来年3月出版予定の「世界議会 21世紀の統治と民主主義」(原題 A World Parliament: Governance and Democracy in the 21st Century)の翻訳者のおひとりの原田雄一郎さんに、出版の前に同書の構想を紹介してもらうサロンを開催しました。
私がこの本に関心を持ったのは、私とほぼ同世代の原田さんたち5人(たぶんみなさん研究者というよりも世界を飛び回って活動していた実践者です)で、この大部の本を5年かかって翻訳し出版したことです。しかも著書もまたどうやら実践活動している人です。そこに大きな興味を感じたのです。
ちなみに、原田さんはOPRT(責任ある鮪漁業推進機構)で世界を舞台に水産資源の問題に取り組んでいた方です。何が原田さんたちを動かしたのか。
原田さんは、まず本書の構想を、詳しい目次を紹介しながら話してくれました。
根底にあるのは危機感。地球と人類社会の衰亡の危機に向かって進んでいる流れを何としても止めなければいけないといういかにも実践者らしい思いです。
著者たちがまず目指すのは、世界連邦や世界国家ではありません。世界議会なのです。
最終的には世界連邦(世界国家)があるのでしょうが、まずは国境を超えたグローバルな問題を、国家単位ではなく、多層的にみんなで話し合う場を創りだし育てようということです。つまり、世界政府や世界法から発想するのではなく、まずはみんなで話し合う場としての世界議会をつくろうという構想なのです。
いかにも実践者たちが共感する発想です。私も、ですが。
ちなみに本書の著者もまた、研究者というよりも実践者です。
構想では、世界議会実現に向けての第一歩は、国連総会の下に安全保障理事会の同意を必要としないで設置できる総会の助言機関として国連議員総会を創設することが提案されています。これまた実践者らしい現実的な提案です。
世界議会のイメージも少し紹介がありましたが、ともかく大切なのは、世界中の人たちが、地球市民意識をもったコスモポリタンとして参加できる仕組みをつくろうとしているようです。そして取り上げる課題も、まずは気候変動の問題や核戦争、環境破壊、パンデミックなどのグローバルな問題から取り上げていこうという構想です。
そいう共通の問題から話し合うなかで、最終目標である世界連邦の設立へ向けての機運が出てくることを期待しているのです。
世界連邦が実現するためには2つの要素が必要だと原田さんは言います。
「地球市民意識を持った人々の運動」(下からの革命)と「それをまとめていくリーダーシップ」(上からの革命)です。
前者は、たとえば、「アラブの春」や「ウォール街占拠事件」のような実例もありますが、それだけでは一時的な「事件」で終わってしまいます。それを世界のパラダイム転換につなげていくには、しっかりしたリーダーによる「統治」(この表現には私は違和感があります)が必要です。
世界議会は、世界連邦があって生まれるのではありません。
世界議会が世界連邦を生み出していく。そこがこの構想のポイントです。
注意すべきは、世界会議は国連総会とは全く違うものです。国連総会は、主権国家を前提にして成り立っていますが、世界会議は主権国家が基本にあるのではなく、地球市民意識を持ったコスモポリタニズムや自然法が基本にあるのです。
1992年ブラジルのリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(UNCED)を思い出します。一般的には「地球サミット」と呼ばれていますが、172か国の政府代表(7割近くが国家元首)と共に、2000人を超えるNGO関係者が参加しました。
世界議会は、世界連邦の付属機関ではありません。何しろ「世界連邦」はまだないのですから。おそらく世界議会が始まった当初は、決議よりも審議が重要な役割になるかもしれません。「議会」というと、どうしても代表による決定機関と捉えがちですが、そもそもは「話し合う」のが議会です。おそらくそこで「新しい議決方式」も生まれてくるでしょう。
いずれにしろ、国家を基本として考えてはいないのです。著者の一人アンドレアス・ブレメさんは、「国境なき民主主義」活動に取り組んでいる人ですが、世界議会構想の民主主義観もまた、国境なき民主主義が基本にあります。
原田さんは、その行動計画を紹介してくれました。
とまあ、こんな感じで原田さんの紹介は続くのですが、長くなるのでこの程度でやめておきましょう。
ただし、最後に原田さんは、日本の役割に関して私見を話してくれました。
「和をもって貴し」とする日本の「ハーモニアスな文化」が、この構想の実現に大きな役割を果たすのではないかというのです。
原田さんはかつて世界中を駆け回って活動されてきた方ですが、そうした体験からクロかシロかといった二元主義ではない、あいまいさこそが日本の力だと実感されているのです。具体的な体験談も話してくれました。
話し合いに入る前に私から2つのことを確認させてもらいました。
「国家はどう変化するのか」と「ここでいう民主主義のポイントは何か」です。
国家に関しては、いまのような主権国家ではなく、アメリカ合衆国の州やEUにおける加盟国のような、主権を制限された形になるということです。要するに「国家の脱構築」を踏まえた世界秩序を構想しているのです。
民主主義に関しては「多数決原理としてのデモクラシー」という意味で、「人権原理としての民主主義」という意味ではないそうです。ただし、原田さんは「条件付きの多数決」という表現をされました。多数決主義に関しても、これまでさまざまな提案がなされてきていますが、本書の著者たちはさらにもっといろいろな議論をしているようです。
ちなみに原書は、“Governance and Democracy”となっていて、政府とか民主主義とはなっていません。
そこから話し合いに入りましたが、長くなったので、2つだけ紹介させてもらいます。
まずは「グローバリスト」と「コスモポリタン」の違いです。
いわゆる「陰謀論」においては、超富裕層やグローバリストはあまり評判がよくありません。この構想は、そうした超富裕層による世界統治のシナリオではないかという問題です。いつも陰謀論サロンを開いてくれている中嶋さんや北川さんも参加していましたが、議論しだすと時間がとても足りないと思ったのか、簡単な問題提起だけで終わりました。ただ、本書の目次をみると、「グローバル階級」の形成による不平等の問題は本書でも議論されているようです。
私は、コスモポリタン(地球市民意識)によるグローバリスト(超富裕層)の暴走を止めることが意図されているように受け止めました。実際に、原田さんもウォール街占拠事件にも言及されていましたし。しかしこの構想は、超富裕層のかかわり方で真逆なものにもなりかねません。そこは本書を読ませてもらうのがいいでしょう。
ITの発展で、議会という代議制民主主義は克服できるのではないか、つまり80億人の人たちにも直接参加してもらえるような議会の可能性があるのではないか、という話もでました。原田さんも、直接民主主義の可能性を否定はしませんでしたが、しかし参加していたIT分野で活動している人からは、技術的には可能だが、地球市民の声を反映させることは実際には無理があるというような発言をされました。私自身もそう思いますが、それ以前に、アメリカ大統領選挙や日本の最近の選挙から、代議制民主主義を支えていた「選挙制度」はもはや機能しなくなっていると思っています。いまや「民意」を集めることは虚構でしかないでしょう。ここでももはや政治のパラダイム変化は現実が先行しているのです。
この問題は、湯島の遠山サロンや近藤サロンのテーマになっている「虚構の時代」「ポストトゥルース」で取り上げられていますので関心のある方はぜひご参加ください。
長くなってしまいましたが、壮大なテーマなのでこれでも一部だけの紹介にとどまっています。また、原田さんの確認をとっていないので、私の勝手な解釈も入っていると思います。文責は私にあります。
いずれにしろ3月には本書が出版されますので、関心のある方は是非お読みください。
案内チラシを添付させてもらいます。いま予約受付中です。
出版されたら、また改めて世界議会構想と国境なき民主主義のサロンを企画したいです。
なお、案内文では間違っていましたが、原書の改訂増補版が今夏に出版されています。翻訳に取り組む人はいないでしょうか。
もしいたらチームを組んで取り組みたいと思います。
若い世代の人たち、いかがでしょうか。
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