■第2回増田サロン「代理価値と真理、または、バーチャル(虚構)とリアリティ(真実)」報告
小賢しい「人知の舟」をおりて大地に根を下ろし、生命に根ざした生き方をめざそうという「地湧きの思想」を増田圭一郎さんと一緒に考えていこうという増田サロンがスタートしました。
前回は、総論的に、地湧きの思想を実践的に提唱してきた増田さんの祖父の和田重正さんと父の増田正雄さんについてお話をお聞きしましたが、今回から実際にテーマを設定して増田さんと話し合うことになりました。
今回、増田さんから出されたテーマは、「代理価値と真理」「バーチャル(虚構)とリアリティ(真実)」です。
いずれも「地湧きの思想」にとっては重要な概念です。
この増田さんのサロンは、何かを講義してもらうというよりも、増田さんと一緒に考え、それぞれが「自覚」していくというスタイルですので、報告がなかなか難しいのですが、以下の報告(次回以降もですが)は私の個人的な解釈による報告なので、増田さんの意図にそぐわないかもしれません。でもサロンを重ねることで、私も「地湧きの思想」に徐々に近づけると思いますので、しばらくは時にピント外れの理解があるかもしれませんがお許しください。
よほどひどい誤解や曲解の時には修正してもらうように増田さんにお願いしたいと思いますが、あえて事前に増田さんの確認を受けずに、報告させてもらおうと思います。
誤解や間違いは、時に重要ですので。
「人知の舟」に乗って生きていると、どうしても「代理価値」に先導されがちです。
ここで代理価値とは、「モノやコトの価値を代理して目にみえるようにしたもの」ですが、一番わかりやすいのはお金です。お金は、様々な価値を一時的に代理したものです。
目に見えない信仰のようなものにも「代理価値」はあります。たとえば、宗教の宗派も代理価値ですし、神事祭儀も高価な壺も代理価値かもしれません。
「ことば」もまた、代理価値を生み出す最たるものです。湯島のサロンでも、時に言葉による空中戦が展開されますが、言葉をいくら巧みに使っても、「真理」には近づけません。それで、なんとなく「わかり合えた」気になったとしても、実際には何もシェアしていないこともある。「代理価値」と「真理」とは別物であることをしっかりと自覚しないと、代理価値に振り回されてしまう。
ことばについては、増田さんは「理念のことば」と「コトことば」があると言います。理念のことばは、その言葉が指し示す対象の意味を表現するのに対し、コトことばは、存在そのものを指し示します。
私は、理念のことばには誰にもに通用する価値(意味)が含まれていますが、コトことばにはそれを使った人(話した人と聞いた人それぞれ)にとっての価値(意味)があるとしても、ただ「存在」を表現しているだけであり、そのことばが人を呪縛することなどは起きないと受け止めました。でもそこから、相互に何かを得ている。
ちなみに、存在と存在物とは違います。増田さんは、クロッカスの花を見て、「いのち」を感じてほほ笑んだという話をしてくれましたが、以前湯島でやった金子さんの「無門関」サロンでの「拈華微笑(ねんげみしょう)」の話を思い出しました。
代理価値は人間が創り出したものであり、約束事と言ってもいいかもしれません。
しかし、創り出すということは、そこに「誰かの意図」があるということです。
そして、そのことがバーチャルの世界を生んでいく。いや広げていく。バーチャルが広がるとリアリティが消えていく。いのちのつながり、自然とのつながりが切られていく。そして、主体性を含めて、自らのいのちさえもがのみ込まれていく。
すり替えられた代理価値の中で生きていると、主体性、内発性がだんだんと衰弱し、生きる活力が失われてしまう。身体は単なる制約になりかねない。それでいいのか。
代理価値からできるだけ離れ、リアルな実体のなかで生きていくには、どうしたらいいか。身体性を取り戻し、自然とのつながりを回復し、生命に根ざした生き方を取り戻そう。それが増田さんからの今回のメッセージだったような気もします。
私は今回、「価値」とは何だろうと考えるきっかけをもらいました。
これまでは「価値」という言葉に肯定的な意味だけを感じていましたが、どうもそうではないのではないかという気がしてきました。
まあそれは今回のサロンでの私の個人的な気付きのひとつですが。
地湧きの思想を書いた地湧社設立趣意書の最後にはこんな記載があります。
ちなみに、この趣意書が、今回の増田サロンの基本テキストになっています。
http://www.jiyusha.co.jp/shuisho.html
生命に根ざした生き方をしている、あなたを含めたその人達は、社会の表面に露われてはいませんが、しかし一本の地下水脈でつながっています。この地下水脈はやがて地表に湧きだし、人類の生命の根源の水となり、人々を潤し、旧い人々が想像するような激しい変化ではなく、もっと静かに、しかし確実に、この世の変革を遂げるに違いありません。自覚の時代が始まっています。
そして趣意書では「自覚の人々」が増え始めてきたと書いてあります。
この趣意書が書かれたのは1982年。もう40年以上前です。
たしかに当時はそんな予兆があった。でもその後、21世紀に入って流れはまったく逆転してしまった。私はそんな風に感じています。
だからこそ、増田さんにこの連続サロンをお願いしたのです。
ぜひ多くの人に継続して参加してほしいサロンなのです。
ちなみにサロンではほかにもいろんな話題が出ました。
カルロス・カスタネダや老子の名前も出てきましたが、今回はそこまで話は進みませんでした。
また、むかしは人々は大地(自然)を通してつながっていた。それも代々つながっていたという話もありました。
見えないつながりが世界を覆っていた。私は、最近、時々湯島のサロンで話題になる菌根菌ネットワークに支えられている植物の世界を思い出します。あれは決して植物だけの世界の話ではない。
日本では「自然」を「ジネン」と読んで、「おのずとそこにある」また「おのずとなる」もの、おのずから万物の調和をもたらすものという捉え方がされていましたが、そうした「ジネン」な生き方こそが、地湧きの思想を生きる生き方なのでしょう。
いまのように代理価値が溢れるなかで、「ジネン」に生きるのは難しい。でも、だからこそ、それを意識しないといけないのだろうと改めて思いました。
次回のテーマと日程が決まったら案内させてもらいます。
ちなみに蛇足ですが、これも先月から始まった遠山さんの「社会心理学講義」をテキストにした連続サロンとのつながりを感じます。よかったらいずれのサロンにも顔を出してみてください。
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