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2024年9月

2024/09/29

■第3回増田サロン「老子は静かなロックだ 老子の思想と地湧きの思想」報告

増田圭一郎さんの「地湧きの思想」サロンの3回目は、『老子』を取り上げました。

地湧きの思想は『老子』の思想に深くつながっていますが、それは案内文でも書いた「老子は静かなロックだ」という増田さんの言葉に象徴的に現れています。
私の主観的な理解ですが、『老子』も「地湧きの思想」も、静かですが、その静かさゆえにこそ、心を解放し高揚させながら、能動的に身心を落ち着かせる。「静かさ」の持つ「深さ」と「永続性」が、老子の思想と地湧きの思想をつないでいるのかもしれません。

『老子』がテーマということもあってか、参加者はいつもより多く、しかも増田サロン初参加の方も多い多様な顔ぶれになったのも印象的です。
『老子』はいまなお人気のようです。

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まず増田さんは『老子』に関して簡単に解説してくれた後(各章のメッセージをまとめた資料も配布)、『老子』冒頭の4つの章を読んでくれました。それも、それぞれに2つの日本語訳を対照させながら紹介してくれました。
『老子』と、王明訳(『老子(全)』)と加島祥造訳(『老子新訳 名もない領域からの声』)です。いずれも増田さんが関わった地湧社版です。

『老子』冒頭の第1章は、「道可道非常道 名可名非常名」ではじまります。
中国人で詩人の王名さんは、「これが真理(タオ)だと口にしたところで、それがトータルで絶対的な真理(タオ)ではあり得ない。何かあるものを名付けてみたところで、すべては変化の中の、ひとつの過程にすぎない」と訳しています。
ちなみに王名さんは、日本語訳の多くの『老子』を読んで違和感を持ち、改めて『老子』原文をネイティブな詩人の感性で訳し直したのです(『老子(全) 自在に生きる81章』地湧社)。

その第1章に、王名さんは「不思議の不思議」と章題をつけています。続けて第2章は「美しさと醜さ」です。そこでは、「美として認識するのはすでに醜さが存在するからである」というように、二元論を超えた相体観が語られています。
さらに、第4章(道は「万物の宗主(すべての根源)」)と第6章(死を越えた母性の永遠性と深遠な受容性)が読まれました。

増田さんは、『老子』を概念的に「知る」のではなく、『老子』に直接触れることで、「道」(タオ・真理)を「感じ」、そこから「タオはジネン(自然)そのもの」であり、自然natureと対峙するのではなく、人も共にあるジネンのなかで自分を素直につらくことを大事にする「地湧きの思想」へと誘ってくれたように思います。

自分を包み込む全体と一心同体である自分を意識すれば、小賢しさや不安は消えていきます。そして素直に生きていける。私自身、そういう実感を持っていますが、「地湧きの思想」は自らから生まれてくる「ジネン」に身を任せる思想なのかもしれないと思いました。これは増田さんの言葉ではなく、私の感想ですので間違っているかもしれません。

いずれにしろ、『老子』の根底にあるのは「世俗的な価値観」の呪縛からの解放です。
増田さんも、「『老子』は、現在私たちがあらゆる目くらましに逢っていることを喝破し、常識の枠をはずしてくれる。そして、根源である「道(タオ)」や自然の理を説きながら、それに逆らわないことによって自分のなかから自然と力が湧くことを気づかせてくれる」とご自分が主宰する雑誌に書いています。
これは、「地湧きの思想」のことなのかもしれません。

こうした増田さんの話に示唆されて、いろいろな話し合いが展開しました。
私自身はつい若いころのヒッピー運動やその後のタオイズム・ブームなどのことを思い出しながら第1章に見入ってしまい、話し合いにあまり参加できずにいましたが、自然とジネンの論議もあれば、宗教論もありました。最近、中国に行ってきた人からはライブな『老子』体験の話もあったような気がしますし、クリスチャンによる『老子』の解説もあったような気がします。タオイズムの話もあったような気がしますが、でもいざ報告を書こうと思うとなぜか思い出せません。困ったものです。

参加されたどなたかフォローしてくれませんか。

最近のサロンはなぜか内容が近似してきて、私の頭の中で融合してしまっているのです。そのため、私自身混乱してきている。すみません。
とりわけ今回の増田さんのサロンと続いて行われた遠山さんの「社会心理学講義」のサロンの内容はつながっています。私はメモを取るのが苦手なので、私の中ではどちらででた話なのか区別がつかなくなっています。すみません。

増田さんは配布した資料に、『老子』に出てくる、よく話題になる言葉、「上善水の如し」とか「足るを知る」「小国寡民」など、10の言葉も紹介してくれていますが、これに関してはきちんと話し合うところまで行きませんでした。増田さんは、それぞれを自分で考えるように仕向けたのかもしれません。
しかし、このいずれかを切り口にして、「地湧きの思想」を話し合うのもいいかもしれません。そもそも『老子』は1回で学べるようなものではありません。今回はあくまでも入り口で、次回はこれをベースにさらに「地湧きの思想」に踏み込んでいければと思います。

増田さんがまとめた『老子』に関するメモを添付させてもらいます。

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とてもわかりやすくまとめられています。関心を持ったら、ぜひ王名さんか加島さんの『老子』に進んでみてください。そして「地湧きの思想」にまで。

次回の益田サロンは11月4日(文化の日の振り替え休日)を予定しています。
テーマが決まり次第、案内させてもらいますので、関心のある人は日程だけでもおさえておいてください。

 

 

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2024/09/28

■いま必要なのは「政権交代」ではなく「政治の転回」

立憲民主党代表選につづいて、自民党総裁選が終わり、次期首相も決まりました。

こういう時の予想はいつも私は間違うのですが、今回はいずれも予想通りでした。
しかし要するに、いずれの結果も政治は変わらないということを意味するように思います。
でもまあ若い世代や女性が選ばれて、それで「政治が変わる」などと勘違いするような事態が避けられたのはよかった気がします。
そんなことで、政治は変わったと思ってしまうとそれこそ何も変わらないままみんな満足してしまいそうですので。
政権交代も、いまの立憲民主党が主軸になる政治への政権交代であれば、結局何も変わらないでしょう。

いま必要なのは「政権交代」ではなく「政治の転回」だと私は思っています。
つまり政治の「パラダイム転換」です。
湯島のサロンでも、時々、それに関してサロンを開いていますが、残念ながらほとんど伝わってはいないでしょう。でも実際には、いまじわじわと進んでいる気がいます。
そうした動きは、中央政治からは起きないでしょうが、生活圏での政治では起きている気がします。

もちろん残念ながら大勢は、むしろ逆走していますが、政治のパラダイム転回に向けての小さな芽が育ちだしているということです。若い世代によって。
だから私は未来に対してとても楽観的です。

昨日も湯島で、政治関係の集まりをやりましたが、「政治を変えよう」と頑張っている人たちが本当に政治を変えたがっているのかどうか、いささか疑問になってきました。
政治を変えるのは言説ではなく行動です。

総裁選に関連して、いろんなメッセージや情報がメールなどで私にも届きますが、そのほとんどが「相手を批判」する内容です。「否定」からは何も生まれないというのが私の信条ですので、そろそろ自己満足的な言説はやめて、小さくてもいいから実践しようよと言いたい気分です。

でもまあ、立憲民主党はともかく、自民党総裁はまあ安心できる結果になってよかったです。何もやらない政治をもう少し続けるもいい気がします。機が熟さないと本当の変革は起きませんから。
立憲民主党は泉さんと吉田さんが組んで世代交代してほしかったですが、小沢さんがまだ未練を残していたようで、それがいささか残念ではあります。でも、小沢さんもまだ、機が熟していないと思ったのかもしれません。

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2024/09/25

■節子への挽歌6164:時評編をできるだけ書こうと思います

節子

このブログはもともとは「時評」を主な内容にするつもりでした。
ところが節子が亡くなった殿を機に、挽歌編が入ってきた。
挽歌編は毎日書くようにしていました。
それでまあ気が紛れていたこともある。

その頃はむしろ「挽歌編」と「時評編」が相まって、ゾーエとしての思いとビオスと考えを重ね合わせるところに意味を置いていました。
しかし、ゾーエは次第に日記になり、ビオスはサロンの案内と報告になってきた感がある。
最近はあまり時評的なことを書くことがなくなっていたのです。

でもやはり社会への目を曇らせたり、見過ごしたりしてはいけない、と最近思いなおしだしました。
それでまた時評を再開しようと思います。
あまりにひどい世相とはいえ、やはりそこから逃げることはできません。
酷い世相をつくっていることと私の生き方は決して無縁ではないからです。

自らの生き方を質していくためにも、がんばって時評を書くようにしようと思います。
節子がいたら、もっと書く材料がたくさんあるのでしょうが。
ある意味で、節子は私よりも世界が広がったですから。

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■湯島サロン「私たちは外国の人たちをどう扱っているのか」報告

今年の6月、入管難民法が改正されました。
あまり話題にはなっていませんが、日本政府(海外の人から見たら日本人)が外国人をどう扱おうとしているかが象徴的に現れている改正だと思います。そしてそれは、単に「外国人」だけではなく、国籍を通して、日本政府が人々をどう位置づけているかも示唆しているような気がします。
つまり「政府」と「国民」との関係が象徴されていると言ってもいいでしょう。

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案内文にも書きましたが、日本の出入国在留管理は以前から国際的な人権権利からの乖離が問題にされていましたが、今回の改正に関しても、国連の人種差別撤廃委員会が是正を求めてきています。
特に永住外国人の永住権の取り消しを容易にする改正に関しては、対象となる在日外国人にとってはまさに生活を脅かしかねない問題であり、在日中国人の団体である横浜華僑総会からも廃止の要請が出されています。

今回は、横浜中華街の華僑や華人との長年の付き合いから、そうした動きに関わってきている根本英明さん(自在株式会社代表)に、お話をお聞きしました。
とても考えさせられる話で、サロンどころではなく、公開フォーラムを企画したくなったほどの内容でした。

そもそもこの問題は、以前から問題を指摘されていた出入国管理や難民認定法、そして外国人技能実習生制度などに関する法改正から始まった話です。ところが、その改正法(令和9年から施行)の中に、いつの間にか、外国籍者の永住資格を取消す規定が設けられていたのです。法改正に関する有識者会議も行われていたのですが、そこでの議論は全くなく、もちろん日本国籍を持たない当事者たちにも事前の話がないままに、法改正が行われたのです。そこに最近の日本の立法状況が象徴されています。

サロンでは、そうした経緯とともに、「永住者とは何か」「永住資格を得るためには何が必要か」、また今回新たに加えられた「永住権取り消し事由とは何か」についての説明の後、こうした「改正」のどこが問題なのかを根本さんは解説してくれました。

改正法の内容もさることながら、今回のように有識者会議を立ち上げておきながら、そこでは全く議論していなかった内容を、しかも、直接影響を受け得る関係者に無断で、改正法に立法当局が付け加えることに大きな問題があると根本さんは言います。確かに考えてみれば、恐ろしい話です。いつ私にも降りかかってくるかもしれないからです。たまたま今回は、外国籍・無国籍市民が直接の対象ですが、いつ矛先が日本国籍の「国民」に向けられるかもしれません。

永住者や永住資格、あるいは資格取り消しに関しての説明は省略します。
もし関心のある人が多いようであれば、改めての勉強会を企画します。
関心のある方は是非ネットでお調べください。
日本の政府の姿勢がわかります。
日本政府は、言葉では「共生社会の実現」とか「外国人労働者の選ばれる国」などと言っていますが、この改正法はそれとは真逆の方向を向いているのではないかと根本さんは言いますが、同感です。

話し合いでは、そもそも「外国人・日本人とは何か」という話から、この法改正の裏には日米合同委員会があるのではないかなどという話まで、湯島のサロンらしく拡散しました。これからの日本は外国人抜きでは回らなくなっていくのではないかという話題も、賛否両論でした。
私自身は、政府から国籍や永住権を与えられたという意識はないのですが、法制度上ではそうなっているのだと思うととても不思議な気がしました。
改めて「国籍」ということに関心を持ちました。

根本さんは最後に、以前、九州国立博物館に行った時に建物に掲げてあった言葉だと言って、次の言葉を紹介してくれました。

「海を越えた出会いが日本文化を形づくり、世界を広げていった」。

「日本人」とか「外国人」などを意識せずに、私たちはもっと海を越えた世界の人たちと自然に触れ合いたいものです。

サロンでは、出入国在留管理に関わっている人たちの意識(過剰な国防意識)のことも問題になりましたが、もしかしたらその「意識」は私たちみんなもまだ持っているのかもしれません。湯島のサロンでも、よく、「日本人は…」という発言がありますが、そのたびに私は「日本人って誰のことだろう」と首をかしげます。
これに関しては反論が多いとは思いますが、自分の意識も含めて問い直したい気がしました。

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■「愛国心」

自民党総裁選挙で小泉進次郎さんが、なんと「愛国心」を持ち出したようです。
「愛国心」ほど、多義的で正反対の意味を持たせられる言葉はないように思います。
小泉進次郎さんが「愛国心」などというと、ぞっとしますが、「愛」という文字は私は大好きです。

最近読んだ、スラヴォイ・ジジェクの「戦時から目覚めよ」(NHK出版)で出合った一文はとても共感できます。

「愛国者、つまり自国を心から愛する人物とは、自国がひどい行いをしたときにそれを心から恥じる者のことを言う。『正しかろうが間違っていようが、私の国だ』という考え方ほど恥ずべきものはない。」

愛国者に関して書かれていますが、「愛」の本質を語っているような気がします。

この基準で考えれば、世に語られている愛国者や愛社精神の多くは、むしろ「愛するものへの背任行為の勧め」です。なんと「背徳的な政治家」の多いことか。そういう人に限って「愛国」という言葉を使います。

明日の927日、湯島で「あなたはなぜ戦争が嫌いですか」をテーマにサロンを開きます。
私自身は、戦争は嫌いですが、にもかかわらず私の体内には「戦争が好き」の心があることも知っています。だからこそ、常にその心を抑え込んでいるのですが、時に暴発してしまいます。そして無駄な結果に終わる「論争」や「非難行為」をしてしまっている自分に気づくこともあります。
まあそうしたことの集合的行為が戦争につながっていくのでしょう。

友人から勧められて読んだ、ジル・ボルト・テイラーの『奇跡の脳』(新潮文庫)にはこんな文章がありました。

「右脳の個性の最も基本的な特色は、深い内なる安らぎと愛のこもった共感」。

ジルは、脳卒中に襲われた若き脳科学者です。幸いに一命は取りとめたのですが、脳の損傷を受けた体験をとてもわかりやすく書いてくれています。
右脳と左脳の働きに関してはいろんな意見がありますが、ジルの体験からのこの言葉には右脳派を自認している私としてはホッとさせられます。
でもこれは必ずしも通説ではないでしょう。
むしろ左脳でこそ、戦争は抑えられると考えている人の方が多いでしょう。
私もつい数年前まではそう思っていましたし。

ところで、ジジェクの『戦時から目覚めよ』には、映画『サラエボ・サファリ』の話が出てきます。
ご存じの方も多いと思いますが、ここに登場するおぞましい人たちは右脳人間でしょうか、左脳人間でしょうか。
https://www.youtube.com/watch?v=QkTZYjL_8f8

 

 

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2024/09/24

■節子への挽歌6163:84歳というのはやはり高齢なのでしょうね

節子

84歳というのはやはり高齢なのです。
みんなが心配してくれるのが最近ようやく納得できるようになってきました。
もう少し高齢者としての自覚を持たなくてはいけません。
この1か月ほどの体調不良は、やはり治すよりも慣れる方がいいのかもしれません。
そんな気もするようになってきました。

私は同じ立場で付き合って話しているのに、時に後で丁寧なお礼のメールが来たりすることもあります。
私は昔から年齢を実感できないタイプなので、相手も自分と同じと詩だろうなどと思っていても、20歳も離れていることもあります。
20歳離れていても、私はほとんどその意識はないのですが、やはり先方にとっては私は人生の先輩のように感ずるのかもしれません。

昨日も気楽に会った友人が、「自分の気持ちが、決まらぬまま、相談した事を後悔しています」などとメールしてくるとなんだか調子がくるってしまう気もします。
でもまあ私は、やはり人生の先輩に見えるのだろうなと思わざるをえません。

歳など感ずることなく、付き合いたいものです。
人生には先輩も後輩もない。
たかだか数十年の違いなど、大した差でもないのですから。
しかしこういう風に考えること自体が、たぶんすでに常識からずれているのでしょう。

節子
人と付き合うのは難しいです。

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■湯島サロン「犯罪のないまちづくりを探す旅」のご案内

犯罪のないまちは、たぶん誰もが快適に暮らしている町でしょう。
そんなまちがあれば、私もそこの住民になりたいと思います。
私も、20年ほど前、「誰もが安心して気持ちよく暮らせる社会」を目指すコムケア活動に取り組んでいました。そこで行きついたのが「ケアコミュニティ」で、そのためにさまざまな活動に関わり、それがいまの湯島のサロン活動につながっています。

最近、湯島のサロンに時々顔を出してくれる森田さんは、「犯罪のないまちづくりを探す旅」をつづけている人です。
その森田さんに今回、お話をしてもらうことにしました。
森田さんからのメッセージです。

昨年から、日本で仕事をしながら、毎年約2か月間、治安のいいと言われている国でホームステイをしながら、どうして治安がいいのかを探して旅をしています。文献だけでは足らず、実際にその国へ行き、自分の目と肌で確かめたい気持ちから、アイスランドの第2の都市アークレイリやポルトガルの歴史村カステロ・ノーボに滞在しました。11月にはデンマークに滞在する予定です。

コロナ禍が解消され、海外に行けるようになったことから始めているので、このテーマで滞在した国はまだ2か国。まだまだ旅の途中で、犯罪のないまちづくりの要素について、模索途中です。

小学時代に、TVで青少年の犯罪がニュースで流れ、気持ちが激しく動き、どうにかしないといけないという気持ちを強く持ってしまったのが始まりです。
大学では警察官を目指していましたが、犯罪抑止を警官としてではなく、1人の国民・市民として、犯罪という言葉・概念すら生まれない「まちづくり」をするべきだと思ったので、その道には進まず、それから色々あり、犯罪心理学の文献を読んでいましたが、解決の糸口が見つからずにいたとき、イタリアに行った後に、もっと多くの国の街を見ないといけないという気持ちになっていたことを思い出し、すでに答えのある治安のいい国に、まず行ってみるという考えに移行し、この旅が始まりました。

今まで学んできたなかで、色々なことが見えてきましたが、また新たな疑問も見え、それらについて調べている日々です。

以上が森田さんのメッセージです。

今回は、これまでの活動から見えてきたこと、あるいは見えなくなってきたことなどを、森田さんに話してもらい、みんなで「犯罪のないまち」をどうやったら実現できるのかについて話し合えればと思います。

ちなみに、森田さんはこれまでの旅の記録を最近Instagramで公開してくれています。
森田さんの思いが伝わってきますので、ぜひご覧ください。
https://www.instagram.com/dandelion_thick_gray_cloud_and/

犯罪のないまち、誰もが安心して気持ちよく暮らせるまち。
いうまでもなく、それを実現するのは私たち一人ひとりです。
森田さんの話をもとに、みんなでそんな社会の条件を話し合い、その実現に向けての
小さな一歩を、それぞれが踏み出せればと思います。

みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2024年10月19日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「犯罪のないまちづくりを探す旅」
〇話題提供者:森田愛さん(農都共生総合研究所研究員)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■中国深圳での日本人学校の男児刺殺事件に思うこと

中国深圳での日本人学校の男児刺殺事件は、私にとってはこの数日に中で一番大きな事件でした。
現場に花束を持って追悼に来た中国の男性が、この事件で中国人のことを決めつけないでほしいと言っていたのが心に残りました。
残念ながら多くの日本の人たちは、この男性の危惧の通り、中国や中国人への不信感を高めているように思えます。

岸田首相は襲撃を「極めて卑劣な犯行」とし、「中国側に対し、事実関係の説明を強く求めていきます」と発言しています。
「中国側に対し・・・求めていきます」という発言にも私は違和感を持ちます。
なぜならこれは中国だけで起きている問題ではないからです。
せめて中国側と一緒になって、状況改善に取り組んでいきたいという姿勢を持ってほしいと思うからです。

もちろん中国政府の姿勢には問題を感じます。
事件の詳細があまり報道されていないことにも問題を感じます。
でもこれもまた別に中国が特別の訳でもないでしょう。日本でも状況はさほど変わっていないと思います。

しかしその一方で、事件が明らかになってくるにつれて、被害男児を追悼する動きが広がっているようで、そうしたことには安堵します。
こうしたことは、どこの国であろうと自然に起こる人間の本性だからです。
政府は信頼できずとも、人間は信頼できます。

こうした事件を、政府はそれぞれの思惑から事実を隠蔽しながら有利に利用しようとしますが、国民、というか個々人の立場からは、中国とか日本とかとは関係なく、同じ動きが起きるのです。
そのことを改めて思い知らせてくれる事件です。
だから私には、最近一番心に残る事件なのです。

 

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2024/09/23

■節子への挽歌6162:好転の兆し?

節子

昨夜は比較的、あくまでも比較的ですが、よく眠れました。
もしかしたら、昨日、にこのせいで、というか、おかげで、4キロ歩かされたからかもしれません。
久しぶりに小走りもさせられたので、走るのもいいかなと思いつきました。
散歩もいいけれど、ジョギングもいいかもしれない。しかしジョギングとなると、サンダルは向いていません。裸足がいいですが、やはり裸足で走るのはいささか危険です。

今朝は肌寒さを感ずるほどです。
自然のこうした大きな変化に触れていると、自分の身心の不調など、あまりにも些末なことのように思えてしまいます。
今日は朝のルーチンを回復できました。

いい方向に転ずればいいのですが。

 

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2024/09/22

■節子への挽歌6161:にこに4キロも歩かされました

節子

体力強化のために、エネルギー重視の食事にシフトしようとにこを食事に誘ったのですが、今日は鰻や肉の気分ではないと言って回転寿司になってしまいました。
誘った以上断れず付き合うことにしましたが、どうせなら歩いていこうと提案しましたが断られました。
しかもご指定のお店は我が家から一番遠いスシロー。仕方なく私だけ歩いていて、いま到着。車で行った家族は先に着いていますが混んでいて待っていました。それから20分ほど待ちました。
でも途中の散歩はいつもとは違って新鮮でした。特に今日は夕焼けが美しかった。
6号線の歩道橋の上からしばらく見惚れていたほどです。

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最近の回転寿司には肉メニューもあるので、それでも頼もうと思ったのですが、どうも食欲がわかないものばかり、でいつものように、貝とタコ・イカを中心に隊見ました。一方、にこはいつもと違い今日はあまり食が進まない。遊び疲れでしょうか。

冗談でにこに歩いて帰ろうかと言ったら、意外にも素直にいいよと言います。それで帰りも歩く羽目になりました。疲れていたので、帰りは自動車で帰りたかったのですが、これまた言い出した以上仕方がない。

ところがスシローを出たらにこは走り出しました。それはルール違反だろうと思いましたが、暗い夜道、一人ではいかにも心配です。仕方なく私も走ったのですが、やはりついていけない。諦めました。
にこは私が追い付きそうになると走り出す。10メートルほどの距離を置きながらなんとか自宅にたどり着きました。
汗びっしょりです。
実に小憎らしい孫です。祖父に似ずに、性格が悪い。困ったものだ。

でもまあ今日は、いつもと違って回転寿司定番の最後のフライドポテト(私にはこれも気に入りませんが)で一番大きなのを私にくれたので、許すことにしましょう。

でもとんだ夕食になりました。
歩行歩数は6000を越しましたが。

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■節子への挽歌6160:一気に秋になりました

気温が秋になりました。
相変わらず湿度は高いですが、暑さは感じない朝です。
「攻めの戦略」はうまく行っていますが、そのおかげで朝のルーチンはかなり乱れています。
そもそも起きる時間が最近は定まりません。
祈り・重曹水・ジュースは守っていますが、テレビ体操や入浴は抜けがちです。
でも朝の入浴もやりやすくなってきました。

荒れているのは私の生活だけではありません。
今日の天気はかなりの荒れ模様です。
散歩に出かけられそうもない。
FBには動画をあげましたが、かなり荒れている。
家のなかの階段の往復くらいしかできません。

長椅子に座ってテレビを見ていたら、いつのまにか寝てしまっていた。
最近はよくある風景ですが、全く生活が緩みっぱなしです。

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■身体力向上への取り組み3:誰を信ずるか

攻めに転ずることにしました。
と言っても、まあ大した攻めではありませんが。

まず食生活をこの1週間、エネルギー重視にしました。
いつもは野菜ベースの粗食ですが、今週はちょっと体力がつきそうな食事にしようと思います。苦手の肉も、高価で手が出にくい鰻にも挑戦です。昨日は娘がいつもの野菜スープを肉団子スープにしてくれましたが、頑張って食べました。焼き鳥まで食べてしまいました。

要はいつもあんまり食べないものを食べようと思います。しかし、それで果たした体力がつくのかどうか。
しかし、そもそも何を食べたら体力がつくのか考えつかない。普段の食生活が貧しいからでしょうか。何しろ普段は野菜と果物があれば満足ですから。

歩くのに加えて、階段の上り下りをしようと思います。これもまあ家の階段ですが、1500段目標です。散歩距離も延ばして目標歩数は5000歩。
足腰運動は30分を毎日3回。これはすでに昨日から行っています。毎朝10分のテレビ体操も録画にとって12回。

フェイスブックには書きましたが、昨日から早速散歩時間は倍増しました。
そのおかげで昨日は思ってもいなかったハプニングがありましたが、散歩時間が長くなるといろんなことが起こるかもしれません。
これもはたぶん精神面での元気づけにつながるでしょう。

もっとも「攻め」がいいとは必ずしも言えません。
FBの投稿へのコメントで、佐藤祐子さんがご自分の体験から、「身体が発信しているサインには充分お気を付けなさってくださいませ」と書いてくださいましたが、私も「身体からのサイン」は一番大事にしています。
黒田さんも、「攻めについてはくれぐれもご無理なさらずに冷や水?になりませんように」とアドバイスをくれました。

 だから「攻め」と言いながらも、身体からのメッセージにはいつも以上に気遣いながらの攻め戦略なのです。
実際にすでにいくつかのサインは受けています。
足腰運動は逆に腰が痛くなったりしているので、慎重に取り組んでいます。
夜眠れない時には、無理に寝ようとはせずに起きてパソコンや読書をするようにしています。

私の場合、「身体の私」と「心の私」と「意識の私」と、その3人を客観的に見ている「4人目の私」が認識できていますが、この一週間は「身体の私」が主役です。
まあ、ほかの2人がおとなしく従うかどうかは保証できませんが。
でもまあ、身体が壊れたら元も子もないので、みんな身体は大事にするでしょう。

さらに問題は今日の天気です。
雨風で荒れていて散歩に出かけられる雰囲気ではなありません。
これは自然からの警告でしょうか。

最近、時々、「5人目の自分」を感ずることがあるのですが。
でも午後には晴れるでしょう。

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■6159:熊次郎さんと出会いました

節子

朝、ユカと一緒にお彼岸のお墓参りでした。
にこ親子は朝から友だちのイベントに参加で忙しい。

午後、少し長めの散歩に出かけました。
久しぶりに船戸の森まで足を延ばしました。
しかしやはり歩くのがきつく、途中で休みたくなったほどです。
でもなんとか船戸の森にたどり着きました。
そこで戻ろうかと思ったのですが、せっかくなので森の上まで上がってみました。

そこで思いもしない人に出会えました。
銀次郎さんです。
熊次郎さんと言えば、知る人ぞ知る数年前に江戸時代からタイムスリップしてきた人で、いまこの辺りにしていることは漏れ聞いていました。
まさかこんなところでお会いできるとは思ってもいませんでした。
刀を手に持っていたので、お仕事ですかと訊いたら、いまあるものをたたき切ってきたと言います。驚きましたが、幸いなことに斬ったのは人ではなく、物でした。
その成果は後でユーチューブでアップするそうですが、何やら楽しそうなお仕事です。

私が親しくさせてもらっているのは、熊次郎さんではなく、その子孫の櫻井さんなのですが、熊次郎さんと直接ゆっくり話すのは今日が初めてです。
せっかくなので写真を撮らせてもらいました。
私も刀を借りて、カメラに向かいました。
銀次郎さんは、ユーチューバーを目指しているので、慣れたものです。

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熊次郎さんとお会いできたので、なんだか元気が出て、帰りは疲れを感ずることなく、歩けました。
結局、今日は6000歩を歩きました。
「攻め」の戦略への転換はうまく行きそうです。

 

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2024/09/21

■第5回中国現代文学サロン「徐則臣『養蜂場旅館』」のお誘い

第5回中国現代文学サロンの案内です。

今回は前回と同じ作者徐則臣の「養蜂場旅館」(現代中国文学8号 ひつじ書房)を取り上げます。ちょっと謎めいた作品で、寓話として読むと、さまざまなメッセージがもらえる作品です。
開催日は10月13日(日曜日)です。

短編ですので、参加される方は必ず読んでおいてください。
現代中国文学8号はネットでも購入できますが、もし購入ご希望の方がいたらご連絡ください。葉さんに頼んで購入してもらいます。
湯島にも掲載誌を1冊、用意していますので、貸出可能です。
またサロンの当日、希望者がいれば、サロン開始前に湯島に早めについて読むことができるようにしたいと思いますので、希望者は事前にお申し出ください。

案内役は、いつものように中国現代文学翻訳会の葉紅(ようこう)さんです。
参加者それぞれがこの作品から何を読み取ったか、そして葉さんがこの作品をどう読み解いてくれるか、いつも以上に楽しみです。

どなたでも歓迎の、気楽な集まりですので、気楽にご参加ください。
中国の現代小説を読んだことのない人ももちろん大歓迎です。
ただ、参加ご希望の方は事前に連絡をください。

〇日時:2024年10月13日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇今回の作品:徐則臣『養蜂場旅館』(現代中国文学8号 ひつじ書房収載)
〇案内役:葉紅さん(中国現代文学翻訳会会員/駿河台大学教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2024/09/20

■節子への挽歌6158:9日ぶりの湯島

節子

久しぶりに湯島に行きました。
久しぶりに、と言っても、9日ぶりですが、とても「久しぶり」といった気がします。

いつものように、歩くために、御徒町から湯島まで歩いたのですが、途中休みたくなったくらい疲れました。
やはり「疲れ方」が明らかに違います。
何とか湯島に着いたというのが正直のところです。

最近の湯島は、私が行かなくてもいろんな方が出入りしてくれています。
エアエアコンがすでについていて、部屋は涼しい快適な状況でした。
今日、私が正午過ぎに着くのを知っている升田さんが、多分事前に来て涼しくしていてくれたのでしょう。
メッセージに加えて、シャインマスカットまで用視されていました。
メダカが気のせいか、ちょっと少なくなっていました。
アオイホテイはやはり枯れそうです。水温のせいでしょうか。どうも水草はうまく育たない。

久しぶりのサロンは「改正入管法の永住資格取り消し規定に対する懸念」がテーマでした。
10人近い人が集まってくれましたが、とても示唆に富むサロンでした。
公開フォーラムで多くの人に知ってほしい話です。
私たちの政府が、甲斐外国籍の人にどういう姿勢で永住資格を与えているかは、私たちの政府が国民をどう位置付けているかを象徴しているからです。
話をしてくれた根本さんはニーメラーの教訓にも言及しました。

やはり茶色の朝サロンを復活しなければと思いました。
でもどうも体力が戻らない。何かが違うのです。
せっかくいくつかの予定を変えさせてもらって休養に努めていますが、回復できません。
少し戦略を変えて、今日からは「攻め」に転じようと思います。

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■「仕事とは生きること。お金に換えられなくてもいい」

今朝の朝日新聞に千葉県の長南町で活躍している木原さんご夫妻の紹介記事が出ていました。
おふたりには昨年、湯島でサロンをやってもらいましたが、こういう生き方をしている人が湯島のサロン仲間にも少しずつ増えています。

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「仕事とは生きること。お金に換えられなくてもいい」。
サロンの時にも木原千賀子さんは話していましたが、今回の記事の最後にも紹介されています。これこそ私が考えている「仕事」であり、社会の理想です。
最近こういう記事を時々見ることができるようになりました。
湯島のサロンを長く続けていて、本当によかったです。

今日も午後2時から湯島でサロンです。
テーマは「私たちは外国の人たちをどう扱っているのか」。
体験知からのお話が聞けます。
お時間が許せば、ぜひどうぞ。

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2024/09/19

■身心力向上への取り組み2:マインドのリセットはそう簡単ではありません

「身心力向上」に勇んで取り組もうと思ってから10日以上経ってしまいました。
お恥ずかしながら、まだいささか“うじうじ”しています。
まあ一言で言えば、気が戻ってこないだけでなく、どうも体力が安定しない。

毎日30005000歩歩き、時には裸足で草原も歩き、毎日30分前後、足腰強化の体操もしていますが、身体は一向に元気になってこない。それにちょっと無理をするとドサッと疲れが襲ってきて、翌日はダウンしてしまう。要するに踏ん張りがきかない。
近所の人と20分立ち話をしているだけで腰が痛くて座りたくなってしまう。
こんなことで、来春ほんとうに筑波山に登れるだろうか。
やはり年齢には勝てないのではないかなどと、つい弱気になってしまうのです。
常識を克服していくのはやはり容易ではありません。

一番こたえるのは、夜の睡眠がきちんとできなくなってしまった。ともかく頻繁に目が覚めるため、睡眠不足がつづいている。これも「歳のせい」にして諦めかけている。
それに運動をしていて気づいたのですが、身体の骨格がいろいろと曲がりだしている。身体の老化に抗うのは本当に可能なのか、つい迷ってしまう。

まあそんなわけで、100歳宣言をしたのにいささか足踏みしている有様です。
しかしうじうじしていても始まらない。
ともかくもう少し続けます、
どうも前向きのことをかけずにすみません。
でも明日から、とりあえずまた活動を再開します。

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2024/09/18

■節子への挽歌6156:箸ラボ欠席

節子

なかなか身心の調子が戻ってきません。
うまく説明できないのですが、ともかくおかしい。
疲れ方も半端でなければ、精神の安定感もない。いや、それよりも何かをやろうという気が起きてこない。

今日は国際箸学会の箸ラボの日です。
私よりも先に退院した箸学会会長の小宮山さんの快気祝いを兼ねての箸ラボ例会だったのですが、なんだか行っても雰囲気を壊しそうなので、当の小宮山さんに電話して欠席させてもらうことにしました。
ついでに明日の箸タイムサロンも欠席することにしました。
この2日間はともかく身心の回復に取り組もうと思います。

しかしこう長く続くとは思ってもいませんでした。
暑さと歳のせいにしたい気分はありますが、そうしたらますます元気がなくなりそうで、何とかここは抗いたい気分です。

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■湯島サロン「英国の庭園でのボランティア体験」の案内

5か月海外を彷徨してきた仲谷さんの報告サロン第2弾です。
今回は、最後に取り組んだ英国での庭園ボランティア体験の話です。

前回のサンティアゴ巡礼編でもわかりましたが、仲谷さんのこの5か月の海外放浪は、つまるところ「自分探しの旅」でした。
どうも、仲谷さんはいまの自分に満足していないようです。

人は他者との関係性のなかで形成されていきます。仲谷さんも、自分理解は周りの人が自分をどう見るかに大きく影響されると考えています。ですから、これまでとは違う人のなかに身を置けば、新しい自分に出会えるかもしれない。そう思っての5か月だったわけですが、果たしてそれに成功したかどうか。

今回の体験を通して、仲谷さんは改めて「異文化の人に接することにより自己理解を見直せるか」という問いにぶつかっているようです。
「異文化とは何か」「人に接するとはどういうことか」という問いにも私は関心がありますが、問題は仲谷さんが今回の5か月で「自己理解を見直せたのかどうか」が問題です。その答えは仲谷さんしか持っていないわけですが、仲谷さんだけでは確証が得られない、だからサロンを通して、みんなと一緒に考えていきたいというわけです。
同時に、そもそも「アイデンティティ」とか「自己」とは何なのかもできれば話題にしていければと思います。

こうしたこととは別に、英国の庭園や英国では「ボランティア」ということがどのように位置づけられているのかに興味を持っている人もいるでしょう。
そんな話題も含めて、仲谷さんの「自分探しの旅」のサロンにお付き合いいただければと思います。

気楽なサロンですので、どなたでも歓迎ですが、とくに「自分探し」に関心のあるみなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2024年10月12日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「英国の庭園でのボランティア体験」
〇話題提供者:仲谷透さん(視覚文化愛好者)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2024/09/17

■請願権を実現する会キックオフへのお誘い

湯島のサロンでも、これまで何回か請願権を取り上げていますが、請願権を実現する会代表の濵中(榎土)都己さんから改めての呼びかけがありました。

そこで下記の通り、請願権を実現する会の再キックオフ・ミーティングを開催します。
濱中さんからの呼びかけを下記しますので、関心のある人はご参加ください。
当日は、濵中さんから請願権を実現する会の展開構想のたたき台を提示してもらい、それをベースにみんなで話し合い、請願権を実現する会を正式に発足させていければと思います。

〇日時:2024年9月27日(金曜日)午前10時~12時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇呼びかけ人:濵中(榎土)都己、渡辺ビタミン和子、近藤和央、佐藤修
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

〔濱中さんからの呼びかけ〕

日本国憲法では16条にて「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令または改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」と規定して、諸廉権を国民の基本的権利の-つとして保証しています。この請願権は憲法15条の選挙権と同様に、参政権の-つとして国民の声を政治に反映きせる手段です。

しかし、実際にはこの「請願権」制度は有効に機能していません。
この現実を変えたいと、この数年、国会や地方自治体に対して、具体的な問題に関して請願権活動を行いながら、数年前から「請願権を実現する会」を呼びかけ、勉強会なども行ってきました。

さらにこの春、静岡県知事選挙にも、この請願権を政策の一つとして提唱して立候補しました。
しかし、いうまでもなく請願権を有効化するための壁は高い。

そこで改めて、請願権の実効性を高め、国務請求権(受益権)として確立していくための「請願権を実現する会」を強化していくための再出発のミーティングを開催します。

具体的には、たとえば地方自治体に「請願課」の議会基本条例を制定し、「請願課」を設置するように働きかけていく活動や「請願権」をテーマにした公開フォーラムの展開などに取り組んでいければと思っています。
この問題に関心を持っていただける方のご参加をお待ちしています。

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2024/09/16

■節子への挽歌6154:なかなか生活のリズムが安定しません

節子

なかなか生活のリズムが安定しません。
朝のルーチンもさることながら、挽歌もどうも書けない状況です。
夜の睡眠もなかなか正常化しない。
今朝も4時前から目が覚めてしまい、眠れないので起きてしまいました。
しかしだからと言って何かをする気にもなれず、無意味に時間を過ごしてしまっていました。

この頃、困ったことも起こってしまっています。
夜にスマホを時々見るようになってしまったのです。
私は基本的には自宅ではスマホは使わなかったですし、夕方7時から朝の7時までは以前はスマホの電源を切っていたほどです。最近は、電源はそのままで、でもかかってきてもでないというのがルールだったのですが、それはほぼ守れていますが、夜眠れない時についつい画面を見てしまうようになったのです。
つまり枕元にスマホを置くようになったということです。
困ったものです。

でもこれは今日から止めましょう。
ともかく生活のルーチンを取り戻さないといけません。

今朝は早起きしましたので、何とか朝のルーチンはこなしました。
お祈り、重曹水、テレビ体操、ベランダの植物への水やり、リンゴ・ニンジンジュース、入浴などです。
でもどこか違います。
そもそも精神的に、どこか安定していないのです。

今日はあまり天気がよくないようです。
この連休はサロンはなく、3日間、在宅で過ごしていますが、それがよくないのかもしれません。
今日中に吹っ切りたいものですが。

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2024/09/15

■湯島サロン「沖縄/南西諸島で急速に進むミサイル基地化」報告

久しぶりに沖縄在住の緒方修さんに、沖縄で進んでいる軍事基地化の現状報告をしていただきました。
首都圏にいると沖縄の話はウクライナやガザの動きほどにも入ってきません。そこにこそ、大きな問題があると私は感じています。

以前、沖縄に関するサロンの報告に書かせてもらいましたが、私は「沖縄と連帯する会・ぎふ」の「沖縄関係ニュースなど(沖縄2紙の基地等の問題のニュース見出し+URLのリンク)」を定期的に読ませてもらっています。更新時に代表がコメント・サマリーを書いてくれているので、それを読むだけでもお勧めします。
ぜひみなさんにも読んでいただきたいサイトです。
https://okinawarentaigifu.jimdo.com/

今回、緒方さんは、いまの沖縄での現場情報というよりも、その根底にある大きな動きに関して、お話ししてくださいました。
最近は目先の動きに目を奪われてしまい、大きな構造への関心を忘れがちですが、こうした基本認識を時々再確認することは大切です。

緒方さんは最初にまず南西諸島の位置を地図で示してくれました。
そもそも「南西諸島」と言われてもピンとこない人も多いと思いますが、九州の南にある馬毛島から台湾に近い与那国島まで、約1200キロにわたって弧状に位置している島々を指します。いまそこに自衛隊が配置され、ミサイル基地化が進んでいるのです。
これに関しては、これまでも湯島のサロンで個別には取り上げてきていますが、今回はそうした動きの背景にある世界の政治構造(あるいは経済構造)について緒方さんは関心の目を向けさせてくれました。

この南西諸島のラインは、かつてよく話題にされたアメリカ軍のオフショア・コントロール(米国本土からできるだけ遠くに防衛拠点を作る)戦略における第一列島線の北部に当たります、その北には、かつて「不沈空母」と言われた日本列島があり、これがアメリカと中国の安全保障にとって重要な意味を持っているのです。いまその南西諸島が実質的には中国に向けてのミサイル基地になってきているのです。私たちはその意味をしっかりと受け止めないといけません。

これまで南西諸島に配備されるミサイルは射程200キロほどの迎撃用でした。しかし最近それが射程1000キロほどのものになってきている。中国本土にも届く攻撃用ミサイルと思われても仕方がない。
つまり方針が変わったのです。南西諸島の主だった島を、自衛隊と米軍の基地が入り交じりながら、中国が太平洋に出るのを抑える第一列島線を武装した壁にする、という計画が進んでいるわけです。こんな大きな変化に無関心でいていいはずがありません。

中国との最前線である南西諸島を緊張緩和ではなく、攻撃性のある武器を並べた「城壁」にするということは、南西諸島を守るためではなく、アメリカ政府と日本政府がともに南西諸島を捨て石にする意図をもったということだとも考えられます。
武装が進み集落の近くにミサイル弾薬庫が作られているのに、住民の有事避難計画は不十分。これもむしろ住民の不安を高める代物のようです。

こうした動きに対して、緒方さんたちは現地の状況を写真で撮って、写真展を各地で行っていますので、ご覧になった方もいるでしょう。でもそうした危機感やそれを問題にする動きはなかなか広がらない。
写真展は台湾でも開催したそうですが、そのとき、学生に「大陸から攻めてきたらどうする?」と訊ねたら「歓迎旗振って歓迎します。その後抵抗します」と言ったそうです。台湾の民間でもあまり戦争の危険は感じていないようですが、日本の若い世代はどう思っているのでしょうか。そんな話もありました。

しかし、厳しい戦略をとりながらも、アメリカは中国とのチャネルはたくさんキープしてもいる。一方、いまの日本には中国とのチャネルはほとんどない。
そこに緒方さんは大きな危惧を感じているのです。

とまあこういう話をいろいろとしてくれました。詳しくは緒方さんが、「文芸思潮」に寄稿した「沖縄/南西諸島 急激に進むミサイル基地化」の記事を添付しますので、是補お読みください。

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こうした話の途中でも、話題はいろいろと飛びました。

辺野古(米軍飛行場移転先)の話題も出ましたが、辺野古埋め立てのために、いまも島の西側の安和鉱山から毎日900台以上のダンプカーが土を運び出しているそうです。
辺野古は地域が拡大された結果、軟弱基盤が含まれたので、未来永劫完成しないという見方もありますが、それにもかかわらず埋め立てはいまも続いているのです。
私はそこに、現在の経済と政治の本質を感じますが。

以前、湯島でも話題になった下地島での陸上自衛隊高官5人が私服で乗っていたヘリコプターの墜落事件もちょっと話題になりました。多くの人がおかしいと感じていることも、いつの間にかうやむやにされて忘れられていく。

でもそうしたところにこそ、事実を見極め、未来を開くカギがあるのかもしれません。
これこそ、今度湯島で開催する「陰謀論サロン」のテーマです。

なお、緒方さんも寄稿している東アジア共同体研究所のニュースマガジンも沖縄関連記事が毎週出ています。次のサイトに「いいね」をすれば、毎週送られてきます。
http://www.facebook.com/east.asian.community.institute

サロンに参加したおふたりの方から感想が届きました。
勝手にその一部を紹介させてもらいます。

沖縄の人たちの絶望感、微かな幸せを抱いたままで生存者としての複雑な諦め。無機質で横柄な軍事基地の施設を目にして心が傷んだ。そうなんです。傷んだのです。そこまでしか進まない自分を感じて胸が痛いです。

地域住民と日本政府の信頼関係を壊しても構わないというがごとき対話拒否・騙し討ち・なし崩し・瀬戸際ゴリゴリで押してくる強権発動で、強面化していると政府のアンチジェントルな態度変化を感じた。

いずれにも共感します。そして南西諸島で起こっていることは、明日の日本を大きく左右していきます。
そんなことなどに全く目を向けることのない、いまの自民党総裁候補者たちや立憲民主党代表候補者の議論を聴いていて、やはりこのままでは子どもたちに禍根を残すことになると思わずにはいられません。

来週9月26日に「あなたはなぜ戦争が嫌いですか」をテーマに話し合うサロンがあります。
お時間が許せば、ぜひご参加ください。

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2024/09/14

■湯島サロン「秋の食養生」報告

食は地域と季節に深くつながってこその「薬膳」だという新倉久美子さん(東方健美研究所代表)に、季節ごとに食へのアドバイスをお願いしていますが、今回は、「秋の食養生」でした。
厳しい暑さのなか、10人を超える参加者が集まってくれました。

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このサロンへの初参加の方も多かったので、いつものように、食養の考え方や新倉さんの提唱している「身土不二」のふるさと薬膳の解説から始まりました。
何回聞いても、いつも新しいエピソードが追加されていて、気づかされることが少なくありません。

「食養生」に関しては、参加されていない方もいるので、改めて簡単な要約をしておきます。ひとつは「土地と食」という切り口から、地域食文化の継承と創造の意味や「身土不二」の大切さ、もう一つは「季節と食」という切り口から陰陽五行説を踏まえた「食養」の取り組み方。まとめて一言で言えば、「その土地でとれた食材を食べ、その季節にとれる旬のものを食べること」(「風土はフード」)こそ、健康につながる「食養生」だというお話です。
「食べ物は薬」という「薬食同源」の話もありました。こうしたことから新倉さんは「ふるさと薬膳」を各地に広げてきたのです。

詳しくは第1回の報告を読んでください。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2023/11/post-c35e3b.html

つづいて、「秋の食養生」について具体的にお話しいただきました。
新倉さんの食養指針の背景にあるのは、長年の調査研究、そして実践を通して、新倉さんが整理した「(新倉版)陰陽五行配当表」(添付)です。今回もそれにしたがって、具体的な食材や調理法にも言及しながら、食の留意点を話してくださいました。

秋は空気が乾燥するため、鼻や喉に不具合が生じて肺呼吸器に症状が現れやすいそうです。肌や髪の毛に潤いがなくなるのもこの季節の特徴です。
したがって、秋の食養生のポイントは、漢方では体内の「陽」を育て肺呼吸器を潤すという意味から「培陽潤肺」という言葉で表すそうです。
新倉さんも、この季節の食養生は「秋は肺呼吸器、辛味」と覚えましょう、と言います。さらなる乾燥期、そして寒い冬に備えて、呼吸器系を整え、身体を程よく温めていくことが大事なのです。
肺を潤す食べ物は里芋、大根、にんにくなどの他、生姜、山葵、山椒など辛味の食材が効果的だそうです。背の青い魚も身体を程よく温めてくれるそうです。
蕎麦のように身体を冷やすようなものを食べるときには、辛味の薬味で緩和するといいとも教えてくれました。

いつも書かせてもらっていますが、食は生き方にも深くつながっています。
イタリアから広がった「スローフード」はまさに「スローライフ」につながっていましたが、今回私が改めて気づかされたのは、食への取り組みは自立した生き方につながっているということです。

新倉さんは以前、各地の伝統食をしっかりと残していこうと「ふるさと薬膳」という考えを打ち出して、全国を飛び回り、農村の女性たちと一緒に「伝統食」を「ふるさと薬膳」ブランドで、事業化していくのを手伝っていました。そうした活動が農村女性たちの経済的自立への意識を喚起していった話を今回もしてくれました。

いつものように今回もいい話だと聞いていたのですが、この話は、他人事ではないことに気づかされました。つまり、私のように「食」を与えられるもの(誰かがつくってくれるもの)として受け止めている生き方に対する厳しい問いかけでもあることに気づきました。
つまり、自分では食材選びや調理をすることなく、いつも誰かが提供してくる食事を食べているような生き方は、自立した生き方とは言えないのではないかと気づいたのです。
私にとっては、これはかなり衝撃的な気づきです。

新倉さんはまた、食べるものはすべて(健康への)効能があるとも話してくれました。
実際に参加者からも、食生活を変えたら体質が変わったという体験談も紹介されました。
医療と食生活は、まさに隣り合わせなのです。
私もそのことは頭ではわかっていましたが、新倉さんのこのサロンに参加させてもらっているおかげで、まさに薬食同源を実感できるようになってきました。

今回は参加者も多かったこともあって、話はかなり広がりました。
そうした話の広がりを聞いていても、食こそ、生きることの基本だなと痛感します。
にもかかわらず、どうも最近の食への関心はおかしな方向に向いている気がしてなりません。
いやその前に、私自身の食への無関心さはやはり問題です。

食は与えられる餌ではないのですから、もっと自分で何を食べるかを考え、自分でたまには調理しなければいけません。せめて何を食べているのかくらいはもっと知ろうとしなければいけません。
そんなことは私にはできそうもないのですが、どうもそうも言ってはいられない。
困ったものです。

話がだいぶそれてしまいましたが、今回はいろんなことを気づかせてもらいました。
でも男の料理教室に行く気にはまだなっていませんが。

なお、藤倉さんは、現在、「週刊金曜日」に、メニューと写真つきで「季節の薬膳」毎月連載しています。関心のある方は是非お読みください。

報告が遅れたうえにいささかピント外れの報告になってしまいました。
実は最近心身ともに不調なのです。
食生活を問い直さないといけません。

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2024/09/11

■湯島サロン「『社会心理学講義』を読み解く③」のお誘い

ブックサロンからスピンオフした遠山哲也さんの「『社会心理学講義』を読み解く」サロンの3回目です。『社会心理学講義』(筑摩選書)を、遠山さんをガイド役に読み解いていこうというサロンです。

前回の報告に書いたとおり、前回に続き、今回も「13章 日本の西洋化」を読みます。
今回は、その後半にある「比喩の効用」が中心です。
前回も簡単な紹介はありましたが、これはとても大切なテーマなので、参加者の希望で改めてもう一度、取り上げることになりました。
またこれと関連して、「問いの立て方」や「連想」なども話題になると思います。

さらにもし時間があれば、前回の話も踏まえながら、変化と統一性の問題も話し合えればと思います。これは「アイデンティティ」の問題やもしかしたら遠山さんのご専門の「存在論」にもつながっていくかもしれませんから。
いつものように、脱線も含めて話題は「飛び火」するかもしれません。脱線を好む「不埒な」参加者もいますので。まあそこが面白いところですが。

しかし、ただ抽象論を飛び交わすのではなく、ぜひとも自らの生き方につなげる形で、話し合うようにしたいと思います。遠山さんもそれを望んでいるはずですので。
話し合いを効果的にするためにも、ぜひテキストを読んでの参加をお願いします。
参加希望者はできれば事前にご連絡ください。

〇日時:2024年9月27日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:比喩の効用(『社会心理学講義』13章 日本の西洋化)
〇ガイド役:遠山哲也さん(哲学を生きる哲学者)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

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2024/09/10

■節子への挽歌6148:久しぶりに裸足散歩

節子

相変わらずの残暑です。
今日も休養日に当てていますが、在宅ばかりではいけないので、今日からまた散歩を復活しました。
最近は、「散歩」よりも「横になって休養」モードでしたので、久しぶりの散歩です。

いつものように、手賀沼公園の原っぱを裸足で歩くのですが、うっかり適当なところでサンダルを脱いで歩き出したので、いざ終わろうと思ったらサンダルが見つからない。
どうも久しぶりなのでいろいろと調子が違う。
見つかったのは、まさかと思うところ。
困ったものです。

久しぶりの草原の裸足歩きは実に気持ちがよかったのですが、暑さのせいもあるかもしれませんが、10分でもうくたくた。
湖畔のベンチでしばらく休憩。
この時間もなかなかいいものです。

でも、入院中はあんなにすいすい歩けたのに、やはり毎日続けないといけません。
1日5000歩を目標に、明日から毎日歩こうと思います。

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■第3回増田サロン「老子は静かなロックだ 老子の思想と地湧きの思想」のご案内

増田圭一郎さんと一緒に「地湧きの思想」を考えていく連続サロンの第3回は、『老子』を取り上げます。

『老子』といえば、古臭い「道徳」を想起する人もいれば、現代科学に大きな影響を与えた先進的な「タオの思想」を思い出す人もいるでしょう。
しかし増田さんは「老子は静かなロックだ」というのです。そして、今回はその老子の思想から地湧きの思想に繋げて話していきたいといいます。

『老子』は、無為自然の道と無為自然の徳を説いていますが、その根底にあるのは「世俗的な価値観」の呪縛からの解放です。増田さんも、「『老子』は、現在私たちがあらゆる目くらましに逢っていることを喝破し、常識の枠をはずしてくれる。そして、根源である「道(タオ)」や自然の理を説きながら、それに逆らわないことによって自分のなかから自然と力が湧くことを気づかせてくれる」とご自分が主宰する雑誌に書いています。

ロックという音楽は反体制的に見えるが、思い込みの呪縛を解く魂の叫びだ、とも増田さんはいいます。
しかも『老子』には、「叫び」だけではなく、理想の社会についての言及もあり、「人間が本当の意味で生きるということは、いったいどのようなことなのか」が示唆されています。「道徳」と言ってしまうと窮屈なイメージですが、老子が説いているのは「常の道」と「常の徳」なのです。

というわけで、今回は『老子』の世界を学ぶことで、増田さんが主張している「地湧きの思想」の理解を深めていきたいと思います。

増田さんの、このサロンはゆっくりと続いていきますが、今回はかなり中心的なところが語られると思いますので、ぜひ多くの人に参加してほしいと思います。
きっと新しい世界が見えてくるはずです。

〇日時:2024年9月23日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ: 「老子は静かなロックだ 老子の思想と地湧きの思想」
〇話題提供者:増田圭一郎さん(図書出版みらいま代表)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2024/09/09

■節子への挽歌6147:休養とリハビリ

節子

昨日、FB100歳まで生きる宣言をしましたが、100歳ではなく、100歳を超えて生きるようにというコメントが入りました。
また来春、筑波山に再挑戦すると書いたら、早速に一緒に登る候補者が名乗りを上げてくれました。
身体を鍛えなければいけません。

最近は「休養とリハビリ」に心がけています。
夜中にトイレに起きた時には、トイレから戻ったら爪先立ちを10回。また夜中に目が覚めて眠れない時には上体起こし運動や「工藤体操」に取り組んでいます。
しかし身体に自信を持つには至っていません。
相変わらず疲労感は残るし、ラジオ体操さえへとへとになってしまう有様です。
体力の劣化は甚だしい。

まあその一因は歩くことが激減しているからです。
今日も手賀沼公園に歩きに行きたかったのですが、暑さに負けてしまいました。
歩くのをルーチン化したいのですが、これは難しい。

でもこんな感じだと来週の筑波山は無理でしょう。
明日からは、毎日3キロ歩行と12回のラジオ体操、さらには上体起こし運動などにもっと取り組もうと思います。

昨日ちょっと大変だったので、今日は在宅でボケーっとしていましたが、これがよくない。
適度な運動があればこその休養です。

今年は暑さにすっかり負けてしまった夏でした。

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■節子への挽歌6146:昨日も疲れる1日でした

節子
昨日も疲れる1日でした。ただ疲労の残りは少し軽くなってきた気がします。

永田さんから声をかけられ、11時半に新倉さんと武田さんと4人で会いました。
新倉さんが食事を用意してくれるというので、ちょっと早愛奈と思いながら指定された11時半に湯島に出ていきました。
新倉さんはいつものように手づくりの昼食を用意してきてくれましたがお赤飯でした。後で知ったのですが、新倉さんとしては私の快気祝いだったようです。
永田さんは武田さんを引っ張り出す口実だったようにも思えます。

まあしかしそんなことは瑣末の話です。
おかしな組み合わせでしたが、永田さんはみんなを知っています。
私もみんなを知っていますが、なんだか違和感がある空間でした。
私には一番違和感のある場です。

いささか疲れたのがみんなにわかったのか、サロンまでソファーで寝ているように勧められましたが、全く私は理解されていないことを感じました。
ますます疲れましたが、幸いに2時間ほどしたらサロンの参加者が集まりだしました。
まさかの10人以上の参加者でした。
しかも中には、節子がお世話になった縄田さんまでいました。
ゆっくりお話ししたかったのですが、あまりに参加者が多かったので、だめでした。

さらに加えて、浜松から静岡知事選に立候補したのを契機に、請願権活動に浜松で頑張っている浜名さんがやってきたので、サロン終了後、つかまってしまいました。
かなりの疲労感でしたが、これからの進め方についての相談を受けました。
1時間ほど話しましたが、そろそろ私の限界を感じたので、改めて関係者を集めたミーティングを約束して終わりにさせてもらいました。
濱中さんは、口だけではなく、自分で汗を流している人なので、頼まれたら断れないのです。

それにしても今日もまた疲れました。
サロンだけなら問題ないのですが、どうもその前後にいろいろと入ってしまう。
人と会うと元気が出る人もいますが、元気を奪われる人もいる。
それで私にとっての友人かどうかがよくわかる。
昨日は改めてそんなことに気づかされました。

友人は選ばなければいけないと言われて、以前ムッとしたことがあるのを思い出しました。
そういえば、その片岡勝さんはいまどうしているでしょうか。

20年前と今とでは私の周りにいる人が大きく違います。
信頼できる友人たちとの交流がちょっと少なくなっているのが残念です。
まあ信頼できる友人であれば、会う必要などないのですが。

でも、時に会いたいと思う人もいます。
なかなか会えないのが残念です。

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2024/09/08

〔身心力向上への取り組み1〕マイナスの思い込みマインドセットからの自己解放

この2年、私は病気をいくつか体験しました。
4回入院し、21日間放射線治療で通院しました。
病名は「急性膵炎(2回)」「前立腺がん」「胆嚢胆石摘出」ですが、並行して脳神経外科にも定期的に通っています。血圧も医師からは高すぎると言われています。

先週、術後の検査結果に異状がなく、当面は病院から解放されました。
そうした経緯は、これまでFBやブログで報告してきましたが、その読者からその後の動きも聴きたいというメールがあったので、書き続けることにしました。

ただし視点は「病気対策」ではなく「身心力向上」です。
回復指向の「養生」でもありません。前向きのマインドセットを心がけることにしたのです。極端にいえば、「年をとればこそ記憶力も体力も向上する」「病気を経験することで身心は向上する」というマインドセットです。

この2年間の病気体験ではいろんなことを学ばせてもらいました。
しかし胆嚢を摘出した医師から最後に言われた言葉で気づかされました。
歳をとると記憶力も体力も落ちてくるのは仕方がないという思い込みに呪縛されていることに。
内臓の一部をとれば体力が落ちるのは当然。だから休養にこそ努めなければいけない。体力維持のために歩いたり適度な体操をしたりしなければいけない。
そう思っていましたが、どうも根本的な誤りがある。

ピカソは「できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である」といったそうです。私もそれに似た感覚を持っています。だからできるだけマイナスの発想はしないようにしています。
そのおかげで、私はすべての人が性善に見えますので誰とでも楽しく付き合えます。
「だめだと思ったらそこですべては終わり」という私の言葉を聞いた人も少なくないでしょう。「非常識」な私の言動に呆れた人もいるでしょう。
まあ実際には、そういう生き方のゆえに、失敗も多ければ禍に巻き込まれることも多い。
でもそうは言っても、いまは多くの人に支えられて楽しく生きていられます。

とはいえ、実はこの17年間、あまり意欲的に生きてはいませんでした。
むしろいつ現世を離れてもいいという意識が心身を覆っていました。
私よりも若い人の死に出合うことの恐怖から「長生きへの不安」もかなりありました。

でもある医師と話していて、最近、考えが変わりました。
長生きへの挑戦も面白いかもしれない、そう思い出したのです。

それで100歳まで生きることにしました。
でも「不様」には行きたくない。そこで思いついたのが「身心力向上」です。

とりあえずの目標は、数年前に試みて不様な結果に終わった筑波山登山です。
来春、挑戦しようと思います。
もし一緒に行ってくれる人がいたらご連絡ください。
前回のようにご迷惑をかけないように、この半年、体力増強に務めますので。

さて次回からは私の「身心力向上」への取り組みを書いていこうと思います。

 

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■節子への挽歌6145:久しぶりに湯島です

また寝坊してしまいました。
この1週間、湯島に出かけませんでした。
そのためか、どうも生活のリズムが取り戻せない。
困ったものです、

朝のルーチンもなかなか守れない。
今朝もテレビ体操をさぼってしまいました。

今日は1週間ぶりに湯島でサロンです。
久しぶりのサロンは、意外な人たちが参加します。
意外な組み合わせでもあり、どう展開するかいささか不安ですが、まあそれなりに面白いでしょう。やはり人と会うのは、私には大切なことのようです。

今日も暑いです。
湿度が低いので、エアコンはつけていませんが、気温はすでに30度を超えています。
さてさて久しぶりの湯島、大丈夫でしょうか。

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■湯島サロン「山崎弁栄上人と光明主義」のご案内

今回は「話し合うサロン」というよりも、「世界をちょっと広げるための学びのサロン」です。もちろんただ話を聴くだけではなく、話し合いの時間もしっかりととりますが、予備知識は不要です。

取り上げるのは「山崎弁栄上人と光明主義」です。

山崎弁栄上人、「べんえい」ではなく「べんねい」と読むのですが、ご存じの方は多くはないでしょう。「大正の法然」と言われている浄土宗の名僧で、明治から大正にかけて浄土宗の社会運動である光明主義運動を行った人です。
といっても、「光明主義」も知っている人は少ないでしょう。恥ずかしながら、私もつい最近まで知りませんでした。

しかし、昨年、友人から教えられて、少しだけ調べたのですが、とても共感できるとともに、いま湯島で話し合われている考えの流れにとても親和性があると感じました。
私の勝手な解釈なのですが、弁栄上人は、自然界と浄土(心霊界)とを一体視し、この現実の世界がそのまま浄土であることを疑わなかったと言います。そして、この世界に光明を見、現実の奥にある美しさを感じていた。
ある本に、「この世から仏さまの光明に照らされ、霊性が育まれていくこと、そして仏さまをどこまでも深く畏敬し、お慕い申す念仏の行、これこそがお釈迦様・法然上人の遺志に適うことと確信し唱導したのが「光明主義」である」と書かれていましたが、私にはとても共感できます。私も毎朝、大日如来から光をいただいています。

ちょっと長くなってしまいましたが、今回、お話ししていただく杉野光明さんは、弁栄上人の縁者です。私がそれを知ったのは、昨年ですが、お名前の「光明」も、もちろん弁栄上人に因んでの命名だそうです。
杉野さんは、弁栄上人の生まれた柏市沼南で家族で梨園(すぎの梨園)を経営しています。杉野さんとの出会いを書くとまた長くなるのでやめますが、その生き方に興味といささかの羨望を感じていました。弁栄上人の縁者と知って、納得ができました。
これはもうサロンをお願いするしかない。

と言っても、難しいサロンではありません。

まずは弁栄上人の生涯と思想を紹介してもらいますが、概念的な光明主義の解説ではなく、それを受けた杉野さんご自身の生き方や考え方をお話ししてもらおうと思います。私の主観ではありますが、そこに光明思想の本質を感じるはずです。それを聞いたうえで、弁栄上人の本を読むときっと理解しやすいでしょう。
杉野さんはまた、霊性論から地域(環境)は思想を育むことができるか、といったような問題提起もしてみたいと言ってくださっています。

新しい世界との触れ合いを楽しみに、ぜひ気楽にご参加ください。
杉野さんの活動は、まちづくりにもとても参考になるはずです。

かなり先の開催ですが、できるだけ多くの人に参加してほしくて、早めに案内させてもらいました。

〇日時:2024年10月27日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「山崎弁栄の光明主義」
〇話題提供者:杉野光明さん(すぎの梨園先代園主)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2024/09/07

■節子への挽歌6144:腰痛が治りました

そういえば、昨日、もう一人電話で話した人がいます。

私よりちょっと年上の従兄です。
この従兄は、スポーツ関係の活動をしているのですが、以前あったときに、私の腰痛を知り、これを試してみたらと言って、ロキソニンテープを送ってきてくれたのです。

その効果はすぐあらわれました。
1週間くらい続けたら痛みがなくなった。
驚くほどの効果です。

もっともこれにだけ依存しているわけではありません。
できるだけ歩く努力もし、さらに足腰の体操を行うようにしています。
たとえば爪先立ちや上体起こし、あるいは入院中に体験したリハビリ体操です。
残念ながら完全に解消したわけではなく、テープを2,3日、貼らないとやはりまた痛みが出てきます。
でもだんだんと完治に向かっているような気もします。

この1年、いろいろとあって、いろんな不都合が生じています。
これまではただそういう症状を直そうという姿勢だったのですが、先日から姿勢を変えることにしました。
マイナスを回復するのではなく、むしろマイナスをプラスに転ずるという攻めの姿勢です。
とりあえずの目標は、上体起こしができるようになることです。

それにしてもロキソニンテープは私にはとても効果がありました。
送ってくれた従兄には感謝です。
その従兄には高校生の頃、山に連れて行ってもらったこともありますが、彼はいまもまだ、時々、一人で山に行ったりしているそうです。
もう一緒に連れて行ってとはいえないのが残念です。

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■節子への挽歌6143:電話の日

節子

相変わらずあまり眠れない日がつづいています。
夜眠れないと生活のリズムがなかなか維持できなくなる。

昨日は長電話がつづきました。
昨日は久しぶりの暑さだったので、そのせいかもしれません。

その一つは知り合いの市議からのものでした。
ふとあることが気になってかけてきたと言いますが、いま始めている「あすあびサロン」の関係もあって、我孫子市議会議員の情報をいろいろと訊かせてもらいました。
この人は、邪気のない人なので、その話は素直に受け止められるのです。
さすがに議員なので、いろんなことを知っている。
とても参考になりました。

その人への私の態度はいつも好意的ではないと共通の友人からは言われていますし、私もかなり批判的なのでつっけんどんに突き放すことが多いのですが、なぜか時々電話してくるのです。
一度また議会が終わったらあってみようかという気になってきました。

長らくご無沙汰だった武田さんからも電話がありましたが、最近私はあまり政治談議には乗らなくなっているので、長いと言っても知れています。近々久しぶりに湯島に来るそうですが、その関係での電話でした。

私は電話が嫌いなのと気づかずに出ないことが多いのですが、一度出てしまうとついつい出てしまう。
兄からの電話は、電話では収まらずに会うことになりました。
案の定、大論争。同席したユカによれば、私の話し方が問題だそうです。ちょっと気があれているのでしょうか。

久しぶりの根本さんとも、やはり会うことにしました。
やはり電話ではなかなか思いは伝えきれない。

めずらしい人からのメールも届きました。
上海クルーズに出かけているようです。
25年ほど前に数回お会いしただけのデザイナーですが、なぜか時々連絡してきてくれます。しかも今日は、彼が発行人を務める雑誌で、「中道態」を取り上げましたかという、私のぼんやりした記憶の問いかけをしたら、すぐ返信がありました。
こういうのは私はとりわけうれしく感ずるたちなのです。
彼と私をつないでくれた友人ももう亡くなってしまいました。

昨日はなんだか電話の日だった気がします。

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2024/09/06

■節子への挽歌6142:最近、詩を読むようになりました

節子

岡和田晃さんと永田徹さんのおかげで、最近、時々、詩に触れるようになりました。
節子と付き合いだした頃、私は毎日、一編の詩を節子に届けていました。
残念ながら思ったほどには節子は喜びませんでしたが。
しかし、節子がいなくなってからの18年、詩や歌にはあまり近づけなかくなりました。
それが少しずつ変わってきています。

最近は、岡和田さんから教えてもらった「広島・長崎・沖縄からの永遠平和詩歌集」が机の上に置いてあって、時々、気が向いたところを開いて読んでいます。
いささかいまの私には重すぎて、気が滅入ることも多いのですが。

詩集の読み方ですが、私の場合、本を手にとって適当に開いてそこにある詩を読みます。
だから極めてランダムなのですが、なぜかよく出合う詩がある。
築山多門さんの「鳥の歌」です。
なぜかこのページをよく開いてしまう。

そこには4つの戦争の話が詠まれている。
「むごい戦争」「あやうい戦争」「楽しい戦争」「喜ばしい戦争」
私にはあまり共感できない、というよりもあまり心に入ってこない詩ですが、この10日で3回も出会ってしまいました。だからとても気になる。今日は繰り返し読んでしまいました。どうも私には「戦争」とか「平和」という文字がだめのようです。

同書は、峠三吉の「ちちをかえせ ははをかえせ」の詩から始まっています。
これも私には苦手の詩です。
毎回、出てくる詩を読んで、気持ちが晴れることはない。
だから読みたくはないのですが、読まないといけない。

いなのは、この詩歌集の中に宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が掲載されていることです。
ですから、元気が出ない時には、この「雨ニモマケズ」を最後に音読しています。
そうすると心が鎮まる。

詩の力はとても大きい。
でも最近は、詩を読むたびに、心が乱れてしまう。
心穏やかに詩を楽しめる時代になってほしい。
いや、そういう時代になるように、できることし続けなくてはいけない。
宮沢賢治の気持ちが最近とてもよくわかる気がします。

節子がいないのが本当に残念です。

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■節子への挽歌6141:忙しくも暇でもない、豊かな人生

節子

昨日も寝苦しい夜でした。
この数日、休養と称して昼間時々うとうとしているので、そのせいかもしれませんが、夜目が覚めるともう眠れなくなる。
それでついつい腹筋運動や「工藤体操」をしてしまう。

ますます眠気が無くなり、そのうち、お腹が空いてきて夜食探しをしてしまう。
しかし明け方になって寝てしまい、帝国の5時に起きられなくなっています。
この結果、いつものルーチンは崩れてしまう。
これって果たして休養になっているのかどうか。疑問です。

一番の問題は、あまり歩いていないことです。
入院中よりも歩いていない。
横になるのも大事ですが、歩くのも大事です。
今日から少し意識して歩こうと思います。

それにしても先日のサロンの時はきつかった。
それでついうっかり「調子がよくない」と口に出してしまったようです。
鈴木さんがはがきで、「調子がよくない」という言葉を聞くのは稀なことなので、本当によくないのだろうと心配になったと書いてきてくれました。
たしかに自分でもまれな体調です。
でも特にどこかがおかしいというのでもないのです。
それにまあ少しずつ良くなっている気もする。
もう少しの辛抱かもしれません。

今週はサロンは全くなく、1週間、基本的には在宅です。
病院やら家族との会食などで、それなりに身体は動いていますが、でも時間を持て余している。
それで、ついついなにかをしたくなる。
昨日もまた余計な提案をある人にしてしまった。
困ったものです。

でも暇な人生など、私には向いていない。
忙しい人生も向いていないのですが。
もし節子がいたら、忙しくも暇でもない、豊かな人生があったはずなのですが。

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■湯島サロン「サンティアゴ巡礼に行きました」報告

4月にサンティアゴ巡礼に出かけた仲谷透さんが、ようやく戻ってきました。

フランスのピレネー山脈越えから始まる、いわゆる「フランスの道」のルートで、約800キロを33日で歩き切った後、ポルトガルやイギリスを回っていたため、5か月の旅でした。
案内では、ポルトガルやスコットランドの話も話題にと書きましたが、今回はサンティアゴ巡礼に絞りました。

それにしても、サンティアゴ巡礼を話題にすると参加者がどうしてこんなに多いのかと驚くほどです。今回も14人が参加。

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仲谷さんはまず今回歩いた「フランスの道」を地図と標高図を使いながら紹介し、全行程を5つに分けて、詳しく説明してくれました。

巡礼路を歩きだす前の話もありましたが、そこでもちょっといろいろあったようです。
たとえば、巡礼後、ポルトガルなど旅する予定があったので、それ用の荷物をサンティアゴに送ったのだそうですが、そこに巡礼中に必要なものまで間違って入れてしまったのだそうです。出発前に早速の現地調達に苦労したようです。

順調な巡礼よりも、そういうトラブルがあってこそ、巡礼は記憶に残るものになるでしょうが、歩き出す前のトラブルは仲谷さんにとっては大変だったことでしょう。何しろ誰も知り合いはいないのですから。

しかし、そんなトラブルにもめげることなく、歩き出しはいたって好調だったようです。最初のピレネー越えはかなりの上り下りですが、全く問題なし。
仲谷さんは普段からよく歩いていたので、歩くのはお手のもの。ただ朝が苦手なので、宿の出発はかなり遅く、たぶんどの宿でも最後の出発だったと思われますが、歩くのが速いので、次の宿への到着はむしろ早かったようです。

いずれにしろ順調なスタートで、最初の数日で、何人かの知り合いもできたようです。
ちなみに仲谷さんによれば、巡礼で歩き出す前半のほうが、仲間意識も生まれやすく、いい関係がつくりやすいそうです。
大聖堂が近くなると、巡礼者も多くなり、雰囲気は大きく変わってくる。大聖堂から遠いほど、巡礼仲間ができやすいというのはとても面白い。

とまあ、序盤は巡礼を楽しんだようですが、次第に疲れが出てきたうえに、後半に至っては悪天候にも悩まされ大変だったようです。
「フランスの道」は、まんなかは平坦な道が続くのですが、サンティアゴが近づくにつれて上り下りが増えてきます。右脚が腫れて歩けなくなって同じ場所で2泊したりしたこともあったそうです。身体は痛いし、疲労感はつのる。便秘にも襲われる。さんざんです。でも便秘の時も、医者に行かずに、スーパーマーケットで野菜サラダを買って乗り越えた。どうも食事も仲谷さんには合わなかったのかもしれません。

大聖堂に近い100キロは特に巡礼者が多く(そこだけを目指してくる人も多い)、前半のゆったりまったりの巡礼風景とは違い、観光地のような人の多さだそうです。これも仲谷さんの気をそいだ一因かもしれません。

これまで話をしてくれた人の多くは、巡礼の終盤に近づくと、もうじき巡礼が終わるのが残念だという気になると聞いていましたが、仲谷さんの場合はそういうことはまったくなかった。むしろ早く巡礼を終わりたいという気持ちだったようです。
実に新鮮なサンティアゴ巡礼報告です。
意外な気もしますが、とてもよくわかる気もする。

しかも、です。何とか歩き切ってサンティアゴ大聖堂にたどり着いたのに、最後のクライマックスといわれる大聖堂のミサにも参加せず、あの有名な大香炉の大振り子も見てこなかったというのです。
いかにも仲谷さんらしいですが、でもよほど疲れていたのでしょう。いや、ある意味、実に純粋といえるかもしれません。仲谷さんの純粋な巡礼精神が感じられるとも言えます。まあ、ただただ疲れただけだったかもしれませんが。

ところで仲谷さんは、何のために巡礼に行き、巡礼で何を得てきたのか。
仲谷さんは最近、母親を見送ったのですが、それが仲谷さんがサンティアゴに出かける理由の一つでした。自由な時間が得られると同時に、自分の生き方を改めて考える必要がでてきたのです。
だからサンティアゴ巡礼だけではなく、その後、ポルトガルを彷徨し、さらにスコットランドでボランティアライフを体験してきたのです。サンティアゴ巡礼だけが目的ではなかったのです。

もちろん仲谷さんは、巡礼は疲れたと言いますが、「1か月でこれほどの濃い経験ができるのはサンティアゴ巡礼ならばこそだろう」とも言います。
本人は、「毛虫から蝶へ」というような大転換も実感できずにいると言っていますが、たぶんサンティアゴ効果が出るのはこれからでしょう。すでにその予兆を感じている人も多いようです。私も感じています。まだ「さなぎ」段階ですが。

仲谷さんは最後にこんな話もしてくれました。
なぜ世界各地から多くの人々がサンティアゴ巡礼路を歩くのかをネット検索した結果、最も本質に迫っていると思う文章を見つけたというのです。
仲谷訳で紹介します。

私たちは、自分自身より何か大きな事を行うコミュニティの一部になることを生まれつき必要としていて、この必要性を満たす為にサンティアゴ巡礼路を歩く。

I believe we have a deep innate need to be part of a community doing something bigger than ourselves.

仲谷さんはこれこそ、これが他の旅とは違う点ではないか。と言います。
サンティアゴ巡礼路を歩くとサンティアゴに向かって歩くという目標を共有する共同体の一部になれる。これが仲谷さんの感想のようです。

さて、果たして仲谷さんは「何か大きな事を行うコミュニティの一部」になったのでしょうか。日本に戻っていつもの生活に戻ってしまったら、せっかくのサンティアゴ効果が消えてしまうのではないか。

サンティアゴ巡礼の常連者である鈴木さんによれば、注意しないと元に戻ってしまう。だから今のうちに、何かを始めなければいけません。仲谷さんもどうやらその気ですが、それが見つかっていないようです。さてさてこれからどう展開していくか。

ちなみに仲谷さんの海外彷徨3部作のサロンは続きます。
次回は「スコットランドでの庭園ボランティア編」です。
10月12日。ぜひご参加ください。

 

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2024/09/05

■節子への挽歌6140:「休養」のために、積極的な意味での休養がおろそかに

節子

病院から解放されて、ひと段落ついたのですが、やはりどうも調子が違う。
マイナスのマインドセットから抜けるようにと加藤医師から言われたのですが、この疲れ方はやはりどこかこれまでとは違う気がします。
私の言動も、いつもとは違うようで、いろんな人が心配してくれます。
それに甘えているのかもしれません。

一番の問題は「休養」のために歩いていないことかもしれません。
一応、リハビリ的な運動はかなりしていますが、歩行は少なくなっている。
「休養」のために、積極的な意味での休養がおろそかになっているのかもしれません。
そんな気もします。

一番の問題は睡眠かもしれません。
今も夜中に4~5回は起きてしまう。
ベッドの時間は8時間以上確保するようにしていますが、実際に寝ている時間は6時間くらいかもしれません。
真夜中に20分ほど、腹筋の体操や工藤運動などをしていますし、眠るのをやめて本を読むこともある。
さほど、眠気は感じないものの、熟睡したという感覚は最近味わったことがない。
もしかしたらこれがすべての原因かもしれません。

でもまあ急ぐことはない。
ゆっくりと体調を整え、体力も回復していくようにしたいと思います。

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■近藤サロン③「ダニエル・カーネマンの2つの思考モード」のご案内

近藤和央さんの「『利己的な遺伝子』論から眺める人間論」の3回目は、思い切り寄り道をすることになりました。

前回のサロンで話題になった「進化倫理学」や「利己と利他の関係」などをさらに掘り下げていく前に、もう少し進化心理学の知見にふれておいたほうが、話し合いの材料が豊かになるだろうと思うからです。

今回のテーマは「直感と連想。熟考あるいは専門知の進化」で、テキストとしては、ダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー(上)」(ハヤカワ ノンフィクション文庫)を取り上げます。

もう10年以上前に話題になった本で、一時期、ファストシンキングとスローシンキングが流行語になった時期もあります。
またこの本では「連想」がキーワードの一つになっていますし、環境による思考の方向付けという問題も議論されています。

その一方で、自分の感性や直感に含まれるバイアスを自覚的に洞察する力も、それが感覚的な違和感のようなもの(ソマチック・マーカー)が糸口になるなど、意識下の原初思考を鍛える(人間は自転車に乗れるようになるだけでなく、人によっては戦闘機やF-1のパイロットの正確な瞬時判断まで出来るようになる)可能性も備えた進化の寵児である、という議論もされています。

近藤さんが、進化論にからめてどう調理してくれるか楽しみです。
できればあらかじめ、同書を読んできていただくとよりサロンを楽しめると思いますが、近藤さんの解説に従って、カーネマンの提唱する2つの思考モデルを学び、視野をちょっと広げて、改めて人間社会の背後にある駆動原理の話し合いに参加してもらうのでも大丈夫です。
「学び」や「気づき」が狙いのサロンなので、聞き役に徹する方も歓迎です。

思考の遊びを楽しむつもりで、ぜひ気楽にご参加ください。 
きっと世界が広がると思います。

〇日時:2024年9月30日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ダニエル・カーネマンの2つの思考モード」
 *テキスト「ファスト&スロー(上)」(ハヤカワ ノンフィクション文庫)
〇話題提供者:近藤和央さん(進化論ファンのneo studier
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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■近藤サロン③「ダニエル・カーネマンの2つの思考モード」のご案内

近藤和央さんの「『利己的な遺伝子』論から眺める人間論」の3回目は、思い切り寄り道をすることになりました。

前回のサロンで話題になった「進化倫理学」や「利己と利他の関係」などをさらに掘り下げていく前に、もう少し進化心理学の知見にふれておいたほうが、話し合いの材料が豊かになるだろうと思うからです。

今回のテーマは「直感と連想。熟考あるいは専門知の進化」で、テキストとしては、ダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー(上)」(ハヤカワ ノンフィクション文庫)を取り上げます。

もう10年以上前に話題になった本で、一時期、ファストシンキングとスローシンキングが流行語になった時期もあります。
またこの本では「連想」がキーワードの一つになっていますし、環境による思考の方向付けという問題も議論されています。

その一方で、自分の感性や直感に含まれるバイアスを自覚的に洞察する力も、それが感覚的な違和感のようなもの(ソマチック・マーカー)が糸口になるなど、意識下の原初思考を鍛える(人間は自転車に乗れるようになるだけでなく、人によっては戦闘機やF-1のパイロットの正確な瞬時判断まで出来るようになる)可能性も備えた進化の寵児である、という議論もされています。

近藤さんが、進化論にからめてどう調理してくれるか楽しみです。
できればあらかじめ、同書を読んできていただくとよりサロンを楽しめると思いますが、近藤さんの解説に従って、カーネマンの提唱する2つの思考モデルを学び、視野をちょっと広げて、改めて人間社会の背後にある駆動原理の話し合いに参加してもらうのでも大丈夫です。
「学び」や「気づき」が狙いのサロンなので、聞き役に徹する方も歓迎です。

思考の遊びを楽しむつもりで、ぜひ気楽にご参加ください。 
きっと世界が広がると思います。

〇日時:2024年9月30日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ダニエル・カーネマンの2つの思考モード」
 *テキスト「ファスト&スロー(上)」(ハヤカワ ノンフィクション文庫)
〇話題提供者:近藤和央さん(進化論ファンのneo studier
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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■胆嚢摘出手術入院記録15:無事解放されました

胆嚢摘出手術入院記録の最終です。

昨日、術後の検査に病院に行きました。
結果は、入院中の胆嚢生体検査も含めて問題なし。
これで一応、病院から完全開放です。

信頼している主治医の加藤医師からは、もう何の制約もなく以前と同じく、自由に生きてよいと保証されました。
このシンプルな潔さが実にいい。

ちなみに、用済みとはいえ内臓の一部である胆嚢を摘出したのだから、身心の再構成のためにしばらくは休養したらどうかといわれている、それに実際に最近は疲れが抜けないと報告しました。
加藤医師の回答は、これまた実に明確です。

胆嚢はもう機能していなかったのだから、再構成などしていないので休養は不要。
疲れやすいと体調不良は、そういうことを誰かに洗脳された結果のマインドセット(加藤さんはこういう言葉は使いませんでしたが)の結果。

あまりに明確な断定なので、私も納得してしまいました。
それでも、ということは私が高齢のために体力が低下しているということですか、と質問しましたが、加藤氏は冷酷にも即座に「そうです」と断定。
思わず「冷たいですね」といったら、「冷たいとかそういう話ではなく、これが事実」とこれまた揺るがない。

というわけで、最近の私の横になる努力や牡蠣すっぽんの服用はどうも無駄な努力のようです。
さすがにちょっと異論をはさみたい気もしましたが、信頼する加藤医師の言葉なので、ここは素直に受け止めることにしました。
たしかに、マイナスのマインドセットに呪縛されることなく、前向きのマインドセットに切り替えた方がいい。
さすが私が信頼する加藤医師。
というわけで、「あばたもえくぼ」で、まあ一度信頼してしまうと簡単に信じられるわけです。それこそが健康と平和の秘訣です。

なんだかおかしな話になってしまいましたが、というわけでお騒がせした「胆嚢摘出手術物語」は何事もなく退屈のまま完結です。

全く問題なしとはいささか物足りないですね、といったら、問題がないのは何よりでしょうといわれました。でもこれで加藤先生に会えないのは少し寂しいと重ねたら、また、私と会っていいことはないと相変わらず付け入る隙がない。
医師と友だちになるのは難しい。
友だちが医師になることしか、医師の友だちはできないのかもしれません。

ちなみに、病院からは解放されましたが、実は今、休養とともに、セルフリハビリに努めています。
これに関しては、このシリーズではなく、また別途報告させてもらいます。

 

まあいずれにしろ、私はほどほどの元気を維持しながら、歳相応の体力低下をなんとか乗り越えていますので、ご心配なく。

 

退屈な記事を15回もお読みいただき感謝します。

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■お米は国民に無料配布するのはどうでしょうか

テレビでも話題になっていますが、スーパーの店頭からお米が無くなっているようです。

都内に住む私の友人には、お米がないのでこの1週間はパックされたご飯を食べているとのこと。我孫子から買っていこうかと思って、娘に聞いたら、我孫子でも最近はお米がない時があるそうです。
昨日も娘が今日はあったと言って買ってきていました。
価格はかなり高くなっているそうです。

FBへの投稿を見ると、たとえば房総半島や茨城の県北ではたくさんあるようですが、地域によっては品薄になっている。
でも政府は万一のために備蓄しているコメは放出しないそうで、何のための「備蓄」かがよくわかりません。

いまの時代、店頭からお米が品薄になってしまうことなど簡単に予測できるはずです。ですから今の店頭での品薄は意図されたものと考えるべきでしょう。
そうした「意図」の理由はいくらでも見つかりますが、私が理解できるのは、そして賛成できるのは、お米の価格を非連続に上昇させるためでしょう。昨今のお米の価格は安すぎる。今の状況では米作農家は報われず作り手がいなくなってしまう。

もちろんそんなことももうずっと前からわかっていた。
にもかかわらずなぜ適切な対策がとれていないのか。
そこに日本政治の根本的な欠陥があるように思います。
政治家はもうきちんとした「政治」をせずに、政治というビジネスに精出しているからでしょう。

私はコメの値段が安すぎると思うので、お米の価格が上がることには賛成です。もちろんその結果がしっかりと米作農家の利益になるという前提ですが。

しかしその一方で、お米はむしろ無料にしたらどうかと思っています。
日本人の基礎食材であるお米を無料にする。それこそが基礎的な福祉政策だと思うのです。
米作農家からは、もちろん政府から米作を続けていきたいと思うほどの価格で買い上げて、欲しい人には無償で提供する。
まあ、一種の「ベーシックサービス」として位置づける。
できれば、各自で味噌と漬物も作れる食材も無償提供してほしいですが、いまの日本の政策では味噌や漬物は個人製造禁止に向かっているので、その政策も見直してほしい。

とまあ、こう書いてきましたが、日本人の生活を支える基本食材のお米の入手不安を引き起こしてもだれも大声を出さなくなった日本では、こんなことはもう夢のまた夢でしょうか。
主人から餌をもらう家畜に完全に育てられてしまったのかもしれません。

しかしそのうち、お米ではなく1日の生命を維持する栄養錠剤が配布される世界が来るかもしれません。
そうならない前に、私はお暇できると思いますが、生まれ変わってきたときのことが心配です。

 

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2024/09/04

■私が政治家を評価する基準は税に対する姿勢です

自民党総裁選と立憲民主党代表選が進んでいますが、その動きを見ていると、その政党がどういう「政治」をしようとしているかがわかります。
個々の政策も重要ですが、税に対する姿勢は、誰のための政治を目指しているかを象徴しています。

税に対する姿勢は、しかし、「増税」とか「減税」という話ではありません。
どういうところから、どういう考えで、徴税するかが大切です。
多くの人は、税を嫌っているくせに(なにしろ「節税」が好まれる国なのです)、消費税に関してはあまり違和感を持っていないのも不思議です。
私は消費税をとる政府は全く信頼できませんが、多くの人には抵抗がないようです。

自民党総裁に関していえば、総裁が総理になるという前提で考えると支持したい人はいませんが、立候補者はみんな総裁にふさわしい、似非政治家のように思います。
かつてのように、国のあり方を考え、国民の生活を考える政治家は、もう今の政界では存在できないのでしょうか。

立憲民主党代表選に関しては、もうまったくわからない。
政策に関しては共感できないものの、政治家としては私が信頼できる数少ない政治家の一人だった小沢一郎さんが、野田元首相を支援しています。
以前からの関係からは不思議ではないのですが、税に関する考えで一度は袂を分かった2人がなぜまた組んだのか。小沢さんもまた政治家を卒業してしまった気がします。
いずれにしろこの党はもう終わっている。

私が期待できる政治家は、いまや山本太郎さんしかいなくなってしまった。
私の政治感覚がもう時代遅れになってしまっているのかもしれませんが、政治はいまや「政治産業」になってしまった。その点でも日本はアメリカに追随している。

ポリティカル・エコノミーからエコノミカル・ポリティクスへと変わってしまった。
私としては政治から逃走したい気分を抑えるのが精一杯です。

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■節子への挽歌6139:しばらく病院からは解放です

節子

今日は午前午後、しかも胆嚢摘出後の検査と前立腺がんの定期検査のダブルヘッダーで、病院づめでした。
いささか疲れましたがこれでしばらくは病院から解放です。

いずれの結果も問題なし。

まず午前中は外科の加藤医師。丹の摘出手術後の検査です。
摘出した胆嚢の生体検査も、特に異常はなく、がんの要素もないそうです。
手術した開口部門もきれいになっていて、これも問題なし。
あまりに何もないので、「張り合いないですね」といったら、問題ありより問題なしの方がいいでしょうといわれました。
たしかにそれはそうです。
でもこれでもう終わりというのはなんだか寂しい気もします。

加藤医師は摘出した胆嚢の写真を見せてくれました。
予想以上に大きい。
というわけで、加藤医師との関係はこれで終わりです。
実に寂しい。

午後は前立腺がんの大槻医師です。
こちらも入院で遅れてしまったのですが、全く問題なく、PSAマーカー値は0.009とさらに低下。良かったですねとの一言で診察は終了。これもなんだか寂しい。
でも待ち時間が長すぎたので、質問する元気も萎えていて、そのままおとなしく、ありがとうございました、で私も対応していましました。

朝から3時過ぎまで病院にいて、何もないというのもなんだかむなしい気もしますが、ここは喜ぶべきことでしょう。

それにしても今日は何もしていないのに疲れてしまった。
これから昼寝、いや、夕寝です。

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■第3回あすあびサロンへのお誘い

我孫子をどんなまちにしたいかを、我孫子住民が中心になって、自由に話し合う「我孫子の明日を話し合う」サロン(“あすあびサロン”)の第3回のご案内です。
今回は市議会議員の内田美恵子さんに問題提起してもらいます。

ちなみに、あすあびサロンでは3回目までは、できるだけ立場が違う市議会議員から話題提供してもらうことにしています。
特定の市議会議員と特につながっているわけではありません。あすあびサロンの主旨から言って、やはり私たち住民が選挙で我孫子の未来を託した市議会議員の思いからはじめようと考えました。
なお、市議会議員を特別扱いする意図は全くなく、みんなと同じ我孫子住民と位置づけていますので、ゲスト以外の市議会議員の参加も歓迎です。

4回目以降は参加者みんなで決めていければと思っています。

今回の話題提供者は女性議員として一番長く議員活動をされている内田みえこさんです。
内田さんは長らく住民の生活視点から、住みやすいまちづくりに向けて、行政に具体的な働きかけをするとともに、行政と住民とをしっかりつなぐ活動に取り組まれています。
住民と行政とがしっかりと対話していくにはどんなことに気をつけたらいいかなども含めながら、「我孫子をどんなまちにしたいか」についての内田さんの思いを話してもらおうと思います。

今回も最初に内田さんから30分ほど話してもらい、後は参加者みんなで、一緒になって本音で話し合えればと思います。
ぜひ多くの人に参加してもらい、思いをぶつけ合い育て合ってもらえればと思います。

この会は、「サロン」ですので、時間ができた人が気楽に参加して、話し合うという気楽な会ですので、誰でも歓迎です。
我孫子の住民でなくても、歓迎です。いつか我孫子の住民になるかもしれませんので。

参加ご希望の方は、できるだけ下記申込先までメールでお申し込みください。なお当日、急に来られなくなったり、申し込んでなくても行きたくなったりしても、いずれも事務局は気にしませんので、気楽にお考え下さい。何しろ気楽な「サロン」ですから。

 申込先:準備会事務局佐藤修(qzy00757@nifty.com

〔第3回あすあびサロン〕

〇日 時:2024年9月29日(日曜日)午前9時半~11時半(915分開場)
〇会 場:アビスタ第3会議室
〇ゲスト:内田みえこさん(市議会議員)
〇協賛費:会費ではなく、ワンコイン(100円)を目安にした自由寄付方式
〇主催者:“あすあびサロン”準備会(事務局佐藤修 qzy00757@nifty.com

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2024/09/03

■節子への挽歌6138:牡蠣すっぽん

節子

柿内さんから荷物が届きました。
何だろうと思って封を開いたら、「牡蠣すっぽん」の錠剤でした。

「あとちょっとの元気に効くと思い送らせて戴きます」と書いてありました。
みんないろいろと気にしていてくれるのです。
早速に飲みました。
牡蠣すっぽんの効用もあるでしょうが、何よりもこうしたみんなの気持ちが元気をくれます。

ところで、手紙の冒頭に「佐藤修先輩(西高)」とありました。
それで柿内さんが高校の後輩だと知りました。
私のことを「先輩」と呼んでいた意味がやっとわかりました。

私は高校とか大学にあまり関心がありませんし、先輩とか後輩という関係にもほとんど何も感じないのですが、そういう「つながり」ってやはり大事なのでしょう。
でもまさか柿内さんが、あの西高で年間過ごしたとは思っていませんでした。

私は卒業以来、一度も言ったことがありません。
だから「西高の先輩」といわれても、ピンとこない。
やはり社会から脱落していたのは、今に始まったことではないようです。

ところで、昼寝と牡蠣すっぽん。
加えて黒にんにくとナッツ。
さらに水素風呂と水素ガス。
もう明日から元気になるでしょう。

明日は午前午後、病院です。
さてどういう診断が下されるでしょうか。

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■湯島サロン「『社会心理学講義』を読み解く②」報告

遠山哲也さんの「『社会心理学講義』を読み解く」サロンの2回目は、13章の「日本の西洋化」が取り上げられました。
難しいテーマにもかかわらず、しかも台風のなか、10人の参加がありました。

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この章では、「変化しながら同一性を維持してきた」日本が取り上げられますが、遠山さんはその問題ではなく、同書が問いかけている次の2つの問題を参加者に問いかけました。

日本は西洋の植民地にならなかったのに、なぜ「西洋化」したのか。
そして、そもそも外国人が少なく閉ざされた社会が、なぜ開かれた文化を持つのか。

この2つの命題には、矛盾はないのか、もし矛盾があるとすれば、それをどう理解すればいいのか。そこから話が始まりました。

前者は、前回の「変化を引き起こすのは多数派ではなく少数者」というテーマにつながっています。そして、読み解くカギは「○○化」というものをどのレベルで、つまりどこまでの深度で理解するかという問題のように思います。
おそらくこれは前回の議論を改めて整理する問いかけのような気がします。
さらには「変化とは何か」にもつながっています。

後者もまた、閉ざされたと開かれたをどう理解するかで問題は大きく変わってしまいます。小坂井さんも本書で書いていますが、そもそも「開放」と「閉鎖」は反対概念というよりも相補関係にあるのではないかと捉えれば、矛盾律は成立さえしないのです。
そもそも「矛盾」は決して「正-反」関係ではないのです。

極めて荒っぽく整理すれば、こういうことになってしまいますが、遠山さんはこうした過程に含意されるいろいろな示唆を、本文をていねいに読みながら言語化して参加者に問いかけてくれました。
正直、私自身はこの章は退屈過ぎて速読で終わってしまっていましたが、こうして遠山さんのガイドでゆっくりと読むと改めてさまざまなことに気づかされます。
一人で読むのと複数の頭で読むのとでは明らかに違ったものが見えてくる。

私自身は、この2つの問いは、あまりに表層的で、矛盾律を設定する「問いの立て方」が退屈だと思っていましたが、「矛盾」を安直に解消して納得するのではなくではなく、むしろ矛盾を正面から受け止めて、先鋭化することによってこそ、新しい気づきが得られる。「矛盾の立て方」に問題があるだけではなく、「矛盾の解き方」も大切なのです。まさに、前回も話題になりましたが、矛盾こそは新たな知や実践を生み出す泉です。

遠山さんは、本書の最初に書かれている「知識とは固定された内容ではありません。世界像を不断に再構築し続ける運動です。驚きをもたらさない知識などは、その正しさが証明されても、たかが知れている」(本書52頁)という箇所に今回言及しました。私はこの文章をスルーしてしまっていましたが、「驚きをもたらさない知識などはたかが知れている」という言葉には、知識や学びの本質が込められているような気がしました。

今回の報告は私の受け止め方中心に書いてしまいましたが、参加者それぞれによって受け止めは違っていたと思います。
話し合いもいろいろありました。「西洋化とは何か」とか、開かれているとか閉ざされているとかは何で評価するのか、異質との触れ合いが直接的なのか間接的なのかでまったく受け止め方は違ってくる、閉鎖的な社会と開放的な文化というときの「社会」と「文化」とは何が違うのか、さらには「矛盾」を解くことで、「正-反-合」という、いわゆるアウフヘーベン(止揚)という話題も出ました。まあいろんな議論がありました。

ちょっと残念なのは、そうしたいろいろな議論や解き方が、相乗的に絡み合うところまで行けなかったことです。それにはもう少し時間が必要なのかもしれません。

ちなみに、最後のあたりで遠山さんから私に「常識」の「矛盾」を考える事例として、私が入院中に病院の廊下を裸足で歩いて、看護師長に叱られた話をするように言われました。案の定、改めて参加者みんなからまた非難されました。あまりに非常識すぎて、受け入れられなかったようです。いや、話し方がまずかったのかもしれません。
やはり常識に従って生きるのが社会に波風を立てない生きるポイントかもしれません。でもそれでは何も変わらない。

13章の最後には「比喩の効用」が出てきます。遠山さんは最後にそれについても急ぎ足で紹介してくれましたが、これはとても大切なテーマなので、参加者の希望で次回、改めて「比喩」をテーマにすることになりました。
これは「問いの立て方」にもかかわってきますし、知や学びにとっても重要なテーマだと思いますので、ぜひまた多くの人に参加してほしいです。

開催日は927日(金曜日)です。
また改めてご案内しますが、ご予定ください。

 

 

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■節子への挽歌6137:節子と一緒に普段通りの1日にしようと思います

今日は節子の18回忌です。
お墓参りは昨日済ませていますし、家族みんなでの会食も昨日済ませています。
ですから今日は一人静かに節子を追悼するだけです。
といっても、特に何かをするわけではありません。

私が現世に執着がないのは、節子のいない現世と節子のいる彼岸と、いずれにも魅力があるからです。
そういう意味で、節子の命日は私には大きな意味がある日なのです。
繰り返しますが、だからといって何かをするわけでもありません。

昨日は家族との会食や墓参りで午後はちょっと動きましたが、できるだけ横になっていました。でも身心が楽になってきたという実感はありません。それに何もやることがないと、お腹が減ってきて、間食ばかりしていました。あまりいろんなことを考えるということなのですが、意識や心の思考は止められますが、身体の思考は止められない。
困ったものです。

それにしても今日は涼しくて、快適です。
自然も私を直そうとしてくれていると感謝したくなるほどです。
ともかく元気ですので、ご心配なく。

でもちょっとまた少し溜まっている「俗事」を処理したくなっています。
少しくらいならいいでしょう。
午後はちょっと俗事タイムを設けようと思います。

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2024/09/02

■節子への挽歌6136:18回忌を前にみんなで会食

節子

明日は節子の18回忌の命日です。
たまたま今日は家族全員がそろったので、みんなで会食に行きました。
といっても改まってではなく、近くのファミレスでの昼食です。
昼食後、みんなでお墓参りに行きました。
今日はにこが水やりが気にいったのか、何回もお墓に水をかけていました。

ところで18回忌ということは、節子がいなくなってから約6,210日ということです。
この挽歌の番号は、本来、節子がいなくなってからの日数を表しているはずなので、数字が70ほど少ないということは、その日数分、挽歌を書いていないということです。
毎年、命日にはできるだけ番号を合わせるようにしていましたが、今年はかなりの差を残したままになってしまっています。

言い訳的に言えば、それだけ今年はいろいろあったということです。
挽歌こそ書きませんでしたが、病気治療報告は、ある意味、節子への報告なので、まあ許してもらえるでしょう。
でもこの差は年内には追い付きたいと思います。
もっとも、途中まだ欠番がかなりありますので、すべてを埋められるかどうかはいささかの不安はあります。

でもまあ、何とか18回忌を迎えました。
まさかの18回忌ですが、ここまでくれば、もう彼岸に急ぐこともないでしょう。
体調を整えて、節子の供養に務めたいと思います。

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■節子への挽歌6135:休養とは「何も考えないでベッドで休むこと」

節子

昨日はなんとか乗り越えましたが、さすがに途中、辛くて、周りにSOSを出したほどで、やはりこのままではいけない、何とかしようと、思わざるを得ない状況でした。
帰宅したら、節子も知っているNさんからこんなメールが届いていました。

時折投稿を見ては、大丈夫かな? 本当はゆっくり休んだ方がいいのではないかな、と思っておりましたが、余計なことは言わないでおこうと。
でも本当に休んでくださいね、参考になりそうな投稿をシェアさせていただきます。

こういう書き出しから始まって、ご自分の体験から次の2つがお薦めだと言います。

目を使わない、のが大事です。
やって良かったなと思うのは、「昼寝」。ちょっと疲れたな、眠いな、と思ったら躊躇せず寝る!これは回復のチャンスが来た!と逃さない。

私は、知識からのお薦めには懐疑的ですが、体験からのお薦めは素直に試してみたくなるのです。
そしてこう続いていました。

アーユルベーダの真紀子さんがインドに治療に行ったとき、医師から休養という処方を出され、休養してるつもりで台所でスタッフの方とおしゃべりしてたら医師から怒られた、休養とは、何もしない、何も考えないでベッドで休むこと、と教えられたそうです。

真紀子さんは、節子も知っているサトヴィック アーユルヴェーダスクール代表の佐藤真紀子さんです。
彼女もご自分の体験を踏まえて、アーユルベーダ研究者になっていますから信頼できる。

ところで、昼寝は私は苦手ですし、目は酷使のしっぱなしです。
でも、「休養とは、何もしない、何も考えないでベッドで休むこと」はとても納得できます。

というわけで、今日からできるだけ横になる時間をつくることにしました。
でも「何もしない」のは難しい。瞑想もいけないのです。ただただ横になって目をつむる」。
面白そうな挑戦です。やらない訳にはいかない。
何しろもう少し在世することに決めたので、ともかく身心を回復させなければいけないのです。
それに周りの人に心配をさせるのは私の趣味には合いません。
身心の再構成に2か月かかるというメッセージももらいましたが、2週間でもう弱音を吐かないようにしたいと思います。

それに、Nさんは、きちんと対処して回復したら、おいしい鰻をご馳走してくれるというのです。
最近はどうも美味しい鰻に出合っていない。
でもなんで鰻なのか。そういえば、ほかの人も鰻を薦めていた気がする。

ちなみに、Nさんは現在はフェルデンクライスメソッドをやっているそうです。私はこれに関しては表層的な知識しかありませんが、確かに身心の再構成にはつながっている気がします。
Nさんはからは、以前、節子はホメオパシーの指導も受けました。
彼女はまた「血虚」についても、養生薬膳アドバイザーの投稿記事を紹介してくれました。

とまあこんなわけで、これからの2週間は、休養中心にします。
目をあまり使わずに、できるだけ横になり、無為に無為にすごす。
加えて裸足で草原を歩くことにも努めたいと思います。

これって休養というよりも、「行」という気がしないでもないですが。
でも2週間後をご期待ください。

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2024/09/01

■節子への挽歌6134:ぼけ老人の会話に今日も出かけます

節子

昨夜も夜中に目が覚めて、真夜中の腹筋体操をしていました。
そのため、目が覚めたら7時過ぎ。慌てて起きたら、電話がかかってきました。
小宮山さんからです。
小宮山さんは朝型ですが、それにしても早い電話です。
たぶん会いたいというのでしょう。

小宮山さんは2か月ほど前に、脳にあった大きな腫瘍を摘出しました。
その後、いろいろあって1か月も入院していました。
身体的には問題ないのですが、どうもそれいらい頭の回転に変調をきたしたようです。

脳の回復には、やはり人との会話がいいでしょう。ですからできるだけ私も小宮山さんが会いたいと言えば、それを優先して、会いに行くようにしています。
小宮山さんとは長い付き合いですし、湯島のサロンを見えないところで応援してくれている。でも小宮山さんはそんなことはみじんも感じさせないので(たぶん意識にもないでしょう)、こちらも自然と彼の要望には応じたくなるのです。
朝の祈りにも、最近は小宮山さんの名前を入れるようにしています。

そんなわけで、今朝もサロンの前に小宮山さんに会うことになりました。
予定していた「あすあびサロン」の準備も明日にしましょう。
いささか気にはなりますが。

身体のバランスが戻らないのもつらいですが、脳の動きが戻らないのはもっと大変でしょう。でも小宮山さんは実に明るい。
以前は、意見の衝突で喧嘩別れ直前まで行くことも多かったのですが、最近はふたりとも萎えてしまい、いつも笑いが絶えません。まあ横から見たら、ぼけ老人の会話に見えるかもしれませんが、ともかくお互いに素直に過ごせる時間です。
身体的にはきついですが、精神的には休養になるでしょう。

今日もまた蒸し暑くなりそうです。

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