■節子への挽歌6181:不安感に包まれてしまいました
節子
久しぶりに、説明できない不安感に昨日の夕方から襲われてしまっています。
その原因がわからない、漠然とした不安感です。
こういう不安感に襲われるのは、もう10年ほどなかった気がしますが。
原因がわかれば少しは安心できるのかもしれませんが、「なんとはない不安」には手の打ちようがない。
昨夜は寝苦しい夜で、7~8回、目が覚めて、何とか落ち着かせようと水を飲んだり、バナナを食べたり、筋トレ体操をしたりしましたが、だめでした。
起きようかとも思ったのですが、その元気はない。
5時になってもまだ起きられない。目は覚めているのに、です。
そしてまた寝てしまい、6時に目が覚めた。
今度こそ意を決して、昨夜そのままにしていたお風呂に入浴。
20分ほど、入っていました。
何とか少し落ち着きました。
でもまだ不安感は抜けていない。
こういう時、もしとなりに節子がいれば、不安をシェアしてもらえた。
そうやって私はずっと生きてきました。
会社時代も会社を辞めてからも、いつも「勝算のないプロジェクト」が好きだったので、いつも不安を抱えていた気がします。そうした「不安」はある意味、「元気」や「活力」の素でもあった。その不安を克服するために、前に進めたからです。
しかし、前に進もうとしても進めないほどの高い壁にぶつかることがある。
その時は、ただただ節子に不安をシェアしてもらって、一緒にいるしかない。
そうやって助けられたことが何回もあります。
でも節子がいなくなってからは、時に危険でした。
橋を渡る時や駅のホームでは、いつも意識して身を守りました。
そういう体験から解放されて10年以上経過していますが、昨日からのこの不安感は何なのでしょうか。
いま少し落ち着いていますが、このまま去って行ってくれるといいのですが。
でももしかしたら、最近連絡のない4~5人の友人知人も、こんな状況にあるのかもしれない。
いや、そんなことは考えないようにしましょう。
まずは自分を守らないといけない。
いやその考えが間違っているのかもしれない。
……
やはり不安感はまだ去っていないようです。
ともかく今日は、なんでもいいから身体を動かそうと思います。
今週は1週間、在宅にしたのが裏目に出たのかもしれません。
まずは気になっている近くの友人を訪ねてみようと思います。
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