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2024/12/04

■節子への挽歌6180:朝陽も夕陽も見える幸せ

節子

今日は朝陽と夕陽を見ました。

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杉野さんの受け売りですが、手賀沼沿いに住んでいる幸せの一つは、朝陽と夕陽に出合えることです。
杉野さんによれば、それこそが「大正の法然」といわれる山崎弁栄上人を生み出し、白樺派の文人たちを引き寄せたのではないかというのです。
朝陽と夕陽が見えるだけではありません。
手賀沼のおかげで、空がとても広いのです。そして雲が豊かです。

この地に家を建ててくれた節子に感謝しなければいけません。
しかしその節子はもういない。
節子がいたら、朝晩、手賀沼を散歩できたでしょうに。

節子の闘病中、手賀沼公園には散歩でよく行きました。
だからこそ、節子がいなくなってからしばらくは手賀沼公園にも行けないでいました。
人を見送ることはとても複雑です。
なにかが変わってしまうのです。
最近湯島によく来てくださる方の娘さんは、子供を亡くして以来、肉も魚も、ごはんさえも食べられなくなったそうです。
よくわかります。
なにかが変わってしまうのです。

私の場合、20年近く経って少しずつ何かが元に戻ってきているような気がしますが、嗜好は大きく変わってしまいました。
生活のリズムも変わってしまった。

今日は幸いにきれいな夕陽が見られました。僅かばかしですが、富士山も見えた。
明日は今日よりもいい日になるでしょう。
しかし今日もまたいろんな問題がやってきました。
元気の時なら瞬時にして対処できるのですが、最近はどうもそうもいきません。

でもまあ今日も何とか過ごしきれました。
なにかが、どこかが、おかしいような気はしているのですが、それが何かがよくわからない。
節子ならきっと解決してくれるのでしょうが。

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