きく時間切れでした。
このテーマをもう少し掘り下げてほしい気がしますが、あまりこだわっていては前に進まない。
でもいつかまたじっくりと話し合うサロンを近藤さんにお願いしたいと思っています。

ちなみに今回近藤さんが紹介してくれた、内藤淳さんの「進化倫理学入門」(光文社新書)はとても読みやすい本ですので、よかったらどうぞ。それが物足りない人は、ちょっとハードですが、スコット・ジェイムズの「進化倫理学入門」(名古屋大学出版部)も読みやすいです。いずれも近藤さんのお薦めです。

| | コメント (0)

2024/08/28

■節子への挽歌6129:身心の再構成

節子

胆嚢摘出手術から半月、退院してから9日目です。
身体は回復に向かっていますが、まだ本調子ではありません。

先日テレビを見ていたら、「どんな内臓も役に立っていないものはない」というようなセリフを聞きました。ぼんやり聞いていたのですが、最近、その言葉を思い出します。

退院後、とても疲れやすく、これまで以上に無理がきかない。
でも身心は以前のような生活をどうしても目指してしまう。
だから時々またダウンしてしまう。
その繰り返しを続けています。

最初の頃は、思考力も大幅に減退し、なにをやるのも気分的に嫌でしたが、これは10日ほどかかって解消しました。実は私が身体を動かさないといけないと思ったのは、退院時、どうも心や意識が混濁していたように感じたからです。そうした邪気を身体から追い出すために、裸足で公園を歩いたり、ちょっと身体を酷使したりしていたのです。
そのおかげで、数日前からは本も読めるようになり、夜中におかしな夢を見ることもなくなりました。

しかし身体の疲労感は、どこかこれまでと違うのです。
いや、正確にいえば、精神的な面でもやはりどこか違うものを感ずるのです。
やはりこれは、「胆嚢」と言う内臓を摘出したせいでしょうか。
私の身心システムがいま再構成されているのかもしれません。
再構成作業が終わるまで、この疲労感は続きそうです。

これまではちょっとした無理をして、身心を慣らしていこうと思っていましたが、これからは少し無理を避けようと思います。
ユカは「無理」はいいとしても、「無茶」のし過ぎだと呆れていますが、その「塩梅」が取れなくなっているのかもしれません。

というわけで、しばらくは少し慎重に処したいと思い出しています。
ともかくもう少し時間がかかりそうです。

| | コメント (0)

2024/08/26

■節子への挽歌6128:渕野さんと久しぶりにゆっくり話しました

渕野

平井さんのテノールを聞く前に、渕野さんと会いました。
奥さんと一緒に来る予定でしたが、奥さんの体調の関係で渕野さん一人でした。
久しぶりにゆっくりと話しました。

渕野さんは私が会社時代に手掛けたプロジェクトをスタートするときに、一緒に取り組んでくれる人を探して、見つけた人です。
私よりも10年ほど後輩ですが、私は面識がありませんでした。
当時、社長提案というプロジェクトがあって、そこに提案されたものを読ませてもらって、そこで彼に出会ったのです。
それまで面識がなかったのですが、彼に連絡して会いました。
彼なら信頼できると確信し、このプロジェクトに関わるともしかしたら人生が変わるかもしれないがいいかと確認しました。
彼もいいというので、彼を同志にし、プロジェクトに取り組みだしました。
プロジェクトのメンバーは5人でしたが、もう一人は上司からの推薦、もう一人は渕野さんに選んでもらいました。さらに事務スタッフは新規に採用してもらいました。

こうしてスタートしたのが、東レのCIプロジェクトチームです。
組織の常識から外れていたので、いささかやりすぎ手後半は人事部からは冷たい扱いを受けました。
まあそういう関係なのですが、私が最も信頼する友人の一人です。

もいま実はがんと闘っています。
もしかしたら私よりも体調は悪いかもしれませんが、今回も私の突然の依頼を何一つ理由も聞かずに受けてくれました。

こういう友人が、私には何人かいましたが、残念ながらみんな亡くなってしまいました。
親しい友人ほど、そして私のことをきちんと理解してくれる友人ほど、別れが早く来る。
時々そう思います。
節子との別れも早かった。

節子も渕野夫妻とは面識があります。
たぶん渕野の奥さんとは仲良くなれたはずです。
なんとなくそんな気がしていたのですが、お互いに親しくなる前に節子は病気になってしまいました。

私には「友だち的」な人は多いのですが、私をわかってくれていると思える人はあまりいません。この頃、改めてそう思います。
渕野さんは、良くも悪くも、私のことをわかっている。
そういう人との会食はとても癒されます。

会食後、彼は平井さんの不思議なコンサートにも付き合ってくれました。
最後に新浦安で別れたのですが、「一人で帰れますか?」と私を気遣ってくれました。
他の人からそういわれるとムッとしてしまいそうですが、彼の一言はうれしかったです。

今日、無事に過ごせたのは彼のおかげです。
いや、お昼に退院祝いしてくれた升田さんのおかげもありますね。

疲れ切りましたが、いい一日でした。

| | コメント (0)

■節子への挽歌6127:平井さんのテノールに感動しました

節子

久しぶりにコンサートホールに出かけました。
平井さんが日本イタリア協会主催のプレミオ・オーロ・マラトンの一般の声楽部門で金メダルを受賞したのです、前に会った時に、8月に発表会があるのでぜひと誘われていたのですが、今日がその発表会でした。

場所はJcom浦安音楽コンサートホール。それも夜なので、ちょっと体調に自信がなかったので、ユカに同行してもらうことも考えたのですが、浦安といえば、渕野さんがいると思いついて、昨日、彼を誘ったのです。
直前でもあり、普通のコンサートではないので無理だろうなと思っていたのですが、彼は受けてくれました。私のことを気遣ってのことでしょう。

平井さんのことを書きだすと際限がないほど長い話があるのですが、今回の受賞に関して一言で言えば、平井さんは会社を定年で辞めた後、音大に入学し声楽を学び、ミュージカルやオペラに挑戦しているのです。平井さんとは彼が会社時代からの付き合いですが、まさか彼が音楽関係に進むとは思ってもいませんでした。
平井さんはさまざまな賞を得て、発表会などもあったのですが、私は一度も行ったことがありませんでした。
もし節子が健在だったら、たぶんとっくに彼の声を聴きに出かけていたはずです。

思い切って出かけてよかったです。
実は節子がいなくなってから、音楽もコンサートホールもNGになっています。
ですから久しぶりのコンサートホールです。
やはり心が和みます。
これからは行けるようになるかもしれません。

平井さんのテノールは素晴らしかったです。
彼が歌い出した途端に、吸い込まれました。
節子にも聴かせたかったです。

Hirai1000

Img_5758000

| | コメント (0)

■節子への挽歌6126:升田さんからの退院祝い膳

節子

私の入退院を心配してくれている一人が、小学校の同級生の升田淑子さんです。
彼女は節子も面識がありますが、節子が逝ってしまった後、わが家に献花にも来てくださいました。
最近は、湯島サロンの常連にもなっています。

その升田さんが、今回の私の手術をとても気にしていてくれていました。
手術というよりもも、最近の私の体調をと言ったほうがいいでしょう。
サロンでの私の疲れがわかっていたのかもしれません。
サロンが終わると、後は片づけておくからといつも私を追い出していたんです。
その升田さんが、退院して元気になったら退院祝いをしてあげると言っていたのです。

それを知っていたので、退院祝いは誰にもしてもらわないようにしていました。
そして今日の昼食、升田さんに祝ってもらうことにしたのです。

でも今日も朝からあまり調子があよくありません。
外食する気になれない。
でも約束だからと湯島に出かけました。
少し早目について体調を整えていた。
でもどうもまだ外食の気分になれない。

と思っていたら、升田さんがやってきました。
彼女も、こうした私の状況を予想していたようです。
外食ではなくお弁当を用意してくれていたのです。
それもわざわざ三越まで言って購入してきたローストビーフの、しかし和風のお弁当です。それに私の好物の香の物に、イチジク入りの野菜の酢味噌和え。

Photo_20240907201401

驚くほど私の好みがそろっている。
もっともメインのローストビーフは、私の好みではありませんが、これは私の体力付のために選んだもののようです。肉が兄が手の私にも、食べやすくおいしい味付けでした。

升田さんは小学校時代の同級生です。
長い付き合いからか私の好みをよく知っている。
おかげで少し元気になりました。
感謝しなければいけません。

| | コメント (0)

■「江戸の憲法構想」は面白いです

昨日は休養日でしたが、ようやくまた本を読めるようになったので、気になっていた「江戸の憲法構想」(関良基 作品社)を読みました。これが実に面白く、おかげで外出したくなることもなく終日家にいました。
まあ、家にいれば休養と言うわけでもないのですが、疲れがとれました。
まあこれでもう大丈夫です。

ところで、「江戸の憲法構想」ですが、お薦めです。
私は明治維新は「革命」ではなく「反革命」で、明治憲法はいまの日本国憲法以上に「押しつけ憲法」だと思っていますが、ますますその思いを強められました。
司馬史観のみなさんにもぜひ読んでほしい本です。

 

| | コメント (0)

2024/08/25

■節子への挽歌6125:ちょっとまた無理をしてしまったようです

節子

やはり昨日は疲れました。
ちょっとまた無理をしてしまったようです。困ったものですが。
午前中、横になっていましたが、なかなか元気が出てこない。
やはり内臓摘出で、身体が弱っているのでしょうか。
最近は朝のラジオ体操をやるだけでへとへとになってしまう。

しかし考えてみれば、まだ退院して5日目です。
これくらいの疲れはまあ当然なのかもしれません。

幸いに少しずつ本を読む気力が戻ってきました。
今日、読んだのは「江戸の憲法構想」(関良基 作品社)。
また時評編でも紹介しようと思いますが、これが実に面白く、疲れがとれました。
明治維新の位置づけも日本国憲法の位置づけも、ほぼ私の考えと同じです。

やはり示唆に富む本を読むと元気づけられます。
ついでに、スラヴォイ・ジジェクの「戦時から目覚めよ」も読みました。と言っても前半だけですが。 
これも示唆に富んだ本でした。

かくして思考の方はだいぶ戻ってきた気がします。
体力はまだまだですが。

| | コメント (0)

2024/08/24

■第2回あすあびサロンは我孫子の撮影シーンが主な話題になりました

我孫子の明日を話し合う第2回あすあびサロンを開催しました。
今回のゲストは手賀沼フィルムコミッション専務理事でもある市会議員の甲斐俊光さんにお願いしました。

甲斐さんは、10年ほど前に仲間と一緒に手賀沼フィルムコミッションを立ち上げ、以来、我孫子のロケ地を紹介しながら、撮影の支援を行う活動に取り組んでいます。
https://teganumafilmcom.net/

最近、私が気づいただけでも3つのテレビドラマで我孫子が登場していますが、まさか甲斐さんが関わっているとは思っていませんでした。
甲斐さんはこれまでのドラマや映画で取り上げたロケ地を紹介してくれましたが、自由に使えるロケ用ファミレスも所有しているため、ファミレスシーンではよく使われているそうです。
最近、我孫子がロケ地として登場することが増えていることには気づいていましたが、まさか手賀沼フィルムコミッションがこんなに活躍しているとは思ってもいませんでした。

私だけではなく、そういう受け止めをした参加者も多かったようです。
そして同時に、江戸時代からの我孫子在住の家の人からはあまり知られていない魅力的な場所がもっとあるとか、我孫子で活動を始めて素晴らしい場所がたくさんあることがわかったとか、我孫子の歴史に詳しい人からはあまり知られてない場所の話が出てきたりとか、話は盛り上がりました。
さらにそこから我孫子にある旧民家や自然環境をもっと「まちづくり」につなげられないかという話にまで広がりました。

今回も、いろんな分野で活動している人が参加していましたが、そういう活動がちょっと横につながるだけでも新しい物語が生まれやすくなります。
それに、せっかくロケ地として使ってもらえるのであれば、もっと多角的な活用策があるのではないかと思いました。
手賀沼フィルムコミッションでは、エキストラ参加を希望する人たちのネットワークも育てていますが、知っている人はそう多くはないでしょう。若い世代を「まちづくり」につなげていく仕組みももっとできるかもしれません。
そういう可能性をいくつも感じたサロンでした。
参加者は13人でしたが、元気が出るサロンでした。

我孫子が抱える問題点の指摘もありましたが、このサロンは、あくまでも「魅力的な我孫子のまちをつくるために自分でできることを探すこと」を目指していますので、行政批判や他人への期待は極力抑えてもらっています。住民が当事者意識を持って、汗と知恵とお金を出し合うことを楽しむようなまちづくりを目指したいのです。
そういう取り組みをする人が増えていけば、もっともっと魅力的なまちになるでしょう。
甲斐さんたちの活動はそうした視点でも、大きなヒントと刺激を与えてくれたと思います。

このサロンは、長い目で、人や活動のつながりを育てていくサロンですので、急がずにゆっくり進めていく予定です。今回も残念ながら高校生や大学生の参加は得られませんでしたが、呼びかけの過程で関心を持ってくれる若者との出会いが少しずつできてきていますので、次回は若い世代の参加もあるかもしれません。

今回も話し合いのほんの一部しか紹介できませんでしたが、少しずつ「あすあびサロン」のスタイルも見えてきました。
次回はもう1回だけ、市議会議員をゲストにしたサロンを続けます。
ゲストは内田みえこさん。今のところ929日(日曜日)の午後を予定しています。正式に確定したらまたご案内します。

あすあびサロンの参加者の交流用のメーリングリストがありますので、参加ご希望の方はご連絡ください。登録させてもらいます。
そういうSNS活動をやってくれる若い仲間を探しています。
徐々に組織化も進めていきますので、代表や事務局長も募集中です。
やってもいいという方は下記まで連絡ください。
qzy00757@nifty.com

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌6124:お施餓鬼(2024年8月24日)

節子

今日は午後、恒例のお施餓鬼でした。
お寺でお塔婆をつくってもらい、お経をあげてもら会うのです。
本来は、その行にも参加するのがいいのですが、最近は人が多くなり、本堂に入りきれないのと、暑いので最初から最後まで参加するのは辞退しています。

今年も、兄とユカと3人で、本堂での読み上げ行が終わったころに行きました。
蘇東坡をもらって、お墓に備えました。
たまたま私の場合、毎年、お施餓鬼の10日ほど後が節子の命日なので、こんな感じで許してもらっています。

今年も無事、お施餓鬼もきちんと対応できてよかったです。
しかし兄は今年90歳。
お施餓鬼に来られるのも今年が最後かなと言っています。

今日は午前中はあすあびサロン、午後はお施餓鬼といささか疲れました。
暑さもあってもうへとへとです。

| | コメント (0)

■節子への挽歌6123:第2回あすあびサロン

節子

退院がいつになるか、また多淫後の体調はどうなるかで、いささかスリリングな第2回あすあびサロンは無事終わりました。
前回もそうでしたが、サロンの前に入院などがあって、準備があまりできずにどのくらい参加してくるか、いつも心配なのです。
とりわけ今回は、コアメンバーの多くが法事や仕事などで参加できない人が多く心配しました。
参加者は結局、10人強でしたが、話し合いにはむしろいい規模でした。
次回からは20人をめどに呼び掛けていこうと思いなおしました。

今回は時評編でも紹介するように、手賀沼フィルムコミッションの解散に話題提供をお願いしました。
楽しい話でした。
改めて甲斐さんの活動が理解できるとともに、なにか私にもできることがありそうな気がしてきました。

ただ今回、おひとり、柳さんという方が参加され、ある問題を指摘しました。
そういえば、柳さんはこれまでもその問題を訴えていて、わが家のポストにも投函あれていたことがあります。
その問題はある意味で共感できるものですが、どうもおひとりで取り組んでいるようで、類似の活動との関係があまりよくないようです。
というのも、同じ地域に住んでいる人で、同じようにその問題に取り組んでいる方も参加していて、サロン終了後、個別にその方からお話を聴いたのです。
地域の活動は、まさにこうした具体的な「利害関係」が絡んでくるので、むすかしいのです。それに対立している双方に、それぞれ理があることが多いからです。

でもまあ、あすあびサロンはそういう問題解決の場ではなく、むしろみんなのビジョンを分かちあっていこうというのが理念ですから、柳さんにはまた場を改めてということで矛を収めてもらいました。
しかしこれまた放っておくわけにはいきません。
一人での活動がどれほど大変か。そして注意しないとその大変さゆえに歪んでいってしまうことを、これまで見てきていますから。

こうしてまたいろんなトラブルに巻き込まれていく。
困ったものです。

| | コメント (0)

2024/08/23

■節子への挽歌6122:2人の若者からまた大きな刺激をもらいました

節子

体調にあまり自信はなかったのですが、2人の若者に会えるというので頑張って湯島に行きました。この2人に今日、会えるのであれば、まあ倒れる危険性とバランスすると考えたのです。
途中、ちょっと不安がよぎりましたが、行ってよかったです。

一人は20代の川端さんですが、彼とは「いのち」の話をしました。そして彼から、人の接し方には、物として接するのと人として接すると2種類があると教わりました。
彼からは、まさに今「学ぶ時」なのです。もちろん、彼もまた「学ぶ時」ですが、私と会うことで、お互いに学べるはずです。そう思ったのですが、まさにお互いに学べた気がします。

もう一人は40代の矢辺さん。知り合った時には彼がまだ大学生でしたが、いまは出身地の鳥取で、企業の社長です。
彼はなんと「コモンズ」の話から始めたのです。そして、今日は「コモンズ」の理解の是非を問うに来たのです、というのです。
20年ほど前に私が「コモンズ」の話をしていた時には「何言ってんのかなあ」という感じだったそうですが、最近、コモンズが何なのかがわかったというのです。そして彼の理解を話してくれました。私的には100点満点です。しかも行動につなげようとしている。私としてはうれしい限りですが、まさか彼が「コモンズ」を受け止めていてくれたとは思ってもいませんでした。

つづいて企業の経営について少し話しました。彼の経営観は、まさにコモンズ発想です。どうも創業者の父親の影響もありそうですが、地方にはまだこういう企業があるのです。
久しぶりに経営議論をしました。
それぞれ2時間ほどの話し合いでしたが、元気をもらいました。

こういう若者たちがいる限り、日本の社会はそうは簡単には崩れないでしょう。
久しぶりの真剣対話4時間で、いささか疲れましたが、大きな元気をもらいました。
同時に、やはり若者への嫉妬も感じました。

やはり若さには価値がある。
若い身体が欲しくなりました。

(追記)
翌日気づいたのですが、矢辺さんがうれしい投稿を自分のFBに書いてくれていました。
https://www.facebook.com/photo/?fbid=26827872943495260&set=a.201197893256127

| | コメント (0)

2024/08/22

■節子への挽歌6121:デクノボウの責務

節子

なかなか夜が安定しない。
トイレの回数は半減しましたが、今度はなかなか眠れなくなった。
しかたなく夜中に足腰の体操をしたりしています。
なかなか寝不足が解消されない。
それにどうも体調も安定しない。

そんな中、島根県から上京する矢部さんから、明日はどうですか、とメールが届きました。
そこで思い出したのですが、矢辺さんから、上京するので会えないかと今月初めに連絡があったのです。その時には入院予定が決まっていたので、退院が決まって体調がよければと言っていたのですが、そのことを完全に失念していた。
明日もあまり体調には自信がないのですが、せっかくの機会を逃したくはない。

矢部さんは、彼が大学生のころ、私が取り組んでいたコムケア活動を手伝ってくれていたのです。
彼は「ノーマラゼーション」に関心があり、卒業後、障害を持った人たちの働く場を増やしたいと言って、起業したのです。彼の取り組みには共感できました。彼とは時々「ノーマラゼーション」論争もやりました。とても誠実な、ともかく明るい若者だった。

でも節子がいなくなってから私は一時期すべての縁を閉じましたので、ちょっと交流が途絶えてしまった、その間に、矢部さんは郷里の実家の家業を継承すべき島根に戻ったのです。
以来直接の付き合いはなく、FBでお互いの動きをなんとなく知っている関係なのです。でも誠実に前に進んでいる矢辺さんの生き方は安心してみていられます。

その矢辺さんからのお誘いです。
だいぶ迷ったのですが、2時間考えて、明日は湯島で会うことにしました。

というのも、もう一人気になる若者がいるのです。
ペットロスで引きこもってしまった若者です。
宮沢賢治のデクノボウになるには、彼にも会わないといけません。

2人に、もしk設楽明朝の体調次第でキャンセルするかもしれないよと断ったうえで、それぞれに会うことにしました。
体調が整ってくれるといいのですが。

| | コメント (0)

2024/08/21

■節子への挽歌6120:手賀沼公園を裸足で15分歩いてきました

節子

やはりどうもすっきりしない。
それで、今日は幸いにさほど暑くないので、手賀沼公園に行って、原っぱや砂場を15分度歩いてきました。
あまり人ではなく、歩くには絶好でした。

しかしきちんとした芝生ではないので、病院の廊下以上にリスクはあります。
3回ほど、思わず「痛い!」と声が出ましたが、汚物を踏むこともなく、気持ちのいい裸足ウォーキングでした。
そのまま裸足で帰ろうとも思いましたが、途中に図書館にも寄りますので、やめました。
誰かに何か言われると、せっかくの気分が壊れます。
病院ウォーキングで、それを体験しているので、繰り返したくはないのです。

ともかく裸足で歩くと実に気持ちがいい。とてもすっきりしました。

しかし陽射しがあまりないとはいえ、やはり暑く、汗がたらたらです。
でもシャワーを浴びる元気はなく、帰宅してそのまま長椅子に倒れ込んでしまい、気づいたら1時間ほど寝てしまっていたのです。急に眠気が襲ってきたのです。
今日はだれもいないので、起こしてもらえなかった。

裸足ウォーキングで、身心から邪気が抜けたのでしょう。
目が覚めましたが、まだ眠い。
お腹が減ってきましたが、これも回復の証拠です。
これが退院翌日の午前中。

午後は少しやる気が出てきました。
24日に呼び掛けているあすあびサロンの集客に取り組まないといけない。
近くの青木さんの家にチラシを持って協力要請に行きました。
途中、いつも畑もどき作業をやっているところを見たら、なんと琉球朝顔で埋め尽くされていました。
野菜の収穫どころではありません。何とかしないといけない。実に気が重い。

その帰りに村上さんに会いました。
私がフェイスブックに書いた手賀沼公園裸足歩きの記事を読んで、いま手賀沼公園を歩いてきたそうです。裸足で。
うれしい話です。

とまあ、退院2日後は順調に進みました。
今回は大丈夫そうです。

| | コメント (0)

■胆嚢摘出手術入院記録11:退院翌日の朝

昨日退院後、自宅でダラダラしていましたが、夜がやはり眠れません。
入院前の3日間はあまり眠れず、かなりの睡眠不足がたまってるはずですが、一向に眠くならない。
しかし精神的な違和感や麻酔感は解消されました。
昨夜もトイレは多かったですが、入院中のように30分おきと言うのはさすがになくなり、昨夜は5回程度だった気がします。

朝5時起床。
病院のルーチンから自宅のルーチンに変えました。
久しぶりに朝のテレビ体操もやり、ベランダの朝顔などに水をやり、リンゴ・人参。レモンジュースをつくり、入浴。
20分ほど湯船につかってから冷水シャワー。
病院でやってもらっていたリハビリの運動をやりました。これからこれもルーチンに加えます。簡略版ですが。

その後朝食。相変わらずコーヒーがまずい。どうしたのでしょうか。
今日、別のコーヒーを買って来ようと思います。

実は今度の土曜日に、我孫子の明日を考えるサロンの2回目を予定しています。
入院さわぎで声掛けがあまりできていない。加えて来週のサロンなどの準備がいろいろとあります。今日は忙しくなりそうです。

昨夜もあまり眠れませんでしたが、それを除けば、いたって好調。
開口部分の痛みも全くありません。

一応これで、胆嚢摘出手術入院の報告は完了します。
入院中に採取した検体などの分析結果は94日に聞くことになっています。
その報告で今回は終了します。
その時に全体の感想などを書くことにします。

今日はこれから手賀沼公園に行って原っぱを裸足で歩いて来ようと思います。
それでたぶん邪気はすべて解消されるでしょう。
暑さで倒れなければいいのですが。

| | コメント (0)

■節子への挽歌6119:久しぶりに自宅での夜、そして朝

節子

帰宅はじめての夜は、やはりあまり眠れませんでした。点滴が無くなったので、さすがにトイレ回数は半分にはなりましたが、なぜか深夜前後に目が覚めてしまい、眠れなくなってしまった。
それに入院中、夜中にスマホを見る癖がついてしまい、それも眠りを妨げる一因でしょうか。
それにベッド体操も習慣になってきました。ふくろはぎや腹筋を強める体操とがん研究センターの治療仲間だった工藤さんに教えてもらった「工藤体操」です。

それでも5時に起床。
自宅のルーチンに戻りました。
久しぶりのテレビ体操も、ベランダの水やりも、大丈夫でしたが、なぜかお腹が空いたので、ルーチンにないヨーグルトを食べてしまいました。そしたらんかお腹がいっぱいになって、急に眠気が襲ってきました。
しかし我慢して、朝の入浴。

ちょっと順序が逆になってしまいましたが、この挽歌を書いています。
これから1週間ぶりの自宅での朝食です。

静かな朝です。
今日はちょっといろいろとやることが多く忙しい1日になりそうです。

| | コメント (0)

■湯島サロン「あなたはなぜ戦争が嫌いですか」のご案内

平和に関するサロンの3回目の北京一さんのサロンの冒頭、参加者のおひとりの永田徹さんが、みんなに「戦争が嫌な理由」を聞かせてほしいと問いかけました。
その時のテーマにつながっている問いかけでしたが、その話に入ってしまうとそれだけでサロンが終わりそうだったので、その問いは改めてのサロンでということにさせてもらいました。

少し時間が経ってしまったのですが、このテーマは平和サロンのど真ん中のテーマでもあるので、永田さんにお願いして、サロンを呼びかけさせてもらいます。
世界も日本も戦争好きな人たちによって、動かされていますが、それを支えているのは言うまでもなく私たちですから、他人事にせずにきちんと考えておきたいのです。

私は多くの人は「戦争好き」なのではないかと思っています。
もちろん「平和好き」でもあるのですが、平和と戦争は決して好みにおいて両立しないわけではありません。
それが証拠に、平和のためを口実に戦争をする人は少なくありません、
いやすべての人がそうかもしれません。自衛戦争も、自らの平和のためです。
でもみんな「戦争は嫌だ」という。実際に、戦争のどこが嫌なのか。

永田さんからの「なぜみんな戦争が嫌いなのだろう」という問いかけを受けて、一度みんなで話し合うのも意味がありそうです。できれば、できるだけ身の丈に合った議論をしたいです。

戦争好きな方も平和好きな方も、ぜひご参加ください。
参加されない方も、できれば一度、自分は何で戦争に反対なのかを自問してもらえればうれしいです。
世界がちょっと違って見えているかもしれませんので。

〇日時:2024年9月26日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「戦争はなぜ嫌なのですか」
〇問題提起者:永田徹さん(近代芸術逍遥派・散歩者)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

| | コメント (0)

2024/08/20

■節子への挽歌6118:にことのマリオカート対決

一休みした頃、孫がやってきて、スイッチのゲームの挑戦を受けました。
マリオカートの競争です。

Photo_20240909110401

孫が勝ったら今回私のお腹から出てきたものを見せてやる、私が負けたら孫が私にココスのバイキングをご馳走する、と提案しましたが、すぐその罠に気づかれました。
ハンディをつける提案をしましたが、交渉成立前にゲームがスタート、結局、孫からごちそうしてもらう成果は得られませんでした。
おさむさんにご馳走してやらないうちにおさむさんが死んだら後悔するよと諭したのですが、全く効果なし。困ったものです。
でも今のうちに、誰かにご馳走してやることの素晴らしさを教えたいので、あきらめずに提案していきます。
「蓄財」や「運用」を勧めるような学校教育に毒されるまえに、その喜びを植え付けないと、資本主義の餌食になってしまいますから。一度、餌食になったら抜け出すのは難しい。

ゲームは最初は孫がトップ、私が最下位でしたが、最後はかなりのところまで行きました。
しかし、そこでタイムアップ。

孫からご馳走してもらうのはなかなか難しい。
少し練習しておかないといけません。

| | コメント (0)

■節子への挽歌6117:退院しました

入院7日目。今日は退院です。
昨夜もまた3時間ほどしか眠れませんでしたが、6時に起床。7時に最後の廊下wゴーキング。いつもより1往復増やして約1キロを10分で歩きました。
点滴は昨夜から解放されています。

朝食はこの病院で初めてのパンでした。
週に2回はパンなのだそうですが、私はこれまでいつもお粥だったので体験できなかったのです。

朝食を食べ終えたら加藤医師がやってきて、お腹を見せてというので見せたらもう大丈夫だからシャワーで傷のところパアっと流してと言います。
入浴もいいかと訊いたら大丈夫。食事中知ることがあるかと訊いたらまったくないと、これまた明確な答え。その潔さと分かりやすさに改めてほれ込みました。
お礼を伝え、また加藤さんに会いに手術をやりたくなりましたというと、いやおやそれはやめた方がいい、私に近づいていいことはありません、とこの対応にまた、この人が好きになりました。

たしか執刀医は2人、ベッドにも時々2日で来ていましたが、お名前は何という意思ですかと訊いたら、院長ですという。
納得できました。

すべての手続きを終えて、会計に行きました。娘に迎えに来てもらったのですが、駐車場が混んでいてなかなか来ない。逆に会計受付はすいていたので、手続きを済まそうと思って一人で行ったら、預かり金の領収書はと言われました、それは見つかったのですが、差額14600円ですと言われて、はっと気がついた、私はお金を一銭も持っていないのです。いつもこういうのは娘に頼んでいます。節子がいたころはいつも節子だった。
私はお金はできるだけ触りたくないのです。
でもやはりなかなかお金からは自由になれない。
しばらくして娘が来たので、後は彼女にやってもらいました。
入院はそれなりにお金がかかるものなのです。

帰りに好きなものを買っていこうと途中にある娘がいつも言っているスーパーによりましたが、この時にはまだあまり食欲がなかったのですが、何も買う気が出てこない。私が買ったのはジャンクな菓子パンとメカブだけ。

帰宅したら今日はにこも在宅でした。
みんなで回転ずしにでも行こうかと思いましたが、さすがに外食の元気はない。

まずは入浴です。
1週間ぶりに入浴。長湯をしました。さっぱりしました。
お臍も含めて開口部分はいずれもきれいで、お腹に力を入れてもまったく痛くない。

お風呂上りに冷凍室に会ったアイスクリームとりんごジュース。
お昼はユカがつくった冷やし中華。
1週間ぶりのコーヒーは実においしかった、と言いたいところですが、実にまずかった。
なぜでしょうか。

昼食をはさんで、いささかの暴飲暴食。と言ってもまあ、つつましいものですが。
娘が用意してくれていたスイカは、四角く切ったスイカなので、私には美味しくない。スイカは丸くなくてはいけません。先日病院に差し入れてくれた桃とナシも皮をむいて食べやすいように切ってあったのであまり食べた気がしなかったのかもしれません。やはり果物は丸くないといけない。
バナナは病院では今日の朝食に出ましたが半分だったので、これも趣味に合わず、家にあったバナナを一本食べました。
そう言えば、キュウリも一本をなまかじり。これは私の大好物です。
音の出る煎餅とチョコレートと、野瀬さんからもらった元気が出るナッツ、それとしばらく食べていなかった黒にんにく。とまあ、家にあったものを一応いろいろと食べてみました。なにしろ入院中は毎日お粥で間食なしでしたから。
でもいささか食べ過ぎた感じ。

しかし寝不足のはずなのに眠気がやってこない。
録画していたテレビドラマを3本もみてしまいました。

| | コメント (0)

2024/08/19

■節子への挽歌6116:病院の同室者が代わりました

節子
病室の人が代わりました。

この部屋はナースステーションのすぐ前です。
私の場合、これまでの3回の入院時、いつもここでした。
2回目は確か23日で、別の部屋に替わりました。
今回は最初から最後までですが、今回、同室だった人はかなりケアが必要でしたがだいぶ良くなってきたようです。それで移動したのかもしれません。

代わりに柏在住だという浅野さんという元気のいい同世代の人が入ってきました。
慈恵代からここで手術をするようにと言われて3日前に受診、4日後の明日、手術になったそうです。私とは違い尿管結石だそうです。
とても明るい人で声が大きいので家族や病院スタッフとのやりとりもよく聞こえる。
でも初めての病院なので戸惑いもある。
そしてどうも病院を信じていないような雰囲気が伝わってくる。
それは慈恵医大に比べたら対応は大きく違うので不信感を持つでしょう。
この病院のシステムはまだ旧来型なのです。

そこで病院スタッフがいなくなった時、声をかけさせてもらいました。
そして余計なことと思いながらも、「ここは事務的な対応はちょっと遅いし、システム的には遅れていますが、とてもみんな人間的で、親しみやすい安心できる病院ですよ、とお伝えしました。
病院に最初から不信感を持ってしまうと、その後がうまくいかないと思ったからです。
それにこれは私的には「事実」なのです。

その人が言うには、慈恵大だからここに回されたときはなんだか下請けにm和された気がしたというので、そうではなくてここの泌尿器系は評判が高いのですとも話しました。
家族も含め、当人もなんだか安心したような気がします。

明日が手術ですが、今日は何もやることがない。
私は明日退院で、点滴は受けていますが、何もやることがない。
本当は休憩室ででも、ゆっくりと「先輩面」して雰囲気を伝えたかったのですが、そこまでの関係はできず、何回か話しただけでしたが、最後に良い病院仲間と出会えてよかったです。
でも退院したら縁は切れてしまう。

やはりなんだか寂しいです。

| | コメント (0)

■胆嚢摘出手術入院記録10:患者のQOLと病院の責任

今日はちょっと理屈っぽい話です。
それにいつも以上に長い。何しろ暇ですから。

パジャマを着替えようと高い位置にあるカバンから着替えを出そうとベッドの上に立ち上がったのですが、着替えを手伝ってくる役目(点滴を一時はずさないと着替えられない)のナースから、私がとりますので立たないでと制されました。
たしかに病人がベッドの上に立つのは禁止事項でしょう。もし何かあると病院の責任になりますからね、と謝りました。
そのナースは、「病院の責任になることが問題で、ご自分の家だったら注意はしませんよね」と何となく意味深長な発言でした。

手術をするときに新人のナースが迎えに来たので、貴重品はないのでこのまま行くと言って、一緒に手術室に行きました。
ところがそこで先輩のナースが貴重品はきちんとロッカーに入れてきたかと訊くので、貴重品などないし盗られるようなものもないとまたいったのですが、許されず、ベッドに戻り、ロッカーに入れるものがなかったので、パソコンとマウスを入れました。
盗難でも起これば、病院の責任になるから仕方ないねといったら、そうなんですとのこと。ルールは守らないといけない。盗難があればクレームする患者もいるのでしょう。

あまりいい事例ではありませんが、患者のQOL(自分らしい生き方)と病院の責任と、どちらが基本でその場のルールが決められるかは重要なことです。
ベッドの上に立ち上がるのはやめるべきでしょうが、それが「病院の責任」のためではなく、患者の危険を避けるためです。その時のナースは間違いなく私の危険を感じて制してくれたのですが、でもたぶんいつも「病院の責任」がミーティングなどで話題になっている気配を感じました。しかも彼女はそれにいささかの違和感を持っている。
そんな気配を感じました。良いナースです。

リハビリを受けましたが、物足りない。もう少しハードなのはないかと訊いたのですが、まだ手術直後なので、と断られました。まあこれも事情は分かる。

みんなともかく「問題が起きないように」「起きても病院の責任にならないように」といささか過剰対応しているような気がします。
細かな点でもまあいろいろとあるのですが。

それで昨日、ちょっと挑戦してみました。
廊下の散歩を裸足で歩いたのです。
裸足で歩くとアーシング効果で麻酔の悪影響をすっかり排除できるのではないかと思っていたのです。それにこの病棟の床は掃除が行き届いています。

しかし、さすがに平日は目立ちすぎます。今日は日曜なので人も少なかったので、とりわけ人の少ない時間帯を選んで実行しました。
1回目は3人の人に気づかれましたが、事情を話して了解。私の生き方が優先されました。
しかし2回目、隣の病棟の看護師長らしき人に見つかり、「病院内は裸足禁止」だからやめるように言われました。そんなルールはあるはずはないのですが(そもそもそれは「常識」でしょう)、一応、施設管理者のルールには従わなければいけません。

その時、思い出したのが、イタリアのテレビドラマ「DOC」です。あの病院であれば、たぶん裸足で歩かせてもらえたろうと思いました。あのドラマは、「病院の責任」と「患者らしい生き方」をどうバランスさせるかが一つのテーマでした。

もう一つ、私の裸足歩きに関して首を傾げた人が2人いますが、その人たちの口から出てきたのは「人目があるから」でした。
常識を逸脱した人はやはり排除したいのです。
もし私の裸足歩きを見た人が、真似をしだしたらどうなるか。
そこから「秩序」は壊れていくのです。
しかし、そこから生まれていく「秩序」もある。
前者はコミュニティの秩序、後者はコモンズの秩序と私は勝手に呼んでいます。

常識の呪縛から自由になりたいと思っている私としては裸足ウォーキングが2回で終わったのはちょっと残念ですが、それでもアーシング効果は大きく、身心の違和感はかなり解消されました。公園の芝生でやればもっと効果があるでしょう。退院したらやろうと思います。公園の原っぱをはだしで歩くのは、この病院とは比較にならないほど危険ですが、幸いに管理者の生き着くまでのちょっと距離があるので大丈夫です。。

言いたいことがうまく書けませんでしたが、「病人らしい生き方」(それは人それぞれです)を基準にすることこそが「病院の責任」ではないかと言いたかったのです。それをしっかりやっていたら、患者もいい意味での自己責任を発揮し、ばかげた訴訟など起こさなくなる、と私は思っています。

それにそもそも「病院は危険で不潔な場所」と言った「常識」も見直したい。
免疫を低下させている人が集まる病院こそ、安全で衛生な場所にしなければいけない。そして今の病院はそうなってきている。

「常識」を壊していくことも大事なことです。
例えば海水浴場の砂浜を裸足で歩くのはおそらく病院内以上に危険です。
でもそこでは「裸足で歩くのが常識」です(少なくとも現在までは)。
「裸足で歩くのがは非常識」の病院と砂浜とは何が違うのか。
これも面白い問題です。

長くなってしまいました。
いつかサロンをやりたいです。
私の味方は少ないでしょうね。

| | コメント (0)

■「おはよう」と「こんにわ」の違い

まだ入院中ですが、昨夜もトイレに行きたくなってばかりであまり眠れませんでした。
この悪夢から解放されるかどうか不安になってきました。
頻尿対策で何か効果的な方法をご存じの方はぜひ教えてください。

それでも朝の廊下ウォーキングは今日も行いました。
残念ながら昨日注意されたので裸足ではなくスリッパで。
病院中央の廊下を5往復。約900メートルです。

 朝のウォーキングの効用にもう一つ気づきました。
朝だと「おはようございます」の挨拶ができるのです。
今日も数名の方と出会い、挨拶したらすべての人から挨拶が戻ってきた。
「おはよう」と「こんにちは」では、同じあいさつでもまったく違う。
病院では名前も呼ばずに番号で呼ぶ風潮が広がっていますが、入院したもの同士も、談話室以外ではなかなか話す機会がないし、挨拶もあまりしない。

病院内の裸足禁止もそうですが、まずはそうした「病院の常識」を問い直していかないといけません。
そうしないと未来の病院は、病気を処理する工場になりかねない。

 健康はまずは挨拶から。

| | コメント (0)

■節子への挽歌6115:引きこもりしていた2人とのやり取り

節子

昨夜もトイレに行きたくなって眠れない夜でした。
8時半ころ寝たのですが、30分おきにトイレに行きたくなる。そのうえ、相変わらず身体が誰かに乗っ取られたような奇妙な感覚があるので、眠れない。
私のベッドの個人用照明が壊れていて本も読めない。いや、壊れていなくても読めないでしょうが。
昨日と同じく午後11時半には起きて、陰謀論サロンの案内を書きだしましたが、どうもまとまらないし、気が乗らない。仕方なく横になってスマホを見ることにしました。何かをしていないと相変わらずつらいのです。

MYさんからメッセージが届いていました。

両親との過去のことが説明されていました、いまはもう客観的にみられるのでしょうが、まだ関係性は解決していない。しばらくメッセンジャーでやり取りをしました。彼は人との付き合が怖いという。そして、「佐藤さんは自然体なのであまり警戒しないで済んでいてとても助かります」とも言う。私にもいささかの警戒心があったのです。あまり意識したことはないのですが。

いろいろとやり取りして、これまで以上に彼のことがわかりました。
きりがないので、そろそろ頑張って寝ようと思うと、とりあえず打ち切りましたが、終わってからも余韻が残って、あれこれ考えてしまった。

彼とは、ある引きこもり家族会で会いました。その時には両親も来ていて挨拶もしました。たぶん問題の捉え方が、この家族は間違っています。そもそも「ひきこもり」は問題などではなく、「問題の顕れ」なのです。問題の立て方を変えなければ、事態は解決するはずがない。私はそう思っています。

そういえばもう一人、ひきこもりの関係で出会った人がいる。彼は最近湯島のサロンによく来るようになりました。彼にもメッセージを送ってみました。
彼からも問題の動きを送ってきました。

と、こうやっていくと際限がない。以前、コムケア活動をやっていておかしくなったように自分がまたメンタルダウンしかねない。
あの頃は節子がいましたが、いまはもういないので、万一メンタルダウンしたら立ち直れない。注意しないといけません。

3時近くまではしかし、こんな繰り返し。
3時過ぎから少しトイレも収まってきて、眠れたようです。目が覚めたら5時。いつもならここで起きるところですが、せっかく眠れたので、朝の回診がある6時までは寝ることにしました。

予定通り6時少し前に起床。
血圧値が、下が100を超え、上が200を超えていました。
昨日も高かったのですが、今日はもっと高い。
ナースが驚いて、降圧剤をもう飲んでくださいというので飲みました。
体温は36.4度。
採血もして、この血液分析結果で明日の退院が決まります。

入院6日目の始まりです。
外は曇りです。

| | コメント (0)

2024/08/18

■節子への挽歌6114:裸足の廊下散歩(2024年8月18日)

節子

これも時評編に書いたのですが、今日、2回にわたって、病院での廊下散歩WP裸足で歩きました。
気分が実にいい。
アーシング効果で心身の汚れもかなり解消されて気分です。

1回目は温かな目に支えられて気持ちよく歩きましたが、2回目は看護師長のような人に見つかり、叱られてしまいました。とても残念ですが、まあある意味でのノイズをもたらした効用はあるでしょう。

しかしやはり裸足で歩くの実にいい。
病院はみんな裸足で歩き、廊下も土にして芝生を植えるのがいい。
そう思いました。

そのいきさつをFBに書いたら、ユカらラインが届きました。

看護師さんの言う事をキチンと聞いて、ご迷惑をかけない様に過ごしてください、

節子だったらどちらに味方するでしょうか。
まあユカの方でしょうね。
よくまあ家族でいられたもの。
いやいまもですが。

| | コメント (0)

■湯島サロン「私たちは外国の人たちをどう扱っているのか」のご案内

今年の6月、入管難民法が改正されました。併せて、外国人の技能実習生の制度も改正される方向です。これに関して、さまざまな問題が指摘されていますが、多くの人はたぶん他人事だと捉えているだろうと思います。

しかし、私たちの政府が外国の人たちをどう扱おうとしているかは、決して私たち一人ひとりと無関係なことではありません。外部から見たら、政府の姿勢は私たち日本人の姿勢と見えるでしょう。

日本の入管法に関しては、2021年に起こった名古屋出入国在留管理局で収容中だったスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが死亡したことで、大きな話題になりました。私にとっては、とても恥ずかしい事件です。何しろこういう状況を見過ごしていたのですから。

日本の出入国在留管理は以前から国際的な人権権利からの乖離が問題にされていましたが、今回の改正に関しても、国連の人種差別撤廃委員会が是正を求めてきています。特に永住外国人の永住権の取り消しを容易にする改正に関しては、対象となる在日外国人にとってはまさに生活を脅かしかねない問題であり、在日中国人の団体である横浜華僑総会からも廃止の要請が出されています。

この問題は「国籍」の問題や差別ヘイト問題などにもつながっています。

技能実習に代わる外国人材の受け入れの新制度「育成就労」についてもいろいろと問題がありますが、まずは今回、永住外国人問題に焦点を絞って、横浜華僑の人たちと交流の深い根本英明さんに、問題を解説していただき、この改正入管難民法が在留外国人の人たちに対してどんな影響を与えるのか、また日本の政府が移民や難民受け入れをどう考えているのかなどを話し合えればと思います。

それは私たちが外国の人たちをどうつきあうかという問題でもあります。さらには「国籍」とは一体何なのかという大きな問題にまで話を進められればと思っています。

ほとんどの人にとって、「国籍」など意識したことはないでしょうが、人を縛る強力な制度なのです。
大きなテーマなので、もしかしたらこれも連続サロンになるかもしれません。

縁遠いように見える話ですが、私にはとても身近に感じられる問題です。
なぜなら政府の人間観や国家観が象徴される問題だからです。

多くのみなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2024年9月20日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「私たちは外国の人たちをどう扱っているのか」
〇話題提供者:根本英明さん(自在株式会社代表)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

| | コメント (0)

■胆嚢摘出手術入院記録9:病院の廊下をはだしで1000歩、歩いてきました

毎日、朝晩4回の廊下歩きをやっています。1回、約1000歩、750メートルです。
スリッパなので歩きづらい。
そこで思いついたのが裸足歩きです。

病院に迷惑をかけずに、こっそりやらなければいけない。
でも堂々とやればだれも気付かないだろうと考えました。まさか裸足で歩いているとはだれも思わないでしょう。
それに今日は日曜なので人は少ない。

頃合いを見て裸足で部屋を抜け出し、いつもの出発点に向かいましたが、そこに着く前に気づかれてしまった。
どうしたのですかと聞かれて、「だめ? 裸足で歩きたくなったのですが」と答えたら、「汚いよ」というので、終わったら足を洗いますと答えて、何とか見逃してもらいました。柔軟なスタッフでよかったです。
そしていつものように歩きだしました。

いないと思っていた人が意外といますが、最初は気づかれなかったのですが、歩く音がしないので、2回目にスタッフとナースに気づかれてしまった。
廊下は針とか落ちていることがあるので危険ですと言われました。
でもふたりとも柔軟な人で、「はだしで歩くのが好きなんです。注意して歩きますから大丈夫」という私の言葉に、信じましょうと言ってくれました。
いい病院です。

というわけで、廊下歩きは今日は裸足で行うことにしました。
それにしても裸足で歩くと実に気持ちがいい。
特に段差になっている坂のところが凹凸があって実にいい。
これが一番効くかもしれません。
出会った患者たちはいずれも怪訝な目で見ていましたが。

この病院の清掃スタッフはいつもていねいに廊下も掃除しています。
今日は日曜日で来ていませんが。
だからこの病院の廊下で安全なのです。
でも万一のことがあるので、私も十分に気をつけて歩きました。
なんとなく楽しい散歩でした。

戻って、昨日差し入れてくれたナシの残りを食べて、ジュースを飲んで、満足です。

| | コメント (0)

■節子への挽歌6113:別れの曲は別れていない前に一緒に聴くのがいい

節子

辛い夜でしたが、なんと明けました。
5時に起きだし、入院記録を書いたりしていました。
そこに書いたのですが、昨夜、眠れないまま他の人のFBを見ていたら、前園さんが私に関して書いているのに気づきました。
詳しくは次をご覧ください。

〔胆嚢摘出手術入院記録8:別れの曲は別れていない前に聴くのがいい〕

前園さんが、先の入院時に私へのお見舞いに、好きな曲を自分がやっているカリンバとハンドパンで演奏してやると言ってくれたので、2曲をお願い。その一つがサラ・ブライトマンの『Time To Say Goodbye』だったのですが、前園さんはこう書いているのです。

現在、入院中の佐藤さんに旅立ちの曲をお届けするのは早すぎるので当分お預けにしたいと思いまして、別の曲を練習することにしました。

前園さんの気持ちがうれしかったのですが、こう返信しました。

別れの曲は早すぎることはありません。別れてから聴くのは辛いものですよ。

これは私の実体験です。
節子がいなくなって数年してから、ある人がオペレッタに誘われました。
まだ音楽にはいささかの抵抗があった時期ですが、友人がせっかく海外から読んだグループだったので出かけました。
そこで思ってもいなかった『Time To Say Goodbye』が歌われたのです。
頭が白くなり、涙がこぼれました。
それまでさほど気に行っていたわけではありません。
しかしなぜか身心に取り憑かれてしまった。
しばらくは毎日のように、CDで聴いていました。
今はきちんと聴けるようになっていますが。

別れの曲は別れていない前に一緒に聴くのがいい。
そうすればきっと別れに正面から立ち向かえるでしょう。
そんな気がしています。
もういない人の歌を聴くのは、つらいかもしれない。

でも、すでにその人がもういないのであれば、飽きるほど聴けばいい。
私がしたように。

| | コメント (0)

■胆嚢摘出手術入院記録8:別れの曲は別れていない前に聴くのがいい

朝の廊下歩きで、7時に廊下を1000歩歩いてきました。日曜なのでどの病室もまだ静かです。
朝食がまだなので、ついでにもう一つ書くことにします。
書いていると少し精神的に楽なのです。
全く困った状況ですが。

昨夜MSさんとのやり取りの後、FBを見ていて、私に言及しているMYさんの記事を見つけました。無断ですが、一部変更して引用させてもらいます。

先日、佐藤さんに好きな曲をうかがったところ、サラ・ブライトマンの名曲『Time To Say Goodbye』とドビュッシーの『月の光』をあげてくださったので練習をしていたのですが、現在、入院中の佐藤さんに旅立ちの曲をお届けするのは早すぎるので当分お預けにしたいと思いまして、別の曲を練習することにしました。

佐藤さんは一昨日手術をしたばかりで点滴スタンドを押して今日も院内を3km歩いたとのこと。昔、うちの父も肝臓の一部を摘出した翌日に臓器が癒着しないようにと点滴スタンドを押しながらわたしの肩に手をまわして「きついねぇ」と言いながら院内を一緒に歩いたことを思い出しました。

これは負けていられません。カリンバで『ひまわりの約束』を弾けるようにコツコツわたしも小刻みに練習を頑張ろうと思います。

以上がMYさんのFB投稿記事です。
そして加えて、出だし部分の映像と演奏を動画でアップしてくれています。
https://www.facebook.com/61556982750325/videos/462471563266577

ちなみに、冒頭の「佐藤さんに好きな曲をうかがった」というのは、6月の入院時に、MYさんから元気をつけるためにと言ってきかれたのに、しばらく答えておらず、先日サロンで会った時に伝えたのです。

昨夜はこれを読んで大きな元気をもらいましたが、こうコメントを書き込みました。

別れの曲は早すぎることはありません。別れてから聴くのは辛いものですよ。

これは私の実体験です。
別れの曲は別れていない前に聴くのがいい。

| | コメント (0)

■胆嚢摘出手術入院記録7;全身麻酔の威力かも?

術後の経過もよくすべてが平常化していたと思っていたのですが、物事はそう簡単ではありません。
2つの問題がまだあって、昨夜もあまり眠れず、真夜中に1時間ほどパソコンをしていました。

問題の一つは「頻尿」です。前立腺肥大からの頻尿は、陽子線治療以来酷くなり、さらに今は点滴のせいもあって、夜間になると酷い時には30分おきなのです。
それでは寝た気分になれないのですが、加えて2つ目の問題は、寝ようとすると身心がおかしくなるのです。身体のどこかが自分のものではないような感じになってひとりでに動き出す気がするのです。というより、自分の身体という気がしなくなる。

と同時に寝ようと思うとなにやら膨大な文字が横書きで頭の中を覆うのです。そしてそれがどんどんと上方へと動き、まるでパソコン画面を見ているようです。しかもその文章には重要なことを概念整理して、それを2つの文字にまとめよというようなメッセージが伝わってくるのです。まあ言葉にできるのはこんな感じですが、実際にはもっと複雑で、圧迫してくるのです。見たくない夢のようなイメージですが、目が覚めているのに頭の中で動き出すので、かなりの圧力がある。そして不思議な世界へと引き込まれつぃまいそうです。

昨夜はついに耐えかねて真夜中(と言っても深夜0時過ぎですが)に起きだしてパソコンをやっていました。
起きているとそのパニック状況が消えるのですが、でもあんまりすっきりはしない。頭のどこかで別の思考が、私とは無縁に動いているような気もします。
もしかしたらこれは若い友人のMSさんの苦しみに似ているのではないかと思って、気がついたのですが、最近、MSさんの投稿がない。気になって彼のFBを見たらやはり投稿が途絶えている。今度はそちらが心配になってきました。真夜中でしたがメッセージを送ってみました。
意外にもすぐ返事が来ました。元気で、先日会った時に薦められた本も読んだと書いてきました。安心しました。
そして、「***の時に寝れないつらさを味わいました。その類推でしか想像できませんがお辛いことでしょう」。「最後に一人暮らしだとさびしくて仕方がないので、適宜構ってもらえるとうれしいです」と書いてきました。少し心が和らいだ。

それで何とかもう一度寝ようと試みましたが、相変わらずのトイレ行きがつづき、最後の1時間ほど眠れましたが、またまたおかしな夢を見ました。

すべてまだ全身麻酔の後遺症でしょうか。
先ほど起きて、パソコンを始めましたが、何やら気分はすっきりしません。

| | コメント (0)

■節子への挽歌6112:差し入れの果物を満喫したのはいいのですが

節子

夕方、ユカに果物とお菓子を持ってきてもらいました。
果物は医師にも確認しましたが、お菓子はこっそりです。

果物は一口食べたかっただけですがユカがたまたま家に残っていた、野路さんの桃と杉野さんの梨を一個ずつ皮を見て持ってきてくれたので、多すぎるかなと思ったのですが、食べだしたら全部食べてしまいました。
プリンも食べました。
いささか暴食です。

それがたたったのか、夜のトイレ回数が激増。30分に1回の頻度です。
しかも急に尿意を感ずるので大変です。一度は無事トイレに入ったのですが、そこでパジャマを濡らしてしまいました。
ベッドに戻りパジャマを着替えようとしていたら、ナースが何があったのかとやってきてしまいました。
正直に話すしかありません。
ナースも気まずそうな表情。
いやはや。

しかしこのナースは、6月に入院した時にきちんと対応してくれて人で、その印象でこの病院の感じが方向付けられた人です。
彼女は昨日まで別の病棟の方に移っていたのが、今日の冶金からまたこの病棟に戻ったそうです。
先方も私を覚えてくれていて、なんとなく気やすさがあります。

まあそんなことはともかく、ともかく寝むれない。というよりも寝るのが辛い。
それ12時過ぎのパソコンでサロンの案内文を起案することにしました。
いささか苦戦して改正入国管理法のサロンの案内を起案し根本さんに送りました。
起案しているうちに、改めてこのテーマの大切を実感しました。

パソコンを開いたら杉野さんから山崎弁栄のサロンのことで長いメールが来ていました。つづいて起案するには思考力が残っていません。

思考を続けるか、眠るか。
迷っているうちに、また尿意。
困ったものです。

時間はすでに18日の午前1時35分。
失禁しないうちに急いでトイレに行かなければいけません。

 

| | コメント (0)

2024/08/17

■胆嚢摘出手術入院記録6;予定通り1週間で退院できそうです

入院4日目は虹を見ることから始まりました。
早朝の検査回診に来たナースが、廊下の窓から虹が見えますよと教えてくれました。
それで一緒に見に行ったのですが、消えかかりつつあるものの、確かに虹でした。

いいことがあると思っていたら、朝の回診に来た加藤医師が、月曜日採血してその結果が問題なければ火曜日に退院しましょうかと言ってくれました。
腹腔鏡手術による胆嚢適切の場合は、マニュアル的には1週間が標準ですので、予定通りです。高齢だったためにちょっと不安があったのですが、よかったです。

今日からまた毎日の3キロ廊下歩きは始めました。
病院の廊下を端から端まで(約90メートル)を4往復。それを1日に4回行うのです。
点滴の支柱を持って歩くのです。

この病院は新旧2棟の建物がくっつけられているので段差があって、その境目がちょっとした坂になっているのです。それがアクセントをつけてくれています。
スリッパだと歩きにくいので裸足にしたいのですが、さすがにそれは差し控えています。

食事は3分粥から5分粥に。
相変わらず美味しくないのは味付けが薄いからです。それでも毎回完食。

昨日に引き続いてリハビリですが、まだ傷口が閉まっていないので無理はできないとのことで、もう少しハードなのはないのかと頼んだのですが、ダメでした。ちょっとものたりない。
それで1日2回やってもらうことにしました。

思考力はほぼ戻ってきましたが、まだどこかに雲がかかっているような気がします。
全身麻酔はやはり高齢の場合は、注意しないといけません。まあどう注意すればいいかはわかりませんが。

それと空腹を感ずるようになっています。
ジュースは許可されていますが、固形物に関しては不明です。質問して断られるといけないので、こっそりと娘に届けてもらうことにしました。お腹で苦しむ経験はこの数年何回かしていますので、私なりには慎重ですので、ご心配なく。
入院前に林さんが桃や梨を勧めてくれていましたが、それだと痕跡が残りかねないのであきらめています。昔なら家族が見舞いにもってきてくれて、一緒に食べられたのですが、いまはそんな雰囲気はない。

本も少しずつ読む気が出てきていますが、持続しない。
サロンの企画は、少しその気になって、「入管法改正に伴う在留外国人」「陰謀と陰謀論」「戦争と平和」の3つのサロンを企画しだしました。「山崎弁栄」のサロンも杉野さんにお願いしているのですが、これは手元に資料がないので企画ができません。ただ関心を持っている人には伝えました。

というわけで、今日は平和な1日でした。
ちなみに私はまだ2種類の点滴を常時受けています。
咳をしたりお腹に力を入れると痛いです。
何しろお腹に4つの穴をあけられたのですから。

もっとも今日は土曜日ですので、ナースやスタッフが少ないそうで、午前中はみんな飛び回っていましたが、午後は静かになりました。
昨日の台風はあまりひどくならずに済みました。
今日は台風翌日の、きれいな青空ですが、それが十分に見えないのが残念です。
窓から少し見えますが。

| | コメント (0)

■節子への挽歌6111:虹を見ました

節子

かなり正常化しました。
と言っても昨夜は1時間おきにトイレでした。
リハビリの筋トレのせいかもあったのでしょうが、麻酔の影響はかなり抜けたような気がします。でも全くではありません。まだ入浴ができていませんし。

身心も平常化してきたので、今日から、ルーチンの5時起きを復活しました。
髭もそりました。

パジャマも着替えました。
最近の病院は生活用品をセットでレンタルしてくれます。セットにはパジャマも入っていて、1週間おきに交替してくれます。最初入院した時にはそれを利用しましたが、患者がみんなが同じパジャマを着ているのはどうも私の趣味には合いません。
それで生活用品セットのサービスは受けずにパジャマ持参です。

6時過ぎに朝の検温と血圧側的に来たナースが、虹が出ていると教えてくれました。
それももうじき消えそうだというので、慌てて見に行きました。
かろうじて虹の端っこが見えました。
写真を撮りましたが全く虹は見えません。

でも私と2人のナースにははっきりと見えました。
節子も見ていたでしょうか。

今日はいいことがありそうです。
もしかしたら今日は本も読めるかもしれません。
サロンの企画も案内を書けるかもしれません。

| | コメント (0)

2024/08/16

■節子への挽歌6110:胆嚢の摘出は無事終わりました

節子

時評編の方に詳しく書いていますが、昨日、胆嚢摘出を無事終えました。
ところがその後が実につらくて、大変でした。
幸いにだいぶ平常化しました。
どうやら全身麻酔の影響ではないかと思います。
それを抜くためにもと、リハビリを始めました。
というわけで、入院生活は予定通りいきそうです。

今日は送り火でした。
台風が来ていたため、家から娘たちが送ってくれてそうです。
今年はすれ違いのお盆でしたが、病気体験を通して、いろいろと節子のことを思い出したお盆でもあります。

病気になるとやはり一番欲しいのは家族との触れ合いかもしれません。
いやもっと端的に言えば、伴侶との時間ですね。
それができないのが実に残念です。
順序が逆だったら、もう少し節子に寄り添えることができたでしょう。
悔やまれることが多々あります。

今日から食事も始まりました。
夜は相変わらず辛いですが、昨日のようなことはないでしょう。

| | コメント (0)

■胆嚢摘出手術入院記録5;リハビリ体験

加藤医師からリハビリを受けたらとお勧めがあり、受けることにしました。
担当は新潟の上越市出身の我孫子在住の佐藤さんです。理学療法士。
脚の筋トレを中心に受けましたが、これは効果があります。
実はその前に、廊下歩きをまた始めていたのですが、歩くだけでは物足りないですが、こうやってリハビリで少し汗をかくと元気になりますね。
明日から毎朝、受けようと思います。
私の場合、ふくろはぎの筋肉が落ちているとのこと、毎日つま先立ちをやるように勧められました。

体調はだいぶ平常化してきましたが、やはり面倒なことはやりたくない。
本も読みたくない。
2つのサロンの企画があるのですが、まだ案内文を起案したくなるところまで行っていません。

まだまだ気分は前を向かない。
困ったものです。

さてまた廊下歩きに出かけましょう。今日は2回でおしまい。

| | コメント (0)

■胆嚢摘出手術入院記録4;快方に向かっています

辛い一昼夜でしたが、何とか少し落ち着いてきました。
病院の雰囲気も2か月前のそれに戻ってきました・
一昨日は入院患者が多くて大変だったそうです。そのせいかもしれません。

まずは昨日の経過報告。
急患が入り1時間ほど遅れて手術が開始。
全身麻酔なのでまったく記憶にありません。
手術終了後、病室に戻ってきたところで麻酔が切れて意識が戻ってきました。
手術結果の説明は娘が聞いているはずですが、胆石が予想以上に多かったようです。

痛みはあまりないのですが、身体全体が違和感のかたまりですごくつらい感じです。
それに関しては前に書きましたが、ともかく一晩中のたうち回っていました。
こんなにつらいことはあまり記憶になりません。
朝方1時間ほど眠りましたがすっきりせず、相変わらず違和感だらけの身体と付き合っていました。

朝の検査では、体温はほぼ平常化し、血圧もよし。
お腹は張っていますが、まあ想定内。
ただ開口部分から血が滲みでていたので、ガーゼで覆いました。
でも出血ではないので心配はなし。

そこから採血とレントゲン。採血は予定していた前立腺がんのPSA値も対象に加えてもらいました。結果は問題なし、消化器系のマーカー値も問題なしで、今日の昼食から食事が出ました。まだ3分粥ですが。飲み物も解禁されました。
とまあこんな感じで、術後も順調なのですが、私的にはかなりきついものがあります。
ともかくなにもやる気が出てこないのです。まだ状況はそう変わっていません。

レントゲンを撮りに行ったら、担当は前にMRIで何回かお世話になった竹森さんでしたので、少しお話したら、全身麻酔後にはよくある現象だそうです。私はいささか過剰反応しているのかもしれません。でもそれにしても「辛い」。
いろんな人からメールが来ていますが、返す元気がない。
困ったものです。

今日は加藤医師は他の病院なのか、不在ですが、朝の回診は院長でした。
初対面でしたが、患者を安心させる雰囲気を持った人でした。

これから急速に回復するでしょう。

まあ予断は許しませんが。
今日はこれから台風がひどくなってくるそうです。
窓から外が見えるのですが、いまはちょっと落ち着いているようです。
寝不足のはずが眠気がまったくやってこない。
辛い状況をも少しきちんと味わえということでしょうか。

 

| | コメント (0)

■胆嚢摘出手術入院記録3;手術は無事終わったのですが〕

昨日の3時過ぎに手術は無事終了しました。

予想以上にたくさんの胆石でした。
全身麻酔ですから知らないうちに終わったのですが、その後が大変でした。
痛みはなかったのですが、ともかくつらい。

というわけで昨夜はほぼ眠れずに、ベッドでうごめいていました。
途中、あまりの辛さにナースに相談しましたが、まだ麻酔が抜けきっていないので睡眠導入剤は使えないので、我慢しろとのこと。
やはり高齢になってからの手術が辛いです。

まだ辛さは残っていますが、体温はほぼ平常に戻りました。
昨夜は37.5度前後でしたが。

まだ思考力が戻らず、これを書くのもつらい。
いささか楽観視しすぎだったようです。

今日もまだ食事なしの点滴状態。
さてさてこの「つらさ」をどうなっていきますか。
また少し落ち着いたら報告します。

 

| | コメント (0)

2024/08/15

■胆嚢摘出手術入院記録2;病院の雰囲気が変わっている気がします

夕食後、やはり加藤医師は顔を見せました。残念ながら今度のベッドの位置がよくなくて、きちんと対面できなかったので夏休みの行き先はわかりませんでしたが。
それにしてもこの病室のレイアウトはおかしい。

ところで昨日から今朝にかけての印象ですが、2か月前に入院した時と大きく雰囲気が違っているような気がします。
今朝もおはようの挨拶もなく、ナースがやってきて部屋の電気をつけました。
ナースも、だれ一人名乗りません。

昨日は予定していた前立腺がんの定期券が受けられずに、ホルモン注射だけは売ってくれたものに、採血検査はなく、薬ももらえない。今朝飲むべき薬もないのですが、ナースに訊いても答えは返ってこない。
なにやら前回とは雰囲気が違うのです。
この2か月の間に何かがあったのでしょうか。

昨夜は睡眠前にナースが来て、下剤を飲むように言われました。
明日、手術ですから、下剤を飲む理由はわかりますが、これも説明不足です。
何かバラバラな感じです。
まあそんなことをいちいちあげつらっていたらきりがありませんが、なんとなく感ずる雰囲気の違いには興味があります。

入院中の課題が一つ見つかりました。
さてどうやって探り出すか。
まずは昨日会った病室の清掃担当の人との雑談からですかね。

| | コメント (0)

■節子への挽歌6109:入院2日目

節子

2か月ぶりの病院は、なんだか雰囲気が一変している気がします。
一言で言えば、悪くなっている。
挨拶や言葉が少なくなっている。
昨日から今日にかけて、小さいながらも不快な気分になっています。

昨日、予定していた前立腺がんの定期検査を受けられなかったので、ホルモン療法の薬をもらえなかったのに、それに対する問いかけにはナースは誰も答えない。いや答えようとしない。

今朝も、挨拶もなく電気がつけられ、血圧と体温を測り、その間、私の問いかけにもきちんと答えずに、窓のカーテンを開けたりしていました。データをとるのがまるで目的のように。

その一方で主治医の加藤医師への信頼感はむしろ高まっています。
昨夜も食事を終えて、そろそろ寝ようかと思っていた7時過ぎに、突然やってきました。そして明日はよろしくと言います。
彼は朝は8時前に来ているはずですので、12時間勤務です。
でも誠実に患者のところに声をかけにくる。

今日は朝食もなしで、朝6時からは水も一切ダメ。
午前中は予定はまったくなし。
昨日から今朝にかけての私の印象が間違いだといいのですが。

外はいい天気のようです。

| | コメント (0)

2024/08/14

■湯島サロン「『社会心理学講義』を読み解く②」のお誘い

ブックサロンからスピンオフした遠山哲也さんの「『社会心理学講義』を読み解く」サロンの2回目です。『社会心理学講義』(筑摩選書)を、遠山さんをガイド役に読み解いていこうというサロンです。

前回は最初なので、遠山さんから本書の概要を紹介してもらい、その主要な論点を中心に話し合が行われましたが、今回からいよいよテーマを絞っての話し合いです。

今回、遠山さんが選んだのは「13章 日本の西洋化」です。
この章をテキストにして、「矛盾の解き方/その効用」をテーマに、矛盾とはどういうことか、矛盾に突き当たったときにどう解くか、矛盾による学問の進歩、といった内容を話し合いたいと思います。

遠山さんは、矛盾の効用は学問だけでなく、日常生活でも感じやすいので、実感がわきやすいと言います。
また、矛盾の対概念として、「常識とは何か」も話し合いたいと言います。
「常識」の働きと意義について理解が進むと、対照的に矛盾の理解も進むからです。

遠山さんのガイドに基づいて、まずは小坂井さんの主張をみんなで確認した上で、それに納得できるかどうか、どんな点に疑問を感ずるか、などを自由に話し合いたいと遠山さんは考えています。

いずれにしろ議論を効果的にするために、参加者はテキスト『社会心理学講義』(筑摩選書)の第13章をお読みの上、参加してほしいと遠山さんは言っています。
それぞれの生き方にもつなげていくためにも、ぜひテキストを読んでの参加をお願いします。
参加希望者は事前にご連絡ください。

〇日時:2024年8月30日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:矛盾の解き方/その効用(併せて常識とは何か)
〇書籍紹介者:遠山哲也さん(哲学を生きる哲学者)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

| | コメント (0)

■節子への挽歌6108:無事入院しました

節子

今年2回目の入院です。
気になっていた胆嚢を摘出する手術をすることになりました。
詳しくは「胆嚢摘出手術入院記録」として毎日、時評編に書いていくつもりです。

この病院は前回の入院時、とてもいい印象だったのですが、今回はちょっと印象が変わりました。手続きのための待ち時間が長かったのが一番の悪印象です。
ともかく私は「待つこと」が嫌いなのです。
むかしは意味なく待たせられたら、病院でも途中で帰ったものですが、今日はユカもいたのでなだめながら待っていました。
今日は何もせず、夕食を食べただけです。明日の朝の6時からが一切の飲食が禁じられていますが。

病室で待っている間に、掃除担当のスタッフが掃除に来ました。
ごみの回収や床の掃除で毎日何回か回っているのですが、先々月入院した時に少し話した人です。過剰と思われるくらい丁寧に掃除をするので、印象に残っています。
話しかけたら、向こうも見覚えのある人だと思っていたと言います。

少し話をしました。
明日は胆嚢の摘出手術だと言ったら、少し話をしてくれました。
こうして病院で清掃の仕事をしているだけでもいろいろと分かることも多いでしょう。

フェイスブックに胆嚢を摘出すると書いたら、知識をひけらかしてきた友人がいますが、もう何十年前の知識かと言いたくなる内容です。時代の変化が激しいときには、知識人ほど無知識人になるのです。
そのくせ受けから目線で教えをのたまう。
こうした似非知識人には辟易しているので、この人のような現場で飛び交っているほんとの知識人に接すると私はなんとなくうれしくなるのです。
私の人を見る目はかなり歪んでいますが、社会を支えているのはこういう人なのです。
今日、岸田さんが次の総裁選には立候補しないと発表しましたが、岸田さんが相殺でいようがいまいが、変わらない社会を私は行きたいと思っています。

話が横道ですが、ともかく今日入院し、明日のお昼頃手術をしてもらうことになりました。
入院初日は、ナース-センターに近いこの病室にまずは入るようですが、4人部屋ですが、今日は私ともう一人だけです。その方はかなりの重症のようで、一言も声が聴こえません。食事もおひとりでは無理そうです。

夕食もおわり、もう何もやることがない。
でも今日は適度のエアコン管理下で、よく眠れるでしょう。
しかし、前立腺がんの影響もあって、1時間おきに目が覚めるかもしれません。

ともかくそろそろ寝ようかと思います。
でも7時に眠るのはいかにも早いですね。

さてさて。

| | コメント (0)

■胆嚢摘出手術入院記録1;またまた入院

最近、私は病院に好かれたようで、またまた入院する羽目になってしまいました。
もっとも今回は、特に問題がなければ1週間ほどの入院です。
理由は、胆石で機能不全になった胆嚢の摘出です。

これに関しては2年前から問題になっていたのですが、いろいろとあって、延ばし延ばしにしていました。相性のいい医師もしくは病院を紹介してもらおうとかかりつけの医師に相談にいったら、たまには健康診断を受けるようにと言われ、前立腺がんが見つかりました。この胆嚢騒ぎがなければ、前立腺がんの発見が遅れ、骨などへの転移があったかもしれません。

前立腺がんの治療に当たっているときに、またお腹に違和感があって、ついでに同じ病院の外科医に診てもらったら、またまた即入院の急性膵炎でした。
そこで10日ほどの入院になったのですが、その医師がとても信頼できる医師だったので、手術をお願いすることにしたのです。
人生、何が幸いするかわからないものです。

というわけで、また入院です。

入院手続きを終えたら、明日の手術まで何もやることがない。
まあその手続きなどの具合を見ていて、いろいろと感ずることはありますが、だんだんそういうことには麻痺してきました。たった一人のスタッフの印象で病院のイメージも、さらにはもしかしたら患者の命も大きく影響してしまうかもしれない、などと思ったりしますが、まあそんなことを言い出したらきりがない。
でも、何事もすべては「一人から」なのだと痛感します。いいことも悪いことも。

3時半にはすべて手続きを終わり、明日のお昼まで手術を待つだけです。
4時半に麻酔の担当医師がやってきて、最終確認です。
退屈するかなと思い、本も持ってきましたが、私はどうも病院では本が読めない。
これは周りが白いからかもしれません。今回は不幸にして窓側のベッドではなかったので外が見えない。窓側が空いているのに、なぜか廊下側になってしまった。
ベッドは患者に選ばせてほしいものですが、そうした感覚はないのでしょう。そこにこそ基本的な問題があるわけですが。

このベッドはナースセンターに一番近い場所なのです。
それでナースセンターのにぎやかな話声が聞こえてくる。
これも本を読めない理由かもしれません。

おやつを持ってくればよかったのですが、入院なのにお菓子はまずいよと娘が言うので止めたのですが、失敗でした。
最近の私の体調不良に関して、地元の友人の林さんが、美味しいものを食べて元気になれと何回も言ってきましたが、入院すると知ったら美味しいものを病室にまで持っていこうかというメールが届きました。見舞いは成人の家族だけしかできないと伝えたら、こっそりはどうですかと言う。そういうルール違反は大好きですが、今回は消化器系の手術だから食べものはやめたいといったら、では目の保養にという。全く困ったものです。それじゃあ拷問に近いでしょう。とまあ、そうしたメールのやりとりくらいしかやることがない。

病院は退屈です。
ちなみに胆嚢手術は術後、結構痛いそうです。
さて果たしてどのくらいでしょうか。

いずれにしろ明日手術をしてから、きっと何かが始まるでしょう。
今日は前立腺がんの3か月おきの定期検査の日でもありましたが、入院のためどうもそれが延期になってしまいました。そのため、残念ながら前立腺がんの経過は、今日はわかりませんでした。薬ももらえませんでした。明日の朝は薬も飲めない。
たぶんどこかでシステム不良が発生しています。

ここから病院全体のシステム構築を見直すと新しい病院の仕組みも見えてくるはずですが、病院の経営コンサルタントやシステム設計者はそんな発想はしないでしょうね。
だからシステムは、人間の敵になってしまうのです。

話がそれ出しました。
今日はともかく、入院したことの報告だけのつもりだったのですが。

夕食後、主治医の加藤医師はくるのでしょうか。
加藤医師に会うとなぜか安心します。
たしか彼は先週短い夏休みをとったはずです。
どこに行ったかかを見たらわかるかもしれません。

| | コメント (0)

■湯島サロン「沖縄/南西諸島で急速に進むミサイル基地化」のご案内

久しぶりに沖縄在住の緒方修さんに、沖縄で進んでいる軍事基地化の現状報告をしていいただきます。

昨年は映画を観ながら、沖縄で進んでいる軍事基地化をテーマに2回ほどサロンを開催しましたが、首都圏にいると沖縄の話はウクライナやガザの動きほどにも入ってきません。もちろんネットで調べると情報は取れますが、かなり意識しないと私の耳目には届かない。
幸いにこの夏、緒方さんが時々東京にやってくるというので8月にお願いしていたのですが、私の都合で9月になってしまいました。
そうしたらなぜか緒方さんは、わざわざ9月11日を選んできました。
緒方さんのことですから、これには何か意味があるのかもしれません。

それはともかく、沖縄での軍事基地化はますます加速されているようです。
にもかかわらず、多くの人の関心は、ウクライナやガザに対するよりも低いのが残念です。
先日の北京一さんのサロンでも指摘されましたが、私たちは無意識のうちに頬かむりしているような気がしてなりません。

しかし、緒方さんは、これはいまや沖縄の問題ではなく、日本列島そのものが危機に晒される状況にまできていると言います。ウクライナやガザの情報に騙されてはいけません。ことはすでにもう日本列島で始まっているのです。

この問題に関しては、緒方さんは精力的に情報収集し、メジャーな新聞や雑誌が報道しないような事実をおさえ、講演や論稿発表などをしてきています。以前、湯島でも何回かサロンで報告してもらいましたが、コロナ禍で途絶えていました。
これを機にまた、定期的にサロンで報告してもらえるかもしれません。

できるだけ多くの人に参加していただきたく、早めに案内させてもらいました。
仕事を休んでもぜひ参加していただきたいサロンです。

〇日時:2024年9月11日(水曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「沖縄/南西諸島で急速に進むミサイル基地化」
〇話題提供者:緒方修さん(東アジア共同体研究所コラムニスト)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌6107:入院の日の朝

節子

昨日は戻ってきた節子の精霊棚をつくったリビングで寝ました。
まあ暑かったから、節子が帰ってきていなくてもそうだったと思いますが、昨日は寝室との間を往復することなく、最初からしっかりとリビングで寝ました。
しかし、なぜか寝苦しく、夜中に何度も目が覚めました。
昨日の昼間に歩きすぎたためでしょうか、それとも節子のせいでしょうか。
かなりつらい一夜でした。

でも朝方にはおさまり、めずらしく朝方は2時間ほど熟睡できました。
朝、目覚めて枕もとの節子にいつものように挨拶し、お線香をあげました。
お盆の間は、大日如来は休暇をとって仏壇にいますので、この期間は朝の祈りも節子に向けてです。まあ節子は休んでなどいられない。何しろ最近の世の中は、ひどい乱れ方ですから。

今日は午後から入院です。
入院前にやっておかねばいけないことがいくつかあります。
気になることをそのままにして入院するんは避けたいので、今日はちょっとやることも多い。でもまあ、私のことですから、ある段階で、「まあこれでいいか」ということになるでしょう。

静かな朝です。
鳥の鳴き声がしないのが、ちょっと気になります。
節子が戻ってきたらからでしょうか。

| | コメント (0)

2024/08/13

■節子への挽歌6106:迎え火と孫とのアリオ行

節子

今日はお盆の迎え火です。
みんなでお墓に節子を迎えに行きました。
私が明日から入院なので、その後、みんなでアリオに行って、食事をしようと思っていたのですが、出発の時間が悪かったのか、アリオに行く前の自動車の込み具合が半端ではありません。

それでアリオ行はやめることにし、途中で戻ってきました。
せっかく、孫のにことの良い時間が持てそうだったのにちょっと残念です。

しかし、明日から入院ですので今日は休養しておいた方がいいのでむしろ良かったと思っていたのですが、お昼過ぎにうとうとしていたら、にこがやってきました。
これから行こうというのです。
本も買いたいし、ミスタードーナツも食べたいというのです。
孫は予定の変更がとても嫌いなのです。

私の入院予定もあって、この夏休みの、私とにことの2人だけの冒険旅行は実現が難しいのですが、にこの希望はできるだけ聞いておかないといけません。
それで付き合うことにしました。

まずはアリオの本屋さん。
にこの本選びは時間がかかります。
その後、タピオカドリンクが飲みたいというのです。
そしてお目当てのミスタードーナツへ。

そうこうしているうちに、5時になったので、かなり早目ですが、夕食を食べようということになりました。
にこは、アリオのフードコートに入っている讃岐うどんが好物なのです。
私はうどんは苦手なので、リンガーハットの長崎ちゃんぽん。
そこで秋の冒険旅行の相談をしましたが、なかなか話はまとまりません。

早い夕食を食べた後帰ろうとしたらペットショップに寄りたいという。
私はだんだん疲れてきて、後は娘に任せました。
そこに兄から電話。まさか入院前に私がこんな感じで出かけているとは思ってもいないはずです。ともかく心配性ですから。
まあ気づかれないように返信しましたが、何やら私も疲れてきてしまいました。
それに入院の準備も全くしていません。

そんなこんなで帰宅したのは6時半。
それから病院から事前に読んでおくようにと渡されていた書類を読んで、いろんな申請書類に記入しました。
全身麻酔を受ける、それなりに大変な手術のようです。
疲れたので準備は明日に回しました。

でも孫との触れ合いの1日になりました。
疲れは入院後、病院で解くことにしました。

| | コメント (0)

■第34回万葉集サロン「巻1-5~6の「軍王」の歌」報告

「帰化人の歌」最終回は、巻1-5~6の「軍王」の歌が主題でしたが、そこから万葉集の編纂に関わった大伴家持にまで話題になりました。
升田さんが用意してくれた資料は優に一冊の本になるほどの内容でしたから、簡単には報告できませんが、今回は思い切り簡単に報告させてもらいます。

まずこの歌の詠み手の「軍王(いくさのおおきみ)」とは何者かという問題ですが、升田さんは「帰化人」と捉えています。その理由は、歌の詠み方がいわゆる「倭歌(やまとうた)」とは違い、これまで3回にわたって読んできた帰化人の歌と同じだからです。
簡単に言えば、自らの個を中心に歌っているのです。

「軍王」という表現もなんとなく渡来系の文化をにおわせますが、本来、大伴氏は軍事を担っていた氏族ですから、大伴氏につながっている人と考えられないこともないですが、帰化人と捉える人は多く、なかには百済の王子余豊璋ではないかという人もいます。余豊璋といえば、天智天皇と同一人物という説もあり、話はどんどん面白くなるのですが、ここは禁欲的にここでとめておきます。今回は升田さんもあまり深入りしませんでしたし。

次の問題は、この歌がなぜ万葉集巻1の天皇や皇后の歌につづいて置かれているのかという問題です。しかも、題詞には行幸従駕歌とありますが、地名も読み込んでいないうえに、相聞や恋歌のような反歌がついているのもおかしい。しかし、行幸従駕歌でないと考えると、なぜこの歌がこんな重要な場所に置かれているのか、わからない。

しかし、升田さんは、ここにこの歌があるかないかで万葉集は全く違った意味を持ってくるのではないかと言います。つまりこの歌がここにあることの意味は、極めて大きいのです。
これを掘り起こしていくと、それこそまた興味深いのですが、学者としては軽々に論じられない問題なのか、これまでこの歌が大きな話題になったことはないようです。

しかし升田さんは、巻17に出てくる大伴家持の「恋緒を述ぶる歌」を紹介して、参加者の想像力をさらにゆさぶりました。この歌が、軍王の歌に似ているというのです。ここで大伴氏もまた軍事を司る名門だったことが思い出されます。
万葉集の編纂に当たっていたころの大伴家持の立場は微妙でした。公言できない私憤を、万葉集に埋め込むことは十分考えられることです。
もしかしたら、この軍王の歌には、そうした大伴氏のメッセージが込められているのではないか。そして、だからこそ万葉集は成立後、しばらく表の世界からは消されてしまっていた。升田さんの話を聞きながら、想像はこんなふうにどんどん膨れ上がっていく。

とまあ、話が大きく広がったのですが、おかげで、帰化人との接触で日本人の意識や言語観がどう変わったのか、「た・な・わ」に現われる、「自己」の捉え方はもちろん、人と人のつながり方や社会のあり方がどう変わってきたのか、と言った肝心の議論があまり行われなかったような気がします。

升田さんは、もちろん軍王の歌もていねいに読んでくれました。
そして文字使いも言葉選びも、あるいは構成も主題も、やはり帰化人を感じさせると解説してくれました。
このあたりの説明は私にはきちんと報告する自信がないのでやめますが、升田さんは日本列島の先住民(いうまでもありませんが、その人たちも列島外から渡来してきたのです)が次々とやってくる「帰化人(渡来人)」との触れ合いの中で、日本語を生み出し、日本人になっていった過程を見ているようです。
「帰化人」とは一体どういう人だという話もありましたが、ここも深入りすると大変なので省略。

万葉集の、あまり知られていない一面に触れさせてもらった帰化人シリーズも今回で終了。ちょっと残念です。
「帰化人」概念を全く認めていない私にとっても、「万葉集」の意味が大きく変わった4回でした。同時に、サロンの参加者のおひとりが言っていましたが、知れば知るほど頭が混乱してくる面白さも体験させてもらいました。

Manyou35000

| | コメント (0)

2024/08/12

■節子への挽歌6105:入院に備えてテレビ三昧

節子

サロンに来てくれる人たちがみんなとても私を大切にしてくれます。
私が入院すると知って、早く帰って休養するようにと昨日もサロンが終わった後、後は任せてと言われて私は帰りました。
しかも途中までサロン参加者の一人と一緒だったのですが、その人が途中で下車する前に、我孫子まで送っていかなくて大丈夫ですか、というのです。
自覚症状は全くないのですが、どうも外部からは私は心配な状況のようです。

たしかに帰宅すると疲れが出ます。
それによるがやはり熟睡できません。昨夜も寝づらく、睡眠不足です。

今日は特に用事がないので、ともかく自宅でゆっくりすることにしました。
パソコンなどを開くと、何かとまた巻き込まれますので、できるだけパソコンから離れて録画していたテレビドラマを観ていました。
前に一度観た「密告はうたう」のシーズン2が始まるので、その前にシーズン1を全作一挙放映するというので、改めて録画しておいたのです。

全6話、5時間強をすべて一挙に観てしまいました。
前に観ているのですが、もう忘れているのです。
まあこのことは喜ぶべきか嘆くべきかはわかりませんが。

そんなわけで今日はゆっくり休めました。
明後日の入院も大丈夫でしょう。
夏風邪などひいたら大変なので、注意しないといけません。

入院前に済ませておこうと、先日の万葉集サロンの報告も今回はあまり悩まずにまとめてしまいました。
講師の升田さんから叱られるかもしれません。

パソコンから離れていると、人生はとても楽ですね。

| | コメント (0)

■湯島サロン「原爆をテーマに自由に話し合うサロン」報告

今年の8月は広島・長崎への原爆投下日に合わせて「原爆をテーマに自由に話し合うサロン」を開催しました。年によっては、815日の敗戦記念日に合わせて「戦争と平和」を話し合いますが、今年は原爆に焦点を合わせました。
核兵器の捉え方が、最近、一変してきているような気がするからです。

ちょうど同じ時期に、最近接点ができた、文京区原爆被害者友の会(文友会)が近くの文京区シビックホールで核廃絶を訴えて「原爆の図展」を開催していましたので、それにも合わせる形にしました。

しかし、この日は原爆に関心の強い人は独自の活動で忙しいですからなかなか集まってもらうのは難しいです。湯島サロンによく出てくる原爆に関心の強いおふたりの人も、いずれも長崎に行っていました。

暑さもあって、参加者は私を入れて5人と少なかったのですが、全員、「原爆の図展」にも行け、4人はその会場で行われた文友会事務局長の吉重さんの体験談の話も聴けました。
さらにサロンには出られませんでしたが、吉重さんの講演だけは聞きたいと仕事の合間を駆けつけてくれた人もいました。
人数こそ少なかったですが、こういう時間をシェアできたことがとてもうれしいサロンでした。

2024

しかもサロンには最近文友会の役員になった方も参加し、ご自身の体験談を突然に語りだしてくれました。これはサロンの場が引き起こした予期しなかったことかもしれません。湯島で時々起こる感動的な場面です。
その人は、ずっと被爆体験を心の底の「海溝」に沈めていたと話してくれました。
その人とは長い付き合いですが、私もはじめて聞く話です。

その人が、「被爆者として何ができるか」の問題提起をしてくれました。
平和式典や語り部活動を80年近く続けてきていますが、事態はそう変わっていないばかりか、また核抑止力が論議されだしている。それでいいのか。
平和式典も語り部活動も、手段であって目的ではない。
改めてその意識を強く持ちました。

ちなみに私は、広島や長崎での被爆体験はありませんが、日本人としての被爆感覚はあります。ですから「被爆者として何ができるか」は、私の問題でもあるのです。

できれば年内にもう一度、原爆をテーマに自由に話し合うサロンを開催したいと思っています。話題提供してくださる方がいたらご連絡ください。

 

サロンでの自由な「話し合い」は、いつもながら私にはいろんな気づきをくれるものでした。今回は、先日の絵本サロンのことが頭に残っていたせいか、ロゴスではなく、絵本や詩で何かできないかと思いました。

そういえば、サロンを何回かやってくれた岡和田晃さんが、『広島・長崎・沖縄からの永遠平和詩歌集』(コールサック社)の刊行記念で、ご自身の「病院に爆弾を落とすな!」を朗読して来たとフェイスブックに投稿していました。

それを思い出して、その作品はネットで読ませてもらいました。
https://webafghan.jp/20231225_okawada/
その最後にこんな呼びかけがありました。

詩の影響力は微々たるものかもしれないが、
ゼロを1にするだけの決定的な力があり、
それこそが、詩が畏怖される原因なのだ、と!

私にもできることがあるかもしれません。
いや、誰にもできることはある。みんながそれに気づくために、こうした話し合いの場をこれからも続けていきたいと思います。

湯島のサロンも、平和式典と同じで、手段であって目的ではないのです。

| | コメント (0)

■湯島サロン「サンチアゴ巡礼・ポルトガル放浪・英国でのボランティア」の案内

湯島では毎年、サンチアゴ巡礼に関連したサロンをやっていますが、そこでの刺激を受けてサンチアゴ巡礼に出かけた人がいます。
仲谷透さんです。

仲谷さんはサンチアゴに出発する前に、湯島でサロンをしてくれました。
そのときの様子は次をご覧ください。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2024/03/post-f80b97.html

仲谷さんはサンチアゴ巡礼路を歩き切った後、帰国せずに、ポルトガルを放浪し、さらに英国にわたって庭園整備のボランティア活動を始め、もう戻ってこないかもしれないと思っていた矢先に、突然、8月末に帰国すると連絡がありました。
約5か月、仲谷さんはヨーロッパを放浪していたわけです。

昨日、送られてきた写真ではいたって元気そうです。
というわけで、帰国早々の91日に湯島で帰国報告のサロンをしてもらうことにしました。
サンチアゴもポルトガルも、さらに英国の庭園仕事も、いずれも興味がありますが、この5か月で仲谷さんが何を得て、どう変わったかに関心があります。まあ、何も得ずに、何も変わっていない可能性もゼロではありませんが。

でも無事に帰国できそうなのはうれしいことです。
みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2024年9月1日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「サンチアゴ巡礼・ポルトガル放浪・英国でのボランティア」
〇話題提供者:仲谷透さん(視覚文化愛好者)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

| | コメント (0)

■節子への挽歌6104:1か月入院していた小宮山さんが会いに来てくれました

節子

昨日は疲れました。養生どころではありません。
もしかしたら午前中、先日退院した小宮山さんが湯島に会いに来るかもしれないことになっていました。
昨日、誘われたのですが、昨日は出かける気にはならず、10日の午前中なら湯島に出かけられると伝えていたのです。

小宮山さんも退院直後なので、もし祖おきになあったら、明日の朝、電話してくださいと伝えていたのですが、電話がありません。この暑さでは湯島に来るのも大変だからやめたのかもしれないと思いましたが、念のため、9時半ごろ電話してみました。
小宮山さんも私と同じでスマホの使い方が苦手です。
スマホはつながったのですが、小宮山さんは出てきません。
もしもしと声をかけていたら、車内放送があって、スマホは切れてしまいました。
車内だったので、小宮山さんが切ったのでしょう。

ところが聴こえてきた車内放送が「次は赤羽」と聞こえたのです。
ということはいま、赤羽で湯島に向かっているなと気づきました。
それでともかくすぐに私も湯島に向か合うことにしたのです。
一応留守電にメッセージは入れましたが、小宮さんのことですから確認するとは限りません。
早く着く常磐線を使い、御徒町から湯島に向かうことにしました。

御徒町を降りたら、小宮山さんから電話。
今着いたが鍵がかかっているというのです。
間に合いませんでした。
それでもう急いで湯島に向かいましたが、もう汗だくだくです。
何とか5分くらい待たせただけで無事小宮山さんに会えました。

お元気そうでした。とても1か月も入院していたとは思えません。
それから2時間話、一緒に昼食もしました。
なぜ入院がこんなに伸びたのか、どうも大事を取ってくれたのでしょうが、ご本人はあまり病気自覚がないので、退屈で仕方がなかったようです。
でも入院したすべては医師の管理下に入るので対応しようがない。
このシステムはどこかおかしいというところで合意しました。
そして今度は、その仕組みに私が入るわけです。
さてどうなるか。

まあそんな話をしながら1か月ぶりの会話を楽しみました。
小宮山さんは根っからの善人ですが、1か月の入院でさらに善人度が高まったような気がしました。
笑顔もともかくよくなった。

疲れましたが、入院前にいい時間が持てました。
それにしても、退院してまだ1週間もたっていない小宮山さんに、わざわざ湯島まで来させてしまったのをちょっと反省しました。
川口と我孫子の中間点で会おうと思っていたのに、全く困ったものです。

| | コメント (0)

2024/08/11

■湯島サロン「秋の食養生」の案内

東方健美研究所代表の新倉久美子さんによる「食養生サロン」、4回目の今回は「秋の食養生」です。

食は地域と季節に深くつながってこその「薬膳」だという新倉さんの食へのアドバイスを、今年は季節ごとにお聞きしています。
今回もいつものように、新倉さんの整理した「陰陽五行配当表」に基づいて、とてもわかりやすく解説してもらいます。
新倉さんのアドバイスに基づいて、秋の食養にこころがければ、予想されている今年の残暑も楽しめるでしょう。ぜひご参加ください。

ちなみに新倉さんは、7月から毎月1回、週刊金曜日で「季節の薬膳」を紹介する連載を始めています。そこで毎回、お薦めの一品のレシピも紹介してくれています。
とてもわかりやすい食養生記事ですので、ご関心のある方は是非同書をお読みください。

いつも報告にも書かせてもらっていますが、食は生き方にも深くつながっています。
「秋の食養生」を切り口に、最近ともすれば失われがちの「季節感」も取り戻しながら、それぞれの生き方や社会のあり様について、楽しく話し合えるサロンになればと思っています。
みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2024年9月8日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「秋の食養生」
〇話題提供者:新倉久美子さん(東方健美研究所代表・農都共生総合研究所取締役)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

| | コメント (0)

■節子への挽歌6103:昨日はサロンの報告で苦労しました

節子

最近、ユカから「活舌が悪くなったし、何よりも話が下手になったので、会話が難しい」と言われています。
自分でもたしかにそう思います。
サロンで話していても、どうも言いたいことがうまく言えない、それで途中でやめてしまうのでますますおかしなことになる。

しかしどうも劣化しているのは話し方だけではない。
そもそもの思考力が劣化しているのかもしれません。
最近、サロンの報告がどうもうまく書けないのです。
4日に開催した絵本のサロンに関しては苦労しました。
当日、きちんと話し合いを進行させなかったのが一番の理由ですが、それ以上に、報告を書いてもどうも文章にならないのです。
さすがにタイムリミットなので、昨日、何とか書き上げましたが、すっきりしない。
何回も何回も読みなおして、でも納得できなかったのですが、ともかく投稿してしまいました。

そのくせ、なにか新しいことは思いつく。
そしてやりたくなってしまう。
例えば入管法に関するプロジェクトや絵本に関わる新しいサロンです。
始めると大変だなとはわかっていても、やりたい気分はどうしても捨てられない。
困ったものです。

暑さもあって、今日もまた寝不足です。
今日は湯島に行く日ですが、いささか心配です。
水曜から入院の予定なので、体調を維持しなければいけません。
でもまあ桃とナッツでどうにかなるでしょう。

| | コメント (0)

2024/08/10

■第4回ブックサロン「100万回生きたねこ」報告

今回のブックサロンは「絵本」を取り上げました。

絵本が大好きな菅沼三貴子さんが選んだのが「100万回生きたねこ」。
菅沼さんは、ほかにも「くまとやまねこ」など10冊ほどの絵本を持ってきて、見せてくれました。その語り口から、菅沼さんがいかに絵本好きなのかが伝わってきました。

正直、私自身は「100万回生きたねこ」にはさほど魅力を感じていなかったのですが(ねこの目が好きになれませんでした)、今回のサロンで、絵本の魅力やパワーを気づかせてもらいました。たとえば、文字の全くない絵本「アンジュ-ル」にはついつい言葉を書き込みたくなりましたし、「くまとやまねこ」はそれをつかって「生と死」を語り合いたくなりました。
ともかく絵本には瞬時に人を動かす力がある。だからこそ子どもにとって大きな影響を与えるのでしょうが、むしろ、「絵本」は大人のためにあるのではないか。そんな気がしました。

菅沼さんにはおふたりの息子さんがいますが、今回、改めて子どもの頃(30年ほど前)読んでやった「100万回生きたねこ」のことを訊いたそうです。そうしたら、一人は「何度も何度も死んで、可哀想なネコの話」、もう一人は「何度も生き返る、よみがえりの話」と記憶していたそうです。同じ本を読んでも、残った印象は真反対になりえるのです。でもふたりとも、主人公のとらねこが白いネコを胸に抱いてワンワン泣く絵は覚えていたそうです。30年たっても覚えているということは、おそらく大きな影響を与えているということです。

その話を聞いて、私も子どもの頃の記憶を思いだしてみました。
残念ながら、これといった絵本が思い出せません。「キンダーブック」という絵本雑誌のことは覚えていますが、具体的な話で思い出すのは「幸福な王子」とツバメがなにやら話をしていたなということくらいです。そのうちに、絵本ではないのですが、いくつかの絵の記憶がよみがえってきました。そしてそういう絵が、私の人生にたぶん影響しているような気がしてきました。

実は、このサロンに参加するだろうなと思っていた同世代の人から「私には絵本体験がないから参加しない」と言われました。たしかに私の世代では「創作絵本」はそう一般的ではなかったような気もします。でも私の世代が子育てするようになったころには、日本にもたくさんの絵本がありました。
でも自分が絵本体験があまりないためか、私自身、娘への読み聞かせの本には関心がありましたが、絵本選びは妻任せだった気がします。話題の創作絵本の題名はいろいろと知っていましたが、娘たちと一緒に読んだ記憶がありません。
要するに私は、絵本とはきちんと付き合ってこなかった。つまり、娘たちときちんと付き合ってこなかったと言ってもいいかもしれません。そのためか、絵本の効用も、あまり実感していなかった。絵本と言えば、児童書と決め込んでいたのです。

話が個人的な思いに行きすぎました。
サロンの話に戻します。
「絵本」は「絵」と「ことば」と「声」によって、子どもたちの心にずっと残ると菅沼さんはいいます。言葉や文字中心になる前に、もっと五感すべてで付き合うために「絵本」は大きな力がある。そして、子供と大人を対等につないでくれる。
もしそうなら、相手は子どもだけではないはずです。
改めて「絵本」の可能性を感じました。湯島のサロンは、言葉に依存しすぎているとある人から指摘されたことも思い出しました。そうかもれない。

サロンに参加していた朗読ラボラトリーsの前園さんが、さらに刺激的な話をしてくれました。前園さんたちはいま、朗読に合わせて音楽を奏する活動をしているのですが、その動画、高村光太郎の「ぼろぼろな駝鳥」を紹介してくれたのです。
https://www.youtube.com/watch?v=oiSk-qpjbuU
絵に加えて音。音楽のある読みかせです。短い作品ですから、ぜひ見てください。

100万回生きたねこ」を、菅沼さんに読んでもらい、前園さんに楽器を奏でてもらったら、どんな世界が生まれるのか。
何かものすごい可能性を感じてしまいました。

サロンの報告ではなく、サロンで感じたことや思いついたことの紹介になってしまいました。すみません。
ブックサロンの基本は、本の魅力を伝えてもらうことです。ですから今回は本の内容に関する話し合いはしませんでしたが、このサロンから「絵本をテキストにしたテーマサロン」をスピンオフさせたくなりました。

「絵本」といってしまうと児童書と思ってしまいますが、そんなことは全くない。
絵本をテキストにすれば、だれもが気楽に参加できそうです。難解な言葉など使わなくても、心や思いを交わし合えそうです。

おかしな報告になってしまいました。
実はサロンの後、何冊かの絵本を読みました。サロンにも参加したことのある篠崎正喜さんの画いた「父は空 母は大地」も久しぶりに読んでみました。
湯島のサロンでももっと「絵本」を取り上げたくなりました。いや、サロンのスタイルも変えたくなってきました。そんなことを考えていたら、報告が書けなくなってしまい、遅れてしまいました。すみません。
いずれにしろ、絵本を活かしたサロンを改めて企画したいと思います。

最後に菅沼さんが持ってきた絵本の一部を勝手に紹介しておきます。

100万回生きたねこ」(佐野洋子 絵・文 講談社)
「くまとやまねこ」(湯本香樹実文・酒井駒子絵 河出書房新社)
「スーホの白い馬」(モンゴル民話 福音館書店)
「ずっとずっと 大好きだよ」(ハンス ウィルヘルム 絵・文 評論社)
「アンジュ-ル  ある日、ある犬」(ガブリエル・バンサン BL出版)
「しろいうさぎとくろいうさぎ」(ガース ウイリアムズ ラボ教育センター)
「木を植えた男」(ジャン・ジオノ作/フレデリック・バック絵 あすなろ書房)

000_20240810210501

| | コメント (0)

■節子への挽歌6102:さわやかな秋から残暑の秋に

節子

暑さは続いていますが、今朝はなんとなく「秋」を感じます。
暑いのに、なぜ「秋」を感ずるのか不思議ですが、昨日、極力、エアコンをやめていたせいでしょうか。
身体にはまだ自然の感覚が残っているのでしょうか。

畑に行きたい気分ですが、手術前には体調を崩したくないので、自重しています。
まわりの人が心配してくれるからかもしれませんが、最近はいささか過剰に体調を意識するようになっています。いつもは軽く流していたようなお腹の具合の不調も、もしかしたらまた膵臓が炎症?などと考えてしまうのです。そのくせ、自重しないという困った状況なのですが。

ちなみに手術前の体力づくりのため、先日、杉野さんから勧められたように、毎朝、桃を食べています。杉野さんからもらった桃もありますが、節子の友人の野路さんからも桃が送られてきたので、それをもらって毎朝一個の桃を食べています。
まあこんな贅沢はあまりできませんが、もう入院前は続ける予定です。
そのあとはもう食べられませんので。
朝から桃を一個食べるともうお腹がいっぱいになります。

この挽歌を書きだしてから、実は30分ほど、ベランダの水やりやテレビ体操などをやっていたのですか、起きた時に感じたさわやかな秋の気配は今度は残暑の秋の感じに転じています。
ちょっとした期の持ちようで、自然の見え方は変わってきます。
桃を食べすぎたために、さわやかさを感ずるセンスを失ってしまったようです。

昨日発生した九州地域での大きな地震はおさまっているようです。
何事もなければいいのですが。

| | コメント (0)

2024/08/09

■節子への挽歌6101:「王様はロバの耳」の穴

節子
やはりどうも私は「相談」を呼び込む存在なのかもしれません。

久しく連絡を絶っていた我孫子のSBさんが電話してきました。
そう親しいわけではなく、私のFBを見て、我孫子の集まりや湯島の集まりに1~2回参加してくれた程度の関係です。
もう3~4年前の話ですが、そのSBさんからの突然の電話。
なぜか私のがんのその後を訊いてきました。
最近、私のFBをなぜか読めなくなったのだそうです。

ちょうど、血圧の薬が無くなったので、遠藤さんにもらいに行こうと思っていた矢先の長電話になりました。
息子さんがメキシコにいて、どうも舌に異常が発生、そのため帰国して日本の病院で検査するのだそうです。
私にいろいろと訊いてきましたが、なにをこたえていいかよくわかりません。
たぶんなんとなく誰かに知っておいてもらい、何かあったら相談したいと思って言うのでしょう。
こういう漠然とした不安を持つ人は少なくない。
しかしその不安は、誰か「毒にも薬にもならない」、でも心を開いても大丈夫な人に漏らしていくだけで不安は収まるのかもしれません。

まあそういう意味では、私は「王様はロバの耳」の洞穴かもしれません。

あまり意味があるとは思えないやりとりが20分ほど続きました。
それで安心したのでしょうか、電話が切れました。
こういう小さな話が、私はどうも忘れられない。
それが積もってしまうのです。

今日もまた何かそんな不安話が来るでしょうか
なんとなくそんなことを思わせる、しかしとても静かな朝です。
相変わらずさあく屋もあまり眠れずに、すっきりしません。

| | コメント (0)

■「無国籍」の人が日本には2000人ほどいるそうです

先日、長い付き合いの友人が、実は私は「無国籍」だったことがあると話してくれました。
その友人は、いま入管法改正問題に関わっているようです。

私は国籍にはほとんど意味を感じていなかったのですが(自分が「日本人」だと意識したことはありません。もちろん私は「日本人」ですし、そのことが好きですが)、友人から少し「無国籍」に関して教えてもらいました。
そして、友人から紹介さしてもらった「忘れられた日本の無国籍者」(陳天璽編 明石書店)を読みました。本書は、2008年に開催された公開フォーラムの記録です。

今度、吉本さんの呼びかけで、技能実習生などの支援活動に取り組みたいと考えていましたが、少し視野を広げて、入管法改正にも目を向けたくなりました。
秋には湯島でサロンをやれればと思っています。
関心を持ってくださる方がいたらご連絡ください。

その前に、少し古いですが、このフォーラムの記録「忘れられた日本の無国籍者」(陳天璽編 明石書店)を多くの人に読んでほしいと思います。
編者の陳天璽さんの新著「無国籍と複数国籍 あなたは「ナニジン」ですか? (光文社新書)もあるようです。
これも読んでみようと思います。

 

| | コメント (0)

2024/08/08

■節子への挽歌6100:どうも生活のリズムを取り戻せません

節子

生活のリズムが壊れると朝の挽歌が書けなくなります。
いや、反対かもしれません。
朝の挽歌を書かないあと1日のリズムがまもれない。

まあいずれにしろ、また数日、挽歌なしの数日が続いてしまいました。
挽歌がきちんとかけていないと心配してくれる人も何人かいるので、何とか挽歌は書こうとは思っていますが、今夏はやはり生活のリズムがくるっているようです。

でも間もなくお盆、そして節子の命日。
なんとか挽歌番号を正常化したかったのですが、ちょっと難しそうです。
でも毎朝の挽歌だけは正常化したいと思います。
今日からまた頑張ろうとおもいますが、どうもこの(意図しての)「頑張る」が私は苦手なのです。

昨日、久しぶりにすぎの梨園に行って杉野光明さんに会いましたが、お土産にもらった桃を食べて、今日もいい一日にしようと思います。
いつもより少し涼しい気がしますが、手元の温度計ではもう28度を超え、湿度も75%。
でもしばらくはエアコンはつけずに、自然の朝の空気を楽しもうと思います。

| | コメント (0)

2024/08/07

■近藤サロン②「ドーキンスの道具箱から人間社会の背後にある駆動原理を考える」のご案内

近藤和央さんの「『利己的な遺伝子』論から眺める人間論」の第2回目の案内です。
このサロンも、ブックサロンからのスピンオフサロンです。

今回は、人間社会の背後にある駆動原理を、「ドーキンスの道具箱」を使って倫理や法哲学という切り口から概観している、内藤淳「進化倫理学入門」(光文社新書)をテキストにして考えていきたいと思います。

「ドーキンスの道具箱」とは、近藤さんによれば、拡大(繁殖)と(自然)選択によって無計画・自律的に発展・最適収束化し、つかのまの平衡から競合状況環境変化で延々と変容しつつ安定点(ベイズ解)を探り続ける、「いきもの」(=変化しつつ準安定に継続・継起するもの=拡張概念としてミームや文化をも包含する)の普遍原理(=動的平衡)という世界観に基づく考察法、だそうですが、これも難しい。
でもまあ、今回、テキストにする「進化倫理学入門」は光文社新書ですから、できれば事前に読んでおけば、わかりやすいかもしれません。
それにたぶん、「進化倫理」に関しても解説してくれると思います。

ちなみに一般的には、「人の心は適応ツール(道具) のパッケージ(道具箱)」と言われていますが、ドーキンスはそこに「利己的な遺伝子」を持ち込んで、問題を単純化しようとしているのです。
ただ私には単なる問題の読み替えとしか思えないのですが。
近藤さんが、そこから人間観をどう展開していくか。

ちなみに、ブックサロンからのもう一つのスピンオフサロンの「社会心理学講義」サロンの遠山さんと近藤さんとでは、「知の捉え方」が大きく違いますので、それを比較して考える意味でも、この2つのサロンは並行して参加すると面白いです。
この2つのサロンは、文字での報告には苦労しますが、実際のサロンでの話し合いは、むしろカジュアルですので、気楽にご参加ください。
話を「自分事」に引き寄せるのも、そう難しくないはずですので。

〇日時:2024年8月26日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ドーキンスの道具箱から人間社会の背後にある駆動原理を考える」
〇話題提供者:近藤和央さん(進化論ファンのneo studier
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

| | コメント (0)

2024/08/06

■79年目の夏

今年も暑い6日でした。
黙祷を終えました。

湯島でも毎年、8月に原爆を思い出すサロンをやっています。
昨年は長崎出身の人と「祈りのサロン」をやりました。

今年は、文京区原爆被害者友の会の理事にも参加してもらい、「原爆をテーマに自由に話し合うサロン」を8月8日に午後2~4時に開催します。
文京区原爆被害者友の会では今、文京区シビックホールで「原爆の図展」を開催しているので、できればそれを事前に見てからの参加をお勧めします。

蛇足ですが、いつも平和式典をテレビで見ながら感ずるのはどうしてみんな背広を着ているのだろうかということです。
私見ではまず背広を脱ぐところから平和は始まると考えているからです。

 

| | コメント (0)

2024/08/04

■湯島サロン「『社会心理学講義』を読み解く①」報告

哲学者遠山哲也さんの「社会心理学講義」(筑摩選書)を読み解く連続サロンが始まりました。難しい本なので、果たして参加者は集まるだろうかと心配でしたが、何と予想をはるかに超えて、10人以上の人が集まりました。

Tooyama1000

これから遠山さんを先導役にしてじっくりと読んでいきますが、今回は初回なので、遠山さんが『社会心理学講義』の全体像を、遠山さん風に紹介してくれました。

遠山さんによれば、本書の目的は、社会心理学の本来の目的である「社会と心理の止揚(矛盾した二項を高い次元で統一すること)」へ原点回帰することだと言います。
そしてそのための論点として、「虚構」「矛盾」「学問」の3つに注目して、それぞれに関して話し合う材料を提供してくれました。

「虚構」に関しては、小坂井さんは「社会(政治形態)、心理(個人の主体・同一性)が成立する根拠は、虚構にある」とし、しかしそれは成立と同時に構造が隠されることによって、機能するといいます。
「虚構」を「共同幻想」と同じような意味合いで使っているのですが、幻想という「与えられるもの」ではなく、「構築していくもの」という意味合いを含意させるために、「虚構」という表現を使ったのでしょう。ここに小坂井さんの思考の姿勢を感じます。

たとえば、「自由意志は責任のための必要条件ではなく、逆に、因果論的な枠組みで責任を把握する結果、論理的に要請される社会的虚構に他ならない」と小坂井さんは言います。そして、「虚構の物語を無意識に作成し、断続的現象群を常に同一化する運動がなければ、連続的な様相は我々の前に現れません」。こうした虚構を創り出すことで、無自覚に対象の差異を無視し、「錯覚」することで社会・個人は成り立っていると言います。まさに社会も心理も「虚構される存在」なのです。

矛盾については、その意義を解説してくれました。
これも社会や心理を捉えるためのキーワードです。

新たな発見は、既知の事実、データが矛盾を通して新たな視点で再解釈された時に生まれます。「異質な見方のぶつかり合いを通して矛盾に気づき、矛盾との格闘から新しい発想が生まれる」ように、「既存の知見・常識の矛盾や対立と創造活動は切り離せません」と小坂井さんは言います。

たとえば、開放と閉鎖に関してもふつうは反対概念として捉えられますが、両者は実は論理的な相関関係にあるかも知れない、と小坂井さんは考えます。そして、日本の西洋化に関して、こういうのです。「日本は支配されなかったにもかかわらず、西洋化したのではない。逆に、支配されなかったからこそ、西洋の価値を受け入れた。日本社会は閉ざされているのにもかかわらず、文化が開くのではない。逆に社会が閉ざされるからこそ、文化が開く」。「矛盾は創造を生む泉」であり、「知識とは常識を破壊する運動」だと小坂井さんは言います。

矛盾やノイズ、ズレや違和感を大事にしている私には、とても共感できます。

しかし、遠山さんにとっての最大の関心事は、3つ目の「学問」にあるようです。
「学問」というとアカデミズムの世界の話になってしまいますが、遠山さんが言う「学問」とは「学ぶこと」であり「知とはなにか」ということ、さらには「自己を知ること」と言っていいでしょう。遠山さんが取り組む「哲学」と言ってもいい。

遠山さんが、今回の連続サロンを通して目指すのは「自己を知ること」「自己を問い質すこと」のようです。そのためには、「社会」も知らなければならない。そして「知ること」つまり「知のあり方」も考えないといけない。本書はそのガイドブックになる、と遠山さんは考えているのです。
つまり、本書を読みながら、「自己を知る」旅に出ましょうと遠山さんは呼びかけているように思いました。

遠山さんの話を、私が受け止めた理解で説明してしまいましたが、遠山さんの意図とはずれているかもしれません。

しかし、遠山さんは、哲学は「実存」の取り組みでなければならない。「実存」の取り組みとは、それを通して自己変革が起きるもの。本来の学問は、自己のアイデンティティを確かめるためにどうしてもせずにおれないもの。つまり、「自己を知ること」にこそ意味があると考えているようです。
小坂井さんも、「本当に大切なのは自分自身と向き合うことであり、その困難を自覚すること、それだけです」と書いています。

本書の大きなメッセージと主要な3つの論点は伝わったでしょうか。
ただしこれはあくまでも遠山さんの「読み方」です。
焦点の当て方が違えば、メッセージも変わっていきます。知のあり方も変わってくるでしょう。虚構の捉え方も変わってくるかもしれない。

本書を読んでいない人にはチンプンカンプンかもしれません。
でもこのサロンは、「知識」を得るためのものではなく、『社会心理学講義』からのメッセージを受けながら、それに基づいてみんなで話し合う、というサロンです。
遠山さんも、「自分自身と向き合うことの大切さとその難しさ」を話し合えればと考えています。まさに、「哲学的」な、でもとても実践的で、具体的な話し合いになりそうで、楽しみです。

話し合いながら自らを問うていくサロン。一見、敷居が高いようですが、まあそんな場に出るのも結構いい刺激になるかもしれません。報告よりも、サロンの現場のほうがカジュアルなので、気楽にどうぞご参加ください。
時に、異質な場を体験するのもいいことです。

次回は8月30日(金曜日)です。
テーマが決まったらご案内します。
ぜひご予定ください。

 

 

| | コメント (0)

2024/08/03

■節子への挽歌6095:手賀沼の花火

節子

今年もまた手賀沼の花火の日になりました。
この花火大会にはあまりに思い出が強いので、複雑な気分ですが、最近はようやく少し平安な気持ちで接することができるようになりました。

私自身は友人を誘うのはやめていますが、今年は娘の友人や孫の友だち家族がやってきました。私も一緒に屋上で花火を楽しみましたが、今年はかなり整理されていて、玉数は少なかったのですが、見ごたえはありました。
友人たちへの接待に忙しくて、ジュンはなかなか花火を見に屋上に上がってきませんでしたが、節子もそうだったなと思い出しました。
そんなちょっとしたことでさえ、いろんなことを思い出してしまいます。

わが家の屋上からは遠くに佐倉や松戸など4~5か所の花火が遠景でわずかに見えました。
考えてみると、わが家で節子とゆっくりと花火を見た記憶がありません。
一緒にゆっくり見たのは、滋賀の瀬田川での花火だったでしょうか。
いやいや、思い出すとまたさびしくなる。
やめましょう。

今年の花火はとてもよかったです。

| | コメント (0)

■湯島サロン「コモンズの共創③ コモンズの悲劇あるいは幸せ」報告

「コモンズの共創サロン」の第3回目は「コモンズの悲劇」を取り上げました。
果たしてコモンズの先にあるのは悲劇なのか幸せなのか。
この問いは、湯島サロンの根底にあるテーマでもあります。
湯島サロンも湯島の場も、コモンズの幸福を目指しています。

今回は、これまで2回にわたって話してきた私の「コモンズ論」を確認したうえで、参加者にいくつかの問いかけをして話し合うスタイルを目指しましたが、コモンズに関する共通基盤がまだできていないためか、いささかかみ合わない議論になってしまいました。私の問いかけ方が悪かったためです。

ちなみにこれまでサロンで話してきた「コモンズ」に関して要点を整理した資料を当日配布しましたが、それを添付します。今回、話し合いたかった論点も書いていますが、これはまた改めて再挑戦したいです。

ダウンロード - e382b3e383a2e383b3e382bae381aee585b1e589b5e291a2e8b387e69699.pdf

案内にも書きましたが、コモンズの悲劇とは、生物学者ギャレット・ハーデインが提唱した、「みんなが使える共有物は個人的な利益追求のために過度に利用され、結局、破滅してしまう」という考えです。この考えが、「私有制」を基本に置く資本主義の発展を支援してきました。私は、ハーデインのこの思い込みが大きな間違いだったのだと思っています。コモンズは、悲劇などではなく幸せを生み出すのです。むしろ「コモンズ」を失う(あるいは育て損なう)が故に「悲劇」が起こるのです。

法学者キャロル・ローズは、「人多ければ楽しみ多し」という慣用句を持ち出して、コモンズこそがみんなを幸せにするという「コモンズの喜劇」を提唱しました。こうした考えは、むしろ資本主義が隆盛を極める前の常識だったように思います。そもそも1人で生きるよりも2人で生きた方が生きやすいはずです。私はこれを「コモンズの幸せ」と呼んでいます。でも最近は、2人よりも1人の方が生きやすいのだそうです。私には理解できませんが。

ではなぜ、コモンズは幸せ(喜劇)にならずに悲劇になってしまったのか。それは、そもそもコモンズが失われたからです。つまり「みんなのものという意識やみんなという関係」がなくなってしまった。そこで「コモンズの悲劇」とは「コモンズ不在の悲劇」という人もいますし、「コモンズの統治(協治)」が重要という人もいます。
経済学者ユリノア・オストロムは、世界各地のコモンズの調査を踏まえて、コモンズを幸せにしていく条件をあげています。言い換えれば、「コモンズとは何か」ということになります。オストロムは日本でもその事例を集めています。

案内と同じような報告になってしまいましたが、やはり「コモンズ」という概念はまだまだ消化されていないようです。
コモンズと言えば、「入会地」と置き換えられたり、あるいは最近は斉藤幸平さんがさかんに「コモン」を「共有財・公共財」と読み替えたりしていますが、私が考える「コモンズ」はそうではありません。いささか大仰に言えば、私たちの生き方の根本にかかわる「人と人、人と自然」の在り方なのです。

コモンズが回復されれば、少子高齢化問題も、環境問題も、格差問題も解決するでしょう。

そんな「コモンズ」を考えていきたいのです。
改めて次回の「コモンズサロン」で投げかけさせてもらい、話し合えればと思います。

 

 

| | コメント (0)

2024/08/02

■第2回増田サロン「代理価値と真理、または、バーチャル(虚構)とリアリティ(真実)」報告

小賢しい「人知の舟」をおりて大地に根を下ろし、生命に根ざした生き方をめざそうという「地湧きの思想」を増田圭一郎さんと一緒に考えていこうという増田サロンがスタートしました。

前回は、総論的に、地湧きの思想を実践的に提唱してきた増田さんの祖父の和田重正さんと父の増田正雄さんについてお話をお聞きしましたが、今回から実際にテーマを設定して増田さんと話し合うことになりました。
今回、増田さんから出されたテーマは、「代理価値と真理」「バーチャル(虚構)とリアリティ(真実)」です。
いずれも「地湧きの思想」にとっては重要な概念です。

この増田さんのサロンは、何かを講義してもらうというよりも、増田さんと一緒に考え、それぞれが「自覚」していくというスタイルですので、報告がなかなか難しいのですが、以下の報告(次回以降もですが)は私の個人的な解釈による報告なので、増田さんの意図にそぐわないかもしれません。でもサロンを重ねることで、私も「地湧きの思想」に徐々に近づけると思いますので、しばらくは時にピント外れの理解があるかもしれませんがお許しください。
よほどひどい誤解や曲解の時には修正してもらうように増田さんにお願いしたいと思いますが、あえて事前に増田さんの確認を受けずに、報告させてもらおうと思います。
誤解や間違いは、時に重要ですので。

「人知の舟」に乗って生きていると、どうしても「代理価値」に先導されがちです。
ここで代理価値とは、「モノやコトの価値を代理して目にみえるようにしたもの」ですが、一番わかりやすいのはお金です。お金は、様々な価値を一時的に代理したものです。
目に見えない信仰のようなものにも「代理価値」はあります。たとえば、宗教の宗派も代理価値ですし、神事祭儀も高価な壺も代理価値かもしれません。

「ことば」もまた、代理価値を生み出す最たるものです。湯島のサロンでも、時に言葉による空中戦が展開されますが、言葉をいくら巧みに使っても、「真理」には近づけません。それで、なんとなく「わかり合えた」気になったとしても、実際には何もシェアしていないこともある。「代理価値」と「真理」とは別物であることをしっかりと自覚しないと、代理価値に振り回されてしまう。

ことばについては、増田さんは「理念のことば」と「コトことば」があると言います。理念のことばは、その言葉が指し示す対象の意味を表現するのに対し、コトことばは、存在そのものを指し示します。
私は、理念のことばには誰にもに通用する価値(意味)が含まれていますが、コトことばにはそれを使った人(話した人と聞いた人それぞれ)にとっての価値(意味)があるとしても、ただ「存在」を表現しているだけであり、そのことばが人を呪縛することなどは起きないと受け止めました。でもそこから、相互に何かを得ている。
ちなみに、存在と存在物とは違います。増田さんは、クロッカスの花を見て、「いのち」を感じてほほ笑んだという話をしてくれましたが、以前湯島でやった金子さんの「無門関」サロンでの「拈華微笑(ねんげみしょう)」の話を思い出しました。

代理価値は人間が創り出したものであり、約束事と言ってもいいかもしれません。
しかし、創り出すということは、そこに「誰かの意図」があるということです。
そして、そのことがバーチャルの世界を生んでいく。いや広げていく。バーチャルが広がるとリアリティが消えていく。いのちのつながり、自然とのつながりが切られていく。そして、主体性を含めて、自らのいのちさえもがのみ込まれていく。

すり替えられた代理価値の中で生きていると、主体性、内発性がだんだんと衰弱し、生きる活力が失われてしまう。身体は単なる制約になりかねない。それでいいのか。
代理価値からできるだけ離れ、リアルな実体のなかで生きていくには、どうしたらいいか。身体性を取り戻し、自然とのつながりを回復し、生命に根ざした生き方を取り戻そう。それが増田さんからの今回のメッセージだったような気もします。

私は今回、「価値」とは何だろうと考えるきっかけをもらいました。
これまでは「価値」という言葉に肯定的な意味だけを感じていましたが、どうもそうではないのではないかという気がしてきました。
まあそれは今回のサロンでの私の個人的な気付きのひとつですが。

地湧きの思想を書いた地湧社設立趣意書の最後にはこんな記載があります。
ちなみに、この趣意書が、今回の増田サロンの基本テキストになっています。
http://www.jiyusha.co.jp/shuisho.html

生命に根ざした生き方をしている、あなたを含めたその人達は、社会の表面に露われてはいませんが、しかし一本の地下水脈でつながっています。この地下水脈はやがて地表に湧きだし、人類の生命の根源の水となり、人々を潤し、旧い人々が想像するような激しい変化ではなく、もっと静かに、しかし確実に、この世の変革を遂げるに違いありません。自覚の時代が始まっています。

そして趣意書では「自覚の人々」が増え始めてきたと書いてあります。
この趣意書が書かれたのは1982年。もう40年以上前です。
たしかに当時はそんな予兆があった。でもその後、21世紀に入って流れはまったく逆転してしまった。私はそんな風に感じています。
だからこそ、増田さんにこの連続サロンをお願いしたのです。
ぜひ多くの人に継続して参加してほしいサロンなのです。

ちなみにサロンではほかにもいろんな話題が出ました。
カルロス・カスタネダや老子の名前も出てきましたが、今回はそこまで話は進みませんでした。

また、むかしは人々は大地(自然)を通してつながっていた。それも代々つながっていたという話もありました。
見えないつながりが世界を覆っていた。私は、最近、時々湯島のサロンで話題になる菌根菌ネットワークに支えられている植物の世界を思い出します。あれは決して植物だけの世界の話ではない。

日本では「自然」を「ジネン」と読んで、「おのずとそこにある」また「おのずとなる」もの、おのずから万物の調和をもたらすものという捉え方がされていましたが、そうした「ジネン」な生き方こそが、地湧きの思想を生きる生き方なのでしょう。
いまのように代理価値が溢れるなかで、「ジネン」に生きるのは難しい。でも、だからこそ、それを意識しないといけないのだろうと改めて思いました。

次回のテーマと日程が決まったら案内させてもらいます。
ちなみに蛇足ですが、これも先月から始まった遠山さんの「社会心理学講義」をテキストにした連続サロンとのつながりを感じます。よかったらいずれのサロンにも顔を出してみてください。

200

| | コメント (0)

« 2024年7月 | トップページ | 2024年9月 »