■第34回万葉集サロン「巻1-5~6の「軍王」の歌」報告
「帰化人の歌」最終回は、巻1-5~6の「軍王」の歌が主題でしたが、そこから万葉集の編纂に関わった大伴家持にまで話題になりました。
升田さんが用意してくれた資料は優に一冊の本になるほどの内容でしたから、簡単には報告できませんが、今回は思い切り簡単に報告させてもらいます。
まずこの歌の詠み手の「軍王(いくさのおおきみ)」とは何者かという問題ですが、升田さんは「帰化人」と捉えています。その理由は、歌の詠み方がいわゆる「倭歌(やまとうた)」とは違い、これまで3回にわたって読んできた帰化人の歌と同じだからです。
簡単に言えば、自らの個を中心に歌っているのです。
「軍王」という表現もなんとなく渡来系の文化をにおわせますが、本来、大伴氏は軍事を担っていた氏族ですから、大伴氏につながっている人と考えられないこともないですが、帰化人と捉える人は多く、なかには百済の王子余豊璋ではないかという人もいます。余豊璋といえば、天智天皇と同一人物という説もあり、話はどんどん面白くなるのですが、ここは禁欲的にここでとめておきます。今回は升田さんもあまり深入りしませんでしたし。
次の問題は、この歌がなぜ万葉集巻1の天皇や皇后の歌につづいて置かれているのかという問題です。しかも、題詞には行幸従駕歌とありますが、地名も読み込んでいないうえに、相聞や恋歌のような反歌がついているのもおかしい。しかし、行幸従駕歌でないと考えると、なぜこの歌がこんな重要な場所に置かれているのか、わからない。
しかし、升田さんは、ここにこの歌があるかないかで万葉集は全く違った意味を持ってくるのではないかと言います。つまりこの歌がここにあることの意味は、極めて大きいのです。
これを掘り起こしていくと、それこそまた興味深いのですが、学者としては軽々に論じられない問題なのか、これまでこの歌が大きな話題になったことはないようです。
しかし升田さんは、巻17に出てくる大伴家持の「恋緒を述ぶる歌」を紹介して、参加者の想像力をさらにゆさぶりました。この歌が、軍王の歌に似ているというのです。ここで大伴氏もまた軍事を司る名門だったことが思い出されます。
万葉集の編纂に当たっていたころの大伴家持の立場は微妙でした。公言できない私憤を、万葉集に埋め込むことは十分考えられることです。
もしかしたら、この軍王の歌には、そうした大伴氏のメッセージが込められているのではないか。そして、だからこそ万葉集は成立後、しばらく表の世界からは消されてしまっていた。升田さんの話を聞きながら、想像はこんなふうにどんどん膨れ上がっていく。
とまあ、話が大きく広がったのですが、おかげで、帰化人との接触で日本人の意識や言語観がどう変わったのか、「た・な・わ」に現われる、「自己」の捉え方はもちろん、人と人のつながり方や社会のあり方がどう変わってきたのか、と言った肝心の議論があまり行われなかったような気がします。
升田さんは、もちろん軍王の歌もていねいに読んでくれました。
そして文字使いも言葉選びも、あるいは構成も主題も、やはり帰化人を感じさせると解説してくれました。
このあたりの説明は私にはきちんと報告する自信がないのでやめますが、升田さんは日本列島の先住民(いうまでもありませんが、その人たちも列島外から渡来してきたのです)が次々とやってくる「帰化人(渡来人)」との触れ合いの中で、日本語を生み出し、日本人になっていった過程を見ているようです。
「帰化人」とは一体どういう人だという話もありましたが、ここも深入りすると大変なので省略。
万葉集の、あまり知られていない一面に触れさせてもらった帰化人シリーズも今回で終了。ちょっと残念です。
「帰化人」概念を全く認めていない私にとっても、「万葉集」の意味が大きく変わった4回でした。同時に、サロンの参加者のおひとりが言っていましたが、知れば知るほど頭が混乱してくる面白さも体験させてもらいました。
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