■湯島サロン「山崎弁栄上人と光明主義」報告
杉野光明さんの「山崎弁栄上人と光明主義」のサロンはたくさんの参加者がありました。山崎弁栄上人を知っているばかりか、関心をお持ちの方がこんなにいるとは意外でした。自分の無知を恥じるばかりです。
報告も遅れてしまいました。すみません。サロンの後、予定などが続いていたこともありましたが、実はいささか大きすぎるメッセージを受け取ってしまったので(サロンの後、報告を書くまでの間、私はそれなりにいろいろと考えさせてもらうのです)、報告が書けずにいました。
杉野さんは最初に山崎弁栄上人の生涯と思想をまとめたDVDを見せてくれました。
山崎弁栄上人は「大正の法然」と言われている浄土宗の名僧ですが、DVDで紹介されている、その「大いなるものと共に生きる」生涯からは、仏教を超えた、さらには宗教さえ超えた、何か大きなものを感じました。数学者の岡潔さんが「何をおいてもこの人を知らねばならない」といった意味がようやくわかりました。
つづいて、杉野さんは、ご自分がまとめた資料で山崎弁栄上人の思想(「光明主義」)を、その背景も含めて解説してくれました。「光明主義」の「主義」はむしろ「道」といった方がいいと話してくれましたが、なにか「道」よりも大きなものを感じました。
そして杉野さんは、光明主義を踏まえて、霊性論の今日的意義を、とてもわかりやすく話してくれました。そこでは最近の東工大の未来の人類研究センター「利他プロジェクト」の話や柳宗悦の民藝論や土井善晴の料理論まででてきました。
その内容をきちんと紹介報告する自信はありませんのでやめますが、私が受け止めたメッセージを一言で言えば、「すべての人の内にある霊性こそは利他」。つまり、生命はそもそも「利他」ということです。私にはとても共感できるメッセージです。
杉野さんのお話を詳しくお知りになりたい方は、杉野さんが配布してくれたとてもわかりやすいレジメを送らせてもらいますので、ご連絡ください。
今回の杉野さんのサロンは、実は単なる山崎弁栄上人の紹介だけではありませんでした。その思想を踏まえて、杉野さんが日ごろ考えている「地域は思想を育むか」が中心のテーマだったのです。
山崎弁栄上人の思想と光明主義(道)の紹介をした後、杉野さんは、山崎弁栄上人を生んだ「手賀の浦べ」(千葉県の手賀沼周辺)とは何だったのかに話を移し、地域が持っている文化形成力のようなことを話してくれました。そして、(話が急に跳ぶのですが)なぜ民藝の柳宗悦は我孫子に居を構えたのかと問いかけるのです。
常識的な答えは、柳宗悦の叔父である嘉納治五郎が我孫子に別荘を持っていたからということでしょうが、杉野さんは、手賀沼の風景が柳夫妻を呼んだというのです。
そして、壮大な景色に感動するほど、人はより善良なる人間になる「オウ(畏怖の念)体験」が手賀沼界隈では日常的にできるというのです。山崎弁栄上人もまた、そうした地域(場)の力によって育まれたのかもしれません。
手賀沼近くで暮らしている私も、奇妙に納得してしまいました。
たしかに山崎弁栄上人が生まれ育った手賀沼は東西に長い湖沼で、そこから朝陽も夕日も見えます。それも実に美しい。湖上に広がる雲も実に美しい。
杉野さんはそうした写真をいくつか見せてくれましたが、極楽浄土や菩薩来迎図に見えるものも少なくありません。
杉野さんが住んでいる(それは山崎弁栄上人が生まれ育ったところでもありますが)柏市沼南町を含む手賀沼南部水系にある40の村は、それぞれに講をつくり,それをつないで「大師組合」を組織して、200年前から、80kmの巡拝道で結んでの「送り大師」祭事を行っています。
いまなお行われている送り大師の風景はとても感動的でした。その昔、山崎弁栄上人も参加したはずです。それがいまも住民たちみんなで守っている。
ちなみに杉野さんも子どもの頃、その稚児行列に参加したそうですが、いまもなお稚児行列は続いていて、それが地域の記憶(文化)を継続的に発展させているのではないかと杉野さんは言います。そうした地域行事は、世代を超えて地域の文化を持続させていくのです。
こうした行事がいまなお続いていて、これだけの参加者があるのはめずらしいでしょう。それもこの地域(手賀沼界隈)のもつ力だと杉野さんは考えています。
杉野さんはご自身の生業でもある農業についても話してくれました。
農業をしていると、思うようにならないし、迷うことばかり。でも、いつも見上げると、そこにはお天道様がいる。お天道様は、農家にとってはいつも同伴していてくれている「大いなるもの」。だから、お天道様に認められる喜びのある農業をしたいといつも思っている。そこから自然と「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(宮沢賢治)という心境が生まれ、本当の百姓をめざした願いが生まれてくる。杉野さんにとって、光明道への導きは地域なのかもしれません。
そして最後に杉野さんはこんな仮説をメッセージしてくれました。
「人間はちっぽけな存在である。だから互いにリスペクトしあい、尊厳を守りながら、謙虚な生活をしなければならない」という手賀沼エリアのライフスタイルが形成されたのではないか
杉野さんのライフスタイル、生き方にこそ、山崎弁栄上人の光明主義を学ぶヒントがあるような気がしてきました。
話し合いもとても興味深いものでした。でもサロンからもう10日も経過してしまい、何やらとても面白かった気がしますが、思い出せません。
サロンに参加してくださった方、フォローしてもらえるとうれしいです。
なお杉野さんがまとめた「もうひとつの柏」という小冊子があります。湯島に置いていますので、関心のある方は是非読んでみてください。
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