■節子への挽歌6237:「根っからの善人」
節子
また生活が回りだしてきました。
今日は小宮山さんと湯島で会っていました。
小宮山さんの生活環境は大きく変化しつつありますが、たぶん今は時間を持て余しているのでしょう。それに人と会う時間が減っているのかもしれません。だから電話がよくかかってくる。その心境はよくわかる。会わないわけにはいきません。
一昨日も会っていたのですが、今日も会うことにしました。
やはり人は出会う友がいないといけない。
友は人である必要はないかもしれません。
動物や植物でさえなくてもいいかもしれません。
しかし多くの人にとってはやはり「人」のような気がします。
少なくとも私は「人」です。
だから同じように人と会うことを欲している人には応えなければいけない。ましてや小宮山さんのような根っからの「善人」には、私も「根っからの善人」になって付き合わないといけない。
でもこの「根っからの善人」というのはやはり難しい。
どうしても「わがまま」が出てきてしまう。
小宮山さんと別れた後、久しぶりに東博に立ち寄ろうと思っていたのですが、疲れてしまった帰宅してしまいました。
人と会うのはやはり疲れます。
でも人と会いたくなる。
困ったものです。
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