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2024年12月

2024/12/31

■節子への挽歌6213:年越し蕎麦のない年末の1週間

節子

24日に心配していたことが起こってしまい、前回、挽歌を書いたのを最後に、書かなないまま、大晦日を迎えてしまいました。
最後の最後で何とか回復しましたが、番狂わせな年末でした。
簡単に振り返っておきます。

いち早く対応したおかげで、風邪を乗り越えられると思っていましたが、24日の夜から発熱、なんと28度を超える感じで、これは大変だと思ったのですが、ともかく寝ている仕方がありません。
予定はすべてキャンセル。3日間、自宅で寝続けました。
3日寝て、何とか熱は収まりました。

実は27日には柿内さんと会ったり、そこに新倉さんにお漬物ランチを持ってきてもらったり、さらには年末のオープンサロンを用意していたのですが、それは喜屋武説。良く28日も小宮山さんと根本夫妻を引き合わせる予定で滋賀、これも辞め。
ともかく自重することにしました。
おかげで27日には熱はほぼ下がりました。
しかし咳がひどく、ユカに薬を買ってきてもらい対処しました。

年末オープンサロンは、私が房軟化のまま決行。なんと飛び入りでインドの若者が参加するというハプニングもあったようです。
私が行かなくてもサロンはもう大丈夫そうです。

ところが27日頃に今度はユカが発熱。
何と41度を超す発熱で、渡しどころではなくなってしまいました。
ユカは灰が弱いので肺炎が一番危惧されます。
救急に行こうか迷いましたが、結局、自宅療養を決意、3日ほどは大変でした。
ジュンに頼んで薬を買ってきてもらい、何とか対応。
大晦日の31日に何とか熱は収まりましたが、ひやひやの3日間でした。

というわけで、クリスマスも年始のお節料理もすべてなしの、年末年始になってしまいました。
まあしかし、何とかほぼ元気で年を超えられました。
それにしても、今回改めて、生活をケアしてくれているユカのありがたさに思い知らされました。もちろん節子はそれ以上に私をケアしてくれていたわけです。

それに気づかしてくれた1週間に改めて感謝です。
最後はお風呂を洗って早めに寝ました。
年越し蕎麦はありません。

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■今年はこれでおしまい

今年は最後の最後で風邪をひいてしまい、年末の予定がすべて狂ってしまいました。
そのうえ、娘がインフルエンザになってしまい、生活力のとぼしい私としてはもうパニックでした。

幸いに私はほぼ回復し、娘も熱が下がりました。
でも残念ながら感染予防のため、元日はひっそりと、娘が何とか早目に買っておいたおせちの材料の一部でのささやかな祝い膳です。
お節料理は、今年は皆無になりそうです。いやお雑煮もないかもしれません。
なにしろ私にはつくる気はありませんから。

生け花は何とか下の娘が活けてくれました。
玄関のしめ飾りは、孫が創ってくれました。
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ちょっと違うような気もしないではないのですが、来年は孫との関係を一挙に高めるために素直に受け入れました。

明日の初日は例年通り拝む予定ですが、調子がよければ、孫と初詣にも行けそうです。

今年は私にとっては、少し生き方を変えた年ですので、年末に一年を振り返り、来年に向けて少しまともなことを書こうと思っていましたが、年末の風邪のせいか、ちょっと自信がなくなってしまいました。

FBでお付き合いいただいたみなさんには感謝しています。
1
年間、ありがとうございました。

 

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2024/12/30

■湯島サロン「2024年を振り返るサロン」報告

年末恒例の「今年を振り返るサロン」は、いつものように、グラフィックデザイナーの林さんが印象に残った事件や話題を月別に整理し、それと重ねて自分の周辺での事柄を紹介、それにあわせて、参加者もまた自分の1年を振り返り、みんなで話し合うというサロンです。

2020年にはじめたこの会も5年目となりました。
毎年の常連に加えて、今回はビジネス界で活動している人が新たに参加してくれました。いつものように、今年の振り返りに入る前に、まずは2020年からの振り返りです。
まだ4年なのか、と、もう4年なのか、と事件によって、時間経過感が大きく違うのに驚きます。

人によって、振り返ったときに見えてくる風景も違います。
いつもそれがよくわかります。
自分が住んでいる世界は、実はほんの小さな特殊な世界なんだと、相対化できるのです。
しかし、長い目で見ると、みんなつながっているのも感じます。

今年も、林さんが生きてきた世界と私のとはあまりに違い、後半の林さんの振り返りに出てきた事柄の半分は、私の知らない世界の話でした。同じ世界を生きているようで、やはり大きく違った世界を見ているようです。
林さんとですらこうですから、もっと違った世界に住んでいる人とも私は一緒に生きているのでしょうね。言葉が通じていることが不思議なほどです。独りよがりにならないように注意しなければいけません。

ちなみに初参加した、ビジネス世界で活動してきている人は、サロンが終わった翌日。こんな感想を投稿してきてくれました。
報告は手を抜いて、この人の感想を持って代えたいと思います。
この人は、湯島のサロンに最近参加してきた人です。

今日は林さんが選ばれたトピックスにどこか人間味を感じさせるモノが多かったのが印象的でした(私が選んだら冷たいモノばかりになると思います)

今年一年をそれまでの4年間という時間軸に乗って振り返るのは初めてで新鮮でした。世の中の変化は加速度的にスピードをあげる一方、情報はどんどん深みを無くして表面を流れていくだけ。速く走るために背負う荷物を軽くしたのか。荷物が軽くなったから速く走れるようになったのか。どちらが先かはわかりませんが荷物は軽い方が楽な訳で。必要な時はchat GPTに聞けばいい。だからもっと軽く、もっと速く。

けれど人間が走る速さには限界がある。そして背後からからいくら荷物を背負ってもいくらでも速く走れる何かが猛スピードで追ってくる。人間が抜かれる瞬間に起きるのがシンギュラリティ。

皆さんのお話を伺いながらそんなことを考えていました。

佐藤さんが投げかけられた「果たしてこの5年間は良い方向に進んでいますか?」という問い。何て答えたらいいのかな。そんなことを考えながら帰路につきました。

できればみなさんもぜひ大晦日を前に10分でいいので、この1年を振り返ってもらえたらと思います。
振り返った先に、きっと新しい年の道が見えると思いますので。

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2024/12/29

■近藤サロン⑤「トゥルースとフェイク」報告

近藤和央さんの「『利己的な遺伝子』論から眺める人間論」の5回目は、前回に続き、「トゥルースとフェイク」をテーマにしました。
今回は参照本として、石戸諭さんの『ニュースの未来』と『ルポ 百田尚樹現象 愛国ポピュリズムの現在地』がとりあげられました。

いつものように、近藤さんは壮大なストーリーチャートを用意し、参加者との話し合いに応じて、話を展開。話題は参加者の思いのまま、自由に展開しました。
近藤さんのストーリーチャートは、次のサイトからアクセスできますので、関心のある方はどうぞ。PDFも用意されているので、ご要望があれば送るようにします。

https://drive.google.com/file/d/1thNRcwgGOxcgudPep4Ew5bYbkocEPnh3/view?usp=sharing

近藤さんはまず改めて言葉を定義します。

「トゥルース」は「真実」で、相対的・主観的な正しさ=信念。トゥルースはエビデンスによって暫定的なファクトと位置づけられるが、観測的に実証されるとファクトになり、逆に反証されるとファクトではなくなってしまう。
ファクトとトゥルースは、日本語では「事実」と「真実」と訳されますが、なんとなく「真実」の方が「事実」よりも「真理」に近いイメージを持つ人が多いでしょう。
しかし、近藤さんは、真実はその人が、そこにある「事実」に何を読み取るかで決まっていると言います。つまり主観的なものだというのです。

最近のように、共通情報基盤が失われ(新聞購読者もテレビニュース視聴者も減少)、共通信念体系も崩壊し、多様な価値観が重視される状況においては、「事実」の読み取り方も大きく変わってきます。つまり、「真実」はいまやひとつでなくなってしまっている。極端に言えば、人によって、真実が違ってくる。「トゥルース」は人によって違って当たり前。これが、いわゆる「ポスト・トゥルース」時代だというわけです。

私にとっての真実とあなたにとっての真実が違うと言っても、ある許容範囲に収まっていればいいのですが、違いがある閾値を超えると、お互いに相手にとっての真実が「フェイク」になってしまいかねない。
「フェイク」は、意図的な嘘に信頼性の衣服を着せて巧妙に相手を騙すことだと近藤さんは言いますが、最近は、意図しないフェイク、自分の真実を大事にするために生じるフェイクも広がっている。つまり誰もが相手をフェイクだと思ってしまうようなことが起こってしまいかねない。今はそんな時代状況なのかもしれません。

これまでも何回も出てきている、エコーチェンバーと認知バイアスが絡み合いながら、それぞれのトゥルースを創り上げ、その結果、世界を分断しているのです。
そういう状況においては、「エビデンス」も所詮はフェイクになってしまう。トゥルースとフェイクを見分けるためのエビデンスが、逆にトゥルースとフェイクをつなぐためにつくられていく。

いささか私見を入れての、近藤さんの話の要約です。

近藤さんは、ファクトは人間の主観から離れた客観的なものと考えていますが、ファクトが人によって異なる多様なトゥルースを生み出すのであれば、逆に「トゥルース」がファクトを変容させることはないのか。果たして主観から自由な客観的なファクトなど存在するのでしょうか。
そうなると、ポスト・トゥルースの時代は同時に、ポスト・ファクトの時代でもあると近藤さんは言います。
言語力の強いインフルエンサーにとってのトゥルースが、ファクトに影響を与えることで、ファクトが変化していく。ファクトの見方が変わっていくことはよくあることです。私たちはつい最近もそうしたファクトの変化を体験しています。たとえば、兵庫県知事選挙では、みんなのトゥルースが変わっただけではなく、ファクトまでもが変わってしまった。

こういう状況では、なにがフェイクかなどは問題になりません。ある意味、すべてがフェイクなのですから。そしてすべてのフェイクは、視点を変えたらトゥルースであり、ファクトに通ずる道もある。
二元論発想や固定観念からそろそろ解放されないといけません。
でも湯島のサロンでのみなさんの話し合いを聴いていると、二元論発想や固定観念はますます強まっているような気もします(今回のサロンの話ではありません)。

そうした傾向の中で、今回近藤さんが参照本とした石戸さんの2冊は、とても示唆に富んでいます。

たとえば、『ニュースの未来』にはこんな指摘があります。
「ニュース」とは「新しい=速報のアップデート」ではなく、「知らないことを知ること=新しいこと」だ、と。違った見方でファクトに触れることができれば、それこそがニュースなのです。でもいまのマスメディアも読者・視聴者もその反対を向いている。知っていることを確認し、同じ意見を探してしまう。つまり、自らのトゥルースに浸っていたいのです。ノイズは無視したい。その結果、「ヘイトアクション」に出てしまう。
しかし、自らにとって違和感のある情報に触れることこそを大切にしないといけません。エコーチェンバーにひきこもっていると安心でしょうが、結局はバーチャルな世界から抜け出せなくなってしまう。

『ルポ 百田尚樹現象』も面白い。私は百田尚樹さんが生理的に嫌いで、彼の発言や著作はきちんと読んでさえいなかったのですが、石戸さんのこのルポを読んで、百田さんに奇妙な親近感さえ抱いてしまいました。もちろんその言動には今も唾棄したいほどに不快感を持ちますが、でももしかしたらこれこそ「エコーチェンバーの落とし穴」かもしれません。忌避している限り、私の世界は広がらない。

ポスト・ファクト、つまりバーチャルな世界においては、すべてがフェイクであり、したがって組換え可能であり、無限の変化性を持つ仮説です。エビデンスさえ、いかようにも虚構できる。時間も空間も編集可能で、インモ―タル。そこには「生命」が感じられません。遺伝子などもはや不要の世界です。しかも、人間が作ったAIはいくらでも物語を生み出せる。
遺伝子の乗り物だった人間は、いささか分際を踏み越えてしまった。

生存と繁栄を最優先する遺伝子に組むこまれた生存戦略によって、人類は自らの内に「認知バイアス」を育ててきた。環境適応度は高まり、危機への対応も即決できるようになってきている。さらに今では、主客転倒させて、自らが生存しやすいような環境さえ、創りだせるようになった。遺伝子がいなくても、乗り物は動かせる時代。
私たちを利用していたはずの遺伝子が、逆に私たちに操作される時代になったわけです。
生命の進化がまた一段と次元を超えていくのでしょうか。

進化や生存戦略の視点から、ポスト・トゥル-ス、あるいはフェイクニュースの問題を考えると、どうも新しい局面を迎えるのかもしれません。私たちが遺伝子から自由に飛び立てるか、あるいは遺伝子が私たちをもはや主流の存在と認めなくなるか。
このあたりでまた原点の「ドーキンスの進化論」にもどり、「神」の問題へと入っていくのも面白そうです。
ドーキンスは徹底的な無神論者でしたから。

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2024/12/27

■今年最後の湯島サロンは楽しそうでした

今日は今年最後の湯島サロンでした。

恒例の年末オープンサロン。
私は不幸にも風邪をひいてしまい、微熱と咳がおさまらず欠席しました。
そろそろ終わる頃かなと思って確認したら、サロンの風景と会話の一部が流れてきました。

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見ればおひとり初参加の人いました。
20歳のインドの男性で、来年から日本に留学の予定で、その手続きにきているそうです。
日本語も慣れたもので、日本文字も大丈夫だそうです。
ヤーシカさんと言います。
会えなかったのが残念ですが、来年には会えるでしょう。

これで今年のサロンはすべて終了です。
湯島サロンを支えてくださっているみなさんに改めて感謝です。
私が行かなくてもサロンは成立することが証明されました。これからは気楽に休めます。

来年は15日からスタートします。
さすがにその頃には風邪は治り元気なっているでしょう。

サロンの報告がまだ3つほど残っていますが、年内には報告します。
今日は思い切って入浴したのですが、湯上りにいささか薄着で日差しを浴びていたらうっかり眠ってしまいました。いつもなら娘が注意してくれるのですが、今日はその娘が40度超えで苦しんでいます。実に軽率でした、ぶり返さないといいのですが。

しかしヤーシカさんはどうして湯島サロンのことを知ったのでしょうか。

 

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2024/12/24

■節子への挽歌6212:体調崩し

節子

昨夕、少し体調に違和感を感じました。
熱を測ったら37度を超えています。風邪になったら大変です。
それで早目の夕食を済ませ、午後7時に寝てしまいました。
と言っても眠れるわけではなく、五時間おきに目が覚めていました。
それでも結局、朝の7時過ぎまで寝ましたから12時間も寝たわけです。
おかげで熱も平熱で、特に異常はありません。
それでも念のためににことのクリスマスケーキはやめて、一人静かに様子を見ています。

特に異常が出てこないので、大丈夫そうです。
年末はいくつかの約束があり、その約束を守りたかったです。

ところが今日の夕方、その一つの相手から、インフルエンザに罹患してしまい会えなくなったと連絡がありました。
やはり年末に風邪をひく人は少なくないようです。

今日、一日中、ずっと平熱で、大丈夫でした。
溜まっていたサロンの報告も一つ書きました。

でもどことなくなんとなくスキっとしないのです。。
疲れがたまってしまっているのかもしれません。
何しろ最近はサロンが多すぎました。

今日はもう一日、注意しようと思います。
早目に入浴し、また8時には寝ようと思います。

今年は年内にあとサロンのほかには5人の人に会います。
みんな風邪などひかなければいいのですが。

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■第37回万葉集サロン「額田王の物語世界②」報告

額田王の物語世界の2回目は、「近江國に下りし時につくれる歌」(巻1-1718)が選ばれました。期待していた「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」(巻1-8)も少し取り上げられましたが。

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まずは「近江國に下りし時につくれる歌」。
近江遷都は多くの反対の中で決行されたため、それまでみんなを守ってくれていた三輪山の大物主神を和めなければならなかった。そこで遷都を決めた天智に代わって額田王が詠んだのがこの歌です。

なぜ額田王が代作したかと言えば、「詞(ことば)の嫗」である額田王の「言・歌・語り」の持つ呪力が必要だったのでしょう。つまりこの歌は、古代の呪歌だったのです。
しかし、柿本人麻呂の呪歌とは違います。特に反歌を読むとわかりますが、そこには神の世界とは違った人間の心情、彼女(人間の女)の心の投影が読み取れます。

「三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなむ隠さふべしや」。

この「べしや」という言葉に、升田さんは物語的空間が開けていくのを感ずると言います。そして、そこに神と共生する「た」の世界から、神にも人にも主体をあずける「わ」の世界が生まれてくると言うのです。

升田さんの表現を借りて、改めて説明すれば次のようになります。

額田王の三輪山の歌は、神の「情・こころ」に訴える「(隠さふ)べしや」という強い問いかけの言葉によって(「べしや」の用例は万葉集に少なく後期の恋歌で、前期にこの表現を用いているのは額田王のみ。まして雲(神)にたいしては皆無)、神を祭式から人間界に引き出すことで、歌が晴れ(ハレ)から褻(ケ)へと広がりながら「物語」の様相を呈し始めてくるのを感じさせる。
これは、「た」の大きな変革であり、聴き手に響く希有な(?)歌世界であっただろう。

古代呪歌の呪詞「見ゆ」は無く、三輪山を隠そうとしている雲に不吉な不安を抱き「雲だにも・・・隠さふべしや」と歌った中に、額田王の言葉の力、「歌う女」の強い自負がある。それは「野守は見すや 君が袖振る(20)」や「月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな(8)」などにも通じる額田王独特の言葉の力である。

要するに、「わ」がしっかりと生きている「た」の世界の誕生です。
「言葉の力」がそれを生み出したのです。
そして、「古事記」や「風土記」の事例を紹介しながら、「言葉の持つ力」について、さらに説明してくれました。
その中で、額田王の「熟田津に……」(巻1-8)も紹介されました。私が大好きな歌です。いささか軽く扱われたのが気にいりませんが。
この歌も、斉明天皇の代作とも言われている歌です。

額田王の歌は万葉集の中に12首と言われていますが、そのうちの半数にちかい5首が天皇の代作とも言われています。
そのこと自体、私にはとても興味があります。
額田王は、「詞の嫗」として、歌を詠んだのではなく、神の世界と人間の世界をつなぐ歌から生まれたのではないか。
初期万葉の歌人は、歌を詠んだのではなく、広く世に出回っていた歌から生まれたのではないかとさえ思うのです。
つまり、柿本人麻呂も額田王も、その存在そのものが「物語」なのではないのか。
あまり勝手な推測をすると升田さんに叱られるのでやめましょう。

ところで、額田王の持つ、言葉の力はどこからくるのか。
升田さんは、「息長氏」を筆頭とする「風の信仰」にそれを見たい、と言います。
「風の信仰」。
また魅惑的な言葉が出てきました。

息長氏も魅力的な氏族ですが、風の信仰はもっと魅惑的です。
この万葉集サロンでは、だいぶ前に少し語られた気がしますが、最近あまり出てこなかった。
額田王もまだまだ語ってほしいと思いますが、次回はどちらが取り上げられるでしょうか。

次回の開催は2月の第3日曜日の2月16日です。
参加される方は予定に記入してください。

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2024/12/23

■節子への挽歌6211:佐藤さんから人格否定されたことが2,3回ある

節子

どうも私の言葉には問題があるようです。
まあいろんな人から何回も指摘されているので、自分でも自覚があるのですが、私自身には悪意も邪念もないので、あまり気にしてはいないのです。
でも、今日はちょっと気になってしまいました。

益田さんのジタバタ人形サロンに、ふたりの女性が参加しました。
ふたりとも悪意のない無邪気な人です。
その人たちと会話していたら、その一人が、「佐藤さんには過去に2,3回、人格を否定されるようなことを言われた」というのです。
その人が湯島にき出したからまだ2年足らずですが、どうもその人はいまもそれを思い出すだけでも不愉快なこととして記憶しているようです。
人格否定とは、私が一番したくないことです。

私は、誰に対しても、思ったことを「私の言葉」で語る習癖があります。
そしてそれはいずれも相手に対する「好意」からなのですが、どうも相手は真反対に受け取ることがあるのです。
それに私は、人をほめることが嫌いです。そんな失礼なことは私にはできないからです。
私自身、他者からほめられてうれしいことなどありません。他者が私のことに感心してくれていることを感ずることはうれしいのですが、言葉で発せられることにはどうも嘘を感ずることが多いからです。
無邪気な存在には、ウソが必ずわかるものです。
逆に、無邪気な人には言葉の真意が伝わるだろうと私はずっと思っています。

だから私が無邪気だと感じた人には、私は無防備で、ついつい「私の言葉」を発してしまう。
それがまだ私のことをあまり知らない人には、誤解されてしまうのかもしれません。

私は、一見すれば、大体その人がどういう人かはわかります。
もちろん誤解することもありますが、大体において第一印象が正しいという体験知を持っています。
だから第一印象で、つい、私の言葉を発することがあるのです。
でもそれが問題を起こすようで、昨日の人はいまなお、その私の言葉が思い出すだけでも不快なようです。

どこで何を間違えたのか。
私も少しは自分を反省しなければいけません。

そういえば、節子も私の言葉に悩まされたでしょう。
私の言葉には基本的に邪気はないのですが(意図的に入れることはありますが)、人によっては伝わらないことがあることを知らなくてはいけません。
ちなみに、節子もまた「邪気」のない人でした。
そして私をある意味で、育ててくれた人でもありました。
今朝もお祈りに重ねて、感謝の念を伝えましたが。

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2024/12/22

■節子への挽歌6210:久しぶりに半田さんとゆっくり話しました

節子

半田さんが湯島にとMacのデスクトップパソコンを送ってきてくれました。
それをセットするためにやってきました。
私自身は、パソコンよりもむしろ半田さんとゆっくり話せるのが楽しみだったのですが。
ところがパソコンの設定に半田さんがちょっと手こずってしまいました。
これもまた実に新鮮でした。
半田さんの手こずる姿は実に新鮮です。

それでまあパソコンはともかくゆっくり話をしようということになりました。
いろいろと話しましたが、お昼になったので、隣のサミットでランチを買ってきてここで食べようという提案をしてみました。
意外なことに、半田さんはそれも素直に受けました。
というよりも、自分が買ってくるというのです。
それでは面白くありません。
ふたりで行くことになりました。

私のイメージでは、半田さんは「星の子」なので普通の食事はしないし、飲み物も飲みません。ましてやスーパーで買い物をするはずがない。そういうイメージだったのです。

まあそれからいろいろありましたが、私にとっては実に新鮮な体験でした。
半田さんも、やはり人間だったのです。

部屋に帰って、また話をしました。
そこからまた実にワクワクするような話が出てきました。
40年前を思い出しました。
もしかしたら私もそのわくわく話の仲間に入れてもらえるかもしれません。

半田さんは、節子もよく知っていますね。
入院中に見舞いにも来てくれた。でも誰にも会わずに(節子は寝ていたようです)、花束だけ置いて帰ったので、来たことがわかったのですが。
毎月、千疋屋の果物を届けてくれていた時期もあります。
私は、そうしたことに何もお返しできていません。
何かお返しができるといいのですが。

節子
いい知恵はありませんか?

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■第5回増田サロン「宮沢賢治の自然観と藝術論から」報告

増田圭一郎さんと一緒に「地湧きの思想」を考えていく連続サロンの第5回は、宮沢賢治の『農民藝術概論綱要』を取り上げました。

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最初に増田さんから『農民藝術概論綱要』の紹介と問題提起がありました。
増田さんが用意してくれた資料を基に、その概略を紹介します。

 宮沢賢治の農民芸術概論は、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」の一文で有名ですが、まさに今世界中の人がそれを実感しているのではないか、と増田さんは言います。文明が進み、一部の人には富と快楽をもたらしたが、諍(いさか)いは絶えず、貧しく、生きることさえままならない人が世界に溢れている。人はパンのみにて生くるものにあらず、というが、まず生きていくために食べることは大前提。しかし、それだけで人は、幸福になるわけではない。人と人、人と自然とつながりがなければ自己個人だけの生存はあり得ない。
では、パン以外に何が必要なのだろうか。この農民芸術概論は、そのエッセンスともいえる重要な視点を提案している、と増田さんは言います。

ここで賢治が言う「四次芸術」とは、「完成のない美しさ」「比較のできない美しさ」。例えば、秋の夕焼けの美しさ、冬の凛とした月の佇まい、春の芽吹く山。宮沢賢治は、自然の「観察者」ではなく、自然という混沌と一体となっていたのだ、と増田さんは考えています。

そして増田さんは続けます。
21世紀は宗教と芸術の時代という人がいたが、この数千年のなかでも未曾有の人類危機のいま、果たして今までの思想の延長で乗り越えられるだろうか。シン宗教、シン芸術が必要なのではないか。宗教は、信条、戒律を求める外発的なものでなく、内発的なものをより大切に、芸術は、より人間の本質に触れるものに、なっていくのではないか、と。

さらに増田さんは、ITやデジタル化へと論を進めます。久しく人類に等しく与えられてきた共有の自然資源(水や空気そして大地など)に対して人間が生み出した公共インフラストラクチャー(電気など、水も一部インフラ、そしてデジタル)を本当にオープンソースにできるのか、と増田さんは問うのです。
ここで、2回目の増田サロンで話題になった「代理価値とリアリティ」につながっていきます。デジタルがインフラである限り、やはりこのインフラを管理維持する共有のコンセンサス、コモンズの構築が必要なのではないか。

そして話はさらに広がり、1990年に幕張で開催された「地球人間ルネッサンス会議」やそこでキースピーチをしたアメリカニューエイジの旗手マリリン・ファーガソンの『アクエリアン革命』への言及もありました。
増田さんは、当時、そのマリリン・ファーガソンの元に住み、息子のように可愛がってもらったそうですが、彼女のいう『アクエリアン革命』は実現せず、危機はますます深刻になってきています。
しかし、私たちの智慧の奥深くには、地下水脈のように流れる智慧の泉がある。そこから生まれる「地湧きの思想」を一人ひとりが、淡々と掘り続けていくことで見つけることが必要なのではないか、と増田さんは話をまとめました。
「地湧きの思想」は、賢治の農民藝術概論綱要に重なっているのです。

 そして、増田さんは『農民藝術概論綱要』全文を配布し、それを見ながら聴くようにと、喜多川拓郎さんが朗読カフェで朗読した音声を流してくれました。
https://www.youtube.com/watch?v=lWsISHQjYBw

『農民藝術概論綱要』は文字で読むと私には退屈で、いつもまんなかを飛ばしていましたが、音声で聞くとなぜか不思議に身心に入ってくるような気がして、私には新鮮な体験でした。この綱要はもしかしたら、羅須地人協会で毎朝唱和されていたのではないかと思ってしまいました。いずれにしろ、改めて全文の朗読を聴いて、「農民藝術」こそが世界全体の幸福につながることを確信しました。
そして、ここで言っている農民藝術とは、私たちの本来の生き方を指しているのではないか。つまり、大地に根ざして明るく生き生きとした生活です。それこそ私たちの本来の生き方ではなかったのか。

湯島のサロンではよく話題になりますが、私の歴史観は進化ではなく、退化なので、本来の生き方に戻ろうというメッセージのように聞こえてきます。

それはともかく、そこから話し合いが始まりました。
さまざまな論が交わされました。中途半端に紹介するのはやめましょう。なにしろ多彩な人の多彩な意見は文字にしたら退屈になりかねません。

『農民藝術概論綱要』のなかの次のような文言が特に話題になったような気がします。
「職業芸術家は一度は亡びねばならぬ」
「都人よ 来たってわれらに交われ」
サロンではあまり話題にはなりませんでしたが、「農民芸術とは宇宙感情の 地 人 個性と通ずる具体的な表現である」というのも、賢治の好きな銀河世界に通ずる大切なところでしょう。
話し合いは、実に示唆に富むものでした。

みんなの話を聞いていて、私が思い出したのは、ハンナ・アレントの「仕事」観です。
アレントは、『人間条件』で、人間の活動力を、「労働」(labor:生存するための食糧や日用品を得る活動)、「仕事」(work:快適に生きるためのインフラをつくる活動)、「活動」(action:健全な社会の建設・運営に携わる活動)の3つに分けています。その最後の「活動」と「農民芸術」が重なるのではないか。アレントもまた、「農民芸術」を求めていた。というよりも、生き方を質していたのだと思いますが、私にはどこかで賢治に通ずるような気がしました(今回が初めての気づきです)。

話し合いのなかである人が出した話も印象的でした。
その人は最近、援農活動に行ったヒマワリ畑で、賢治の「雨ニモ負ケズ」に出てくる“デクノボウ”に出会ったというのです。
冷え込みでほとんどのヒマワリが根元から折れているヒマワリ畑のなかに、1本だけ、首をかしげて立っていたヒマワリが、まるで賢治の言う“デクノボウ”のように見えたというです。
写真を見た限り私には“デクノボウ”には見えませんでしたが、賢治がめざす農民藝術に取り組んでいる(と私には思える)その人にはきっと“デクノボウ”に見えたのでしょう。うらやましい話です。
生き方を変えると世界は違って見えてくるのです。
「幸福」もまた、生き方によって変わってくる。

話し合いの最後に増田さんは『農民藝術概論綱要』を詳しく解説した矢谷慈國さんの『多元的リアリティの統合と宮沢賢治 「農民芸術概論綱要」について』を紹介してくれました。興味のある方はお読みください。
https://www.i-repository.net/.../out.../ir/301/301941209.pdf www.i-repository.net

さらに、ティム・インゴルドの書籍への言及もありましたが、今回は時間切れになってしまいました。
いつかぜひ採り上げてほしいと思います。

次回の増田サロンは、来年2月の8日(土曜日)を予定しています。テーマが決まり次第、案内させてもらいます。

 

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2024/12/21

■節子への挽歌6209:パソコン提供の申し出

節子

昨日は自宅のインターネットが通じなくなってしまいました。
その対応に追われて、挽歌も書けませんでした。
結局、ルーターの故障のようで、今日、買いに行こうと思いますが、インターネット環境に依存してしまっているのがよくわかります。
またパソコンもどうも調子が悪いのです。
なにやらみんな連動している。

この5年ほど、パソコンを更新していないので、最近はどのパソコンもあまりうまく作動しません。
とりわけ湯島のパソコンが古くなって動きが悪いので、メーリングリストで会社などで廃棄処分するパソコンがあれば寄付してほしいと投稿しました。
ところがそれに関して数名の方から連絡がありました。
最初に届いたのが、Macのデスクトップ。オーバースペックだと思って迷いましたが、申し出てくれた人に会いたいという思いもあって、いただくことにしました。
相したら早速送られてきたのが、大きなデスクトップ。湯島における場所があるかどうか心配になりました。
つづいてノートパソコンの申し出が3件、続いています。

ところで昨日、湯島に行ったら、ソファーにカバーが関わっていました。
これもソファーの汚れが気になっていた人がやってくれたのです。
湯島はどんどんコモンズ空間になってきていますが、さらに私もその恩恵を受けだしています。
パソコンももしかしたら自宅用にももらってしまおうかと考えだしています。
これはフェアではないですかね。

でも私が困っていると、みんな助けてくれます。
お金からどんどん自由になれそうです。
昨日も湯島に着いたら、テーブルに菓子パンがありました。冷蔵庫を見たら、なぜかトマトジュースもあった。
それでお昼をすませました。

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2024/12/19

■6208:ボストンからのクリスマスカード

節子

ボストンの坂口さんからクリスマスカードが届きました。
といっても、節子は坂口さんを知りませんよね。
坂口さんは、節子が逝ってしまってから、出会った人です。

長年、アメリカにお住まいですが、あるきっかけで、私のブログを読んで、日本に戻ってきていた日、それもアメリカに帰国する日に、連絡してきたのです。
たまたま宿泊していたホテルが、湯島のすぐ近くで、私もその時に湯島にいたので、お会いできたのですが、以来、日本に来るたびに湯島によってくださるのです。
そして、湯島のサロンをとても評価してくださり、また私のブログもとても評価してくれて、応援してくれているのです。

クリスマスカードに併せて、坂口さんの連作短歌がいくつか同封されていました。
ひとつは「今モーツアルト」。今と篠6月に湯島でお会いした時に、そのドラフトを見せてもらったものです。その仕上がり方を見るにつけ、坂口さんが、言葉をいかに大切にしているかがわかります。

「九十八歳の〈烈ブロガー〉」という連作短歌は、「敬愛する藤永茂先生へ捧ぐる歌」と添え書きがあります。どこかで聞いた名前だなと思っていたら、ジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』を訳された方で、その解説書『「闇の奥」の闇』を著した人でした。アメリカ。インディアンの悲史や愚者としてのオッペンはいま―に関する著作も読んだことがありますが、ブログがあるとは知りませんでした。ブログのタイトルも「私の闇の闇」。年明けに読んでみようと思います。

坂口さんの連作短歌は、簡単には読めません。
時間をかけないと読みこなせないのです。
少しずつ読んでいこうと思います。

長いお手紙も、心に沁みるものでした。

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2024/12/18

■原発復活は核武装化につながっているようで不安です

経済産業省が新しい「エネルギー基本計画」の案を発表しました。

3.11の後に決められた「原発依存度を可能な限り低減する」という文言が削除され、原発がまた復活していく路線に戻ってしまいました。それは同時に、核武装国家への道だろうと思います。
3.11の体験は結局、何も変えなかったのです。
原発離れの流れを変えて、また原発復活・核武装化への流れに変えたのは、いまの立憲民主党の野田政権でした。
民主党への政権交代で、新しい芽が生まれたのを、すべて潰して、それまでの路線に戻したのは野田さんだと思いますので、私には彼は悪魔のように見えるのです。
その彼がまた、政権交代を主張している。私には悪夢です。

それは私の狭い料簡に基づく偏見でしょうが、それにしてもなぜみんな、原発がある意味での核兵器であることに気づかないのか。
不思議でなりません。

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■節子への挽歌6207:創価学会員の吉井さん訪問

節子

1週間ほど前に挽歌にも書きましたが、毎月1回、ポストに「聖教新聞」を投函してくれる吉井さんに電話して、訪問しました。
亡き奥様への献花もしたかったので。
手紙を読んで、私と同世代の人だと感じていましたが、まさにその通りで私よりも1歳、歳下でした。お名前は吉井さん。かつては彫刻家としても料理人としても、大活躍してきた人でした。

予想通りの、善意の塊のような人でした。
お会いしてすぐに、心が通じました。この人には嘘がないとすぐわかりました。
2時間も話してしまいました。
もちろん私は真言宗で創価学会には関心がないこと、公明党には共感していないことを最初にはっきりとお伝えしました。加えて、創価学会への疑問も伝えました。

創価学会の我孫子白山地区のリーダーで、聖教新聞を36部購入し、毎朝、2時半に起きて、それを我孫子の白山地区の全家庭に配布しているのだそうです。
同時に、創価学会の活動とは別に、地域の子どもたちのためのボランティア活動などもされています。私の活動ともつながっていることもわかりました。

入信したのは、10代の時に腸の病気で開腹手術したのが契機だったようです。
お腹に大きな十字の傷跡があるのを見せてくれました。
入信して祈りの生活を始めてからは、病気とは無縁になったそうです。
いまはとてもお元気そうです。

年が明けたら、もう一度、お会いしようと思います。
別れ際に私のために祈ってくれました。

地域には本当にさまざまな人がいます。
そして必ずどこかでつながっているのです。
まさか私が創価学会の人と付き合うことになろうとは思ってもいませんでした。

 

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■第6回あすあびサロン「手賀沼の魅力を話し合う」へのお誘い

主に、我孫子界隈の方を対象にした案内ですが、今回は講演会スタイルなので、市外の方の枠も数名確保しています。
我孫子の手賀沼周辺になぜ、民藝の柳宗悦さんや白樺派の文人たちが集まったのか、さらにまた「大正の法然」と言われる山崎弁栄上人が生まれたのか。ある意味では、「地域創成」に関わるテーマでもあります。
遠方からの参加も歓迎です。
ただ定員の関係がありますので、参加ご希望の方は事前にご連絡ください。

■第6回あすあびサロンへのお誘い

我孫子をどんなまちにしたいかを、我孫子住民が中心になって、自由に話し合う「我孫子の明日を話し合う」サロン(“あすあびサロン”)の第6回のご案内です。

今回は、趣向を変えて、ゲストによる講演会にしました。と言ってもサロンですので、単なる講演会ではなく、講演の後、ゲストも交えてみんなで話し合おうという、いつも通りの気楽なサロンです。

ゲストは、手賀沼の対岸の沼南町で活動している杉野光明さん(すぎの梨園先代園主/山崎弁栄上人縁者)です。
ご存じの方もいるでしょうが、沼南町は「大正の法然」と言われる山崎弁栄上人を生み出したところです。杉野さんは、その縁者で、お名前の「光明」も山崎弁栄上人が創唱した光明主義からとられたものとお聞きしています。

杉野さんは手賀沼が大好きで、5年ほど前から毎朝、手賀沼周辺の早朝散歩を続けています。そこで改めて手賀沼の自然のすばらしさを実感されているようです。
杉野さんが2年ほど前に書かれた小冊子から引用します。

そこには60年以上も暮らしながらいままで見たことのない空と水面の織り成す光景が広がっていました。刻一刻と様相を変えながら、太陽が昇るにつれ見慣れた農村風景となり、日常生活が始まります。このような中で千年以上も前から集落を形成し、代々、人の命をつなげてきた土地です。私はここに生まれ育ち暮らすことができたことをたいへん幸せなことだと思います。後世でも同じように命をつなげて行ける土地であってほしいと思います。千年続くように。せめて百年続きますように。(杉野光明著『もう一つの柏』)
こうした活動のなかから、杉野さんは「地域が思想を生み出し、その思想が地域を育てていく」ことに気づいたと言います。かつて、手賀沼の周辺に白樺派の文人たちが集まったのも、そうした手賀沼の持つ地域の魅力が影響していたのではないかと杉野さんは言います。
今回は、そんな杉野さんの思いと、かつて手賀沼が生み出した山崎弁栄上人の紹介をしてもらい、その後、参加者みんなで手賀沼の魅力について話し合えればと思います。

気楽な集まりですので、気楽にご参加ください。

〇テーマ:「手賀沼が育んできた地域文化 
山崎弁栄上人はなぜ生まれ、白樺派文人たちはなぜ集ったか」 
〇話題提供者:杉野光明さん(すぎの梨園先代園主/山崎弁栄上人縁者)
〇日時:2025年1月18日(土曜日)午後1時半~4時(午後1時開場)
〇場所:アビスタ第2学習室
〇協賛費:会費ではなく、ワンコイン(100円)を目安にした自由寄付方式
〇主催者:“あすあびサロン”準備会(我孫子まちづくり編集会議)
〇申込先:事務局佐藤修 qzy00757@nifty.com)

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■節子への挽歌6206:田中さんが大活躍ですよ

節子

節子もよく知っている田中弥生さんが大活躍しています。
今朝もテレビに出ていましたが、会計検査院の存在を大きく変えつつあるように思います。しかもまだ止まらずに進んでいます。
いわゆる忖度などしないタイプですが、単純に直進するタイプでもありません。
何よりも行動力があるのが最大のとりえです。
まだまだやってくれるでしょう。

先日は石破首相に報告書を渡すシーンがテレビのニュースでも報道されていましたが、節子が元気だったらさぞや喜んだことでしょう。
節子は私と違って、意外とミーハー的なところがありましたから。

節子が逝ってしまった後、わざわざ、わが家まで献花に来てくれました。
会計検査院の院長を辞めたら湯島でサロンでもと思っていましたが、まだまだ進んでいきそうです。
だんだん遠くに行ってしまいますが、それは実にうれしいことです。
でも彼女は変節しません。
先日彼女に会ってそう確信しました。

一緒に応援していきましょう。

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2024/12/17

■節子への挽歌6205:鳥たちとの会話

節子

今日の4000歩散歩は手賀沼遊歩道でした。
帰りに公園に来たら、なぜか今日は鳥たちがたくさん公園の草原にいました。
鳥は手がないので、私はどうも苦手なのですが、節子が生前、「また鳥や花になって戻ってくる」と言い残したので、最近は鳥とも付き合うようにしています。

それにしても、なぜか今日は鳥が多かった。
中央の広場から少し離れた草原には、10羽近いオオバンが遊んでいました。
近づいたらなぜか逃げてしまいましたが、こんなに大勢のオオバンを草原で見るのは私は初めてです。
園地の周辺では、鳩がたむろっていましたが、鳩は特に私は苦手です。
いろんなカモもたくさんいましたが、今日は白鳥は見当たりませんでした。
もしかしたら、白鳥がいないので、小さな鳥たちがたくさん遊んでいたのかもしれません。
サギはいたような気がしますが。

ベンチに座って、鳥たちとしばらく話をしてきました。声には出しませんでしたが。
ベンチに座っていたら、一羽のカモが近づいてきました。もしかしたら節子かなと思ったのですが、声をかけたら向きを変えて去って行ってしまいました。あんまり節子に似ていなかったので、あれは違いますね。
ともかくたくさんの鳥がいたので、どれが節子か見分けられませんでした。まあ、いたとは言えませんが。

時に手賀沼公園でゆっくりするのもいいものです。

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■年末年始のオープンサロンのご案内

湯島では、今年もたくさんのサロンを開催させてもらいました。
私以外の人が主催するサロンや部屋の活用も増えてきています。
会場維持のための経済的・物資的支援もみなさんからいただきました。
ご支援に感謝します。

例年、年末年始にオープンサロンを開催していますが、今年最後の年末サロンは、1227日の午後1時~4時を予定しています。いつものように出入り自由です。
新年のサロンは1月5日(日曜日)を予定しています。この日は時間を長くして、午前10時~午後4時の、出入り自由のサロンです。

時間が長いのは、原則、自由な時間に来てコーヒーを飲んで帰るという「オープンカフェ」スタイルを想定しているからです。メニューは、コーヒーと紅茶だけですが。
もちろん長居してもらっても大丈夫です。私は一応、ずっといる予定です。
新年サロンは昼食時も含まれますので、昼食をされたい方は隣のサミットでお弁当でも買って持ち込んでください。

近くの湯島天神や神田明神は混んでいるかと思いますが、お詣りついでに湯島のサロンにも気が向いたら顔を出して、新年の抱負など聞かせてください。

ちなみに、私は一応、来年も1年間、サロンを続けることにしていますので、最後の顔を見に行こうという人(最近、時々そういう人がいます)は、わざわざそのためにのみ参加する必要はありません。前立腺がんとも、いまのところ仲良くやっていますし、脳の切れかかった2本の血管も元気のようです。念のため。

〇日時:2024年12月27日(金曜日)午後1時~午後4時
           2024年1月5日(日曜日)午前10時~午後4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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■節子への挽歌6204:前立腺がんを軽く考えてはいけない

節子

友人が、前立腺がんを馬鹿にしてはいけないということを私に認識させたいと、文藝春秋の記事を持ってきてくれました。
前立腺がんは、命にかかわる病気なのに、私が前立腺がんは癌にあらずなどという無責任な発言をしているのに、お灸をすえてくれたのです。
たしかにいささか軽率な発言だったと反省しました。
実際に湯島サロンの常連の一人は、前立腺がんで命を落としました。
発言には気をつけなければいけません。

私は軽率な発言が多く、湯島サロンでも時々、やり玉に挙げられて、責められます。
その都度、それが私なのだと抗弁しますが、やはり身勝手すぎるのでしょう。
ユカからは、そういう身勝手さが許されると思うように、みんなから甘やかされてきたのだと注意してくれますが、確かに発言の身勝手さは否定できません。
ユカによれば、そのくせ、他者の発言には厳しいというのです。
私はそういう自覚があまりないのですが、もしそうなら、そしてたぶんユカが言うのですから、そうなのでしょうが、やはり身勝手としか言いようがない。
注意しなければいけません。

もう一つ注意すべきは、知ったかかぶりをしてしまうことです。
というよりも、十分に知りもしないくせに、逆に知ったかぶって知識を語りだす人に合うと、ついつい真逆のことをさも自分が熟知しているような発言をしてしまうのです。
この習癖もなかなか直らない。
困ったものです。

 

知識は人の脳を腐敗させるという天声人語の記事を昨日、時評編に載せましたが、私の頭もかなり腐敗しているのでしょう。
質してくれる人がいないからかもしれません。
やはり節子との会話が懐かしい。
娘との会話と妻との会話はやはり違います。
もちろん友との会話も違う。
夫婦の会話がもうできないのが、とても残念でなりません。

節子と話していると、自分がよく見えてきていた。
最近はそういう自分になかなか出会えなくなってきているような気がします。

話がずれてしまいましたが、前立腺がんへのケアを忘れないようにしようと思います。
何しろ100歳まで生きることを決めたのですから。

 

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■湯島サロン「アーユルヴェーダを学びながらインドで考えたこと」報告

また長く続くだろう新しいサロンが始まりました。

「アーユルヴェーダを学びながらインドで考えたこと」です。話題提供してくれたのは、昨年からインドの大学で、アーユルヴェーダを学びはじめた若者のかわさきけいたさん。1月にまたインドに戻りますが、帰国を機会にサロンをお願いしました。
勝手な私の構想では、毎年帰国する機会にサロンをお願いしたいと思っています。できればずっと。私が最後まで付き合えるかどうか、かなり危ういのですが。
というわけで、今回はそのプロローグです。

アーユルヴェーダは一般にはインド伝統医学と言われますが、アーユル(生命)のヴェーダ(知識)ですから、私たちが考える「医学」よりももっと広い意味を持っています。つまり、病を治す医療というよりも、生命を元気にする養生につながっています。しかもインド哲学の流れでは、この世界に生命でないものは存在せず、あらゆる「存在」のなかに生命は宿っているとされますので、一般的な意味での「生命の科学」よりももっと広い概念のように思います。

けいたさんは、なぜアーユルヴェーダを学びのインドに行くことになったのかから話を始めました。
高校3年の時、病気で3か月入院し、生きる意味も見つけられないほどの辛い体験をしたそうです。そこで西洋医学や東洋医学の限界も感じたようです。
そんななかで生きる意味を与えてくれたのが、好きなスキーをもう一度したいという強い思いだったそうです。「やりたいこと」が生きる意味を与えてくれた。そして、病を治すことに目を向けるのではなく、生きることに目を向けて病を超えたのです。

だからといって、すぐに医学を志したわけではありません。病気を克服した後、けいたさんはリベラルアーツを学びにアメリカに留学。そこで出会ったのがアーユルヴェーダだったそうです。帰国して、インドへの留学を決意。自分でインド政府の奨学金を探して応募し、昨年からインドの大学に留学。

さらに現地で学ぶうちに、もっと伝統の知恵を大切にしている大学を自分で探して、転校することにしたそうです。ここでも常に現状に飽き足らずに、先に進もうとしているけいたさんの「生命の躍動」を感じます。

けいたさんにとっては、「資格」を取得して活動することだけが目的ではないのです。私の誤解かもしれませんが、いまもなお「医学」を志しているわけではないのかもしれません。アーユルヴェーダに関しても、そこにはまってしまっているのではなく、ましてやアーユルヴェーダを「手段」にしようなどとは思っていない。ともかく今は、アーユルヴェーダを理解しようとしているような印象を受けました。

だから、これからけいたさんがどう変わっていくのか、に関心があるのです。そこからこれまでは見えなかったアーユルヴェーダが見えてくるような気がするのです。

インドの大学での留学生活はかなりハードなようです。世界各国からの留学生同士で集まって生活しているようですが、水も出ないような状況ですし、治安も問題がある。
加えてアーユルヴェーダの勉強はかなりハードで、最初の4年半は徹底的な座学中心だそうで、サンスクリッド語やヒンドゥ語のテキストも読まなければならない。そのうえ、いわゆる医学部的な勉強もしなければいけないのだそうです。

インド人との付き合いも大変なようです。「嘘」に関する考え方が全く違う。生活面では今のところさほど交流はないようですが、1年以上、インドで暮らしていると当然、いろんなことが見えてくるのでしょう。
そういう「さりげない話」が私にはとても興味深かったです。きっちりした報告や書籍からはなかなか伝わってきませんし、短期間の旅行体験報告からもたぶん伝わってこないからです。
しかし、けいたさんもまだ1年半。これからどう変わっていくかも興味あります。
今回はまあ、いわば第一印象と位置づけて聴いていました。

アーユルヴェーダについての概念的な説明はありませんでした。個別には質問に応じて答えてくれましたが、アーユルヴェーダがともかくインドの人たちの生活を支えていることは感じました。
アーユルヴェーダ関係の施術施設は、インドの人たちは無料で利用できるようですし、地域地域にその土地にあったアーユルヴェーダがあるような印象を持ちました。
まさに病気を治す医療ではなく、人の生活を支える養生だと改めて感じました。

驚いたのは、いまもなお、「サンスクリット語」が学校で学ばれていることです。サンスクリット語は研究者のものだとばかり思っていましたが、いまもなおサンスクリット語で書かれた文献が読まれているということを私は知りませんでした。

話を聴いていて、思い出したのが新倉さんの「ふるさと薬膳」サロンでよく話題になる「身土不二」です。アーユルヴェーダとは結局はインドの身土不二ではないか、と思ったのです。
アーユルヴェーダには「医食同源」という考えがあると聞いていますが、アーユルヴェーダにとって食事はとても重要です。私の妻も以前、インドのアーユルヴェーダの医師の診察(脈診)を受けて、食事療法の指導を受けたことがあります。その時も、食事のレシピをもらいました。

そんな話から、参加者の一人からインドの土壌の汚染の話が出ました。
身土不二と言っても、その土壌が最近はひどく汚れているが、大丈夫だろうかというのです。

そこで思い出したのが、インダス文明はなぜ突如滅びたかに関する森本仮説です。

森本哲郎さんは著書『豊かさへの旅』の中で、こんな仮説を書いています。
インダス文明は、下水道など完備された清潔で安全な都市でしたが、ある時、突然滅んでしまった。一方、ゴミだらけだったベナレスはいまもちゃんとにぎわっている。そこで森本さんはこういうのです。きれいな都市にしようと片付けているうちに、じぶん(人間たち)をかたづけちゃったのではないか、と。
自然を汚しているのは、自然から離れた都市人間だという気づきです。人はそもそも自然を汚ごしたりはしないのです。自然にはごみなど存在しないのです。
「都市」はアーユル(生命)を排除する仕組みではないのか
こう考えると、汚れるとかごみとは一体何なのかがわからなくなる。私の友人がやっている有機農場では、ごみなど一切でない。見た目はともかく、みんな自然の中で、生きている。

すみません、脱線してしまいました。

もう一つ知らなかったことがありました。今も公式の申請書などには、カーストを記入する欄があるそうです。実態としてはともかく、制度的には消されていると思っていましたが、これも私の知識不足でした。カースト制度のゆえにインドではIT産業が急成長したという話もありました。

ところで、私が一番印象に残ったのは、けいたさんが持っている雰囲気です。参加者の一人が、後で「清々しいサロン」だったと感想を送ってきてくれましたが、その人も言うように、「確固たる目標を持って、しなやかな心持ちでインドで生活されている」ためか、けいたさんは、穏やかな雰囲気で包まれているような気がしました。
それがこれからどう変わっていくか。

けいたさんがインドでの学びを終えるのが何年先かはわかりませんし、その後、日本に戻ってくるかどうかもわかりませんが、できればインドでの学びの間、できれば毎年サロンを開催してほしいと思っています。
そのために、私もアーユルヴェーダの知恵を学びながら、養生に努めようと思います。

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報告はいつもながら私の主観でまとめていますので、けいたさんの意に反するところがあるかもしれません。その点はお含みおきください。

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■湯島サロン「アーユルヴェーダを学びながらインドで考えたこと」報告

また長く続くだろう新しいサロンが始まりました。

「アーユルヴェーダを学びながらインドで考えたこと」です。話題提供してくれたのは、昨年からインドの大学で、アーユルヴェーダを学びはじめた若者のかわさきけいたさん。1月にまたインドに戻りますが、帰国を機会にサロンをお願いしました。
勝手な私の構想では、毎年帰国する機会にサロンをお願いしたいと思っています。できればずっと。私が最後まで付き合えるかどうか、かなり危ういのですが。
というわけで、今回はそのプロローグです。

アーユルヴェーダは一般にはインド伝統医学と言われますが、アーユル(生命)のヴェーダ(知識)ですから、私たちが考える「医学」よりももっと広い意味を持っています。つまり、病を治す医療というよりも、生命を元気にする養生につながっています。しかもインド哲学の流れでは、この世界に生命でないものは存在せず、あらゆる「存在」のなかに生命は宿っているとされますので、一般的な意味での「生命の科学」よりももっと広い概念のように思います。

けいたさんは、なぜアーユルヴェーダを学びのインドに行くことになったのかから話を始めました。
高校3年の時、病気で3か月入院し、生きる意味も見つけられないほどの辛い体験をしたそうです。そこで西洋医学や東洋医学の限界も感じたようです。
そんななかで生きる意味を与えてくれたのが、好きなスキーをもう一度したいという強い思いだったそうです。「やりたいこと」が生きる意味を与えてくれた。そして、病を治すことに目を向けるのではなく、生きることに目を向けて病を超えたのです。

だからといって、すぐに医学を志したわけではありません。病気を克服した後、けいたさんはリベラルアーツを学びにアメリカに留学。そこで出会ったのがアーユルヴェーダだったそうです。帰国して、インドへの留学を決意。自分でインド政府の奨学金を探して応募し、昨年からインドの大学に留学。

さらに現地で学ぶうちに、もっと伝統の知恵を大切にしている大学を自分で探して、転校することにしたそうです。ここでも常に現状に飽き足らずに、先に進もうとしているけいたさんの「生命の躍動」を感じます。

けいたさんにとっては、「資格」を取得して活動することだけが目的ではないのです。私の誤解かもしれませんが、いまもなお「医学」を志しているわけではないのかもしれません。アーユルヴェーダに関しても、そこにはまってしまっているのではなく、ましてやアーユルヴェーダを「手段」にしようなどとは思っていない。ともかく今は、アーユルヴェーダを理解しようとしているような印象を受けました。

だから、これからけいたさんがどう変わっていくのか、に関心があるのです。そこからこれまでは見えなかったアーユルヴェーダが見えてくるような気がするのです。

インドの大学での留学生活はかなりハードなようです。世界各国からの留学生同士で集まって生活しているようですが、水も出ないような状況ですし、治安も問題がある。
加えてアーユルヴェーダの勉強はかなりハードで、最初の4年半は徹底的な座学中心だそうで、サンスクリッド語やヒンドゥ語のテキストも読まなければならない。そのうえ、いわゆる医学部的な勉強もしなければいけないのだそうです。

インド人との付き合いも大変なようです。「嘘」に関する考え方が全く違う。生活面では今のところさほど交流はないようですが、1年以上、インドで暮らしていると当然、いろんなことが見えてくるのでしょう。
そういう「さりげない話」が私にはとても興味深かったです。きっちりした報告や書籍からはなかなか伝わってきませんし、短期間の旅行体験報告からもたぶん伝わってこないからです。
しかし、けいたさんもまだ1年半。これからどう変わっていくかも興味あります。
今回はまあ、いわば第一印象と位置づけて聴いていました。

アーユルヴェーダについての概念的な説明はありませんでした。個別には質問に応じて答えてくれましたが、アーユルヴェーダがともかくインドの人たちの生活を支えていることは感じました。
アーユルヴェーダ関係の施術施設は、インドの人たちは無料で利用できるようですし、地域地域にその土地にあったアーユルヴェーダがあるような印象を持ちました。
まさに病気を治す医療ではなく、人の生活を支える養生だと改めて感じました。

驚いたのは、いまもなお、「サンスクリット語」が学校で学ばれていることです。サンスクリット語は研究者のものだとばかり思っていましたが、いまもなおサンスクリット語で書かれた文献が読まれているということを私は知りませんでした。

話を聴いていて、思い出したのが新倉さんの「ふるさと薬膳」サロンでよく話題になる「身土不二」です。アーユルヴェーダとは結局はインドの身土不二ではないか、と思ったのです。
アーユルヴェーダには「医食同源」という考えがあると聞いていますが、アーユルヴェーダにとって食事はとても重要です。私の妻も以前、インドのアーユルヴェーダの医師の診察(脈診)を受けて、食事療法の指導を受けたことがあります。その時も、食事のレシピをもらいました。

そんな話から、参加者の一人からインドの土壌の汚染の話が出ました。
身土不二と言っても、その土壌が最近はひどく汚れているが、大丈夫だろうかというのです。

そこで思い出したのが、インダス文明はなぜ突如滅びたかに関する森本仮説です。

森本哲郎さんは著書『豊かさへの旅』の中で、こんな仮説を書いています。
インダス文明は、下水道など完備された清潔で安全な都市でしたが、ある時、突然滅んでしまった。一方、ゴミだらけだったベナレスはいまもちゃんとにぎわっている。そこで森本さんはこういうのです。きれいな都市にしようと片付けているうちに、じぶん(人間たち)をかたづけちゃったのではないか、と。
自然を汚しているのは、自然から離れた都市人間だという気づきです。人はそもそも自然を汚ごしたりはしないのです。自然にはごみなど存在しないのです。
「都市」はアーユル(生命)を排除する仕組みではないのか
こう考えると、汚れるとかごみとは一体何なのかがわからなくなる。私の友人がやっている有機農場では、ごみなど一切でない。見た目はともかく、みんな自然の中で、生きている。

すみません、脱線してしまいました。

もう一つ知らなかったことがありました。今も公式の申請書などには、カーストを記入する欄があるそうです。実態としてはともかく、制度的には消されていると思っていましたが、これも私の知識不足でした。カースト制度のゆえにインドではIT産業が急成長したという話もありました。

ところで、私が一番印象に残ったのは、けいたさんが持っている雰囲気です。参加者の一人が、後で「清々しいサロン」だったと感想を送ってきてくれましたが、その人も言うように、「確固たる目標を持って、しなやかな心持ちでインドで生活されている」ためか、けいたさんは、穏やかな雰囲気で包まれているような気がしました。
それがこれからどう変わっていくか。

けいたさんがインドでの学びを終えるのが何年先かはわかりませんし、その後、日本に戻ってくるかどうかもわかりませんが、できればインドでの学びの間、できれば毎年サロンを開催してほしいと思っています。
そのために、私もアーユルヴェーダの知恵を学びながら、養生に努めようと思います。

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報告はいつもながら私の主観でまとめていますので、けいたさんの意に反するところがあるかもしれません。その点はお含みおきください。

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2024/12/16

■脳の腐敗 brain rot

日本は今年の漢字に「金」を選びましたが、オックスフォード英語辞典の出版社は今年の単語に「脳の腐敗」(brain rot)を選んだそうです。今朝の朝日新聞の天声人語で紹介されています。「取るに足らない、特にオンラインコンテンツの過剰消費による精神状態や知的能力の低下」と定義されているそうです。
知識は、脳を腐敗させると、私もこの頃、痛感しています。

私の脳も、かなり腐敗しているのでしょうね。

困ったものです。

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■節子への挽歌6203:間違いメールが届きました

節子

昨日、7年ほどご無沙汰していた人からメールが届きました。
最初はすぐに思い出せないほどの人で、7年前に一度、ある相談で湯島に来てお会いして、以来、ほとんど付き合いのなかった方です。
何だろうと不審に思って、開いたら、あて先が間違っていました。
その人の別の友人に出したメールでした。
幸いに特に誰かに見られて困るような内容ではありませんでした。

その方は、いまは地方の大学の教授をされていますが、確か博士論文をもとにした書籍が出ていて、私もそれを私のホームページなどで紹介したことがあります。
医療関係の書籍ですが、私もいろんなことを学ばせてもらった書籍で、高価だったので自分では買えずに図書館に頼んで買ってもらったことを覚えています。
その話を一度、サロンでしてほしいと思ったのですが、地方の大学に行くことになったので、実現しませんでした。
まあそんなことがあったので、一度しかお会いしていないにもかかわらず、名前を憶えていたのです。

間違って届いたことをお伝えし、またいつか機会があれば湯島で話してほしいと伝えました。彼女からも丁寧なお詫びのメールが届きました。

まあそれだけの話なのですが、こうしたちょっとした間違いが、生物を進化させ、人生を変えるきっかけになっているのだろうなと、思ってしまいました。
同時に、これはもしかしたら、意味がある間違いかもしれない、とも。

いま湯島のサロンでは、虚構とか嘘とか間違いが大きな話題になっています。
そんな時に起こった、ちょっとした間違い事件。
これがもしかしたら、何か新しいことにつながるかもしれない、と思うと、実に人生は面白いです。

今朝の日の出は素晴らしい陽射しを発しています。
幸いに体調は順調に戻っています。
ただまわりでは、またまたいろんなことが起こり、私の代わりに誰かが病を引き受けてくれているのではないかと思ってしまうほどです。

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2024/12/15

■節子への挽歌6202:今年の漢字は「狂」と「幸」

時評編の書きましたが、今年の漢字がまた「金」になりました。

それに関して「嫌な時代だ」という趣旨で批判したのですが、それを読んだ人が、「ではあなたにとっての今年の漢字は何ですか?」とコメントがありました。
そもそも、今年を一文字にするなどという趣味は私にはまったくないのですが(むしろそのことも批判したつもりですが、まったく伝わっていないようです)、 あえて言えば、社会に関しては「狂」、自分に関しては「幸」と返信しました。

「狂」に関しては説明するまでもなく、今年はもう狂ったようなことばかりが頻発した気がします。

それはともかく、私に関してはどうなのか。
ユカに聴いたら、それはもう「病」とか「災」なんじゃないのと即答されました。
たしかに今年は、病院通いで、入院も2度もしましたし、カ月ほどのがんセンター通いもしました。調子も悪い状況が続いていた。
ユカが言うのも理解できます。

でもどうも違うのです。
むしろ私の場合、そうしたことを通して、たくさんの人たちの支えやエールを実感しました。ユカにも本当にお世話になった。
そうした、他者の支えや善意を改めて実感した年だったのです。
であればむしろ「災」ではなく、「愛」とか「幸」がふさわしい。
でも「愛」というとよくわからなくなってしまう。
それでやはり「幸」なのかと思ったのです。

今年の私は実に幸せだった。
節子の最後も、きっと幸せだったに違いない。
そんな気さえしだしました。

来年はおそらくもと幸せな年になるでしょう。

 

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■節子への挽歌6201:案じられると案じたくなる

節子

昨日は小宮山さんと2人だけで久しぶりにゆっくり話しました。
ふたりとも8月に入院、その後、それぞれいろいろと問題を抱えているのですが、幸いに2人とも底を脱しているように思います。
小宮山さんとは長い付き合いですが、以前はよく言い合いましたが、最近は言い合いが全くなくなりました。

ふたりでゆっくりと会う時は、いつも西日暮里の喫茶室“ルノアール”です。
ちょうど2人の真ん中なのです。
問題は、いつも小宮山さんがコーヒーをご馳走してくれるのですが、いまやそれが当然のようになってしまっています。

そのせいでは全くないのですが、小宮山さんの「人の良さ」がこの頃よくわかってきました。
自分の身心が大変なのに、いつも私を心配してくれるのですが、その心配の仕方や安心の仕方が、実に素直なのです。
今回も別れ際に、ほんとによかったと、つぶやくように言いました。
その一言で、いろんなことがすべて吹っ飛んでしまうような気になります。

全く人の気持ちもわからない独りよがりの人だと、つい最近まで時々思っていましたが(だからといって嫌っていたわけではなく、そこがある意味、小宮山さんの良さでもあったのですが)、ふたりが入院した頃から関係が大きく変わった気がします。
やけに私を案じてくれるのです。
案じられると案じたくなる。
自分が変われば相手も変わる。
むかし盛んに私がいっていたことですが、相手が変われば自分も変わる、ともいえる。

人の関係は実に面白い。
小宮山さんのために、彼の希望をまたかなえたくなりました。
苦労するだろうなとは思いますが、まあ小宮山さんにはたくさんの恩がありますから。

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2024/12/14

■節子への挽歌6200:毎月届く聖教新聞

節子

たぶん節子が逝ってしまってからですが、なぜか毎月1回、聖教新聞が届きます。
そこには、聖教新聞贈呈いたします」と書かれ、配達員の名前も書かれています。
なぜ私が対象になったかの心当たりはあります。
もうずっと前の会社に勤務していた時代のことですが、仕事の関係で会社で全国紙をすべて読んでいました。ただ抜けていたのが2紙ありましたが、いささか特殊の新聞なので会社では対象に入れてもらえませんでした。それで個人で行動くすることにしたのです。それは「赤旗」と「聖教新聞」です。

会社の仕事が変わった後は購読をやめましたが、たぶんその時の配達員がこの方だったのだろうと勝手に思っていました。
配達された聖教新聞は、読まずに廃棄していました。
読まないのであればお断りしたらいいという意見もありますが、私の発想では、善意で配布されたものは「受け取ること」でこそ、相手に報えるという、「布施」の発想が強いため、読まないにもかかわらずずっと受け取っています。私は、誰かが何かを下さったら、それを受け取るのが相手への礼儀だと思っているのです。

ところが今朝、聖教新聞に「一期一会」と書いた封筒がついていて、そこに手紙が入っていました。
こういう書き出しの手紙です。

前略、私事ですが。妻を亡くして早や12年になります。

そして「妻との約束」で、聖教新聞の配達をしていると書いてありました。
しかもこの方は、いまなお別の社会活動もされている人でした。
おそらくわが家の近くにお住いのはずです。
それに私とほぼ同世代です。

会いたくなりました。
年内に会おうと思います。

ちなみに今の創価学会の会長は私の大学時代の同級生です。
付き合いはありませんが、この人は会ったことがあるかもしれません。
どんな物語がまた始まるか。

最近また、いろんな出会いが始まっています。

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■節子への挽歌6199:できることでベストを尽くせばいい結果は出る

節子

昨夜も何とか無事に過ごせました。
もう魂魄分離状況は克服できたようです。
睡眠もかなり改善されてきました。

ただこの数日、魂魄分離で動きが極めて鈍くなっていたため、取り組みが遅れていることもあって、昨夜は夜中にそれに気づいてちょっと眠れなくなりました。
その一つは118日に予定している我孫子での講演会です。
まだ案内文もできていません。
今月上旬には完成させて案内を開始する予定だったのですが、全くの手つかず。
困ったものです。

でも、そういうことをいちいち考えていたら、身が持ちません。
ともかくできることでベストを尽くせばいい結果は出るでしょう。

そういう生き方をしてきての今です。ただ、困ったときの「節子頼み(逃げ?)」という救済策が以前はありましたが、いまはもうありません、最後まで自分で責任を取らなければいけません。
一人で生きるのは大変だと思うのは、こういう時です。
でも、いまはもう社会全体が私の問題をシェアしてくれるのではないかと幻想に依存できるようになりつつある。最後はそこまで開き直れるようになってきました。

とはいうものの、やはり気になると気になってしまう。
今日から3日連続のサロンです。しかもサロンの前に、毎日、約束がある。
動き出せるのは4日後からです。
でもまあ、どうにかなるでしょう。
いつも私にはお天道様がついていてくれますから。

今朝の日の出はすばらしい日の出でした。

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■使っていないパソコンがあったら寄付してくれませんか。

湯島のパソコンが古いため動きが遅くなってしまいました。
プロジェクター映写などに使う程度なのですが、最近はいささか不便になってきました。

それでお願いなのですが、組織で使っているパソコンなどで、更新のため廃棄処分するようなパソコンが発生したら、湯島に寄付してもらえないでしょうか。
主にプロジェクター映写時などに使うため、オフィスなどのソフトは入っていなくてもいいです。

急ぎませんので、もし廃棄処分PCが出たら、よろしくお願いします。

 

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2024/12/13

■今年の漢字が「金」とは!

今年の漢字がまた「金」になったそうです。

嘆かわしいというよりも、実に腹立たしい気がします。
テレビで、巨大な和紙に揮毫している清水寺の森貫主が、悪魔の強欲僧に見えてしまいました。あの書き方も気に入りませんが。森貫主には信念というものがあるのでしょうか。宗教者としては、あるまじき行為ではないかといつも思っています。

 こんなことを言うと、偏狭者と言われるでしょうが、日本漢字能力検定協会もこんな「世論」をあおるようなイベントではなく、しっかりした「輿論」を育てるような活動にしてほしいものです。

 私は、「金銭」や「金メダル」が好きではありません。
金銭からできるだけ自由な生き方をめざしていますし、金メダルのような評価制度には背を向けていきたいと思っています。
ますます偏狭者と嫌われそうですが。

 もちろん色としての「金色」も好きはなれません。
そんなわけで、「金」が象徴する世相は、私にはまったく合っていません。

困ったものですが。

 

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■節子への挽歌6198:3つの首を温めてください

節子

昨日、昨年からインドでアーユルヴェーダを学んでいる若い河崎奎太さんにサロンをしてもらいました。
インドの苛酷な生活環境の中で厳しい勉強を続けているにもかかわらず、実にさわやかな雰囲気に包まれているのに、参加者みんなが感心しました。
さわやかなだけではなく、強い自分を持っています。

サロンの報告は改めて時評編に投稿しますが、彼からサロン終了後、お礼を兼ねてのメールが来ました。
そこに、

くれぐれも、お身体にはお気をつけください。
個人的にですが、体の内部や3つの首を温めることをお勧めします。

と書かれていたのです。
身体を温めることは、この1年、気をつけていますが、改めて3つの首を温めることに気を向けようと思います。

それにしても今日は寒いです。
やはりこたつが欲しいですね。

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■節子への挽歌6197:魂魄は一致したようですが……

節子

今日ん寒さは特別です。
1月並みの寒さだそうです。
散歩はやめて在宅で、怠惰にしています。

ところで体調ですが、昨日につづき、今日もあまり魂魄のずれを意識しません。
どうも戻ったようです。
昨夜は何と3回しか目が覚めず、久しぶりに眠ったという感じです。
しかも8時近くまで寝てしまいました。
朝のルーチンは崩れましたが、体調の違和感が消えたようです。
なにはともあれ、うれしいです。

ただ新しい問題も起こってしまいました。
実は10時ころ、遅い朝風呂に入りました。
昨夜は寝たはずなのに、入浴中に睡魔に襲われ、どうもまた寝てしまったようです。
30分以上たって、ハッと気づいて立ちあがったらおかしくなってしまいました。
浴槽の外でしばらくお尻をついて座っていました。

そのうち、外からユカが大丈夫かと声をかけてきました。
なんとか服を着て、お風呂から出ましたが、気持ちが悪くなってしばらくや死んでいました。
お風呂で死ぬ人は多いので気をつけろとユカにまた言われました。
しかし魂魄のずれが解消した途端にこのありさま。困ったものです。

気をつけなければいけません。
明日から湯島サロンが3連ちゃんです。
体力の劣化をもっと意識しなければいけません。
でも今朝、こんなメールも届いているのです。

師走もの半ば、どうぞご自愛くださいませ。
そして来年もパワーアップして、様々なサロンを開いてくださいませ。

さてさて。

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2024/12/12

■節子への挽歌6196:ん!? 元に戻った?

節子

昨夜はめずらしくトイレに3回しか起きませんでした。
そのうえ、寝坊までしてしまいました。
久しぶりに、寝たなという感じで目が覚めました。
昨日の墓参りの効果でしょうか。

そのうえ、パソコンを開いたら、うれしいメールが何通か届いていました。
めずらしく、うれしくないメールはゼロ。
残念ながら気になっていた音信不通の3人からのメールはありませんでしたが。

そういえば、気のフェイスブックに投稿した「憑依された?」の反響は多く、電話までかかってきました。気楽に投稿してはいけないと改めて思いましたが、まあ、この性分は直りません。困ったものですが。

魂魄のずれもなんだか今日は感じません。
まあまだ朝なので気は許せませんが。
でもお墓参りの効用ってあるものですね。
もしかしたら、この「悪さ」は節子が原因かなと思ってしまいます。
節子も、そろそろ待ちくたびれたのでしょうか。
でも彼岸では、時間概念はなくなると聞いていたのですが。

さて今日は20代の若者のサロンです。
サロンで元気をもらって来ようと思います。

気持ちの良い朝です。
寝坊してしまいましたが。

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2024/12/11

■節子への挽歌6195:お墓に行って、身心の回復をお願いしてきました

節子

2カ月ぶりくらいになるでしょうか、墓見舞いに行ってきました。
年末が近いので、お墓掃除にはまた行きますが、今日は、私の身心の調子がどうもすっきりしないので、それを治しに急に思い立ったのです。何しろ今ダウンするわけにはいきませんので。

お墓に線香をあげて、般若心経を唱え、身心のお祓いを頼みました。
残念ながら何も変わらない。
自宅で相変わらず不調に落ち込んでいたら、友人からメールが届きました。

本当にご無沙汰しております、私も全身麻酔で***手術を4月にしました、痛み止めのモルヒネで別世界を観て乖離する自分自身を体験しました、6ヶ月のリハビリをして歩けるようになりました。(中略)だからすごーくわかります、身体が分離して脚がどこかに行ってしまってる感じとか、ずーと脚が後から付いてくる感じ、魂魄考えました.(後略)。

ずっと気になっていた人です。
私よりもずっと大変そうです。
でも私の状況を分かってくれる人がいたのが、実にうれしい。
ちょっと元気が出て、散歩に出かけようという気分になれました。
そして散歩に出かけたら、またいいことがありました。

でも何かが憑依しているのか、足が重くて、途中でついつい座って休みたくなったほどです。
家に着いたら、陽が陰りました。
やはりお天道様は私を応援してくれています。

魂魄のズレぐらい、自分でどうにかできるでしょう。
前に向かわないといけません。

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■節子への挽歌6194:なぜかこれまでのことを思い出していました

節子

魂魄のズレの状況は少し薄れましたが、少しなくなってきましたが、今も歩いていると突然足がポキっと折れたようになったり、肩がなんだか飛んでいくようになったり、手の先が一人で動き出すような感じになったりします。
特に足には気をつけないといけません。階段や駅のホームではこれまで以上に気をつけています。

先日、人気の高い俳優がお風呂で不慮の死を遂げました。
コロナワクチンの影響ではないかといううわさが流れていますが、それはともかくユカからお風呂に2030分使っているのは危険だよと言われ、最近は入浴前に水を飲むようにしています。
というように、最近は私もかなり注意はしているのです。

しかし夜眠れないのは結構、辛くて、最近は夜が怖いほどです。
就寝時間も1時間遅らせましたが、事態はあまり変わりません。
昨夜も眠れない夜でしたが、なぜかいろんなことが次々と思い出されてきました。
それは起きてからもつづき、いまも20分ほど湯船につかりながら考えていました。
まるで、死の直前に走馬灯のように人生が思い出されるというような感じです。
これが「魂魄分離」の影響でしょうか。

私自身は、なぜかみんなに支えられた人生でした。
先日会った友人は、佐藤さんの祖先にきっと有徳の人がいて、佐藤さんはその恩恵を受けているのだというようなことを話していましたが、そうかもしれません。
しかし、その有徳な人からもらった「大きな資産」をきちんと「恩送り」できているかどうかは疑問です。無駄に散財しているような反省があります。

それをしっかりと私に気づかせてくれたのが、もしかしたら、節子なのかもしれません。
昨夜から断続的に浮かんできた私の人生の長い走馬灯の最後に出てきた思いがそれでした。
なんだかおかしな気分で、今日は湯船から出て、すぐパソコンに向かって、これを書いています。
なんだか今日もまたおかしな1日になりそうです。

兄の見舞いにでも行こうかと思っていましたが、節子の墓参りの方がよさそうです。
最近、さぼっていますし。
ユカに頼んで、お墓に見舞いに行ってこようと思います。

今朝は冬空。重なった雲の上に、日の出が少し見えてきました。
仏壇の大日如来の祈りもしましたが、この日の出にも祈ろうと思います。
何しろ最近、祈りの時に思い出す人が増えてきましたものですから。

日の出の写真を撮ったら、アップしましょう。

20241211000

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2024/12/10

■節子への挽歌6193:何とか元気を回復

節子

今日は朝からグダーっとしていました。
魂魄のずれからの違和感がもう何と言えないイライラをもたらしますし、上向いていた前向きの気分もちょっと萎えてしまっていたのです。
困ったものです。

しかも私のフェイスブックの投稿記事に、思ってもいなかったコメントが書き込まれました。
しばらくコメント書き込みがなかった、元気なOさんから、「誕生日にすい臓がんの宣告を受け入院中」という書き込みがあったのです。
気が萎えているときに、こういうニュースはこたえます。
どう反応していいかわからない。
返事はしたものの、ますます気が滅入ってきてしまいました。

幸いに、日差しの強い快晴で、すばらしい青空でしたので、その日差しを浴びながら、ぼーっとしてたら、寝不足だったせいもあって、うだうだと過ごしていました。

11時近くにあるメールが届きました。
そして電話がかかってきました。
とても具体的な相談です。
こんなに怠惰にしているわけにはいかないという気分になり、それが契機で、動き出せました。すぐにある人に電話して、問題を処理。ようやくうだうだ状況から抜け出せました。

午後は散歩にも出かけることができました。
久しぶりに手賀沼の遊歩道を歩きました。
何とかまた落ち込むのは避けられたようです。

さて明日からはまたルーチンを戻したいです。
朝の祈りに、Oさんへのエールも加えなければいけませんし。
うだうだなどしているわけにはいきません。

そういえば、途中で電話した小宮山さんは、自分も大変なのに、私を気遣ってくれて、修さんが元気にならないとね、と言ってくれました。
小宮山さんを見習わなければいけません。
まあ、その小宮山さんとも会うことにしました。

今日は何だかよくわからない1日でした。

 

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■節子への挽歌6192:今日も寝坊してしまいました

節子

昨日はいろいろあって、つかれました。
前の挽歌を語ときには、元気だったのですが、その後、ドサッと疲れが襲ってきてしまいました。

ケーキミーティングの後、箸学会の事務局の3人がやってきました。
箸技サロンは2時からなのですが、その前に、コミーの箸技ゲームのzoomミーティングがあって、それを湯島からやったのです。
久しぶりに私も顔だけ出させてもらいました。
画面を通してですが、いろんな人に会えました。
残念ながら社長も副社長も不在のようで、会えませんでしたが。

2時からの箸技サロンには、別件が重なって参加できなかったのですが、ぎりぎりまで湯島にいて、参加者に会いました。
ちょっと相談に乗ってほしいなと思っていた人には会えませんでした。
ここまではとても順調で、元気が戻ってきていたのですが。

2時からは、湯島が使えないので上野で、相談に乗りました。
ちょっと公開のこの場には書けませんが、私の苦労など些末なことだと思えてしまうような話でした。
なんとか先が見えて気もしますが、疲れてしまい、帰宅したらもう動けないほどでした。

しかしもっと大きな疲れが出てきたのは、早目の夕食をしてからですが。
辛い夜でした。

というわけで、また今朝の挽歌も書けませんでしたが、今日もまたいろいろあったおかげで夕方になってようやく落ち着きました。
でもまあ、私は何もない平和な毎日よりも、いろいろある疲れる毎日のほうが性に合っているのかもしれません。

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2024/12/09

■節子への挽歌6191:ケーキミーティング

節子

今月になって初めて、湯島に出かけました。
最近の湯島は、いろんな人が活用してくれるので、私が行かなくても大丈夫なのです。

今日はまず、新しいスタイルのサロンを午前中に開催しました。
主催は私ではありません。阿部さんと升田さんのケーキ好きのふたりが始めた「ケーキミーティング」。ある「事故」を升田さんに食い止めてもらったお礼に、阿部さんが升田さんにケーキをご馳走することになり、そのお相伴に私も預かったのですが、それを契機になぜか定例化してしまったのです。そのミーティングに、私の提案で阿部さんの伴侶の和子さんも誘ったのです。

2時間の予定が話が弾んで、3時間近くなってしまいました。
とても気持ちのいい場なので、ここに次回からちょっと気になる人を招待しようという提案をさせてもらいました。この場に来れば、誰もがきっと明るくなるでしょう。そういうサロンを増やしたいのです。

それを契機に、いろんなスタイルのサロンの話題になり、たとえば、毎日一人で食事をしている人を対象にしたランチ・サロンをやることになりました。
他にもいろんなサロンの話が出ました。
来年から、どんなサロンが始まるか楽しみです。

ちなみに、私自身は、ケーキは好きですが、最近はあまり食べる気にはなりません。
食費にも事欠く人がいる一方で、そういう人にとっての食費よりも高価な、時には数倍もするケーキを食べることに罪悪感を持ってしまうのです。
ですから私は、そのケーキ屋さんでは一番安いシュークリームを所望しています。それでも300円なのです。まあその程度であれば、許してもらえるでしょう。ちなみにケーキを買ってくるのは、阿部さんですので、私の負担はありません。

でも今日はさらに、升田さんが美味しいパンを買ってきてくれました。
有名なパンです。たしかにおいしい。でもやはりいろいろと考えてしまいます。
しかし、たまにはこうした贅沢も許されるでしょう。もちろん許すのは私なのですが。

とまあ、こんな感じで、今日の一日が始まりました。
つづいて、いろいろとあって、結局、今日は10人以上の人と話しました。
そのおかげで気分はかなりすっきりしました。
まあ悩ましい問題もまた少し抱え込んでしまったのですが。

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■節子への挽歌6190:魂魄のズレ

節子

またまた寝坊です。困ったものだ。
でもまあ日の出には間に合いました。
今日もいい天気になりそうです。

豊田さんからの突然の電話の後、もう一件、一度会いたいなと思っていた人とのつながりができました。
人のつながりの不思議さには驚きます。

それはそれとして、相変わらず身心のズレ感はなくなりません。
結局、昨日の午後は散歩に出かける気にはならず、自宅でうだうだしていました。

加えて夜が眠れない。
最近は夜が怖いくらいです。

だいぶ良くはなっていますし、会う人からは何だ元気そうじゃないかといわれますが、身心の違和感の不快さが時々襲ってくるのです。まあ儒教的に言えば、心の魂と身体の魄、つまり魂魄が分離しているような感じが時々起こってしまう。
魂魄が分離したら、それこそ「死」ですが、そんな状況に襲われるのです。
苦痛はないのですが、言いようのない違和感に襲われてしまう。

さてさてどうしたものか。
まだ私自身に「生」に対する迷いがあるのかもしれません。

でも今日はいい天気です。
久しぶりに湯島に出かけます。

 

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2024/12/08

■節子への挽歌6189:まさかの豊田さん

節子

うれしいことが起きました。
天気がいいのになにか不調で、家でうじうじしていたのですが、電話が来ました。
もう20年以上前に熊本に行って、その後、連絡がほぼ途絶えていた豊田さんからでした。
彼は3.11の後、熊本に転居しましたが、我孫子で一緒に活動を起こしだしていた矢先でした。そんなに親しかったわけではないのですが、ずっと気になっている一人です。
彼となら、一緒にあることができるかなと思っていたので、残念でしたが、3.11の後、我孫子はかなりの放射能汚染地になったので、知人の何人かは移住してしまいました。

どうして今ごろ? もしかしたら我孫子に戻って来たのかと思いましが、いまも熊本でした。どうして電話してきたのと訊くと、隣に川端修平さんがいますよ、というのです。
修平さんは、今月から熊本に移住、その後連絡がないので、そろそろ連絡しようかと思っていた矢先です。今朝も思い出していたところです。
この2人、知り合いだったのかと一瞬思いましたがそんなはずはありません。
訊けば、今日、たまたま教会で会ったのだそうです。そして私の名前が出た。

こんなこともあるのですね。
20年ぶりの彼は、3月に我孫子に一度来るそうです。
その時会えるかもしれません。
うじうじしていた気分が一瞬に飛び去りました。さて、誰もいないので、抜こうかと思っていた食事にしましょう。

午後からは散歩にも行けるかもしれません。

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■近藤サロン⑤「トゥルースとフェイク」のご案内

近藤和央さんの「『利己的な遺伝子』論から眺める人間論」の5回目は、前回に続き、「トゥルースとフェイク」をテーマにします。

前回、近藤さんは、「ポストトゥルース」(リー・マッキンタイア)と「だからフェイクにだまされる」(石川幹人)の2冊をベースに、議論のための視点を整理してくれましたが、今回もこれをベースに話し合えればと思います。

私の感じで言えば、最近は、あまりに「トゥルース」、真実が主観化してしまい、社会的な共通基盤が失われだしています。
ですから、他者と話していても、時々、話し合っている基盤が全く違うなと感ずることさえあります。
みんなに共通の基盤を与えるはずの「科学の知」と「臨場の知」さえも、いまやシェアされない時代になってしまいました。私にとってのトゥルースが話している相手にとってはフェイクなのです。
言葉のやりとりはできるのですが、まるで違う世界に住んでいるようで、思いのやりとりは難しい。
そんな時代をどう生きればいいか。そのヒントが得られればと思います。

なお、今回は新たに参照本として、石戸諭さんの「ニュースの未来」と「ルポ 百田尚樹現象 愛国ポピュリズムの現在地」を、認知バイアスを踏まえて、にわかには正解がわからないことに耐えつつ真実に接近する方法論を模索している、という意味で、紹介してくれました。もし、関心があればあらかじめ読んでおいてください。

いつもいうように、近藤さんのサロンは、思索的なサロンですので、どういう方向に展開するかは当日の参加者次第で大きく変わっていきます。しかし、その基底には「進化論」と「生命論」が置かれていますので、自らの生き方につなげながら考えていくことのできるサロンです。

思考の遊びを楽しむつもりで、ぜひ気楽にご参加ください。 
きっと世界が広がると思います。

〇日時:2024年12月16日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「トゥルースとフェイク」
〇話題提供者:近藤和央さん(進化論ファンのneo studier
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

 

 

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■節子への挽歌6188:気になる2人

節子

気になる人がいます。
一人は若者、一人は私よりも高齢者。

最近、夜どうも目が覚めて眠れないのですが、そういう時に、いろんな人の顔がよぎります。
節子の知っている顔もあれば、知らない顔もある。
幸せそうな人の顔はあまり出てきません。
しかも出てくる顔は決まっている。
だいたい20人くらいの人が、代わり代わりに登場する。
そこでいつも、その一人を掴めて、いろいろと考えてしまう。
連絡すべきかどうか。
そして時々、連絡しますが、ほとんどが返信がない。
メールが届いているかどうかもわからない。

昨日は2人の顔が浮かんできて、眠れないままにずっと考えてしまいました。
思い切って若者にメールしました。
届く保証はない。
彼は両親と和解できただろうか、両親の身体を揉んであげただろうか。
彼とは2回しか会っていませんが、もう少し聞いておけばよかった。

もう一人は節子も知っている私よりも高齢な友人。
その生き方は見事で、私も大変お世話になった方です。
時々、湯島のサロンに顔を出してくれていましたが、この1年音沙汰ない。
連絡すべきかどうか、迷います。
いまは「悪いニュース」に耐えられる自信がない。
もう少し様子を見ようと思います。

若いほうの友人から返信があるといいのです。
太陽の姿が見えないと、どうも元気が出ません。
今日はまた寒いそうです。

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■節子への挽歌6187:こたつが欲しい

節子

寒くなりました。
こたつが欲しい季節です。

にも書きましたが、わが家はリフォームしたためにいま和室がありません。
ですからこたつを処分してしまいました。
しかしやはり私はこたつが好みです。

節子と一緒に暮らしだした冬、お金がないこともあった、小さな2軒続きの貸家で一冬過ごしました。隙間風が入り、しかも隣の部屋との壁は薄く、音がよく聞こえるような感じでした。日当たりも全く悪い。
暖房機も買えず、テレビもなく、2人でこたつに入ってミカンを食べていました。
急に同棲することになったので、まあ大変な冬でした
もっとも自宅にいることはほとんどなく、休日はいつも京都か奈良に1日中出かけていました。
まさに「神田川」の世界でした。

正月に、両親の了解を得るために、それぞれが自宅に帰りました。
まあなんとか了解を得たものの、節子の実家での結婚式はやる羽目になりました。私の両親は、私を説得できないことを知っていたので、あきらめていました。いま考えると、私は親不孝者だったのです。独りよがりに生きていました。

その後、すぐに社宅に入ることができ、さらに5月には東京に転勤になりました。
ですから、その隙間風の多い部屋でのこたつ生活はひと冬の体験でしたが、まあ楽しい生活でした。

ということもあって、こたつにはいろんな思い出もあるのです。
節子がいなくなってから数年の冬は、いつも和室のこたつで引きこもっていました。

やはりこたつが欲しいですね。
ユカを何とか説得して、一度、こたつを見に行ったのですが、いまや部屋が狭くて、置く場所がないのです。
でもこたつがほしい。
そんな季節になってしまいました。

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2024/12/07

■節子への挽歌6186:久しぶりに友人とランチでした

昨日、挽歌を頑張って毎日2つ以上書こうと書いたとたんに今朝、書けなくなってしまいました。

どうも決めると守れなくなるという一面が私にはあるようです。
困ったものです。

今日は、時評編にも書きましたが、明日の我孫子を話し合う」あすあびサロンの5回目でした。
参加者はなかなか増えずに、今日も8人で滋賀、あでもうれしいことが毎回起こります。

サロンが終わった後、久しぶりに宮内さんと林さんとでランチをしました。
宮内さんは、土日はいつもどこかに呼ばれて演奏をしていますのですが、今日は時間が合ったので、宮内さんから誘われました。
なかなかゆっくりと話す時間がないので、私が入院の時に見舞いに行こうと言ってくれたのですが、残念ながら今の病院は面会は難しいのです。

節子は宮内さんのことは知りませんね。
宮内さんは、節子を見送って元気をなくしていた私を、一度ならず、音楽仲間を連れて元気づけに来てくれたのです。

考えてみると、私は当時、ひどい状況でした。
いろんな人が、私をそういう状況から引っ張り出してくれたのです。
それも、宮内さんのように、それまで私の付き合いがなかった人までも、がです。
不思議といえば不思議です。

実は最近どうもまた調子が悪いのですが、もしかしたら最近、友人知人と話をしていないことが一因かもしれません。
今日はサロンでいろいろと話したのも含めて、久しぶりにゆっくりと会話を楽しみました。
やはり私は誰かと話すと元気になるようです。

明日からは挽歌をしっかり書くつもりです。

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■第5回あすあびサロン報告

今日は第5回あすあび(あすの我孫子を考える)サロンでした。

前回に引き続き、参加者が「我孫子をもっと魅力的なまちにしていくためにこんな活動をしている/したい」ということを出しあって、話し合いました。
参加者は8人と少なかったのですが(風邪や体調不良で3人の申込者から辞退がありました)、新しい参加者もあり、少しずつ輪が広がっています。

今回は前回、発表があったものを改めて報告したうえで、前回参加していなかった人から、新たな活動を発表してもらいました。

ちなみに、前回発表があった一部を紹介します。
・行政活動への関心を高める活動をしたい
・誰もが気楽に子どもたちの居場所づくり
・我孫子の歌を広めたい
・請願権活動(住民と行政がしっかりと対話できる場づくり)
・スワンボートを活かした手賀沼公園の魅力向上
・保育活動に関わるシニア層を増やす(シニア対象の保育士資格取得支援)
・我孫子の伝統野菜づくりと食への関心を高める活動

今回は、消防団活動や祭礼に長年関わっている人が参加し、そうした活動や最近の小学校での取り組みなどを紹介してくれたほか、手賀沼の立地を生かした一味違ったシェアードオフィスや起業家支援センターのようなものをつくりたいという提案もありました。
また、最近、我孫子の大学生と高校生が中心になって制作した映画「それでも、夢を。」の音楽をプロデュースした宮内さんが、若者たちの思いの強さを紹介してくれて、そうした若者たちの活動を支援するチームがあるといいという話をしてくれました。宮内さんは、すでに長年そうした活動をしていますが、もっといろんな人をつなげていくという提案です。
さらに前回も話題になりましたが、最近増えている外国人との共創事業の提案もありました。

いずれもまだ「アイデア」段階ですが、こういう場で言葉にしながら、みんなで知恵を出し合いながら、実現に向けて進んでいければと思っています。

また前回もそうですが、今回もすでに取り組んでいる活動の話もいろいろと出ましたが、活動を知っているとしてもその内容までは意外と知らない人もいて、そういう活動がこれまでとは全く違う視点から、新たな展開へとつながっていく可能性も感じました。
市民活動は、ともすると、同じ思いを持つ人たちによる「タコつぼ」化に陥ります。そうなると世代交代も難しくなる。そうならないために、いろんな活動に取り組んでいる人たちのゆる~いつながりはやはり大切です。

このサロンの母体になった「我孫子まちづくり編集会議」が開催している「やりたいこと呼びかけフォーラム」も来年春に開催を予定しているので、それに向けて、いろいろと提案のあったいずれかをプロジェクト提案できるように育てていければと思います。

なお次回は、ちょっと趣向を変えて、手賀沼の対岸の沼南町で活動している杉野光明さん(すぎの梨園先代園主/山崎弁栄上人縁者)にお願いして、手賀沼の魅力を、ちょっと違った視点(地域は思想を育むか)から話題提供してもらい、参加者みんなで話し合うサロンにしたいと思っています。
2025年1月18日(日曜日)の午後1時半~4時を予定しています。
内容が決まり次第、またご案内させてもらいます。

来年もゆっくりと、人のつながりの輪を広げ深めていきたいと思います。
参加してくださる人のご連絡をお待ちします。
なおこのサロンでは、我孫子の住民や我孫子のまちに関心のある人は、立場や年齢をこえて、全く対等に扱います。ぜひいろんな立場の方の参加をお待ちしています。

 

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2024/12/06

■節子への挽歌6185:頑張って追いつくことにしました

節子

挽歌のナンバーは、節子を見送った日が1で、それから原則毎日ひとつを書くようにしていました。
しかし時に挽歌を書けずに至り、書かずにいたりしたことが何回かあって、いまはもう100前後のずれがあると思います。

まあ無理して合わせることもないのですが、やはり番号がずれているのはすっきりしません。いつもは命日には合わせるようにしていたのですが、今年はあまりにかけ離れてしまったこともあって、無理でした。
でも最近の感じからは100番くらいのずれは頑張れば埋められそうです。
毎日3つの挽歌を書けば1か月で埋められますから。

まあそれは無理としても、来年24日の節子の誕生日までなら、何とか数字を一致できるでしょう。
そんなわけで、これから毎日、2つ以上の挽歌を書くことにしました。

節子も協力してください。

 

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■節子への挽歌6184:不安感と大笑い

節子

私が書いた「不安感に襲われています」という投稿を読んだ友人からこんなメールが来ました。

私は朝、不安感で目が覚める時があります。
佐藤さんの不安感が早く取れるといいなと心より思います。

実は、私も不安感に襲われていた一昨日、ふとこの人のことを思い出しました。
なぜならこの人とある時話していて、突然に、「私は大丈夫でしょうか?」と訊かれたのです。おそらく自殺しないでしょうか、というような意味だったと思います。
その人には信頼できる家族や友人がいることを感じていたので、私は「大丈夫です」と即答しました。
でもそのことがずっと気になっていました。
なぜ彼はあんな問いをしてきたのだろうか。

その人はやはり「不安感」に襲われていたのです。
私が気になっていたのは、その友人はいつも他者を気遣っていて、大笑いしている姿を見ていないことに気づいたのです。
どこかに影がある。

実は、そういう人が私の周りには数名います。
いつもは明るく、悩みなどあまり感じさせないにもかかわらず、そして私から見るととても充実した仕事をしているにもかかわらず、どこかに影を感ずるのです。
私と同じものといってもいいかもしれません。

たぶん私にもそうした「影」があるのだろうと自分では思っています。
私の場合、その「影」は節子を失って以来なのですが、その傷からなかなか立ち直れないまま20年近くを過ごしてしまいました。
いまでこそ、その「傷」が、むしろ「力」になっているかもしれませんが。

このメッセージを読んで、その友人に心底、無邪気に笑ってほしくなりました。
余計なお世話ですし、私の勘違いかもしれません。
でも、彼に大声で笑ってほしい、そんな気が強くなっています。

でもやはり余計なお世話でしょうね。
迷います。

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■節子への挽歌6183:にことドラマの好みがめずらしく合いました

節子

先週の土曜日、にことユカとで、にこのクリスマスプレゼントを買いにアリオに行きました。
最近の子どもは忙しく、クリスマス前に私とにことが一緒に時間が取れる日が、その日しかなかったのです。
例年は、事前ににこから要望があり、ネットで購入していたのですが、今回はめずらしく一緒に買いに行くことになったのです。

その車中で、テレビドラマの話になりました。
にこはどんなドラマを観ている?と聞いたら、「ライオンの隠れ家」が好きだと言います。
私もこのドラマは毎回見ていますので、めずらしく話が合いました。

昨日放映されたのですが、にこは観ていて、私はまだ観ていませんでした。
それを知って、にこが昨日は大きく話が進んだことを教えてくれました。
どう進んだのかと訊いたら、にこは言いたいけどわかっちゃうとおさむさんは面白くなくなるから言えないと言うのです。
「ネタバレ」はいけないということを知っているのでしょう。

ところが、にこは話したがっていて、「言いたいけど言えない」と何回も繰り返すのです。
その話しぶりが実にいい。
あまりに繰り返すので、言ってもいいよといったら、嬉しそうに話しだしました。
せっかくライオンはお母さんと一緒になったのに、ヒロトが家に戻ったらライオンもお母さんもいなくなってたんだよ、というのです。

その時のやりとりのせいか、その後のプレゼント選びも食事も、とてもいい関係でした。

勢いに乗って、明日も朝食を近くのココスのバイキングに行こうかと誘いましたが、明日は、朝早くから手賀沼の掃除活動で出かけるのだそうです。最近の子どもは忙しいです。

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2024/12/05

■節子への挽歌6182:青木さんはやはり病院通いでした

節子

青木さんはやはり病院通いでした。
どうやら軽い脳出血を起こしていたようです。
いまは服薬で対処していますが、あまり外に出ていないのはそのせいのようです。
でもまあ元気そうで、今日もまた30分近くも立ち話をしてしまいました。

青木さんも話し好きなのです。
やはり人は人と話していると元気が出てくる。
青木さんはもともとは農家ですが、いまはもう農業はやっていません。しかしこれまでの経緯もあって農協の役員をしているようですが、農業の未来に大きな不安を感じています。だからいろんな場でも発言しているようですが、なかなか流れは変わらない。
そんな話をまたたっぷりと聞きました。
薬よりは効果があるでしょう。

家に帰ったら岐阜の佐々木さんから恒例の柿が届いていました。
早速お礼の電話をしました。
全く変わりもなくお元気そうでした。
元気そうな友人の声を聴くと安心します。

季節の変わり目、特に冬に向けてのこの季節は、いろいろと心配です。
なにかあっても大丈夫のように、まずは自分の体調を整えておくために、午後は散歩に出ました。
昨日につづいて、何とか4000歩を達成。

不安感は少し薄れましたが、でもまだすっきりしません。
なにか不安感を吹っ飛ばしてくれるようなビッグニュースは届かないでしょうか。

 

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■節子への挽歌6181:不安感に包まれてしまいました

節子

久しぶりに、説明できない不安感に昨日の夕方から襲われてしまっています。
その原因がわからない、漠然とした不安感です。
こういう不安感に襲われるのは、もう10年ほどなかった気がしますが。

原因がわかれば少しは安心できるのかもしれませんが、「なんとはない不安」には手の打ちようがない。
昨夜は寝苦しい夜で、7~8回、目が覚めて、何とか落ち着かせようと水を飲んだり、バナナを食べたり、筋トレ体操をしたりしましたが、だめでした。
起きようかとも思ったのですが、その元気はない。

5時になってもまだ起きられない。目は覚めているのに、です。
そしてまた寝てしまい、6時に目が覚めた。
今度こそ意を決して、昨夜そのままにしていたお風呂に入浴。
20分ほど、入っていました。
何とか少し落ち着きました。
でもまだ不安感は抜けていない。

こういう時、もしとなりに節子がいれば、不安をシェアしてもらえた。
そうやって私はずっと生きてきました。

会社時代も会社を辞めてからも、いつも「勝算のないプロジェクト」が好きだったので、いつも不安を抱えていた気がします。そうした「不安」はある意味、「元気」や「活力」の素でもあった。その不安を克服するために、前に進めたからです。

しかし、前に進もうとしても進めないほどの高い壁にぶつかることがある。
その時は、ただただ節子に不安をシェアしてもらって、一緒にいるしかない。
そうやって助けられたことが何回もあります。

でも節子がいなくなってからは、時に危険でした。
橋を渡る時や駅のホームでは、いつも意識して身を守りました。

そういう体験から解放されて10年以上経過していますが、昨日からのこの不安感は何なのでしょうか。
いま少し落ち着いていますが、このまま去って行ってくれるといいのですが。

でももしかしたら、最近連絡のない4~5人の友人知人も、こんな状況にあるのかもしれない。
いや、そんなことは考えないようにしましょう。
まずは自分を守らないといけない。
いやその考えが間違っているのかもしれない。
……

やはり不安感はまだ去っていないようです。
ともかく今日は、なんでもいいから身体を動かそうと思います。
今週は1週間、在宅にしたのが裏目に出たのかもしれません。
まずは気になっている近くの友人を訪ねてみようと思います。

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2024/12/04

■節子への挽歌6180:朝陽も夕陽も見える幸せ

節子

今日は朝陽と夕陽を見ました。

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杉野さんの受け売りですが、手賀沼沿いに住んでいる幸せの一つは、朝陽と夕陽に出合えることです。
杉野さんによれば、それこそが「大正の法然」といわれる山崎弁栄上人を生み出し、白樺派の文人たちを引き寄せたのではないかというのです。
朝陽と夕陽が見えるだけではありません。
手賀沼のおかげで、空がとても広いのです。そして雲が豊かです。

この地に家を建ててくれた節子に感謝しなければいけません。
しかしその節子はもういない。
節子がいたら、朝晩、手賀沼を散歩できたでしょうに。

節子の闘病中、手賀沼公園には散歩でよく行きました。
だからこそ、節子がいなくなってからしばらくは手賀沼公園にも行けないでいました。
人を見送ることはとても複雑です。
なにかが変わってしまうのです。
最近湯島によく来てくださる方の娘さんは、子供を亡くして以来、肉も魚も、ごはんさえも食べられなくなったそうです。
よくわかります。
なにかが変わってしまうのです。

私の場合、20年近く経って少しずつ何かが元に戻ってきているような気がしますが、嗜好は大きく変わってしまいました。
生活のリズムも変わってしまった。

今日は幸いにきれいな夕陽が見られました。僅かばかしですが、富士山も見えた。
明日は今日よりもいい日になるでしょう。
しかし今日もまたいろんな問題がやってきました。
元気の時なら瞬時にして対処できるのですが、最近はどうもそうもいきません。

でもまあ今日も何とか過ごしきれました。
なにかが、どこかが、おかしいような気はしているのですが、それが何かがよくわからない。
節子ならきっと解決してくれるのでしょうが。

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■節子への挽歌6179:みんなのお布施で湯島は維持されています

節子

先日のオープンサロンの時の話です。
遅れてきた人のために、コーヒーを淹れようとヤカンでお湯を沸かしていたのですが、話に気を取られているうちにすっかり忘れてしまいました。
そのうち、何やら音がするので気づいて、慌てて見に行ったら、水はすべて沸騰して空焚きになっていました。
時々やってしまうミスですが、参加していた仲谷さんが、そうならないように沸騰したら音が出るヤカンを買ってきてあるのにというのです。
そういえば、そんなヤカンがあったなと思ったのですが、仲谷さん自身、私に言うのを忘れていたようです。
まあ、言う必要もないのですが。

こんな感じで湯島はいま維持されています。
気づいた人が買ってきて置いているのです。
最近は私はサロン用のお菓子を買ったことがありません。
誰かが持ってくるのです。

みんなが勝手に維持していくために気遣ってくれているのです。
こういう状況が私にとっての理想なのです。
お金がなくても、みんなに支えられて生きていく。
みんなのお布施で私自身が生きていけるようになれば、もういつ死んでもいいですね。

 

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■節子への挽歌6178:楽しさと煩わしさはコインの裏表

節子

今朝はちょっとまた挽歌が書けませんでした。
昨夜どうも目が覚めてばかりで明け方眠ってしまい、寝坊したのです。
どうもまだリズムが安定しません。
すべては夜の睡眠が不安定だからです。

夜中にどうしても眠れずに、簡単な筋トレ運動をしています。
まあその代わり日中の筋トレ運動はあんまりしなくなっています。
4000歩歩くのも、なかなか安定背鵜、この3日、未達成です。
昨日は3000歩は超えたので、家の中で歩こうかと思ったのですが、やめました。
なにかを継続して行うというのは実に難しい。

今朝、いささか寝坊してまずやったのは、節子へのあいさつの後、入浴とジュースづくりですが、ほかに気になってできていなかったことをパソコンでやっていたら、あっという間にこの時間になってしまいました。
今週はずっと在宅ですが、ネットのおかげで、というか、せいで、いろんなややこしい話が入ってくる。人と付き合うのは本当に煩わしい。
でも付き合わないと人生は楽しくない。
楽しさと煩わしさはコインの裏表なのでしょう。

でもまあやっと気になっていたことの7割は終わりました。

後は先方からの返事待ちです。
と、安心したら、今週末の我孫子でのサロンの案内をしっかりとしていないことに気づきました。
40人の部屋を確保しているのに、まだ申込は4人です。
さてさてどうなりますことやら。

でも今日はこれから歯医者さんです。
歯医者さんで座っている間に、いろいろと問題の解決策を考えようと思います。
暇なのか忙しいのかもわからない。
でもまあすべて、誰かから言われたことではなく自分で勝手に決めていることですから、忙しくしても暇にしても、結果は私だけが背負えばいいだけのことです。
でも、果たして、そうなのか?

まああんまり難しく考えずに、今日も気楽にいきましょう。
Take it easy.
それが私の信条なのですから。

 

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2024/12/03

■節子への挽歌6177:『愛する人を亡くした人へ 悲しみに寄り添う15通の手紙』

節子

一条真也さんから久しぶりに本が送られてきました。
PHP文庫の『愛する人を亡くした人へ 悲しみに寄り添う15通の手紙』。
2007年に現代書林から出版された本ですが、この本が原案となった映画『君の忘れ方』が映画になり、来年117日に全国公開の予定です。それを機に文庫化されたのです。

 一条さんは、遺族に寄り添う「グリーフケア」に長年取り組んでいます。「死は不幸ではない」というのが一条さんの「死」の捉え方ですが、同時に「死」がもたらす寂しさや哀しさについても深い造詣とたくさんの体験をお持ちです。関連した書籍もたくさん書いています。
今年の9月、一条さんは父親を見送りました。その葬儀を終えた翌日に、この文庫版のゲラが届いたそうです。一条さんにとっては、改めて思いの深い本になったでしょう。

本書が原案になった映画は、坂東龍汰さんの初めての単独主演映画だそうです。
坂東龍汰さんといえば、先日、いまテレビで放映されている「ライオンの隠れ家」に、自閉スペクトラム症のみっくん役で好演しています。私はこのみっくんの演技に惹かれて、このドラマを見始めました。

実はこの種の作品には、節子を見送った後はどうしても向き合えなかったのですが、最近ようやくその呪縛から解き放された気がしまう。
しかし、一条さんから本が送られてきて1週間ほどたちますが、まだ読めずにいます。
2007年の時には結局読めなかったのですが、今度は読んでみようと思います。

 さてどいうことが起こるか、いささか心配ではありますが。

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2024/12/02

■節子への挽歌6176:休日の病院も人が多いです

節子

昨日は朝からどうも心身共に滅入るような1日でしたが、お昼過ぎにユカに電話が入りました。
近くに住む兄が、病院に送り迎えしてくれないかという電話でした。

兄は昨夜、救急車で病院に行ったのですが、幸いに大ごとにはならず、今日は日曜日だったので一時帰宅し、明日また病院に行く予定だったのですが、それがちょっとまたトラブル発生だったのです。
最近は、タクシーもなかなか来てくれないし、都会でも車がないと不便になってきています。兄も運転免許を返却しているので、自分では運転できず、時々、近くに住む姪である私の娘のユカに依頼してくるのです。

運良く、昨日はユカがいたので、兄宅に行ったのですが、私も気になって同行しました。
思ったよりも元気でしたが、大変そうです。

私はうっかりマスクをもっていかなかったので、車の中で待っていました。
そこで気づいたのですが、休日の、しかも夕方近くなのに、人の出入りが多いのです。
そのうち、救急車までやってきました。急患の搬入です。

日曜日の病院は閑散として意図ばかり思っていましたが、こんなにも賑わっているとは思いもしませんでした。
幸いに兄は20分ほどで出てきましたがまあその後もいろいろとあって、また病院に引き返したり、いろいろと大変でした。
兄には伴侶である義姉が付き添っていましたが、老々介護の大変さもよくわかります。
結局、2時間ほど付き合いましたが、病院前の車の中でいろんなことを考えてしまいました。

ユカには、私もこうしてお世話になるのでしょうが、娘がいることの幸せを改めて思い知らされました。
同時に、伴侶がいない寂しさも、ですが。

この騒動で、身心の不調は少し忘れることができましたが、でも昨日はなぜか調子が悪かったのです。
そうして今朝、メールを開いたら、またまたややこしいメールがいくつか入っていました。
身心が弱まっていると、いろんな面倒を呼び込んでしまうようです。

でも今朝の朝日を見たら、少し元気が戻ってきました。

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2024/12/01

■湯島サロン「2024年を振り返るサロン」のお誘い

年末恒例の「今年を振り返るサロン」を今年も開催します。

例年と同じく、グラフィックデザイナーの林さんが印象に残った事件や話題を月別に整理し、それと重ねて自分の周辺での事柄を紹介、それにあわせて、参加者もまた自分の1年を振り返り、みんなで「無駄話」をするという趣向です。

林さんからのメッセージです。

2020年にはじめたこの会も、はや5年目となりました。
例年2020年から一挙に振り返るのですが、時系列順に一挙に見ていくと、ひとつひとつの話題に触れることとは違った、地図を俯瞰するような面白さがあります。なるべく、参加者みんなで語り合えるような会にしたいと思います。

林さんの進行ですので、ゆったりした、あったかなサロンになるでしょう。
最近はなかなか過去を振り返る機会がありませんが、忙しい年末に、この1年を自分の生活と重ねながら振り返ると新しい気づきを得られるかもしれません。
年末の気ぜわしさの中で、ゆったりした時間を過ごすのもいいかもしれません。

湯島のサロンはじめての方も含め、どなたでも歓迎です。

〇日時:2024年12月21日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「2024年を振り返る」
〇話題提供者:林裕也さん(フリーランスのグラフィックデザイナー)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■節子への挽歌6175:成長が止まっている?

節子

昨日は久しぶりにオープンサロンをやったのですが、久しぶりの人がやってきました。
その人も含めれば参加者の内の3人が、30年以上前からの付き合いの人でした。
みんな会社を辞めた直後に私と知り合ったのです。
記憶力にいささか問題のある私は、それぞれの3人から最初にあった経緯を改めて教えてもらったのですが、全く別々の経緯で会っていますが、どこかに共通点がある。
その頃の私は、いささか鼻につくほど、わがままに生きていたような気がします。

それはともかく、3人があらためて異口同音に発した感想があります。
「佐藤さんは当時と全く変わっていない雰囲気だ」というのです。
こういうことはまあよく言われるのですが、そして自分でも「成長がないな」と思うことも多いのですが、待った特違う関わり方をしていた3人から、改めてそういわれると、なんだか「そうなんだ」と自分ながらにも納得してしまいます。
うれしい面もあれば、いささか残念な面もある。

ちなみに、そのおひとりが帰り際に、「35年前から老成していたということではないですよ」と言ってくれました。これもまたいささか複雑なコメントです。
うれしいやら恥じ入るやらです。

でもまあ私は私なのでしょう。
いろんなことがあったけれど、変化しない。
決してそうだとは思いませんが、ただ一つ言えることは、節子がいなくなってから、すべてはそこで止まったような気はします。
時間が止まったのです。そういう感覚は強くあります。

しかしそれもまたいま、動き出したような気がしてはいるのです

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