■節子への挽歌6174:湯治場の効用
節子
柿内さんを通して、不老閣の女将から、手書きのビジョンや不老閣で実現したいことの絵が届きました。
湯治場で一番の効用は何だったのかを、女将はよく考えています。
温泉は、あくまでも場であり、手段です。
その効用も、時代状況によっても変わるでしょう。
しかし、一番大切なのは、「人間に帰る」ということではないかと私は思っています。
温泉に浸かると、自然と大昔の、つまりずっと「前世」の自分に帰ってしまう。
そう私は思っていましたが、いまの時代、そういう状況はもう難しくなっているのかもしれません。
最近、毎朝、20分ほど、湯船につかっています。
その「考えるでもなく考えないわけでもない時間」はすごく平安な時間ですが、何かが欠けている。そんな気もします。
時に、節子と話し合うことはありますが、入浴はやはり一人ではさびしい。
ローマ時代の温泉や江戸時代のお風呂屋さんの効用は大きかったでしょう。
私が温泉をあまり好きではないのは、一人になることが多いからでしょうか。
節子は温泉が好きで、よく付き合わされましたが、節子がいなくなってからは、自分から出かけたことはありません。
節子の闘病中に、なぜ温泉湯治に行かなかったのか。
悔やまれてなりません。
まあ時にそんなことを考えていると、長湯になってしまいます。
今日も長湯してしまいました。
なぜか今朝は哀しい朝です。
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