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2024/08/29

■胆嚢摘出手術入院記録14:退院後10日近く経過しましたが

胆嚢摘出手術から半月、退院してから9日目です。
身体は回復に向かっていますが、まだ本調子ではありません。

先日テレビを見ていたら、「どんな内臓も役に立っていないものはない」というようなセリフを聞きました。ぼんやり聞いていたのですが、最近、その言葉を思い出します。

退院後、とても疲れやすく、これまで以上に無理がきかない。
でも身心は以前のような生活をどうしても目指してしまう。
だから時々またダウンしてしまう。
その繰り返しを続けています。

最初の頃は、思考力も大幅に減退し、なにをやるのも気分的に嫌でしたが、これは10日ほどかかって解消しました。
実は私が身体を動かさないといけないと思ったのは、退院時、どうも心や意識が混濁していたように感じたからです。そうした邪気を身体から追い出すために、裸足で公園を歩いたり、ちょっと身体を酷使したりしていたのです。
そのおかげで、数日前からは本も読めるようになり、夜中におかしな夢を見ることもなくなりました。しかし身体の疲労感は、どこかこれまでと違うのです。

やはりこれは、「胆嚢」と言う内臓を摘出したせいでしょうか。
私の身心システムがいま再構成されているのかもしれません。
というのも、身体の疲労感がこれまでとどこか違うのです。
再構成作業が終わるまで、この疲労感は続きそうです。

これまではちょっとした無理をして、身心を慣らしていこうと思っていましたが、これからは少し無理を避けようと思います。
娘は「無理」はいいとしても、「無茶」のし過ぎだと呆れていますが、その「塩梅」が取れなくなっているのかもしれません。

というわけで、この1か月、もしかしたらご迷惑をかけるかもしれませんが、少し自分中心にさせてもらおうと思います。まあ今まで以上に、ということですが。
2日間在宅で休養したのに、まだどうも調子がおかしい。
疲労感がドサッとまだ残っているのです。
困ったものです。

 

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