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2024/09/06

■節子への挽歌6142:最近、詩を読むようになりました

節子

岡和田晃さんと永田徹さんのおかげで、最近、時々、詩に触れるようになりました。
節子と付き合いだした頃、私は毎日、一編の詩を節子に届けていました。
残念ながら思ったほどには節子は喜びませんでしたが。
しかし、節子がいなくなってからの18年、詩や歌にはあまり近づけなかくなりました。
それが少しずつ変わってきています。

最近は、岡和田さんから教えてもらった「広島・長崎・沖縄からの永遠平和詩歌集」が机の上に置いてあって、時々、気が向いたところを開いて読んでいます。
いささかいまの私には重すぎて、気が滅入ることも多いのですが。

詩集の読み方ですが、私の場合、本を手にとって適当に開いてそこにある詩を読みます。
だから極めてランダムなのですが、なぜかよく出合う詩がある。
築山多門さんの「鳥の歌」です。
なぜかこのページをよく開いてしまう。

そこには4つの戦争の話が詠まれている。
「むごい戦争」「あやうい戦争」「楽しい戦争」「喜ばしい戦争」
私にはあまり共感できない、というよりもあまり心に入ってこない詩ですが、この10日で3回も出会ってしまいました。だからとても気になる。今日は繰り返し読んでしまいました。どうも私には「戦争」とか「平和」という文字がだめのようです。

同書は、峠三吉の「ちちをかえせ ははをかえせ」の詩から始まっています。
これも私には苦手の詩です。
毎回、出てくる詩を読んで、気持ちが晴れることはない。
だから読みたくはないのですが、読まないといけない。

いなのは、この詩歌集の中に宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が掲載されていることです。
ですから、元気が出ない時には、この「雨ニモマケズ」を最後に音読しています。
そうすると心が鎮まる。

詩の力はとても大きい。
でも最近は、詩を読むたびに、心が乱れてしまう。
心穏やかに詩を楽しめる時代になってほしい。
いや、そういう時代になるように、できることし続けなくてはいけない。
宮沢賢治の気持ちが最近とてもよくわかる気がします。

節子がいないのが本当に残念です。

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