■お米は国民に無料配布するのはどうでしょうか
テレビでも話題になっていますが、スーパーの店頭からお米が無くなっているようです。
都内に住む私の友人には、お米がないのでこの1週間はパックされたご飯を食べているとのこと。我孫子から買っていこうかと思って、娘に聞いたら、我孫子でも最近はお米がない時があるそうです。
昨日も娘が今日はあったと言って買ってきていました。
価格はかなり高くなっているそうです。
FBへの投稿を見ると、たとえば房総半島や茨城の県北ではたくさんあるようですが、地域によっては品薄になっている。
でも政府は万一のために備蓄しているコメは放出しないそうで、何のための「備蓄」かがよくわかりません。
いまの時代、店頭からお米が品薄になってしまうことなど簡単に予測できるはずです。ですから今の店頭での品薄は意図されたものと考えるべきでしょう。
そうした「意図」の理由はいくらでも見つかりますが、私が理解できるのは、そして賛成できるのは、お米の価格を非連続に上昇させるためでしょう。昨今のお米の価格は安すぎる。今の状況では米作農家は報われず作り手がいなくなってしまう。
もちろんそんなことももうずっと前からわかっていた。
にもかかわらずなぜ適切な対策がとれていないのか。
そこに日本政治の根本的な欠陥があるように思います。
政治家はもうきちんとした「政治」をせずに、政治というビジネスに精出しているからでしょう。
私はコメの値段が安すぎると思うので、お米の価格が上がることには賛成です。もちろんその結果がしっかりと米作農家の利益になるという前提ですが。
しかしその一方で、お米はむしろ無料にしたらどうかと思っています。
日本人の基礎食材であるお米を無料にする。それこそが基礎的な福祉政策だと思うのです。
米作農家からは、もちろん政府から米作を続けていきたいと思うほどの価格で買い上げて、欲しい人には無償で提供する。
まあ、一種の「ベーシックサービス」として位置づける。
できれば、各自で味噌と漬物も作れる食材も無償提供してほしいですが、いまの日本の政策では味噌や漬物は個人製造禁止に向かっているので、その政策も見直してほしい。
とまあ、こう書いてきましたが、日本人の生活を支える基本食材のお米の入手不安を引き起こしてもだれも大声を出さなくなった日本では、こんなことはもう夢のまた夢でしょうか。
主人から餌をもらう家畜に完全に育てられてしまったのかもしれません。
しかしそのうち、お米ではなく1日の生命を維持する栄養錠剤が配布される世界が来るかもしれません。
そうならない前に、私はお暇できると思いますが、生まれ変わってきたときのことが心配です。
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