■湯島サロン「原爆をテーマに自由に話し合うサロン」報告
今年の8月は広島・長崎への原爆投下日に合わせて「原爆をテーマに自由に話し合うサロン」を開催しました。年によっては、8月15日の敗戦記念日に合わせて「戦争と平和」を話し合いますが、今年は原爆に焦点を合わせました。
核兵器の捉え方が、最近、一変してきているような気がするからです。
ちょうど同じ時期に、最近接点ができた、文京区原爆被害者友の会(文友会)が近くの文京区シビックホールで核廃絶を訴えて「原爆の図展」を開催していましたので、それにも合わせる形にしました。
しかし、この日は原爆に関心の強い人は独自の活動で忙しいですからなかなか集まってもらうのは難しいです。湯島サロンによく出てくる原爆に関心の強いおふたりの人も、いずれも長崎に行っていました。
暑さもあって、参加者は私を入れて5人と少なかったのですが、全員、「原爆の図展」にも行け、4人はその会場で行われた文友会事務局長の吉重さんの体験談の話も聴けました。
さらにサロンには出られませんでしたが、吉重さんの講演だけは聞きたいと仕事の合間を駆けつけてくれた人もいました。
人数こそ少なかったですが、こういう時間をシェアできたことがとてもうれしいサロンでした。
しかもサロンには最近文友会の役員になった方も参加し、ご自身の体験談を突然に語りだしてくれました。これはサロンの場が引き起こした予期しなかったことかもしれません。湯島で時々起こる感動的な場面です。
その人は、ずっと被爆体験を心の底の「海溝」に沈めていたと話してくれました。
その人とは長い付き合いですが、私もはじめて聞く話です。
その人が、「被爆者として何ができるか」の問題提起をしてくれました。
平和式典や語り部活動を80年近く続けてきていますが、事態はそう変わっていないばかりか、また核抑止力が論議されだしている。それでいいのか。
平和式典も語り部活動も、手段であって目的ではない。
改めてその意識を強く持ちました。
ちなみに私は、広島や長崎での被爆体験はありませんが、日本人としての被爆感覚はあります。ですから「被爆者として何ができるか」は、私の問題でもあるのです。
できれば年内にもう一度、原爆をテーマに自由に話し合うサロンを開催したいと思っています。話題提供してくださる方がいたらご連絡ください。
サロンでの自由な「話し合い」は、いつもながら私にはいろんな気づきをくれるものでした。今回は、先日の絵本サロンのことが頭に残っていたせいか、ロゴスではなく、絵本や詩で何かできないかと思いました。
そういえば、サロンを何回かやってくれた岡和田晃さんが、『広島・長崎・沖縄からの永遠平和詩歌集』(コールサック社)の刊行記念で、ご自身の「病院に爆弾を落とすな!」を朗読して来たとフェイスブックに投稿していました。
それを思い出して、その作品はネットで読ませてもらいました。
https://webafghan.jp/20231225_okawada/
その最後にこんな呼びかけがありました。
詩の影響力は微々たるものかもしれないが、
ゼロを1にするだけの決定的な力があり、
それこそが、詩が畏怖される原因なのだ、と!
私にもできることがあるかもしれません。
いや、誰にもできることはある。みんながそれに気づくために、こうした話し合いの場をこれからも続けていきたいと思います。
湯島のサロンも、平和式典と同じで、手段であって目的ではないのです。
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