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2024/09/24

■節子への挽歌6163:84歳というのはやはり高齢なのでしょうね

節子

84歳というのはやはり高齢なのです。
みんなが心配してくれるのが最近ようやく納得できるようになってきました。
もう少し高齢者としての自覚を持たなくてはいけません。
この1か月ほどの体調不良は、やはり治すよりも慣れる方がいいのかもしれません。
そんな気もするようになってきました。

私は同じ立場で付き合って話しているのに、時に後で丁寧なお礼のメールが来たりすることもあります。
私は昔から年齢を実感できないタイプなので、相手も自分と同じと詩だろうなどと思っていても、20歳も離れていることもあります。
20歳離れていても、私はほとんどその意識はないのですが、やはり先方にとっては私は人生の先輩のように感ずるのかもしれません。

昨日も気楽に会った友人が、「自分の気持ちが、決まらぬまま、相談した事を後悔しています」などとメールしてくるとなんだか調子がくるってしまう気もします。
でもまあ私は、やはり人生の先輩に見えるのだろうなと思わざるをえません。

歳など感ずることなく、付き合いたいものです。
人生には先輩も後輩もない。
たかだか数十年の違いなど、大した差でもないのですから。
しかしこういう風に考えること自体が、たぶんすでに常識からずれているのでしょう。

節子
人と付き合うのは難しいです。

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