また長く続くだろう新しいサロンが始まりました。
「アーユルヴェーダを学びながらインドで考えたこと」です。話題提供してくれたのは、昨年からインドの大学で、アーユルヴェーダを学びはじめた若者のかわさきけいたさん。1月にまたインドに戻りますが、帰国を機会にサロンをお願いしました。
勝手な私の構想では、毎年帰国する機会にサロンをお願いしたいと思っています。できればずっと。私が最後まで付き合えるかどうか、かなり危ういのですが。
というわけで、今回はそのプロローグです。
アーユルヴェーダは一般にはインド伝統医学と言われますが、アーユル(生命)のヴェーダ(知識)ですから、私たちが考える「医学」よりももっと広い意味を持っています。つまり、病を治す医療というよりも、生命を元気にする養生につながっています。しかもインド哲学の流れでは、この世界に生命でないものは存在せず、あらゆる「存在」のなかに生命は宿っているとされますので、一般的な意味での「生命の科学」よりももっと広い概念のように思います。
けいたさんは、なぜアーユルヴェーダを学びのインドに行くことになったのかから話を始めました。
高校3年の時、病気で3か月入院し、生きる意味も見つけられないほどの辛い体験をしたそうです。そこで西洋医学や東洋医学の限界も感じたようです。
そんななかで生きる意味を与えてくれたのが、好きなスキーをもう一度したいという強い思いだったそうです。「やりたいこと」が生きる意味を与えてくれた。そして、病を治すことに目を向けるのではなく、生きることに目を向けて病を超えたのです。
だからといって、すぐに医学を志したわけではありません。病気を克服した後、けいたさんはリベラルアーツを学びにアメリカに留学。そこで出会ったのがアーユルヴェーダだったそうです。帰国して、インドへの留学を決意。自分でインド政府の奨学金を探して応募し、昨年からインドの大学に留学。
さらに現地で学ぶうちに、もっと伝統の知恵を大切にしている大学を自分で探して、転校することにしたそうです。ここでも常に現状に飽き足らずに、先に進もうとしているけいたさんの「生命の躍動」を感じます。
けいたさんにとっては、「資格」を取得して活動することだけが目的ではないのです。私の誤解かもしれませんが、いまもなお「医学」を志しているわけではないのかもしれません。アーユルヴェーダに関しても、そこにはまってしまっているのではなく、ましてやアーユルヴェーダを「手段」にしようなどとは思っていない。ともかく今は、アーユルヴェーダを理解しようとしているような印象を受けました。
だから、これからけいたさんがどう変わっていくのか、に関心があるのです。そこからこれまでは見えなかったアーユルヴェーダが見えてくるような気がするのです。
インドの大学での留学生活はかなりハードなようです。世界各国からの留学生同士で集まって生活しているようですが、水も出ないような状況ですし、治安も問題がある。
加えてアーユルヴェーダの勉強はかなりハードで、最初の4年半は徹底的な座学中心だそうで、サンスクリッド語やヒンドゥ語のテキストも読まなければならない。そのうえ、いわゆる医学部的な勉強もしなければいけないのだそうです。
インド人との付き合いも大変なようです。「嘘」に関する考え方が全く違う。生活面では今のところさほど交流はないようですが、1年以上、インドで暮らしていると当然、いろんなことが見えてくるのでしょう。
そういう「さりげない話」が私にはとても興味深かったです。きっちりした報告や書籍からはなかなか伝わってきませんし、短期間の旅行体験報告からもたぶん伝わってこないからです。
しかし、けいたさんもまだ1年半。これからどう変わっていくかも興味あります。
今回はまあ、いわば第一印象と位置づけて聴いていました。
アーユルヴェーダについての概念的な説明はありませんでした。個別には質問に応じて答えてくれましたが、アーユルヴェーダがともかくインドの人たちの生活を支えていることは感じました。
アーユルヴェーダ関係の施術施設は、インドの人たちは無料で利用できるようですし、地域地域にその土地にあったアーユルヴェーダがあるような印象を持ちました。
まさに病気を治す医療ではなく、人の生活を支える養生だと改めて感じました。
驚いたのは、いまもなお、「サンスクリット語」が学校で学ばれていることです。サンスクリット語は研究者のものだとばかり思っていましたが、いまもなおサンスクリット語で書かれた文献が読まれているということを私は知りませんでした。
話を聴いていて、思い出したのが新倉さんの「ふるさと薬膳」サロンでよく話題になる「身土不二」です。アーユルヴェーダとは結局はインドの身土不二ではないか、と思ったのです。
アーユルヴェーダには「医食同源」という考えがあると聞いていますが、アーユルヴェーダにとって食事はとても重要です。私の妻も以前、インドのアーユルヴェーダの医師の診察(脈診)を受けて、食事療法の指導を受けたことがあります。その時も、食事のレシピをもらいました。
そんな話から、参加者の一人からインドの土壌の汚染の話が出ました。
身土不二と言っても、その土壌が最近はひどく汚れているが、大丈夫だろうかというのです。
そこで思い出したのが、インダス文明はなぜ突如滅びたかに関する森本仮説です。
森本哲郎さんは著書『豊かさへの旅』の中で、こんな仮説を書いています。
インダス文明は、下水道など完備された清潔で安全な都市でしたが、ある時、突然滅んでしまった。一方、ゴミだらけだったベナレスはいまもちゃんとにぎわっている。そこで森本さんはこういうのです。きれいな都市にしようと片付けているうちに、じぶん(人間たち)をかたづけちゃったのではないか、と。
自然を汚しているのは、自然から離れた都市人間だという気づきです。人はそもそも自然を汚ごしたりはしないのです。自然にはごみなど存在しないのです。
「都市」はアーユル(生命)を排除する仕組みではないのか
こう考えると、汚れるとかごみとは一体何なのかがわからなくなる。私の友人がやっている有機農場では、ごみなど一切でない。見た目はともかく、みんな自然の中で、生きている。
すみません、脱線してしまいました。
もう一つ知らなかったことがありました。今も公式の申請書などには、カーストを記入する欄があるそうです。実態としてはともかく、制度的には消されていると思っていましたが、これも私の知識不足でした。カースト制度のゆえにインドではIT産業が急成長したという話もありました。
ところで、私が一番印象に残ったのは、けいたさんが持っている雰囲気です。参加者の一人が、後で「清々しいサロン」だったと感想を送ってきてくれましたが、その人も言うように、「確固たる目標を持って、しなやかな心持ちでインドで生活されている」ためか、けいたさんは、穏やかな雰囲気で包まれているような気がしました。
それがこれからどう変わっていくか。
けいたさんがインドでの学びを終えるのが何年先かはわかりませんし、その後、日本に戻ってくるかどうかもわかりませんが、できればインドでの学びの間、できれば毎年サロンを開催してほしいと思っています。
そのために、私もアーユルヴェーダの知恵を学びながら、養生に努めようと思います。
報告はいつもながら私の主観でまとめていますので、けいたさんの意に反するところがあるかもしれません。その点はお含みおきください。
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