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2024年10月

2024/10/31

■湯島サロン「『社会心理学講義』を読み解く③」のお誘い

ブックサロンからスピンオフした遠山哲也さんの「『社会心理学講義』を読み解く」サロンの4回目です。『社会心理学講義』(筑摩選書)を、遠山さんをガイド役に読み解いていこうというサロンです。

今回は、第14講の「時間と社会」を取り上げます。
いよいよ「時間」の登場です。

本書の大きなテーマ、「開かれた社会」は単に空間的なことを意味しているだけではなく、時間的な展開(歴史)や多様性(異質の誕生)にもつながっていきます。

今回も抽象論を飛び交わすのではなく、ぜひとも自らの生き方につなげる形で、話し合うようにしたいと思います。遠山さんもそれを望んでいるはずですので。
話し合いを効果的にするためにも、ぜひテキストを読んでの参加をお願いします。
参加希望者はできれば事前にご連絡ください。

〇日時:2024年11月8日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:時間と社会(『社会心理学講義』14講 時間と社会)
〇書籍紹介者:遠山哲也さん(哲学を生きる哲学者)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

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2024/10/29

■近藤サロン④「ポストトゥルースとフェイクニュース」のご案内

近藤和央さんの「『利己的な遺伝子』論から眺める人間論」の4回目は、前回ちょっと話題になったポストトゥルースを取り上げます。
テキストは、「ポストトゥルース」(リー・マッキンタイア)と「だからフェイクにだまされる」(石川幹人)。

前回は、ダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー(上)」をテキストにして、「2つの思考モード」と「認知バイアス」について考えましたが、今回は、ジーン進化が作ったファスト思考と、ジーンとミームと脳の合作といえるスロー思考の二重構造のせめぎあいの中で、原始素朴直感から出発した人間の知性が、言語的(表象操作的)構造知を獲得し、認知バイアスの妨害を乗り越えて、非直感的/不可視な真理を洞察してきたこと、そうした人間の知性が拡張される先端領域は日常の認識活動とは異なるモードであること(ちなみにそれは日常モードを挟んで神話世界モードとの対極にある)、そのモードは「臨場の知」のうちの「発見的な側面」(ちなみにシステム1化された専門知的直覚・直感・直観は「遂行的な側面」)と言えるかもしれない、という観点で、「ポストトゥルースとフェイクニュース」を取り上げます。

こう書くとなにやら難しそうですが、要はいまはやりのポストトゥルースとフェイクニュースに対して、「臨場の知」を改めて見直そうということです。
おそらくこれもまたいまはやりの、そして湯島でも時々話題になる「陰謀論」や「反科学」にも関わってくるでしょう。ポストトゥルースのルーツは科学否定論であるとリー・マッキンタイアは喝破していますが、陰謀論の広がりも、科学の知と臨場の知とのせめぎあいの中での多様な展開を見せ始め、そこにITが絡んで、日常生活さえをも攪乱しだしています。

近藤さんのサロンは、思索的なサロンですので、どういう方向に展開するかは当日の参加者次第で大きく変わっていきます。しかし、その基底には「進化論」と「生命論」が置かれていますので、自らの生き方につなげながら考えていくことのできるサロンです。
思考の遊びを楽しむつもりで、ぜひ気楽にご参加ください。 
きっと世界が広がると思います。

〇日時:2024年11月15日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ポストトゥルースとフェイクニュース」
 *テキスト「ポストトゥルース」(リー・マッキンタイア 人文書院
        「だからフェイクにだまされる」(石川幹人 ちくま新書)

〇話題提供者:近藤和央さん(進化論ファンのneo studier
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

 

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■湯島サロン「5か月間のヨーロッパ彷徨で気づいたこと」の案内

5か月海外を彷徨してきた仲谷さんの報告サロン第3弾です。

今回は、サンティアゴ巡礼とスコットランドでのボランティア活動の中間の彷徨体験報告です。その間、フランス、スペイン、ポルトガル、オランダ、英国を、彷徨っていたわけです。
すべては、「自分探しの旅」でした。
その旅はたぶん今も続いています。
だから仲谷さんは、サロンを続けているのです。
よかったらお付き合いください。

仲谷さんが「自分探しの旅」に出かけた理由の一つは、たぶん、「生きづらさ」を解消したいからです。
横から見ていると、仲谷さんは「気楽」に生きていて、「生きづらさ」など気にしていないようにも見えますが、実は、「生きづらさ」は仲谷さんにとってのライフワークかもしれません。「生きづらさ」に取り組めば、「自分」が見えてくるかもしれない、そう考えているようにも見えます。ただ、それにどう取り組めばいいかが、なかなか見つからない。まさに、だからこそ、仲谷さんには生きづらい社会なのです。
今回の5か月のヨーロッパ彷徨体験で、仲谷さんは、その生きづらさの原因に少し気づいたような気がします。

湯島のサロンに参加している人のなかには、仲谷さんの「生きづらさ」感と通じるものをお持ちの方も少なくないように思います。
そこで今回は、あえて3回も仲谷さんにサロンをお願いしました。今回も、直接、「生きづらさ」をテーマにするわけではないのですが、仲谷さんの体験を材料に、気楽に自由にそれぞれの生き方などを話し合えるサロンになればと持っています。
そしてできれば、そこから何か新しい物語を生み出したいと思っています。

気楽なサロンですので、どなたでも歓迎ですが、とくに「自分探し」に関心のあるみなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2024年11月9日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「5か月間のヨーロッパ彷徨で気づいたこと」
〇話題提供者:仲谷透さん(視覚文化愛好者)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2024/10/28

■選挙結果はやはりいささか憂鬱な結果に終わりました

選挙結果は、やはりいささか憂鬱な結果に終わりました。

予想に反して、やはり野田立憲民主党が議員を増やしました。
また「野田の悪夢」です。
前回の政権交代で、せっかく政治の変革の夢を与えてくれた鳩山民主党を否定して、原発依存・消費税依存・米国依存の政治に戻した野田さんが復権したのですから、私にと手は、まさに政権後退です。

また政治を変える芽を持っている石破さんを壊してしまうのかと思うと、実に憂鬱です。
国民民主党が伸びたいのも、恐ろしい気がします。石丸さんの成功に感じたのと同じ恐ろしさです。
投票率に関してはもっと恐ろしい。

しかし憂鬱に浸っていてはいけません。
れいわも伸びたし、参政党(私は支持しませんが)も伸びた。そこに政権交代の可能性を見なければと思います。

以上は勝手な私の感想ですが、今回の選挙結果を見て、いろいろと思うこともあるでしょう。その気持ちを忘れないうちに、みんなで話し合うサロンを11月3日に開催します
ぜひご参加ください。

〇日時:2024年11月3日(日曜日)午後2時~4時半
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「衆議院選挙結果に思うことを話し合うサロン」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2024/10/26

■政権交替ならぬ政権後退を避けるために投票に行きましょう

明日は衆議院選挙の投票日です。

投票する人がいないとか、どうせ投票しても何も変わらないという人が少なくないですが、ともかく投票には行ってほしいです。
投票する人がいなければ、自分で育てなければいけません。
投票にも行かずに、政府を非難するのはフェアではありません。

私が予想する選挙結果は、私にはおそらく滅入るような結果でしょう。
自民も立憲も維新も振るわないと思いますが、喜ぶわけにもいきません。
政治のリーダーシップには「勢い」が不可欠ですが、いまのリーダーには勢いがない。
私が支援するれいわも、どうも劣化してきている。
政権交替ならぬ、政権後退は必須です。
しかし、変革の前には一歩後退も不可欠です。変革や飛躍の前には一歩後退も必要ですから。願わくば、変革や飛躍につながる後退を起こすことです。

そして、次の選挙には期待したいものです。
そのためにも、明日の投票には行かなければいけません。

 

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■第36回万葉集サロン「歌と物語 額田王と鏡王女の相聞歌」報告

あまり触れることのない「帰化人の歌」のシリーズから一転、今回は何かと話題の多い額田王が取り上げられました。しかも、「歌と物語」の視点というので、いろいろな話を期待した人も多かったでしょう。何しろ額田王といえば、「物語」に包まれたような人ですから。

最初に取り上げられたのは、額田王と鏡王女の相聞歌。これだけでも話題はたくさんありますが、升田さんはさらにそこから「天平の美意識」や「言葉からの意識への発展」など、論点盛りだくさんのお話をしてくれました。
私にとっては、5回分くらいの話題があったので、報告が難しいのですが、あまりにも長くなりそうなので「歌」と「物語」に焦点を合わせて報告します。

その前にまずは額田王と鏡王女の相聞歌。

  額田王の近江天皇を思ひて作れる歌一首
君待つとわが恋ひをればわが屋戸のすだれ動かし秋の凰吹く(巻4-488

  鏡王女の作れる歌一首
風をだに恋ふるは羨(とも)し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ(巻4-489

この2首は、巻4のほか、巻8にもそろって再出している重出歌です。同じ組み合わせなので、当時は世上でも盛んに歌われていたのでしょう。しかし、巻4と巻8とでは、万葉仮名の表記が違います。そこから升田さんは、漢詩の影響を読むのです。この歌自体にも漢詩を感ずると言います。そして、『玉台新詠』の張華の情詩「清風動帷簾 晨月燭幽房 …」を紹介してくれました。たしかに似ている。この歌の詠み手(額田王・鏡王女)は、漢詩に通じていたと思われます。

しかし、漢詩の影響と共に、この相聞歌には日本列島土着の文化があるとも、升田さんは言います。たとえば「風」の捉え方です。当時、「風」は人の来る前兆として考えられていましたが、そうした民衆の文化をしっかりと踏まえている。
列島の生活文化にも大陸の漢詩文化にも通じている額田王とは一体何者か。

額田王は小説や漫画になったりしてよく知られていますが、実際にはその実像はあまりわかっていません。ただ、渡来人、それも一昔前の渡来人に囲まれて育ったと言われています。だから漢詩にも通じて、日本列島土着の文化にも通じていた。そこから私は、額田王も、聖徳太子と同じような「創られた人物像」に感じるのですが、今回はそれがテーマではありませんので、升田さんもこの話には全く触れませんでした。鏡王女についても、あまり言及はありませんでしたが、当時の人たちが上記の2首を並べて愉しんでいたというのはとても面白い。2つの歌を比べるだけでも面白い。
でも深入りはやめましょう。そこにはいるとそれこそ話が尽きなくなります。

で、今回のテーマ「歌と物語」です。
今回の升田さんのメッセージを要約すると、次のようになります(ここは升田さんに要約してもらいました)。

「た」とのゆるやかな共生・融和から平行に内向きに在った「わ」が覚醒、自立へと発展してゆく。その過程の中で、「た」「な」が存在の背景となり客観視(意識)出来たとき「物語」が生まれる。それは内から外に顕れた「わ(自分)」を外から内向きに眺める(意識する)ことになる。そこに「物語」はうまれ物語は自分の比喩となり、人間性や個性が生まれる。
そこにもっとも大きく関わる、「生き物」のように(意識を持つかのように)意識と共に自在に変容する「言葉」がある。

サロンでは、こうしたことをさまざまな資料をつかって解説してくれたのですが、ずっと升田サロンに参加していた人はともかく、これだけ読んでもわからないでしょう。
ですからここは思い切り私の主観的な視点で解説します。升田さんの意図とは食い違っているかもしれませんが、お許しください。

「言葉」と「日本人の思考様式」。これが升田万葉集サロンの基底にあるテーマです。
言葉は、身体の動きから発する音が「叫び」になり、そこから「歌」が生まれ、言葉に育っていった。言葉から歌が生まれたのではありません。そして物語が生まれてくる。そうした動きに大きな影響を与えたのが「文字」です。そうしたなかで、意識が生まれ、「た」や「な」や「わ」が生まれてきた。

私なりに勝手に要約すれば、こうなりますが、ややこしいのは、ここに声の文化と文字の文化という2つの流れがあることです。
声の文化と文字の文化は絡み合っていますが、かなり違う「意識」や「社会」を創りだしていく。「た」や「な」や「わ」も、2種類あるのかもしれない。さらに最近では、第3の「た」や「な」や「わ」が生まれだしているのかもしれないとさえ思います。
ちなみに、いまの私の関心事は「声の文化の復権」です。

そして「物語」。これまでもサロンで何回か取り上げられましたが、和歌は『古事記』や『日本書紀』の物語の中にも出てきます。そこでは、会話の部分や誰かが感情を述べるところが歌になっています。歌を支えて、物語を構成していたのは語りの部分の散文です。
初期万葉集は、物語の中から歌だけをとり出して編集したと言えます。歌だけで不十分の場合は、題詞で説明されるわけですが、みんなに知れ渡っていた物語は、歌だけで十分に通じたことでしょう。しかし、次第に語りがなくても歌だけで物語れるようになってくる。そしてそれが反転して、歌のない物語へと発展していくわけです。

問題は、物語と歌、どちらが先かです。これに関しても升田さんは興味ある歌を紹介してくれました。
たとえば巻133276番の長歌です。詠み人知らずの歌ですが、その長歌の最後の57577のフレイズが巻123002番の歌そのものなのです。つまり、「歌」があって「物語」が創られる。あるいは「歌」が「物語」の材料に使われる。いずれにしろ「歌」が物語を生み出すわけです。

ところで、57577ですが、これまでのサロンでは、前半の575は神の領域の言葉で、それを受けて後半の77で人の言葉が語られるという話でした。
言い換えれば、前半は与えられた意識を育て、後半では自らの意識を育てていく。
その話と歌の広がりで生まれてきた歌物語にある意識とはどうも次元が違うような気もします。でもまあそれはこれから解明されていくでしょう。

これを升田サロンのもう一つのテーマである「た」「な」「わ」につなげると、物語の中に「自分を見出す」ともいえるでしょう。語っているうちに自分を意識するといえばもっとわかりやすい。
「な」と対峙する「わ」から、「た」によって育てられる「わ」。これまでは「た」のなかに「な」を見つけて、それとの関係で「わ」が生まれてくるという話が多かったと思いますが、「た」のなかから生まれた物語の中に顕在する「わ」もある。そこでは、意識する「わ」と意識される「わ」が互いに働きかけて、個性や意識が育ってくる。多義的な社会の誕生です。

物語と意識に関して言えば、声の文化と文字の文化においてはかなり違ってくるでしょう。文字に頼らない時代の歌と漢詩(文字の文化)に触れた後の時代の歌とは違ってくるはずです。文字は音声言葉にも影響を与えていく。

升田さんは最後に、鏡王女の歌に出てくる「羨(とも)し」に関して、「乏(とも)し」とのつながりの話もしてくれました。
田さんはここで、「生き物」のように意識と共に自在に変容する「言葉」があることを話してくれたのですが、私には十分消化できずに、うまく報告できません。しかし、そこに「声(音)」が生み出す意識が言葉を生み、その意識がその意味や言葉をさらに変容させ、世界を広げていくのを感じました。
言葉も文字も、まさに違ったやり方で意識を生み出していく。

升田さんが配布してくれた資料の最後に、柿本人麻呂の歌、「あをみづら 依網の原に 人も逢はぬかも いはばしる 近江県の物語りせむ」(巻7の1287番歌)が載っていましたが、時間切れでそこまで説明が行きませんでした。不思議な歌です。ただ当時、「近江県の物語り」があったのです。
人麻呂ですから、近江県は荒都の近江京でしょう。その物語に額田王が関わっていることは間違いない。
こうしてさらに「物語」は膨らんでいく。額田王物語。

私の消化不足のために、長くなってしまいました。
しかし、額田王の物語世界は実に面白く、また示唆に富んでいます。次回もぜひ額田王を取り上げていただきたいと思っていますが、升田さんが受けてくれるかどうか。

 

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2024/10/25

■第4回増田サロン「精神と身体 人間は活力の塊」のご案内

増田圭一郎さんと一緒に「地湧きの思想」を考えていく連続サロンの第4回は、野口整体の思想「全生」を取り上げます。

増田さんからのメッセージです。

身体や頭を使うことを損と考える人が多い時代になりました。自分と他者を分け、自分以外のものに労力を使うことは労働の対価を生むと思い込まされているからでしょう。そこでそのような行動を辛いと勝手に思ってしまいます。
動物である人間は、健康なとき体を動かすことにどちらかというと快感や活力を感じるでしょう。

1回でお話しした和田重正は、生きるためのコツとして「3つの鍵」ということを言っています。

・ケチな根性はいけない
・イヤなことはさけないで
・よいことはする

ケチな根性の中で一番よくないのは、力の出し惜しみだ、と言っています。
楽をしたい楽をしたいと言って、腰が重いのは、本来の人間の状態ではないと思います。

野口整体として知られる、野口晴哉先生の言葉のなかに「全生」という考え方があります。野口整体は、身体のバランスを整えて、身体の活力を最大限に(それが当然なのだが)発揮することを目指します。
今回はこの野口整体のいくつかの考え方を、参考にして、人の活力、そして他者とのつながりについて考えてみたいと思います。前回の老子の道にもつながります。

以上が増田さんからのメッセージです。
増田さんは、野口整体の操法を受けて外に出ると、世界がキラキラ輝いて見えることが多い、と言います。
身体と心と精神。働きは違うが分けられない。そして、精神と身体は互いに補い合っている。西洋では、精神と心を別に扱っているが、心は身体と精神を結ぶもの。
今回は野口整体の「全生」を切り口に、「地湧きの思想」に触れたいと思います。
今回もまた、きっと新しい世界が見えてくるはずです。

みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2024年11月4日(月曜日・休日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ: 「精神と身体 人間は活力の塊」
〇話題提供者:増田圭一郎さん(図書出版みらいま代表)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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2024/10/24

■第4回あすあびサロンへのお誘い

我孫子をどんなまちにしたいかを、我孫子住民が中心になって、自由に話し合う「我孫子の明日を話し合う」サロン(“あすあびサロン”)の第4回のご案内です。

市議会議員をゲストに話し合うスタイルを3回続けましたが、これから2回は、ゲストなしで、参加者で話し合うスライルで開催します。
併せて、これからどんなスタイルでこのサロンを展開していけばいいかも話し合えればと思います。

今回の前半は、参加者各人が「こんな我孫子にしていきたい」「そのためにまずは自分はこんなことに取り組みたい」ということを各自(発表した人)に発表してもらい、それを中心に話し合います。後半は、こうしたことを進めていくために、あすあびサロンをどう育てていけばいいかも話し合いたいと思います。
それを踏まえて、12月に予定している5回目では、ワークショップを予定しています。

毎回説明させてもらっていますが、このサロンでは、年齢や立場に関係なく、みんな同じ我孫子住民の一人として参加してもらいます。
また問題や不平を話すのではなく、我孫子をさらに住みよいまちにするために、自分ができること/取り組みたいことを探していくこと、そして仲間を見つけていくことを基本にしたいと思っています。
その趣旨を踏まえていただければ、どなたでも参加歓迎です。

参加ご希望の方は、できるだけ下記申込先までメールでお申し込みください。当日、急に来られなくなったりしても、いずれも事務局は気にしませんので、気楽にお考え下さい。何しろ気楽な「サロン」ですから。
またこのサロンへの参加者を対象にした案内や報告のメーリングリストがありますので、参加されたい方は事務局にご連絡ください。
 申込先:準備会事務局佐藤修(qzy00757@nifty.com

〔第4回あすあびサロン〕
〇日 時:2024年11月10日(日曜日)午前9時半~11時半(915分開場)
〇会 場:アビスタ第3会議室
〇テーマ:こんな我孫子にしていくためにまずはこんなことに取り組みたい
〇協賛費:会費ではなく、ワンコイン(100円)を目安にした自由寄付方式
〇主催者:“あすあびサロン”準備会(事務局佐藤修 qzy00757@nifty.com

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■緊急サロン「衆院選前に各党の公約を話し合うサロン」報告

急な呼びかけにもかかわらず、多世代の8人が参加しました。
しかも時間が過ぎても全く終わらない。みんな話したいことが山のようにありそうです。にもかかわらず、なぜ政治を語り合う場が日常的に少ないのか不思議です。

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話し合いからはたくさんの示唆が得られました。話題も多岐に当たりました。しかし、その内容を要約してもあまり意味がないのでやめます。受け取り方はそれぞれで違うでしょうし。
でも、20代から30代、さらには中高年層、高齢者層と多様な年代層が話し合うのは意味がある。そういう場があまりないんが残念です。

もう一つ残念なのはテレビや新聞もあまり見ていない人が増えていることです。私自身は、政治への関心の第一歩は、テレビと新聞、つまりマスメディアの情報に触れていることだと思いますが、どうも最近はネット情報という、いわば個人情報に埋没している人が多いのが気になります。マスメディア離れが進むと社会は大きく変わるでしょう。これもいつかサロンを企画したいテーマです。

案内にも書きましたが、当初、各党の公約を見比べながらの話し合いを考えていました。でも、資料作成のために改めて公約を読んだら、どの党もほとんど「何も言っていない」ような気がしてきました。「日本を守る」「希望の未来を実現」「政権交替」「古い政治の打破」「自民党政治を変える」「がんこに平和」「日本をなめるな」「絶望してるなら変えよう」などなど、どういう国を目指しているのかが、ほとんどの政党から見えてこない。なぜそうなるかといえば、すべての党が、たぶん「国家統治視点」で発想しているからでしょう。個人の生活視点ではない。政治への関心が低下するのは当然です。国家のための政治はあっても、国民のための政治はない。

生活につなげる言葉で語っているのは国民民主党ですが、それでも「みんなの手取りを増やす」という発想。私には、手取り取り合い社会を示唆している気がしますが、まあ個人の耳には入りやすい。そのせいか、サロンでも話題になりましたが、ネットの投票マッチングをやると多くの人が「国民民主党」になるそうです。
この投票マッチングなどというのは、選挙妨害装置・国民痴呆化装置だと思いますが、ついついみんなやってしまうのでしょう。私もやってしまった。

サロン報告が私憤晴らしになっていますね。選挙話題に戻ります。

具体的な政策を見ても、あまり意味があるとは思えない「改憲/護憲」「増税/減税」「経済成長」などという言葉があふれている。
サロンでも、そういう言葉が語られやすいですが、私には意味不明。
税にしても、大企業減税か生活者減税かでまったく意味が真逆になる。改憲も肝心の何を変えるかで真逆になる。経済成長も、貧しい人たちを生み出すことでの成長を私たちは体験しているにもかかわらず、経済が大切などというおかしな生活者が少なくない。言葉に騙されてはいけません。

ますます私憤めいてきそうです。反省。

ただ今回は、若い世代の思いに触れさせてもらったのと、さらに若い子どもたちの世界で、「政治」が語られだしているという話も聞けました。マスメディアだけではなく、いろんな世代、いろんな立場の人と話さないとやはり社会の実相は見えてこない。

さらに、最近、自治体政治に議員として参加し始めた人も参加してくれて、国政と自治体政治の話題がかなり出たのもおもしろかった。国政から自治体政治を考える流れが強まっていますが、それを反転しなければいけない。その動きはもっと注目されていいですが、日本では「政治」というとみんな「国政」に目が行っています。

いずれにしろ投票日まであと3日。
昨日のサロンの話し合いで、私は投票先が決められました。
投票したい人が見つからないという人が多いですが、それは立候補者の問題ではなく、たぶん自分の問題です。投票のリスクは自分で取らねばいけない。
選挙を契機に、ぜひ政治とは何か、自分にできることはないか、を考えていきたいものです。

なお選挙結果を踏まえて話し合うサロンを11月3日に開催します。
よかったら参加してください。
今回の選挙はかなり動きを起こしていく結果になると思いますので。
私の予想が当たらないといいのですが。

 

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2024/10/23

■湯島サロン「犯罪のないまちづくりを探す旅」報告

昨年から、毎年約2か月間、治安のいいと言われている国でホームステイをしながら、どうして治安がいいのかの理由を探す旅を始めた森田愛さんに、その思いと2つの都市の生活体験から得た感想を話してもらうサロンでした。

森田さんは最初に、なぜこの旅を始めたのかを話してくれました。
なんと始まりは小学生時代。テレビで青少年の犯罪がニュースで流れ、気持ちが激しく動き、どうにかしないといけないという気持ちを強く持ってしまったのが始まりです。このこと自体が、とても考えさせられる話ですが、それからいろいろあって、昨年から「犯罪のないまちづくりを探す旅」を始めたのだそうです。

実際には、経済平和研究所が発表する世界平和度指数を基準に、まず国を決めて、そこから先日の仲谷さんのサロンで話題になったwork exchange programをつかって、ホームステイできるところを探すのだそうです。
これまで、世界平和度指数が世界1高いアイスランドと、7番目のポルトガルに行きましたが、今年は11月からデンマーク(8番目)に出かける予定です。

旅は始まったばかりですが、2つのまちでの滞在で感じたことを話してくださいました。ちなみに、滞在したまちはアイスランド(人口約40万人弱)では国内第2の都市アークレイリ(人口2万人弱)、ポルトガル(人口1000万人)では歴史村カステロ・ノーボ(人口300人ほどの集落)。
森田さんにとっては、いずれも日本よりも安心できるようなところだったようです。

2つの「まちの暮らし」には共通点と違いがあったといいます。
森田さんは写真を使いながらそれを体験談も含めて話してくれました。

 

共通点として森田さんがあげたのは4つ。

  • あいさつを現地の人から交わしてくれる
  • 国籍による差別的な扱いがない
  • 家族、親戚、地域の人々との交流が頻繁にあり、その時間を優先的につくる
  • 治安が良くても鍵を閉めている(犯罪を起こさせないようにしている)

①③は、私が子どもだった頃の日本もそうだったと思いますが、最近はどんどんなくなってきています。②と④は日本にはあまりなかったような気がします。

 

森田さんは、この旅を始める前から、「家族を含めて近所の人や身近な人のケアをお互いにできていたら犯罪は生まれないのでは」と思っていたそうですが、その仮説を改めて確認したようです。

 

つづいて違う点。これがなかなか面白い。

まず「人との距離」が違う。アイスランドは親身な関係を持ちながらも一線置いている感じだが、ポルトガルの場合は、ともかく話していても物理的な距離が近い。写真も見せてもらいましたが、かなり「近くて」慣れないと大変だなと思いました。

2つ目は街中での「落書きの差」。アイスランドは少ないけれど、ポルトガルでは多いそうです。もちろん森田さんが滞在した歴史村には落書きはありませんが。落書きが多いと不安になる人もいるでしょうが、逆に安心する人もいるのかもしれない。

3つ目は「貧困(社会的保証)の差」。アイスランドは“機会平等”が重視されており、一定の生活水準を維持するための施策もあって経済格差をあまり感じないが、ポルトガルはそうではないようです。

そして4つ目は「男女平等の差」。アイスランドでは平等についての授業があるほどで、男女差は感じられないが、ポルトガルではDVも多く、殺人の3割がDV関連らしい。 

5番目は「ゴミ捨て場がキレイかどうか」。アイスランドはキレイだが、ポルトガルは汚い。街で見かける割れた窓ガラスもアイスランドは少なくポルトガルは多かった。これが6つ目。

個人が尊重されているかどうかも、かなり違うようです。森田さんは子どもに関わるボランティア活動もしたそうですが、アイスランドでは子どもも尊重され、子どもに寄り添う育児を感じたのに対して、ポーランドでは親がマウントを取りたがり、育児も親の尊厳が強く、厳しいしつけが行われているそうです。

そして、昔ながらの「生活に必要な習慣」が今も続いているかどうかも両都市では違っていたようです。アイスランドでは、夏休みが6月〜8月まであり、長い冬支度のために子どもたちも家の手伝いをする。毎年9月になると羊の毛を刈る、屠殺するために都心に住んでいる人も集合して手伝う、というふうに、世界1インターネットが普及して発展してきている現代でも、みんなで協力している生活が続いていることが、治安の良さに繋がっているのではないか、と森田さんは言います。ポルトガルではそうした生活習慣は続いてないようです。

以上が森田さんが感じたことですが、アイスランドは犯罪が少ないのはわかりますが、ポルトガルはそうではないのではないかという気もしました。
でも森田さんの生活体験では、いずれのまちも、日本にいる時よりも安心して過ごすことができる気がしたというのです。
それは、困ったことがあっても、必ず誰かが助けてくれるという信頼感があったからだそうです。いわゆる「ソーシャル・キャピタル」が豊かだということでしょうが、どうも最近の日本では、若い世代はそういう信頼感を持ちにくい状況のようです。

しかし、森田さんも、ポルトガルを体験して、改めてアイスランドの治安の良さは格別だったと感じたそうです。
そこで次のようなことが気になりだし、これから調べていくそうです。

  • 人口の多寡と人間関係の関係
  • 平等意識は生来のものか教育によるものか
  • 家族、近隣住民と助け合う精神はどこから生まれるのか
  • 個人を尊重する精神はどこから生まれるのか

ちなみに、森田さんは暮らしで感じたことのほかに、現地在住の人への質問もしてきているそうで、そのいくつかを紹介してくれました。
これも面白い。一部を紹介します。

アイスランドでは、「みんなが知り合いだから何かあったらすぐばれる」「苛酷な環境に生きているから協力し合わないと生きていけない」。とても納得できますが、私としてはちょっとがっかり。
ポルトガルでは、「悪い奴らはお金のある国に行った」。これは実に示唆に富んでいる。また、たまたま区長に会う機会があったので質問したら、ポルトガルは治安がいいとは思っていないと言ったそうです。これも面白い。
ポルトガルといっても都市部と森田さんが滞在した歴史村とはかなり様相は違うのでしょう。そこにも、「犯罪のないまちづくり」のヒントがあるように思います。

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話し合いもいろいろと話題が出ました。
日本は果たして「犯罪のないまち」という視点から見た場合、いい方向に向かっているのか悪い方向に向かっているのか。多くの人は悪い方向だというでしょう。
でもまだいろんなところに、「犯罪のないまち」を実現する要素はたくさん残っている。

たとえば、私は最近、外であった人にあいさつの声かけをするように努めていますが、返事が返ってくることは多いです。地方に行くと今でも向こうから声をかけてくるようなところもある。でも都会では、むやみに声をかけると嫌われる。「あいさつ」こそがすべての始まりと思っている私には、どうも違和感がある。
インターネットの普及も、どうもいまのところ「犯罪抑止」ではなく、闇バイトによる犯罪増加のように「犯罪助長」につながっている。
「犯罪のないまちづくり」への期待はますます大きくなりそうです。

森田さんは、ともかく10か国ほど回ってみようと考えています。並行して、日本でも何か実験的な試みもしてみたいと言っています。
デンマークから帰国したら、またその報告も兼ねて森田さんにサロンをお願いしたいと思います。私たちも、日ごろからきちんと考えていきたいものです。「犯罪のないまち」は誰かがつくってくれるものではなく、そこに暮らしているものたちみんなで育てていかないといけません。

ちなみに、森田さんは旅の記録をInstagramで公開しています。
森田さんの思いが伝わってきますので、ぜひご覧ください。
https://www.instagram.com/dandelion_thick_gray_cloud_and/

 

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2024/10/22

■緊急サロン「衆院選結果に思うことを話し合うサロン」のご案内

10月27日、衆議院議員選挙の投票日です。
選挙前に各党の公約などを話し合うサロンを、10月23日に開催しますが、その案内でも予告しましたが、選挙結果が判明した11月3日に、選挙結果に思うことを話し合うサロンを開催します。

3連休のど真ん中ですが、この3連休は湯島は3日連続のサロンです。
私はこの日も参加する予定ですが、最近の体調から考えると、たぶん、聴き役に回ると思います。それでもやはり開催しておかねばと思うほど、いまの日本の政治には危機感を持っています。

世間的には「政権交代」が話題になっていますが、私にはどう転んでも「政権後退」としか思えません。もちろん、希望がないわけではなく、私にとっての明るい種も見えてはいるのですが、今回、それがまたちょっと大きく伸びるかもしれません。

しかしみんなそれぞれ違った受け取り方をすることでしょう。
選挙結果を見て、日本の近未来と遠い未来に関して、それぞれの思いを話し合い学び合い、それをそれぞれが行動に移していければと思っています。
できれば湯島のサロンの企画にも活かしたいです。

今年はいささか「政治」から離れたサロンが多かったですが、来年はまた「茶色の朝サロン」を復活していきたいと考えています。
ともかく政治に関して話し合う場を増やしていきたいと考えています。

みなさんの参加をお待ちしています。
申し込みなしでも、当日気が向いたら気楽に顔を出してください。

〇日時:2024年11月3日(日曜日)午後2時~4時半
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「衆院選前に各党の公約を話し合うサロン」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2024/10/19

■第5回中国現代文学サロン「徐則臣『養蜂場旅館』」報告

第5回中国現代文学サロンは、徐則臣の「養蜂場旅館」を取り上げました。ちょっと不思議な作品です。

短編ですが、今回の参加者はだいたい2回以上読み直しているようです。
私もそうですが、どうも読み終えた後、すっきりせずに、読みなおしたくなる、そんな作品です。
作品に関する感想議論を報告しても、作品を読んでいない人には意味がないでしょうから、今回は葉紅さんの解説の一部を紹介します。

この作品には、主人公のほかに4人の人物が登場します。そのうち、名前が出てくるのが3人。主人公は「僕」で通しているので、名前はわかりません。
葉さんは、「名前から読み取る作中の人物像」を解説してくれました。作品を読んでいる人にとっては、その解説で作品の理解が深まったと思います。

たとえば、主人公が前に付き合っていた恋人の名前は「揺揺(ヤオヤオ)」です。
葉さんによれば、「揺」は「揺れ動く、安定しない」意味で、実際に女性の名前に使われるのはめずらしく、同音(ヤオ)であれば、通常は「美しい玉」を意味する「瑶」を使うそうです。それをわざわざ「揺」の字を使ったところに、作者の意図するものがあるというのです。

もう一人の女性は「小艾(シャオアイ)」という名前ですが、「艾」は植物の「よもぎ」という文字ですが、同時に「愛」とか「かわいらしい」という意味もある。これもまた、作品を読む解くうえで重要な意味を持っています。この2人の女性が作品の軸だと知れば、それだけでもある世界がイメージできるでしょう。

というように、名前ひとつとっても、どの文字を使うかに大きな意味があるのです。

もちろん小説に出てくる人の名前はどこの国の小説でも重要な意味を持っているでしょうが、「漢字」には特別に大きな意味を持たせられる気がしてきました。作品に出てくる「固有名詞」(人名だけではありません)をつなぎ合わせるだけでも大きな世界が見えてくるような気さえします。
ここに中国文学を楽しむポイントの一つがあるのかもしれません。

作品に出てくる場面に関して、葉さんは2つの場面に注意を向けさせてくれました。

一つは、主人公が宿泊することになる旅館で、美味しい手打ちうどんをごちそうになる場面です。
葉さんによれば、一般的に中国は南方の方では米が主食、北方内陸部などは小麦粉が主食だそうですが、中国には「送客的佼子迎客的面」、あるいは「上牢佼子下事面」という言葉があるそうです。どちらも「客を見送る食事は餃子がよく、客を迎えるには麺類がよい」という意味だそうで、餃子は一般的にご馳走と考えられ、これから旅に出る客をもてなす意味でよく作られるのに対して、麺類は消化がよいので、旅の疲労を癒し、食べやすい食事を提供するという考えに基づいているのだそうです。
私は「手打ちうどん」という言葉に新鮮さを感じましたが、中国では「手打ちうどん」が歓迎のメニューだとは知りませんでした。

もう一つ、葉さんが注目させてくれたのは、お湯が入ったバケツで足を温めて洗ってから寝る、という場面です。寝る前にお湯で足を温めるのは、清潔にする意味においても血行を良くして疲れを取る意味においても、中国では古来、庶民の暮らしの知恵なのだそうです。気候状況の違いもあって、日本ほど、入浴の習慣はありませんでしたが、家庭内での入浴がまだ普及されていない時代には、足を洗う(「洗脚」)のは疲れた体をいたわる点でも手軽で効果的な方法だったのです。

他にも、中国の伝統文化や最近の生活状況を示唆する話はいろいろ出ましたが、単発的に紹介してもあまり意味がないので省略します。
葉さんは、小説に登場するちょっとしたシーンや言葉づかいから、いつも中国の伝統文化や現代生活につながるような解説をしてくれます。なかには現代の日本につながる話題も出てきます。それがとても興味深いのです。

ところでこの作品について、ほとんどの人がなかなかすっきりと理解できないという感想でした。なかには推理小説として読んだという人もいましたが、それではどうもすっきりしなかったようです。
そうしたなかで、ある人が、中国に昔からある伝奇小説と思って読むとすっきりすると解説してくれました。たしかに、と私も納得しました。そういえば、むかし読んだ「聊斎志異」に、こんな話があったような気がします。たしかに、伝奇小説と思えば、素直に受け入れられ、想像がふくらんできます。

私自身は、作中に出てくる5人の人物のうち、名前のない2人だけに実在感を感じていましたが、その解説ですっきりしました。

他にも示唆に富む読み方がありました。フェミニズムの話題まで出ました。
同じ作品も、人によっていろいろと読み方が違う。同じシーンも、読み過ごす人もいれば、引っかかる人もいる。その違いがまた面白い。
そこにこのサロンの面白さがあります。

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ところで、サロン終了後、参加者の一人が、いまの中国の若者たちはこういう作品を読んでどう思うのだろうかと発言しました。
たしかに興味がある。
どなたか中国育ちの若い世代の人をご存じだったら、ぜひ紹介してください。
そういう人が参加してくれると、さらに今の中国が実感できるでしょう。

ところで、葉さんは、以前はこのようなテーマの作品は出版が難しかったと言います。つまり、作家たちが描けるテーマの幅が広がったというわけですが、それもまたいまの中国を理解することにつながるでしょう。

とこう書いてくると、まだ作品を読んでいない人は、読みたくなるかもしれません。
湯島にありますので、関心がある人がいたら貸出可能ですので、お申し付けください。

次回は劉慶邦の「いちめんの白い花」を読む予定です。葉紅さんが翻訳した作品です。

作品が掲載されている「現代中国文学8号」(今回の作品『養蜂場旅館』もそこに掲載されています)は葉さん経由で入手できます。ご希望の方はご連絡ください。1200円です。

中国文学サロンは4か月おきの第2日曜開催です。次回は202529日です。

 

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2024/10/18

■緊急サロン「衆院選前に各党の公約を話し合うサロン」のご案内

10月27日、衆議院議員選挙の投票日です。
選挙は改めて、各党の考えを確認するいい機会ですが、同時に私たちが、政治に関する知見を広め、意見を交わし合う機会にできることに改めて気づきました。

すでに期日前投票に行った方もいると思いますが、是非いろんな意見をぶつけ合い、学び合うサロンを開きたくなりました。
なぜ今までこうした場を持たなかったのか、反省しています。

急なお誘いでしかも平日なので、参加が難しいと思いますが、私たちの未来を決める選挙ですので、多少の無理をしてもぜひご参加ください。
できれば、主要政党の政見放送を当日みんなで観るとともに、参加者の関心事の高い問題を中心に自由な政治論議ができればと思います。

各人が支持している政党に関するアピールタイムもできれば設けます。
政治家に変化を期待するのであれば、私たちも変化しなければいけません。
選挙前に、党派を超えた、こういう自由な話し合いの場を広げていくことこそが、総務省の仕事だと思いますが、手が回らないでしょう。
こういう場づくりをする市民活動が起こればと念じながら、湯島でも初めての試みです。選挙結果判明後のサロンもやる予定です。

みなさんの参加をお待ちしています。
申し込みなしでも、当日気が向いたらの突然の参加も歓迎です。

〇日時:2024年10月23日(水曜日)午後2時~4時半
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「衆院選前に各党の公約を話し合うサロン」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■れいわ新選組の公式チャンネルの山本太郎さんの政見放送をぜひ見てほしいです

選挙が始まりました。

今回の選挙には複雑な思いがあります。
「政権交代」が云々されていますが、いまの野田立憲民主党が仮に勝ったとしても、政権交代とは言えない気がします。私自身は、いまの自民党には辟易ですが、野田さんはそれ以上に信頼できません。政治がまた大きく引き戻される。「政権後退」です。
野田政権よりは、石破政権が信頼できます。ですから、自民党に勝ってほしいという気さえします。でもそれでいいのか。実に悩ましい。

それでも一応、各党の政見放送はできるだけ見ています。実に面白い。
なかなか時間が合わなかったのですが、今日、初めてれいわ新選組の山本太郎さんの政見放送を見ました。

実にわかりやすい。
涙が出るほどに感動しました。
裏金問題などは私には些末な話に感じます。
今の日本で問題なのは、税制であり、財政です。
消費税は理念的に私にはありえない税制ですが、そこにこそ日本の政府の本質が感じられます。裏金問題などに目を奪われて、大きな悪を見逃してはいけません。

ぜひ多くの人に、この政権放送を見ていただきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=XyyHqQ3mhkM&t=11s

私が元気なうちに、山本太郎政権が実現することをいつも夢見ています。
忙しくて選挙に行けない人たちが、この動画を見たら、日本の政治は変わるはずです。

まだご覧になっていない方、ぜひご覧ください。

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■湯島サロン「英国の庭園でのボランティア体験」報告

5か月ヨーロッパを旅してきた仲谷さんの報告サロン第2弾は、最後に取り組んだ英国でのボランティア活動体験を中心に話してもらいました。
前回のサンティアゴ巡礼体験とは全く違っての一か所での生活です。

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仲谷さんはまずなぜ英国でのボランティア活動に取り組んだのかの話から、ではなく、どうやってそのボランティア先を見つけたかの話からはじめました。

仲谷さんがボランティア先を探したのは、work exchange programという仕組みを通してです。このプログラムは、簡単に言えば、「毎日一定時間のボランティアをして、その代わりにホームステイさせてもらう」というもので、ボランティア先はネットで検索できるそうです。
work exchange を探せるネットのプラットフォームはいくつかありますが、代表的なものを紹介してくれました。いずれの場合も、自分が希望するところにネットで申し込み、ホストの了解が得られれば実現できます。

ちなみに申請は英語ですが、たまたま仲谷さんのホストは、面接もなく、書類審査だけで受け入れてくれたそうですが、もしかしたら、サンティアゴ巡礼直後だったことが信頼を高めたのかもしれません。
ただ、仲谷さんは、英国に移動した後、申し込んだため、実際にボランティア先が決まるまで1か月ほど、英国都市部で彷徨していたようです。

ところで仲谷さんが出合ったボランティア活動は、スコットランドの農村の庭の整理作業。「英国の庭園でのボランティア」という案内に、憧れの英国庭園の話を期待して参加した人もいましたが、「庭園」というよりも「広大な樹木つき野原」の草刈りと樹木伐採作業だったようです。バラの話は出てきませんでした。

“Work exchange”とあるように、ここでは“money”は使いません。
ボランティア作業と住まいの場の提供が、貨幣を介さずに直接交換される「事々交換」です。こういう仕組みが世界的に広がっているのは、なんだかとてもうれしいです。

お金などに依存しなくても、人間の支え合いや社会経済は成り立つのです。いや、お金を介さない関係であればこそ、人間的なふれあいが生まれるのかもしれません。
湯島のサロンで時々話してもらっている「エルモット村」も、“Work exchange”で世界中の若者とのつながりを広げました。仲谷さんは「民際交流」という言葉も使いましたが、国家の枠組みを超えだしているのは、資本だけではないのです。
話がまたそれました。反省。

ホスト家族は、学校の先生夫妻で、ふたりの子どもは大学生で家を出ていますが、たまたま夏休みだったので、ふたりとも家に戻ってきていたそうです。家族とはほぼ毎日、会っていたそうです。
仲谷さんの場合、1日の作業時間は4時間。住まいはホストの家の近くの別棟の家。食事は自炊ですが、食材は近くのお店で購入。昼食はホスト夫妻が作った物を一緒に食べることが多かったようです。
日曜日は、ホスト家族と一緒に教会へ。近くには特に観光地的なところはないので、作業時間以外ものんびりと広大な庭で過ごしていたようです。

でも村祭りに参加したり、近くのウィスキー工場見学会や鷹狩イベントに行ったり、元貴族の館の見学に行ったり、結構楽しんでいたようです。本人は退屈だったと言っていましたが。
滞在期間が2週間と短かったこともあって、村の人たちとの交流はあまりなかったようです。それに「日本人」だからといって、特に珍しがられたこともなかたようで、そのあたりが「外国人」に対して特別視しがちな日本の社会とは違うようです。

ちなみに、ホスト家族がボランティアを受入れ始めたのは今年の7月からで、仲谷さんは2人目の受け入れボランティア。ホストにとっても、その村全体にとっても、初めてのことだったようです。

ところで、今回のボランティア体験で、仲谷さんは何を得たのか。
そもそも今回の仲谷さんのサンティアゴから始まるヨーロッパの旅は、「自分探しの旅」でした。果たして「自分」は見つかったのか。
仲谷さん自身は明言しませんが、何か変わったものを得てきたようです。でも本人自身が、それがいったい何なのかに気づいていなようです。
前から仲谷さんを知っている人の多くは、変わったと言います。

他者のことを詮索するのはあまり趣味がいいとは言えないので、これ以上の詮索はやめますが、来年の仲谷さんはいろいろと新しいことをはじめるような気がします。
異体験は、必ず人生に新しい道をつくってくれる。私はそう確信しています。ただ、その新しい道を本人が気づくかどうか、そしてその道に歩み出すことを選ぶかどうか。

ちなみに、なぜ仲谷さんが英国にわたりボランティアに取り組んだのかは、明確です。
EU滞在の場合、3か月を超えるとビザが必要になるので、長期滞在するためには、一度、大陸を離れる必要がある。それで英国が選ばれた。ボランティアは単純に費用削減のため。英国でのボランティアを終わって、またEUに戻って彷徨することは可能だったわけです。要は、長くヨーロッパに滞在したかったようです。でも、ボランティア体験が終わったら帰国してしまった。
何かおかしい気もしますが、でもまあ、そんなことを詮索するのも余計なお世話です。仲谷さんが、英国でのボランティア体験で得たものが大きかったのかもしれません。

ボランティアを終わって帰国する時、ホストは仲谷さんを最寄り駅まで車で送ってくれたそうです。たまたま列車が着くのが遅れ、列車を待っている間、ホストといろいろ話をしたようです。サンティアゴ巡礼の話もしたそうです。
きっと双方にとって「よい別れ」だったのでしょう。

ホスト夫婦は、きっといつかサンティアゴ巡礼に行くでしょう。ホスト夫婦の子どもたちはwork exchange programを使って、いつか日本に来るかもしれません。
そんな気がします。

仲谷さんのサロンは、もう1回続きます。
次回は、サンティアゴ巡礼とスコットランドのボランティア体験の中間の、ポルトガルを中心としたヨーロッパ彷徨報告です。実は、この期間が一番長いのです。
改めて、サンティアゴ巡礼とは何だったのかの話もでるかもしれません。
よかったらお付き合いください。

今回仲谷さんがボランティアをしたところの写真を掲載している、work exchange programの募集サイトをご参考までに。
Volunteer Gardener Needed in Scenic Rhynie... - Worldpackers

 

 

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2024/10/17

■今日から始まるテレビドラマ「ザ・トラベルナース」のお薦め

「ザ・トラベルナース」のシーズン2が今日からテレビ朝日で始まります。
https://www.tv-asahi.co.jp/the_travelnurse_2024/

 シーズン1に関しては、昨年、紹介しましたが、医療の本質を突くメッセージをたくさんもらいました。
というわけで、シーズン2はもちろん私はまだ見ていませんが、医療制度に関心のお持ちの方にはぜひお薦めしたいです。「外れ」になるかもしれませんが。
取り扱われているテーマの一つは「ナース・プラクティショナー」です。
https://www.nurse.or.jp/nursing/np_system/index.html

私は以前から、医学中心の医療から看護中心の医療へとの転換を願っています。
それを実現する第一歩が、ナース・プラクティショナーかなと思っています。

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2024/10/16

■湯島サロン「あはれなる民からの真の独立への道」パート2の案内

「平和」を考えるサロンの3回目に問題提起をお願いした北京一さんの「あはれなる民からの真の独立への道」サロンに関しては、もうすこし話し合いをしたいという要望があったので、北さんにお願いして、話し合いを中心にパート2を開催することになりました。
前回参加できなかった方もいるので、最初に20分ほど改めて北さんに論点を整理してもらい、あとは参加者による話し合いの形にしたいと思います。

大きな論点は、「非武装平和国家に向けての実践的な方策」ですが、前回、北さんから問いかけられた次の2つの問題に沿って、話し合いができればと思います。

前回のサロンでは、この問いかけに関する話し合いまで行けませんでした。

1】戦争を知らない子どもたちは、かつての過ちたる戦争と、その結果に関して真っ当に反応できる(背負える、さらには引き受ける)何をもっているのだろうか?

2】その裏返しの一面でもある、結果振り落ちてきた宝とするものを、その宝としての価値がもはや失墜している現実に見合うべく新宝をつくろうとする動きが具体化したとき、いまだその宝のもとにあるわたしたちがとるべき選択のかたちになにを描くのか?

また北さんは、前回、最後にニーチェの「すべてが新たな理由と方法に基づく」という言葉を提示しました。時間の関係もあって、解説はありませんでしたが、これまでの延長ではない発想が求められているということでしょうか。
そこにたぶん、「民」発想ではない発想が求められている。
そこから上述の北さんの2つの問いかけが出てきているのでしょう。

そもそも問題の整理から取り組まないといけない問いかけですが、前回の北さんの時代認識の整理を踏まえて、ぜひとも実践的・具体的な方策を見つけ出すサロンにしたいと思います。
もしかしたら、改めてまた新しい問いが、北さんから出てくるかもしれません。

前回参加された方はもちろん、そうでない方も歓迎です。
私たちの未来のためにも、ぜひご参加ください。

〇日時:2024年11月10日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「あはれなる民からの真の独立への道パート2」
〇問題提起者:北 京一さん(ん倶楽部社会構想研究室)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2024/10/15

■湯島サロン「生きとし生けるものの生きる意味」のお誘い

以前予告したまま、開催を延期してきたサロンがあります。
予告からもう5か月も経過してしまったので、開催をやめようと思っていましたが、ある人から要望もあり、また私も何とか体調が戻ってきたので、開催することにしました。

今年の5月5日に、テレビ東京開局50周年記念ドラマの「生きとし生けるもの」が放映されました。涙が止まりませんでした。もちろん「いい涙」です。
見終わった後、これを観て話し合えるサロンをやりたいと思いついたのです。

テーマは「生きる意味」。
安楽死など、「生と死」をめぐりサロンは何回か試みましたが、どうもうまくつづかない、というか、答えが見えてこない。でもこのドラマを見終わって、私は自分の生き方が見えてきた気がしました。確信したと言った方がいいかもしれませんが。
そして、生きることにあまり価値を感じていない人に、ぜひ見てもらって、話し合いたいと思ったのです。

ドラマは90分ほどです。
ご覧になった方もいるでしょうが、まだの方は、サロンの前に湯島でDVDで観てもらうようにします。
「生きとし生けるもの」がどんなドラマかは、次のサイトなどで読んでください。
https://www.tv-tokyo.co.jp/ikitoshiikerumono/

すでにご覧になった方や、別の方法でご覧になれる方は、いつものように2時からのサロンにお越しください。サロンの前に観たい方は、12時半から映写しますので、12時20分までに来てください。会場は12時からあけますので、映写が始まる前に軽食持参で昼食を済ませてもらってもいいです。ただし、お菓子は持参しないようにしてください。映画館でのポップコーンが私は煙草と同じくらい嫌いでした。

さてどんな展開になるのか。
全く予想はつきませんが、生きる意味に気づいてもらえればうれしいです。

〇日時:2024年11月2日(土曜日)午後12時30分~4時
     12時半 ドラマ映写開始
     14時  サロン開始
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:テレビドラマ「生きとし生けるもの」を観て「生きる意味」を話し合う
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2024/10/09

■袴田さんの無罪確定と「仕事」の評価基準

袴田さんの無罪が確定しました。

検察が控訴をしないことを発表した検事総長の談話には違和感があります。
相変わらず「控訴すべき内容だ」と言い、ただ「袴田さんの法的地位が不安定な状況が継続することは相当でない」から控訴しないというのは、どう考えても納得できません。
謝罪の言葉があったので、検事総長も人間だったとは思えたのですが。

しかし問題は袴田事件だけではないでしょう。
冤罪が起こる原因を無くしていかなければいけません。
冤罪だったということは、本当の加害者を見逃しているということです。
私はそのことに一番の危惧を感じます。

これに関して書きだすと切りがないのでやめますが、冤罪が発生するということは、捜査の進め方に問題があるということを意味します。冤罪がこれほど生まれてくるということは、真実を追求するスタイルができていないということです。どこかに大きな穴が開いているわけです。そこに焦点を当ててこそ、袴田さんの事件は活かされるはずです。
でも検事総長の談話には、そういう意識はまったく感じられません。

実に残念です。

朝日新聞は東京本社編集長の名前で、当時の報道に関するお詫びを1面で大きく書いています。これもちょっと安堵したひとつです。
しかし、マスコミが冤罪づくりにどれほど大きな役割を果たしてきているか。
できれば謝罪だけではなく、冤罪防止に向けての報道の役割をぜひとも考えていただきたいと思います。
検事の力も大きいですが、マスコミの力はもっと大きい。
そうした力を冤罪防止に止まらずに、真犯人探しに活かしていく方策をぜひとも考えてほしいと思います。
その気になれば、おそらく大きな力になると思いますので。

マスコミに対しても検察に対しても、私は「仕事」の評価基準に違和感を持っているのです。
そしてそれは、その両者だけではなく、いまの社会のほとんどの組織に対して感じていることです。

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■湯島サロン「陰謀と陰謀論」報告

湯島では毎年、数回の陰謀論関係のサロンを開催しています。

これが実に人気があって、毎回、大入り満員です。

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でも最近、ちょっとあまり陰謀論が面白がられ過ぎなのが気になっています。これではまさに「首謀者」の思うつぼです。「陰謀論」の中に見え隠れしている「陰謀(真実)」が見過ごされ、いつの間にかそれに加担する存在になりかねない。
ちなみに、私は、陰謀論の中に見えてくる(個々の)陰謀と首謀者の意図に関心があります。

そこで今回は趣向を変えて、「陰謀と陰謀論」というテーマにさせてもらいました。
前半ではまず、「陰謀論サロン」の原点に返ってみようと思い、通説とは真逆の私の「陰謀論」観を話させてもらい、続いて菅野隆さんに陰謀論を概説してもらいました。そして後半では、陰謀論に詳しい中嶋一統さんにいま広がっている新世界秩序を目指す陰謀論の構造を解説してもらいました。

「陰謀論」と言えば、何でもかんでも「陰謀」で説明しようとする荒唐無稽で妄想症的な主張と捉える人もいれば、世界を操作している支配グループの意図を解明し、その実現を阻止する正義の闘いと捉える人もいます。
いずれにしても、そこには体制批判的な姿勢があり、「陰謀論」を唱えるのは陰謀の首謀者に対峙する立場の人というのがおそらく一般的な理解でしょう。
でも果たしてそうなのか。むしろ「陰謀論」を流しているのは「首謀者」なのではないかと言うのが私の陰謀論観です。

首謀者がなぜそんなことをするかと言えば、陰謀を成就させるためです。
そう考えると、陰謀論をめぐる風景が変わってきます。
それを図式化したのが添付のメモです。

簡単に言えば、陰謀を覆い隠したり受け入れられる状況づくりをしたりするために、陰謀を見えなくするような陰謀論を首謀者が流すわけです。なかには、トンデモ陰謀論的なものを入れ込んで、万一陰謀が見てしまっても、もみ消せるようにしておくというわけです。

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重要なことは、そうした首謀者が流す「陰謀論」には、「陰謀(真実)」につながる要素が必ず含まれているということです。そしてそこを見つけ、克明に調べていけば、陰謀論とは違った陰謀にたどり着けるかもしれません。
事実、そうした活動で成果を上げている「ベリングキャット」というオランダの調査機関があります。

「陰謀論」の特徴の一つは、すべてを単一の原因にもっていくことです。それによって「個別の陰謀の首謀者」は追及の手を逃れやすくなる。かつての「ユダヤ陰謀論」では『シオン賢者のプロトコル』が陰謀の源でしたし、フリーメイソンやイルミナティが首謀者の位置に置かれていたこともあります。最近では国家を手玉に取るグローバリストの「デープステート」が悪の頂点に置かれたりしています。
こうして単一の首謀者を決めれば、個々の陰謀の責任は問われなくなります。さらにいえば、敵のあまりの大きさに、陰謀に対峙する気力が萎えてしまいます。そこにこそ、「陰謀論」の意図があるように思います。

私の話につづいて、菅野隆さんから陰謀論の概説をしてもらいました。
菅野さんは、陰謀論の定義などを概説してくれた後、陰謀論でよく取り挙げられる代表的な事例を簡潔にまとめてくれました。

9.11や3.11はもちろんですが、新型コロナやワクチン、安部元首相の暗殺事件などに加えて、地球温暖化問題や原子力発電、さらには水田やバイオマスに関するまで、私見も入れながらの解説の後、菅野さんはそうしたことの背景にはマスコミ報道が大きく影響を与えていることに言及。そして各人の持つ確証バイアスと分断社会の状況があること、さらには、所有資産上位8人で世界の人口の半分の資産額を保有しているといったデータを紹介しながら、富の偏在の状況を話してくれました。

そうした状況の中で、陰謀論が大きな広がりを見せていることを、いろんな視点から解説してくれた後、菅野さんは、「陰謀」を超えて、普通の人が普通に幸せに暮らせるような社会に向けて、コンパッション(思いやり)や利他主義が大切だと話されました。
菅野さんは、さまざまな問題提起が、「陰謀論」として政府から切り捨てられ、社会からも無視されていること大きな問題を感じているのです。
そして最後に、そうした状況や個々の陰謀を告発している「陰謀論」関係の書籍を何冊か紹介してくれました。

後半は、中嶋さんに陰謀論の全体構造の要になる陰謀の頂点に存在する世界支配組織仮説の解説してもらいました。「陰謀論」の大きな構造を踏まえておかないと、「陰謀論」には対峙できません。

中嶋さんは、金融資本家やヨーロッパの王族・貴族が、国家政府はもちろん、国際連合や世界銀行までも駆使して、自分たちが目指す構想に基づいて世界を牛耳っているという、いわゆる新世界秩序陰謀論の構造を解説してくれました。世界を支配している集団に対峙している勢力(たとえばプーチンやトランプ)に関しても、です。
その構図の下で、新型コロナやワクチン、あるいはウクライナ戦争やアメリカ大統領選挙を考えると、いろいろなことが見えてくる。
「陰謀論」をしっかり読み解いていくと、世界の新支配構造が見えてきて、さまざまな事件の真相に近づける。そしてそうした動きに私たちがどう対処すべきかを考えるための材料が得られるというのです。

ちなみに中嶋さんは、一統塾というZOOMセミナーを主催して、そうした情報を提供する活動をしています。関心のある方は中嶋さんにお問い合わせください。

話し合いは、いつも以上に広がり、最近の自民党総裁選挙にまで話題になりました。
支配集団に関連して、バチカンに代表される宗教組織の話もでましたし、その支配集団の構成が変わろうとしているのではないかという話もでました。
支配集団を別の視点で捉えれば、「金銭」ではないかという話もでました。
そもそも陰謀論における「首謀者」はかつては「神」でした。その「神」の座を「金銭」が奪ったとすれば、次の首謀者は「AI」かもしれません。ちなみに、首謀者に「システム」を置く陰謀論も一時期、ありました。
また世界の構造を「ピラミッド型」で捉えるのではなく、複雑系の科学や生命科学の発展によって「自己組織化型」で捉える発想も生まれだしています。そうなると、首謀者はますます手の届かない存在になってします。「陰謀」の意味も大きく変わっていくでしょう。

さまざまな「陰謀論」に共通するのは、「すべてのことはつながっている」という世界観です。「陰謀論」は、複雑で難解な世界の動きをわかりやすく可視化してくれる。だから人気があるのでしょう。
しかし、その「わかりやすさ」と「面白さ」に惑わされてはいけません。

「陰謀論」や世界の構図はそれとして、私たちが個人できることもたくさんある。
たとえば、菅野さんが言う「思いやり」や「利他の行為」です。
おそらくそれらは「金銭」や「システム」にも負けないでしょう。
私自身はそう思って、日々、暮らしています。

なんだかおかしな報告になってしまいましたが、「陰謀論」から気づかされることはたくさんありますので、湯島ではこれからも陰謀論は取り上げていきます。
世界を広げてくれるとともに、「常識の呪縛」を解いてくれます。
「陰謀論」の餌食になるのではなく、「陰謀論」を菅野さんがいう「普通の人が普通に幸せに暮らせるような社会」に向けての「餌」にしていきたいものです。

年内にもう一度、できれば「コロナワクチン」を切り口にした「陰謀論サロン」を企画したいと思っています。

 

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2024/10/07

■身心力向上への取り組み4:すっきりしない状況がつづいています

2週間以上、報告が書けませんでした。

うじうじした体調不良がつづいていて、どうも何かを報告できる状況にないのです。
取り組んでいることも、いささか自信が持てず、迷いながら取り組んでいる気がします。
それに相変わらず夜がどうも眠れない。

そのせいか、いつもなんとなく頭がすっきりしない。
明るく前向きになれないのです。
ほんとに困ったものです。

それでも底が抜けて、全体には調子は上向いている気がします。
だからといって体力が戻ってきた気はしないのですが、最近の取り組みなどを報告しておきます。

以前の取り組みに加えて始めたのが、「毎日4000歩以上の歩き」と「500段の階段上下」。そして朝晩(時に深夜)の「筋力強化体操」です。
苦手の散歩も最近は苦にならなくなりました。自宅周辺もかなりいろいろと歩き、その面白さも実感できるようになりました。
以前の深呼吸式歩行も時にやっていますが、散歩を愉しむようにしています。ただ、歩行速度は少し早目で姿勢には気をつけています。
階段上下は、家の中が中心です。3回に分けてやっていますが、出かけるときにはお休みです。家のなかの階段は手すりを掴みながらなので安心です。

「筋力強化体操」は歳の割には少しハードです。
横に寝て、足を上げたり、腰を上げたり、上体起こしをしたりですが、10種類前後を各20回ずつです。終わると汗びっしょりです。
ちなみに、毎朝やっている10分のテレビ体操も1日2回にしようと思っています。今も時々2回やっていますが。
その程度で身体は若返らないと言われそうですが、徐々に運動量を増やそうと思っています。
腕立て伏せも追加しようかと思っていますが、これはもう少し慣れてからの予定です。

食生活は、体力強化のためスタミナ重視をちょっと考えましたが、私にはあまり向いていません。でも以前よりも食事をきちんと食べることにしました。おかげで最近、3キロ太りましたが、目標を65キロに設定し、少し太ることにしました。ただしお腹が出ないような太り方をしようと思います。そうしないとズボンがはけなくなるからです。
基礎体温を上げるための黒にんにくはいまも続けています。加えて、最近は小魚とナッツの組み合わさったものを食べるようにしています。
錠剤化されたサプリメントは常用はしていませんが、時々、服用しています。

かつてがん対策で取り組んでいた活動はいまはあんまりやっていませんが、朝の水素風呂入浴と人参リンゴジュースは続いています。
調味料類は一応、がんの時にいろんな人からいただいたアドバイスを守っています。

夜中に頻繁に起きる頻尿と目ざめですが、これは改善されつつあります。と言っても昨夜も5回ほど目が覚めましたが、最近はあまり苦にならなくなりました。寝不足状況は相変わらず続いていますが、在宅時は昼寝できるようになりました。

状況が悪化していることが一つあります。
腰痛です。さほどひどくはないのですが、一時、ロキソニンテープで治った気がしましたが、どうもじわじわと悪化しています。筋力運動で治ると思っていたのですがあまり改善されません。

まだお勧めできるような体力改善の方策は見つかっていませんが、最近の状況報告です。

 

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2024/10/06

■近藤サロン③「ダニエル・カーネマンの2つの思考モード」報告

近藤和央さんの「『利己的な遺伝子』論から眺める人間論」の3回目は、ちょっと寄り道をして、ダニエル・カーネマンの「2つの思考モード」(ファスト・シンキングとスロー・シンキング)を取り上げました。

今回は近藤さんが報告の要約をまとめてくださったので、それを紹介します。

ちなみに、話し合いも多岐にわたり、「システム3」という新しい思考モードが生まれつつあるのではないかという話もでました。できればこのテーマをもう少し掘り下げて話し合いたいということで、次回は「ポストトゥルース」を取り上げることになりそうです。日程は1115日(金曜日)の予定です。

以下、近藤さんの要約報告です。

激怒している人を見かけたとき、たとえガラス越しに姿を見ただけでも、ほとんどの人は、ただちに身構えます。これは意識することなく起きる防衛反応です。これは生き延びるための反応として認知機能に組み込まれている進化のたまものです。(こういう瞬間的な判断ができる個体が生き延びて、私たちはその子孫なのでこうした反応が進化的に組み込まれています)

このようなあれこれ考える前に、行動に直結する認知結果が「瞬間的にやってくる」体験は、「速い思考(Fast Thinking)」と呼ぶ思考パターンです。ダニエル・カーネマンはこうした思考パターンを擬人化して「システム1」と名付けました。後ほど述べるシステム2(遅い思考(Slow Thinking))と二人三脚で私たちの認識・認知・思考・判断・行動などを決定します。

システム1は、生命に関わる咄嗟の判断のために用意されている(下等生物にも存在する)作り付け(生得的所与)の自動装置と、自転車を上手に操れるように習熟した動作シーケンスのように後天的に個人が後付けする自動化装置のことを指します。この装置のうち外界を認識する部分は「直感・直観・直覚」などと呼ばれるものです。

自転車に初めて乗るとき、全身の神経を集中させて慎重に行動します。このときは遅い思考(システム2)が働いています。何の苦も無く意識せず疲れず働きつづけるシステム1とは違い、システム2は集中力や注意力という精神力資源を大量消費します。なのでシステム2は高度なことができますが、動作が遅く、疲れやすく、すぐに怠けようとします。自転車にうまく乗れるようになったとき、システム2は「自転車に乗る」というイシューに関しては基本的に関与を終えてシステム1に「自転車に乗る」スキルを引き渡します。

なお、自転車の比喩でわかるように、素人の直感と専門的な訓練を受けたプロフェッショナル(たとえば航空管制官)の直感は同じではありません。

とはいえ、システム1は自動化された(無意識に制御された)ものなので、(特に素人のシステム1は)勘違いや見誤りや見込み違いや見当違いなどのエラーから無縁ではありません。

このことは、錯視の事例を考えれば理解できます。
錯視の場合は、初見だけでなく、種明かしをされた後でもやはり同じように見えるということが重要な示唆を与えてくれます。

視覚と同様に、言葉や状況に出会ったとき、その認識や思考もまた主としてシステム1で処理されます。システム1では荷が重い課題に出会うとシステム2が呼び出されて熟考が行われます。

先に述べたようにシステム2は集中力を消費しますので、通常はシステム1がほとんどの処理をしています。本来は熟考が必要な荷が重いはずの課題に出会ったときも、システム1の中に代替方法がある(と感じた)ときにはシステム1の簡易処理で済ませてしまいます(意識はそのすり替えを自覚しません)。このため無自覚なエラー(バイアス)が起きます。

政治家(や芸能人)と医者とでは、どちらがより多く不倫をするか?という課題に対して、「政治家(または芸能人)」と多くの人は感じますが、統計的には大差はありません。単に政治家のスキャンダルのほうが多く報道され、その情報に接しているので、情報接触頻度を対象の行動の頻度と誤認するのです。

かつて主張された「少数派影響論」は「少数派が一貫してその主張を続ければ、その影響は最終的には多数派になる」というものでした。しかし、追試の結果が芳しくなくて、「それだけでは十分条件ではない」と考えられるようになりました。地動説や量子論などの場合は、常識に反している主張が理解困難なために少数派であっただけで、主張内容が真実であったので、最終的に立証されて定説になったのです。逆に、たとえ少数派が一貫して強く主張していたとしても主張内容が真実でないものは(一時的な熱狂などで多数派になったとしても)最終的には淘汰されるのです。つまり「少数派が一貫している」ことと「最終的に多数派になる」ことは十分条件ではなく、むしろ偽の因果関係であり、ほんとうは「相関関係」に過ぎなかったケースがほとんどだった、と今では考えられています。

この事例も、発案者の「そうであるにちがいない。意外な大発見だ」という思い込みが確証バイアスや正常性バイアスとして作用した(システム1の弱点に引っ張られた)のではないかと考えられます。

認知バイアスについては以下を参照してください。
https://mentalcare-lab.com/cognitive-bias/

このように、システム1とシステム2は、直感的に迅速に判断できて(野生時代には)生存適応度を高めてくれましたが、現在のような複雑な社会では時として大きなエラーを呼ぶ可能性があります(これは特に社会に大きな影響力を持つリーダーの判断や思考において重要なイシューとなります。この問題については、次回取り上げる予定です)

システム2は専門的な知を専門家の直感という形でシステム1に組み込む能力があります。
この能力によって人間はここまでの文明・文化を実現してきたと言えるでしょう。
それでもなお、システム1の弱点に引きずられて人間は多くの間違いを犯してしまいます。

ポストトゥルース化や全体主義への接近、非合理的世界観の復権など、人類の集合無意識は近代啓蒙主義から始まった急速な持続的変化に耐えきれなくなって、近代的自我以前の時代精神に回帰しようとしているかもしれません。

しかし産業革命以前の技術レベルならともかく、ボタン一つで数十万人の命を奪える技術を持ってしまった人類は、このまま太古的ウロボロス精神に退行することはできません。
であれば、システム2がシステム1を高度化する、ということに未来を託して、自覚的に「遅い思考」を育てることを目指すべきなのではないかと考えます。

今回のサロンで参照したチャートマップをPDF化したデータを添付します。

ダウンロード - e7acace4b889e59b9ee6b9afe5b3b6e382b5e383ade383b3e588a9e5b7b1e79a84e981bae4bc9de5ad90e3818be38289e4babae99693e8a6b3e3808ce38395e382a1e382b9e3838826e382b9e383ade383bce3808d.pdf

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2024/10/05

■湯島サロン「『社会心理学講義』を読み解く③」報告

ブックサロンからスピンオフした遠山哲也さんの「『社会心理学講義』を読み解く」サロンの3回目は、「比喩の効用」がテーマでした。

いつもながら密度の濃いサロンなので、全体を報告するのは難しいので、私の印象に残ったところだけを報告します。ただし、私の理解に基づく報告なので、遠山さんの意に反している恐れもあります。文責は私にあります。

遠山さんは、ホワイトボードに「学」と「問」の2文字を書き、学問とは、「問い」を立てることから始まると話しだしました。そして「問い」を立てることで「発見」が起こり「学ぶ」につながるが、その発見の瞬間において、「直観」による「比喩」が大きな働きをすると言います。これは小坂井さんが書いていることです。

遠山さんは、関連して「比喩」にまつわる2つの話をしてくれました。
まずは「模倣の3ステップ」。型をまねする「モデル」、構造をまねする「アナロジー、原理をまねする「メタファ」。それぞれ具体的事例も出しながら、解説してくれました。後ろに行くほど抽象度は高まります。
また模倣から一歩進んでの「守破離」に関しても解説もしてくれました。模倣は学びの入り口であり、学びの基本には比喩があるのです。そしてその先に比喩を超えた独創がある。

「直感」と「直観」に関しても話してくれました。前者は受動的だが後者は能動的だというのです。そして、「直感」は根拠がないが、「直観」は根拠(理論)があるのにそれがまだわからないだけ。だから、「直感」は「楽しさ」を生むが、「直観」は「面白さ」を生むと言います。「楽しさ」と「面白さ」は違うのです。

「楽しさ」と「面白さ」にとりわけ関心の強い私としては、ここはもう少し掘り下げたかったのですが、思考を巡らしているうちに遠山さんは先に進んでしまいました。
気がついたらフッサールの「本質直観」の話に入っていました。さらにはベイトソンの「認知パターン」の話になっていました。人間は、対象の違いを超えて、そもそも同じパターン・枠組みで認知・理解しているという話です。
フッサールとかベイトソンとか、固有名詞が出てくると、生半可な知識では報告できませんので、これに関しては省略します。でもなんとなく、ここは重要なところです。

ややこしいのは、にもかかわらず、慣れ親しんだ思考枠から抜け出さないと世界はよく見えてこないと小坂井さんは言うのです。
遠山さんもわざわざ、本書の最初のあたりで小坂井さんが書いている、「知識とは固定された内容ではありません。世界像を不断に再構築し続ける運動です。驚きをもたらさない知識などは、その正しさが証明されても、たかが知れている」というところを改めて読み上げてくれました。

知識は固定された内容ではなく、常に問い質されている。とても共感できる言葉です。
固定された知識をとうとうと語る人を見ると、なんと退屈なことかと私はいつも思いますが、知識は新たな問いを立てるために存在する。しかも、その問いは与えられた問いではなく、自らが守破離して問いを立てていかねばならない。未知の世界を開いてくれるからこそ、知の世界は面白いのです。

比喩で終わったら、新しい物語は生まれてこない。比喩や模倣を学びの起点ですが、いずれも世界を広げる効用もあれば、世界に閉じ込める呪縛力もある。

そこから「わかるとはどういうことか」という問いかけがありましたが、これは問いかけに止まりました。いや、遠山さんは、案に答えのヒントを出していたのかもしれませんが、私にはそこまでの気づきは得られないままでした。

遠山さんは、さらに話を一歩進めました。
「不断に再構築し続ける運動」の源、運動の世界の絶え間ない活動を支えている、(自らは)動くことがなく(他のものを)動かす存在があると言って、アリストテレスの「不動の動者」の話を、アリストテレスの『形而上学』から紹介してくれました。
これは遠山さんの専門なので、遠山サロンの根底にある思想なのでしょうが、ちょっと聞いただけでは全く理解できない。
でも、「不動の動者」があってこその「不断の運動」なのかもしれません。
この辺りは、遠山さんの専門だと思いますが、このサロンの終盤で解説してくれるかもしれません。

今回は私自身がいささか疲労気味で、いつも以上に集中できずに雑ぱくな報告になってしまいました。でも小坂井さんのメッセージへの理解は深まりました。書物は一人で読んでいると、見落とすことが多いものだということにも気づかされました。

次回は、第14講の「時間と社会」を読む予定です。
いよいよ「時間」の登場です。
日程は118日(金曜日)です。

 

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■第34回万葉集サロン「歌と物語 額田王と鏡王女の相聞歌」のご案内

あまり触れることのない「帰化人の歌」のシリーズは一段落させて、今回は万葉集の巻4と巻8に重出する額田王と鏡王女の相聞歌(48848916061607)を読むことになりました。

額田王も鏡王女もなにかと話題の多い人ですし、升田万葉集サロンでも話題になったことは何回かありますが、今回はその相聞歌を、升田万葉集サロンの大きなテーマである「〈わ〉〈た〉〈な〉」の視点や「歌と物語」の視点から、考えてみます。

帰化人の歌を読んできて、改めてまた〈わ〉と〈た〉、そして〈な〉の捉え方が一歩前に進んだような気がしますが、そこからさらに「歌から物語へ」と広がっている世界を楽しみたいと思います。

視点がまた新しくなりますので、これまで参加していない人も入りやすいと思います。
みなさんの参加をお待ちしています。

〇テーマ:「歌と物語 額田王と鏡王女の相聞歌」
〇日時:2024年10月20日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

 

 

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2024/10/04

■湯島サロン「あなたはなぜ戦争が嫌いですか」報告

永田徹さんの問いかけ、「戦争が嫌な理由」をテーマにしたサロンは大賑わいでした。

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永田さんは、最初にみんなに2つの問いかけをしました。
まず、今回のサロンのタイトル「あなたはなぜ戦争が嫌いですか」に、どんな感想を持ったか。そして第2に各自がこの数年何か取り組んでいることがあればそれを教えてほしいというのです。

最初の問いかけに関して永田さんは、この表現には「戦争は嫌なものだ」という前提が含意されていてフェアではないと思っているようです。
第2はもっと意味深長ですが、戦争はそれぞれの生活とつながっていない話でしょ、であれば「好き・嫌い」の話ではないでしょ、というメッセージに私は受け取りました。
いずれも、永田さんらしいラディカルな問いです。しかし、捉えようによっては、サロン企画者の私にケンカを売っている。

しかも、このサロンのきっかけをつくった北京一さんも参加していて、永田さんの問いに対して、「戦争って国家間の戦争なのか」と質問しました。永田さんはそれに対して、今日は戦争をバクっと捉えて、と応える。そもそも「戦争ってなんだろう」と、永田さんも北さんもみんなに考えさせたいようです。ますますラディカル!

ウクライナ戦争を、ロシアは戦争とは位置づけていないようですし、ブッシュはテロ集団との闘いは戦争だと決めつけた。「戦争」って、わかっているようで、実はみんなあまり考えたことがないことかもしれません。そのくせ、何も考えずに、戦争反対と言ってしまう。そこにこそ問題があるのではないのか、というわけです。

というわけで、最初から波乱を予感させるサロンの始まりでしたが、とても示唆に富むサロンだったと思います。いささか時間不足でしたが。

「戦争はなぜ嫌なのか」に関しても参加者の発言が続きました。表現は微妙に違えど、自分事につなげて考えている人の答えは共通しています。「やりたくないことをやらされるからいや」なようです。私も殺されたり殺したりするのが嫌なので、そういう意見の一人です。
参加者それぞれの答えがとても面白かったのですが、なかには「ひきこもれないから嫌だ」というひきこもり体験者の若者の発言がありました。私にとってはこれが最高に秀逸な答えのような気がしました。確かに戦争になったらひきこもってはいられない。

なかには戦争が好きと言う人もいましたが、それは他人事としての戦争のように感じます。実は私も、他人事の戦争は好きかもしれない。これに関しては、そもそも人類は、と言う話もかなりありました。これも賛否両論がありました。まあこれも湯島のサロンではよく話題になる論争ですが。

ところで、永田さんはホワイトボードに、転倒させた2個の円錐体を書き、上の円錐に「戦争の中の私」、下の円錐に「私の中の戦争」と書きました。この図は、「生物と環境」をテーマにした益田サロンのモデル図を思い出させて、私は同じ「戦争」でも上下では全く違うものと受け取りました。つまり体験としての戦争と意識としての戦争です。両者は同じ「戦争」でも全く違う。
この図に関しては、永田さんはあまり説明せずに次に進みましたが、私には本質的な問いのように感じました。いつかまたサロンをしたい気分です。

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サロンでも発言したのですが、戦争を起こすのもやめるのも国家、あるいは集団です。個人ではない。しかし、戦場で戦うのは個人です。ここに大きな問題、あるいはヒントがあるように思います。
もっともそういう関係になったのは、せいぜいがこの400年くらいのことです。それまでは生活者である個人にとって戦争は台風のような存在で、うまく立ち向かえば得るものもあった。しかし、国民国家になり、しかも総力戦になってしまえば、もう戦争は外部の存在ではなく、そこから逃げるのは難しくなった。そこからいろんな「勘違い」が生まれてきたように思います。

「戦争論」で有名なクラウゼビッツは「戦争は政治の手段」と言い、政治学者のカール・シュミットは「政治とは戦争である」というように、「戦争」は国家政治そのものになったのです。ヘーゲルにいたっては、「戦争は国民を成長させる」とさえ言っています。そして戦場に駆り出され、「戦争」を実行するのは、国家に強制された国民なのです。つまり、国民は戦争に関して主体的に語れる存在ではないのです。

だから体験として戦争を捉える人と意識として戦争を捉える人が語り合うのは難しい。しかも今の日本では、体験知として戦争を語れる人は極めて少ない。湯島のサロンでも何度か体験知として戦争を語るサロンを企画しましたは、お願いした人が高齢で結果的には一度も開催できていません。
でもまた最近、戦争の体験知を語り継いでいこうという人がサロン仲間に生まれてきました。もしかしたらサロンが開けるかもしれません。

個人として戦争が語れないのなら何が語れるのか。
そこから「競争思考」や「死刑制度」が少し話題になりました。

私は「競争」や「死刑」には反対ですが、死刑はともかく「競争」に関してはほとんどの人が違和感なく受け入れているでしょう。もしかしたら、これはヘーゲルが言うように、国家の教育の結果かもしれません。ここで増田サロンの地湧きの思想が思い出されます。ぜひ多くの人に増田サロンに参加してほしい。

サロンでの議論は面白かったのですが、報告を書けずに時間がたってしまったら(相変わらず体調があまりよくないのです)、どんな話があったか思い出せない。そのためいささかまた主観的な報告になってしまいました。
でもサロン企画者としては、戦争に関してほんとはしっかりと考えていないことが、少しだけでもみんなに意識されたら大成功です。問題提起した永田さんも、そう思っているかもしれません。

できれば永田さんにこのサロンのパート2をお願いしようと思っています。
二重円錐体の図の説明もまだですし、何よりも戦争とは何かの問いかけの答えを聴きたいですから。
なおこのサロンの契機をつくった北京一さんのサロンが1110日にあります。
そこでもこの議論の続きがあると思いますので、ぜひご参加ください。
近いうちに案内を出します。

最後に永田さんは、広島で被爆した作家、原民喜さんの小説集『夏の花』の冒頭にある「コレガ人間ナノデス」を読み上げてくれました。
ちょっと長いですが、引用させてもらいます。

原子爆弾に依ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨張シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」
ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス

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2024/10/02

■悪口ばかり言っていると性格が歪みますよ

石破内閣が発足しました。

ところが最初からつまづき続きです。
それに加えて、まだ始まってもいないのに非難や悪評流しがなんと多いことか。
野党の党首の発言も、相手を非難するばかり。最初から一緒に日本という国を良く指定校などという気がさらさらない。考えているのは自分の利益だけ、とさえ感じられてしまう。少しは相手を信頼する体験もしてほしい気がします。たとえ裏切られ続けようとも、です。信頼しない相手から信頼されるはずはありません。

まだ何も動きだしていないのに、マスコミの扇動に乗って国民の間でさえ「公約破り」の声が実にかまびすしい。
なんだか寂しい社会になってしまった。他者を貶めて何が楽しいのか。
それが自分をどれほど貶めることかみんな気がついていない。
悪口ばかり言っていると性格が歪むことにも気づいていない。

私は昨今の日本の政府には批判的ですし、高市さんや小泉進次郎さんは論外としても、石破さんにも共感できないでいます。
でもそういう人でも総理大臣になった以上は、私は基本的には敬意を持つようにしています。国民主権と言うのであれば、石破さんは間違いなく国民によって選ばれた存在だからです。その建前を否定してしまったら、私自身の尊厳を維持できなくなる。

でも私のところに届くメールやメッセージは、石破さんの悪口が実に多い。
みんな寄ってたかって権力者を罵倒し、あることないことを言って、権力者を貶めようとする。その姿勢が私は好きになれません。

それに政治においては自分の信念を即実行することにも私はあまり賛成できません。
いわゆる「公職」にある場合は、信念と実行は同じものにはなりません。
もし総理になった途端に自分の思うことができるのであれば、それは独裁者でしかない。
そういう社会から何とか抜け出してきたのが20世紀ではなかったのかと思います。
今また世界は読者による支配の世界へと戻りだしているような気もしますが、少なくとも私はそうした流れには抗いたい。

総理になった途端に夫婦別姓制度を公言しなくなったとか、公約に反して解散時期が早いとか、もちろん私はとても残念ではありますが、それが「私人」と「公人」の違いだと思うので、むしろ意に反した決断をしなければいけなかったことに同情し、できれば応援していきたいと思います。
まあその結果、岸田政権のような結果になったとしても、それはそれで仕方がない

しかし、鳩山政権のような結果にはなってほしくない。
鳩山内閣が発足した時、「友愛政治」が打ち出されたのに対して何と世間は冷たかったことか。もし多くの人が共感し応援したら、沖縄の基地問題もいい方向に向かったと思いますが、みんなで鳩山さんをあざ笑っていた。私は涙が出るほど感動し、日米関係も反転すると思っていましたが、鳩山さんを裏切ったのは、なんとアメリカではなく日本の政治家と官僚とマスコミと、何よりも国民だった。

国民のレベルにあった政府しか持てないという言葉がありますが、この数十年、まさにそれを実感しています。

せめて半年くらいは、新首相を応援しようという姿勢を持てないものなのか。
少なくとも私にはあまり石破さんの悪口を言わないでほしいと思います。そういうメールを見ていると気持ちが萎えてくる。

他者の悪口は、多くの場合、自分のことを言っているというのが私の経験知ですが、他者の悪口を言う人は私はだんだん嫌いになりますので。
私の親しい友人たちにも、伝えておきたい。

まずは信頼しましょう。それこそが政権が変化した意味ではないでしょうか。

 

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2024/10/01

■請願権を実現する会キックオフミーティング報告

広く呼びかけて動き出した請願権を実現する会キックオフミーティングには6人の人が集まりました。
それぞれが取り組んでいることなどを紹介しながら、これから緩やかなつながりを持ちながら、ゆっくり進めていくことになりました。

また案内させてもらいますが、当面は地方自治体議会に対して請願課設置を含めた条例づくりを働きかけたり、請願権に関する学習会をやったりしていく予定です。
当面、事務局をCWSコモンズ村湯島オフィスに置くことになりました。

一緒に取り組んでいきたい方がいたらぜひご連絡ください。

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■第3回あすあびサロン報告

我孫子をどんなまちにしたいかを、我孫子住民が中心になって、自由に話し合う「我孫子の明日を話し合う」サロン(“あすあびサロン”)の第3回の報告です。
参加者が20人を超えました。それも30代から90代と多様な世代の集まりになりました。

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今回は市議会議員の内田美恵子さんに問題提起してもらいました。
内田さんは、まず市会議員の立場からご自身が心配している我孫子の現状として、少子高齢化の進行や財政事情などをわかりやすく話してくださいました。

その上で、我孫子をどんなまちにしたいかに関しては、前の我孫子市基本計画に掲げられていた「手賀沼のほとり 心輝くまち」というイメージが自分は好きだと話し、それに向けてのいくつかの活動も紹介してくれました。

そして最後に、そうしたことを進めていくための姿勢として、実際に今起こっている「我孫子新田地区の開発」に関して少し詳しく話をしてくれました。この最後の問題には、まさに市役所(行政)と住民(市民)との関係が示唆されています。そして内田さんは、「市の都合が優先した計画の変更」にならないように住民と行政とがしっかりと話し合うことが大切だと話されました。

そこから話し合いが始まりました。
今回は予想以上に参加者が多かったので、時間の関係もあって発言できなかった方もいたと思いますが、参加者ご自身が取り組んでいる活動の紹介などもあり、いつものようにかなり気楽な話し合いができたと思います。

話し合いは多岐にわたったので、勝手ながら事務局として印象に残り、これからのあすあびサロンにとって大切だと思うことを3点ほど報告させてもらいます。

まず内田さんが話してくれた市が置かれている状況に関してです。
たしかに我孫子市も他の市町村と同じく少子高齢化や環境問題、さらには財政問題を抱えています。そうしたことの解決や対策に取り組んでいくことは大切ですが、あすあびサロンとしては、できれば全く逆の対応をしていければと思っています。
かつて手賀沼は日本1汚染された湖沼と言われていましたが、それが契機になって、市民運動やごみの分別収集などが盛んになって、全国から視察に来るようなモデル地域になりました。つまり、地域が関わる「問題」や「欠点」は、捉え方を変えれば「地域資源」になるのです。
たとえば、今回も、内田さんは最近我孫子市にも外国の人が増えてきたというお話をされました。外国籍の人が増えることをどう捉えるかに関しては2つの姿勢があります。トラブルが起こるとか治安に問題が起こるとか「問題視」する姿勢と外国籍の人たちと一緒に何か新しい物語を生んでいこうという「資源視」する姿勢です。

今の日本では、問題視してなんとかそれを取り締まろうという雰囲気が強く、法整備もそういう姿勢で進んでいます。しかし地域によっては、外国籍の人たちと一緒に豊かなまちづくりに取り組んでいるところもあります。実際に今回も、ある参加者から、外国の人たちが増えているなら、そういう人たちと一緒に何か楽しいことができるのではないかという発言がありました。実際にトラブルで困っている人から見れば、能天気な発言に思われるかもしれませんが、あすあびサロンでは、「問題解決」よりも「価値創造」を大切にできればと思います。
なおサロンでは、トラブル解消に関しても具体的な提案もありました。そこにもトラブル解消にとどまらない「豊かなまちづくり」のヒントがあったような気がします。

ふたつ目は、内田さんが新田開発に関して、「市の都合が優先した計画の変更」にならないようにと発言されたことに関してです。「市の都合」は本来「市民(住民)の都合」であるべきですが、残念ながら実際にはそこに大きな乖離があります。
この新田開発に関しても、市はパブリックコメントで住民の意見を訊いていますが、300人を超す人がコメントしています。しかし、コメントを反対と賛成に分けて発表しているのが私にはなじめません。賛否が問題ではなく、市と市民が一緒になっていい計画をつくっていく関係がなぜできないのか。市(行政)が、市民(住民)と別の「都合」を持つような状況をつくっているのは、市民(住民)の姿勢なのかもしれません。
これもあすあびサロンの大きな展開方針にしていければと思っています。

3つ目は世代交流の話です。長年市民活動に取り組んできた90代の参加者から、自分たちの活動を若い世代に継承していきたいが、なかなか若い世代の人が入ってきてくれないという発言がありました。一方、30代の若い世代の参加者は、むしろ高齢者も含めて多世代交流したいがそういう場がないと発言されました。
おそらくそれぞれの世代が、別々のスタイル、別々の課題、そして自分たちの「社会観」で活動しているのでしょう。お互いに活動が見えていないのかもしれません。
しかし、まちづくりがもし「人のつながりを豊かにすること」であれば、世代分断的なまちづくり活動だけではどこかにひずみが出かねません。

若い世代が入ってこないのであれば、若い世代の活動に入っていけばいい。世代交流できる場がなければつくればいい。あすあびサロンでは、「できないこと」を嘆くのではなく、「できること」を考えていくことを大切にしたいと思います。
まだあすあびサロンには若い世代の参加者が少ないですが、小学生も含めて、多世代が対等に話せるような場にしていけたらと思います。

ちなみに、参加者からいま若者たちが取り組んでいる映画づくりの紹介がありました。こういう形で、若者世代の活動がだんだん見えてくるでしょう。近々その映画の上映会も開催されます。世代を超えた交流と活動が始まるような期待があります。

長くなってしまいましたが、話し合いの内容はあまり書けませんでした。
お許しください。

あすあびサロンはこれまで3回にわたって、市議会議員に話題提供してもらってきましたが、次回はちょっと立ち止まって、みんなでどんなサロンに育てていけばいいかを話し合えればと思っています。日程など決まりましたら、またご案内します。

なお、あすあびサロンの参加者の交流用のメーリングリストがありますので、参加ご希望の方はご連絡ください。登録させてもらいます。
そういうSNS活動をやってくれる若い仲間を探しています。
徐々に組織化も進めていきますので、代表や事務局長も募集中です。
やってもいいという方は下記まで連絡ください。
qzy00757@nifty.com

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