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2024年11月

2024/11/30

■節子への挽歌6174:湯治場の効用

節子

柿内さんを通して、不老閣の女将から、手書きのビジョンや不老閣で実現したいことの絵が届きました。
湯治場で一番の効用は何だったのかを、女将はよく考えています。

温泉は、あくまでも場であり、手段です。
その効用も、時代状況によっても変わるでしょう。
しかし、一番大切なのは、「人間に帰る」ということではないかと私は思っています。
温泉に浸かると、自然と大昔の、つまりずっと「前世」の自分に帰ってしまう。
そう私は思っていましたが、いまの時代、そういう状況はもう難しくなっているのかもしれません。

最近、毎朝、20分ほど、湯船につかっています。
その「考えるでもなく考えないわけでもない時間」はすごく平安な時間ですが、何かが欠けている。そんな気もします。
時に、節子と話し合うことはありますが、入浴はやはり一人ではさびしい。
ローマ時代の温泉や江戸時代のお風呂屋さんの効用は大きかったでしょう。

私が温泉をあまり好きではないのは、一人になることが多いからでしょうか。
節子は温泉が好きで、よく付き合わされましたが、節子がいなくなってからは、自分から出かけたことはありません。
節子の闘病中に、なぜ温泉湯治に行かなかったのか。
悔やまれてなりません。

まあ時にそんなことを考えていると、長湯になってしまいます。
今日も長湯してしまいました。
なぜか今朝は哀しい朝です。

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2024/11/29

■湯島サロン「世界議会 設立構想とその実現について考える」報告

来年3月出版予定の「世界議会 21世紀の統治と民主主義」(原題 A World Parliament: Governance and Democracy in the 21st Century)の翻訳者のおひとりの原田雄一郎さんに、出版の前に同書の構想を紹介してもらうサロンを開催しました。

私がこの本に関心を持ったのは、私とほぼ同世代の原田さんたち5人(たぶんみなさん研究者というよりも世界を飛び回って活動していた実践者です)で、この大部の本を5年かかって翻訳し出版したことです。しかも著書もまたどうやら実践活動している人です。そこに大きな興味を感じたのです。
ちなみに、原田さんはOPRT(責任ある鮪漁業推進機構)で世界を舞台に水産資源の問題に取り組んでいた方です。何が原田さんたちを動かしたのか。

202411
原田さんは、まず本書の構想を、詳しい目次を紹介しながら話してくれました。
根底にあるのは危機感。地球と人類社会の衰亡の危機に向かって進んでいる流れを何としても止めなければいけないといういかにも実践者らしい思いです。

著者たちがまず目指すのは、世界連邦や世界国家ではありません。世界議会なのです。
最終的には世界連邦(世界国家)があるのでしょうが、まずは国境を超えたグローバルな問題を、国家単位ではなく、多層的にみんなで話し合う場を創りだし育てようということです。つまり、世界政府や世界法から発想するのではなく、まずはみんなで話し合う場としての世界議会をつくろうという構想なのです。
いかにも実践者たちが共感する発想です。私も、ですが。
ちなみに本書の著者もまた、研究者というよりも実践者です。

構想では、世界議会実現に向けての第一歩は、国連総会の下に安全保障理事会の同意を必要としないで設置できる総会の助言機関として国連議員総会を創設することが提案されています。これまた実践者らしい現実的な提案です。

世界議会のイメージも少し紹介がありましたが、ともかく大切なのは、世界中の人たちが、地球市民意識をもったコスモポリタンとして参加できる仕組みをつくろうとしているようです。そして取り上げる課題も、まずは気候変動の問題や核戦争、環境破壊、パンデミックなどのグローバルな問題から取り上げていこうという構想です。
そいう共通の問題から話し合うなかで、最終目標である世界連邦の設立へ向けての機運が出てくることを期待しているのです。

世界連邦が実現するためには2つの要素が必要だと原田さんは言います。
「地球市民意識を持った人々の運動」(下からの革命)と「それをまとめていくリーダーシップ」(上からの革命)です。

前者は、たとえば、「アラブの春」や「ウォール街占拠事件」のような実例もありますが、それだけでは一時的な「事件」で終わってしまいます。それを世界のパラダイム転換につなげていくには、しっかりしたリーダーによる「統治」(この表現には私は違和感があります)が必要です。
世界議会は、世界連邦があって生まれるのではありません。
世界議会が世界連邦を生み出していく。そこがこの構想のポイントです。 

注意すべきは、世界会議は国連総会とは全く違うものです。国連総会は、主権国家を前提にして成り立っていますが、世界会議は主権国家が基本にあるのではなく、地球市民意識を持ったコスモポリタニズムや自然法が基本にあるのです。
1992年ブラジルのリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(UNCED)を思い出します。一般的には「地球サミット」と呼ばれていますが、172か国の政府代表(7割近くが国家元首)と共に、2000人を超えるNGO関係者が参加しました。

世界議会は、世界連邦の付属機関ではありません。何しろ「世界連邦」はまだないのですから。おそらく世界議会が始まった当初は、決議よりも審議が重要な役割になるかもしれません。「議会」というと、どうしても代表による決定機関と捉えがちですが、そもそもは「話し合う」のが議会です。おそらくそこで「新しい議決方式」も生まれてくるでしょう。

いずれにしろ、国家を基本として考えてはいないのです。著者の一人アンドレアス・ブレメさんは、「国境なき民主主義」活動に取り組んでいる人ですが、世界議会構想の民主主義観もまた、国境なき民主主義が基本にあります。
原田さんは、その行動計画を紹介してくれました。

とまあ、こんな感じで原田さんの紹介は続くのですが、長くなるのでこの程度でやめておきましょう。
ただし、最後に原田さんは、日本の役割に関して私見を話してくれました。
「和をもって貴し」とする日本の「ハーモニアスな文化」が、この構想の実現に大きな役割を果たすのではないかというのです。

原田さんはかつて世界中を駆け回って活動されてきた方ですが、そうした体験からクロかシロかといった二元主義ではない、あいまいさこそが日本の力だと実感されているのです。具体的な体験談も話してくれました。

話し合いに入る前に私から2つのことを確認させてもらいました。

「国家はどう変化するのか」と「ここでいう民主主義のポイントは何か」です。
国家に関しては、いまのような主権国家ではなく、アメリカ合衆国の州やEUにおける加盟国のような、主権を制限された形になるということです。要するに「国家の脱構築」を踏まえた世界秩序を構想しているのです。

民主主義に関しては「多数決原理としてのデモクラシー」という意味で、「人権原理としての民主主義」という意味ではないそうです。ただし、原田さんは「条件付きの多数決」という表現をされました。多数決主義に関しても、これまでさまざまな提案がなされてきていますが、本書の著者たちはさらにもっといろいろな議論をしているようです。

ちなみに原書は、“Governance and Democracy”となっていて、政府とか民主主義とはなっていません。

そこから話し合いに入りましたが、長くなったので、2つだけ紹介させてもらいます。

まずは「グローバリスト」と「コスモポリタン」の違いです。
いわゆる「陰謀論」においては、超富裕層やグローバリストはあまり評判がよくありません。この構想は、そうした超富裕層による世界統治のシナリオではないかという問題です。いつも陰謀論サロンを開いてくれている中嶋さんや北川さんも参加していましたが、議論しだすと時間がとても足りないと思ったのか、簡単な問題提起だけで終わりました。ただ、本書の目次をみると、「グローバル階級」の形成による不平等の問題は本書でも議論されているようです。
私は、コスモポリタン(地球市民意識)によるグローバリスト(超富裕層)の暴走を止めることが意図されているように受け止めました。実際に、原田さんもウォール街占拠事件にも言及されていましたし。しかしこの構想は、超富裕層のかかわり方で真逆なものにもなりかねません。そこは本書を読ませてもらうのがいいでしょう。

ITの発展で、議会という代議制民主主義は克服できるのではないか、つまり80億人の人たちにも直接参加してもらえるような議会の可能性があるのではないか、という話もでました。原田さんも、直接民主主義の可能性を否定はしませんでしたが、しかし参加していたIT分野で活動している人からは、技術的には可能だが、地球市民の声を反映させることは実際には無理があるというような発言をされました。私自身もそう思いますが、それ以前に、アメリカ大統領選挙や日本の最近の選挙から、代議制民主主義を支えていた「選挙制度」はもはや機能しなくなっていると思っています。いまや「民意」を集めることは虚構でしかないでしょう。ここでももはや政治のパラダイム変化は現実が先行しているのです。

この問題は、湯島の遠山サロンや近藤サロンのテーマになっている「虚構の時代」「ポストトゥルース」で取り上げられていますので関心のある方はぜひご参加ください。

長くなってしまいましたが、壮大なテーマなのでこれでも一部だけの紹介にとどまっています。また、原田さんの確認をとっていないので、私の勝手な解釈も入っていると思います。文責は私にあります。
いずれにしろ3月には本書が出版されますので、関心のある方は是非お読みください。

案内チラシを添付させてもらいます。いま予約受付中です。
出版されたら、また改めて世界議会構想と国境なき民主主義のサロンを企画したいです。


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なお、案内文では間違っていましたが、原書の改訂増補版が今夏に出版されています。翻訳に取り組む人はいないでしょうか。
もしいたらチームを組んで取り組みたいと思います。
若い世代の人たち、いかがでしょうか。

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■節子への挽歌6173:熟睡できない夜が続いています

節子

また夜中に1時間おきに目が覚めるようになってしまいました。
そればかりか目が覚めるとしばらく眠れなくなる。
朝もどうもすっきりしません。

昨夜はついに真夜中にお風呂に入りました。入浴している眠くなる。
昨夜もはっと気がついたら30分ほどうとうとしていました。
注意しないと「溺死」しかねない。
困ったものです。

そのうえ、腰の痛みというか、調子が回復どころかますます悪化している。
さてどうしたものか。

でも思考力はかなり戻ってきました。
気力も、です。
でも身体がそれについていかなと続かないでしょう。

昨日は午前中は茶色の朝サロン、午後は箸学会の文化部会のみなさんがやってきました。
みなさん、私が元気そうなのを喜んでくれましたが、確かに元気になっていますが、いささか不安定なままの元気です。

今日は在宅なのですが、できるだけ歩こうと思います。
来週のあすあびサロンの準備がまた今回も全くできていないのが不安ですが。

 

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■第5回増田サロン「宮沢賢治の自然観と藝術論から」のご案内

増田圭一郎さんと一緒に「地湧きの思想」を考えていく連続サロンの第5回は、改めて自然との関係を考えます。
入り口は、宮沢賢治の『農民藝術概論』です。

 『農民藝術概論』といえば、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という一文が有名ですが、短いながら含蓄のある小論です。
宮沢賢治は、自然の「観察者」ではなく、自然という混沌と一体となって生きていたと増田さんは考えていますが、その宮沢賢治の『農民藝術概論』を入り口にして、藝術、手仕事、自然観について、根源的な視点で考えてみたいと思います。

 関連した人として、ウィリアム・モリス、井筒俊彦、ティム・インゴルドも取り上げたいと増田さんは言っています。

藝術、手仕事、自然観。そこから考える「地湧きの思想」。
それが私たちの生き方にどうつながっていくか、楽しみです。

これまで参加していなかった方も大歓迎です。
みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2024年12月14日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ: 「宮沢賢治の自然観と藝術論から
〇話題提供者:増田圭一郎さん(図書出版みらいま代表)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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■久しぶりの「茶色の朝」サロンの報告

昨日は久しぶりの「茶色の朝」サロンでした。

ちょっと気になることを話し合い、政治についてちょっと考えるサロンです。
先の衆議院選挙や兵庫県知事選挙から、アメリカ大統領選挙まで「茶色の朝」サロンにしては大きな話題で盛り上がりました。

参加者の一人が、こういう話し合いができるのも、私たちが暇だからではないかと発言しましたが、一番大きな問題は、政治に関心があっても、それを考え話し合う余裕さえなくなっている人が多くなっていることかもしれません。
ちなみにそう発言した人は、私のような高齢者ではなく、子育てから解放されつつある女性ですが、彼女の周りの友人知人はみんな忙しくてあまり余裕がないようです。

でも生き方をちょっと変えれば、時間はつくれるような気もしますが。
いまはあまりに時間貧乏の人が多すぎます。
お金よりも時間が大切だと私は思うのですが。

茶色の朝サロン、来年はもっと頻繁にやろうと思います。
身の回りのちょっと小さな気になることこそ、政治につながっていることに私たちは気づかないといけないような気がします。
兵庫県知事選挙は、そのことを教えてくれている気もします。

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2024/11/28

■節子への挽歌6172:にこの持久走大会

節子

にこの持久走大会があるというので、小学校に見に行きました。
どうもみんなで1キロくらいを走るようです。
散歩がてら出かけたのですが、結構遠いのです。
ここを毎日にこは歩いているのはいいことです。

今回は私は遅刻すると悪いので一人で先に出かけたのですが、校庭にはもう人がいっぱいいました。
すでにちっちゃな子供たちが走っている。
見ている人に訊いたら、いまは2年生の男児だそうで、この次がにこの出番のようです。
最近の学校の行事はだいたい、学年別で、学年ごとに家族も入れ替わるのです。
最近は慣れてきました。

さていよいよにこたちの番です。
一斉に走り出して、目の前を通り過ぎていきましたが、みんな同じに見える。隣で応援していた人に、親じゃないと見分けるのが難しいですねといったら、親でも難しいですよ、と答えが返ってきました。

校庭を1周した後、郊外に出て、しばらくして帰ってきました。
かなりばらついています。
とても感心したのは、一番最後に走っていた子がとても楽しそうだったことです。それに途中で走っている子も、あまり順位には気にしていないようです。

私は結局、にこは見分けられませんでした。
終わった後、別のところで観ていたにこの両親に聞いたら、20番くらいだったよということでした。
やはり親には見分けられるのです。

私が話しかけた人は、私を慮って「親でも見分けられない」と言ってくれたのでしょう。
今日は、一日一善をするのではなく、されてしまいました。
でもそれもまた一日一善と言っていいでしょう。

今日はどんな一日一善に出合うでしょうか。

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■湯島サロン「アーユルヴェーダを学びながらインドで考えたこと」のお誘い

今年からインドで、アーユルヴェーダを学んでいる若者がいます。

たまたまいま日本に戻ってきていますが、年末にまたインドに戻ります。
先日の「第2回生きる意味を話し合うサロン」に参加してくれた、かわさきけいたさんです。サロンの報告で書いた、自宅と病室の天井を3か月見続けていた若者です。
おそらく、その経験もあってでしょうが、けいたさんは、いまアーユルヴェーダを学ぶためにインドに留学中です。そのインド留学も、自分で切り開いて実現したとお聞きしています。「できないこと」ばかり口にする最近の人たちに聞いてほしい話です。

先日のサロンで、けいたさんの発言に触れて、ぜひともサロンをお願いしたくなりました。私も元気をもらえるでしょうから。
けいたさんは、アーユルヴェーダは学び始めたばかり、インド生活もまだ1年に満たないので、お話しできるほどの知見を得ていないと辞退されたのですが、参加者との『Q&A形式』であれば、と引き受けてくれました。

今回はまとまった話ではなく、けいたさんがなぜインドで学ぼうと思ったのか、インドでの生活はけいたさんにどんな気づきをもたらしたか、インドで生活して日本の社会の見方は変わったか、など、最初にちょっと話をしていただき、あとは参加者との自由な話し合いにしたいと思います。

けいたさんは12月下旬にはまたインドに戻りますので、いささかせわしいのですが、1212日に開催することにさせてもらいました。

けいたさんは、「生きる意味」を見つけてもらえるようなサポートができる医師を目指しています。

ご多用な時期でしょうが、ぜひ多くの人に参加していただきたいサロンです。
いろんな気づきをもらえると思います。

〇日時:2024年12月12日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「アーユルヴェーダを学びながらインドで考えたこと」
〇話題提供者:かわさきけいたさん(インドでアーユルヴェーダを学んでいる若者)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2024/11/27

■湯島サロン「ジタバタ人形と付き合ってみませんか」の案内

細菌学の視点を基軸に、生物と環境の関係を考えるサロンを数年にわたって開催してくれた益田昭吾さんは慈恵医大名誉教授の細菌学者の顔のほかにいくつかの顔をお持ちです。
その一つが、廃物を利用した手づくりのおもちゃ作りの先生です。
コロナ騒ぎの前は、地元でもそうした集まりをやったり、新聞に手作りおもちゃの連載などもしたりしていましたし、湯島でも新聞のチラシを活用したコマづくりサロンをやってくれたこともあります。益田サロンでも時々、その作品を披露してくれたので、ご存じの方も少なくないでしょう。

その益田さんの作品の一つに「ジタバタ人形」があります。
私のお気に入りです。動画を見てください。面白い動きでしょう。しかしその魅力はこの動画ではわかりません。こうした動きが一段落して静止した状態になったまま、放置しておき、もう忘れてしまった頃に、突然動き出してひっくり返るのです。私は最初それに驚いてしまい、以来ジタバタ人形のファンになってしまいました。

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しかもジタバタ人形は「進化」しているそうです。
それに益田さんによれば、「ものづくり」にこそ、いま失われようとしているとても大切なものが含まれているというのです。
湯島のサロンも、「言葉」だけでやり取りするのではなく、実際に手を動かして、ものをつくる時間を持つのがいいと、前から提案されていました。
実際に手を動かして、ものをつくってみれば、いろんな気づきが得られる。それこそがいま忘れられようとしてる「臨場の知」を実感できるはずだというのです。

私の「ものづくり」への関心は低すぎると益田さんにはいつも叱られていますが、私も「言葉」だけの世界は好きではありません。不器用なので「ものづくり」は苦手ですが、実際に手足を動かして「現物」に触れるのは好きです。

長々書きましたが、しばらくお休みしていた益田サロンの特別版です。
みんなでジタバタ人形を手づくりし、その体験をベースに「臨場の知」について話し合うサロンです。
材料は益田さんが用意してくださるとのこと。サロン終了後にはみなさん、自分が生み出したジタバタ人形と一緒に帰ってもらいます。

年末のお忙しい時期ですが、まあ気分転換も兼ねて、遊び気分でご参加ください。
話は哲学的な話になるかもしれませんが、臨場の知がテーマですので、余計な知識など不要です。
遊びに来る感覚で、気楽にどうぞ。

〇日時:2024年12月22日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ジタバタ人形と付き合ってみませんか」
〇話題提供者:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■6171:一日一善に取り組んでみようと思います

節子

昨日、久しぶりに和幸のとんかつを食べに行きました。
私にとってはいろんな思い出のあるとんかつですが、20年ほど、多分食べていませんでした。節子と一緒に言った記憶はありませんので、私の節子以前の人生の一つです。

昨日、急に食べたくなって、ユカに頼んで連れて行ってもらいました。
車で15分ほどの柏のアリオに出店したと聞いたからです。
驚いたことに、20年前と全く同じ雰囲気で、価格もそう変わっていないような気がしました。ランチメニューのせいかもしれませんが、970円。お変わり自由。ただしとんかつの大きさはかなり小さくなっていましたが。
私たちの隣の男性は、ご飯とお味噌汁とキャベツを3回もお替りしていました。それに刺激されて、頑張って私もお味噌汁をお替わりしました。

食後、ユカが買い物をするというので私は店内の食品売り場を散歩していました。何しろ1日、4000歩以上歩くことになっているので、機会があれば歩かないといけません。
と、高いところの商品をとれなくて困っている人がいました。
取りましょうかと声をかけて取ってやったのですが、たったそれだけなのにとても喜ばれたのです。そこでハッと気づきました。

昨日、時評編で「生きる意味」のサロンの報告を書きましたが、そこに「人とのつながりを育てるような生き方をしよう」と書いたのですが、それを思い出したのです。
一日一善こそ、「人とのつながり」を育てるでしょうし、何よりも外に出て歩かないと一日一善のチャンスに巡り合いにくいので、歩くモティベーションにもなる。一挙両得です。
いや気分もよくなるから、三得です。

さて明日から外出が楽しみになりそうです

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2024/11/26

■湯島サロン「第2回生きとし生けるものの生きる意味」報告

テレビ東京開局50周年記念ドラマの「生きとし生けるもの」を観ての「生きる意味を考えるサロン」は、2回目の開催にもかかわらず、10人を超す大勢の参加がありました。普段はテレビのドラマなど見ないという方も、わざわざ見てくれての参加でした。
「生きる意味」というテーマには、なんとなくみんな気になるものがあるのでしょう。

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まず参加者のみなさんから、ドラマを観て何を感じたかの感想を話してもらう予定だったのですが、数名の人から、なぜ2回もサロンを開くほどに佐藤さんが感動したのかを聞きたいと、言われてしまいました。
思ってもいない展開でいささか焦りましたが、改めて「どこにどう感動したのか」と問われるとなかなか説明しにくい。なにしろすべてに共感してしまったからです。

私の場合、余命宣告された患者と生きる意欲を失った医師という主人公たちの生き方に関心を持ったわけではありません。そんなのはまあよくある話ですから。
あえていえば主人公の一人の「もしかして、人間ってのは自分のために生きるんじゃなく、人のために生きるのかなあ。自分のためだけじゃ、味気ないっていうかな」という言葉が、あまりに私の気持ちにぴったりだったのです。

ただ「人のために」などというと、「利他」とかいう「退屈」な意味を与えてしまうかもしれませんが、私が共感したのはそういうことではありません。
人のいのちはみんなつながっているというような意味なのです。いや、つながっているのは、人のいのちだけではありません。すべての生き物(私の場合は、石も雲も生き物です)、しかも時空間を超えたすべての存在とつながっているということです。
もしそういう確信を持つことができれば、人は死ぬことはない。

しかし、自分のために生きているのではないので、ともかく「生まれた以上」、この生を守らなければいけない。どんなにつらくて、どんなに「無意味」に思えても、です。
いや「つらいこと」にさえ、「意味」がある。辛いからこそ生きなければいけない。
自分の命を絶つ権利など、仮にそれが「安楽死」であったとしても、あろうはずがないのです。
ちなみにこのドラマを観て、「安楽死」が必要ではないかと思った人もいるようですが、「安楽に死ぬこと」と「安楽死」は全く別のことだと思います。安楽死は他者がいなければ実現しませんが、このドラマのメッセージとは真逆のはずです。「おっさん」はそれに気づいたからこそ、生き抜いたのです。

1回目のサロンの報告で、「生きる意味は他者にあり、他者に見守られて人生を終わることが生きることではないか。それに気づけば、おのずと生き方は見えてくる」と書きました。このことも今回少し話させてもらいました。
ここで言う「生き方」とは、人とつながる生き方です。つながるのは難しくはありません。その人の役に立つことをやればいいのです。誰かの役に立つ生き方をするということです。こういうと、誰かの役に立つのは簡単ではないという反応が多いのですが、なにも難しいことを言っているわけではありません。たとえば、会ったら挨拶をするだけでもいいのです。家の前の掃除をするだけでもいいですし、無駄な電気を使わないだけでもいい。いや野の花を愛でるだけでもいい。つまり誰にでもできることが山ほどある。
人は一人では生きていけない。だとしたら誰かと一緒にいたら、必ずその人に役立てることがあるはずです。邪魔にならないことだって、役立っていることですし。

こういう生き方をしていれば、たぶん「孤独死」はしないでしょう。
必ず最後に手を握ってくれる人がいて、死んだ後も思い出してくれる人がいる。つまり死ぬことはない。これが私の生き方なのですが、このドラマをそのことを改めて私に確信させてくれたのです。

長々と自分のことを書いてしまいました。しかも中途半端なのでわかりにくいですね。
それに、サロンの報告になっていませんね。すみません。

サロンでは、生きる意味を失いかけたことのある人も何人か参加してくれました。私もその一人ではあるのですが。
ドラマの主人公のように、毎日、病室の天井だけを見る、しかもつらい日々を送った経験のある若者も参加してくれました。彼がどうやってつらさを克服したか、そしてそれがどういう結果をもたらしているかには、教えられることがありました。その言葉には力を感じました。

長らくビジネスの世界で生きてきた人は、みんなが「関係性」や「他者視点」で話すのに自分とは違うものを感じたと言いました。その感受性と柔軟性にも感激しました。

医療・福祉にかかわる人もいました。医療や福祉において大切なのは、「生きることの意味」でしょう。そこがしっかりしていなければ、産業になってしまう。私が敬服している医療関係者の一人が、近代ホスピスの生みの親であるシシリー・サンダースの言葉を紹介してくれました。
Not doing, but being
ホスピス緩和ケアの真髄を現わす言葉といわれますが、生きるを支える真髄ともいえるでしょう。

他にもたくさんの感想をもらいました。
でもこうした報告はあまり意味がない。
ともかく機会があったら是非このドラマを観てほしい。ご希望の方にはDVDを貸し出しますのでお申し付けください。

またいつか「生きる意味」のサロンをやりたいです。
あるいはいつでも話に来てくれたら応じたいです。

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■節子への挽歌6170:生きているのを忘れる瞬間

節子

冬になると窓から朝焼けや日の出がよく見えます。
朝のルーチンを一段落して、ぼんやりと朝が明けていくのを見ていると時を忘れます。
時を忘れるというよりも、生きているのを忘れると言った方がいいかもしれません。

朝焼けのなかから太陽が顔を出してくると、ますます引き込まれて、目が離せなくなります。時に写真を撮りたくなる。その時の気分で、その日一日が決まってしまうような気もします。

今朝はまだ太陽は顔を出していません。
でもこの静寂はとても心落ち着きます。

今日もいい一日になるでしょう。
最近、また連絡が途絶えた2人の若者から連絡があるといいのですが。
それにしても、どうして気になる人がこんなにもいるのでしょうか。
この人たちがいる限り、私は生きるのをやめるわけにはいかないでしょう。

そろそろ日の出でしょうか。
いやまだもう少しですね。
さてまた私は朝のルーチンです。
テレビ体操をやって、ジュースをつくり、コーヒーを淹れて、娘が起きてくるのを待ちましょう。

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■節子への挽歌6169:節子を思い出す手作り料理

節子

昨日はサロンだったのですが、朝、「北海道からホタテが届きましたので、事務所で炊き込みご飯を作ろうと思います。野沢菜も白菜も程好く漬きましたので、それを持って伺いたいのですが」と新倉さんからメールが届きました。
新倉さんには今、季節ごとの食養生のサロンを開催してもらっているのですが、私の食事に関する知識のあまりのなさに時々、食事を届けてくれるのです。
新倉さんはかつて全国に「ふるさと薬膳」の思想を植えこんできた方なので、いまでも各地から美味しい食材が届くのだそうです。

新倉さんと知り合ったのは数年前ですが、息子の川辺さんが、親父と似た人がいるのでと連れてきたのがきっかけです。
新倉さんの連れ合いは、亡くなっているのですが、私と同年だったそうで、しかも私と生き方が似ていたようです。
川辺さんは、私と話していると親父と話しているようだと言っていたのですが、新倉さんから聞く伴侶の話にはとても共感できることが多いのです。
私と同じく、大会社に勤務していましたが、これまた私と同じく、自由に生きていたようです。自由に自分を生きていれば、会社との折り合いはつかなくなりますから、私と同じように退社したのでしょう。

まあそれはともかく、ホタテの滝五味ごはんのおにぎりはとてもおいしくて、めずらしく2つもいただいてしまいました。ほかにも白菜や野沢のお漬物に加えて、いくつかのお惣菜をつくって持ってきてくれたのですが、大根の煮物が、これまで食べたことのないような美味しさでした。
久しぶりに、おいしい家庭料理を食べた気がします。

こんなことを言うと毎日食事をつくってくれている娘に悪いのですが、やはり年代というか時代というか、子供のころ食べたような日本の伝統食の味は、なかなか娘には出せません。今様のおいしい料理はしてくれますが、おいしさが違うのです。

ところが、昨日帰宅しての夕食は、久しぶりに手づくりカレーでした。
レトルトカレーやカレー屋さんのカレーもおいしいですが、手づくりカレーの味はまた格別です。

というわけで、昨日は久しぶりに節子を思い出す料理をたくさん食べました。
その勢いで、今日は昔好きだった「和光」のとんかつを食べに行くことにしました。
「食」にはあまり関心はないのですが、懐かしい味を忘れないようにしなければいけません。
昨日は新倉さんの手づくりを料理をいただきながらそう思いました。

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2024/11/25

■節子への挽歌6168:不老閣の女将さんからの招待

節子

お灸を勧めてくれた柿内さんから電話がありました。
昨日までご夫妻で不老閣に行っていたそうです。
そこで不老閣の女将さんと私の話になったそうです。

女将さんから、私のことを話題にした人がもう一人いたと聞いたそうです。
たぶん諏訪の藤森さんでしょう。
藤森さんとは一番長く話したでしょう。すい臓がんを直した人です。
私もすっかりお世話になった人です。

柿内さんがいうには、女将さんがそのことをとても喜んでくれたそうです。
そして私をまた不老閣に招待してくれるというのです。
温泉サロンが実現するかもしれません。
というわけで、春になったらまた柿内さんが不老閣に連れて行ってくれるそうです。

私はこうしたたくさんの人から支えられて生きている。
まさに「生きる意味」を体現しているのです。

 

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2024/11/24

■節子への挽歌6167:お灸の習慣

節子

最近体調が何とか戻ってきたので、生活リズムもまた戻そうと思っています。
その出発点を今回、朝の挽歌書きにしたのですが、ほかのルーチン行もいくつかあります。
最近、習慣化したのが朝の入浴です。
これを思い切りルーチン化することにし、朝一番に入浴するることにしました。
昨日から実践しています。

もう一つ、その風呂上りに足三里にお灸をすることです。
先日、柿内さんと不老閣に行った時に、柿内さんが施術してくれたのです。
それ以来、私には珍しく続いているのです。

お灸といっても、せんねん灸ですので、簡単です。
つづいている理由はもう一つあります。
なんと柿内さんがわざわざ送ってきてくれたのです。
柿内さんは私の健康を気遣ってくれて、ともかくいろいろと送ってきてくれます。
そうした柿内さんの心遣いを考えると、やめるわけにはいかない。
私には珍しく長く続いているのです。

しかし問題がないわけではない。
ともかく部屋がお灸臭くなる。
まあしかし、それにも間もなく慣れるでしょう。

それにしてもまさかお灸が習慣になるとは思ってもいませんでした。

なんだか私の中にいる節子がやっているような気がしないでもありません。

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■第36回万葉集サロン「額田王の物語世界②」のご案内

万葉集サロンは前回から「初期万葉の時代」に戻り、額田王を取り上げていますが、今回はその2回目です。

前回は、額田王と鏡王女の相聞歌を取り上げましたが、今回はまだどの歌を取り上げるか未定です。
額田王といえば、2人の天皇に愛された?女性としても有名ですし、また大化の改新や白村江の戦い、壬申の乱といった、古代国家ヤマトが「日本国」へと整えられてきた時代のど真ん中を生きた人でもあります。
漢詩にも詳しいばかりか、日本列島土着の信仰にまで詳しく、また「代作」と言われる歌も多く、柿本人麻呂と同じく象徴的な宮廷歌人の一人でもあったのでしょう。ともかく謎多き人です。

万葉集はあまり読んだことのない私でも、額田王の歌には魅かれるものがいくつかあります。
その歌に言及してくれるかどうかはわかりませんが、今回、どの歌が取り上げられるか楽しみです。

なお前回、十分に解説されなかった「ともし」や「さぶし」の話題も出るかもしれません。
もちろん、「た」と「わ」「な」の話も。

升田万葉集サロンは、ますます面白くなってきました。
これまで参加していない人も大歓迎です。

これまで参加したことのない人のために、これまでのサロン報告をまとめましたので、読んでみようという方がいたらご連絡ください。データで送らせてもらいます。

みなさんの参加をお待ちしています。

〇テーマ:「額田王の物語世界②」
〇日時:2024年12月15日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

 

 

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■節子への挽歌6166:生きる意味

昨日、湯島のサロンでドラマ「生きとし生けるもの」を観てのサロンをやりました。
実は2回目です。テーマは「生きる意味」。
2回目なので参加者もそう多くはないと思っていましたが、なんと10人を超す大賑わいでした。
サロンの報告は改めて時評編で行います。

このドラマを観てみんなどんな感想を持ったのかを話し合うサロンだったのですが、参加者の数名の関心は、私がなぜこのドラマにこんなにも感動したのか、その理由を聴きたいというものでした。
なんだか話の展開が逆になってしまったのですが、むしろみんな「生きる意味」を探していることの証しかもしれません。
それで不本意ながら私の「生きる意味」を少し話させてもらいました。

もちろん、私の生きる意味は「節子の存在」でした。
節子のために生きるという意味では全くありませんが、節子がいればこそ、生きる元気がもらえたのです。
そして節子が逝ってしまった。
もう生きる意味はありません。ですから早く私も行きたいなと思ってしまう時期もありました。

でもそこで気づいたのは、節子は私の生きる意味の「象徴」だったのです。
それに気づくと生き方も変わります。
私の「生きる」を支えていたのは、「他者」なのだという気づきです。

さらにその「他者」には、人間以外の生物や自然も含まれます。
そう思うと、すべてのことへの関心が高まり、すべてのことを配慮して生きようと思えるようになります。
そして、あの宮沢賢治の心境に近づけたのです。
これが私の「コモンズ」にもつながっているのです。

とまあこういうことなのですが、さすがに宮沢賢治までは言いませんでしたが、そのことを話させてもらいました。

もう一つ、このドラマから私が得たのは、「人は死なない」という確信でした。
これに関してもサロンの成り行きの中で話させてもらいましたが、これはおそらく伝わらなかったでしょう。
でも人は死なないのです。
節子もいまなお私の中で、生きていますから

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2024/11/23

■第5回あすあびサロンへのお誘い

我孫子をどんなまちにしたいかを、我孫子住民が中心になって、自由に話し合う「我孫子の明日を話し合う」サロン(“あすあびサロン”)の第5回のご案内です。
仲間もだいぶ増えてきました。

前回は、参加者各人が「こんな我孫子にしていきたい」「そのために自分はこんなことに取り組みたい」ということを参加者(発表したい人)に発表してもらいました。
参加者全員から発表があり、聞いていただけでも、我孫子がますます楽しいまちになりそうな気になりました。
そのいずれかはきっと形になっていくでしょう。

今回も、引き続き、参加者が取り組みたい活動を出し合って、話し合う会にしたいと思います。しかし、ただ話し合うだけではなく、どうしたらそういうみんなの思いが実現に向けて動き出すようになるかについても、みんなで考えていきたいと思います。

あすあびサロンも5回開催しましたので、これからどういうスタイルで展開するかについても、後半で話し合いたいと思います。
こういうサロンにしていきたいという思いをお持ちの方は、ぜひ提案してください。

毎回説明させてもらっていますが、このサロンでは、年齢や立場に関係なく、みんな同じ我孫子住民の一人として参加してもらいます。
また問題や不平を話すのではなく、我孫子をさらに住みよいまちにするために、自分ができること/取り組みたいことを探していくこと、そして仲間を見つけていくことを基本にしたいと思っています。
その趣旨を踏まえていただければ、どなたでも参加歓迎です。

参加ご希望の方は、できるだけ下記申込先までメールでお申し込みください。当日、急に来られなくなったりしても、いずれも事務局は気にしませんので、気楽にお考え下さい。何しろ気楽な「サロン」ですから。
またこのサロンへの参加者を対象にした案内や報告のメーリングリストがありますので、参加されたい方は事務局にご連絡ください。

 申込先:準備会事務局佐藤修(qzy00757@nifty.com

〔第5回あすあびサロン〕

〇日 時:2024年12月7日(土曜日)午前9時半511時半(915分開場)
〇会 場:アビスタ第2会議室
〇テーマ:こんな我孫子にしていくためにまずはこんなことに取り組みたい
〇協賛費:会費ではなく、ワンコイン(100円)を目安にした自由寄付方式
〇主催者:“あすあびサロン”準備会(事務局佐藤修 qzy00757@nifty.com

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■節子への挽歌6165:オオカミ少年のようですが

2か月ほど、挽歌を書かずにいました。

この間、書きたいことがたくさんあったのですが、なぜか書けませんでした。
理由はいろいろとあるのですが、まあ身心が不調だったり、何やらやりたいことも多くて時間的な余裕がなかったのです。
心身不調も時間不足ももう1か月ほど前に解消されたのですが、なぜか書けずにいました。でもまあ毎朝の節子への挨拶は欠かしたことはありません。
そろそろ挽歌から卒業かなという思いもありました。
その理由もいろいろとあるのですが、まあそれも迷いの中での思いでしかありません。

いずれにしろ、また朝の挽歌を復活させようと思います。
最近は、生活のリズムもようやく落ち着いてきたこともありますが、逆にリズムを落ち着かせたいという思いもあります。
もっともこういうことを何回も繰り返してきたので、オオカミ少年のようになっていて、いささか恥ずかしいのですが。
今度こそ確実にというのも気が引けますし。

でもまあこの半年はかなりいろんなことがありました。
体質が変わったかもしれないという気もします。

また生きることへの意識も変わりました。
早く自然に逝きたいなという気分がこれまではどうしても消せなかったのですが、いまは生きつづけようという意識が生まれたのです。
というよりも、生きるとか死ぬとかは瑣末な話だなという気がしてきたのです。
大切なのは、身体が自由に生きられるかどうかだと思うようになったのです。
そうしたら厳しい現実に直面することになったのですが。

いずれにしろまた毎朝、挽歌を書こうと思います

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2024/11/22

■湯島サロン「冬の食養生」報告(2024年11月22日)

東方健美研究所代表の新倉久美子さんによる恒例の季節ごとの「食養生サロン」、今回は「冬の食養生」です。

20241100000 中国の「薬膳」には、病気を治すことを目的とする「食療」と、病気にならないよう予防するための「食養」の二面性があるそうですが、新倉さんが長年取り組んでいるのは、地域独自の食文化である郷土食を、薬膳的観点から見直し、現代風にアレンジして、「日々の食事によって健康を取り戻し、身も心も健やかに過ごしていくための「食養」を目的とした健康料理」として広げていこうという「ふるさと薬膳」活動です。新倉さんは、全国各地に実際に出かけて行って、そうした「ふるさと薬膳」の芽を各地に育ててきました。

新倉さんは、湯島のサロンでは毎回、季節に合った「食養」の話を具体的にしてくれるのですが、そこに入る前に、総論的に「郷土食は日本の薬膳」と題し「身土不二」や「薬食同源」などの話や、なぜ、自分がこの活動を始めたのかなどの話をしてくれます。
いつも同じ資料で話してくれるので、大筋は同じなのですが、毎回、新しいエピソードが含まれています。ですから毎回聞いている私も退屈しません。それに時々、同じ話でもハッとした気付きをもらえるのです。

新倉さんがこうした活動に取り組みだした契機の一つは、30年以上前に(天安門事件直前)、中国の精華大学に国費留学した時の体験です。もちろん精華大学に留学するには、その前の活動がいろいろとあるのですが、「薬膳」をきちんと学んだのはこの留学時だったようです。

今回は、その時の顛末の話がとても面白かった。たぶんこれまでも聴いているのですが、中国の文化の深さと実態に触れたようで、私自身、中国が好きになりました。
まあ、そんな「副作用」があるのが、新倉さんのサロンなのです。

「ふるさと薬膳」についての詳しい話は、これまでの報告を読んでほしいですが、今回はこれからの季節に向けての「冬の食養生」のポイントを、できるだけ新倉さんのお話そのままに報告します。新倉さんは、独自に整理した「陰陽五行配当表」に従って、次のような話をしてくださいました。

冬は、固まる性質を持つという意味から「水」の行に属する季節。冷たい北風に象徴される寒さの厳しい冬は特に早目の食養生で、体を温め、労わることが大切だそうです。

漢方ではこの季節の食養生のポイントを、体内の「陽」を補い、冷えに対する抵抗力の弱い、腎を温めよという意味から「補陽温腎」という言葉で表しています。

寒さの影響を受けやすい腎臓は、人間の成長・発育に関する働きを左右する重要な臓器であり、人体の生命力の源。中国の「食医」が一番気にしたのが腎臓だそうです。腎機能の衰えは足腰の弱り、聴力の衰え、頻尿や残尿感など老年期におこる不具合の症状にもつながっています。腎臓を大事にするのが長寿の秘訣。

ここまでの話は、まさに今の私にぴったり合います。
実は先週の定期検査で腎機能の弱まりを指摘され、足腰の衰えを今痛感、夜中の頻尿で寝不足です。人生の冬を迎える私には、いつも以上にこの言葉はピンときます。
ではどうしたらいいか。これに関しても新倉さんは具体的に話してくれます。

体を温め、腎機能を強化するためには、根菜類や背の青い魚、牛肉、羊肉の他、黒豆、昆布、ヒジキ、ワカメなど海藻頼など黒くて保温効果のある食材を上手に組み合わせて調理し、体の中から温かくなるよう、心がけることが大切だそうです。

味付けに関しては、冬はむしろ酸味とか苦味とか辛味よりも塩味(鹹:かん)が大事だと言います。そして「塩味」について少し話してくれました。五味でいう「鹹」とは合成された塩味ではなく、天然のミネラル成分を含む、人体に必要な塩分を含む味覚だそうです。たまたま、私は新倉さんに「藻塩」を味わせてもらいました。平板な塩味とは違います。塩分の取りすぎはよくないと言われますが、そこでいう「塩分」と五味で言う「鹹」とは違うのです。注意しないといけません。

そして新倉さんは、いつものように最後に「冬の食養生のポイントは『冬は腎臓、体を温めよ」と覚えなさいとまとめてくれました。

今回も新倉さんが整理した「五行配当表」に基づいての季節季節の食養生のポイントの説明もしてくれました。これはとてもわかりやすく、またすんなりと理解でき、誰でもすぐに取り込めそうなので、いつもと同じく添付します。
この表の詳しい説明を聴きたい人は、ぜひ次回の新倉食養サロンに参加してください。

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ちなみに新倉さんは、現在、週刊金曜日でレシピ付きの「季節の薬膳」を毎月連載しています。1115日号に掲載されたおすすめ薬膳料理は「錦秋喝采」。下味をつけた鯖をカラッと揚げて、ミカンやリンゴを加え、大根おろしを和えたものです。料理の命名はもちろん新倉さんです。写真を添付します。
とてもわかりやすい食養生記事ですので、ご関心のある方は是非同書をお読みください。

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今回はもう一つ、お薦めの一品のレシピも紹介してくれました。体を温める「長寿粥」。ちょっと先ですが、小寒・大寒の頃に是非とのことです。新倉さんが書いたレシピを添付します、私もできるかどうかわかりませんが、来年挑戦しようと思います。

なお次回は「春食養」に合わせて、季節の変わり目の「土用」の「食養」に関しても詳しいお話があるそうです。
だいぶ先ですが、2025年2月2日を予定しています。

 

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2024/11/21

■湯島サロン「“コピ・ルアク”を味わう」報告

世界で最も高価と言われている“コピ・ルアク”コーヒーを味わうサロンは、参加者がサロン常連のふたりだけで、見事に予め用意したコーヒーを半分以上無駄にしてしまいました。

1杯1万円とさえ言われる“コピ・ルアク”コーヒーと1杯50円くらいのスーパーで買ったUCCのモカブレンドをあらかじめ、淹れておいて、それを同時に飲んで、どっちが“コピ・ルアク”かを当てるという趣向でした。

予め淹れておかないとわかってしまうので、サロンが始まる前に豆を挽いてそれぞれ別のコーヒーメーカで5杯分ずつ作っておき、参加者が多ければ小分けにして紙コップで飲もうと紙コップまで用意しておいたのです。

ところがやってきたのは、2人だけ。しかもなぜか金銭や物欲などには全くと言っていいほど無縁な生き方をしている人ばかり。“コピ・ルアク”コーヒーが飲みたかったわけでもなさそうです。

2人とも“コピ・ルアク”当ては見事にはずれ。200倍も値段が違うものも、飲んでみたら同じ。というわけで、“コピ・ルアク”っていったい何だろうということになりました。高いお金を出してわざわざ買ってきてくださった友人夫妻への感謝の念は高まったのですが。

ちなみに、これまで数人の人に、講釈を垂れながら、目の前で豆を挽いて飲んでもらったのですが、その時は、飲んだ人はおいしかったと言ってくれました。一緒に飲んだ私も確かにおいしかった。
でも今回は、私もあまり違いがわからず、2人の意見に影響されて、UCCモカブレンドの方が美味しい気分になってしまいました。

話し合いのテーマは「価値と価格」を想定していましたが、話し合うまでもなく、価格は価値とは関係ないことが自明になりました。
まあそういう点では、今回のサロンの試みは成功でした。

もっとよかったのは、参加者が2人だったことです。
じっくり話せていろんな気づきがあった。
しかもまた新しい物語も生まれそうです。
なけなしの高価な“コピ・ルアク”は2杯分を捨てる羽目になってしまいましたが。

ちなみに“コピ・ルアク”コーヒー豆はまだ2杯分が残りました。
どうしても飲んでみたい人がいたらご連絡ください。
希望者が多かったら、まあ適当に淹れて、これが“コピ・ルアク”だと講釈を垂れれば、みんな信じてくれるでしょうから、気楽にどうぞ。

ただし、いままで“コピ・ルアク”ですと言ってふるまっていたのは、ほんとに“コピ・ルアク”でしたので念のため。

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2024/11/20

■身心力向上への取り組み8:前立腺がんのその後

前立腺がんに関する定期検査と治療に3カ月おきで病院に行っています。
検査は血液検査で、前立腺特異抗原であるPSAの値を確認、治療は注射と投薬です。
今回の検査ではPSA値は0.009未満で問題なしです。
この検査と注射・投薬は2年といわれていますので、来年いっぱい、受けることになっています。
しかしまあ、私の意識のなかからはもう「がん」はほとんどなく最近は「ワルゾー」のことも忘れがちです。

しかし、同じ陽子線治療を受けた人のなかには、23年経過後に問題が生じた人もいるようですので、完全に解放されたわけではありません。

胆嚢摘出の影響もほとんどなく、体調もほぼ戻ってきましたが、それとは別に最近は腰痛が出てきました。
医者にはかかっていませんが、いわゆる挫骨神経症でしょうか。
いまはロキソニンテープで対処していますが、なかなか改善しません。

とまあこんなことはあえて報告することもないのですが、肝心の身心力向上も、がんや胆嚢などの問題がなくなるとモチベーションが低下し、維持していくのは難しいです。
よく、病気の多い人ほど長生きすると言いますが、その理由がなんとなくわかります。

癌や膵炎や胆嚢障害があったときに、「緊張感」もあり、なにかをしようという意識がありましたが、そうしたことが気にならなくなるとどうしても人は怠惰になる。
一時期、はまっていた筋トレ体操や食への注意、あるいは4000歩歩行も最近ではかなりいい加減になってきました。
どうして私にはこんなにも「根性」というものがないのだろうかと情けなくなるほどです。

つづいているのは「水素風呂」です。
朝晩2回の水素風呂へのゆったり入浴は習慣化しました。
また最近始めた足三里へのお灸もつづいています。

しかしまあ一時期、一向に戻らなかった心身不調の状況からは抜け出し、元気な方向へと進んでいます。
寒い冬も、楽しめそうです。

内容のない報告でした。

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■近藤サロン④「ポストトゥルースとフェイクニュース」報告

近藤和央さんの「『利己的な遺伝子』論から眺める人間論」の4回目は「ポストトゥルース」が取り上げられました。参照されたテキストは「ポストトゥルース」(リー・マッキンタイア)と「だからフェイクにだまされる」(石川幹人)。

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例によって、近藤さんは壮大なストーリーチャートを用意し、参加者との話し合いに応じて、話を展開。したがって、今回も報告は難しいので、近藤さんが話し合いの結果を踏まえて、メッセージしたかったことをまとめてもらいました。

近藤さんのストーリーチャートは、次のサイトからアクセスできますので、関心のある方はどうぞ。PDFも用意されているので、ご要望があれば送るようにします。
このチャートをじっくりと読むといままさに我々は「事実が消えてしまった虚構の世界」に漂っていることがよくわかります。

https://drive.google.com/file/d/1SwoHJ_srE2epPJ6R_fIbVctukIfzAojt/view?usp=drivesdk

近藤さんのまとめの前に私の感想も一言。

問題はどうもポストとかフェイクということではなく、そもそも「真実とは何か」ということですね。平たく言えば、私の真実とあなたの真実は違うということです。つまり「真実」はみんなそれぞれが創り出していること。その違いをお互いに認識したうえで、どれだけの人たちと同じ真実の舟に乗れるかですね。
人間は、生物進化の新しい段階に入ったのかもしれません。
近藤さんほどには楽観的にはなれませんが、対処法としてはこれまでの生き方への確信を深めています。

さて肝心の近藤さんからのメッセージです。

前回は、ダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー(上)」をテキストにして、ポストトゥルースやフェイクニュースの時代がやってきた理由を、(システム2の所有にまで人を至らせた)進化や、しかしそれでも大きく残っている原始時代の認知バイアスという観点から遡行して見ると、ポストトゥルースやフェイクニュースを相克する筋道がおぼろげに見えてくる気がします。(なお、パーソナルメディアによるエコーチェンバー現象などの「拡大機構」については本質ではなく莫大レバレッジ要素という切り分けで考察対象外として置き、根元機構の要素だけを見ています)

迷信に支配されていた人間が科学を構築できたのは認知バイアスのくびきを克服できたから(人がバタバタと倒れるのは悪魔の呪いではなく眼には見えない病原菌が原因であり消毒することで止められると知った=覚醒洞察の連鎖による認知革命の達成)であり、それは(自明ではない)隠された真理にたどり着く、観察・熟慮・仮説・検証を繰り返す合理的思考法を発明し研ぎ澄ませた※から。

※人間にだけ与えられた遅い思考システム2の恩恵を最大限に活用して、素朴なシステム1世界に止まることなく、専門知のレベルで働くべくシステム1をアップグレードしつづけて高度化し、臨場の叡知=バイアスに目眩まされない高度な直観を獲得し、それを何世代にもわたって積み重ねて今日の洞察や技術に至れた。

サイエンス(自然世界)の領域では実現できたこの認知革命が、アート(人間世界)領域では出来ていない。むしろ覚醒(晴明)とは逆の混沌(蒙昧)に逆行していくかのように、脱進歩・反知性指向がポストトゥルース時代を呼び、情動の誘惑にろう絡される未開意識世界に戻ろうとしている。

その理由は、サイエンスが主に理性ドリブンで扱え得たが、アートは感情・情動・美意識などの大きな影響(ドライブ)から逃れられないためで、神という巨大な共通幻想(真柱的中心虚構)を殺したゆえに、それまでは虚構に統合されていたわたしたちが、親を見失った孤児のような寄る辺なき生き迷いの安心喪失パニックに陥り、盲目的にまがいものの神にしがみつこうとしている深層心理の狼狽えなのでは?。

この、寄る辺なきさすらい感を抱えつつ、しかし安易に慰撫するまがいものの虚構を良しとせず、サイエンスにおいて成し得た開眼(認知バイアスからの解脱=現在のゲーム理論行動からの止揚)をアートにおいても成し遂げることが、ポストトゥルースを越えて、絶滅を回避し、相互信頼と協力とポストヒューマンへの上昇に大きく資するほとんど唯一の抜け道だと思われます。かなり難しそうですが・・

以上ですがやはり難しい。
サロンで話し合うとそう難しくはないのですが、文字にすると難解です。つまりここにもフェイクが入り込んでくる。
なお、私からもこのテーマに関して読みやすい本を推薦します。
山田圭一さんの「フェイクニュースを哲学する」(岩波新書)です。
「哲学」などと難しい言葉を使っていますが、気楽に読めます。

次回の近藤サロンは12月16日(月曜日)です。
テーマは決まっていませんが、今回のテーマがかなり消化不足なので、こんかいのつづき、つまり「トゥルースとフェイク」になるかもしれません。
決まったらまた案内させてもらいます。

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2024/11/19

■ポストトゥルース政治が本格化しました

21世紀になっての日本の議員選挙には、かなり危ういものを感じていましたが、日本ももうすっかりアメリカ並みのポストトゥルース政治になってしまったようです。

それにしても、先日の兵庫県の知事選挙の結果には唖然としました。
おかげで以来、体調が極めて悪い。
法律の精神さえ守れない人が、法律の精神を繰り返し破り、選挙妨害さえしている人の助けを借りて、再び当選。マスコミは、それを平然と報道している。

アメリカの最近の大統領選挙の茶番よりも、もっと恐ろしいものを感じます。
日本もいまやアメリカの文化に毒されてしまったのでしょうか。2000年も守り続けてきた文化が失われてしまったのでしょうか。

私が、日本がポストトゥルース政治へと向かうこと危惧したのは2002年の小泉政権の時でした。当時、あまりの違和感にホームページにメッセージを書きました。

http://cws.c.ooco.jp/messagefile/messagekiroku.htm#m2

小泉政権で、日本の政治は変質に向けて舵を切った気がしますが、ここまで嘘が覆い尽くす政治になるとはさすがに私も思っていませんでした。

ポストトゥルース政治を加速させたのはITでしょう。
ITを使えば、どんなことも「事実」にできる。もちろん「ポストトゥルースの事実」、つまり「つくられた事実」ですが。
データもいかようにも書き換えられ、映像も記録もすべて書き換え可能になっています。無実の人を有罪にすることなど、いとも簡単なことでしょう。
もはや「事実」などというのは存在しないのかもしれません。

こういう時代に生きるということは、果たして何なのでしょうか。
もうみんな、かつての意味では生きていないのかもしれません。

にもかかわらず、最近どうも足腰が痛いのはなぜでしょうか。
やはり私はまだ生きているのでしょうか。

生きるべきか、いきていないべきか。
いまの私には、それこそが問題です。
生きるのをやめたら、きっと安楽な人生が待っているのでしょうね。
でも足腰はともかく、心や頭の痛さには、もう少し耐えて生きようと思います。

それにしても、不快なことのなんと多い毎日でしょうか。

 

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■世界遺産サロン「ガウディの生涯から読み解く“アントニ・ガウディの作品群”」報告

世界遺産アカデミー事務局の村上千明さんによる「世界遺産」サロンの第2弾は、「ガウディの生涯から読み解く“アントニ・ガウディの作品群”」でした。

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ガウディといえば、だれしもが未完のサグラダ・ファミリア(聖家族教会)を思い出すでしょう。しかし、今回はサグラダ・ファミリアだけではなく、そこに至るガウディの作品群すべてに焦点を当ててくれました。
しかも単に作品群を紹介するのではなく、バルセロナの地に建つ、美しく魅惑的、そして摩訶不思議なるガウディ建築の数々がいかにして生まれてきたかを、ガウディの生涯に合わせて解説してくれました。こうしたことを知ることで、あのサグラダ・ファミリアの謎がいろいろとわかってきます。

話は4部構成でした。

まずは、ガウディの生誕から、少年時代を経て、建築家を目指すまで。
ここで、ガウディを育てた3つの環境を紹介してくれました。自然観察、職人家系、そしてガウディが生まれたカタルーニャの独自の文化です。
それに併せて、ガウディの建築を理解する上での重要なキーワードがいくつか解説されました。たとえば、イスラム教の建築様式とキリスト教の建築様式が融合したスペイン独自の「ムデハル様式」とか自然観察から生まれた「逆さ吊り模型」、粉砕タイル使用の装飾などなど。そうしたものがどうやって生まれてきたかなどのエピソードも含めながら。

つづいて、「ガウディ建築探求の始動」では、ガウディ最大の支援者であった実業家エウゼビ・グエイとの出会いから、グエル邸やグエン公園に取り組むエピソードとその作品の紹介。富豪グエイとの出会いがなければ、サグラダ・ファミリアも生まれなかったと思うと文化におけるパトロネージの大切さを改めて思います。昨今の富豪とは全く違う気がしました。

そして「宗教に没頭した時期」。無神論者だったガウディがなぜ宗教にのめり込んでいったのか。そのエピソード、断食と生の危険、そしてトーラス神父に諭されて、一転、敬虔な信者に。「神の建築家」の誕生です。
ここでは「信仰」がいかに人生に大きな影響を与えるか、信仰がなければやはりサグラダ・ファミリアは生まれなかったような気がします。「宗教」もまた大きく変質してしまった気がします。

そして、「神の建築家としてのサグラダ・ファミリアへの取り組み」。
サグラダ・ファミリアの特徴的な構造や、3つのファサードや18の塔の意味についても解説してくれました。

他にも、「ガウディはSDGsの先駆者だった?」とか「2026年、サグラダ・ファミリア完成か?」とか、いろんな話が盛りだくさんでした。

私は話よりも次々に紹介されるガウディ建築に見とれてしまい(これまでほとんど興味がなかったのでいずれも初めてのものでした)、村上さんの話はきちんと記憶に残っていないおそれがあり、不正確な紹介をしそうなので報告は差し控えます。

それに実は、今回の村上さんのサロンは、世界遺産アカデミー主催のオンライン講座「世界遺産と建築を学ぶ講座」のための準備の意味を兼ねてのサロンでした。ですからあまり詳細に紹介するのは差し控えた方がいいでしょう。
関心のある人は、12月7日に開催される世界遺産アカデミー主催のオンライン講座「世界遺産と建築を学ぶ講座」をぜひともお聴きください。案内チラシを添付します。

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今回のサロンを踏まえて、内容はさらに充実しいてるはずです。

作品群の紹介だけでなく、その背景など、興味あるエピソードが盛りだくさんですので、ガウディ・ファンの方にはぜひお薦めです。ファンでない方は、たぶんファンになるでしょう。サグラダ・ファミリアも好きになるでしょう。

最後に村上さんは、2013年からサグラダ・ファミリアの主任彫刻家に任命され、ガウディの残した設計図からサグラダ・ファミリアに組み込まれる彫刻などの装飾を総監督している外尾悦郎さんの言葉を紹介してくれました。

ガウディが天才なのは、機能と構造と象徴の問題を常に一度に解決していること。

作品に触れるとそれが実感できるのでしょうが、村上さんのお話を聴いただけでも、SDGsなどといった、そんな軽薄な意味ではないことは理解できました。

村上さんの世界遺産サロンは、毎回いろんな示唆をもらえます。
できればまたお願いしたいと思います。

 

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2024/11/17

■湯島サロン「あはれなる民からの真の独立への道」パート2報告

「平和」を考えるサロンの5回目は、3回目の北京一さんの「あはれなる民からの真の独立への道」サロンの問題提起を受けて、「非武装平和国家に向けての実践的な方策」を話し合うサロンでした。

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最初に北さんは、前回の話を要約してくれました。いまの日本の状況は、「独立国家」とは言えず、そこに住む人たちは「あわれなる民」としか言えないということを、いろいろな現実を示しながら話してくれたのです。「あわれ」や「真」をめぐっての話し合いもしたかったのですが、話題はやはり「非武装平和国家に向けての実践的な方策」に向かってしまいました。

これに関しても、北さんは前回の提案の「一国連邦制」あるいは「一国二制度」を再説してくれました。北さんはいまの日本の「あわれなる民」の中に、「真の独立」を目指すわずかばかりの人たちがいることに注目します。それは、「平和憲法を護持」し、「米国との軍事同盟からの解放」を目指す人たち(2%)です。そうした人たちが集まって「国家内独立」をしようというのです。

以上の議論に関しては、詳しくは前回の報告を読みなおしてください。

「国家内独立」に関しては、これまでもいろんな人が提案してきたことの変種の一つではないかと思いますが(湯島のサロンでも時々話題に出る沖縄独立論もその一つでしょう)、北さんは今回、改めて、その意味を解説してくれました。要約して言えば、北さんは、暴力を独占することで成り立ってきた近代国民国家を「脱構築」するための最初の一歩として考えているのです。単なる切り離し(分離・独立)ではないのです。
3.5%の人々が変われば社会は変わる」とは、よく言われていることですが、要するに変化の初めはいつも少数者から始まります。北さんの2%独立論も十分に発展性のある話です(この議論は少数者の影響を話し合う遠山サロンに通じています)。その脱構築の震源地を、まずは創ろうというのです。

しかし、ただし、と北さんは条件をつけます。その少数派が先導してはいけないというのです。たしかに少数が先導したフランス革命は失敗しました。市民革命など起きなかったのです。先導するとどうしてもそこに「暴力」が作動するからでしょうか。

またその少数派の社会原理も重要です。収奪的か包括的かによって、全く違ってくる。これに関しては最近、ノーベル賞をもらったアセモグルとロビンソンの分析結果が証明しています(関心のある人には『国家はなぜ衰退するのか』(早川書房)をお薦めします)。だから北さんは、非暴力を理念とする「平和憲法護持・日米安保破棄」を目指す2%を選んだのでしょう。
脱構築する国家を統合する力は「暴力(強制力)」ではないのです。
どうやらここに北さんの論点の核心がありそうです。

ではその統合力のカギは何なのか。それは今回、議論されませんでしたが、暴力とは真逆のものかもしれません。暴力による平和(パックス・ロマーナからパックス・アメリカーナまで)をどう超えるかが、北さんの関心事だとしたら、脱構築の軸には多分「暴力」はないでしょう。これに関しては、先日の森田さんのサロンがヒントを示唆してくれています。「平和」の概念もまた、脱構築されなければいけません。

いずれにしろ、目指すは、あわれなる「民(臣民)」ではなく、個人としても独立した(つまり収奪もしなければ収奪もされない)尊厳を持った人によって構成された、新たなる「国家」の誕生です。私は、これを「コモンズ」と言っていますが、一般的な表現を使えば、統治国家ではなく協治国家、あるいは本来的な意味での共和国家と言ってもいいでしょう。しかし、大衆が統治するデモクラシー国家ではありません。北さんもとりあえず「国家」という表現を使いましたが、それはいま近代国民国家として定義されている国家とは違うものです。国家であって国家ではない。だから「国家の脱構築」と北さんは表現しているのです。

国家の脱構築のためには、国家を構成するサブシステムもまた脱構築していく必要があります。北さんは大学教授としてこれまで大学や学会の脱構築に挑戦してきています。残念ながらそれはまだ大きなうねりとはなっていませんが、私が知る限り、3.5%に向けての小さな芽は広がっているように思います。ちなみに今回のサロンにもそうした小さな芽の一人が参加してくれて、大学の実体に関する感想を話してくれました。

大学だけではありません。国家を構成する地方自治体もまた「脱構築」の動きがあります。これもまた今回サロンに参加してくれた人が、地元の地域活動で新しい風を起こしている話をしてくれました。

あわれなる民の広がりの中でも、新しい動きは着実に育っている。北さんが言う「2%の新国家」とは違うかもしれませんが、そういう新しい芽が様々な形で生まれだしている。それを活かしていこうというのが北さんの提案だと受け取りました。

国家の独立は、それを構成する個人の自立と不可分につながっています。これに関しても今回、ちょっとだけ話題になりましたが、また機会を改めたいと思います。

ちなみに、デモクラシーも多義的な言葉ですが、それを大衆の統治(多数決政治)と捉えると、オルテガの『大衆の反逆』を思い出してしまいます。オルテガは「大衆人は他の人々が建設し蓄積してきたもの否定しながら、いまだにその自分が否定しているものによって生きている」と書いています。まさに「あわれなる民」です。そこには「真の独立」はありません。民が反逆しても、国家の脱構築はできないことは歴史が物語っています。

国家の脱構築と言えば、世界国家とミュニシパリズム(地域主権主義)の2つの方向が考えられます。これに関しても少し話題になりましたが、この2つの方向での国家の脱構築に関しては、引き続き湯島サロンの大きなテーマにしたいと思います。

早速ですが、1125日に「世界議会」をテーマにしたサロンを予定しています。これはカント以来のコスモポリタンの世界を目指しています。サロンでは、併せて21世紀の民主主義に関しても話題になる予定です。平和サロンの参加者のみなさんにはぜひ参加してほしいサロンです。

ミュニシパリズム(地域主権主義)についても、来年は各地の動きなども踏まえながら、少し重点的に取り上げていきたいと思っています。

加えて「あわれなる民」をテーマにしたサロンもぜひ企画したいと思います。以前一度サロンで話題にしたラ・ボエシの「自発的隷従論」をまた読みなおしてもいいかもしれません。

考えるべきテーマの多さに改めて気づかせてくれたサロンでした。

 

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2024/11/16

■湯島サロン「5か月間のヨーロッパ彷徨で気づいたこと」報告

5か月海外を彷徨してきた仲谷さんの報告サロン第3弾は、サンティアゴ巡礼とスコットランドでのボランティア活動の中間の彷徨体験報告でした。

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仲谷さんはまず、「旅とは何か」ということから話しだしました。つづいて「旅のやり方」を具体的に話した後、5か月間のヨーロッパ生活からポルトガルとフランスでの体験を紹介してくれました。

仲谷さんが今回の海外の旅で求めたことは「自己発見」「人や景観の多様性を知る」そして「知らない人との出会い、日本では稀な話題に関して話す」の3つだそうです。
多分いずれも結局は、最初の「自己発見」につながると言ってもいいでしょう。
しかし単に観察的な「発見」ではなく、実践的な「発見」です。多様な人と出会い、多様な話題を話す。それこそが新しい自分に気づくことですから。

仲谷さんの場合、そうしたことを日本ではやりにくいと感じていたようです。それで旅に出た。ということは、言い換えれば、これまでの生き方を仲谷さんは変えようとしている、とも感じられます。
とまあ、これは仲谷さんの話を聴いた者の勝手な想像ですが。

つづいて仲谷さんは旅のやり方を具体的に話してくれました。
まずは「移動手段」。そして「宿」や「食事」の話。通貨の話やネットの活用の話もありました。月並みの話ですが、そこからも仲谷さんの旅への思いが伝わってきました。
いずれも今回の旅からの体験的な話なので、これから海外の旅に出ようとしていた参加者にはとても参考になったようです。
もしこれからヨーロッパを彷徨する旅に出る人がいたら、仲谷さんに訊くといろいろとアドバイスしてくれるでしょう。たぶん、ですが。

後半は、ポルトガルとフランスの体験を写真を使いながら話してくれました。写真も紹介されたせいか、細かなところにみんな目が行ったのか、観光旅行報告的な話にややなりすぎて、仲谷さん自身の「自己発見の旅」の話があまり出てこなかったのが残念でした。
それでつい途中で、「結局、仲谷さんにはどんな変化(気づき)が起きたのか」と質問してしまいました。サロンを単なる旅行報告会では終わらせたくなかったからですが、後で参加者の一人から、「もう少し忍耐力を育てるように」と注意されました。
この歳になって、忍耐力が足りないと指摘されるとは困ったものです。

たしかに、「自分探しの旅」をさらけだすのは難しい。というよりも、恥ずかしいと言ってもいいかもしれません。自分をさらけだすことにつながるからです。
しかし、もしかしたら「旅」とは自らをさらけだすことかもしれません。「旅の恥はかきすて」という言葉がありますが、いろんなしがらみなど考えずに素直になれる。
そして、自分をさらけだすと、そこに自分でも気づかなかった「自分」を見つけるかもしれません。そこにこそ、彷徨の旅の意味があるのかもしれません。

仲谷さんは5か月にわたってそれをやってきた。だから帰国後、みんな仲谷さんが変わったように感じたのです。仲谷さん自身は気づかないとしても。
何が変わったか。日本では「立ち入った話」はできないと仲谷さんはいつも言いますが、「立ち入った話」をするようになった。でもまだ「自分のなかの立ちいった話」にまではいっていないかもしれない。というようなことを仲谷さんの話からは感じました。

仲谷さんが「自分探しの旅」に出かけた理由の一つは、「生きづらさ」を解消したいからだそうです。
「生きづらい」とはどういうことかは、人によって違います。もしかしたら、生きづらいと思っている本人でさえ、生きづらさの正体はわかっていない場合が多いでしょう。
もしかしたら仲谷さんもそうかもしれません。大体において、言葉にする人に限って、その言葉の実体がわからずに言葉に逃げていることが少なくありません。

5か月の旅で、仲谷さんが何を見つけてきたのか、言葉での説明はありませんでしたが、もしかしたらそのことに気づいたのかもしれない。話したいことにも気づいたかもしれない。そんな気がしました。

仲谷さんはこれから「生きづらさ」をテーマにした話し合いの場づくりに取り組むそうです。つまり国内での彷徨の旅がはじまるわけです。
これからの展開が楽しみです。

おかしな報告になってしまいました。
仲谷さん、あるいは参加者の方、フォローしていただけるとうれしいです。

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■久しぶりのオープンサロンのご案内

久しぶりのオープンサロンのご案内です。

オープンサロンをオープンカフェに切り替えようと思ったこともあって、しばらく開催しませんでしたが、要望があったので開催することにします。

オープンサロンは、テーマも全くなく、参加した人次第で話題も決まりますし、話題もどんどん変わります。話す人も聴く人もいるサロンです。出入りもいつも以上に自由で、申し込みも不要です。
まあ喫茶店にコーヒーを飲みに立ち寄る感じの気楽さでどうぞ。

〇日時:2024年11月30日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2024/11/15

■湯島サロン「『社会心理学講義』を読み解く④」報告

ブックサロンからスピンオフした遠山哲也さんの「『社会心理学講義』を読み解く」サロンの4回目は、第14講の「時間と社会」でした。

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今回はテキストの解説ではなく、遠山さんは冒頭で参加者に問いかけました。
「時間をどう定義しますか?」
突然の問いかけでしたが、遠山サロンに参加している人たちだけあって、すぐにそれぞれ回答が出てきました。たとえば「エネルギーが動く変数」とか「変容する状態をあらわすもの」とか、まあそれぞれが難しい。私は「存在をつなぐもの」と考えていますが、これもまあわかりにくい。

つまり「時間」の定義は、人それぞれで、難しい。
でもみんな気楽に時間を軸に生きている。
遠山さんはそれに気づかせたのでしょう。

そもそもテキストである『社会心理学講義』第14講の「時間と社会」は、タイトルに時間を掲げていながら、時間の定義についての言及はほとんどありません。
しかし、政治学や法学などでの政策や制度の発想には時間が抜け落ちていると指摘し、最後には「時間が存在し、歴史が可能なのも、世界が閉じていないからです」といって、本書のテーマである「開かれた社会」というパラダイムを総括しています。「開かれた」ということの意味が、そこで明らかにされているわけです。

現代社会の基盤をなす近代科学の世界も、時間をどうからませるかでまったく違った展開になります。そして歴史の視点が入り込むと社会は全く違ったように見えてくるでしょう。そうしたことも示唆しているでしょう。

でも「時間と社会」という見出しの割には、あまりに簡単な(わかりきった)結論のような気もします。それもあってか、遠山さんはアリストテレスの「時間論」の一部を紹介してくれました。アリストテレスと言えば、遠山さんの世界です。私には難解過ぎて、解説不能なので、そのまま一部を紹介します。アリストテレス全集第4巻第11章の一部です。

時間をわれわれが認知するのは、ただわれわれが運動を、その前と後を識別しながら、限定するときにである。そしてまた、われわれが「時がたった」と言うのは、われわれが運動における前と後の知覚をもつときにである。ところで、われわれが前と後を識別するのは、それをお互いに他のものであると判断し、それらの中間にそれらとは異なる或るものがあると判断することによってである。すなわち、われわれがこれら両端の項を中間項とは異なるものどもであると思惟し、「今」が前の今と後の今との2つであるとわれわれの霊魂が語るとき、そのときにまた、われわれは、これが時間であると言うのである。(中略)前と後を知覚する場合には、われわれはそこに時間があると言う。というのは、時間とはまさにこれ、すなわち、前と後に関しての運動の数であるから。

以上がアリストテレスの時間論。

遠山さんはあまり解説してくれなかったので、勝手に解釈すれば、要するに、アリストテレスは時間とは「前と後ろに関しての運動の数」であると言っているようで、ともかく運動という概念につなげて捉えているようです。しかも数(量)として。
さらにアリストテレスは「「今」が前の今と後の今との2つであるとわれわれの霊魂が語るとき」これが時間であるとも言っています。現実の運動でなくても、心で想起すれば時間が生ずるというのです。ここでは時間が量を超えた「質」として捉えられている。一体どちらなのかと問いたくなりますが、いずれでもあるのでしょう。

いささか飛躍しますが、小説『モモ』の中でのマイスター・ホラの言葉、「光を見るために目があり、音を聞くために耳があるのと同じように、人間には時間を感じるとるために心というものがある」という言葉を思い出させます。

時間とは実に不思議なものですが、時間があればこそ、運動が起こり、意識が生まれる。
小坂井さんの『社会心理学講義』とは別の話ではないかという気がしてきたのですが、そこで遠山さんはこう言います。
時間を感ずることで物語が生まれ、虚構が生まれて、社会が生まれる。時間がなければ物語も虚構も生まれない。
そこで『社会心理学講義』とつながっているようです。

いよいよ当初意図したテーマ、「虚構」の登場です。
しかし残念ながら、そこで今回は時間切れ。
そこで遠山さんから新たな提案がありました。

『社会心理学講義』を軽く読んできたけれど、少し回り道して、その後で、改めて『社会心理学講義』を章別にじっくり読みたいというのです。

というわけで、次回「回り道編」その1で、以前話題になったユヴァル・ハラリの『サピエンス全史』を読んで、それぞれが気になったところや気づいたことなどを発表し合うことになりました。遠山サロンはだんだんゼミ風になってきました。
これを機会に新たな「ゼミ生」?を公募しますので、ぜひみなさん、参加してください。

次回は1220日(金曜日)の予定です。

 

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2024/11/14

■第4回増田サロン「精神と身体 人間は活力の塊」報告

増田圭一郎さんと一緒に「地湧きの思想」を考えていく連続サロンの第4回は、野口整体の思想「全生」が取り上げられました。

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  何かの拍子に、スツと心が安らぐと同時に体から活力が湧いてくる。ストレスが解消したり、心が解放される場に行くことによって晴れ晴れとする。そのような体験のなかで、時にまわりの景色がキラキラ輝くほどの体験をすることがある。
増田さんは、30代の頃、箱根湯本で野口晴哉(はるちか)さんの整体の操法を受けた帰り、いつもこのようなキラキラ体験があり、このような心持ちのまま日々を過ごせたらどんなに幸せかと思っていたそうです。

野口整体は有名なのでご存じの方も多いでしょうが、野口整体を作られた野口晴哉さんは身体思想家と言われます。同じ「野口」の付く「野口体操」というのがありますが、こちらは芸大で身体パフォーマンスの研究をしていた野口三千三(みちぞう)さんが開発されたもの。このふたつは全く別のものです。
私も恥ずかしながら、つながりがあると勘違いしていましたが、野口整体は「気」の概念を基に開発した健康実践法、野口体操は身体の可能性を引き出す健康法といってもいいかもしれません。思想が違うのです。ここは私の中途半端な理解なので、間違っているかもしれません。

今回、増田さんが取り上げたのは野口整体です。そして野口整体で重要な「愉気(ゆき)」「活元運動」「体癖」について説明してくれました。

まず「愉気」について。呼吸法を基礎とした精神集注による気の感応の実践法で、身体(患部)に向けた「手当て」(気を送る)で身体をあたため活力を高めます。
「活元運動」は、自分のなかにある活力を引き出すことで、一人でできる自己訓練法です。呼吸から瞑想に入るのですが、そうすると勝手に身体が動き出して身心を整えてくれるのだそうです。
「体癖」は、人それぞれの体の使い方を区分し、その人の体の使い方を明らかにすることで、これにより、人との付き合い方もわかるそうです。さらにたとえば、風邪をひいてもそれへの対処策がわかってくる。一様な薬などによる治療ではなく、体癖に応じた風邪との付き合い方がわかり、風邪を体験することでむしろ身心が健康になるというのです。
以上も私のいささか勝手な解釈なので、正確には整体協会のサイトをご覧ください。
https://www.seitai.org/

さて、そこで肝心の「全生」です。
野口整体は、身体のバランスを整えて、身体の活力を最大限に発揮することを目指しますが、それを「全生」といいます。
つまり、野口整体の究極の目的は、与えられた生命を完全に生き切る「全生」を得ることといってもいいでしょう。それによって、人生はいきいきしてくる。生き生き生きられると言ってもいい。これはまさに、地湧きの思想に通じている。

案内文で書いた増田さんからのメッセージを再掲します。

身体や頭を使うことを損と考える人が多い時代になりました。自分と他者を分け、自分以外のものに労力を使うことは労働の対価を生むと思い込まされているからでしょう。そこでそのような行動を辛いと勝手に思ってしまいます。
動物である人間は、健康なとき体を動かすことにどちらかというと快感や活力を感じるでしょう。
1回でお話しした和田重正は、生きるためのコツとして「3つの鍵」ということを言っています。
・ケチな根性はいけない
・イヤなことはさけないで
・よいことはする
ケチな根性の中で一番よくないのは、力の出し惜しみだ、と言っています。楽をしたい楽をしたいと言って、腰が重いのは、本来の人間の状態ではないと思います。

和田さんの生き方はまさに「全生」。
体を動かすことから活力が生まれる、ということを実践しきったように思います。
しかし、その体を動かすことも、自らの体癖を知っておくことが大事です。
増田さんは、全生とは生き方というより境地だと言います。そしてそれは、まさに自分の体癖にあった、ジネンの暮らしかもしれません。

野口晴哉さんの言葉をあつめた「偶感集」という語録集があります。
野口晴哉さんが折りにふれて書き留めた語録集です。体系化はされていませんが、その一つひとつに、野口晴哉さんの、人を観る眼、体を観る眼、心を観る眼、人生を観る眼、そして自然を観る眼が凝縮されている、と言われます。しかも、短い言葉の中に、一人ひとりの人間を愛して止まなかった著者の人生観、生命観も読み取れる、とも。
増田さんは、最後にそのなかから、「生」「全生」「風」を選んで読み上げてくれました。たしかに、ここに地湧きの思想に通ずるものがある。

もう少し突っ込んでいきたかったのですが、今回も時間が来てしまいました。
身体教育研究所の話ももう少し知りたかったのですが、まあ1回のサロンで消化するのは無理でしょう。増田さんも、積み残した関連した課題を整理してくれましたが、その話題はまた徐々に話題にしていくことになるでしょう。
精神と身体の問題は、実に広く多様です。じっくりと取り組んでいかないといけません。自分を自分らしく、生き生きと生きる。地湧きの思想も少しずつ見えてきたような気がします。

次回の増田サロンは12月14日(土曜日)です。
テーマが決まったらご案内しますが、関心のある方は日程だけをぜひ押さえておいてください。

 

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2024/11/13

■AMサロン「茶色の朝の」のご案内

前から午前中のサロンの提案がありました。
その提案は実は早朝サロンだったのですが、オープンカフェで場を用意しましたが、やはり早朝サロンは難しいようなのであきらめました。
それで普通の午前中サロン(1012時)を一度やってみることにしました。
それも最近やっていない茶色の朝シリーズのサロン(BMSサロン)をやることにしました。うまくいったら、AMサロンとして定着させたいです。

BMSサロンはちょっと気になる政治話題(生活話題)を話し合おうというサロンです。

たとえば、今回、首相指名選挙の日の朝に、国民民主党の玉木党首の「不倫」報道が話題になりました。あまりにタイミングが良いのはなぜでしょうか。気になりました。
それに個人的な「不倫」がなぜ政治問題になるのでしょうか。
たくさんの愛人がいた渋沢栄一を新札に登場させているのに何でこれが問題になるのというX(ツイッター)投稿もありましたが、全く同感です。
人を愛することでなぜ社会に謝らなければいけないのかも私には理解できません。政治というのは、そんなことではないだろうと思うわけです。

とまあ、こんな話をできればと思います。

難しい政策論議ではなく、ちょっと気になる政治の話。
自民党びいきも共産党びいきも、自称無党派層も、無関心の人も、ちょっと気になることがあったらぜひ話に来てください。

〇日時:2024年11月28日(木曜日)午前10時~12時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2024/11/12

■けやきプラザの福祉機器展(11月16日)で箸技ゲームの体験ができます

今週の土曜日(1116日)の午前10時から午後4時まで我孫子駅前のけやきプラザで、千葉県福祉機器展が開催されます。
https://www.city.abiko.chiba.jp/event/event/matsuri/fukushikiki.html

そこで国際箸学会がいま全国に向けて展開している「箸を使ったゲーム」(箸タイム)のデモンストレーションをしています。
国際箸学会の事務局でもある箸タイマーの中﨑さんも来ていて、箸技ゲームの体験会をしています。

箸技ゲームは、私も長年関わっていて、さまざまな効用を実感しています。
各地の福祉施設にも広がりだしています。
これからたぶん世界中に広がっていくでしょう。
とてもたくさんの可能性を秘めたゲームです。
もしお時間が許せば、ぜひのぞいてみてください。

当日はいけないが関心はある、という方は、私宛ご連絡ください。
また我孫子でもやってみたいという方がいたらぜひご連絡ください。

 

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2024/11/07

■身心力向上への取り組み7:新しい取り組み

温泉湯治から始まった取り組みが「お灸」です。
柿内さんの指導で、いまは足三里へのお灸からはじめました。
いまはまだ朝起きた時の1回です。効果があるような気がしています。
続けられたら、少し場所を増やし、時間も増やそうと思っています。

不老閣から帰宅してから、朝の入浴をきちんと再開しました。
それも水素風呂です。
入浴時間は15~20分。40度です。
これも調子がいい。長いときは30分近くも浴槽に浸かっています。

もう一つ最近始めたことがあります。
リンゴ・人参ジュースの代わりに、リンゴ・柿ジュースを時々始めました。
きっかけは、最近、柿をよくもらうのですが、ニンジンが高価なので柿に変えてみようと思い、一度試してみました。これが実においしいのです。
というわけで、最近はりんごおレモンと人参と柿のにぎやかなジュースです。ただ時々、レモンはポッカレモンで、リンゴはりんごジュースで代用していますが。

というわけで、最近調子はよくなっています。
夜の睡眠だけは相変わらず小刻みに起きますが、まあこれも慣れてきましたし、回数も減ってきました。
ただ時々、寝坊するようになってきました。でももうあまり時間にはこだわらないようにしました。

問題は最近サロンがやけに多くなってしまったことです。
毎週2回が原則でしたが、多い時には週4回もある。
そのおかげで、毎週かなりの人に合いますし、新しい人に出会うこともある。
これはプラスマイナスありますが、体力的には負担増ですが、精神的にはプラスに聞いているような気がします。

いずれにしろ、調子はよくなっています。
来春の筑波山は、大丈夫でしょう。

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■湯島サロン「第2回生きとし生けるものの生きる意味」のお誘い

テレビ東京開局50周年記念ドラマの「生きとし生けるもの」を観ての「生きる意味を考えるサロン」をもう一度開催します。
当日参加できなかったので、もう一度やってほしいという連絡が複数の人からあったからです。

同番組は、1111日まで期間限定でTVerで無料公開されているので、まだご覧になっていない方は、それをご覧になって参加してください。
https://tver.jp/episodes/epl8ewxajj
サロン直前に見たい方には、今回もサロンの前にご覧いただけるようにしますので、ご連絡ください。

「生きとし生けるもの」がどんなドラマかは、次のサイトなどで読んでください。
https://www.tv-tokyo.co.jp/ikitoshiikerumono/

抽象的な話ではなく、ぜひ自らの問題として考え、話し合うようなサロンにしたいと思っています。できればぜひ若い世代の人に参加してほしいと思っています。

〇日時:2024年11月23日(土曜日)午後2時~4時
  *ただし、どうしてもそれまでにドラマを観られない方は、当日の12時半から湯島で観られるようにしますので、必ずご連絡ください。
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:テレビドラマ「生きとし生けるもの」を観て「生きる意味」を話し合う
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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■緊急サロン「衆院選結果に思うことを話し合うサロン」報告

10月27日の衆議院議員選挙の結果に思うことを話し合うサロンでした。

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3連休のど真ん中にもかかわらず9人が参加。遅れて途中から参加した人が、もっと多くの人が集まっているかと思った、やはり政治への関心は低いと嘆きましたが、私にとってはむしろ意見の違う人が9人もわざわざ集まったことがうれしかったです。

いまの政治は日本もアメリカも、政策論争ではなく相手への批判や現状への不満ばかりの不毛な政治に陥っていますが、それは同時に政治に対する私たちの姿勢を反映しているような気がします。
政治に関心の高い人は、良く集まります。でも多くの場合、参加する人は往々にしてみんな同じ意見の持ち主。それではエコーチェンバーサロンになってしまう。

それに政治に関心が高いと自認している人は、最近はみんな政治への関心が低いとよく口にする。私には、そういう発言をする人こそ、政治への関心が低いのではないかとさえ思うのですが、政治への関心が低い状況を変えようともせずに、高みから批判しているだけでは何も変わらない。
という反省のもとに、今回、選挙前後のサロンを企画したのです。

サロンで最初に口火を切った人は、日本の政治も選挙も結局はアメリカのDSに支配されていることをしっかりと認識していないといけないと発言。そうかもしれません。
でもそこから話を始めると話が遠くなってしまうので、それは抑えて、まずは選挙結果がよかったかどうかをみんなに訊いてみました。
小さく手を挙げる人が多かったですが、よかったこともあれば悪かったこともある。たとえば自民が大敗したのはいいが、野田立憲が急増したのはどうも、というように。
なかには、国民民主は延びたのがよかったという人もいましたが、それが悪かったという人もいる。高市さんが評価されたのがよかったという人もいる。まあ人それぞれです。
そして、だからこそ、話し合う意味がある。

政治関連のサロンは、注意しないと「エコーチェンバー」サロンになりかねないのが気になっていましたが、今回は異論もあってよかったです。しかも、それを非難するのではなく、その異論の理由に、みんな関心を持って耳を傾けた。
エコーチェンバーとは、自分と似た意見や考えを持った人々の集まる仲間とのコミュニケーションのなかで、自分の意見や考えが増幅され固定してしまう状況ですが、そうなってしまっては、話し合う意味がない。
そうしたことの生き着く先は、今回のアメリカの大統領選挙です。分断が拮抗する。

今回新たに参加してくれた人は、まさか自分の考えがこんなにも全員と真反対なのかに気づいて驚いたと思います。いつも参加してくれる人は、実際にこういう意見にしっかりと耳を傾けられた。

話し合いの内容は報告しても意味はないでしょうからやめますが、緩やかな合意は、こういう自由な話し合いの場がもっと広がるといいということでした。
場がなくても、できるだけ政治や選挙に関して、友人知人と話し合うようにしていくことが、個人でできることのひとつかもしれません。

これからも定期的に、気楽に政治を語るサロンを開催していきたいと思います。
どなたか、こんなテーマで話したいという方がいたら、いつでも企画しますので、気軽にご連絡ください。

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2024/11/06

■湯島サロン「生きとし生けるものの生きる意味」報告

テレビ東京開局50周年記念ドラマ「生きとし生けるもの」を観て、「生きる意味」を話し合うサロンには、男女4人ずつの8人の参加がありました。ドラマは、いろいろ考えさせるメッセージを持った作品で、それを受けて、それぞれが自分の生き方を問い直し、自然とカミングアウトして、生々しい話し合いになることを期待していました。

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しかし、やはりなかなかカミングアウトまでは難しいのかもしれません。どうしても一般論や社会論、さらには制度論になってしまい、私にとっては未消化になってしまいました

そうなった責任は私にありますが、やはりそう簡単に「生きる意味」をカミングアウトし合うことなどできるはずもありません。一緒に涙を流せば、心がつながると考えるのは甘すぎる。それに今回は、実はサロンの途中で、ドラマを観ていない人が参加したことも一因です。これは予想していなかったことです。鍵をかけておけばよかった。

というわけで、報告もなかなか書きにくいのですが、このドラマは私に3つのメッセージをくれました。そのうちの2つを、サロンで話させてもらいました。
生きる意味は他者にあり、他者に見守られて人生を終わることが生きることではないか。それに気づけば、おのずと生き方は見えてくる。

参加者の一人も生々しく同じようなことを話してくれました。
彼の生きる意味は「愛妻」でした。そして愛妻が自分を生かしてくれているとまで話してくれました。この発言に対して、女性たちは「愛妻」という言葉に感激したようです。
ちなみに「愛妻」に代わる女性からの言葉はなんでしょうか。「旦那」?
この話題ももう少し掘り下げたかったですが、どうもその辺りから、話がはずれてしまった。

女性たちもたぶん涙は流したと思うのですが、手ごわいですね。生きる意味をなかなか語ってはくれなかった。私の感度の悪さで理解できなかったのかもしれませんが。

いずれにしろ私にはいささか不満なサロンに終わってしまいました。
というわけでもこのサロンをもう一度開催することにしました。
できれば若い世代に参加してほしい。
このドラマのメッセージをしっかりと受けとめられれば、自殺もいじめも、ひきこもりも不安も起こらないと、私は思っているのです。
10代、20代の人たちにこそ観てほしいドラマです。

なおドラマは1111日までの期間限定で、TVerで無料放映されています。
https://tver.jp/episodes/epl8ewxajj
できればサロンの前に観てほしいですが、もしみられない人には、前回と同じく、サロンの前に湯島で観られるようにします。

 

次回の開催は1123日の午後2時からです。ドラマ放映は12時半からです。

案内は別途させてもらいます。

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2024/11/05

■湯島サロン「山崎弁栄上人と光明主義」報告

杉野光明さんの「山崎弁栄上人と光明主義」のサロンはたくさんの参加者がありました。山崎弁栄上人を知っているばかりか、関心をお持ちの方がこんなにいるとは意外でした。自分の無知を恥じるばかりです。

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報告も遅れてしまいました。すみません。サロンの後、予定などが続いていたこともありましたが、実はいささか大きすぎるメッセージを受け取ってしまったので(サロンの後、報告を書くまでの間、私はそれなりにいろいろと考えさせてもらうのです)、報告が書けずにいました。

杉野さんは最初に山崎弁栄上人の生涯と思想をまとめたDVDを見せてくれました。
山崎弁栄上人は「大正の法然」と言われている浄土宗の名僧ですが、DVDで紹介されている、その「大いなるものと共に生きる」生涯からは、仏教を超えた、さらには宗教さえ超えた、何か大きなものを感じました。数学者の岡潔さんが「何をおいてもこの人を知らねばならない」といった意味がようやくわかりました。

つづいて、杉野さんは、ご自分がまとめた資料で山崎弁栄上人の思想(「光明主義」)を、その背景も含めて解説してくれました。「光明主義」の「主義」はむしろ「道」といった方がいいと話してくれましたが、なにか「道」よりも大きなものを感じました。
そして杉野さんは、光明主義を踏まえて、霊性論の今日的意義を、とてもわかりやすく話してくれました。そこでは最近の東工大の未来の人類研究センター「利他プロジェクト」の話や柳宗悦の民藝論や土井善晴の料理論まででてきました。

その内容をきちんと紹介報告する自信はありませんのでやめますが、私が受け止めたメッセージを一言で言えば、「すべての人の内にある霊性こそは利他」。つまり、生命はそもそも「利他」ということです。私にはとても共感できるメッセージです。

杉野さんのお話を詳しくお知りになりたい方は、杉野さんが配布してくれたとてもわかりやすいレジメを送らせてもらいますので、ご連絡ください。

今回の杉野さんのサロンは、実は単なる山崎弁栄上人の紹介だけではありませんでした。その思想を踏まえて、杉野さんが日ごろ考えている「地域は思想を育むか」が中心のテーマだったのです。
山崎弁栄上人の思想と光明主義(道)の紹介をした後、杉野さんは、山崎弁栄上人を生んだ「手賀の浦べ」(千葉県の手賀沼周辺)とは何だったのかに話を移し、地域が持っている文化形成力のようなことを話してくれました。そして、(話が急に跳ぶのですが)なぜ民藝の柳宗悦は我孫子に居を構えたのかと問いかけるのです。
常識的な答えは、柳宗悦の叔父である嘉納治五郎が我孫子に別荘を持っていたからということでしょうが、杉野さんは、手賀沼の風景が柳夫妻を呼んだというのです。
そして、壮大な景色に感動するほど、人はより善良なる人間になる「オウ(畏怖の念)体験」が手賀沼界隈では日常的にできるというのです。山崎弁栄上人もまた、そうした地域(場)の力によって育まれたのかもしれません。
手賀沼近くで暮らしている私も、奇妙に納得してしまいました。

たしかに山崎弁栄上人が生まれ育った手賀沼は東西に長い湖沼で、そこから朝陽も夕日も見えます。それも実に美しい。湖上に広がる雲も実に美しい。
杉野さんはそうした写真をいくつか見せてくれましたが、極楽浄土や菩薩来迎図に見えるものも少なくありません。

杉野さんが住んでいる(それは山崎弁栄上人が生まれ育ったところでもありますが)柏市沼南町を含む手賀沼南部水系にある40の村は、それぞれに講をつくり,それをつないで「大師組合」を組織して、200年前から、80kmの巡拝道で結んでの「送り大師」祭事を行っています。
いまなお行われている送り大師の風景はとても感動的でした。その昔、山崎弁栄上人も参加したはずです。それがいまも住民たちみんなで守っている。

ちなみに杉野さんも子どもの頃、その稚児行列に参加したそうですが、いまもなお稚児行列は続いていて、それが地域の記憶(文化)を継続的に発展させているのではないかと杉野さんは言います。そうした地域行事は、世代を超えて地域の文化を持続させていくのです。
こうした行事がいまなお続いていて、これだけの参加者があるのはめずらしいでしょう。それもこの地域(手賀沼界隈)のもつ力だと杉野さんは考えています。

杉野さんはご自身の生業でもある農業についても話してくれました。
農業をしていると、思うようにならないし、迷うことばかり。でも、いつも見上げると、そこにはお天道様がいる。お天道様は、農家にとってはいつも同伴していてくれている「大いなるもの」。だから、お天道様に認められる喜びのある農業をしたいといつも思っている。そこから自然と「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(宮沢賢治)という心境が生まれ、本当の百姓をめざした願いが生まれてくる。杉野さんにとって、光明道への導きは地域なのかもしれません。

そして最後に杉野さんはこんな仮説をメッセージしてくれました。
「人間はちっぽけな存在である。だから互いにリスペクトしあい、尊厳を守りながら、謙虚な生活をしなければならない」という手賀沼エリアのライフスタイルが形成されたのではないか
杉野さんのライフスタイル、生き方にこそ、山崎弁栄上人の光明主義を学ぶヒントがあるような気がしてきました。

話し合いもとても興味深いものでした。でもサロンからもう10日も経過してしまい、何やらとても面白かった気がしますが、思い出せません。
サロンに参加してくださった方、フォローしてもらえるとうれしいです。

なお杉野さんがまとめた「もうひとつの柏」という小冊子があります。湯島に置いていますので、関心のある方は是非読んでみてください。

 

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■政治の変質

アメリカ大統領選の結果は明日の午前中には結果が判明するようです。
ただいつものように、結果は拮抗して、混乱が生じるでしょう。
私は今回は、ハリスで決着だと思うのですが、ハリスが勝てばアメリカは内乱になり、国家が崩壊するとも言われているようです。しかし、そもそも近代国民国家は制度的にもう壊れているように思います。というか、制度として役割を終えているように思います。
選挙制度の本質も見えてきたような気がします。

 日本ではどうか。石破さんは勘違いしたようで、石破政権は私には大失望ですが、かといって、それに代わる選択肢はないような気もします。
私の友人は、玉木政権に導いて即崩壊、というシナリオで政治革新を計るという選択肢もあると言っていましたが、野田政権にしろ玉城政権にしろ、ましてや小泉政権や高市政権などは、思っただけでぞっとします。
つまりもうこれまでのような政権体制を期待したらいけないのかもしれません。

政治のあり方は、この数年で大きく変わるのでしょう。
どうも発想を、それこそパラダイム転換しないといけないようです。
アメリカ大統領選挙も、日本の首相指名も、今やもうショーでしかなくなったようにも思います。
であればこそ、地道な政治を、自分たちの住んでいるところからもう一度再構築していかないといけないのでしょうか。

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■身心力向上への取り組み6:ラジウム温泉湯治

昨年、前立腺がんが見つかって以来、多くの人が温泉湯治を勧めてくれました。正直、温泉湯治にはどうも抵抗があり、お薦めには従わずにいたのですが、(たぶん)業を煮やした柿内さんが、自分が毎月通っている益富温泉の不老閣に自宅までの送り迎え付で招待するからと言ってきました。柿内さんはまったく裏のない善意の人ですから、なんであろうとその薦めは断れません。

というわけで、1030日から1泊2日の不老閣体験をしてきました。
実はこれが予想以上に私の心身状況を変えた気がします。

もちろん湯治だけが原因ではありません。原因はさまざまあるのでしょうが、帰宅した翌日から、かなり心身ともにすっきりしました。
不老閣への往復の車中で、柿内さんといろいろと話したこともきっと影響しているでしょう。柿内さんは、私に難しい質問をしてきたのですが、その結果、私自身が自分の生き方を顧みざるを得なかったのです。

温泉湯治の話は、別にどこかに書きましたが、同行の柿内さんは部屋でズーム会議をやることも多く、私は一人で入浴していることが多かったのです。時には2時間近い長湯もしました。
その間、私は入浴にやってくる人に、気楽に話しかけてしまいました。それで、入浴中はいつも誰かと話していました。黙浴ルールがあるとは知りませんでしたし、隣に誰かがいるとつい話しかけたくなるという困った習癖を私は持っています。

それで「湯船サロン」が何回か起きました。柿内さんによれば、そんな風景は見たことがないと言います。最初は柿内さんに叱られるかなと思ったのですが、柿内さんはむしろ「奇跡が起こった」と喜んでもくれました。そして帰宅後、不老閣の女将さんにまで電話で伝えたそうですが、女将さんも喜んでくれたという電話をもらいました。
もしかしたら柿内さんは、無意識に意識して私を一人で入浴させたのかと思いました。

柿内さんがやったもう一つのことは、入浴後の夕食前に柿内さんお気に入りの森林浴自然道の散歩です。入浴前の女将さんの事前レクチャー(個人対面で説明してくれます)によれば、お風呂上りは30分は休めということでした。にもかかわらず、柿内さんは部屋に戻った途端に、散歩に行こうという。前にも書いたように、柿内さんの誘いは断れない。

散歩は森林浴自然道の往復約2キロ、そろそろ暗くなるけど大丈夫ですかといったのですが柿内さんは大丈夫という。そして歩き出しました。この道を柿内さんは哲学の道と名付けていますが、哲学どころか冒険の道と言いたくなるほど、危険な道です。
しかも薄暗い。身体のバランスを崩してちょっと足を踏み外すと崖から転落という感じです。帰路はほぼ真っ暗になりスマホのライトをつけながらの1キロ。さすがの私もかなり緊張して歩いたので、何とか無事戻れました。
でもこれがたぶん私にはいい刺激になりました。なにがさいわいするかわからない。

そして夕食。健康に配慮した食事も不老閣の特徴だそうです。
私も柿内さんも、お酒は飲みません。とてもいい夕食でした。
部屋に戻った後、柿内さんは足三里へのお灸と簡単なストレッチ運動を指導してくれました。
部屋は女将が2部屋つづいているような大きな部屋を特別に用意してくれました。

2日目の朝の岩風呂体験も面白い体験でした。
たぶんあんなに賑やかな岩風呂はあまりなかったでしょう。
でも浴槽サロン仲間が私が行く前に擁してくれていて、いろいろと教えてくれたのです。

と、書いていくときりがありませんが、ともかくこうやって12日の温泉湯治を終えました。
長くなりました。
温泉湯治の効用と思えることは、また改めて書きます。
ともかく温泉湯治は、予想以上に私の身心を元気にしてくれました。

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■湯島サロン「世界議会 設立構想とその実現について考える」のご案内

今回のテーマは「世界議会」と「21世紀の民主主義」。壮大なテーマのサロンです。

最近の湯島サロンでは、グローバリズムやデモクラシーへの否定的な意見が増えていますが、改めてカント以来の世界民主主義を話題にしたいと思います。
話題提供は、来年3月出版予定の「世界議会 21世紀の統治と民主主義」(原題:A World Parliament)の翻訳者のおひとりの原田雄一郎さんです。
A World Parliament”は、欧州連邦主義者連合の元議長ヨー・ライネンと長年、グローバル民主主義と世界連邦主義の促進に取り組んでいる経営コンサルタントのアンドレアス・ブメルの共著で、出版は2018年ですが、今回改訂版が出版されたのを契機に翻訳出版されました。

書籍のチラシを添付しますが、本書は、迫りくる地球と人類社会の衰亡の危機に対して、国境を越えたエリート層の権力構造を背景に進んでいる、世界連邦とその中心となる世界議会の構想を、その可能性と必然性とともに、実現の具体策をていねいに解説しています。書名に「21世紀の統治と民主主義」とあるように、最近はいささか評判の悪い民主主義政治に関しても、改めての議論がされているようです。それも、世界民主主義への移行の道筋、推進要因、条件について具体的に語られており、将来の世界憲法の要素まで概説されているそうです。
詳しくは添付のチラシをご覧ください。

ダウンロード - e4b896e7958ce8adb0e4bc9a_a4e789b9e4bea1e38381e383a9e382b74c_e4bfaee6ada3isbne585a5e3828a.pdf

今回は、その翻訳に当たった原田さんに、その概要を紹介してもらい、この構想をどう受け止めるか、そして、その実現のためには何が必要か、ともすれば内向きな日本が果たすべき役割は何かなどを、みんなで話し合いたいと思います。

テーマは壮大ですが、改めて民主主義政治を考える意味でも、あるいはグローバリズムの意味を再考する意味でも、ぜひさまざまな立場の方に参加していただきたいと思っています。
平日ですが、できれば若い世代のみなさんも参加してもらえればうれしいです。
新しい世界が開けるかもしれません。

〇日時:2024年11月25日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「世界議会 設立構想とその実現について考える」
〇問題提起者:原田雄一郎さん(OPRT・責任ある鮪漁業推進機構元専務)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2024/11/04

■湯島サロン「冬の食養生」の案内

東方健美研究所代表の新倉久美子さんによる「食養生サロン」、今回は「冬の食養生」です。

食は地域と季節に深くつながってこその「薬膳」だという新倉さんの食へのアドバイスを、今年は季節ごとにお聞きしています。
いつものように、新倉さんの整理した「陰陽五行配当表」に基づいて、これからの季節に合った食の在り方をわかりやすく解説してもらいます。
新倉さんのアドバイスに基づいて、冬の食養にこころがければ、冬の寒さも楽しめるでしょう。ぜひご参加ください。

ちなみに新倉さんは、現在、週刊金曜日で「季節の薬膳」を連載しています。そこで毎回、お薦めの一品のレシピも紹介してくれています。
とてもわかりやすい食養生記事ですので、ご関心のある方は是非同書をお読みください。

いつも報告にも書かせてもらっていますが、食は生き方にも深くつながっています。
「冬の食養生」を切り口に、最近ともすれば失われがちの「季節感」も取り戻しながら、それぞれの生き方や社会のあり様について、楽しく話し合えるサロンになればと思っています。
みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2024年11月17日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「冬の食養生」
〇話題提供者:新倉久美子さん(東方健美研究所代表・農都共生総合研究所取締役)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2024/11/03

■世界遺産サロン「ガウディの生涯から読み解く“アントニ・ガウディの作品群”」のご案内

「世界遺産」サロンの第2弾です。

今春、NPO法人世界遺産アカデミー事務局の村上千明さんに、奈良の世界遺産を題材に、世界遺産の基礎知識がざっくりわかるサロンを開催してもらいました。
とても好評で、続けてほしいと思っていましたが、その第2弾が実現しました。

今回のテーマは前回とは打って変わって、『ガウディの生涯から読み解く“アントニ・ガウディの作品群”』です。
ガウディといえば、言うまでもなくスペインのあのサグラダ・ファミリア(聖家族教会)でしょう。
村上さんは、建築が大好きな人ですので、きっとこの不思議な教会についてもいろいろな視点で紹介してくれると思います。
今回のサロンは、いつもと違って午前中のサロンなのでお気をつけください。

今回は、前半60分で、村上さんから“アントニ・ガウディの作品群”を紹介してもらい、後半はみんなで話し合うスタイルです。
前回同様、村上さんからのいろんな問いかけがあるかもしれません。
知っているようで知らなかったサグラダ・ファミリアの不思議さに、また一段と魅了されるかもしれません。
併せて世界遺産の持っている意味についても、学ばせてもらえるはずです。

前回参加してくださった方はご存じのように、村上さんの話はとてもわかりやすく楽しいですから、予備知識など全くなくても楽しめます。
みなさんの参加をお待ちしています。

ちなみに村上さんは、世界遺産アカデミー主催 のオンライン講座などの講師も担当しています。
https://wha.or.jp/?page_id=11184
12月からまた、このオンライン講座でも新たなセミナーを実施予定だそうです。

〇日時:2024年11月15日(金曜日)午前10時~12時
  *いつもと違い午前中の開催です。
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ガウディの生涯から読み解く“アントニ・ガウディの作品群”」
〇プレゼンター:村上千明さん(世界遺産アカデミー事務局)
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2024/11/02

■身心力向上への取り組み5:良い方向に向かい出しました

目先の病気への対処とか入院生活と違って、「身心力向上への取り組み」はあまりに日常的過ぎて、報告が難しいのに気づきました。身心力はそんなに目に見えて変化しませんから、あえて書こうとすると、どうしてもマイナス情報を探してしまう。マイナス情報は書いてもあまり意味がないし、書いていて楽しくない。それでどうも報告が書けません。

前回から4週間近く経過しましたので、その間の経過も含めて最近の状況の報告です。

前回報告から実はあまり体調がありませんでした。心身共に、です。
そのため、在宅休養をとる時間が増えて、活動も少し停滞しました。
かしなかなか状況は改善しない。
なんだかぬいぐるみを着たような違和感が身体にあるとともに、精神的気力が出てこない。本を読んでも頭に入ってこない。

見かねた娘が、高麗ニンジンのサプリを買ってくれました。ジンセノサイド含有の高価なものらしいですが、ともかく飲めというので飲みだしました。高価だと言ったとたんに、私には効かないような気もしますが、まあせっかくの娘の心遣いなので素直に飲んでいます。
さらに、私は時々足腰がだるくなるのですが、娘に足腰を踏んでもらうことにしました。

こうしたことが功を奏したのか、2週間ほど前から、少しずつ調子が戻ってくるような気がしてきました。
それに合わせて、在宅時間を減らし、活動を再開しました。
そうしたら一挙にサロンが増えてしまったり、まあ今度はいささか過剰活動状況になってしまいました。
佐藤さんはいつもどちらかに振れて「中庸」ができないと最近もある友人に言われたことがありますが(確かそれで何か失敗しましたが、もう思い出せません)、そうなのかもしれません。困ったものです。

でもまあ心身ともにいい方向に向かい出しています。
毎日4000歩と筋トレ体操の効果もあったのかもしれません。
これも何とか続いています。

以上が最近の、というよりも少し前までの状況ですが、1030日と31日に、柿内さんが山梨県の増富温泉の不老閣に湯治に連れて行ってくれました。
そこでまた状況が一段と良い方向に向かい出しそうです。
これに関しては、明日また報告します。

なにやら急にまた周りがいろいろと動き出してしまい、いささか時間破産に向かい出しそうです。まあ昔に比べれば、全く状況は違いますが、活動の時間速度はたぶん比べ物にならないほどに落ちていますので、忙しさを楽しむ程度ですので、ご心配なく。

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